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偽りの結婚
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星屑の竜が去って、行く宛も無いクロエは、心が押し潰されそうな寂しさと、半年ぶりに見る懐かしい村の風景に胸を鷲掴みにされるような気分だった。
老いた祖父母は元気だろうか、既に寝静まって静まり返る村を歩き、懐かしい我が家へと向う。
こんな夜更けならば既に就寝しているだろうとクロエは思ったが、今直ぐにでも祖父母に再会してこれまでにあった事を話したいと思っていた。
村人達に見られ無いよう、気配を殺して生家まで辿り着くと、荒れ果てた生家にクロエは愕然とした。そこに人の気配は一切無く、見慣れない農具が、無造作に置かれていた。ここは既に人の住居では無く、農具置き場になっているようだった。
「一体、どうなってるの……? どこかに引っ越したのかしら。でも……」
村の中でも、それほど裕福では無かった家庭である。
老いた夫婦が住み慣れた家を手放し、引っ越せるような経済的な余裕が無かったのは、自分が良く知っていた。心の中に黒いシミのような不安が広がっていく。
嫌な予感がして、クロエの体が震えた。
もしかして、この半年間の間に祖父母の身になにか起こったのだろうか。高齢の祖父母ならばいつ天に召されてもおかしくは無いか、二人とも相次いで亡くなったのだろうか。
まさか、こんな夜更けに儀式で星屑の姫として生贄になった自分が、村長の家を尋ねる訳にもいかないだろう。荒れ果て家の中で一人、膝を抱えて眠る事にした。心身共に疲労していたせいか、クロエは目を瞑った瞬間泥のように眠りに落ちてしまった。
激しく体を揺さぶられ、クロエは深い眠りから目を覚ました。すでに外は明るくなっていて、目を擦りながら肩を揺さぶる人物を見た。
「おい、おい……!」
――――目の前には、青褪めた村長が驚愕した様子で此方を見ている。それもその筈だろう、あの深い穴の中に自らの手で突き落として生きていたのだから、幽霊だと思われても仕方が無い。クロエは慌てて体を起こした。
「そ、村長……」
「どういう事なんだ……? お、お前は生きているのか? 星屑姫に選ばれた娘が村に帰ってくるとは聞いた事がない。村には天空の神の恵みの雨が降ったが、役目が終われば返されると言うのか……どうなんだ」
「わかりません。気付けばこの村の入口まで来ていました……役目が終わったのだと思います。あの、ところで祖父母はどこにいるのですか?」
クロエは、無意識に自分を突き落とした村長に、イノシュの事を口にしてはいけないような気がしてしらを切った。村長は訝しげに首を傾げて自分を見つめていたが、祖父母の事を問われるとあからさまに動揺して目を逸らし、重いため息をついた。
「あ、あぁ……クロエが星屑姫として嫁いでから、婆様の方が体調を崩してしまって……そのまま天空の神様の元へと召されたんだよ。その後、爺様の方も後を追うように……そして遺品を私と面倒を見ていた村人達で分けたんだ」
予想していた答えだとはいえ、クロエは落胆して涙を流した。孫が星屑の姫として人身供養されてしまった事に心労がたたって、寿命を縮ませてしまったのかも知れないと思うと、心が痛んだ。
村長が先程から居心地が悪そうにしていたのは、この家にあった筈の家財から、僅かな食料、そして財産まで村人達で分けたせいだろう。
今更クロエが戻って来られても困る、と言う雰囲気がその場に漂い息苦しくなる。
いつか、その日が来ると覚悟はしていたが、死に目に会えず亡くなったと聞くとやはり胸が痛んだ。そして行き場を無くしてしまった肩身の狭さがギリギリと胸を締め付けた。
星屑姫として選ばれてから、気持ちを整理したつもりだったが、人の心はそう簡単に割り切れるものではなかった。
「そう、ですか……お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんも……亡くなってしまって……お墓参りに行きたいです。この家はもう使えないのでどこか空きがあれば……」
「いやぁ、しかし……。そうは言っても空き家等ありはしないよ。生活する為の物も、全て村人達に礼金として渡したんだし。今更返せなんて私からは言えないなぁ。女一人でこの村で暮らすには難しいぞ」
渋々答える村長は明らかに迷惑そうな態度でクロエに答えた。あの儀式の手前、この村で生活してもらうのは、遠慮願いたいと言う事なのだろうか。
言葉に詰まって項垂れるクロエに、村長は自分の顎を撫でながら言う。
「ふむ。一つ方法はある。君に求婚していた私の息子はね、実は末息子で、未だ独身男性なのだよ。訳あって勘当しているのだが、嫁げばこの村で妻として生きていける」
良い結婚相手と祖父母が口にしていた『村長の息子』は勘当された末息子だと言う。
恐らく自分が生まれる前に勘当されていたのだろうか。住んでいる場所も、村の外れの裕福な屋敷で、彼とは殆ど会話をした事が無い相手だったので深い家庭事情までは知らなかった。もしかしたら、農民達の間では有名だったのかも知れないがクロエは、関わりのない大人の事情に首を突っ込むような質ではなかった。
嫁げばこの村で生きていける。魅力的な囁きで選択肢はそれしか無い。
なのに、ずっとイノシュの事が頭から離れなかった。言葉を殆ど交わせなかったのにあの綺麗な青色の瞳も、金色のヒレのような髪も美しい真紅の角も、仕草のひとつひとつが鮮明に思い浮かぶ。
例え人の言葉を話せなくても、その瞳は優しくていつの間にか安心する事が出来た。
「どうだい。アンガスは君より13歳年上だが、君に惚れ込んでいたようだから大切にしてくれるだろう。あいつも君が嫁いできてくれるなら落ち着くに違いない」
この村に留まるには、アンガスと結婚しなければいけない。女一人行く宛も無いクロエは頭を縦に振るしかなかった。
✤✤✤
星屑の谷から戻ってきたクロエに、村人達は驚き、腫れ物に触れるようなよそよそしい態度で接していた。
あの暗闇の深い穴に落とされて生きていた彼女を、化け物だと噂する者もいれば、老夫婦の財産を持っていってしまった罪悪感に会話をする事を避ける者もいた。
あれだけ慣れ親しんだ愛する村も、今はまるで針のむしろのような場所だった。
ただ、一人除いてアンガスだけは上機嫌で今日の婚礼の準備をしていた。
まともに働いているように見えない彼がこんな高価な花嫁衣裳用意するとは、一体どうやって工面したのだろうか。式の手伝いをしていた娘達が美しくクロエを着飾る。
「美しい、クロエ……。お前が私の元に嫁ぐ事になるなんて天空の神のご加護に違いないぞ。俺の妻になるのだからもっと笑え」
「は、はい……」
高圧的な態度のアンガスに、クロエは身がすくむような思いだ。この婚礼の義を行う前に、数回しっかりと彼と顔合わせして話したが、アンガスは尊大でクロエの話など耳を傾け無かった。
イノシュとは違い、言葉が通じる者同士なのにまるで別の国のような人だ。花嫁衣裳も全て彼が用意し、日取りを決め、さほど親しくもない村人達を呼ぶ。
表向き仲良くしている友人はいるようだが、アンガスを嫌う人は多いようだった。
この時ばかりは、村長家族も婚礼に参加して祝ってくれるようだ。どこか安堵した表情なのは、アンガスがこの家族にとって手を焼く存在だったからではないか。
巫女達の前で夫婦の誓いを読むと、二人は籠に入った美しい様々な花弁を空に向けて舞い散らせた。
婚礼の儀式の間もずっと、イノシュの事ばかり思っていた。竜の花嫁になればどんな儀式をするのだろうか。あの時、頭の中で響いた心配そうに自分の名を呼ぶ声は、幻聴では無く、彼の声だったんではないだろうか。
星屑の空の下みた彼の笑顔も、恐ろしいと感じた竜の姿も今はただ愛しく、懐かしく感じられた。
誓いの言葉が終わり、宴が催された後、新郎は昔ながらの方法で初夜を迎える。
この星降りの谷の村に伝わるもので、谷の近くにテントを構え、天空の神に夫婦の誓いを立てて夫婦になる。その間、村長と巫女達が少し離れた場所で待っており、結ばれた後に血のついた布で花嫁が純血かどうかを調べる。
もし、不純であればその場で男性側から離縁できるというものだ。
「何だ、クロエ。緊張してるのか、処女には恐ろしいだろう。だが心配するなよ。俺は上手いんだ。女達は皆、俺との交わりを喜ぶ、お前の事も気持ち良くてやるからこっちにこい」
大きなテントの中は、新郎新婦を祝うように飾り付けされている。テーブルの上には葡萄酒とチーズ。そして淡いランタンがテントの中を照らしている。
先程の婚礼で酒を飲んで紅くなったアンガスは先にテントに入ると、ニヤニヤと酒臭い息を吐き笑いながら話し掛けてきた。
胸をだらしなく開け、テントの中に設置された刺繍の施されたベッドの上に座りながら下品に声をかけるアンガスに、クロエは不快感を感じた。
今まで、我慢していたがこんな人が自分の夫になり、体に触れられるなんて考えたくも無かった。せめてもの抵抗で、彼に意見をする。
「アンガス……、私まだ心の準備が出来てないの……」
「ハッ、何を言ってるんだ。俺と夜伽をするまでが結婚の儀礼たぞ。いいから早く来い。夫を待たせるな」
「いや、やっぱり……無理だよ」
高圧的になるアンガスに怯えて、クロエが頭を振ると舌打ちして立ち上がり無理矢理手首を掴んで、引き寄せるとベッドに体を放り投げられ体重をかけるようにのしかかってきた。クロエは恐怖で体をバタバタと激しく動かし抵抗した。アンガスの、太腿を撫でる無骨な指に怖気立って涙が溢れてきた。
「いや! 離して!!」
「まさかお前、処女じゃないのか? まぁ、お前がそうでなくても構わん。お前がずっと欲しかったからな。あの爺さんと婆さんが死ぬのを待っている間に儀式が行われてしまって天空の神を恨んだが、これも試練よ。俺の子を生むのがお前の使命だったのだ。大人しく俺の言う事を聞け!」
空気を切る音がして平手打ちされると、力を抜いたクロエに油断して覆いかぶさってきた男の腕を強く噛むと、怯んだアンガスの股間を蹴りつけ、呻いてひるむ大きな体の下から這い出ると、泣きながらテントを出た。
背後から怒号が聞こえ、その騒ぎに村長と巫女達が立ち上がって此方に向かってくる。
「その女を捕まえろ!」
「花嫁が逃げるぞ、捕らえろ!」
豪華な花嫁衣装のまま、クロエは恐ろしい夫と村人達から逃げ出して星振りの谷へと無意識に走っていた。
涙が溢れて、夜の闇に流れ星のように飛び散っていく。全ての恐ろしい者から逃げ出して愛してる人の元へと行きたい。帰りたい。
数人の巫女達の腕が伸びて、クロエの美しい銀髪を掴んだ時、心の底から想い願った。
(――――イノシュを愛してる。イノシュに逢いたい)
後から追いかけてきたアンガスに捕えられ、地面に押し付けられた瞬間、満天の星空に大きな咆哮が響き渡った。何事かと怯んだ巫女達、村長、そしてアンガスが辺りを見渡すと、風を切る音と風圧が木々揺らし地響きを立てて大きな竜が降り立った。
押さえつける村人達を威嚇するように口を大きく開け咆哮すると、巫女達は平伏し村長は逃げ出し、アンガスは腰を抜かした。
「テ、テ、星屑の竜の化身よ。お、お許しをくださいませ、この娘はやはり星屑姫……竜の花嫁よ、お許しくださいませ!」
「竜だ、竜だ……」
恐れおののく巫女達は口々に謝罪の言葉と呪文を唱え、歯の音の合わないアンガスがブツブツとうわ言を呟くと、もう一度星屑の竜が咆哮し、悲鳴を揚げて這うように村へと戻っていった。
「イノシュ……イノシュなの……」
クロエは立ち上がると、恐れも無く星屑の竜に走り寄ってきた。イノシュは先程とは打って変わり優しい眼差しを向けるとみるみる間に人の姿に変わりクロエを抱き止めた。
『クロエ……良かった、間に合った……』
頭の中に響く声に驚いて、クロエが目を見開くと、堪らずに心配そうにするイノシュはクロエの唇を奪った。
老いた祖父母は元気だろうか、既に寝静まって静まり返る村を歩き、懐かしい我が家へと向う。
こんな夜更けならば既に就寝しているだろうとクロエは思ったが、今直ぐにでも祖父母に再会してこれまでにあった事を話したいと思っていた。
村人達に見られ無いよう、気配を殺して生家まで辿り着くと、荒れ果てた生家にクロエは愕然とした。そこに人の気配は一切無く、見慣れない農具が、無造作に置かれていた。ここは既に人の住居では無く、農具置き場になっているようだった。
「一体、どうなってるの……? どこかに引っ越したのかしら。でも……」
村の中でも、それほど裕福では無かった家庭である。
老いた夫婦が住み慣れた家を手放し、引っ越せるような経済的な余裕が無かったのは、自分が良く知っていた。心の中に黒いシミのような不安が広がっていく。
嫌な予感がして、クロエの体が震えた。
もしかして、この半年間の間に祖父母の身になにか起こったのだろうか。高齢の祖父母ならばいつ天に召されてもおかしくは無いか、二人とも相次いで亡くなったのだろうか。
まさか、こんな夜更けに儀式で星屑の姫として生贄になった自分が、村長の家を尋ねる訳にもいかないだろう。荒れ果て家の中で一人、膝を抱えて眠る事にした。心身共に疲労していたせいか、クロエは目を瞑った瞬間泥のように眠りに落ちてしまった。
激しく体を揺さぶられ、クロエは深い眠りから目を覚ました。すでに外は明るくなっていて、目を擦りながら肩を揺さぶる人物を見た。
「おい、おい……!」
――――目の前には、青褪めた村長が驚愕した様子で此方を見ている。それもその筈だろう、あの深い穴の中に自らの手で突き落として生きていたのだから、幽霊だと思われても仕方が無い。クロエは慌てて体を起こした。
「そ、村長……」
「どういう事なんだ……? お、お前は生きているのか? 星屑姫に選ばれた娘が村に帰ってくるとは聞いた事がない。村には天空の神の恵みの雨が降ったが、役目が終われば返されると言うのか……どうなんだ」
「わかりません。気付けばこの村の入口まで来ていました……役目が終わったのだと思います。あの、ところで祖父母はどこにいるのですか?」
クロエは、無意識に自分を突き落とした村長に、イノシュの事を口にしてはいけないような気がしてしらを切った。村長は訝しげに首を傾げて自分を見つめていたが、祖父母の事を問われるとあからさまに動揺して目を逸らし、重いため息をついた。
「あ、あぁ……クロエが星屑姫として嫁いでから、婆様の方が体調を崩してしまって……そのまま天空の神様の元へと召されたんだよ。その後、爺様の方も後を追うように……そして遺品を私と面倒を見ていた村人達で分けたんだ」
予想していた答えだとはいえ、クロエは落胆して涙を流した。孫が星屑の姫として人身供養されてしまった事に心労がたたって、寿命を縮ませてしまったのかも知れないと思うと、心が痛んだ。
村長が先程から居心地が悪そうにしていたのは、この家にあった筈の家財から、僅かな食料、そして財産まで村人達で分けたせいだろう。
今更クロエが戻って来られても困る、と言う雰囲気がその場に漂い息苦しくなる。
いつか、その日が来ると覚悟はしていたが、死に目に会えず亡くなったと聞くとやはり胸が痛んだ。そして行き場を無くしてしまった肩身の狭さがギリギリと胸を締め付けた。
星屑姫として選ばれてから、気持ちを整理したつもりだったが、人の心はそう簡単に割り切れるものではなかった。
「そう、ですか……お祖父ちゃんも、お祖母ちゃんも……亡くなってしまって……お墓参りに行きたいです。この家はもう使えないのでどこか空きがあれば……」
「いやぁ、しかし……。そうは言っても空き家等ありはしないよ。生活する為の物も、全て村人達に礼金として渡したんだし。今更返せなんて私からは言えないなぁ。女一人でこの村で暮らすには難しいぞ」
渋々答える村長は明らかに迷惑そうな態度でクロエに答えた。あの儀式の手前、この村で生活してもらうのは、遠慮願いたいと言う事なのだろうか。
言葉に詰まって項垂れるクロエに、村長は自分の顎を撫でながら言う。
「ふむ。一つ方法はある。君に求婚していた私の息子はね、実は末息子で、未だ独身男性なのだよ。訳あって勘当しているのだが、嫁げばこの村で妻として生きていける」
良い結婚相手と祖父母が口にしていた『村長の息子』は勘当された末息子だと言う。
恐らく自分が生まれる前に勘当されていたのだろうか。住んでいる場所も、村の外れの裕福な屋敷で、彼とは殆ど会話をした事が無い相手だったので深い家庭事情までは知らなかった。もしかしたら、農民達の間では有名だったのかも知れないがクロエは、関わりのない大人の事情に首を突っ込むような質ではなかった。
嫁げばこの村で生きていける。魅力的な囁きで選択肢はそれしか無い。
なのに、ずっとイノシュの事が頭から離れなかった。言葉を殆ど交わせなかったのにあの綺麗な青色の瞳も、金色のヒレのような髪も美しい真紅の角も、仕草のひとつひとつが鮮明に思い浮かぶ。
例え人の言葉を話せなくても、その瞳は優しくていつの間にか安心する事が出来た。
「どうだい。アンガスは君より13歳年上だが、君に惚れ込んでいたようだから大切にしてくれるだろう。あいつも君が嫁いできてくれるなら落ち着くに違いない」
この村に留まるには、アンガスと結婚しなければいけない。女一人行く宛も無いクロエは頭を縦に振るしかなかった。
✤✤✤
星屑の谷から戻ってきたクロエに、村人達は驚き、腫れ物に触れるようなよそよそしい態度で接していた。
あの暗闇の深い穴に落とされて生きていた彼女を、化け物だと噂する者もいれば、老夫婦の財産を持っていってしまった罪悪感に会話をする事を避ける者もいた。
あれだけ慣れ親しんだ愛する村も、今はまるで針のむしろのような場所だった。
ただ、一人除いてアンガスだけは上機嫌で今日の婚礼の準備をしていた。
まともに働いているように見えない彼がこんな高価な花嫁衣裳用意するとは、一体どうやって工面したのだろうか。式の手伝いをしていた娘達が美しくクロエを着飾る。
「美しい、クロエ……。お前が私の元に嫁ぐ事になるなんて天空の神のご加護に違いないぞ。俺の妻になるのだからもっと笑え」
「は、はい……」
高圧的な態度のアンガスに、クロエは身がすくむような思いだ。この婚礼の義を行う前に、数回しっかりと彼と顔合わせして話したが、アンガスは尊大でクロエの話など耳を傾け無かった。
イノシュとは違い、言葉が通じる者同士なのにまるで別の国のような人だ。花嫁衣裳も全て彼が用意し、日取りを決め、さほど親しくもない村人達を呼ぶ。
表向き仲良くしている友人はいるようだが、アンガスを嫌う人は多いようだった。
この時ばかりは、村長家族も婚礼に参加して祝ってくれるようだ。どこか安堵した表情なのは、アンガスがこの家族にとって手を焼く存在だったからではないか。
巫女達の前で夫婦の誓いを読むと、二人は籠に入った美しい様々な花弁を空に向けて舞い散らせた。
婚礼の儀式の間もずっと、イノシュの事ばかり思っていた。竜の花嫁になればどんな儀式をするのだろうか。あの時、頭の中で響いた心配そうに自分の名を呼ぶ声は、幻聴では無く、彼の声だったんではないだろうか。
星屑の空の下みた彼の笑顔も、恐ろしいと感じた竜の姿も今はただ愛しく、懐かしく感じられた。
誓いの言葉が終わり、宴が催された後、新郎は昔ながらの方法で初夜を迎える。
この星降りの谷の村に伝わるもので、谷の近くにテントを構え、天空の神に夫婦の誓いを立てて夫婦になる。その間、村長と巫女達が少し離れた場所で待っており、結ばれた後に血のついた布で花嫁が純血かどうかを調べる。
もし、不純であればその場で男性側から離縁できるというものだ。
「何だ、クロエ。緊張してるのか、処女には恐ろしいだろう。だが心配するなよ。俺は上手いんだ。女達は皆、俺との交わりを喜ぶ、お前の事も気持ち良くてやるからこっちにこい」
大きなテントの中は、新郎新婦を祝うように飾り付けされている。テーブルの上には葡萄酒とチーズ。そして淡いランタンがテントの中を照らしている。
先程の婚礼で酒を飲んで紅くなったアンガスは先にテントに入ると、ニヤニヤと酒臭い息を吐き笑いながら話し掛けてきた。
胸をだらしなく開け、テントの中に設置された刺繍の施されたベッドの上に座りながら下品に声をかけるアンガスに、クロエは不快感を感じた。
今まで、我慢していたがこんな人が自分の夫になり、体に触れられるなんて考えたくも無かった。せめてもの抵抗で、彼に意見をする。
「アンガス……、私まだ心の準備が出来てないの……」
「ハッ、何を言ってるんだ。俺と夜伽をするまでが結婚の儀礼たぞ。いいから早く来い。夫を待たせるな」
「いや、やっぱり……無理だよ」
高圧的になるアンガスに怯えて、クロエが頭を振ると舌打ちして立ち上がり無理矢理手首を掴んで、引き寄せるとベッドに体を放り投げられ体重をかけるようにのしかかってきた。クロエは恐怖で体をバタバタと激しく動かし抵抗した。アンガスの、太腿を撫でる無骨な指に怖気立って涙が溢れてきた。
「いや! 離して!!」
「まさかお前、処女じゃないのか? まぁ、お前がそうでなくても構わん。お前がずっと欲しかったからな。あの爺さんと婆さんが死ぬのを待っている間に儀式が行われてしまって天空の神を恨んだが、これも試練よ。俺の子を生むのがお前の使命だったのだ。大人しく俺の言う事を聞け!」
空気を切る音がして平手打ちされると、力を抜いたクロエに油断して覆いかぶさってきた男の腕を強く噛むと、怯んだアンガスの股間を蹴りつけ、呻いてひるむ大きな体の下から這い出ると、泣きながらテントを出た。
背後から怒号が聞こえ、その騒ぎに村長と巫女達が立ち上がって此方に向かってくる。
「その女を捕まえろ!」
「花嫁が逃げるぞ、捕らえろ!」
豪華な花嫁衣装のまま、クロエは恐ろしい夫と村人達から逃げ出して星振りの谷へと無意識に走っていた。
涙が溢れて、夜の闇に流れ星のように飛び散っていく。全ての恐ろしい者から逃げ出して愛してる人の元へと行きたい。帰りたい。
数人の巫女達の腕が伸びて、クロエの美しい銀髪を掴んだ時、心の底から想い願った。
(――――イノシュを愛してる。イノシュに逢いたい)
後から追いかけてきたアンガスに捕えられ、地面に押し付けられた瞬間、満天の星空に大きな咆哮が響き渡った。何事かと怯んだ巫女達、村長、そしてアンガスが辺りを見渡すと、風を切る音と風圧が木々揺らし地響きを立てて大きな竜が降り立った。
押さえつける村人達を威嚇するように口を大きく開け咆哮すると、巫女達は平伏し村長は逃げ出し、アンガスは腰を抜かした。
「テ、テ、星屑の竜の化身よ。お、お許しをくださいませ、この娘はやはり星屑姫……竜の花嫁よ、お許しくださいませ!」
「竜だ、竜だ……」
恐れおののく巫女達は口々に謝罪の言葉と呪文を唱え、歯の音の合わないアンガスがブツブツとうわ言を呟くと、もう一度星屑の竜が咆哮し、悲鳴を揚げて這うように村へと戻っていった。
「イノシュ……イノシュなの……」
クロエは立ち上がると、恐れも無く星屑の竜に走り寄ってきた。イノシュは先程とは打って変わり優しい眼差しを向けるとみるみる間に人の姿に変わりクロエを抱き止めた。
『クロエ……良かった、間に合った……』
頭の中に響く声に驚いて、クロエが目を見開くと、堪らずに心配そうにするイノシュはクロエの唇を奪った。
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