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一話
しおりを挟むこの世界には三種類の人間が存在する。αとβとΩだ。
ピジョンの母親はΩの娼婦だった。
母は父親の異なる子供を2人産んだ。先に生まれたのがピジョン、二年後に生まれたのがスワローだ。しかし母親のΩの体質を受け継いだのはピジョンだけだった。
ピジョンが身体の変化に気付いたのは15歳の頃だ。その頃初めてのヒートが訪れた。
発情期はΩにとって避けて通れない症状だ。
この期間にさしかかったΩは日常生活に障りをきたすほどの脱力感と倦怠感に苛まれ、不可抗力のフェロモンでαやβを誘惑する。
『母さん顔赤いよ、大丈夫』
『大丈夫よピジョン。心配してくれるの、優しい子ね』
『辛いなら休んでた方が……』
『いいのよ、仕事してたほうが火照りがまぎれるわ。表に待たせてるお客さんを呼んできて』
母はスラム街のトレーラーハウスで客をとっていた。
セックスの技巧と美貌で人気を博した母のもとにはβやαの男女が日々詰めかけ倒錯した情事に溺れた。
若く美しい母は、けれど番を作らなかった。
その理由を息子たちが問うたびイタズラっぽく微笑んで、2人を抱き寄せてこう言うのだ。
『ママのいちばんはアナタたちだから』
Ωが発情期の宿命から逃れるにはαと番になるしかない。
されど息子たちを心より愛する母はパートナーに関心を移すのを是とせず、蒸発する前日までピジョンとスワローを想っていた。
『だれか1人に縛られるのは嫌なの、全ての不幸を生まれのせいにして運命に服従するのもね。それより沢山の人と気持ちいいこと愉しみたいわ』
母は天性の娼婦だった。娼婦は彼女の天職だった。彼女は人生を楽しんで愉しみ尽くして、そうしてピジョンとスワローの前から消えた。
母が消えたあと、ピジョンは母の知人であるダウンタウンの神父に引き取られた。
神父はピジョンの良き理解者にして後見人であり、将来は児童福祉の道に進みたいというピジョンの夢を応援し、カレッジの学費まで出してくれた。
黄色いタクシーが道路を駆け抜け、信号がかまびすしく点滅する猥雑な街並み。コンクリ壁を埋め尽くすグラフティを巨大な書割に見立て、スケボーに乗ったティーンエイジャーが宙がえりをきめる。
大学の構内を出た足でダウンタウンを歩きながら、ピジョンは心理学の本を読んでいた。大学の図書館で借りた本だ。レポート提出の期日が迫っているのもあり、勉強には一層熱が入る。
「思春期の準備段階として児童期後半を移行期と称する。また9歳から11歳にかけてを仲間意識を身に付けるギャングエイジ、運動神経を伸ばすゴールデンエイジと称す……へえ、面白いなあ。確かにあの年頃の悪ガキはギャングみたいなイタズラするよね」
分厚い専門書のページをめくり、行間の密な記述に感心する。次いで思い出すのは弟の記憶だ。
「スワローにも手を焼かされたっけ」
いや、現在進行形か。
反抗期の弟の悪辣さを回想し、苦笑いで独りごちる。
走行車の排気ガスが路上のごみを吹き散らし、ピンクゴールドの繊細な髪をなでゆく。
「おっと、」
めくれたページを押さえると同時、ピジョンの足元に何かが当たる。バスケットボールだ。ふと見上げればコンクリ打ち放しのバスケットコートで、カジュアルな服装の悪ガキたちがゲームに熱中している。
「とってー」
金網で区切られた向こう側、オーバーサイズのトレーナーを着た少年に両手で催促され、ピジョンは「OK」と気さくにこたえる。栞を挟んで本を閉じ、それをご丁寧にリュックにしまってから両手でボールを抱えてトスする。
この位置からバスケットボールまではかなりの距離があるが、もし一発でシュートがきまったらカッコいい。
そんな出来心が芽生えてボールを投げた結果、長大な放物線を描いて金網をとびこえ……られず、がしゃんとど真ん中に当たる。
「惜しい、失敗」
転々とはねて戻ってきたボールに頭をかく。ピジョンの間抜けさにコートに散らばった少年たちはドッと沸き、それに怒るでもなくお人好しな苦笑いを浮かべ、今度は無理せず金網の手前まで行ってボールを渡す。
「どうぞ」
「サンキュ」
試合が再開し、少年たちがボールを追って走り出すのを微笑ましく見守る。
その時だ。
「ッ……!?」
『アレ』がきた。
心臓が強く鼓動を打ち、全身の毛穴が開いて汗が噴き出す。この感覚は覚えがある……発情期だ。
「嘘だろだってまだ……」
急激な虚脱感によろめき金網に凭れる。
網目に手を食いこませ不安定に前傾、節操なく上擦る吐息と唾液を飲み干す。
抑制剤を忘れた自分の迂闊さを呪っても後の祭り、とにかく少しでも人けがない場所へ逃れようと歩み出す。
誰にも知られたくない、見られたくない。
肩を滑ったリュックが路地の入口にどさりと落ちる。
それを拾い直す気力もなく建物と建物の峡谷に迷い込み、荒廃した路地の暗がりを覚束ない足取りで歩んでいく。
「はあ……はあ……」
身体が熱っぽい。肌がおそろしく敏感になっている。
独りで歩くのも辛いのに教会まで帰れるだろうか。ズボンのポケットに突っこんだスマホを手に取り、短縮で登録した番号を呼び出しかけ、葛藤に顔を歪める。
やっぱりだめだ、先生に迷惑をかけられない。子供でもあるまいし、むかえにきてくれなんて頼めるわけがない。
発情がおさまるまで耐えるしかないのか。ダストボックスとゴミ袋の山の隙間で膝を抱え、キツく目を閉じる。
異常に喉が渇く。目が潤んで視界が霞む。股間がズキズキ痛いほど脈打って後ろの孔が疼く。
どうか誰も通りませんように、気付きませんように。
焦燥にまみれた心中で狂おしく祈り、手の甲を噛んでむらむらをごまかす。
「んぅッ、んッむぅ」
自分の体が思い通りにならない恐怖ともどかしさ、それらを上回る性欲がピジョンを揉みくちゃにして思考をひっかきまわす。
「っふ……」
瞼裏の暗闇に朧げに浮かぶ母の面影に縋る。
母も同じ苦痛を味わっていたのか。
ピジョンが覚えている母は若く美しく優しく、発情期でも息子たちの前では気丈に振る舞っていた。
俺は母さんみたいに強くない。あの人ほど強くなれない。寂しい、会いたい。今どこにいるんだ、母さんならきっとわかってくれるのに……
「お金なんてもってないよ」
ピジョンの切実な願望を遮ったのは、突如として路地に響いた悲鳴。
スケボーを脇に抱えた男の子が鉄パイプを担いだ不良の集団に首ねっこを掴まれている。
「強盗扱いたァ失礼だな、そっちがぶつかってきたんだろ」
「わ、わざとじゃないよ!道広がって歩いてるから……」
「だとさ。聞いたかお前ら、テメェのしたこと棚に上げて開き直るたあふてぶてしいガキだぜ」
「クリーニング代に慰謝料上乗せだなこりゃ」
「やめて痛いやめてよごめんなさい謝るから!」
ストリートファッションをゴツいチェーンで飾り立てた連中が、哀れにもすっかり縮み上がった男の子を小突き回して恐喝する。
「ごめんなさい、許して!」
あどけない顔を悲痛に歪め、べそをかいて謝罪する男の子。
ダストボックスとゴミ山の隙間にちょこんとはまり込んだピジョンは彼らの死角に入るせいか、まるで眼中にない。
このまま黙っていればやり過ごせる。その方がいい。
軟弱で喧嘩に勝った試しのない俺が余計な口出したってこじれるだけだ、コイツらだって命まではとらないはず……
「ひっ!」
鉄パイプの先端が風切る唸りを上げて男の子を掠めると同時、ピジョンは口を開く。
「よせ、よ」
「あン?」
集団のリーダー格がこちらを向く。
「ンだてめェ……どっから沸いた」
「さっきからずっといたよ……その子から離れろ、警察呼ぶぞ」
ダストボックスに寄りかかって立ち上がり、孤立した子供に目配せ。
「今のうちに」
男の子が眼差しに感謝と安堵をたたえ頷く。
腰砕けに逃げていく男の子を庇って不良の眼前に立ち塞がったピジョンに、リーダー格が舌なめずりをする。
「この感じ……Ωか」
「フェロモンだだ漏れじゃん」
「犯してくださいって言ってるようなもんだ」
こうなることはわかっていた。
わかっていたけど、それは他人を見殺しにする理由にならない。今そこにいる子供の泣き声に耳を塞いで保身に走る言い訳にならない。
唇を噛んで虚勢を張るピジョンへと、凶器を携えた不良たちがこぞってにじり寄る。
「慰謝料とりっぱぐれた分も遊んでくれるんだよな、お嬢ちゃん」
「股関節ぶっ壊れるまでマワしてやっから」
「寄るな、叫ぶぞ」
深呼吸で実行しようとするもリーダーが動く方が早い。
「ぅぐっ、がほ!」
鳩尾に衝撃が炸裂、酸っぱい胃液と唾液をぶちまけるピジョン。
続いて不良たちに蹴りを浴びせられ、靴でもって無造作に転がされる。
リーダーが横柄に顎をしゃくり、手下がピジョンの両手をおさえこむ。
「肉便器Ωがカッコつけんじゃねえ」
「誰でもいいから咥えこみたくてうろついてた淫乱が」
「優しい俺たちとばったり出会えてよかったじゃん」
「ケツの奥の子袋にたんまりザーメンくれてやるから覚悟しな」
不良たちは既にピジョンが垂れ流すフェロモンに理性を失っている。
分厚い掌で口を塞がれたら抵抗する術もない。
脳裏を駆け巡る大事な人たちの顔、母に神父に弟たちの顔……
無力感と屈辱感のごった煮で塩辛い涙がこみあげる。
ピジョンのシャツを剥いで胸板を暴いたリーダーが下卑た高笑いをする。
「よそのガキの為に一肌脱いでむざむざヤられちゃ世話ねえな」
「俺の目に入ることで、かはっ、無関係なことがあるもんか」
こんなヤツらにヤられるのは嫌だ。せめて感じないように、何をされても感じたりしないようにギュッと目を瞑る。リーダーの手がピジョンのズボンに伸び下着ごと引きずり下ろす。
先走りの汁に塗れたペニスがそそりたち、かと思えば強引に脚が割り開かれ、分泌液で潤んだ窄まりに怒張が添えられる。
「勝手にケツが濡れんだからΩってのは便利な身体だな」
「性欲処理の為に生まれてきたようなもんだ」
「待て、待」
「誰が一番に孕ますか賭けるか?」
母さん。先生。スワロー。
「ん゛―――――――――――――ッ、ぅぅ――――――――」
ずぷりと圧がかかり、赤黒い怒張の先端が窄まりにほんの僅かめりこむ。
口を塞がれたせいでろくに息もできず暴れて抵抗するほどに酸欠で顔を染め、目尻からこめかみへ、こめかみから耳孔へ垂直に吸い込まれる涙のぬるさに戦慄く。
心は拒んでも身体は悦んでいる、先走りに濡れそぼり屹立するペニスと男を迎え入れる準備ができた後孔がその証拠だ。
「喘げよ」
リーダーが一気に根元まで挿入しようとしたその時―
バスケットボールが後頭部を直撃する。
「なっ……」
全員が行為を中断し、路地の入口で逆光を背負った人影を注視する。
転々とはねて戻ってきたボールを拾い上げ、人さし指の上で器用にスピンさせた少年は、残忍さが映える綺麗な顔で笑ってみせる。
「俺の番に悪さしてんのはどこのモブ?」
「テメェ、せっかくいいトコだったのに邪魔しやがって!」
「ガキはお呼びじゃねーぞすっこんでろ!」
「お呼びじゃねーのはどっちだよえェ、からっぽのオツムにダンクシュートかましてやろうか」
静かな怒気を孕んだ声が路地に響き、吹き付ける殺気に男たちが慄く。
中の1人がすっかり怯えきって口走る。
「ストレイ・スワロー」
「ストレイ・スワローってあの?」
「ジェイクのチームをたった1人で壊滅させた?」
「チャイニーズマフィアとも繋がってるって噂の……」
「ウエストリバーサイドのハイスクール仕切ってんだろ」
とどまるところを知らないスワローの悪名と強さは下町で幅を利かせる不良にも浸透している。
リーダーの隣の少年が動揺も露わに耳打ち。
「相手が悪すぎるぜ」
お楽しみの最中に邪魔が入ったリーダーは悔しげに顔を歪めるものの、踵を返して撤退の合図を送る。
「テメェの番ならちゃんとしるし付けとけ、まぎらわしい!」
捨て台詞を吐いて退散するリーダーにはもはや完全に関心をなくし、スワローがもったいぶった足取りで路地を歩んでくる。
「スワロー……」
アスファルトに仰向けた兄を見下ろす目は、底ぬけにひややかな侮蔑の色をたたえている。
「レイプで濡れてんじゃねーよビッチ」
「う、うるさい……未遂だろ」
「Ωってみんなそうなの?ヒートがきたら誰にでも股開くの」
「どうしてここに……」
「どうしても何も通り道じゃん」
「学校はまたサボりか。先生に学費出してもらってるのに」
「おかげで間に合ったんだから感謝しろ、リュックが路地の入口に落ちてたぜ」
「そのボールは?」
「向こうでバスケやってる連中に借りた」
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「そんなとこ」
アスファルトに手を付いて上体を起こす。
幸いかすり傷以外に目立った外傷はない。小刻みに震える手で下着を引き上げ、消え入りそうに呟く。
「……来てくれて助かった」
赤裸々な痴態を見られた恥辱、またしても弟に助けられた屈辱、何もできなかった無力感。
喉元までこみ上げたかたまりを呑みこんで、代わりに弱々しく感謝を伝えれば、スワローはしらけて鼻を鳴らす。
続けてピジョンが放った冗談が自身の神経を逆なでするとも知らず。
「よかったよ、ハッタリ信じてくれて」
次の瞬間、ピジョンは押し倒される。
「!?ーっ、ぐ、やめろよ悪ふざけは!」
押し倒したのは他ならぬスワローだ。ピジョンの両手を地面に縫い付け、その上に押し被さる。
スワローの目が凶暴にギラ付き、薄い唇の端から尖った犬歯が覗く。
喉元を狙っている。
背筋に冷たいものが走り、死に物狂いに身をよじって喉元に迫る犬歯を避ける。
皮膚にくるまれ膨らんだ喉仏に熱い吐息が弾け、犬歯を伝った唾液の雫が鎖骨の窪みにたまる。
「だめだよせっ、離れろスワローこら、言うこと聞けって!」
喉を噛まれたらおしまいだ。うなじもだめだ。その二か所のどちらかでも噛まれてしまったら、ピジョンはスワローに絶対服従を余儀なくされる。ピジョンの身体と心は完全にスワローの物になってしまい、金輪際兄でも弟でもいられなくなる。
スワローはαだ。
「いいだろ、守ってやる」
αはΩを孕ませる。
「なに言ってるんだ、だめに決まってるじゃないか……よく考えろ、兄弟でおかしいだろ!母さんが言ったこと忘れたのかよ、これからは俺たち2人でやってけって、俺とお前は兄弟だから、俺は兄さんだから……しっかり面倒見るって約束したんだ、約束したんだよ」
スワローと番になってスワローの子供を産む。
そんな事が許されるわけがない。男と男である以上に兄と弟でタブーを犯せるはずがない。
消えた母がそんなことを望んでいるはずがないし養い親の神父だってきっと幻滅する、なによりピジョン自身が受け入れ難く理性と良心で拒んでいる。
「ぐだぐだうるせえな、ンなのどうだっていいじゃん。俺は今すぐやりてえんだピジョン、お前の喉に噛み付いて俺の物だってしらしめてェ、そうすりゃあんなグズどもハナからよってこねえで手間が省ける、お前だって食い物にされずにすんでいいこと尽くしじゃねェか」
スワローはどうかしている。
ピジョンが最初の発情期を迎えた頃から変わってしまった、家の中でも外でも顔さえ合えばすぐ求めてくるようになった、強引に押し倒してくるようになった。
俺がΩだから。
Ωなんかに生まれたから。
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「お前おかしいんだよ、正気じゃないってわかれよ、じゃなきゃ俺なんかに興奮するはずない……俺の匂いのせいでっ、俺がヒートだから、だからお前おかしくなってるんだ。な、頼む、いい子だから離れて話聞けって。お前は兄さんに欲情するような変態じゃないだろ」
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「やめろ離れろって」
スワローをおかしくしたのは俺だ、俺なんかがそばにいるからなにもかもおかしくなった。
俺がΩでさえなければ、ヒート中に厄介な「匂い」を撒き散らさなければスワローは道をあやまたず選ばれたαとしてパートナーと幸せな人生を歩めたはずなのに。
「おい聞いてるのかよしまいにはホントに怒るぞ、お前は今冷静じゃないんだ、俺からだだ漏れの匂いのせいで我を失ってるだけだって気付けよ!!」
噛み癖の悪さに腹を立てスワローをひっぺがせば、劣情極まって切羽詰まった顔で見詰めてくる。
「やらせろ兄貴」
「お前の女になんかなりたくない」
「また襲われてもいいのかよ」
「助けてくれたのは感謝してる、でもそれとこれとは別だ。お前と番になって孕まされるのは絶対にいやだ」
お前は俺の弟で
大事な弟で。
「わかってくれよスワロー、頼む」
Ωとαが番として結ばれる宿命でも、兄と弟で子供を作るタブーを犯すのは断じて受け入れられない。
「俺たち体の相性ばっちりだろ。俺のキスが誰とやるより一番気持ちいい癖に、なあピジョン素直になれよ俺に乳首噛まれんのが一番いいだろ、先っぽ擦られただけでビュクビュクする癖に強がるなよ、番になりゃ一生気持ちよくなれるんだぜ、イってイってイきまくって絶頂で孕んじまえばいいじゃん」
「スワロー……っ、頼むから、いやだ、いやだ……」
ピジョンが半べそで嫌がれども諦めず、何度顔を背けても喉とうなじを付け狙うのに絶望する。
遂にピジョンは口走る、スワローが決定的に萎える一言を。
「かあさん……」
スワローが凍り付いた一瞬を見計らって手を振りほどき、力任せに頬を叩く。
「お、まえに、無理矢理されるなんて絶対いやだ」
途切れ途切れしゃくりあげ、両手で喉とうなじを庇って立ち上がる。
「実の弟と番になんてなれるか。頭冷やせばか」
壁に遮られた手狭な路地にて、スワローを無慈悲に突き放す。
不意打ちで噛まれないようにうなじを手で隠したまま、火照った身体をひきずって出口へ赴くピジョンの背中に、苦りきった声が浴びせられる。
「なんでだよ」
ピジョンは振り向かない。
兄に無視された癇癪を爆発させ、バスケットボールを力一杯壁に投げ付けるスワロー。
「なんで俺じゃダメなんだよ!!」
「お前だからダメなんだよ」
鬱屈した独白が届いたのか否か、スワローはバウンドしてもどってきたボールを抱えて吐き捨てる。
「関係ねえじゃんそんなの。兄とか弟とかクソくだらねェ、おんなじ股から出たのはたまたまだろ」
「近親相姦だろ」
「だから?」
「血が繋がってるんだぞ」
「かたっぽがα、かたっぽがΩ。最初っから番になる組み合わせで生まれ落ちてラッキーって考えろ、スロットで777だすようなもんだ、金貨がじゃらじゃらバブリーで超ハッピー。ポーカーならフルハウス……はしょっぺえな、ロイヤルストレートフラッシュな確率だ」
「頭沸いてる。どうかしてるよホント」
「堅く考えすぎだぜピジョン」
「俺にお前の子を産めって?俺がお前より劣るから、なにやらせてもダメで二歳下の弟にかないっこないから黙って孕まされてろっていうのか」
怒りが沸点に達したピジョンが振り向きざま弟を睨み据える。
ピンクゴールドにばらけた前髪の下、セピアに澄んだ虹彩の照準を絞り、涙が冴え冴えと磨き抜いた意志を打ち込む。
「ふざけるなよ」
スワローがその気になればピジョンを従わせるなど簡単だ。喉元でもうなじでもとっとと噛んでマーキングしてしまえばい。
強情っぱりな兄と向き合い、サディスティックな笑みを口端に刻むスワロー。
「……いいさ。もうどうにもならなくなるギリギリまで、せいぜいそのツマンねーモラルとやらに絞められてろ」
スワローがそうしないのは力ずくで従わせるだけじゃ手に入らない物を欲しがっているからだ。
酷い顔色で出口をめざすピジョンの手を引き、耳元で囁く。
「教会までもたねーだろ。ビンビンに勃ってやがる」
「ほっとけ」
「噛まねーから」
兄を手懐けるのに慣れた囁き。兄を手懐けるのに慣れた愛撫。
スワローが後ろに立ち、ピジョンの首筋を挑発的に吸い立てる。
シャツの襟ぐりから覗く華奢な鎖に指を絡め、兄の太腿に猛りきった股間を擦り付ける。
「……冷ましてこうぜ」
じゃねーと先生に怪しまれる。
かたくなに俯く顔に羞恥心が煮え滾るも束の間、ヒートで自制が切れたピジョンはスワローに背中を預け、シャツの下から忍び入る弟の手をむしろ進んで導く。
「……中に出すなよ」
「っしゃ」
「絶対だぞ」
兄のお許しを得たスワローが有頂天でシャツを剥き、ピジョンを壁際に追い詰め片足を抱え上げる。
「あっあァぁ、ふっうッ」
情熱と技巧が結び付いた前戯に乱され、口を塞いだ片手を上擦る吐息と喘ぎで湿らせながらピジョンは自らに言い聞かせる。
コイツとは番になれない。
俺たちは血を分けた兄弟だ。
「声だせ」
「人、聞かれる」
「誰もいねえよ」
噛み付きたい。噛み付きたい。
お前を今すぐ俺の物にしたいと、間近で覗き込んだスワローの目が発狂しそうなほど一途にそう言っている。
「あっあ、ンあっふぅッうッ」
路地の暗がりにて激しく突き上げられながら、ピジョンはスワローの首に手を回し快楽に溺れていく。
ピジョンがよがればよがるほど赤らんだ顔は淫らに蕩け、ぱく付く窄まりから垂れた分泌液が内腿をしとどに濡らす。
「んッあっ、あァっあっんっ、ふっんぅ」
「エロい声だしてんじゃん、中に出さねーでも孕んじまいそうだな」
「ばかっ、ゆーな!」
「せいぜい悪あがけよ」
一際感度を増した直腸をペニスが滑走し一定のリズムで前立腺を叩く。
目の前にさらけだされた喉仏もしっとり汗ばんだうなじも噛もうと思えば噛めるがそれをしない、コイツが自分からさしだしてくるまで「お預け」だ、そっちのほうがずっと有難みが増す。
その代わりに執拗に吸い立て「ふあっァぁっ」舌でなめあげくすぐって「んッぅうっくっ、んっ」後ろにもぐらせた指でうなじを抓って揉んで擦りまくる。
「んッ、はぁあっふあッ、ぅあッ、もっ、ぃッいくっ、もッ欲し、はぁッ、あッあぁーー」
燃え上がる嗜虐欲と独占欲、さらには征服欲に駆られて腰を打ち付ければ、絶頂の寸前まで追い上げられたピジョンが泣きじゃくり、汗と涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔に、どんな淫乱もかなわない恍惚の表情を浮かべる。
「スワロー、あっィくっ、もィくっッあァあスワロー!!」
スワローとピジョンはαとΩの兄弟だ。
彼らは番ではない。
まだ、今の所は。
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