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第二部

大天使様は偉大(ユベール視点)1

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 ルシー様のことは今後も殿下が対応するだろう。彼女も彼女で問題を起こす常習犯で、俺と殿下は何度も彼女の我儘に振り回され、頭を悩まされ続けていた。今迄は規模が小さく、殿下が尻拭いをすれば片付けられる問題ばかりだったが、今回は違う。あの女は、何の身分も持たない平民だからという理由でジャノを排除しようと企てたのだ。自分の手は汚さず、ルグラン伯爵達を上手く利用して……

 ありもしない罪をでっち上げて、ジャノを犯罪者扱いし、抵抗するなら処刑すればいいと平然と考えているあの女を、どうして俺が好きになると思うのか。伯爵夫人もあの女も、俺の婚約者に相応しいのは自分だと豪語するが、何を理由にそう思い込めるのかが不思議でならない。ジャノに助けられたあの日から、俺が婚約者に望むのは彼だけだというのに。

 ジャノは自分が貶められても苦笑するだけで怒りはしない。何時も黙って彼奴らの話を聞き流すだけ。オープンカフェでルグラン伯爵夫妻に絡まれた時も、公爵邸にあの女と侍女が押しかけてきた時も、リゼット嬢達と買い物を楽しんでいた時も、このパーティーでも、彼は何も言わずグッと耐えていた。けれど、その悪意が他者に向けられた時だけ、ジャノは怒りを露にする。我が家で雇っている使用人が侍女に転ばされた時も静かに怒っていたが、今回はその時よりも感情的に怒っていた。

 周囲の連中は俺が購入したドレスや宝飾品を独り占めしたいからだと嫌味を言っていたが、ジャノがあの二人に「渡さない」と断言したのは俺の大切な物を乱雑に扱う人達に渡したくなかったから。ジャノは自分の為ではなく、俺の為に怒ってくれたんだ。それを理解していない連中が五月蝿く喚いていたが、次に発せられたジャノの言葉によって奴らは口を噤んだ。

『大切な人を守るのに貴族も平民も関係ありません! どれだけ罵られようと、どれだけ平民だとバカにされようと、濡れ衣を着せられて犯罪者扱いされようと、俺の意思は変わりません。ベルトラン公爵家に仕える人達は皆、俺が守らなければならない大切な家族なんだよ! その家族が目の前で理不尽な扱いを受けているのに、黙って見過ごせる訳ねえだろ!』

 部下を守る為にここまで言い切る者は貴族でもほぼ存在しない。我が家の者達を「大切な家族」と思ってくれていて、その家族が理不尽な扱いを受けていれば自分を犠牲にしてでも守り抜こうとする。ホール内で給仕をしていた者達がどう思ったかは言うまでもないだろう。静観していた貴族達でさえ「彼がほしい」という欲を孕んだ目で見ていたのだから。俺も傍で聞いていて嬉しいと思ったんだ。当事者となっていたレイモンは俺達よりも嬉しいと思ったに違いない。

『ルグラン伯爵様、レイモンさんはユベール様の専属執事です。レイモンさんも、何時まで其処に立っているんですか? 貴方は、ベルトラン公爵家の一員でしょう? 違いますか?』

 正直に言おう。俺はレイモンが羨ましい! 俺もジャノにそう言われて強く求められたい! ステラに目で止められて暴れ出しそうな感情を押し殺したが、そう思ったのは他にも居る筈だ。お父様とお母様なんて満面の笑みを浮かべて「羨ましい? 羨ましいでしょう? 私達の自慢のお嫁さんなの」と周囲に自慢していたからな。戻ってきたレイモンはジャノから「おかえりなさい」と言われてクスッと笑う。この男がこんな風に笑うのは珍しい。流石は俺の大天使様だと誇らしい気持ちになるが、予想通り不躾な目で見る輩も増えていた。ジャノはもう俺の婚約者だから、今更求めても手遅れだがな!

 おっと、いけない。先ほどのことを思い出して感情的になってしまった。今からジャノと会うのに、格好悪い姿は見せられない。気を引き締めてジャノの部屋まで戻ると、ガチャリと扉が開き中からフェルナンが出てきた。

「ユベール様。殿下との話は終わったんですか?」
「あぁ」
「ナイスタイミングで戻って来ましたね。今から食事を用意するので、何か食べたいものがあれば教えてください」
「そうだな。簡単に食べられるもので構わない。メニューはお前達に任せよう」
「分かりました。部屋で待っていてください。あ、ユベール様」
「なんだ?」
「あの一覧は役に立ちましたか?」

 フェルナンの言う「一覧」とはジャノが仕えていた貴族の名が記された資料のことだろう。答えは勿論「Yes」だ。あの資料のお陰で調査する手間が省け、悪事に手を染めた者達の証拠も見付けることができたからな。

「とても役に立った。礼を言う」
「親友の為ですから。ユベール様! 彼奴のこと、絶対に幸せにしてくださいよ!」
「何度言われても同じだ。ジャノを幸せにするのはこの俺だ」

 俺の返事を聞いて満足したのか、フェルナンは「流石はユベール様! 頼もしい!」と大袈裟に褒めて去って行った。今はもう疑っていないが、長年ジャノと一緒に過ごしていたのかと思うとフェルナンに嫉妬してしまう。大人の対応ができるようにならなければと頭では分かっているのに、ジャノのこととなると心が狭くなる。彼は無自覚に多くの人を魅了するから、婚約発表した今でも俺は不安で仕方なかった。ジャノが、この家から出て行ってしまうのではないか、と。





 このパーティーで騒動が起こることは全員想定していたし、ジャノを貶める輩が出てくることも分かっていた。俺の誕生日パーティーを台無しにされたのは事実だが、その原因はジャノではなく問題を起こしたルグラン伯爵達だ。ジャノが負い目を感じる必要はない。けれど、心優しいジャノは「俺のせいで大切なパーティーを台無しにしてしまった」と思い込み、俺やベルトラン公爵家の為を思って身を引くかもしれない。みんなに迷惑をかけたくない。自分のせいで俺達の評価が下がるのは嫌だ。だから、ベルトラン公爵家には居られない、と。

 ずっと、ずっと不安だった。ジャノはベルトラン公爵家に頼らずとも生きていける。フェルナンの店で働くこともできるし、モラン侯爵家で過ごすこともできるし、王都での生活に慣れないというなら、デュボア男爵家の自然に囲まれた土地で生活することもできる。彼がベルトラン公爵家に拘る理由は何もない。俺の我儘でジャノを引き止めているのが現状。婚約発表したから安心だとは言い切れない。どうすればジャノを引き留めることができるだろう? どうすれば俺と結婚してくれるだろう? もし、ジャノが身分を気にして身を引くというなら、お父様とお母様には申し訳ないがベルトラン公爵家の名を捨てようか。そんな不可能なことを真剣に考えてしまうほど、俺は頭を悩ませていた。それなのに……

「ユベール様。おかえりなさい」
「ジャノ? もう起きて大丈夫なんですか? まだ休んでいてもいいんですよ?」
「心配してくれてありがとうございます。少し眠ったら楽になりました」
「本当ですか? 無理をしていませんか?」
「ユベール様は心配性ですね。誕生日パーティーはまだ終わっていません。何時でも対応できるようにしておかないと」
「ジャノ……」

 あぁ、本当に彼は優しい人だ。あんな大勢が集まる場所で貶められたというのに、ジャノは気にしていないように見える。俺に向けられる柔らかな微笑みも無理矢理作った表情じゃない。ステラとレイモンが嬉しそうなのは気のせいか?

「今年の誕生日パーティーは無茶苦茶になりましたけど、来年はユベール様が心から楽しいと思えるパーティーにしましょうね!」
「え?」
「それまでに、俺は必要な知識や教養を身に付けます! 他の貴族達に舐められないよう、皆が認める存在になってみせます!」
「えっと、ジャノ?」
「なんですか? ユベール様」
「来年、ってことは、ジャノはこれからも、此処で過ごしてくれる、ということですか?」
「当たり前です! 俺はユベール様と婚約したんですから! ユベール様やクレマン様、ラナ様が『出て行け』と言わない限り、俺は出て行きませんよ?」
「ジャノ!」
「うわ! ユ、ユベール様?」

 あぁ、さっきまで「ジャノが出て行くかもしれない」と不安に思っていた自分がバカみたいだ。ジャノはもう覚悟を決めているというのに、俺は彼を信じることができなかった。悪意を向けられても、犯罪者扱いされても、俺の婚約者に相応しくないと罵られても、ジャノは俺を選んでくれた。これからも同じようなことが起こるかもしれないことも分かった上で、彼は俺と共に生きてくれると言ってくれたんだ。嬉しさのあまりジャノを抱きしめてしまう。驚きはしたものの、彼はそっと俺の背に腕を回して抱きしめ返してくれた。

「ありがとうございます。ジャノ」
「不安は消えましたか? ユベール様」
「ええ。勿論」

 ジャノを抱きしめている腕を少し緩め、見上げてくる愛しい彼の額にキスを落とす。彼に助けられてからずっと、ずっと想い続けていた俺の大天使様。俺が彼を手放すことは絶対にない。ルグラン伯爵達のようにジャノを貶めようと企む輩は今後も出てくるだろう。その時は、ベルトラン公爵家の力を全て使ってでも排除してやる。ジャノが俺を助けてくれたように、俺もジャノを助けたい。彼の優しい心を、柔らかな微笑みを守る為なら、俺はなんだってします。ジャノは、俺の命と心を救ってくれた、俺だけの大天使様なのだから……
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