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第二部 天魔界編
弐、紅蓮の烏―其の弐―
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晴明は、若菜には甘過ぎる程甘く、吉良が悪態をつくほど溺愛している。だがその分、彼女を傷付ける者に対しての容赦の無さが時折、ふとした瞬間に垣間見えた。
優しさと冷淡さが混在する、まさに神のような存在に思える。
眷属と言うのは、式神ほど契約に縛られておらず、疲弊してしまった時以外は、それほど主人からの霊力を必要としない存在だと言うが、蜜を与える相手が増える事を、晴明は快く思っていないのだろう。
式神について寛容だった彼だったが時が経つにつれて譲れない部分があるようだ。自分の胸に、強引に閉じ込めた若菜の顎を掴むと唇をゆっくりと重ねる。
「んっ……んぅ……んんっ、せいめいさ……」
呼吸さえも奪い取るような、深い口付けに若菜は、晴明の狩衣を握りしめた。稲穂の柔らかく緩やかな癖のある髪を撫でながら、薄桃色の唇を味わうように角度を変え、口腔内に舌を挿入する。
甘い、くぐもった声を上げながら若菜は目をつむって頬を染めた。糸を引いて唇が離れると若菜は呼吸を乱し、晴明の青色の瞳を見つめる。深い愛情を感じさせる、優しい眼差しは安心感を覚えるのに、逆らう事は許されないようなやんわりとした束縛感を感じて、時折心が落ち着かなくなる。
「お主は優しい娘であるから、つい霊力を与え過ぎてしまうのだ。私からあの者達には注意しておくから心配はいらぬぞ、若菜」
「は、はい……。半年も霊力を分け与えて居なかったので仕方ないです。私は大丈夫です。あの、晴明様……白露が言うように、妖魔の数がこの辺りに増え始めているなら、私も出来る限りのお手伝いをしたいです。危機が迫っているのに、何も出来ないのは……」
白露が最近、特にこの辺りに妖魔達の気配が濃くなっているので危険を感じる、都の人々と、晴明達が居住場所を変えるようにと話していた事が気になっていた。白蛇の少年は奥歯に物が挟まったような様子だったが、おおむね危険を知らせてくれているのだろう。
とはいえ、都の人々もそう簡単に住む場所を移動できるような裕福な人々ばかりではない。
「――――お主は何も心配しなくて良い。寝殿造を護り、私の帰りを待っていて欲しい。暇を持て余しておるのならば、女人の式神を創ろう。お主に何かあれば、朔に申し訳が立たぬ。それに……私が正気ではおられぬのでな」
「……は、……はい………」
やんわりと晴明は申し出を拒絶すると、若菜を胸に抱き寄せて頭を撫でた。朔の事を口にされると、胸に刃が刺さるような痛みを感じる。
由衛や吉良、晴明の中ではもう義弟は死んだも同然になっている。
彼の事を信じているのは自分だけなのがどうしようもなく、心細い。
天魔の世界に行く方法も分からなければ、朔の体と精神が、無事なのかさえも分からない。
晴明はまるで、若菜を妻のような扱いで大切にしてくれる。詩乃である自分はこの上なくそれに、最上級の幸せを感じるのに、最愛の義弟である朔を心の中で常に思い浮かべてしまう。
不誠実な自分に対する怒りや、複雑な感情が渦巻いて心が苦しい。
そんな混沌とする気持ちを忘れる為にも、そして都の人々の為にも自分の力を使いたい。
「はっ、ん、やぁ、晴明さま、ま、まって……今日はもう、むり、無理です……」
「ん、無理をさせるつもりは無い。式神の痕を消す。私は……お前が思うよりも嫉妬深い男でな……軽蔑しただろうか。だが、お前へを愛しく思う気持ちが止まらぬ」
首筋に突然、晴明の唇が落ちて強く吸い付くとビクン、と体が震えた。切なく掠れるような低い声が耳元で囁かれると蜜色の瞳をきゅっと閉じた。若菜の細い指先を絡める晴明の肩越しには美しい満月が輝いていた。
その月に緩やかに叢雲がかかっていくのをぼんやりと見つめながら、若菜の頬に一筋の涙が零れ落ちていくと首筋と鎖骨に口付けられ、甘く鳴いた。
✤✤✤
群青と黒の空には美しい夜空に中秋の名月が輝いていた。
美しい月を覆うように叢雲がかかり始めると、その隙間から何匹もの大きな鳥のような影が羽ばたいているのが見える。
ゆっくりと雲が流れ、再び空を照らすと漆黒の大きな羽を生やした黒衣の修験僧の格好をした天狗が飛んでいるのが見えた。
烏天狗の嘴の面を口元に被った数十人の天狗の集団に、ただ一人先頭で飛ぶ真紅の高価な修験僧の格好をした美少年が面を取ると、唇を三日月形に釣り上げて笑った。
その瞳は残忍な色を浮かべギラギラと光り輝いている。
美しい魔少年は舌なめずりをすると楽しげに笑って言った。
「アハハ、やっと見つけたよ、若菜。こんな所に隠れてたんだぁ。晴明の結界が強すぎてほんっっと骨が折れたよ!
法眼様の鳥籠の用意は、もうとっくの昔に出来ているから……綺麗で愛らしい小鳥を捕まえなくちゃね! お前達、用意しろ」
鬼蝶が手をあげると、数十人の天狗達が弓を構えた。その矢尻の先端には紅蓮の炎が宿っている。よくよく見ればその炎は通常のものとは異なり、梵字が炎中でゆらゆらと揺らめいていた。
もちろん、安倍晴明クラスの最強の陰陽師で直ぐに結界が敗れるとは思っていないが、亀裂さえ出来れば内側に入り込める。兎を追うように内部から外に出せば後はこちらのものだ。
「あー、そうだぁ……周りの民家も焼けちゃうかもだけど、人間が出てきたら殺しちゃってもいいよ。そのまま焼け死んでくれたら楽でいいけど、ここら一帯を一掃したいからさぁ。僕は鳥籠の姫君を捕まえなくちゃ。逃げ出さないように、風切り羽を切っておかないとね!」
肩越しに部下の天狗達を見ると、退廃的な笑みを浮かべた。美しい少年の瞳はドロドロに底の無い沼のように溶けて濁っている。
人間を狩る瞬間が一番楽しい。弱くて儚くてかつては、自分の同胞でもあった哀れで無力な種族が逃げ惑う様子は、愉快で美しい。断末魔の悲鳴を聞くとこれ以上ないくらいに興奮する。
だが何より、あの天上の華のように極上の高貴無垢な香りのする霊力を持った若菜を、ようやく捕まえられるかと思ったら、鬼蝶は無意識のうちに射精してしまった。
「ふふっ、法眼様もお喜びになるねぇ! お前達、霊力が尽きるまで結界に矢を放てよ。さぁ安倍晴明……鬼ごっこの始まりだ。愛らしい蝶を僕に渡しなよ」
鬼蝶が合図をした瞬間、一斉に紅蓮の炎を纏った矢が放たれて結界へと向かう。案の定、最初の一撃は結界の間で燃え尽きたが、つかさず第二陣の攻撃が始まった。
陽が落ちて暗くなったキョウの都に花火のような火花が飛び散ると、何事かと近隣の都の人々が外に飛び出してくる。
地響きのような衝撃に驚いて、若菜と晴明が振り返ると、吉良が慌てたように飛び込んできた。
『おい、若菜! 大丈夫か!?』
「う、うん……吉良、こ、この音はなに?」
若菜は、脱がされかけた着物を整えると羞恥に頬を染め動揺するように吉良を見上げた。僅かに眉間に皺を寄せた吉良だったが、気を取り直したように言う。
『とんでもねェ事になってるぞ。結界が外から攻撃されてやがる! 結界はまだ崩れちゃいねェが……由衛が様子を伺ってる』
「なるほど、あの白蛇が言っていた事は真であったな。結界を攻撃できる程の知能を持った妖魔は上級妖魔しかおらぬ」
晴明は冷静沈着にそう告げると、スッと立ち上がった。陰陽師の結界を攻撃が出来る術が使える妖魔達は限られている。生前が人間で強力な術を取得した天狗しかいない。
噂に聞く、法眼の腹心である鬼蝶と言う天狗だろうか。晴明は、足早に寝殿造から庭へと出た。
「き、吉良……これは爆発音?? 炎が見えるよ、火の手が近隣にも……妖魔を止めなくちゃ」
『まて、若菜。ここは晴明に任せりゃあいい。結界はそうそう簡単には破られねェだろう。問題は、この場所があいつらに見つかっちまったてェ事だ』
若菜は青褪め、自分も晴明に続こうと庭へと飛び出そうてすると吉良に制された。大空に漆黒の羽を広げた妖魔は紛れもなく天狗――――。
鬼一法眼の忠実な手下どもが若菜を拐かしに来たのだ。一度目を付けた獲物は仕留めるまで、手を緩めない男だと言う事は狗神もよく知っている。だが、天狗の事を口にすれば、被害をこれ以上拡大させない為に自己犠牲を選ぶ事は、想像に難くない。
「で、でも……何もしないなんて出来ないよ」
『――――今日は分が悪い。俺はお前を護るのが役目だからなァ。ガキみてェに駄々こねたって連れてくぜ。嬢ちゃんが死ねば俺達も死ぬんだからよ』
ともかく、主を安全な場所に避難させる事が先決だと、吉良は反論する若菜を子供のように抱き上げて周囲を気にするように庭へと出た。
晴明は、上空を見上げ口元に指を押し当てるとふわりと銀髪が巻き上がり、周囲には鬼の武者がゆらりと湧き上がった。弓を取り出すと一斉に地上から鳥を落とすように矢を射る。
呪詛の刻まれた矢を胸に受けた天狗達は悲鳴を上げながら地上に落ちた。
「怯むなぁ!! 結界を破れ!!! 死ぬまで矢を打ち続けるんだよ、それがお前達の役目だ」
鬼蝶は興奮したように大声で叫ぶと目を爛々と輝かせた。地上には晴明が迎え撃っている。目を真紅に光らせ獲物の様子を伺うと、狗神に抱かれて連れていかれる若菜の姿が目に止めるとニヤリと笑みを浮かべる。
「みぃーつけた!」
ゆっくりと鬼蝶が弓を射ろうとすると、ふわりと晴明が地上から天へと上がった。半妖神だからこそ出来る空を駆ける術で向かうと五芒星を切った。鬼蝶は舌打ちながらそれを避けると晴明を見た。
「見た事のある顔だな、お主は確か……光明の側近だったと記憶しておるが、天狗か」
「ああ~~、そんな事もあったっけ。その頃は夕霧と名乗っていたよ、あれは本当に面倒くさい仕事だったなぁ。僕の名は鬼蝶……きちんと挨拶したいけど、今はお前と遊んでる暇は無いんだよねぇ」
美少年はにっこりと可愛らしい笑みを浮かべると天狗達が晴明を取囲み、一斉に攻撃を始めるとしなやかにかわして、戦い始める。
鬼蝶は楽しげに口端に笑みを浮かべると弓をキリキリと引いた。
「さぁて、鬼ごっこの時間だよ、若菜。僕から逃げなよ……直ぐに追いついて捕まえてあげるからね」
鬼蝶は興奮するように呼吸を荒くすると、赤黒い瞳が徐々に光を増し術を強めると弓を放った。一際大きな梵字の炎が矢尻に宿ると、結界の亀裂を無理矢理こじ開け、硝子が飛び散るように結界が消え去った
ごうごうと燃える炎が、若菜と吉良の行く手を阻んで立ち止まる。
若菜は悲鳴をあげて自分の体を庇うと、ゆらゆらと燃える紅蓮の炎の先に、『夕霧』の姿が見えて自然と体が震えるのを感じた。
――――どうして、彼がここにいるの。
陰陽寮から逃げる時にはその姿は無く、天魔に飲まれて命を落としたのだとばかりに思っていたが、真紅の修験僧の格好をした彼の背中には、大きな烏のような羽が生えていた。
「ゆ……ゆうぎり?」
『やはりてめェ、人間じゃ無かったんだなァ。天狗ってェのはよ、匂うんだよ』
顔面を蒼白にして怯える子猫のようにこちらを見る若菜に、鬼蝶は満面の笑みで言う。
「――――迎えに来たよ、セ・ン・パ・イ♡」
優しさと冷淡さが混在する、まさに神のような存在に思える。
眷属と言うのは、式神ほど契約に縛られておらず、疲弊してしまった時以外は、それほど主人からの霊力を必要としない存在だと言うが、蜜を与える相手が増える事を、晴明は快く思っていないのだろう。
式神について寛容だった彼だったが時が経つにつれて譲れない部分があるようだ。自分の胸に、強引に閉じ込めた若菜の顎を掴むと唇をゆっくりと重ねる。
「んっ……んぅ……んんっ、せいめいさ……」
呼吸さえも奪い取るような、深い口付けに若菜は、晴明の狩衣を握りしめた。稲穂の柔らかく緩やかな癖のある髪を撫でながら、薄桃色の唇を味わうように角度を変え、口腔内に舌を挿入する。
甘い、くぐもった声を上げながら若菜は目をつむって頬を染めた。糸を引いて唇が離れると若菜は呼吸を乱し、晴明の青色の瞳を見つめる。深い愛情を感じさせる、優しい眼差しは安心感を覚えるのに、逆らう事は許されないようなやんわりとした束縛感を感じて、時折心が落ち着かなくなる。
「お主は優しい娘であるから、つい霊力を与え過ぎてしまうのだ。私からあの者達には注意しておくから心配はいらぬぞ、若菜」
「は、はい……。半年も霊力を分け与えて居なかったので仕方ないです。私は大丈夫です。あの、晴明様……白露が言うように、妖魔の数がこの辺りに増え始めているなら、私も出来る限りのお手伝いをしたいです。危機が迫っているのに、何も出来ないのは……」
白露が最近、特にこの辺りに妖魔達の気配が濃くなっているので危険を感じる、都の人々と、晴明達が居住場所を変えるようにと話していた事が気になっていた。白蛇の少年は奥歯に物が挟まったような様子だったが、おおむね危険を知らせてくれているのだろう。
とはいえ、都の人々もそう簡単に住む場所を移動できるような裕福な人々ばかりではない。
「――――お主は何も心配しなくて良い。寝殿造を護り、私の帰りを待っていて欲しい。暇を持て余しておるのならば、女人の式神を創ろう。お主に何かあれば、朔に申し訳が立たぬ。それに……私が正気ではおられぬのでな」
「……は、……はい………」
やんわりと晴明は申し出を拒絶すると、若菜を胸に抱き寄せて頭を撫でた。朔の事を口にされると、胸に刃が刺さるような痛みを感じる。
由衛や吉良、晴明の中ではもう義弟は死んだも同然になっている。
彼の事を信じているのは自分だけなのがどうしようもなく、心細い。
天魔の世界に行く方法も分からなければ、朔の体と精神が、無事なのかさえも分からない。
晴明はまるで、若菜を妻のような扱いで大切にしてくれる。詩乃である自分はこの上なくそれに、最上級の幸せを感じるのに、最愛の義弟である朔を心の中で常に思い浮かべてしまう。
不誠実な自分に対する怒りや、複雑な感情が渦巻いて心が苦しい。
そんな混沌とする気持ちを忘れる為にも、そして都の人々の為にも自分の力を使いたい。
「はっ、ん、やぁ、晴明さま、ま、まって……今日はもう、むり、無理です……」
「ん、無理をさせるつもりは無い。式神の痕を消す。私は……お前が思うよりも嫉妬深い男でな……軽蔑しただろうか。だが、お前へを愛しく思う気持ちが止まらぬ」
首筋に突然、晴明の唇が落ちて強く吸い付くとビクン、と体が震えた。切なく掠れるような低い声が耳元で囁かれると蜜色の瞳をきゅっと閉じた。若菜の細い指先を絡める晴明の肩越しには美しい満月が輝いていた。
その月に緩やかに叢雲がかかっていくのをぼんやりと見つめながら、若菜の頬に一筋の涙が零れ落ちていくと首筋と鎖骨に口付けられ、甘く鳴いた。
✤✤✤
群青と黒の空には美しい夜空に中秋の名月が輝いていた。
美しい月を覆うように叢雲がかかり始めると、その隙間から何匹もの大きな鳥のような影が羽ばたいているのが見える。
ゆっくりと雲が流れ、再び空を照らすと漆黒の大きな羽を生やした黒衣の修験僧の格好をした天狗が飛んでいるのが見えた。
烏天狗の嘴の面を口元に被った数十人の天狗の集団に、ただ一人先頭で飛ぶ真紅の高価な修験僧の格好をした美少年が面を取ると、唇を三日月形に釣り上げて笑った。
その瞳は残忍な色を浮かべギラギラと光り輝いている。
美しい魔少年は舌なめずりをすると楽しげに笑って言った。
「アハハ、やっと見つけたよ、若菜。こんな所に隠れてたんだぁ。晴明の結界が強すぎてほんっっと骨が折れたよ!
法眼様の鳥籠の用意は、もうとっくの昔に出来ているから……綺麗で愛らしい小鳥を捕まえなくちゃね! お前達、用意しろ」
鬼蝶が手をあげると、数十人の天狗達が弓を構えた。その矢尻の先端には紅蓮の炎が宿っている。よくよく見ればその炎は通常のものとは異なり、梵字が炎中でゆらゆらと揺らめいていた。
もちろん、安倍晴明クラスの最強の陰陽師で直ぐに結界が敗れるとは思っていないが、亀裂さえ出来れば内側に入り込める。兎を追うように内部から外に出せば後はこちらのものだ。
「あー、そうだぁ……周りの民家も焼けちゃうかもだけど、人間が出てきたら殺しちゃってもいいよ。そのまま焼け死んでくれたら楽でいいけど、ここら一帯を一掃したいからさぁ。僕は鳥籠の姫君を捕まえなくちゃ。逃げ出さないように、風切り羽を切っておかないとね!」
肩越しに部下の天狗達を見ると、退廃的な笑みを浮かべた。美しい少年の瞳はドロドロに底の無い沼のように溶けて濁っている。
人間を狩る瞬間が一番楽しい。弱くて儚くてかつては、自分の同胞でもあった哀れで無力な種族が逃げ惑う様子は、愉快で美しい。断末魔の悲鳴を聞くとこれ以上ないくらいに興奮する。
だが何より、あの天上の華のように極上の高貴無垢な香りのする霊力を持った若菜を、ようやく捕まえられるかと思ったら、鬼蝶は無意識のうちに射精してしまった。
「ふふっ、法眼様もお喜びになるねぇ! お前達、霊力が尽きるまで結界に矢を放てよ。さぁ安倍晴明……鬼ごっこの始まりだ。愛らしい蝶を僕に渡しなよ」
鬼蝶が合図をした瞬間、一斉に紅蓮の炎を纏った矢が放たれて結界へと向かう。案の定、最初の一撃は結界の間で燃え尽きたが、つかさず第二陣の攻撃が始まった。
陽が落ちて暗くなったキョウの都に花火のような火花が飛び散ると、何事かと近隣の都の人々が外に飛び出してくる。
地響きのような衝撃に驚いて、若菜と晴明が振り返ると、吉良が慌てたように飛び込んできた。
『おい、若菜! 大丈夫か!?』
「う、うん……吉良、こ、この音はなに?」
若菜は、脱がされかけた着物を整えると羞恥に頬を染め動揺するように吉良を見上げた。僅かに眉間に皺を寄せた吉良だったが、気を取り直したように言う。
『とんでもねェ事になってるぞ。結界が外から攻撃されてやがる! 結界はまだ崩れちゃいねェが……由衛が様子を伺ってる』
「なるほど、あの白蛇が言っていた事は真であったな。結界を攻撃できる程の知能を持った妖魔は上級妖魔しかおらぬ」
晴明は冷静沈着にそう告げると、スッと立ち上がった。陰陽師の結界を攻撃が出来る術が使える妖魔達は限られている。生前が人間で強力な術を取得した天狗しかいない。
噂に聞く、法眼の腹心である鬼蝶と言う天狗だろうか。晴明は、足早に寝殿造から庭へと出た。
「き、吉良……これは爆発音?? 炎が見えるよ、火の手が近隣にも……妖魔を止めなくちゃ」
『まて、若菜。ここは晴明に任せりゃあいい。結界はそうそう簡単には破られねェだろう。問題は、この場所があいつらに見つかっちまったてェ事だ』
若菜は青褪め、自分も晴明に続こうと庭へと飛び出そうてすると吉良に制された。大空に漆黒の羽を広げた妖魔は紛れもなく天狗――――。
鬼一法眼の忠実な手下どもが若菜を拐かしに来たのだ。一度目を付けた獲物は仕留めるまで、手を緩めない男だと言う事は狗神もよく知っている。だが、天狗の事を口にすれば、被害をこれ以上拡大させない為に自己犠牲を選ぶ事は、想像に難くない。
「で、でも……何もしないなんて出来ないよ」
『――――今日は分が悪い。俺はお前を護るのが役目だからなァ。ガキみてェに駄々こねたって連れてくぜ。嬢ちゃんが死ねば俺達も死ぬんだからよ』
ともかく、主を安全な場所に避難させる事が先決だと、吉良は反論する若菜を子供のように抱き上げて周囲を気にするように庭へと出た。
晴明は、上空を見上げ口元に指を押し当てるとふわりと銀髪が巻き上がり、周囲には鬼の武者がゆらりと湧き上がった。弓を取り出すと一斉に地上から鳥を落とすように矢を射る。
呪詛の刻まれた矢を胸に受けた天狗達は悲鳴を上げながら地上に落ちた。
「怯むなぁ!! 結界を破れ!!! 死ぬまで矢を打ち続けるんだよ、それがお前達の役目だ」
鬼蝶は興奮したように大声で叫ぶと目を爛々と輝かせた。地上には晴明が迎え撃っている。目を真紅に光らせ獲物の様子を伺うと、狗神に抱かれて連れていかれる若菜の姿が目に止めるとニヤリと笑みを浮かべる。
「みぃーつけた!」
ゆっくりと鬼蝶が弓を射ろうとすると、ふわりと晴明が地上から天へと上がった。半妖神だからこそ出来る空を駆ける術で向かうと五芒星を切った。鬼蝶は舌打ちながらそれを避けると晴明を見た。
「見た事のある顔だな、お主は確か……光明の側近だったと記憶しておるが、天狗か」
「ああ~~、そんな事もあったっけ。その頃は夕霧と名乗っていたよ、あれは本当に面倒くさい仕事だったなぁ。僕の名は鬼蝶……きちんと挨拶したいけど、今はお前と遊んでる暇は無いんだよねぇ」
美少年はにっこりと可愛らしい笑みを浮かべると天狗達が晴明を取囲み、一斉に攻撃を始めるとしなやかにかわして、戦い始める。
鬼蝶は楽しげに口端に笑みを浮かべると弓をキリキリと引いた。
「さぁて、鬼ごっこの時間だよ、若菜。僕から逃げなよ……直ぐに追いついて捕まえてあげるからね」
鬼蝶は興奮するように呼吸を荒くすると、赤黒い瞳が徐々に光を増し術を強めると弓を放った。一際大きな梵字の炎が矢尻に宿ると、結界の亀裂を無理矢理こじ開け、硝子が飛び散るように結界が消え去った
ごうごうと燃える炎が、若菜と吉良の行く手を阻んで立ち止まる。
若菜は悲鳴をあげて自分の体を庇うと、ゆらゆらと燃える紅蓮の炎の先に、『夕霧』の姿が見えて自然と体が震えるのを感じた。
――――どうして、彼がここにいるの。
陰陽寮から逃げる時にはその姿は無く、天魔に飲まれて命を落としたのだとばかりに思っていたが、真紅の修験僧の格好をした彼の背中には、大きな烏のような羽が生えていた。
「ゆ……ゆうぎり?」
『やはりてめェ、人間じゃ無かったんだなァ。天狗ってェのはよ、匂うんだよ』
顔面を蒼白にして怯える子猫のようにこちらを見る若菜に、鬼蝶は満面の笑みで言う。
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