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16 偽りの聖女①

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 ソルフェージュ帝国に天啓をもたらした神竜は、本当に美しい黒銀色のドラゴンだったのに、どうして?
 熱狂する人々は、天に舞う神竜に歓声を上げている。私はその光景があまりにも恐ろしく、受け入れ難くて、フラフラと後ろに倒れそうになって、後退る。
 ドンッ、と背中に何かが当たるような音がして、見上げるとそこには長身のレジェロ様が笑顔で、私の体を受け止めてくれていたの。

「お待たせぇ、ドルチェたん♡ 俺が居なくて寂しかったぁ?」
「れ、レジェロ様……。そんな事より、神竜が……神竜がなんだかおかしいわ」
「ほぉーん。ありゃあまるでアンデットみたいだねぇ♪ これから、宮廷のバルコニーで新女帝と、皇帝一族による、ありがたーいお披露目があるよーー。残念ながら俺達も行かなくちゃならねぇんだけどさ。君、エリーナちゃんの護衛、実にご苦労だった!」

 レジェロ様にも、私と同じようにあの死竜の姿が、見えているのかしら? 
 でも、全然動揺する様子もなくて楽しそうに死竜の姿を目で追い掛けるように、額に手を置くと、舌を出しているわ。それから、レジェロ様はふざけた様子で、騎士に敬礼すると私の肩を抱いて、馬車に乗り込む。

「宮廷に行くの……? こ、怖いわ。だってレジェロ様にも、私と同じ物が見えているんでしょう?」
「ほんと、俺達一心同体だね♡ 大丈夫だってぇ。ドルチェちゃんには、ウロボロスの騎士である、この俺が側にいるでしょ? それにぃ、女帝メヌエット様の就任の様子を、しっかり拝んじゃお♪ この大陸に今何が起きているか、しっかり見届けなきゃな♡ 聖女として生まれた君には、その義務があるんじゃね?」

 レジェロ様は馬車の中で私の肩を抱くと、紅玉の瞳をギュッと細め、挑発的な笑みを浮かべた。そうね……、少なくともこの帝国には、私が生きていて困る人がいるのは事実だし、あの神竜の様子からして何か異変が起きているのは確かだわ。

「ええ、分かったわ。遠くから見ているだけだもの。大丈夫よ」
「酒宿場の看板娘の時もかわい子ちゃんだったけど、その格好だとさらに垢抜けて見えるからねぇ♪ ま、来賓席に居ても、君が真っ黒に焼け焦げて死んだ、あのドルチェちゃんだなんて、誰も思わねーよ」

 私が頷くと、馬の嘶きと共に馬車は帝都オラトリオの中心にある、宮廷に向って走り出した。

✥✥✥

 戴冠式が終わり、この時ばかりは特別に一般庶民が立ち入る事を許された場所がある。
 バルコニーに皇帝が出て、帝国民にお披露目するのは、慣例の行事になっているそう。
 噴水を取り囲むようにして、柵の前まで大勢の人間やエルフ、獣人達が押し寄せているのは、メヌエット様のお姿を一目見ようとしているせいね。
 本来なら、皇帝一族しかあのバルコニーには立てないけれど、この世界を救った英雄様方は別みたいだわ。
 レジェロ様と、フィーネ様、それに獣人のモッソ様に、オーガの血を引くラルゴ様が、バルコニーに出てくると、人々の大きな歓声が上がる。彼らはランスロット様と一緒に、この世界を救った英雄様御一行だものね。
 私のような付き添いや、貴族の方々は、柵より宮廷側の来賓席で、邪魔にならないようご勇姿を見守るのが決まりみたい。私は誰とも話さずに、一人緊張して、椅子の上に座っていたの。

『女帝陛下万歳!』
『我らが英雄に万歳!』
『ソルフェージュ帝国に栄光と繁栄を!』

 拍手と共に歓声が上り、ようやく女帝メヌエット様が、ランスロット様にエスコートされながら現れた。
 真っ直ぐな美しい銀髪、星の女神の生まれ変わりと謳われる儚げで、絶世の美女である女帝の頭の上には、帝冠がキラキラと光っていて、本当にお美しいわ。
 レジェロ様は、警戒しているけれど魅せられてしまう。
 ドレスも、赤いマントも高貴で可憐で美しく、全帝国民が彼女に熱狂するのも無理はないわね。メヌエット様には、人を惹きつける人望カリスマのような物があるもの。

「おお、なんと神々しいお姿だ。憎き邪神軍は去り、邪神は封じられた。勇者ランスロット様がメヌエット様と共にご統治してくだされば、帝国は安泰だ」
「ランスロット卿は、なんと凛々しく美しいのでしょう。まるで黒獅子、黒竜のようですわね」

 来賓客は口々にそう言って拍手をしている。私はなんだか居心地が悪くなって瞳を伏せたわ。
 風を切る大きな羽音がして、竜の鳴き声が空に響き渡ると、座っていた貴族達が手を叩きながら、立ち上がる。

「神竜だ。やはり目の前で見ると美しいな。アリオーソ様の、メヌエット陛下を祝福する声が聞こえる」
ドラゴン……」

 私もそう呟くと、ゆっくりと立ち上がり日除けの天蓋から出る。まるで、死竜は女帝メヌエット様と、ランスロット様を祝福するように旋回し、宮殿の一番高い塔の屋根に止まると、咆哮した。

ドラゴン……」

 まるでそれは、お祭りの演出のようだわ。じっと竜を眺め、私は小声で呟くと、不意に死竜が私の方に顔を向けた。なにかしら……目が合ったような気がするわ。
 私の心臓は、飛び出そうになるくらい、ドキドキしている。
 そして、咆哮すると来賓席に向って急降下してきたの。突然の事で、私も来賓客も悲鳴を上げながら散り散りに逃げ始めた。
 柵の向こう側の人々もまさかの自体に驚き、逃げ惑っているのが見えるわ。ソルフェージュ帝国騎士団も、慌てた様子で竜を追っているようだけど、間に合わない!
 私の背後に居た人が、竜に食べられたような音がして、私はスカートの裾を掴むと一目散に、悲鳴を上げて走った。

「レジェロ……!!」   

 息が……息が続かないわ!
 私が悲痛な叫びを上げて、背後を振り向いた瞬間、ふわりと体が浮かんで竜の大きな口から、危機一髪で逃れる事が出来たの。
 私を抱き抱えていたのは、レジェロ様だった。高く飛び上がると魔銃を構えて引き金を引いたの。レジェロ様の紋章タトゥーが青く光って、銃弾が飛ぶ。
 散弾した銃弾が、死竜の体に当たると怒り狂ったように、骨の尻尾が柵を薙ぎ払い、前列に居た人々を吹き飛ばしていく。

「おっ、この魔銃初めて使ったけど、なかなか性能は悪くないんじゃなーい♪ ひっさしぶりに戦うからぁ、ぼく、ゾクゾクしてきちゃったネ✩」
「こ、こんな時にふざけないで、きゃあ!」

 レジェロ様が壊れた柵を踏み台にして、群衆に逃げ込むと、死竜は、人々を蹴散らし踏みつけて、私達を追い掛けてくる。だめ、あれはきっと私を狙っている筈だから、人の多い場所に逃げ込んだら沢山の人が犠牲になっちゃう!
 なんの根拠もないけれど、虚ろな死竜の瞳は、私を追い掛けているように思えたの。

「レジェロ様! 人の多い場所に行ったらだめ! ここにいる人達があの死竜に、食べられちゃう」
「ドルチェちゃんを隠れ蓑にするには丁度いいんだけどなぁ。俺としてはぁ、他の奴等はどうでもいいし、君だけ護れたらそれでよしなんでぇ♪」
「だめ! みんなからあれを引き離さないと」
「はー。しゃーないねぇ。可愛い聖女ちゃんのお願いには、逆らえないレジェロ様ですから♡ んじゃ、逃げるのも面倒くさいんでブチ殺しちゃいますか」

 せめて、人の少ない所に行かないと。これ以上被害を出せないわ。
 レジェロ様は、私を噴水の側で降ろすと、死竜に向って走り、二本のアサシンダガーを取り出したの。死竜の口から吐き出された青い炎を避けながら、人の履けた場所に誘導する。
 レジェロ様は一気に死竜に近付くと、大きく飛んで、背中に向けて斬り付けたの。
 怒号を上げた死竜が、尻尾を背中に向けて大きく振ると、それを避けながら今度はクロスボウで、死竜の頭に向って矢を放ったの。

「おわ、やっべ!」

 振り向きざまに、死竜の大きな鉤爪の手が襲いかかってくると、今度はそれに向ってレジェロ様は、クロスボウの矢を射った。それが竜の掌に当たると同時に避けると、尻尾がフェイントするように、レジェロ様の体を叩き付けた。

「レジェロ様……!」

 叩き付けられたレジェロ様が、地面の上をバウンドして、なんとか体制を整えたみたい。そして死竜が青い炎を吐くと、レジェロ様はそれを前転しながら避ける。
 死竜は、私を探すように濁った瞳で顔を動かし、噴水の影に隠れる私を見つけると首を傾げた。
 ゆっくりと水面越しに、生臭い吐息が掛かる。回り込むようにして死竜が私に近付いてきた事が、あまりにも恐ろしくて、立ち上がる事すら出来ずに小さくなっていたの。
 
「お前の相手は俺だよーん。でっかいワンちゃんよ!」

 レジェロ様がペッと血を吐き捨てると、ゆらりと立ち上がり、クロスボウの弓を死竜に向けて射った。
 その呼びかけも、矢に貫かれる痛みも無視して、死竜は私に体を向けてきたの。あまりの恐ろしさに気を失ってしまいそうだけれど、私は死竜の虚ろな瞳の中に、赤い光が宿るのを見た。

『グルル……グルル……』

 死竜の喉が小さく甘えるように鳴って、私の恐怖心が徐々に薄れて行くのを感じる。上手く言葉に出来ないけれど、なんだか……私は、この死竜がとても、憐れに思えたの。
 まるで、私に助けを求めるような瞳で訴え掛けているように思えたから、胸が痛くなった。

「貴方、苦しいの? 痛いの?」
『グルル……グルル……グル』

 言葉は通じないけれど、この死竜は苦しんでいるように思えたの。もしかして体を蝕まれる病気に掛かっているのかもしれない。それとも、もうとっくに死んでいて、魂だけ屍に捕えられているのか、それは分からないけれど、痛みからの解放を願っているように感じられた。
 私は立ち上がり、死竜を見上げて微笑む。

「ドルチェ! 離れろ!」
「解放してあげなくちゃ。もう大丈夫よ」

 珍しく、焦ったレジェロ様の声が聞こえたけど、私は無意識にそう答えていた。
 死竜は私と視線を合わせるように、恭しく犬のように体を伏せる。
 私は、無意識にその竜に向って両手を伸ばして鼻頭に触れた瞬間、私と竜の間に光が生まれた。
 その青白い光が、やがて死竜の全身を包み込むと、サラサラと光の粒になって骨も皮も消えてなくなってしまった。

「ど、どういう事だ。神竜が暴走したのか? 神竜はどこに行ったんだ、消えたぞ」
「今のは何? 転移魔法かしら。神竜を止めてくれたんじゃないの」
「おい、違う。俺は見た。神竜が死んだ。殺されたぞ!」

 周りの人達が、その光景を目にするとザワザワと騒ぎ始めた。
 そうだわ、この人達にはあれが死竜には見えていないのね。だから、神竜が跡形もなく消えてしまったように思えるのよ。あの状況から解放されるのが死なら、私は確かに神竜を殺したのかもしれないわ。
 自分の両手を見ていると、野次馬を押し退けるようにして騎士団が、私を取り囲む。

「おいそこの女、座れ!」

 レジェロ様が私に駆け寄ってくると同時に、背後から衛兵が私の肩に触れ、私の手を捻って地面に座らせると、頭を掴まれる。

「痛っ……!」
「おい、首と胴体が繋がってたければ、今直ぐ、そのばっちぃ手を離してくんね? その子さぁ、俺の連れなんだわ。それと俺は、お前ら全員ぶっ殺すのも訳ねぇからな」

 レジェロ様が、騎士の首元に刃を突きつけると、一筋の赤い血が流れた。
 思わず騎士が怯んでいると、前方の騎士と野次馬を押し退けるようにして、ランスロット様が現れたの。

「剣を下げろ、レジェロ」
「おいおい、その子から、手を離すのが先じゃねえの? 竜騎士様よ」

 フンと鼻を鳴らしたランスロット様は、私から手を離すように騎士達に目で訴えた。
 彼は静かに歩み寄ると、氷のように冷たい眼差しで私を見下ろし、剣の先端を向けた。私は青褪め、ガクガクと体が震えるのを感じたの。怖い。

「神竜が暴走したのも、この者が仕向けたのだろう。いまだかつて神竜が俺の命に背き、帝国民を襲った事などない。あの、邪神がソルフェージュ帝国を狙っていた時でさえも! 邪悪な魔術により、神竜は殺されたのだ。この女は邪神の魔女だろう。――――地下牢に繋いでおけ」

✤✤✤

レジェロ&ドルチェ 
illustrator Suico様  

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