小金井は八王子に恋してる

まさみ

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三十話

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 「だーれだっ」
 「うわ、ちょっとジャマしないでくださいよ、チャット画面が見れないでしょう!?」
 おもむろに目隠しされキーボードにのっけた手がすべる。
 だーれだもなにもこの部屋にはぼく以外に小金井しかいない。
 「~小学生ですかあんたはっ、ひとがパソコンしてるのジャマしないでザクと対話して大人しく待っててください!」
 「小学生だもーん」
 「こんな図体でかくて声低い小学生いません」
 目を覆う手のひらをべりっと引き剥がし猛然と振り向く。
 小金井はザクと膝詰め対話していた。
 「だって東ちゃん、せっかく退院したのにパソコンばっかでつまんねーんだもん。酷くね?二週間ぶりに四畳半復帰した居候ほっといてさあ」
 「う。……まあそれは悪いとおもってるけど、ちょっと待っててくださいって言ったじゃないですか」
 不満顔で詰られ言葉に詰まる。
 小金井の言い分も一理あるといえよう。
 「チャットと俺とどっちが大事?」
 「選べませんよ!」
 「……『俺』って即答しないんだ……ちょっと傷付いた」
 まずい、本格的に拗ね始めた。
 小金井が頬袋を膨らませ、しょんぼりとぼくの肩でのの字を書く。
 チャットにやきもちやくとか大人げないにもほどがある。
 待てができないなんて出戻りヒモ失格ですと説教してやろうかと思ったが、今日退院したてのヒモにきびしく当たるのも良心が咎める。
 ふてくされたヒモは放っておき、再びパソコンに向き直りたどたどしくキーを叩く。
 ……やっぱり打ちづらい。
 引き攣る火傷の痛みにいちいち顔をしかめつつ、右手をメインに左手を添え、一字ずつ文字を打ちこんでいく。
 「ねーねー東ちゃん」
 「うるさいな、あっちいっててください」
 「ねーってば」
 「ザクと遊んでてください。あ、くれぐれも壊さないように。腕むりに曲げたりしたら八代先まで祟ります、折ったら末代まで」
 「そういうのあり?ありなわけ?けが人だよ、今日復活したばっかだよ、もうちょっといたわってくれてもバチあたんねーよ」
 「やたら態度のでかい自称けが人は労わりたくありません」
 「つめてー」
 「毎日見舞いにいった上入院中退屈しないようアニソンメドレー入りアイポッドさしいれたのに……どっちが薄情ですか、電車賃往復で請求しますよ。だいたい大げさなんですよ、脂汗垂れ流して死にそうな顔色で呻くもんだから瀕死の重傷かとおもったら全治二週間って……詐欺ですよ、詐欺!!」
 拍子抜け。
 小金井のけがは実は大したことなかった、二週間でけろりと退院したことから推してしかるべしだ。今にも死にそうに青ざめた顔色と大量の脂汗、苦しげに乱れた息遣い、とどめは「最後に」「行かなくちゃ」と遺言ぽい台詞のオンパレード。
 瀕死の重傷と誤解しテンパらないほうがおかしい、さんざん振り回され死なないでと泣いてすがってばかみたいだ。
 「えー。だってあン時はマジ痛かったし、東ちゃんがうるうる目え潤ませるもんだからついのっちゃって」
 倉庫からの逃走劇、およびヤクザとの銃撃戦から二週間が経つ。
 控えめにいって激動の二週間だった。
 警察に呼ばれ色々事情を聞かれるし、親に連絡が行ってこってり絞られ、大家さんには「無事だったのね八王子くんマグロ漁船にのったまま帰って来ないと思った!」と窒息する勢いで抱きつかれた……どうも噂に尾ヒレがついて流布してるようだ。
 現実との関わりを避け暗い部屋にひきこもってたぼくが、世間の荒波に揉まれまくった二週間だった。
 銃撃戦の現場でララが警察にかけあい救急車を呼び、小金井は即病院に搬送された。
 一時は本当に危なかったのだ。
 小金井は激しい運動で貧血をおこしていたし、担架にのせられ運ばれていく小金井に付き添ったぼくもララも異常な雰囲気に飲み込まれ「小金井さんしっかりして!」「やだやだリュウが死ぬのいやだまだ赤ちゃん見せてないのに!」「作りかけのザク放置したまま死ぬなんて許しません、死の淵から這い上がって再びモデラーナイフをとってこそガンオタです!」「リュウ死んだら携帯の中身見るよ、歴代元カノに女性遍歴暴露して修羅場で刃傷沙汰だよ、それがいやなら生き返って!」と泣いて叫んで無茶言って、病院関係者の方々に多大な迷惑をおかけした。
 ……ごめんなさい、反省してます。
 病院の廊下は走っちゃいけない。
 「あん時は肝が冷えたよ……元カノのアドはちゃんと消しとくべきだよね」
 「聞いてたんですか?」
 「うっすらと。覚えてるよ、ララちゃんと東ちゃんが処置室まで付き添ってずっと手え握っててくれた」
 小金井が幸せそうにふにゃけた顔でぼくの腰に腕を回し、背中にぽふんと顔を埋める。
 ……熱い息がうなじにかかってくすぐったいし、身動きとりにくい。
 相変わらず漫画ラノベゲームが爆心地の如く乱雑に散らかり放題の部屋。
 ぼくと小金井以外だれもいないのに、棚に飾られたガンプラフィギュアの視線を気にしそわそわ挙動不審を呈す。
 「べたべたしないでください、暑苦しい……キー打てません……」
 「パソコンなんていつでもできるじゃん。構ってよ」
 ぼくの手に手を添えキーから払う。
 後ろ抱きの息の湿り気をうなじに感じるとともに、さわられた手がカッと火照る。
 小金井の肩を抉った弾丸は、さいわい重要な血管をそれていた。
 今もまだ服の下に包帯を巻いてるが、腕が元通り動くようになると聞いて本当に安心した。
 「血、ありがとう。まだちゃんとお礼言ってなかったから」
 「蚊ですか」
 「俺ん中に東ちゃんの血ながれてるんだね」
 「気持ち悪いこと言わないでください」
 ……改めて言われると妙な感じだ。
 大量の血を失い一時危険な状態におかれた小金井は輸血を必要とし、ぼくは血を提供した。
 どうでもいいが、テキトーな小金井がぼくとおなじA型というのは腑に落ちない。
 「針刺すの怖くなかった?注射、ブスッて」
 「……怖かったけど……その……」
 「うん?」
 小金井を失うほうが怖かったなんて素面で言えるか。
 何々とにんまりほくそえみ顔を近付けてくる小金井がうざったくて、そっぽを向く。
 幼稚園から予防注射のたびびびりまくり、生まれてこのかた二十二年献血とも無縁に生きてきたぼくにとって、自ら名乗り出ての輸血は大冒険だった。

 小金井の中にぼくの血が流れてる。
 少しでも彼を生かす力になれたら嬉しい。

 小金井がジーッとパソコン画面を覗き込んでいるのに気付き、冷や汗をかく。
 「見ないでください!!」 
 慌てて腰を浮かせ、ばたつく両手で画面を隠す。
 「えーいいじゃんよ、ケチ」
 「だめです絶対だめ、しっしっ」
 「んだよ、こないだは俺もチャットにこないかってのりのりだったくせに」
 「あの時はあの時、今は今です!!」
 チャットにはまりろんちゃんが在室している、まりろんちゃんの名前がばっちり表示されてる。
 発言数の少ないぼくをよそに紅一点アイドルを迎えたチャットの盛り上がりは最高潮に達し、今しもタートル仙人さんが熱烈「脱げ!脱げ!」コールを送っては、常識人のハルイチさんに「テンション高すぎますよ仙人さん、それセクハラですから」いましめられている。
 まりろんこと森は「えーそんなにまりろんの裸見たい?ふふ、まりろん脱ぐと凄いんだから。引くよ?」「え、なに、どうすごいの?巨乳的な意味で?」「傷だらけで(笑)リアルケンシロウだもーん」と応じる。
 ……ううむ、できるぞこやつ。
 幸か不幸かふたりとも性別詐称については気づいてない。
 まりろんちゃんの正体を知ってるのは唯一ぼくだけ。
 再来月のオフ会が色んな意味で心配だ。
 「………みんな元気そうだな」
 二週間ぶりに顔を出したチャットには全員そろっていた。
 タートル仙人さんもハルイチさんも仮釈放中の森……まりろんちゃんも。
 ちょっとした同窓会気分を味わい、自然と顔がにやけてしまう。
 他人に指摘されなくても、青白く不健康な光放つ液晶と向き合ってほくそえむ自分は気持ち悪いと思う。
 小金井はぼくの手の下から覗き込むようにして頭を低め、と思えば指の隙間から覗き見るように目を細め、書き込みを斜め読みしていく。
 「な、なんですかっ」
 後ろめたさに声が上擦る。
 まさか、まりろんちゃんの正体に気付いた?
 銃撃戦の現場でぼくは森を指して「まりろんちゃん」と大声で叫んでいる、あの時はどさくさ紛れで流れたし当事者以外は意味不明だろうと高を括っていたが、ばれたら非常に気まずい。
 小金井は何か言いたげにチャットとぼくの顔とを見比べる。
 ぼくの腹の下でゆるく組んだ手をぶらつかせ、背中にぴとりひっつく。
 「……ずるい。チャット馴染みにはちゃんづけのくせに、どうして俺はいつまでもさんづけなの?」
 「はあ?」
 脱力。
 「俺には敬語なのにチャットでは砕けてるし……一ヶ月以上一つ屋根の下で暮らしてんのに、さんづけに敬語って水臭い」
 「……チャットの面々とのほうが付き合い長いし、しかたないです……小金井さんとはまだ一ヶ月だし」
 「もう一ヶ月」
 なんだか罪悪感。
 小金井は不満顔。
 ひょっとして、これは……嫉妬?
 ぼくの手を少し強めに掴み、むりやりキーボードから引っぺがす。
 「!あ、ちょ、待、勝手に電源切らないで、ちゃんと手順踏んで終了させなきゃ壊れる!」
 鼻歌まじりに終了手続きをとる小金井に抗議の悲鳴を上げる。
 しかし小金井はためらわず、ぼくの脇から手を突っ込みカチャカチャマウスクリック、むりやり終了画面にもっていく。
 「もー退室の挨拶もしてないのに落ちちゃってチャットのみんなが気を悪くするじゃないですか非常識な!」
 「友達ならそんくらいで嫌いになったりしないよ」
 「じゃなくてネットマナーの問題、」
 続きは言わせてもらえない。
 退室の挨拶もできずチャットから弾かれ、腹を立てるぼくの裾に、するりと手がしのびこむ。
 「!!んっ、や」
 不意打ち。
 片手でマウスをクリックしつつ、もう片方の手を腰に回し、裾をさばいて脇腹にもぐりこませる。
 パソコンの明かりが落ち、電源が切れる。
 小金井が背中にはりつく。
 ささやかな衣擦れの音が耳につく。
 「……やめ……へんなとこさわんないでください、ふは、くすぐったい……」
 くすぐったいだけじゃないから、怖い。
 口からこぼれた笑い声に官能が含まれているのに気付き、羞恥に頬が熱くなる。
 弱々しく身をよじり小金井の手を払おうとする、だけど小金井はぴとり密着しはなれない、この男しぶとい、ぼくの腰に手をまわしもぞつかせる、裾をさばいてもぐりこんだ手が弱い脇腹を揉む。
 小金井が一際感じやすいうなじを控えめに吸う。
 「やさしくするから」

 『次はやさしくしてください』
 ぼくの言葉を、約束を、ちゃんと覚えていた。
 けがで意識が飛んでたのに。

 「……忘れていいことばっかおぼえてるんだから……」
 「東ちゃんが言い出したんだよ?わー積極的」
 「あれは……あの時は、特別……ひっ!」
 脇腹を繊細に愛撫され、色気のない声が口から迸る。
 過敏な反応に小金井がしてやったりと含み笑う。
 「効果抜群。もいちど東ちゃんを抱きたくて戻ってきた」
 「……抱くとか言わないでください、男に」
 「やらしいことしたくて」
 「……ますますだめだ……」
 次第に呼吸に抑制がきかなくなる。
 小金井の手が腰に回りゆるやかに上下する、性感帯を探り当てるように。
 服の上から愛撫されるだけでぞくぞくと快感が走り抜け息が上がり始める。
 小金井の手が上に移動していく。
 「―んっ……」
 「やらしい声」
 「やらしくないです」 
 「やらしいよ。腰に来る。すっげ興奮する」
 「こがねいさんのほうがやらしいです……ふぁ、あふ」
 この状態は、非常にまずい。
 危険な密着度。
 後ろから抱きすくめられ身動きとれない、電源を落とした液晶の暗い画面に自分の顔が映る、鼻梁にずりおちた眼鏡の奥で熱っぽく潤んだ目が揺れる。
 小金井がうなじに強弱つけキスをする。
 いやだ、だめだ、堪えろ、流されるな、流されるのはぼくの悪い癖だ。
 「んぅ……だってこがねいさん、退院したばっかなのに……傷ひらく……」
 「二週間お預けだったんだよ?ガマンできねえ」
 切羽詰った声が官能に火をつける。
 うなじをついばむ小金井の顔は見えない。
 他人にさわられる不快感とか恐怖とかそういうのは当然あったはずなのに、何故だろう、小金井にべたべたされるのは嫌じゃない。
 もうかなり前から気付いていた、自分の変化に。
 風呂場で後ろから犯された時は顔も見たくないとおもった、激烈な拒絶反応を示し追い払った、それが今は
 「こがねいさんっ、あの」
 「ん?」
 「……電気、消さしてください」
 快楽に押し流されそうになって踏みとどまり、これだけは譲れないと必死な声を絞る。
 抱擁の拘束がゆるむ。名残惜しげな小金井の腕から抜け出し立ち上がる。
 どうしよう心臓がばくばく言ってる、顔が熱い、全身が火照っている。
 ぼくから言い出したことだ、往生際が悪いぞ八王子東、変わりたいんじゃないのか、まずは約束を守るところからだ。
 深呼吸一回、電気の笠からたれた紐に手を伸ばし棚にずらり並ぶガンプラと目が合う。
 小金井に二回目に襲われた夜、夢中で舌を絡めあっていたさなか、キュアレモネードと目が合った事を思い出す。
 紐から手をはなし棚に向かい、こっちを向いたガンプラおよびフィギュアを、一体ずつ丁寧な手つきで後ろへ向かせていく。
 「まだー東ちゃん?」
 「文句いうなら手伝ってくださ……たんま、今のなし、手垢がついたら困る」
 「……さりげにひどくね?」
 畳を這って面倒くさげに手伝いにきた小金井を追い払えば、さすがに機嫌を悪くする。
 棚の真ん中、ひときわ目立つところに安置してあるのは、チンピラに壊されたあのザク。
 折れた腕と足は接着剤で継ぎ済みだが、覆面に穿たれた拭い去れぬ弾痕に胸が痛む。
 胸の内でごめんと謝りつつ、ザクをくるり後ろに向かせる。
 ガンプラやフィギュアを一体残らず反対側にひっくり返したのを指さし確認後、よしと頷く。
 「まだー?」
 「うるさいな今いきますって!」
 情緒もへったくれもないヒモについいらだち、ヒステリックに声を張り上げる。
 いい加減退屈しはじめた小金井がわざとらしくあくびなどするのが癪だ。
 感傷を台無しにされた腹立ちも手伝って大股に中央に取って返し、紐を引く。
 電気を消す。
 部屋が暗闇に包まれる。
 突然視界が暗くなり、それに応じ鼓動が跳ね上がる。
 漠然と不安を覚え、小幅でせこせこ歩き回り、虚空を手探りして小金井を求める。
 「!っあ、」
 その手をぐいと掴み、引かれる。
 熱く柔らかいものが顔面にあたる。
 小金井の胸に倒れこんだ、らしい。
 続く衝撃、背中を受け止めるせんべい布団のしけった感触。
 部屋の片隅にしきっぱなしの布団にふたり縺れ合って倒れこむ、というか押し倒されたんだ正確に言えば、急展開に思考停止、小金井の腕の中でしきりと身をよじってもがく、抜け出そうとあがく。
 覚悟を決めたはずだ。
 でも怖いすごく怖い、じゃあ全然決まってないじゃないか、ガンプラフィギュアはそろって回れ後ろで電気も消して準備万端あとはヤることヤるだけ、でもなんかいきなりだ、二週間ぶりだ、そりゃこの二週間毎日見舞いにいってたけど小金井が部屋に戻ってくるのは二週間ぶりで、二人おなじ布団に寝るのも二週間ぶりで、そりゃ嬉しいけど、でもなんだろうなんていうか
 「あの、こがねいさっ、いたっ、苦しい!」
 「ごめん、加減忘れた……痛っ!」
 「ほら言わんこっちゃない、傷開いたでしょ今!?」
 「ひらいてないひらいてない、畳におっこってたモデラーナイフが突き刺さっただけ。電気消す前に危険物チェックしといてよ東ちゃん」
 「もうやめましょうよ、別に今日じゃなくていいし、今日やる意味ないし、全快してからでも遅くないし、あ、ほら、ご近所迷惑ですここ壁薄いしお隣に筒抜けだしまかり間違って声聞かれでもしたら外歩けな……どさくさまぎれに服に手をかけないでください!」
 油断も隙もあったもんじゃない。
 手が早いというか手癖が悪いヒモが、勝手に服を脱がそうとするのに抗う。
 性急な衣擦れの音に混じる性急な息遣い、他人の手で服を脱がされる羞恥と屈辱にまた顔が熱くなる。
 嫌々と首を振り、非力なりに手を突っ張って小金井を押し戻す。
 「自分で脱げますから……子供じゃないんだし」
 「脱がしたいの」
 わがままだ。
 「手えあげて」
 「……………」
 「返事は?」
 「…………はい」
 諦めの息を吐き、言うなりに腕をあげる。
 降参、万歳のポーズ。
 相手はけが人だ、無思慮に暴れまくって傷が開きでもしたら一大事。
 我慢、我慢だ八王子東、今だけ耐えろ。
 子供みたいに腕をあげ脱がされるのを待つ。
 揉みあいに勝利した小金井がほくそえみ、ぼくの上着の裾を掴み、手馴れた動作で引き上げる。
 下腹が外気に晒される。
 ついで痩せた腹筋、薄く貧相な胸板、左右対称の鎖骨、脆弱な首筋と露出させていく。
 首のところでつっかかり、逆さになった上着が顔を覆う。
 首からすっぽ抜けた上着を放り捨て、今度は自分が脱いでいく。 
 暗闇で目が見えないせいで耳が過敏に研ぎ澄まされる。
 見えないからこそ想像が逞しくなる。
 服がぱさり畳に落ちる。
 上半身裸になった小金井が布団に膝をつき、ぼくの方へと手を伸ばし、反射的にびくりと硬直。
 ぎゅっと目を瞑る。
 強張る肩を手が包む。
 風呂場のフラッシュバック、あの時乱暴に掴んだ肩を今度は壊れ物でも扱うように優しく包む。
 「………キス………していい?」
 ごく小さく頷けば、それを待っていたように、暗闇の中顔が迫る。
 肩を掴む手から緊張が伝わる。
 顎をそらし、顔を上向け、待つ。
 熱く湿った息遣いが顔にかかり、心臓の鼓動が爆発寸前まで高鳴る。
 唇に熱く柔らかいものが触れる。
 小金井の唇。
 思わず身を引こうとするも肩を掴んで阻まれ、今度はもっと深く、強く吸われる。
 「!ん、」
 巻き起こる嫌悪感、それを圧してこみ上げる甘い疼き、くすぐったさ。
 思い出す一回目のキス、二回目のキス、これで何度目だ?
 風呂場ではキスされなかった裸のうなじや肩や背中に一方的にキスされた、これは合意だ、というかふたりとも意識ある状態で合意のキスは初めてじゃないか?
 前歯をぶつけないように慎重にキスをする、唇を味わう。
 怖い。
 本能的な恐怖と拒否感、粘膜をこねあう嫌悪感、他人と接触するのが怖い、怖くて怖くて気持ち悪い、だからこれまで徹底して接触を避けてきた、なるべく人と関わらないようにして生きてきた、だけど今小金井と唇を重ねている、これはぼくの意志だ、受身で流されてるわけじゃない、そう信じたいけど
 「……ん、ふあ、はっ、はあ……」
 上手く息が吸えない、苦しい。
 唇を重ねるだけじゃ足りず、舌を絡める。
 最初は試すように遠慮がちに、次第に大胆に濃厚に、たがいの唾液を飲み交わし口腔をむさぼる。声……なるべくだしたくない、聞かれる恐れがある、お隣さんにばれたら生きてけない、ただでさえエロゲの声聞かれて生き恥かき捨てなのに……
 横目で隣との境の壁をうかがう、壁沿いに視線をめぐらしガンプラや本棚、机の配置を無意識に確かめる。
 そうやって意識をそらしてないと熱に押し流されてしまいそうで怖い、口の中からどろどろに溶けてしまいそうで怖い
 「ふあ、あふ、んくっ、こがねいさ、も、や……めてくださ、いっ、息すえなっ……くるし……」
 キスが長く続き酸欠状態に陥る。
 塞がれた唇の隙間から息を吸う、前歯がせわしくかちあう。
 小金井はキスが上手い、対するぼくはへたくそだ、小金井がせっかくリードしてくれても上手く応じられない、無心になるあまり前歯をぶつけてしまう。
 唾液の糸引き唇がはなれる。
 口腔の粘膜をさんざんかき回し溶かされ、恍惚と目が潤む。
 頬の裏側、舌の裏側に性感帯があったなんて知らなかった。
 「……やーらしい声。ヤクザにも聞かせたの?」
 「聞かせたくて聞かせたんじゃな……いっ!」
 へそのくぼみをなめられ、未知の感覚に仰け反る。
 小金井は腹筋にそって犬のように舌を使う。
 唾液をこね回す音が淫猥に響く。
 布団の端を掴み、腹をなめまわされる気色悪さに耐える。
 「そこ、きたない……から、やめ……」
 「いいの?でかい声だすとお隣に聞こえるよ」
 声を堪えるぼくの表情を意地悪く笑みを含んだ目で観察しつつ腹をくだっていく。
 ジッパーが噛みあう音。
 「………ちょっとでっかくなってる」
 「言わないでください……」
 「……明るいとこで見たかったな。知ってる?東ちゃんのここ、キレイなピンク色なんだ。赤ちゃんみたい」
 「どうせ童貞です……妄想とエロゲだけが友達です……ち、小さいし……なんか、色々とアレだし」
 こないだ剥けたばかりだし。
 風呂場で股間に手を回され、無理矢理剥かれた屈辱的な記憶がぶりかえし、腹立ち紛れと照れ隠しで口走る。
 「こ、こがねいさんのも、さわらせてください」
 「え?」
 ……バカか、ぼくは。
 「だって、その、ずるいじゃないですか。フェアじゃないです、自分ばっか。風呂場でもそうです、自分ばっか勝手にいじくってたのしんで、その……今度はぼくの番だってことが言いたい」
 語尾がしゅるしゅるとしぼんでいく。
 自分でも何言ってるのかわからない、意味不明だ。

 小金井がぼくの手にふれる。
 びくりと竦む。

 「いいよ。さわってみ」
 秘密めかし囁き、ぼくの手を自分の股間へと導く。
 布越しに熱く脈打つ肉を感じ、ぼくのものとは明らかに違う形と存在感に手を引っ込める。
 「入んないです、こんなの……むり……」
 泣きたい。
 すでに半泣きだけど。
 「入るって。だいじょうぶ、一回入ったじゃん」
 「強引に突っ込んだんじゃないか、やだって言ったのに……」
 「ちゃんと慣らすから」
 「痛いのいやだ……です……」
 「なるべく痛くしないようがんばる」
 それでがんばるのはなにかちがう気がすごくする。
 駄々をこねるぼくの背中を、むずがる赤ん坊をあやすような手つきでさする。
 小金井の手が下着の内側に忍び込み、少しだけ勃ちあがった性器を包む。
 「……んッ……!」
 「……キスだけで感じたんだ?すっげー敏感」
 テクニックを勝ち誇って低く笑い、手に包んだそれをゆるゆると擦る。
 「口塞がれて……唾液にむせて、息吸えてなくて苦しかったくせに、カラダはちゃんと興奮してたんだ?俺の舌にめちゃくちゃにひっかきまわされて、ここ、こんなに固くして……」
 似たようなシチュ本で読んだぞ、言葉責めってヤツだ。
 その手にのるか。
 じらされ股間をしごかれ、こみ上げる甘い喘ぎを堪え、頬にさした赤みを悟られぬよう小金井の胸にことんと額をもたせる。
 「感じやすくした責任とってください……」 
 接触過敏症になったのは小金井のせいだ。
 小金井のせいで。
 小金井がやたらべたべたさわってくるから、手のひらも、背中も、腹も、カラダの全部が性感帯になってしまった。
 上着の胸を震える手で掴み、縋り、上擦る息を抑えて掠れた声で訴える。
 「!うあっ、」
 小金井の片手が背中に回り、背筋にそってなで上げれば、悪寒と紙一重の快感が走り抜ける。
 窮屈なジーパンを剥き、完全に下半身を外気に晒す。
 一糸まとわぬ下半身に小金井の凝視を感じ、恥辱で頭の働きが鈍る。
 「……東ちゃんの肌、すべすべ」
 「……もともと薄いんです……」
 「前も薄かったしね。ほとんど生えてない。……さわり心地がいい、髪と同じくらい」
 背中にあたる布団の感触。
 被さる人影の肩越しに仰ぐ天井の木目が、闇に慣れつつある目におぼろに像を結ぶ。
 眼鏡がずれたせいで視軸がぶれ、間近にあるはずの小金井の顔がよく見えない。
 押し殺した吐息の下から、小金井ががらにもなくためらいがちに聞く。
 「眼鏡はずしていい?」
 「いやだ……」
 「キスの邪魔」
 顔が迫り、鼻の先端が触れ合う。
 ぼくの表情をうかがいつつ眼鏡の弦に手をのばし捧げ持つ小金井に対し、左右に首振り拒む。
 「どうして。恥ずかしい?」
 素顔を暴かれるのは恥ずかしい、羞恥心の抵抗を感じる。
 眼鏡はぼくにとって視力矯正の道具であると同時に人を遠ざける防壁だ。
 でも、それ以上に。
 目を伏せがちにし、油断すれば眼鏡を奪おうとする手を拒み、頑固に首を振る。
 「だって、これがないと……こがねいさんの顔がよく見えない……」
 暗闇の中で眼鏡をはずせば迷子になった気がする。
 小金井が遠くなってしまう。
 突然、抱きつかれた。
 「あーもー畜生っ、可愛いなあ!!」
 「うあ、やめ、倒れる!?」
 やけっぱちのように叫びぼくの背中にぎゅっと腕を回し頬擦りする小金井、過激な愛情表現に心臓がばくばく言う。
 小金井ごと布団に倒れこむ、拍子に眼鏡がまたさがり視界がぼやける。
 小金井の手が背から腰へ、その下へと移り、ぼくの両足を抱えて割り開く。
 股間をさらけだす卑猥な体勢を強制されあまりの恥辱に涙さえ浮かぶ、小金井とまともに向き合えず唇を噛みそっぽを向く、両手で布団をひっかく。
 小金井が自分の指を一本ずつしゃぶり唾で湿し、十分潤ったその手を、ぼくの後ろ、窄まりへと潜らせる。
 「ひっ!」
 膝に絡まったジーパンと下着の中の窮屈な締め付けが抵抗を封じる。
 後ろにひやりとした感触、唾でぬらした手が窄まりの周囲でねっとり円を描く。
 排泄の用しか足してなかった器官に指が入りこむ。
 異物を挿入され括約筋が収縮、抵抗を示す。
 「あっ、や、うあ、気持ち悪……動かさないで……」
 内腿が引き攣り、ざらつく鳥肌が立つ。
 体内で異物が蠢く不快感と拒絶感に背中が突っ張り、ひくひく痙攣が襲う。
 ある程度覚悟していたが、生理的嫌悪がものすごい。
 本来出てく場所に物が入ってくる、何かが絶対間違ってるという本質的違和感を拭い去れない。 
 だけど小金井は容赦しない、指を抜く素振りも見せない。後ろの窄まりに挿入した指で粘膜をこね回し、中をひっかき、浅くピストンさせる。
 「うあっ、や、やめ、んんッく……」

 気持ち悪い。
 怖い。
 膨れ上がる生理的嫌悪と吐き気。
 だけどそれとは違う、熱い感覚がじんわり下腹部を中心に広がりだす。
 指が一本、二本と増える。
 律動的な抜き差しに合わせ、もっともっととねだるように、自然と腰が揺れだす。
 最初は気持ち悪いだけだったのが、緩急つけた抜き差しに煽られ、徐徐に違う感覚が芽生え始める。 

 声……まずい、聞かれる。
 こんなことなら大音量でテレビつけとくんだった。

 「ふむっ、ふぐ、ふむぅ」
 仕方なく片手で口を塞ぐ、それだけじゃ足りず手の甲を噛み声を殺す、指の抜きさしに合わせくぐもった喘ぎを漏らすぼくに小金井が少しあきれる。
 「そんな面白い声あげないで、素直に出せばいいじゃん」
 「声……アパート、聞かれたくない……ただでさえエロゲの声聞かれて恥ずかしい思いしてるのに、恥かくのいやだ……こんなことしてるって、ばれたら、追い出される、かもしれないし、あっ、あああっあ」
 しゃべるのと喘ぐの同時進行はむずかしい、同時にこなそうとすれば舌を噛む。
 小金井が生唾を飲む。
 自制心を総動員し、沸々とこみあげるものをやっと堪えているような真剣な顔つき。
 性急な手つきで自分の下着ごとズボンをおろし、勃起した下半身を晒す。
 ぼくのものとはまるで違う、大人の形をした性器に目を見張る。
 「やっぱむりですおっかない、入るわけないですあきらかにサイズあってないし!?」
 「いける。入る。腹筋から力抜いて……息吸ってー吐いてー」
 「すーはーすーはー……ぅげほ、がほっ!」
 小金井の教えに合わせ深呼吸を繰り返すもシンナー臭い空気を目一杯吸い込んで激しくむせる始末。
 「むりです……わかりやすくたとえるならぼくがただのザクで小金井さんシャア少佐専用赤ザクなみだし……あ、いや、言いすぎましたごめんなさい、ぼくは量産品どころかただの試作機……」
 「入れるよ」
 ひどい。聞いてくれない。
 「ぅあ、っひぐ、熱ッ、きつ……」
 引き裂かれるような激痛、溺れるような恐怖。
 多少はほぐれた窄まりをむりやり拡張し押し入ってきた熱い楔に中から焼かれ、無我夢中でしがみつく。
 子供を抱っこするようにぼくの背中に片手を回し、上下に往復させ、もう一方の手で腰を支えさらに奥へと楔を穿つ。
 「んっ、んんっ、あぐ、はふ………」 
 風呂場の時と違い、唾液でしめされ指でほぐされていたから少しはマシだったが、挿入に伴う激痛に消耗する。

 今度は強姦じゃない。
 ぼくから小金井を受け入れた。
 合意の上で行為に及んだ。
 なのにぼくばかり痛いなんて不公平だ。

 「……はふ……もうやだ……満足したら、ぬい、てください……約束守った……」
 「まだ全然……足りないよ」
 「こんな状態で動かたら死ぬ……も、限界……ゆるして……ごめんなさい、あやまるから……」
 腹が苦しい。
 小金井が一杯に詰まってる。
 一言しゃべるたび喉が詰まり、ひきつけをおこしたようにびくつく。  

 これがいいのか?
 わからない、ぜんぜん気持ちよくない、セックスなんて痛くて不潔なだけだ、できるものなら避けて通りたい。

 「痛いのは最初のうちだから、辛かったら違うこと考えて。好きなアニメのこととか、ザクとか、キュアレモネードとか」
 「こんな時にザクとキュアレモネードの名前持ち出さないくださいっ」
 「ごめん」
 小金井がしゅんとする。
 「泣かないで、東ちゃん」
 小金井が優しい手つきでくりかえし背中をさすりつつ言う。
 しゃくりあげつつうらみつらみを吐く。
 「………いじめてたのしいですか……」
 「いじめてるんじゃないよ。………あんま説得力ねーけど。俺も夢中で、ちょっと、余裕なくて」
 しばらく無言で小金井と抱き合う。
 荒く浅い息が二人分混じり合う。
 密着した裸の胸から、互いの鼓動が流れこむ錯覚に浸る。
 汗でしっとり汗ばんだ小金井の肌、上下する肩。
 右肩に巻いた包帯の白さが痛々しく際立ち、抵う気力が萎む。
 痛みが去るのを辛抱強く待ち、繋がりあって抱擁する。
 「……ずっと疑問だったけど……なんで敬語なの?」
 「………?どういうこと、ですか……」
 「だって俺、年下じゃん」
 は?
 おもわず顔を上げ、訝しげに凝視。
 自分の顔をゆびさし、小金井が悪戯っぽく笑う。
 白く健全な歯が闇に冴える。
 「東ちゃん二十二。俺、はたち」
 「うそ………」
 突然の告白に衝撃を受ける。
 熱と快楽に弛緩した頭で記憶を巻き戻す。
 小金井と初めて会ったときオタク狩りから助けてもらったあの時たしか小金井は免許証を勝手に見て
 「気付いてたんなら言ってくださいよ!!」 
 怒り爆発。
 「言ったら敬語やめた?」
 「う」
 一本とられる。
 同い年くらいだろうとあたりをつけていた、まさか二つも年下だとは思わなかった。衝撃の事実が発覚し、しばらく絶句。
 「こがねいさん大人っぽくて、ぼくよりずっとしっかりしてて、女の人に慣れてて、余裕あって……てっきり同い年か年上だろうっておもってたのに、はたち、はたち、一年前はお酒もたばこもだめだった……」
 「いや、十代の頃からやってたけどね、フツーに」
 不良だ。
 「年下なんだから気ィ遣わなくていいよ。タメ口で。さんもいらない。ずっと言おう言おうって思ってたんだけど、なんかさ……ひとにさん付けされるの、上の名前で呼ばれることなくて、シンセンで……言いそびれた」
 まんざらでもなさげな顔でしれっと言ってのける。
 おそらく、これまで小金井が付き合ってきた彼女たちは、リュウと呼び捨てにしてきたのだろう。
 さん付けされる経験はおろか、敬語を使われる経験もなかった小金井にしてみれば、年上に「小金井さん」と呼ばれる状況はさぞ面白かったにちがいない。
 「東ちゃんにさん付けされんのも嫌いじゃないけど……そろそろ敬語やめてほしいな、なんつって」
 小金井がぎゅっとぼくを抱く。背中に回された腕に力がこもる。
 「いきなり言われても困ります……ずっとさん付けだったし、いまさら変えられない……」
 「リュウってよんでみて?」
 「…………」
 試しに呼んでみようと薄く唇を開くも、どうしても続かない。
 そもそも同級生にも敬語を使っていたのだ、簡単に体質は変わらない。
 呼び捨てに挑戦しようとして断念、諦めて口を閉ざす。
 歯痒げに顔が歪む。
 小金井は同じ姿勢で辛抱強く待つ。
 けっして急かさず焦らせず、唇の開閉を繰り返すぼくを優しい目で見守り続ける。
 胸の内に愛しさがこみ上げる。
 小金井の目が、表情が、包容力のにじむ笑みが、その愛しさをかきたてる。

 『俺、駅に捨てられてたの。ホントの名前わかんないから、保護された市の名前もらった』
 自分の本当の名前も知らないと語る寂寥の笑みが、瞼の裏にちらつく。

 喘ぐように息を吸い、吐き、頬に血を上らせ、かき消えそうな声で呟く。
 「リュウさん………」
 小金井が、笑う。
 最高のご褒美をもらったとでもいうふうに無邪気に微笑んで、じゃれるようにぼくを抱きしめ、ますます深く突き入れてくる。
 「あう、やっ、ふくっ……」
 「愛してる、東」
 密着の度合いが増せば比例して挿入も深くなる。
 耳元で吐息にまじえ囁かれ、それだけで達してしまいそうになる。
 小金井が、動く。ぼくの様子を見て慎重に腰を使う、深く穿たれたものが粘膜を巻き込んで動く、ぐちゃぐちゃぬれた音たて律動的に抜き差しされる、腰を中心に甘ったるい快感が広がりゆく、背骨が蕩けていくようなかんじ、体中で小金井を求める、むさぼる、ほしいほしいとねだる。
 「こがねいさ、あっ、や、やめっ、強、も、ぬいて、へんになる!」
 「しゃべると舌噛むよ」
 「怖い、あ、そこ、や、だめっ、うあ、ひ……ちょっ、まって、眼鏡なおす、なおすまで待ってください、おねがい……」 
 「壊れるのいやならはずしてくださいってお願いして」
 「顔見えない、暗い、こわいです」
 「見なくていいから、感じて」
 小金井が腰の動きを鈍らせ、改めてぼくを上からのぞきこむ。
 ちょっと動くだけで粘膜がこねられ激烈な快感を生む、理性が押し流される恐怖に喘ぐ。

 どうなってしまうんだろう。
 気持ちよすぎて怖い。最初は気持ち悪かった、痛かった、怖かった、今は自分が怖い、だんだん歯止めがきかなくなってきた、声を抑えられなくなってきた。
 小金井はセックス慣れしてる、それはテクニックからおのずと察しがつく、しかしぼくに触れる手つき指づかいは誠実さを感じさせる、いとおしくていとおしくてたまらないという切羽詰った感情が痛いほど伝わってくる。

 怖い、
 「こがねいさん、」
 なんでぼくなんかを、こんなに
 他のだれでもなく、八王子東を?

 怖い、好きだ、怖い、好きだから怖い、見捨てられるのが見放されるのが見限られるのが途方もなく怖くて不安でたまらない、いつかきてしまう別れが怖い、繋がったそばから引き離されるのを恐れるぼくはどうしようもない腰抜けだ。
 小金井の肩の後ろに手を回す、こっちへと抱き寄せる、裸の胸に顔を埋める
 「き、気持ち悪くないですか?」
 くぐもった声で、呟く。
 「どうしたの、いきなり」
 小金井の戸惑う声。
 ほら、やっぱり不審がられた。
 しなやかに筋肉ついた裸の胸に顔をすりつけ、鼻水を啜りつつ言う。
 「気持ち悪くないですか……髪とか、べとべとしてないですか。汗、変な匂いしないですか。裸、がっかりしませんでしたか。下も、こんな……子供みたいで。痩せてて、なまっちろくて、みっともなくて。女の人みたく柔らかくないし、抱いても気持ちよくないし、声も……色気ないし。やっぱり、ぜ、ぜんぜんだめで、セックスとかわかんなくて、動き合わせるタイミングとかさっきからずれまくりで、なんか、ひとりだけよくなってる気がすごくする……」
 「そんなことない。気持ちいいよ」
 小金井がぼくの手をとり、ひたりと自分の頬にあてがう。
 小金井の顔がまともに見れない。眼鏡がずれたせいと、目にたまりゆく涙のせい。
 「いい加減、いやになりませんか。うんざりしませんか。自信なくて、おどおどうじうじして、後ろ向きで……別に可愛くもないし……男に可愛いってのもへんだけど……せっ、セックスもへたくそだし、痛い痛いって泣き喚いてばっかでうるさいし、興ざめだし、ぜんぜん」
 自分を卑下し否定し卑屈になる。コンプレックスの塊、それが八王子東の正体。
 自分に自信がもてない。一緒にいる人をぜんぜん楽しませられない、ばかりか不愉快にさせる、いらつかせる、退屈させてしまう。

 よかれと思ったことはすべて裏目に出る。

 今だってそうだ、小金井だって本当はうんざりしてる、さっきからずっと痛がって喚いてばかりでちっとも色っぽくない、どうしたって小金井がこれまで付き合ってきた恋人たちと比べてしまう、自分はどうなのだろうと鬱々悩み悶々考えてしまい行為に集中できない。
 おたく、ひきこもり、ニート、うざい、死ね。
 これまでぶつけられてきた暴言が脳裏をめぐり、八年前、ぼくを教室から追い出したいじめっ子の顔が瞼の裏に浮かぶ。

 「横にいるだけでうんざりする……外に出るだけで、すれちがうひとに迷惑かけてる……はたちすぎて……っ、もう二十二なのに、大学もいかず、就職もせず、一日中部屋にこもりっきりで……ネットやって、漫画読んで、ガンプラ作って、フィギュア愛でて、エロゲふけって……きもちわるい、うざい、恥ずかしい、みっともない……こんなヤツに、どうして優しくしてくれるんですか」

 一体どうして、
 「どこが好きなんですか?」
 小金井の優しさに報えない自分が悔しい。オタクとヒモじゃ釣り合わない。ルックスも、中身も、なにもかもひけをとる。

 一緒にいるだけで好きな人に恥をかかせてしまう。
 好きになってもらうのが申し訳ない。

 「……だからだよ」
 額にはりつくばらけた前髪をやさしく梳く。目のふちに唇をつけ、涙を啜る。
 ぼくの涙を飲み干し、小金井は儚く微笑む。
 そして話し始める。
 だれにも明かしたことない胸の内を、胸の内に降り積もった真実を、たがいの息遣いとささやかな衣擦れの音だけが響く暗闇で淡々と物語る。
 「俺……後悔ばっかの人生のくせに、自分だまして、そのこと気付かないようにしてた卑怯者なの。今が楽しけりゃそれでいーやって、反省を次に生かさず、ラクなほうへ流されまくって……そのテキトーさがたくさんのひとを不幸にした」
 感傷に湿った告白が胸に響く。 
 伏せた目に宿る寂寥の光、後悔に歪む顔。
 ぼくよりはるかに苦労しただろう二十年の人生を回想し、見送れなかった人へ、救えなかった人への後悔の念を強くし、呟く。
 「だからかな、三歩歩くたびに立ち止まって後ろ振り返る東ちゃんが新鮮だった。……正直、すげえって思った」
 「うそだ……ぜんぜんすごくなんか……」
 再び目に涙を浮かべ抗うぼくを腕の中にぎゅっと抱きこみ、胸の内に凝った苦悩を押し出すように、深く息を吐く。
 「車ん中で言ったこと覚えてる?後ろを振り返るから前に進めるんだって……後悔してもいいって……あれで俺、救われたんだ」
 「ぼくは……ふぁ、あっああっ」
 小金井が音たて首筋を吸う。
 唇が鎖骨に移り、起伏を辿り、尖りきった胸の突起を甘噛みする。
 「小金井が八王子に、ヒモがオタクに恋したっていいじゃん」
 「あう、あっ、やめ、そこ、弱……」
 「それに東ちゃん、自分じゃ気付いてないかもだけどすっげー可愛い」
 「うそ、だ、かわいいはずない、だれからも言われたことない、だます気だ」
 「可愛い。ほんとだって、信じて、俺の目見て。最初は前髪のばしてたから気付かなかったけど、目とかうるうるしてるし、生まれたての小鹿っぽいし、肌とかすげー白くてすべすべだし、真っ黒の髪キレイだし……優しい顔してる。バンビーナ?」
 「ばんびーなとかそれ女の子に言うコトバだし男だったらバンビーニ、褒めてるつもりでもうれしくない、です……うあ、あああああっ、あっ、ひあ、やうっ!」
 腰の動きを再開、ぼくの両腕を掴み強引に開かせ激しく突き入れてくる。
 深く繋がった場所から快感が渦巻き巻き起こる、腰の奥でマグマが沸騰しどろどろに溶け出すような感じ、声を抑えられない、汗みずくで叫ぶ、喘ぐ、腰を揺する。 
 部屋がぐるぐる回る、見慣れた部屋なのに違う部屋みたいだ、小金井が腰を突き入れる、繋がった部位からこぼれる卑猥な水音、粘膜をぐちゃぐちゃにこねまわされ濃厚な快感が腰全体を蕩かす、怖い、自分が自分じゃなくなる、理性が蒸発自我が霧散、気持ちよすぎて何がなんだかわからなくなる、溺れそうだ、たすけて、だれか、小金井、無我夢中でしがみつく

 「はっ……すげ、中熱ッ……」
 「うあ、やめ、怖い、ヘン、になる、体、ぞくぞくして、腰、かってに……こがねいさん、おねがい、めがね」

 出会ってから一ヶ月間の出来事が瞼の裏をあざやかによぎる、記憶に伴う感情が蘇り荒れ狂う、小金井と繋がる、ひとつになる、繋がった場所からどろどろに溶け合って境があやふやになっていく、怖い、たすけて、嗚咽に濁った喘ぎ声、淫蕩な熱に潤んだ目、上気した肌、小金井が辛そうに顔をしかめる、絶頂が近いんだ

 『八王子東っていうんだ?ヘンな名前』
 小金井
 『何これ、ガンプラっていうんだ?』
 ヘンな男
 『もー経験値あげ飽きた』
 ずうずうしいヒモ
 ひとの免許証とりあげ無断で覗き見て八王子のアパートに押しかけ強引に居座った、ぼくの生活にずかずか土足で踏み込んで日常ぶち壊した、徹底して人との関わり世間との接触を避けてきたぼくの日常は小金井によって完全にひっくりかえされた
 『俺は東ちゃんの友達です』
 初めて友達ができた
 『ザク作らせたら世界一だ』
 初めて世界一になれた
 『ブランコおもいっきりこぐの気持ちいいっしょ』
 そう言って笑う顔に魅了された
 『気持ち悪いなんて思ってない』
 『俺は東に生きててほしい』
 その言葉に救われた
 『世界中のくだらない百人が死ねって言っても目の前のたった一人が生きろって言ったら生きるっしょ』

 「眼鏡、とってください」

 目の前のたった一人を、信じる。
 小金井が腰を使いながら眼鏡をはずす、眼鏡が枕元におちる、遮る物がなくなり正面から唇を重ねあう、キスをする。
 睫毛にひっかかった涙がこめかみを伝う、口の端から溢れた唾液が一筋顎を伝う、前歯をぶつけあう激しいキス。
 小金井が唇を放す、その隙に酸素をむさぼる、逆流した唾液にむせかけながら首の後ろに回した手を強める、小金井のぬくもりを求める。
 「ふあっ、あああああああっあああああ!!」
 銃撃にさらされ死ぬほど怖いおもいをした、死にかけた、だけど今こうしてここにいる、小金井に抱かれている、小金井を感じている
 
 ずっと一緒にいたい
 離れたくない

 「東ちゃんと出会えてよかった。ホントだよ」
 曇りゆく視界に小金井が映る、いとおしげにぼくに触れる、キスをおとす。

 大好きだって気持ちを伝えたい、
 
 「すき、です、っあ、すきで、いさせてください」
 
 兄さんに、みんなに、胸を張って誇れる八王子東になるから
 頑張るから、努力するから、もうすぐ部屋から出れるようになるから、自分の意志でドアを開けるから、自分の足で好きなところへ歩いていくから

 あなたと同じくらい、自分を好きになる努力をする。
 それはすごくむずかしいけれど、あなたが好きといってくれたから、ほんの少しだけ自分を好きになれた。 

 小金井の顔が最後に泣き笑いに似て歪む、悲哀と愛しさの綯い交ぜとなった表情、その顔が遠ざかっていく、反射的に虚空に手をさしのべ追いかける
 体内に熱が爆ぜる。
 ぼくの中に精を放った小金井がどんどん遠ざかっていく、小金井が達すると同時にぼくもまた絶頂に達する、脊髄ごと引き抜かれるような虚脱感が体を支配し眠りの世界へとひきずりこまれていく。
 仰向けに倒れこむ視界が最後に捉えた光景、暗闇に浮かび上がる優しい笑顔、虚空にさしのべた指先を掴み耳元で囁く

 「さようなら、東ちゃん」
 別れの言葉

 行かないで
 抗うも抗いきれない、体力が底を尽く、体が眠りを欲してる、口が動かない、舌が回らない、芯から溶けて眠りの羊膜に包み込まれる。
  
 翌朝目覚めると小金井は消えていた。
 書置きひとつ残さずに。
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