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64 戻れないところまで来てしまったby聖女

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 好きな人がいた。でも、その人は遠い世界の人で、私とは決して触れ合えない世界にいる。

 2次元という名の世界に。


「イグナート様・・・」

 乙女ゲームのパッケージに描かれた、赤髪の王子。それが彼女の一目ぼれだった。
 このパッケージイラストを見て恋に落ち、ゲームをプレイして戻れないところまで来てしまった。
 いつも思うのは彼のことばかり、現実の男の馬鹿なところばかり目について、そんな男どもと彼を比べては一層恋を育てていく。
 戻れないところまで来てしまった。しかし、そこまでならどこにでもいる、推しがいる少女でしかない。

「必ず、会ってみせる!たとえ、悪魔に魂を売ったとしても!」

 薄暗い部屋、明かりは10本程度のロウソク。手作りの祭壇に、黒いローブを着て、杖と中古本屋で買った黒い魔術書を持つ、女子高生。
 戻れないところまで来てしまった・・・本当に。

「今日、私の願いが叶う・・・はず。5万円かけて通った黒魔術教室も無事卒業したし、1万円で買った黒魔術上級セットも用意したし・・・よくわからないけど、簡単召喚魔術魔法陣ブランケットも買ったし。たぶん、準備万端ね。」

 不安が残る・・・というより、ほぼ駄目だろうなと思いながらも、彼女は黒魔術教室で習った、願いを叶える悪魔の召還方法を始めた。

 黒魔導書に書かれたよくわからない言語を、カタカナのルビの部分だけ見て読み上げ、杖を付属の「杖で描く魔法陣」と書かれた紙を見て、その通りに動かす。

「・・・グレズッバ、バルーアルアジアール!」

 最後の呪文を噛まずに言えたことに感動しながら、杖を高く上げた。

 これで、儀式は終わった。これで願いを叶える悪魔が召喚されてくるはずだ。

「・・・」

「・・・」

「・・・まだ?」

 さっと、黒魔術書に視線を落とし、注意事項の欄を見る。

「えーと、儀式が終わって5~10分ほど待ちましょう。10分待っても悪魔が現れない場合は、儀式は失敗です。速やかに片づけを行い、使った場所は元通りにしましょう。」

 なんだ、すぐ来るわけではないのか。
 残念なようなほっとしたような微妙な気持ちになった彼女は、近くの椅子に腰を掛けた。
 イグナートが描かれたパッケージを取り出して、彼女は悲しそうに目を伏せた。

「・・・ま、失敗したとしても・・・悪魔にだって私の願いはかなえられないよね。イグナート様に会いたい・・・けど、それが無理なことくらい・・・」
「イグナートとは、どの男のことだ?」
「え、あぁ。この真ん中に描かれている、赤い髪の素敵な人。王子なの。好きなものはピクルス。嫌いなものはジュース。甘い飲み物が嫌いみたい。気が弱くて、守ってあげなきゃって感じなんだけど、実はそれは演技で、周りが手を貸してくれるのを狙っているの。自分が楽をするのに手段を選ばない人なんだけど、いざってときは一番頼りになって」
「待て。お前、もう少し驚くとかはないのか?ここはお前の部屋で、両親は不在。俺がこの部屋にいることを驚くなり怖がるなりするべきだと思うが?」
「・・・わっわわわわ!」

 目の前に立っている男を認識して、少女は椅子を倒して部屋の隅に逃げた。その反応を見て、呆れた視線を男はおくる。

「あ、あんた、誰よ!勝手に部屋に入ってくるなんて、あ・・・ぎ、儀式の途中なのに!あんたのせいで失敗しちゃったじゃない!人に見られちゃいけないのよ、どうしてくれるの!」
「儀式なら成功したと思うが?願いを叶えて欲しいのだろう、小娘。俺が願いを叶えに来てやった。」
「え・・・てことは、あなたが悪魔?」
「・・・まぁ、その認識でいい。とりあえず、その赤い男に会わせればいいのだな?」
「え、うん。」
「それならちょうどいい。その顔の男なら、知っている。」
「え・・・」

 男の言葉に思考が停止した少女は、次の瞬間には狂気乱舞して、男を引かせた。

「やっほー!やった~神様仏様・・・あ、この場合悪魔か。とにかくありがとうー!まさか、イグナート様が存在していたなんて!」
「いや、イグナートではないが・・・ま、顔が同じならいいだろう。」
「何か言った?」
「あぁ。願いを叶えるのは構わないが、条件がある。実は今、聖女をとある世界に送らなくてはならなくてな・・・お前、聖女をやってくれるか?」
「え、嫌だ。」
「その世界にその赤い髪がいるぞ。」
「ぜひ、やらせていただきます!」
「契約成立だな。」

 聖女などというわけのわからないものはごめんだった少女だが、彼に会えるとなればそのようなことどうでもよくなった。

 そして、悪魔が出した条件は、聖女としてその世界で人間の安全を確保するというもので、話を聞いてもよくわからなかったので、何をすればいいのか具体的に聞いた。

「あー・・・とりあえず、聖剣を手に入れろ。それから、戦う時に実際戦う奴へお前の中にある聖力をやればいい。」
「せいりき?それって、キスしたりするってこと!?嫌だよ、私はイグナート様が・・・あぁ、でも、イグナート様だったら・・・」
「何を言っているかわからないが、手をつなぐだけだ。」
「あ、なーんだ。」
「それじゃ、あっちへ送るぞ。」
「わかった。」
「そうそう、お前と一緒にもう一人送るが・・・そいつ、魔人になるからな。処分はお前が考えろ。」
「は・・・えぇ!?ちょっと、聞いてないって。それどういうこと!?」

 少女の足元に、輝く魔法陣が現れた。そのことに少女は慌て、手をバタバタと動かすが何も変わらない。

「ちょっと待って!魔人ってどういうこと!」
「その世界に行くと、聖力と魔力を器に注がれる。だが、聖女は聖力のみを持っている者のことを指すからな、魔力はいらない。だから、その魔力を別の人間に移して、その人間の聖力を空になった部分に注ぐんだ。」
「器?と、とにかく、私に与えられるはずだった魔力をその人に押し付けるってこと!?」
「そうだ。そして、魔力のみで満たされた人間は、魔人になる。聖女の反対だから、魔女と言ってもいいかもしれないな。」
「そんな・・・それって大丈夫なの?」
「向こうの世界の人間に知られれば、殺されるかもしれないな。お前たちは、大きな器にそれぞれ聖力と魔力を持っているが、それを使うすべはない。つまり、ただのタンクでしかないからな。」
「うそ・・・そんな。」

 少女の体は、白い光に包まれて、男が見えなくなる。

「そんな心配するなら、お前が守ればいい。そいつが魔女だってわかる人間なんて、一握りだ。そういう奴がいるところに行かせなければいいってだけだ。」
「それって、どこ!?」
「さぁ、権力者がいるところじゃねーの?」
「そんな、テキトーな!」
「ま、頑張れよー」
「ま、待って!もっと詳しく!予備知識はしっかりとさせてーーーー!」

 少女の叫びは白い空間にむなしく響くだけで、答えはもう返ってこなかった。
 こうして、ただの2次元に恋する女子高生は、異世界で聖女召喚されることになった。



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