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第一部
俺だけの大天使様(ユベール視点)1
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十年前の十二月十日。俺が八歳の誕生日を迎えた日。その日は、俺にとって最悪の一日であり、運命の出会いを果たした最高の一日でもあった。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。柔らかなハニーブロンドの髪。甘く蕩けるようなチョコレートと蜂蜜を混ぜ合わせて固めた飴玉のような綺麗な瞳。ふわりと微笑む姿は絵画で見た母性溢れる天使様のようで、俺はただただ美しい彼に見惚れていた。
「大丈夫。俺は君に何もしない。約束する」
大天使様は容姿と心だけでなく、声も美しかった。高すぎず、低すぎない落ち着いた声。白く繊細な手が俺の背中を包み込み、大天使様に抱きしめられ、その体温を感じて俺は初めて声を出して泣いた。泣いて、泣いて、泣きじゃくって、大天使様に縋り付いて。大天使様はただ黙って俺の頭を撫でてくださった。俺が落ち着くまで、何度も、何度も……
俺が泣き止むと、大天使様は乱された俺の服を整え、俺の手をしっかり握って屋敷の外に連れ出してくれた。何処へ行くのだろうと不安になって大天使様を見上げたら、またふっと優しく微笑んで、俺の心臓がドキリと高鳴った。感情を抑えなければ、と慌てて胸に手を押し当て「あれ?」と思う。魔力が、安定している。今までずっと、体内で暴れる魔力に悩まされていたのに。
「はい……お願……ます。この子……いたのは……」
色々と考えている内に、大天使様は警備隊と話し合っていた。俺を保護してほしい、という内容のようだ。ぼうっとしていて最初の方は聞き取れなかった。警備隊は大天使様を怪しんで「誘拐犯はお前じゃないのか?」と質問して、俺は腹が立った。大天使様になんて無礼な発言を。万死に値する。俺は大天使様が口を開く前に「大天使様……お兄ちゃんは俺を助けてくれた。悪い人じゃない!」と無礼な警備隊員に怒声を浴びせた。奴らは肩をビクッと震わせ、大天使様への態度を改めた。全く。大天使様を犯人扱いとは、後でこの警備隊達を徹底的に調べてそれ相応の罰を与えてやるからな。覚悟しておけ。
「良かったね。お家に帰れるよ」
説明が終わったのか、大天使様は俺を見て、またにこっと微笑んだ。あぁ、大天使様の笑顔はこの世で一番美しい。ずっと見ていたいくらい綺麗だ。俺が見惚れていると、大天使様は俺の頭をそっと撫でてゆっくり離れて行った。慌てて彼の手を握ろうとしたが、警備隊に手を握られ、彼を追うことが出来ない。
待って! 待ってください! まだ貴方の名前を聞いていない! 俺の名前も教えていない! 行かないで、置いて、行かないで。大天使様! 貴方は命の恩人なんです。俺の心を救ってくださった大天使様なんです! 貴方が居なければ、俺は……
「ユベール! よく無事でいてくれた。誘拐されたと聞いて、どれだけ心配したことか! ぅう」
「ユベール!? 本当に、本当にユベールなのね! あぁ、ごめんなさい。ユベール。貴方を一人にするべきではなかった。本当に、本当にごめんなさい!」
「お父様。お母様……」
その後、俺は無事家族の元へ帰ることができた。お父様もお母様も涙を流しながら俺の身体をぎゅうぎゅうと抱きしめた。数年ぶりに両親に抱きしめられ、俺は二人に愛されていたんだと実感した。俺の身体には膨大な魔力が循環していて、まだ幼く未熟な身体ではその膨大な魔力を制御できず、時々暴発することがあった。お医者様から「感情的になってはいけない」と言われた。魔力が暴発する一番の原因は感情の浮き沈みだという。特に、怒り、悲しみ、恐怖、憎悪。この感情をなるべく持たず、静かに過ごすことが義務付けられた。
両親と会えば喜びすぎて暴発する可能性もある。魔力の暴発を抑える為に必要なのは、極力人と関わらないこと。もし、俺の魔力が暴発した場合、被害がどれだけ大きくなるのか分からない。最悪、自分の魔力で体がバラバラになるかもしれないと告げられ、俺は絶望した。五歳の時だった。
それから八歳になるまで、俺はずっと自室で過ごすことを強いられた。両親にも会えず、使用人も必要最低限。食事は扉の前に置かれ、合図を聞いてから自室に持ち込んで食べる。こんな生活を、一体何時まで続けなければならないのだろうか。お父様もお母様も、俺のことなんてどうでもよくなったのだろうか。ベルトラン公爵家の一人息子なのに、魔力量が多すぎるせいで普通の生活ができない。両親にも甘えられない。頼れる人もいない。ひとりぼっちの生活を三年も続ければ、当然心も病んでいく。
お医者様が言った通り、俺は感情を一切出さなくなった。何も感じなくなった。何も思わなくなった。そんな俺を診て、お医者様は「感情を制御することはできていますが、精神が不安定です。気分転換をした方がよろしいかと」と無責任なことを告げる。お前が、そうしろと言ったんだろう? だから俺はずっと我慢してきたのに、精神が不安定? 今更気分転換? 巫山戯るな。巫山戯るな。巫山戯るな! 俺の人生を壊しておいて、俺の普通の生活を奪っておいて、俺のことなんて全く心配していないくせに。
駄目だと分かっているのに、忘れた筈の怒りが心の奥底から込み上げてくる。スッと立ち上がると、何故かお医者様は腰を抜かして怯えていた。ブルブルと全身を震わせ、口をガクガクと動かし、瞳は恐怖に彩られ……
「ひぃ! ば、化け物!」
その言葉を聞いた瞬間、込み上げていた怒りが消え失せた。化け物。そうか、俺は、化け物だったのか。化け物だから、誰も俺に会いに来てくれないのか。誰も心配してくれないのか。お父様とお母様も、俺のことなんて……
気付いたらあの医者は居なくなっていた。気になってステラに扉越しに聞いてみると、お父様がクビにしたらしい。直ぐに新しいお医者様を探すから安心してほしい、と。安心? 何に、安心すればいいんだ? 感情を殺すことが最善の治療法なんだろ? いっそ、殺してくれればいいのに。そんなことを考えてしまうくらい、俺の心は荒んでいた。
十二月十日。八歳の誕生日に、俺は伯父さんに連れ出され、太った貴族に売られた。何時も優しくしてくれていた伯父さん。両親が会いに来てくれなくても、伯父さんだけは俺に会いに来てくれた。年に一回だけだったけど、俺はそれが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。お父様じゃなくて、伯父さんが俺の本当のお父様だったらよかったのにと、呟いたこともある。
「こら。冗談でもそんなことを言うんじゃない。クレマンが悲しむぞ?」
伯父さんは本当にいい人だった。とても優しい人だった。だから、俺は伯父さんが大好きだった。自分の両親よりも、伯父さんを頼るようになった。信じていたから。伯父さんだけは、何があっても俺を見捨てないって。信じて、いたのに……
「あぁ。やはり近くで見ると美しいな。流石はベルトラン公爵家の一人息子。これは、かなり楽しめそうだ」
「気に入ってもらえて光栄です。良かったな。ユベール。今日からこの方がお前のご主人様だ。ご主人様には逆らうなよ?」
「え? な、何を言って……ど、どういうこと? 伯父さん。ねえ、伯父さんってば!」
「触るな! このクソガキ!」
「い!」
伯父さんの手に触れようとしたら、その手をバシッと叩き落とされた。信じられなくて、信じたくなくて、俺は泣きながら伯父さんを見上げる。何時も優しかった伯父さんは、何処にもいなかった。目の前に立っているのは、憎々しそうに俺を見下ろして、狂った笑みを浮かべる知らない男。
「そういえば、今日はお前の誕生日だったな? ユベール」
「おじ、さ……」
「誕生日のお祝いに、いいことを教えてやるよ。俺はな、お前が産まれた日からずっと、ずっと、ずっと、お前のことが大っ嫌いだったんだよ! 本当なら俺がベルトラン公爵家を継ぐ筈だったのに、弟のクレマンの方が優秀だからとあのクソジジイは後継者に彼奴を選びやがったんだ! 長男の俺じゃなく、次男の彼奴をな! 家を継いだ後も何不自由なく過ごして、愛する妻とも出会い、後継者である息子までつくりやがった! 俺は、俺は全てを失った! 愛する妻と娘は不慮の事故で命を落とした! どんなに辛くても、悔しくても、二人が居たから頑張れた! 心から愛していた! 家族のお陰で、俺はやっと後継者という柵から、弟への劣等感から解放されたと思った! それなのに!」
「おじ、さん」
「お前に分かるか!? 愛する家族を失った者の悲しみが! 優秀な弟と比べられ続ける悔しさが! 長男なのに後を継げなかった惨めさが! 分かる訳ないよなあ!? 両親から愛されて、何不自由なく生きてきたお前には! 俺の気持ちなんて、分かる筈がねえ! 俺は家族を失ったのに、お前達だけ幸せに暮らすなんて、不公平だと思わないか? 俺が不幸になったんだから、お前も不幸になれよ。なあ? ユベール」
何も、言えなかった。優しい笑顔を貼り付けた裏で、伯父さんがそんなことを考えていたなんて知らなかった。伯父さんがずっと苦しんでいたなんて知らなかった。こんなの、単なる八つ当たりだ。頭では分かっているのに、伯父さんを責められなかった。ただただ辛くて、悲しくて。
「話は終わったのか?」
「あぁ。すみません。つい感情的になってしまって。さっさと連れて行ってください。そのクソガキを」
「勿論だとも」
そしてとうとう、俺は伯父さんに置いて行かれ、太った貴族の屋敷に連れ去られた。悪趣味な真っ赤なベッドに押し倒され、服の上から全身を撫で回され、顔の近くで荒い息が聞こえて、気持ち悪くて吐き気がした。「助けて」と叫びたいのに、「触るな」と怒りたいのに、俺の口から出るのは嗚咽だけ。
「あぁ。この白く滑らかな肌。たまらないなあ。ずっと待った甲斐があった」
「ひ! や、だ……ぃ、や」
乱暴に服を脱がされそうになって、ドクドクと心臓が脈を打つ。この感覚には覚えがある。俺は、感情的になると魔力が暴発してしまう。その被害がどれほど大きくなるか分からない。俺自身も魔力の暴発に巻き込まれて命を落とすかもしれない。いや、だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! こんなところで死にたくない! こんなところで終わりたくない! 誰か、助けて。お願いだから、助けて!
「旦那様! 警備隊に囲まれています! 早くお逃げください! このままでは」
「な、なんだと!?」
「警備隊って、なんでこんな早くに!」
「チッ! やっぱ公爵家の息子だと行動が早いな! 俺は先に逃げるぜ!」
「あ、狡いぞ! 待ちやがれ!」
「俺を置いて行くな! おい!」
「ま、待たんか! 私を裏切る気か! おい! こら!」
何が起こったのか、分からなかった。ただ、分かったのは、俺を襲っていた奴らの他に、もう一人部屋にいたこと。十五、六歳くらいの男の人。薄暗い部屋で顔がはっきり見えない。俺を独り占めする為に嘘を吐いたのかと思ったら怖くて、震えが止まらない。心臓の音も早くなるばかり。身体も熱くなっている。まずい。本当に、このままじゃ。感情を、抑え、ないと。屋敷ごと爆発す……
「大丈夫。俺は君に何もしない。約束する」
大天使様の優しい笑顔を見た瞬間、あれほど俺の身体の中で暴れ回っていた魔力が霧散した。
「大丈夫。俺は君に何もしない。約束する」
大天使様は容姿と心だけでなく、声も美しかった。高すぎず、低すぎない落ち着いた声。白く繊細な手が俺の背中を包み込み、大天使様に抱きしめられ、その体温を感じて俺は初めて声を出して泣いた。泣いて、泣いて、泣きじゃくって、大天使様に縋り付いて。大天使様はただ黙って俺の頭を撫でてくださった。俺が落ち着くまで、何度も、何度も……
俺が泣き止むと、大天使様は乱された俺の服を整え、俺の手をしっかり握って屋敷の外に連れ出してくれた。何処へ行くのだろうと不安になって大天使様を見上げたら、またふっと優しく微笑んで、俺の心臓がドキリと高鳴った。感情を抑えなければ、と慌てて胸に手を押し当て「あれ?」と思う。魔力が、安定している。今までずっと、体内で暴れる魔力に悩まされていたのに。
「はい……お願……ます。この子……いたのは……」
色々と考えている内に、大天使様は警備隊と話し合っていた。俺を保護してほしい、という内容のようだ。ぼうっとしていて最初の方は聞き取れなかった。警備隊は大天使様を怪しんで「誘拐犯はお前じゃないのか?」と質問して、俺は腹が立った。大天使様になんて無礼な発言を。万死に値する。俺は大天使様が口を開く前に「大天使様……お兄ちゃんは俺を助けてくれた。悪い人じゃない!」と無礼な警備隊員に怒声を浴びせた。奴らは肩をビクッと震わせ、大天使様への態度を改めた。全く。大天使様を犯人扱いとは、後でこの警備隊達を徹底的に調べてそれ相応の罰を与えてやるからな。覚悟しておけ。
「良かったね。お家に帰れるよ」
説明が終わったのか、大天使様は俺を見て、またにこっと微笑んだ。あぁ、大天使様の笑顔はこの世で一番美しい。ずっと見ていたいくらい綺麗だ。俺が見惚れていると、大天使様は俺の頭をそっと撫でてゆっくり離れて行った。慌てて彼の手を握ろうとしたが、警備隊に手を握られ、彼を追うことが出来ない。
待って! 待ってください! まだ貴方の名前を聞いていない! 俺の名前も教えていない! 行かないで、置いて、行かないで。大天使様! 貴方は命の恩人なんです。俺の心を救ってくださった大天使様なんです! 貴方が居なければ、俺は……
「ユベール! よく無事でいてくれた。誘拐されたと聞いて、どれだけ心配したことか! ぅう」
「ユベール!? 本当に、本当にユベールなのね! あぁ、ごめんなさい。ユベール。貴方を一人にするべきではなかった。本当に、本当にごめんなさい!」
「お父様。お母様……」
その後、俺は無事家族の元へ帰ることができた。お父様もお母様も涙を流しながら俺の身体をぎゅうぎゅうと抱きしめた。数年ぶりに両親に抱きしめられ、俺は二人に愛されていたんだと実感した。俺の身体には膨大な魔力が循環していて、まだ幼く未熟な身体ではその膨大な魔力を制御できず、時々暴発することがあった。お医者様から「感情的になってはいけない」と言われた。魔力が暴発する一番の原因は感情の浮き沈みだという。特に、怒り、悲しみ、恐怖、憎悪。この感情をなるべく持たず、静かに過ごすことが義務付けられた。
両親と会えば喜びすぎて暴発する可能性もある。魔力の暴発を抑える為に必要なのは、極力人と関わらないこと。もし、俺の魔力が暴発した場合、被害がどれだけ大きくなるのか分からない。最悪、自分の魔力で体がバラバラになるかもしれないと告げられ、俺は絶望した。五歳の時だった。
それから八歳になるまで、俺はずっと自室で過ごすことを強いられた。両親にも会えず、使用人も必要最低限。食事は扉の前に置かれ、合図を聞いてから自室に持ち込んで食べる。こんな生活を、一体何時まで続けなければならないのだろうか。お父様もお母様も、俺のことなんてどうでもよくなったのだろうか。ベルトラン公爵家の一人息子なのに、魔力量が多すぎるせいで普通の生活ができない。両親にも甘えられない。頼れる人もいない。ひとりぼっちの生活を三年も続ければ、当然心も病んでいく。
お医者様が言った通り、俺は感情を一切出さなくなった。何も感じなくなった。何も思わなくなった。そんな俺を診て、お医者様は「感情を制御することはできていますが、精神が不安定です。気分転換をした方がよろしいかと」と無責任なことを告げる。お前が、そうしろと言ったんだろう? だから俺はずっと我慢してきたのに、精神が不安定? 今更気分転換? 巫山戯るな。巫山戯るな。巫山戯るな! 俺の人生を壊しておいて、俺の普通の生活を奪っておいて、俺のことなんて全く心配していないくせに。
駄目だと分かっているのに、忘れた筈の怒りが心の奥底から込み上げてくる。スッと立ち上がると、何故かお医者様は腰を抜かして怯えていた。ブルブルと全身を震わせ、口をガクガクと動かし、瞳は恐怖に彩られ……
「ひぃ! ば、化け物!」
その言葉を聞いた瞬間、込み上げていた怒りが消え失せた。化け物。そうか、俺は、化け物だったのか。化け物だから、誰も俺に会いに来てくれないのか。誰も心配してくれないのか。お父様とお母様も、俺のことなんて……
気付いたらあの医者は居なくなっていた。気になってステラに扉越しに聞いてみると、お父様がクビにしたらしい。直ぐに新しいお医者様を探すから安心してほしい、と。安心? 何に、安心すればいいんだ? 感情を殺すことが最善の治療法なんだろ? いっそ、殺してくれればいいのに。そんなことを考えてしまうくらい、俺の心は荒んでいた。
十二月十日。八歳の誕生日に、俺は伯父さんに連れ出され、太った貴族に売られた。何時も優しくしてくれていた伯父さん。両親が会いに来てくれなくても、伯父さんだけは俺に会いに来てくれた。年に一回だけだったけど、俺はそれが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。お父様じゃなくて、伯父さんが俺の本当のお父様だったらよかったのにと、呟いたこともある。
「こら。冗談でもそんなことを言うんじゃない。クレマンが悲しむぞ?」
伯父さんは本当にいい人だった。とても優しい人だった。だから、俺は伯父さんが大好きだった。自分の両親よりも、伯父さんを頼るようになった。信じていたから。伯父さんだけは、何があっても俺を見捨てないって。信じて、いたのに……
「あぁ。やはり近くで見ると美しいな。流石はベルトラン公爵家の一人息子。これは、かなり楽しめそうだ」
「気に入ってもらえて光栄です。良かったな。ユベール。今日からこの方がお前のご主人様だ。ご主人様には逆らうなよ?」
「え? な、何を言って……ど、どういうこと? 伯父さん。ねえ、伯父さんってば!」
「触るな! このクソガキ!」
「い!」
伯父さんの手に触れようとしたら、その手をバシッと叩き落とされた。信じられなくて、信じたくなくて、俺は泣きながら伯父さんを見上げる。何時も優しかった伯父さんは、何処にもいなかった。目の前に立っているのは、憎々しそうに俺を見下ろして、狂った笑みを浮かべる知らない男。
「そういえば、今日はお前の誕生日だったな? ユベール」
「おじ、さ……」
「誕生日のお祝いに、いいことを教えてやるよ。俺はな、お前が産まれた日からずっと、ずっと、ずっと、お前のことが大っ嫌いだったんだよ! 本当なら俺がベルトラン公爵家を継ぐ筈だったのに、弟のクレマンの方が優秀だからとあのクソジジイは後継者に彼奴を選びやがったんだ! 長男の俺じゃなく、次男の彼奴をな! 家を継いだ後も何不自由なく過ごして、愛する妻とも出会い、後継者である息子までつくりやがった! 俺は、俺は全てを失った! 愛する妻と娘は不慮の事故で命を落とした! どんなに辛くても、悔しくても、二人が居たから頑張れた! 心から愛していた! 家族のお陰で、俺はやっと後継者という柵から、弟への劣等感から解放されたと思った! それなのに!」
「おじ、さん」
「お前に分かるか!? 愛する家族を失った者の悲しみが! 優秀な弟と比べられ続ける悔しさが! 長男なのに後を継げなかった惨めさが! 分かる訳ないよなあ!? 両親から愛されて、何不自由なく生きてきたお前には! 俺の気持ちなんて、分かる筈がねえ! 俺は家族を失ったのに、お前達だけ幸せに暮らすなんて、不公平だと思わないか? 俺が不幸になったんだから、お前も不幸になれよ。なあ? ユベール」
何も、言えなかった。優しい笑顔を貼り付けた裏で、伯父さんがそんなことを考えていたなんて知らなかった。伯父さんがずっと苦しんでいたなんて知らなかった。こんなの、単なる八つ当たりだ。頭では分かっているのに、伯父さんを責められなかった。ただただ辛くて、悲しくて。
「話は終わったのか?」
「あぁ。すみません。つい感情的になってしまって。さっさと連れて行ってください。そのクソガキを」
「勿論だとも」
そしてとうとう、俺は伯父さんに置いて行かれ、太った貴族の屋敷に連れ去られた。悪趣味な真っ赤なベッドに押し倒され、服の上から全身を撫で回され、顔の近くで荒い息が聞こえて、気持ち悪くて吐き気がした。「助けて」と叫びたいのに、「触るな」と怒りたいのに、俺の口から出るのは嗚咽だけ。
「あぁ。この白く滑らかな肌。たまらないなあ。ずっと待った甲斐があった」
「ひ! や、だ……ぃ、や」
乱暴に服を脱がされそうになって、ドクドクと心臓が脈を打つ。この感覚には覚えがある。俺は、感情的になると魔力が暴発してしまう。その被害がどれほど大きくなるか分からない。俺自身も魔力の暴発に巻き込まれて命を落とすかもしれない。いや、だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! こんなところで死にたくない! こんなところで終わりたくない! 誰か、助けて。お願いだから、助けて!
「旦那様! 警備隊に囲まれています! 早くお逃げください! このままでは」
「な、なんだと!?」
「警備隊って、なんでこんな早くに!」
「チッ! やっぱ公爵家の息子だと行動が早いな! 俺は先に逃げるぜ!」
「あ、狡いぞ! 待ちやがれ!」
「俺を置いて行くな! おい!」
「ま、待たんか! 私を裏切る気か! おい! こら!」
何が起こったのか、分からなかった。ただ、分かったのは、俺を襲っていた奴らの他に、もう一人部屋にいたこと。十五、六歳くらいの男の人。薄暗い部屋で顔がはっきり見えない。俺を独り占めする為に嘘を吐いたのかと思ったら怖くて、震えが止まらない。心臓の音も早くなるばかり。身体も熱くなっている。まずい。本当に、このままじゃ。感情を、抑え、ないと。屋敷ごと爆発す……
「大丈夫。俺は君に何もしない。約束する」
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