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【龍月編】
晴れない気持ちと二人の距離①
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鳴麗は、あの武陵桃源の集いの日から義兄の様子がおかしく、よそよそしく距離を置かれているように感じていた。
幼獣の頃は同じ床几の布団に潜り込み、その日に起きた出来事をヒソヒソと楽しく笑いながら話していた。
なのに、一緒に寝たいと枕を持ってくると、龍月は気まずそうに目を逸して断る。
それならば、昔のように背中を流して裸の付き合いを!と意気込んで詰め寄ると、目を丸くして驚かれ『成獣になった兄妹がともに入浴するのは好ましくない』と突っぱねられた。
もしかして、聖獣である白虎様相手に軽率な行動をしてしまったことを義兄が軽蔑しているのだとすれば泣き出したい気持ちになる。
誤解を招きそうだが普段の日常生活においては、変わりなく兄として優しく鳴麗の面倒を見ている。
それなのに、こんなにやきもきしてしまうのは『月の印』を慰めて貰ってから、雄として龍月を意識しているからなのかも知れない。
龍月は小さい頃から神童と呼ばれるほど頭が良く、礼儀正しく義妹の面倒もよく見て、両親の手を焼かせるような事は一度も無かった。
恩を仇で返さないようにと幼獣ながらに気を使っていたのかも知れないが、鳴麗にとっては憧れの皇子様だ。
幼い頃は結婚して誰かと番になるのならば、龍月が良いと言って泣いて困らせたこともある。
「ねぇ、鳴麗。ねぇってば! どうしたの?」
「ふぁっ!! 若晴さん、吃驚しました!!」
鳴麗は突然耳元で声を掛けられ、驚いたように尻尾と耳がピンと一気に上を向いた。
心臓がバクバクするのを感じて隣を見ると、先輩の若晴が心配するように自分を見ている。
何かと気に掛けてくれる同種族の優しい雌で、最近は昼食を共にする機会が多くなっていた。
ぼんやりと考え事をしていたせいで、若晴の話を半分しか聞いていなかった。
「大丈夫?」
「だ、だ、大丈夫です。ちょっと龍月兄さんのことを考えていました」
「そうだよ、本当に素敵よね! 貴方のお兄様って」
そう言えば、玄天上帝に信頼を寄せられている若き官吏龍月の話に変わったのだ。
宮廷に務めるようになってから、身近で義兄の良い評判を聞くようになって妹としてはとても鼻が高い。
若晴の話によると、官女たちの間では美人で能力の高い義兄が憧れの的になっているようだ。
「はい、お料理も上手で優しいんです。おまけに凄く格好いいし!」
「はぁ……義兄なのでしょう? あんな素敵な方が、兄様としてひとつ屋根の下にいるなんて考えただけでも心臓が張り裂けそう。ねぇ、鳴麗……やっぱり、龍月様には心に決めた雌がいるの?」
そう言うと、花晴はうっとりと溜息を付いて目を閉じ祈るように両手を組んだ。
そう言えば、鳴麗は時々家に来る狗族のカルマのことを恋人かと思っていたが、龍月が言うにはどうもそうでは無いらしい。
ただ、いくら鈍い鳴麗でも二人の間に何かしらあると言うことは何となく理解できる。
『月の印』を経験してからは、それは成獣の事情なのかも知れないとぼんやりと考えていたが、何せ鳴麗には交尾がよくわからない。
「たぶん……、そういう雌は居ないと思います」
「じゃあ、私にもチャンスはあるかも!」
花晴にそう言われると、鳴麗は複雑な感情を抱いた。いつか龍月にも良い雌が現れて番を作る時が来るだろう。
そう思うと寂しく、心がざわめく。
優しい義兄を取られてしまうのが嫌な妹のヤキモチとは別の初めて感じるような感情に戸惑っていた。
龍月とずっと一緒にいたい、自分だけを見ていて欲しい、そんな独占欲のような気持ちが湧いてしまって、鳴麗は耳と尻尾をしおしおとしならせた。
「どうしたの、鳴麗」
「大好きな龍月兄さんに、番が出来たらって思うとすごく寂しいな~~、嫌だなって思う自分が凄く嫌でした。なんか、兄さんの幸せを願えていないみたいで……それってなんか、うーん」
「まぁ、もの凄く仲が良かったのなら一度はそう思うもんじゃない? ふふっ、鳴麗は本当に龍月様が好きなのね」
ぽんぽん、と頭を撫でられ鳴麗はこくんと頷いた。
✤✤✤
自宅の床几よりも粗末な場所で龍月は気怠い体を起こした。ここは、龍月が用意した邸店の個室で青銅の燭台の炎が揺らめいている。
「どうしたの、龍月。なんだか今日は心ここにあらずと言うか……ヘンだよ」
カルマは橙色の髪をかきあげながら雄でも雌でもない裸体に服を着込む。
煙管に火をつけると、肩越しに客である龍月に話し掛けた。
妓女のカルマと出逢ったのは何時だったか、貧民街の調査を秘密裏にするように玄天上帝に命じられた時だったように思う。
まだ『月の印』が出たばかりで、上手く発散する方法を心得ていなかった龍月は、誘われるままに関係を持ち、いつの間にか常連客となってしまった。
多くの役人や小金持ちの一般人が貧民街の妓楼に通い、生殖できないという狗族の体質を利用して欲望を発散していた。
龍月自身もその中の一人だと言うことに嫌悪感を感じつつも、流されている。
自分は世間が噂するほどような善獣などでは無く、義妹への欲望や、邪な愛情を隠し通すために金銭を渡してカルマを利用していたのだ。
「別に、何でもない」
「そう? 付き合いが長いから分かるんだよ。イライラしてる感じとかね。邸宅に俺を呼ばない理由とか。鳴麗さんに月の印が現れたか、年頃になって好きな雄が出来たとか?」
「なぜ、鳴麗が出てくる。仕事で疲れているだけだ」
相変わらず鋭いカルマの指摘に顔を龍月は顔を強張らせる。
白虎帝に対しての苛立ち、水狼への劣等感。
そして、無自覚な鳴麗の触れ合いに理性を必死に抑えようと距離を置くたびに悲しそうな顔をされるのがこたえていた。
鳴麗にとって理想の兄でいてやりたいと思えば思うほど、自分の闇が濃くなるようで恐ろしい。
「…………月の印は現れたが、心に決めた雄は居ないはずだ。居たとしても私に黙っているような子じゃない」
「へぇ? あんたもなかなか面倒だな。二の足を踏んでるうちに、鳴麗さんを取られちゃうかも知れないぞ。大事なものはその手でしっかりと掴んでおかないと後で後悔するよ」
「余計なお世話だ……」
靴を履いたカルマが肩越しにそう言うと金を懐に入れて手を降った。後腐れなく次の客の元へと急ぐカルマを見送ると、龍月は深く溜息をつく。
義妹に関して特に深く話をしたつもりは無いが、カルマは生い立ちのお陰なのか感が鋭い。自分が義妹に対して特別な感情を抱いている事も、とうの昔に勘付いているような口ぶりだつた。
――――大事なものはその手でしっかり掴んでおかないと後で後悔するよ。
カルマの助言が胸につき刺さる。
『月の印』が出た鳴麗は、すでに成獣で、いつでも自分の元から巣立つ事が出来るようになったからだ。
龍月は自分の両手をじっと見つめた。
幼獣の頃は同じ床几の布団に潜り込み、その日に起きた出来事をヒソヒソと楽しく笑いながら話していた。
なのに、一緒に寝たいと枕を持ってくると、龍月は気まずそうに目を逸して断る。
それならば、昔のように背中を流して裸の付き合いを!と意気込んで詰め寄ると、目を丸くして驚かれ『成獣になった兄妹がともに入浴するのは好ましくない』と突っぱねられた。
もしかして、聖獣である白虎様相手に軽率な行動をしてしまったことを義兄が軽蔑しているのだとすれば泣き出したい気持ちになる。
誤解を招きそうだが普段の日常生活においては、変わりなく兄として優しく鳴麗の面倒を見ている。
それなのに、こんなにやきもきしてしまうのは『月の印』を慰めて貰ってから、雄として龍月を意識しているからなのかも知れない。
龍月は小さい頃から神童と呼ばれるほど頭が良く、礼儀正しく義妹の面倒もよく見て、両親の手を焼かせるような事は一度も無かった。
恩を仇で返さないようにと幼獣ながらに気を使っていたのかも知れないが、鳴麗にとっては憧れの皇子様だ。
幼い頃は結婚して誰かと番になるのならば、龍月が良いと言って泣いて困らせたこともある。
「ねぇ、鳴麗。ねぇってば! どうしたの?」
「ふぁっ!! 若晴さん、吃驚しました!!」
鳴麗は突然耳元で声を掛けられ、驚いたように尻尾と耳がピンと一気に上を向いた。
心臓がバクバクするのを感じて隣を見ると、先輩の若晴が心配するように自分を見ている。
何かと気に掛けてくれる同種族の優しい雌で、最近は昼食を共にする機会が多くなっていた。
ぼんやりと考え事をしていたせいで、若晴の話を半分しか聞いていなかった。
「大丈夫?」
「だ、だ、大丈夫です。ちょっと龍月兄さんのことを考えていました」
「そうだよ、本当に素敵よね! 貴方のお兄様って」
そう言えば、玄天上帝に信頼を寄せられている若き官吏龍月の話に変わったのだ。
宮廷に務めるようになってから、身近で義兄の良い評判を聞くようになって妹としてはとても鼻が高い。
若晴の話によると、官女たちの間では美人で能力の高い義兄が憧れの的になっているようだ。
「はい、お料理も上手で優しいんです。おまけに凄く格好いいし!」
「はぁ……義兄なのでしょう? あんな素敵な方が、兄様としてひとつ屋根の下にいるなんて考えただけでも心臓が張り裂けそう。ねぇ、鳴麗……やっぱり、龍月様には心に決めた雌がいるの?」
そう言うと、花晴はうっとりと溜息を付いて目を閉じ祈るように両手を組んだ。
そう言えば、鳴麗は時々家に来る狗族のカルマのことを恋人かと思っていたが、龍月が言うにはどうもそうでは無いらしい。
ただ、いくら鈍い鳴麗でも二人の間に何かしらあると言うことは何となく理解できる。
『月の印』を経験してからは、それは成獣の事情なのかも知れないとぼんやりと考えていたが、何せ鳴麗には交尾がよくわからない。
「たぶん……、そういう雌は居ないと思います」
「じゃあ、私にもチャンスはあるかも!」
花晴にそう言われると、鳴麗は複雑な感情を抱いた。いつか龍月にも良い雌が現れて番を作る時が来るだろう。
そう思うと寂しく、心がざわめく。
優しい義兄を取られてしまうのが嫌な妹のヤキモチとは別の初めて感じるような感情に戸惑っていた。
龍月とずっと一緒にいたい、自分だけを見ていて欲しい、そんな独占欲のような気持ちが湧いてしまって、鳴麗は耳と尻尾をしおしおとしならせた。
「どうしたの、鳴麗」
「大好きな龍月兄さんに、番が出来たらって思うとすごく寂しいな~~、嫌だなって思う自分が凄く嫌でした。なんか、兄さんの幸せを願えていないみたいで……それってなんか、うーん」
「まぁ、もの凄く仲が良かったのなら一度はそう思うもんじゃない? ふふっ、鳴麗は本当に龍月様が好きなのね」
ぽんぽん、と頭を撫でられ鳴麗はこくんと頷いた。
✤✤✤
自宅の床几よりも粗末な場所で龍月は気怠い体を起こした。ここは、龍月が用意した邸店の個室で青銅の燭台の炎が揺らめいている。
「どうしたの、龍月。なんだか今日は心ここにあらずと言うか……ヘンだよ」
カルマは橙色の髪をかきあげながら雄でも雌でもない裸体に服を着込む。
煙管に火をつけると、肩越しに客である龍月に話し掛けた。
妓女のカルマと出逢ったのは何時だったか、貧民街の調査を秘密裏にするように玄天上帝に命じられた時だったように思う。
まだ『月の印』が出たばかりで、上手く発散する方法を心得ていなかった龍月は、誘われるままに関係を持ち、いつの間にか常連客となってしまった。
多くの役人や小金持ちの一般人が貧民街の妓楼に通い、生殖できないという狗族の体質を利用して欲望を発散していた。
龍月自身もその中の一人だと言うことに嫌悪感を感じつつも、流されている。
自分は世間が噂するほどような善獣などでは無く、義妹への欲望や、邪な愛情を隠し通すために金銭を渡してカルマを利用していたのだ。
「別に、何でもない」
「そう? 付き合いが長いから分かるんだよ。イライラしてる感じとかね。邸宅に俺を呼ばない理由とか。鳴麗さんに月の印が現れたか、年頃になって好きな雄が出来たとか?」
「なぜ、鳴麗が出てくる。仕事で疲れているだけだ」
相変わらず鋭いカルマの指摘に顔を龍月は顔を強張らせる。
白虎帝に対しての苛立ち、水狼への劣等感。
そして、無自覚な鳴麗の触れ合いに理性を必死に抑えようと距離を置くたびに悲しそうな顔をされるのがこたえていた。
鳴麗にとって理想の兄でいてやりたいと思えば思うほど、自分の闇が濃くなるようで恐ろしい。
「…………月の印は現れたが、心に決めた雄は居ないはずだ。居たとしても私に黙っているような子じゃない」
「へぇ? あんたもなかなか面倒だな。二の足を踏んでるうちに、鳴麗さんを取られちゃうかも知れないぞ。大事なものはその手でしっかりと掴んでおかないと後で後悔するよ」
「余計なお世話だ……」
靴を履いたカルマが肩越しにそう言うと金を懐に入れて手を降った。後腐れなく次の客の元へと急ぐカルマを見送ると、龍月は深く溜息をつく。
義妹に関して特に深く話をしたつもりは無いが、カルマは生い立ちのお陰なのか感が鋭い。自分が義妹に対して特別な感情を抱いている事も、とうの昔に勘付いているような口ぶりだつた。
――――大事なものはその手でしっかり掴んでおかないと後で後悔するよ。
カルマの助言が胸につき刺さる。
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