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五話 淫習の村①

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 美雨は高校時代の苦い思い出や、周りの友達よりも発育がよく、胸が大きかったこともコンプレックスで軽い男性恐怖症だ。
 けれど初対面の悪樓あくるに抱き寄せられ恥じらいを感じても、彼に対して嫌悪感などは全く無かった。
 それどころか、初対面で初キスまで奪われてしまったというのに、この得体のしれない人物の屋敷で世話になっている。
 むしろ、広い胸板に顔を埋めるとどこか懐かしささえ感じられ、このままずっとここでこうして、彼に抱きしめられたいとさえ思ってしまった。
 
(――――悪樓って、不思議な名前だよね。この島ではよくあるのかな? 聞きたいこと、いっぱいある)

 真夏とは思えないくらい、夜の空気は澄んでいて、小さな虫の声が庭から聞こえる。
 この屋敷はずいぶんと広いのに、悪樓以外の住人はいないようで、天涯孤独てんがいこどくなのか。
 巫女の姿をした八重という老女と、孫らしき中学生くらいの少女が、彼の身の回りの世話をしているようだった。
 3人の会話を偶然聞いた美雨は、彼女たちは親族でもなく、雇われているわけでもないようで、随分と位の高い目上の人と話しているような不思議な印象を受けた。
 美雨は、ちらりと前方で正座をして食事をする悪樓を見る。
 佇まいから、食事マナーまで完璧で、上品に見える彼は、一枚の絵のように美しい。
 美雨も対面するように畳に正座し、足つきの和膳で用意された、会席料理のような豪華な夕食に、まるで高級旅館にでも泊まったような気分になっていた。

「――――美雨、食事の方は進んでいないようだが、味付けは大丈夫か? 外界そとの島や陸とは異なるか。八重やえに言って、口に合うものを作らせよう」
「い、いいえ! すごく美味しいです。本当に豪華なお食事で……。ちょっと色々と考えごとをしてたんです。この島はなんて言うんだろうとか、悪樓って不思議な名前だなとか」

 悪樓は、心のままに答えた美雨が、慌てて赤くなる様子を見ると柔らかく微笑んだ。心臓に悪い、魅力的な微笑みはあまり直視できず、美雨はうなだれる。

「ここは、小嶌こじまという。この村は古くから『真秀場まほろば村』と呼ばれておるな。貴女の故郷の言葉で言えば、素晴らしい、素敵な場所ということになるだろうか。他に質問は?」

 悪樓の説明だと、やはりここは無人島ではなく小嶌という場所に流れ着いたらしい。
 美雨の所持品は全部波にさらわれ、連絡手段も断たれてしまった。 
 このままでは、旅行途中に海難事故に合って、家族に死んだと思われるかもしれない。
 電話があれば、とりあえず無事は知らせることがてきるだろうが、この屋敷には電話はおろかTVすらもなく、まるで時間が止まっているようだ。

「あの……、とりあえず家族に電話して、無事だったことを伝えたいです。ずっと、ここでお世話になるのも申し訳ないですし……、迎えの船を」
「――――美雨。漁師から聞かなかったか? 異界入りお盆には船を出すなと……。異界を越えてきた者は、外界そとには戻れない。穴渡神アナワタリノカミの怒りを買えば、海に放り出され、故郷にたどり着けるかもしれないが、その時はもう死んでいる」

 悪樓の瞳が鈍く光ったような気がして、背中が寒くなった。この島にたどり着いたら最後、もう二度と出られないような口ぶりだ。
 もし、神様の怒りを買えばこの島から追い出されるが、それは同時に死を意味するのかと思うと、恐ろしい。

「美雨、貴女はこの屋敷に身を寄せるといい。貴女は私に選ばれたのだから、もう逃げられないよ」
「え……選ばれたって……?」

 悪樓は答えず、妖艶に微笑む。
 美雨の頭の中で、そのときが来れば貴女も理解するだろうという、夢の中の台詞がよぎった。
 怖いと思うと同時に、悪樓の妖艶でどこか威厳のある顔を見ると、夢の中と同じように抵抗する気持ちが失せる。
 勝己かつみの船で、この島を脱出すれば良いという簡単なことさえも頭に浮かばないくらい、素直に受け入れてしまった。
 美雨も、建前のように彼に質問したが、この空間はとても居心地がよく、まるで現実から隔離された、アクアリウムの中にいるようで気持ちが落ち着く。
 目を閉じて、再び開いたらきらきらと光る透明な水底にいて、色とりどりの美しい魚たちが蝶のように舞って可愛らしいのだろうなどと、他愛もない妄想をした。

「それにもうじき、酷い雨が降る。残念だな、今日は美雨と美しい月が見れそうにない」
「あ……本当だ、雨の香りがしますね。私、水の匂いには敏感なんです。あの……お世話になります」
「嗚呼。それにしても……本当に貴女は可愛らしい嫁御寮よめごりょうだ」

 冷たい低音の声に、わずかな優しさや感情が籠められると、それだけで美雨は耳まで熱くなって赤面する。

(ヨメゴリョウって、お嫁さんっていう古い言葉だよね。お嫁さん……お嫁さん……。つまり、えっと、恋人を通り越して、いきなりこの人の妻になるの……?)

 美雨がそんなことを思っていると、ポツポツと屋根にあたる雨音がし、庭に咲いた鬼灯ほおずきの、赤く色付きはじめた実に雨の雫が落ちた。

✤✤✤

 村人たちに連れられた6人は、いくら田舎の島とはいえずいぶんと古めかしく、まるでタイムスリップしてきたかのような不思議な光景に驚いていた。
 日本家屋が立ち並び、山側に面して青々とした田畑が広がっていて、道の通りには古めかしい看板が立っている。
 道中で、珍しい木製の電柱を発見し、かろうじてこの島にも、電気は通っているらしいということに安堵する。

「すごいな、昭和レトロみたいだ。こんなところがまだ残ってるなんて……SNSで上げたいよね、結衣ちゃん」
「樹くん、私も写メ撮ろうかなって思ったんだけど、海水に濡れて完全に壊れちゃったの……写真撮るなら私も一緒に撮りたいなぁ」

 あんなことがあったばかりなのに、先頭にいる二人は、恋人同士のように寄り添っている。
 島から無事に東京に帰れたら、このことについてSNSで語るつもりなのだろうか。
 美雨の身の安全が確認できて、安心したのだろうが、さきほどまであの謎のイケメンについて無邪気にはしゃぎ、樹とじゃれあう様子の結衣を見ると、穂香は少し苛立ちを感じた。
 大地も、別行動を強いられた不満や美雨を心配して落ち込んでいたが、妖艶な美女の着物の隙間から見える、艷やかな肌色に気を取られている。
 この村の若い世代の男女は端正な顔立ちをしているが、すぐに目移りをする女好きの大地に穂香は内心、悪態をついていた。
 勝己のスマホは水没を免れたものの、何度も海上保安庁と連絡を試みるが、電波が繋がらない。
 
「美雨、本当に大丈夫かなぁ。さっきの人なんだか妖しくない? 綺麗な人だけど……。ねえ、陽翔くん、心配じゃない? 幼なじみでしょ」
「ああ、だよね……。やっぱ妖しいよ。あいつ男慣れしてないし、心配だ」 

 普段の様子とは異なり、陽翔はどこかあの浜辺に心を置いてきたかのように返事をした。
 自分が知る限り、ほとんど自分以外の異性との接点を持たなかった大人しい美雨が、悪樓という男に抱きかかえられ、自分の目の前から連れ去られた。
 その瞬間に、陽翔は何故か心配よりも悔しさを感じた。

「あの……すみません。悪樓あくるさんってどういう方なんですか?」

 陽翔が、隣の腰の曲がった七福神の恵比寿さまのような顔をした老人に声をかけると、老人はにっこりと微笑んだ。

「悪樓様はこの島の大地主様でなぁ。儂ら外界そとから来たマレビトたちに土地を分け与え、真秀場まはろば村で不自由なく過ごせるようにして下さる慈悲深い方じゃ。ここは本当にまほろばじゃ」

 彼は大地主という立場のようで、村の人たちにとってはカリスマ性のある、人物のようだった。
 ようやく、6人が世話になる屋敷が見えてくると妖艶な美女と、村長と名乗る中年の男が立ち止まる。

「母屋と離れがありますので、どちらでもお好きな方をお使い下さい。お湯は私が沸かしておきますので。お疲れでしょうからごゆるりと、夜までお休みください」
「食事のほうは、村のもん総出でご馳走を作らせて貰います。マレビトが外界そとから来た時は、宴会でお迎えするのが最初の村の習わしになっとりますので、ご参加願います」

 妖艶な美女と村長がそう言うと、彼らの後に続く村人たちが優しく微笑み頭を下げた。
 手厚い待遇と、不思議な風習に6人はそれぞれ互いの顔を見合わせ頷くしかなかった。
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