上 下
3 / 70

桃源郷の聖獣たち②

しおりを挟む
 玄天上帝の宮廷での仕事と言えば、今のところは巻物の整理などが主である。
 実を言うと、今日の仕事は白虎帝のおもてなしの準備という事で数人で茶道具、墨や書をあらかじめ用意したり、清掃などをする雑務だった。
 難関な試験に受かり、想像していたものとは違う婢女はしためのような任務を命じられても、鳴麗は文句一つ言わなかった。
 玄武様の元で龍月と共に働けるという事は、幼い頃からの夢だったからだ。
 
 水狼とじゃれあっていたせいか、やはり鳴麗は朝のお勤めに遅れてしまったようで、仲間の黒龍族の姿を見かけない。それどころか何時も突っ立っている兵士さえも見かけ無いので、鳴麗は青ざめた。
 遅刻寸前だと警告されたが、予定よりも早く二人の聖獣帝達の交流が始まってしまったのでは無いだろうか。
 そうならば、勤務早々大失態だ。

「ど、どうしよう……! もっと早く起きれば良かった」 

 準備も大変だが、今日の一番大きな仕事は茶菓子をタイミング良くお出しすると言う事で、鳴麗は緊張の為に寝つけず、いつもより遅く家を出てしまった。
 人が見ていないことをいい事に、鳴麗は服を掴んで小走りに走り、長い廊下を走って曲がり角に差し掛かった瞬間、壁のようなものにぶち当たってしまって鳴麗は跳ね返されたかと思うと派手に後ろに転倒した。 

「きゃっ! も、申し訳……」

 鳴麗が顔をあげると、そこには長身の険しい顔をした凛々しい美丈夫びじょうぶが立っていた。白髪の髪に、冷たい氷のような瞳が鳴麗を見下ろしている。
 高貴な服に白虎の尻尾と見るとぶつかった相手が誰なのかさすがに理解した鳴麗は蒼白になって、そのまま土下座すると謝罪した。
 ぶつかった相手こそ、四神の中で唯一凶性をもつ勇猛な白虎帝監兵神君びゃっこていかんぺいしんくんだ。

「白虎様……も、申し訳ありません!」
「び、白虎様……! 婢女が申し訳ありませぬ」
 
 地面につくほど額をつけ、背後で聞き覚えのある役人が声を震わせながら謝罪をしていたが、恐怖に体を硬直させた鳴麗は、それを確認する事も出来なかった。
 水狼を探していると義兄は言っていたが、彼の姿はなく、この様子だと幼馴染と白虎帝は入れ違いになっているのだろう。

「おい、お前。顔を上げろ」
 
 頭上から冷たい声が響いて、首筋に汗が伝うのを感じた。白虎は水狼の言うとおり口を開け、唸り声をあげる虎のように威圧的で恐ろしい人だ。心臓が口から出てしまいそうなくらいに恐怖を感じながら顔を上げた。

「は。はい……」
「名は何と申す」
「み、鳴麗ミンリィと申します」

 黒龍族のおんな特有の尖って垂れた耳がさらに蜥蜴のような尻尾が縮こまっている。
 背後の役人は青ざめ、いつなんどき白虎が腰に携えた剣を抜いてこの端女の首を跳ねるのかと蒼白になっている。
 玄武上帝は対象的に穏やかな方で、殺戮さつりくを好まない方だ。

「へぇ………黒龍族の雌か。久しぶりに見る」

 白虎が目を細め、口端にまるで殺し屋のような笑みを浮かべた瞬間、鳴麗はあまりの恐怖にボロボロ涙を流してしまった。この瞬間、無礼を働いた自分は彼に斬り殺されてしまう事を覚悟した。

「白虎、もう良いでしょう。その娘は龍月の妹です。あまりからかってはなりませんよ」

 優しい声がして振り向くと、眼鏡をかけた黒髪の青年が優しく嗜めるように微笑んでいた。その高貴な姿は玄武、玄天上帝だ。
 背後には兄の龍月と、役人、そして護衛がついていた。龍月は表情を崩さず、動じる事もなくただ白虎帝を冷たく見ているが妹に息を呑むような緊張感を持っていた。

「ふぅん、なるほどな。まぁ、良い。気を付けろ。朱雀帝すざくていあたりならば斬り殺されていたぞ。あの女は気が強いからな」

 なんの冗談かわからないがそう言うと、鳴麗に腕を差し伸べた。断ることも出来ず、恐る恐る掴んだ彼女を軽々と立たせると何事も無かったかのように、玄天上帝の元へと向かう。
 龍月と玄武は少し安堵したように息を漏らすと、玄武は優しく声をかけた。

「行きなさい、鳴麗。あらかたもう準備は済んだことでしょう。茶菓子を楽しみにしていますよ。さぁ、白虎……久しぶりですね、つもる話もあります、こちらへ」

 鳴麗は深々と頭を下げると、安堵したように急いだ。去りゆく少女の姿を白虎は眺めながら玄武と共に向かった。玄天上帝がいたからこそ救われた命だと、鳴麗はバクバクと鳴り響く心臓を抑えながら向かった。
 
✤✤✤

 遅刻寸前で訪れた鳴麗が、白虎と衝突事故を起こした事は伏せ、鳴麗は慌てて準備に取り掛かった。とはいえ玄武の言う通り準備はほとんど終わり、当然ながら官女達にガミガミと叱られたが、時間は待ってはくれない。
 庭を一周し、玄武の愛する庭に咲く白い天珠華てんじゅかを見ながら再び東屋あずまやに戻ってくる前に控えていなければいけない。
 温和な性格の主を、白虎帝は兄のように慕っているようで、他の聖獣たちよりも彼は頻繁に宮廷に訪れているのだという。
鳴麗は身なりを綺麗に整えると、東屋で他の女官達と共に控えていた。

 ようやく、男性二人の話し声が聞こえその後ろに控える義兄の龍月と、普段では見た事も無いようなしっかりとした表情の水狼が二人の後ろに付き従っていた。
 そして数人の護衛が歩く鎧のぶつかり合う音がすると、そこにいる官女達はもちろん、鳴麗も緊張したように姿勢を正した。

「最近、羅刹鳥らせつちょう縊鬼いきがあの辺りをうろついていると言う話を聞く。天帝の力に陰りはないが、何かきな臭いものを感じるな」
「そう言うわりには白虎、何やら楽しそうですね。平和な世は君にはどうやら退屈なようですが」

 そう言うと、二人は椅子に腰掛け美しい蓮の花や咲き乱れる天珠華てんじゅかを眺めながら冗談交じりに笑った。
 羅刹鳥や縊鬼は魔物で、書物で読んだことはあれど鳴麗はまだ動いている様子を見た事がない。それほど、平和に過ごしていた。
しおりを挟む
感想 36

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる

奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。 両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。 それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。 夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

【R18】人気AV嬢だった私は乙ゲーのヒロインに転生したので、攻略キャラを全員美味しくいただくことにしました♪

奏音 美都
恋愛
「レイラちゃん、おつかれさまぁ。今日もよかったよ」 「おつかれさまでーす。シャワー浴びますね」 AV女優の私は、仕事を終えてシャワーを浴びてたんだけど、石鹸に滑って転んで頭を打って失神し……なぜか、乙女ゲームの世界に転生してた。 そこで、可愛くて美味しそうなDKたちに出会うんだけど、この乙ゲーって全対象年齢なのよね。 でも、誘惑に抗えるわけないでしょっ! 全員美味しくいただいちゃいまーす。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

なし崩しの夜

春密まつり
恋愛
朝起きると栞は見知らぬベッドの上にいた。 さらに、隣には嫌いな男、悠介が眠っていた。 彼は昨晩、栞と抱き合ったと告げる。 信じられない、嘘だと責める栞に彼は不敵に微笑み、オフィスにも関わらず身体を求めてくる。 つい流されそうになるが、栞は覚悟を決めて彼を試すことにした。

処理中です...