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28 堕ちた英雄(※saideランスロット)

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 アリオーソの聖女の奇跡は、瞬く間に帝都中に広がった。あの要領の良さを見るに、悪知恵の働くレジェロによる画策だろう。
 帝都の貴族達の耳にも、物珍しい聖女の話は届いているが、その多くは庶民の世迷言と捕らえている。
 聖職者達が、聖女の予言を隠しているお陰で、本物の聖女が現れても、ありがたがる事もしなければ、何故出現したのかも、分からない馬鹿ばかりだ。

「まさか、失敗するだなんて……。手慣れた暗殺者だと聞いておりましたのに」

 メヌエットはそう言って爪を噛む。
 聖女降臨に危機感を抱いていたメヌエットは、独自に暗殺者を雇ったようだ。余計な真似をしてくれたが、レジェロという、番犬が相手だったのは災難だったな。
 小手先の攻撃は効かない狂犬だ。
 暗殺者ごときで奴が死ぬのなら、この先いたぶり甲斐がないだろう。
 この女にしてみれば、結婚式で恥をかかされ、処刑されるべき咎人の女が、実の姉に匿われて『奇蹟の聖女』としてもてはやされているのが、気に食わないのだ。
 メヌエットは星の王女と呼ばれるほど、帝国民や貴族、両親に愛され我儘放題で育っている。自分を讃える帝国民の忠誠が『美しい女帝陛下』ではなく、突如現れた『聖女様』に傾くのを恐れているのだろう。

「陛下。もしかするとドルチェは、本当に、偽者ではないかもしれませんよ。それでも計画をお進めになる?」

 煽るように、俺は問い掛ける。
 うろうろと、忙しなく行ったり来たりしているメヌエットは、ソファーに座る俺を振り返り、激しく睨みつけた。

「聖女だなんて、馬鹿馬鹿しいですわ。ランスロット様も、邪神の魔女と仰っていたでしょう。全く……先日、偽聖女のおかげでアリオーソの大神官が突然訪れたんですの。とっても不快な思いをさせられましたわ」

 アリオーソの大神官が訪れたのは、ドルチェの存在が、神殿側として見逃せなくなってきたからだろう。
 皇族にその存在を消されたとはいえ、ドルチェは奴らの信仰の対象である、女神アリオーソの聖女を名乗っている。堕落したアリオーソの聖職者達も、こうして伝説通りに聖女様が現れたのだから、今や情けなく恐れを抱き、震えているに違いない。
 それに、ドルチェの人望カリスマが上がれば上がるほど、無視できなくなる。

「落ち着いて下さい、陛下。それで彼らは、貴女にどんな事を言ってきたのですか」

 俺は答えなど分かりきっていたが、敢えてメヌエットに寄り添うように質問を切り出した。彼女は苛立ち、落ち着かず、爪を噛みながら右往左往していたが、俺の問い掛けに、深呼吸をしてソファーに腰を下ろした。

「もし、ドルチェという娘が本物の聖女ならば、アリオーソの神殿にお迎えしなくてはならないと言う事でしたわ。その際には、聖女をご支援するようにと仰っていましたの。邪神は封じられましたが、ソルフェージュ帝国の和平の為、聖女様が新たな神竜をお呼びになるのではないかとも」
「………大神官様のお言葉は絶対ですね。しかし、誠に遺憾ながらフィーネの話によると、ブリッランテのアリア様は、陛下に不信感を抱いているご様子。メヌエット様が陛下であるのは、ソルフェージュ帝国にとって、厄災だと……口にしていたそうです。あの『聖女様』に影響されたのでしょうか」
「………それは、本当ですの?」

 メヌエットは、表情を無くすと俺を見つめ、唇を噛む。アリアがこの女に対して危機感を抱いているのは事実。そしてその見立ては正解だ。
 メヌエットも、長女のアリアを疎ましく思っている。
 今こそ、確執のある姉妹を利用しない手はない。

「フィーネの話によると、そのようです。聖女とも、その事を話していたようで、危険視している」
「ああ……そうなんですの。やっぱりね、アリアお姉様。ふふふ……アリアお姉様っていつもそうなのよ。私のやる事が気に入らないから告げ口したり。なんでも邪魔するんですもの……でも、もうそんな事はさせませんわ。それって……アリアお姉様が、私、いいえ、帝国に歯向かうつもりでいるという事なのでしょう?」

 メヌエットの瞳が鈍く光る。
 今やこの女にとって、女帝の地位を脅かされるのが、一番恐れている事だろう。自身がソルフェージュ帝国で権力を握らなければ、禁断の関係は守れない。
 弟のグラーヴェが、何故病弱なのか。
 メヌエットは、メイドや医者よりも側にいるが、医療の知識もなければ癒やしの魔法も使えない。そんなメヌエットの看病で、どうしてグラーヴェが回復するのか。
 その答えは簡単だ。
 この女が、弟に微量の毒を混ぜて飲ませ、解毒させる。健気に世話をしその様子を周囲に褒められる事を、喜びとしているからだ。
 そして、弟が病弱であればあるほど自分の元から離されず、グラーヴェは帝位継承から消される。そうなると、体の弱い皇太子は、そう簡単に他の女と結婚する事は出来ない。
 弟が望む、望まないは関係なしに、メヌエットに依存しなければ、彼は生きていけないだろう。
 俺は、メヌエットとグラーヴェが以前より、近親相姦の関係である事を知っている。俺が勘づいている事も、メヌエットは薄々、知っているだろう。

「では、愛する弟君の為にも、裏切り者のアリア様を捕らえますか?」
「ええ。アリアお姉様は、邪神の魔女に唆されて、帝国転覆を考えているのですから……当然ですわね。ブリッランテ神殿には魔道士軍が居ます。こちらも充分に軍を準備させましょう」

 俺は微笑み、ゆっくり立ち上がるとメヌエットの手の甲に口付ける。

「————承知しました。俺は、アリオーソの神殿に向かいます。そして、彼らに説明致しましょう。邪神を封じた俺なら、その耳を傾ける筈ですから」
「ええ、ランスロット様。そうですわね。肝心な事を忘れておりましたわ」

 メヌエットは自分の欲の為ならば悪知恵は働くが、政治に関しては無能だ。

 ✤✤✤

 ――――古き竜と慈愛の女神アリオーソ。
 ソルフェージュ帝国にある、七柱の神々の神殿の中でここが最も大きい。創造主の中で、古来よりアリオーソは、この大陸のどの種族とも距離が近く、親しみ深い女神と記されている。
 護衛のラルゴを連れ、マントを翻すと、俺はアリオーソの神殿の前に立った。神殿の階段を上り入口に一歩踏み込んだ瞬間、俺の存在を拒絶するように、足の裏がジリっと焼け付き、僅かに黒煙が上がる。
 皇族と癒着した事で、落ちぶれたアリオーソの神殿だが、まだ聖地である事は変わりないようだ。アリオーソの守護の力は、かろうじてまだ働いている。

「ランスロット様、どうかなさいましたか」

 背後に居たラルゴが、突然立ち止まった俺に話し掛けた。

「――――なんでもない。今日も女神アリオーソは美しいと思っただけだ」

 足の裏に感じた僅かな拒絶を踏み潰すように、捻じ伏せる。そして俺は女神アリオーソの像を見上げた。
 美しい女神像が、竜の首に抱きつき、瞳を閉じている。アリオーソを後目に俺は口角を上げると、神殿の中へと向かう。
 白い大理石に、荘厳な神竜の装飾、黄金で出来た慈愛の象徴の樹木が置かれている。
 どれほどこの神殿に金が掛けられているのか、これを見ただけで一目瞭然いちもくりょうぜんだ。
 両脇に立つ、警備の黄金竜の騎士が、俺を見るなり胸元に剣を引き寄せ、恭しく敬礼する。

「皇配陛下様」

 奥から、大神官と数人の神官達が出迎えた。突然の来訪でも、顔色を変えない所を見ると、随分と気まぐれな皇族共に躾られているようだな。
 お得意様、という訳か。
 いや、皇族共は大神官に逆らえない。金のなる木ならぬ、金のなる傀儡という所か。
 だが、神殿は金の為なら聖女の存在も消せる。奴らもまた、皇族に逆らえず、永遠にループしていた。

「突然、訪問してしまったが……宜しいですか」
「ええ、勿論です。アリオーソの神殿はいつ、いかなる時も万人に開かれておりますので。こちらへどうぞ」

 数人の神官を引き連れて、大聖堂を抜けると、さらに奥の渡り廊下を通り、『慈悲の間』へと向かう。俺と護衛のラルゴが部屋へと通された。
 慈悲の間は、まず一般帝国民が入れる場所ではない。いわゆる皇族や貴族のみが、足を踏み入れる事が許された特別な場所だ。
 ここではいわゆる、個人的な告解や、政治を執り行う上での、相談事などをしている。また、大神官や皇帝の避難場所となっていた。

「メヌエット女帝陛下が、ここにいらっしゃらないという事は、ランスロット様ご自身の、お悩みで御座いましょうか」

 温和で、ふくよかな老女の大神官はまるで友人に接するように、穏やかな口調で問い掛けた。俺は、役者のように落ち着かない雰囲気を醸し出すと、両手を組みながら、真剣な眼差しで大神官を見つめた。

「大神官様。私は女帝陛下が恐ろしいのです」
「それは……どのような事ですか」
「大神官に……彼女を止めて頂きたく、参りました。とても、女神アリオーソが許さないような事を、陛下は考えていらっしゃるからです」

 思わぬ深刻な告解に、大神官の眉間に深い皺が刻まれた。

「陛下は……ブリッランテ神殿に匿われている、聖女様を殺そうとしているのです。そればかりか、匿っておられるアリア様を、反逆者としてブリッランテ神殿を攻め落とそうとしている。俺も彼女が、当初は邪神の魔女かと思いましたが……。大神官もあの奇蹟を見れば、彼女が本当の聖女様だと確信されるでしょう。だが陛下は、耳を貸しません」

 大神官は絶句する。
 ブリッランテ神殿を攻め入るなど酔狂過ぎるからな。多くの信者が暴動を起こしてもおかしくない。
 ましてや、ブリッランテの声を聞く預言者で、今や最上位に巫女として鎮座する、実姉であるアリアに咎人の烙印を押そうなどと、狂気の沙汰だ。

「それは……本当なのですか。とても信じられません。一体何があったのでしょう」
「ええ。陛下は近々軍を上げる準備をしています。彼女の心をどのような変化が訪れたのか……理解出来ない。それに……これは………俺の勘違いであって欲しい。言葉にするのも憚られる。どうやら女帝陛下と弟君のグラーヴェ様が……、通じ合っているようなのです」 

 俺は目を閉じ、額を抱えるようにして項垂れた。大神官が喉の奥をヒュッと鳴らす音が聞こえる。メヌエットを子供の頃から知っているであろう大神官だが、噂の真意は分からずとも、少しはメヌエットの、醜聞を小耳に挟んだ事はあるだろう。
 当然ながら、近親相姦など忌むべきものだ。

「ら、ランスロット様はその様子を見られたのですか? もし、女帝陛下がグラーヴェ王子の子を宿せば、皇族の血が穢れます。そのような大罪は、邪神を封じたとしても、ソルフェージュ帝国に陰りをもたらし、不幸が訪れましょう」
「ええ。あまりにもおぞましい。女帝陛下はご乱心のようです。このソルフェージュ帝国、そしてアリオーソの神殿と聖女様を守る為にも、大神官にお力添えを願いたいのです」

 あの仮初の神竜が消滅した事は想定外だが、俺にとってはある意味好都合だった。メヌエットの即位の日に不吉な事が起きれば、信憑性は増す。
 それに、俺はまだメヌエットの弱みを握っているのだからな。

「――――分かりました。事実確認をした後、我々が動きましょう。メヌエット女帝陛下が、心の病でソルフェージュ帝国を統治するに相応しくない場合は……、皇配陛下であられるランスロット様に、帝位継承権が移ります」
「彼女は静養すべきです。メヌエット様はまだお若い。荷が重すぎたのでしょう」

 俺はいかにも殊勝しゅしょうな皇配の態度を取ると、踵を返した。メヌエットの証拠ならばいくらでも出てくる。再び、美しいアリオーソの像の前に立つと見上げた。
 俺をソルフェージュの皇帝となるだろう。
 ドルチェは、自分がまだ何者なのかを理解していない。

 ――――かつての俺がそうだったように。

 その髪も瞳も、在りし日のアリオーソの生き写し。創世記のままの姿でドルチェは生まれ変わってきた。
 何もかも計画通りだ。お前の愛したソルフェージュ帝国を、内側から破壊してやろう。

 ――――俺は、ようやくお前を手に入れるのだ。

 今度こそ、俺を拒絶するなアリオーソ。
 
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