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【白虎編】

西の國に黒龍姫②

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 水狼に白虎帝が待っているという話を聞いた鳴麗は、慌てた様子で裾を掴むとパタパタと走った。おしとやかにすべきだろうが、白虎帝を待たせるのも後が恐ろしいので、息を切らしながら、鳴麗は白虎帝の元まで戻ってきた。

「白虎……さ、ま! はぁっ……お待たせしてごめんなさい!」
「あのな、鳴麗。緊急のとき以外に廊下を走るな、転ぶぞ。デコが全開になって髪が乱れてる。お前の兄貴は玄武いわく、義妹のお前を溺愛しているそうじゃないか。……ちゃんとしておけ」
「あ、は、はい、ごめんなさい」

 かなり慌てて来てしまったので、恥ずかしくなって鳴麗は額を両手で隠そうとすると、白虎が丁寧に前髪を下ろし、優しく微笑んだ。
 鳴麗はその表情に頬を染め、ようやく呼吸を整えると、いよいよ龍月の待つ邸へと天馬に乗って戻る事になった。
 白虎は、狼族達の護衛を断り他の霊獣たちに見られないように、天高く雲の上を駆けると直ぐに北の國が見えてきた。
 今の時間ならば、おそらくそろそろ義兄も帰ってきている頃だろう。
 いつもなら一緒に夕食を取って、今日あった事を報告し、談笑していると思うと鳴麗は急に義兄と離れることが寂しくなってしまった。
 けれど、いつかは龍月にも愛する雌ができて、結婚し家庭を持つかも知れない。そう思うと自分も、そろそろ義兄離れをしなくてはならないと感じていた。
 そんな事を考えていると、とうとう天馬が門の前でふわりと降り立った。
 白虎に支えられるようにして天馬から降りた鳴麗は、灯籠が光る石畳の道を通り邸に続く小さな庭の橋を通ると、両脇に輝く赤い提灯の玄関を開けようとした。
 その瞬間、内側から扉が開かれ鬼の形相をした龍月が仁王におう立ちしていた。

「あっ、龍月兄さ……ん。あ、あの」
「――――入りなさい、鳴麗。玄天上帝様より話は伺っております、白虎帝様」
「そうか……話が早くて助かる。邪魔するぞ」

 その威圧感に鳴麗は思わず尻尾が丸めてしまった。その視線は自分ではなく、白虎に向けられている事を知って、さらに心臓がバクバクと大きく鳴り響く。
 龍月は拱手して深々と頭を下げた。
 白虎は腕組みをしながら、気怠そうに壁に持たれかかっていた。しかし促されると鳴麗と共に中へと入った。彼にとっては、うさぎ小屋のようなものだろう。
 円卓を囲んで三人は座ると、龍月が茶を振る舞う。
 よくよく考えてみれば四聖獣であり、西の國の皇帝であり、英雄でもある白虎帝が、他国の官吏の邸に訪れるなどと、前代未聞ぜんだいみもんの大事件であるのだが、龍月は全く動揺を見せず、冷静沈着で対応をしている。

「あのね、龍月兄さん。私、西の國で愛人をすることになったの。でもね、時々こうしてお家に帰ってもいいって言われたんだよ。
 西の國で、仕事もさせて貰える事になったから……!」

 愛人どころか、恋愛さえも経験したことが無い鳴麗に、この凶性を持つ白虎帝に寵愛されると言うことが、どういうことなのか理解しているようには思えない。
 恋多き西の英雄には、すでに妾の貴妃が二人いると耳にした事がある。
 彼女たちに受け入れられず酷い仕打ちをされてしまうかもそれない。また西の君主に飽きられてしまえば、理不尽りふじんに宮殿を追い出されてしまうかも知れない。
 何より、雄として義妹を愛しく思っている龍月にとって彼女をそうやすやすとは渡したくはないと言う気持ちがあった。

「知っている。失礼ながら白虎帝様、本当に我が妹の鳴麗を側室としてお連れになるのですか? 妹はまだ幼獣から成獣になったばかり。白虎帝様を喜ばせるにはまだ未熟すぎます」
「構わん。そんな事はこいつに望んいない。義妹を手放すのはそんなに惜しいか、龍月」
「……当然です、大事な妹なので」

 鳴麗は、二人の間で見えない火花が散っているように気がして耳がしなると、自分の体がどんどんと縮んでいくような気がした。
 白虎帝は円卓の机に指を置くとリズムを取るように鳴らし、鼻で笑うと言った。

「俺の雌癖おんなぐせの悪さを心配しているなら、安心しろ。俺は簡単に鳴麗を手放す気はない。この鳴麗は今まで出逢ってきたあらゆる種族の雌の中で、一番俺の興味をそそるやつだ。嘘ではない」
「………」

 龍月は深い溜め息をついた。どのみち、四聖獣の要望を拒否する権限など無い。彼を止められるとすれば、玄武だけだ。
 鳴麗は少し抜けた所もあるが、真面目に勉学に励んでいたので、それを活かせるのならば義兄として嬉しい事はない。
 ただ、義兄は幼馴染の水狼ほど素直に飲み込み、簡単に彼女を手放す事は出来なかった。

「鳴麗が西の國で働きたいと言うのならば、私は構いません。妹を側室として大事にして下さるのならば安心です……しかし、結婚する気がないのならば私の元へ帰して下さい」
「そうだな、考えておこう。戻るぞ、鳴麗」
「えっ、で、でも……白虎様、夕食くらい一緒に取りませんか?」

 龍月が、どのような気持ちでそう告げたのか鳴麗には分からなかったが、胸がざわめく。
 そして、曖昧な答えを出しながらもどこか不機嫌そうにする白虎に対してもなんだか不安を感じた。
 この場から早く立ち去りたい白虎に、連れられるようにして手を握られ、引きずられるように玄関先まで来た。

「あ、あの、お気に入りのぬいぐるみとか持って行きたいです!!!」
「……ん。そうだな。分かった取ってこい。悪かったな」

 抗議をする鳴麗に、白虎は我に返ったかのように手を離すと謝罪した。静かに見守る龍月の視線に耐えられなくなったのか、白虎帝は外に出て彼女を待つことにした。
 龍月が、血の繋がりの無い義理の妹に対して特別な感情を抱いていることは、先ほどの言動から見てもよく分かる。
 それに対していつもならば、なんの感情も抱く事も無く余裕の態度を見せるのに、こんな短期間接しただけで、珍しく焦りや嫉妬のような感情がうずまき、彼女に強引な態度を取ってしまった。
 白虎帝は己を恥じていた。

「全く、俺はどうしたというのだ。余裕のない雄にはなりたくないものだな」

 鳴麗は自室から、実家を出る前に母が縫ってくれたお気入りの龍のぬいぐるみと、愛読書を数冊持つと龍月にぎゅっと抱きついた。

「龍月兄さん、また遊びに来るからね」
「わかった、部屋はそのままにしておこう。元気で……何かあればすぐに帰ってきなさい」

 龍月は鳴麗の頭を撫でてやり、少し寂しそうな笑顔でそれに答えると、白虎帝の元へと戻っていった。
 思いの外大きな龍のぬいぐるみに本を入れた風呂敷を背負っている姿に、白虎帝は思わず笑みをこぼしてしまった。

「お待たせしました、白虎様」
「なんだ、その格好は……夜逃げか? 大荷物だな」
「絞りきれなくて……大事な本は手元に置いておきたいし……。や、やっぱり多すぎましたよね」
「構わん、天馬はどんな重い獣でも物でも運ぶことが出来るからな。さぁ、乗れよ……腹も減ったろ。早く食事を取って、お前を抱きたい」

 とんでもない台詞を聞いて真っ赤になったが、お腹の虫は関係なく鳴ってしまった。
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