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十一話 小嶌神楽③

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 美雨を先頭にして、彼らが小嶌の浜辺までくると、若衆たちが互いに声を掛け合いながら、地引き網漁をしていた。
 漁師たちに混じって、友人たちの姿を確認すると、美雨は嬉しそうに微笑む。
 着物の裾を捲り、地引き網漁を楽しむ大地と樹。そして、浜辺に座りそんな彼らをつまらなさそうに遠巻きで見る結衣。
 陽翔と穂香は、地引き網漁の後ろの方で遠慮がちに参加しているようだった。
 穂香は視線の端にこちらに向かって、歩いてくる人影が見えたような気がして、振り替える。そこには、綺麗な着物を着て、硝子のように光る飴細工を持った美雨が立っていた。
 穂乃は嬉しそうに微笑むと、手を振りながら親友の名前を呼ぶ。

「美雨……!」
「穂香ちゃん! みんな、無事で良かった」

 美雨の声に、思わず全員が振り返った。
 離れ離れになった親友が無事でいてくれたことに安堵し、再会を喜ぶ穂香と結衣は、美雨の元へと走り寄ると強く抱きしめる。
 樹や大地も、周囲の島民たちに断りを入れて漁から離脱すると、陽翔と共に急ぎ足で美雨の元へと向かった。
 美雨は、勝己の姿が見えないことを気づく余裕もなく、ともかく友人たちに再会できたことが嬉しくて、思わず涙ぐんでしまう。

「美雨、本当に良かったぁ。心配したんだよ。 死んじゃったかと思ったんだから」
「美雨、怪我とか大丈夫そ? やだ、めっちゃ可愛い着物着てるねぇ」
「美雨ちゃん、本当に怪我がなくて良かったよ。ちゃんと手当してもらえたの?」

 穂香はぎゅうっと美雨を抱きしめて、怪我もなく無事で居てくれたことに喜んでいた。
 結衣は、相変わらずで、美雨の安否確認を軽くすませると、上質な着物や飴細工の方に興味が湧いたようだ。
 樹も、穂香と同様に心配した様子で美雨を気遣っているようだったが、大地は妙によそよそしく、気まずそうな表情を浮かべている。
 まさか、昨晩の嵐の夜にあんな乱交をしていたなんて、美雨は知らないだろう。
 大地は、美雨にあんなことを知られてしまっては自分の印象が悪くなると思い、穂香に口止めを頼んだのだが、気が気ではない。

「も、望月さん大丈夫だった? 気絶していたし、地主さんの屋敷に連れて行かれたから、だいぶ、怪我とかやべぇのかなって」
「うん、みんなありがとう。私怪我もしてないし、体の方は大丈夫だよ。あの時悪樓さんに助けて貰って食事もさせてもらったし。この飴細工も、ここに向かう途中にある坂の駄菓子さんに寄って買って貰ったの」

 それまで美雨を案じる言葉もなく黙っていた陽翔が、悪樓の名前を聞いた瞬間ピクリと眉を釣り上げた。美雨が会話の途中で、ほんの少し頬を赤らめたことを、陽翔は見逃さなかったからだ。

「え? 美雨、マジかよ? 初対面の人に買って貰ったのか。そういうのあんまり良くないぞ。ガキじゃねぇんだし。無銭で飲食させて貰って、さらに気を遣わせるの悪いだろ?」
「えっ……。あ、うん。そ、そうだね」

 美雨は、陽翔の言葉に冷や水を浴びせられたような気持ちになった。屋敷で介抱され、温かい食事と寝床を用意してもらい、着物まで揃えてくれた。あの飴細工も、美雨が我儘を言って悪樓に買って貰ったようなものだ。
 陽翔の言うことは正しいのかもしれない。
 事実、悪樓の好意に甘えて何から何までお世話になっているのだから。

「――――何か、問題でも?」
「……っ、悪樓さん」

 ふと、背後から冷たい手を肩に置かれる。そして感情の起伏のない優しい声で囁かれた。美雨は悪樓の声を聞くと、緊張が溶けたように安堵して、彼を見上げた。
 長い黒髪を靡かせた悪樓は、太陽の下でも青白く、水妖のように艶かしく美しい。けれど、光の届かない海の底を覗き込むような、底知れない恐ろしさがある。
 美雨以外の人間にとって悪樓は、空気が張り詰めるように厳かで、どこか威圧的な雰囲気がある。特に陽翔は、背の高い悪樓に威圧されつつも彼から視線をそらせずにいた。
 
「――――どうやら『つままぎのおしげり』は上手くいったようだな」
「……そうなの? 楽しい宴だったんだね」
「嗚呼。マレビトたちは歓迎に満足したらしい。そんなに美雨の持つ飴細工が気になるのなら、私がお前たちの分も買ってやろう」

 悪樓は着物の裾に手を入れ、意味深に微笑むと挑発的に言う。美雨はどちらかというと性的なことに疎い方で、昨晩の悪樓の嫉妬があっても『つままぎのおしげり』が、一体どのような行事なのか見当もつかない。
 ただ、不思議そうに首を傾げるだけだ。
 ましてや、男女が複数で性行為に及ぶことがあるなんて、見たことも聞いたこともないだろう。
 一瞬、硬直して気まずそうな顔をする穂香や樹。そして露骨に自分から視線を逸らす、大地のことを美雨は、不審に思った。
 けれど、陽翔も結衣も全く動じる様子もなく、結衣にいたっては悪樓に臆することなく目を輝かせていたので、美雨は気の所為かもしれないと考え直した。

「ええーーっ、いいんですかぁ。可愛い飴細工私も欲しいなぁ。穂香も欲しいよね!」
「え? ちょっと、結衣っ……さすがに私たちは駄目だってば」

 気まずい空気を破るように、結衣は声のトーンを変えて悪樓の側まで接近すると、チャームポイントの大きな目で、媚びるように悪樓を見上げた。
 まるでもう樹のことなど、目に入っていないかのような素振りだ。
 馴れ馴れしい彼女に穂香は嗜めるように結衣を制した。どういうわけか本能的に、穂香は『願い』は美雨だけに許された特権なのだと感じていた。
 悪樓は、無感情に結衣を見下ろしていたが、美雨の視線に気付くとやんわりと微笑む。

「悪樓さん、あの……私だけ買ってもらうのは申し訳なくて、良いでしょうか? お金は持ってないから、私が何か……お皿洗いとかします」
「――――貴女が望むなら、もちろん構わない。その何かは私が決めるが、それでいいな」
「はい」 

 美雨は頷くとペコリと頭を垂れた。

✤✤✤

 それから、美雨は悪樓に小嶌神楽が始まるまで、自由に友人たちと過ごすようにと言われた。
 結局、その言葉に甘えて色々と悪樓が買ってくれたので、美雨は申し訳なく思いつつ若い店主も、悪樓からはお金は取れないと言って恐縮している様子だったので、何かしら彼にもお礼をしなければと、考えていた。
 水飴を持った女子組を先頭に、駄菓子とラムネの瓶を持った男子組は後方で、互いに距離を取りながら、島の中をブラブラと見て回ることにする。
 真秀場村の住人は大人も子供も、仕事の手を止めてまで、美雨たちに挨拶をしてくれた。

「今日はみんな、早めに仕事を終えて神楽の準備にかかるんだって。私たちも良くして貰ってるし、何かお手伝いできたらいいのに」
「美雨、それもいいけど……話したいことがあるの」
「え、う、うん?」

 美雨がのんびりと村の人たちに挨拶をしていると、穂香に腕を掴まれ、神妙な面持ちで耳打ちをされた。
 再会した時から、昨晩穂香の身に何かあったように感じた美雨は、戸惑いつつも頷く。
 けれど、この島で見るものと言えば海や神社があるだけで、都会育ちの大学生が楽しめるような娯楽施設やカフェなどがある訳でもなく、結局小嶌神楽の時間まで、あの屋敷で暇を潰そうということになった。
 そう言えば、大地から小型フェリーの無線を修理すると言って、浜辺に向かったと聞いていたが、浜辺に勝己の姿はなく、すれ違いもしなかった。

(ひと足早く、屋敷に戻っているのかな?)

 美雨がそう思っていると、結衣に服の裾を掴まれる。

「ねね、美雨。悪樓さんってどんな感じなの? なんか、影があるイケメンって感じよねぇ。お金持ちだし、太っ腹だし。あの人って何歳なの?」
「えっ、何歳だろう。喋り方とか古風な感じだけど、私より少し上くらいなのかなぁ。不思議な感じだけど、優しい人だよ」

 美雨を挟むようにして、左側を歩いていた結衣は、猫の飴細工を舐めながらしきりに悪樓のことを聞いてきた。
 悪樓に興味があるのだろうか、と思うとなぜか美雨は不安で心が落ち着かない。けれど、思えば彼が何歳であるかや、兄弟や家族の基本的な情報も聞けていなかった。
 結衣は、新しい獲物を見つけた猫のように目を輝かせているし、この島に来てから以前よりも、開放的になっているような気がする。もし結衣が悪樓に迫ったら、と思うとチクチクと胸が痛む。
 はしゃぐ女子たちを後ろで見ながら、大地がラムネを飲み干した。

「樹、結衣ちゃんとあれから話してねぇな。直球で聞くけど、お前は振られたん?」
「まともに話せてないんだよ。なんかちょっと、この島に着いてから彼女の性格についていけなくて。僕たちはもう無理かも。お前はどうなの?」
「いやぁ」

 大地は思わず口籠った。
 朝方、村長の若妻である沙奈恵が朝食を作りに来たときのこと。昨晩の淫習の影響なのか、彼女と行為に及んで童帝を捨ててしまったせいなのか、こともあろうに村長の妻である沙奈恵を口説いてしまった。
 だが、大地の予想に反して沙奈恵にやんわりと断られてしまう。

『あら、いけないわ大地さん。アレはお祭りの時にしか許されないのよ。私たちは新しいマレビトの種が必要だから……ふふ』
『マレビトの……種?』
『そう、血が濃くなり過ぎないようにね。貴方もここに慣れれば、良く分かるわ』

 どうやら夜這いも乱交も、この島のしきたりがあるらしい。そのしきたりを破って既婚者と不倫関係に陥るのは、許されないことなのだろうか。それにしても、沙奈恵は妙な言い回しをするな、と大地は思った。
 違和感はあっても、魅惑的な人妻の肉体は忘れられず、美雨への気持ちも宙ぶらりんのままである。それに加えて、横から美雨を攫うように、あの端正な島の有力者が現れたのだから、意気消沈していた。
 大地は溜息をつき、珍しく静かに黙ったままでいる陽翔に目をやる。すると彼は、じっと幼なじみの美雨の背中を目で追い掛けているようだった。

「陽翔は、穂香ちゃんとうまく行きそうか? お前さ昨日、島の可愛い子たちとやりまくってたろ。大丈夫?」
「ああ、まぁ。穂香ちゃんとは相性もいい感じだし問題ない。それよかさ、美雨の扱いおかしくね? さっきからこの島の人たち、あいつに一番最初に頭を下げてるし、一人だけ様付けだろ。嫁御寮って、どういう意味なんだよ」
「さぁ……? 分かんねぇけど。そういや、古典とか、伝承とかに叔父さんがちょっと詳しかったような気がする」
「ふーん。お前の叔父さんってそういうの詳しいんだ。ともかく俺は、あの悪樓ってやつが信用できない」

 この島に来てから、不思議なことばかりだが美雨は明らかに、大地から見ても島民たちから一線を引かれ、敬われているように思えた。
 そして幼なじみの美雨に対して、こんなにピリピリしている陽翔を見るのは初めてだ。
 
「まぁまぁ。ここで一生過ごす訳じゃないんだし。今夜の小嶌神楽が、この島の最後の思い出になるかもしれないだろ。楽しもう」

 取り繕うような樹の言葉に、大地は頷いた。
 けれど漠然と、もうこの島から出られないような気がしている。
 ここは食事も空気も美味い。
 そして魅惑的な沙奈恵に、親切な人々がいる。
 まだ、ここに来て一日しか経っていないというのに、大地は現実が遥か昔のことのように思え、記憶が溶けていくような感覚に襲われていた。
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