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Long Long Ago(ピジョンの両親の馴れ初め)
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まっすぐ伸びたメインストリートを縺れ絡まった枯れ草が転がっていく。
乾いた風に吹き転がされ東へ西へ、雑踏の合間をすり抜けていく枯れ草を淡く照らすのは、夜間営業の安宿や酒場のネオン。
青、ピンク、オレンジと、ドロップスを散りばめたように軽薄な光が瞬き、枯れ草を斑に染める。
あの草なんだっけ。シャレた名前が付いてた気がするけど。
砂埃に塗れた枯れ草から、向かいの宿屋の看板へ照準を移す。
ジジ、と通電の音がする。
ネオン管に群がり弾ける蛾の輪舞。
燃え爆ぜる鱗粉の刹那的な美しさ。
そこはよくある吹き溜まりの街、行き場をなくした者が最後に流れ着く場所。スラムと歓楽街の境界は曖昧で、聖人と廃人の境もまた曖昧。
酔っ払いとヤク中の線引きはあってないようなもので、針の折れた注射器や空き瓶の傍らでクズがよく野垂れ死んでいる。
繁栄と荒廃の二極化が進む辺境の街は、都落ちした悪党どもがのさばる無法の楽園だ。
「……辺獄ってこういうとこなのかな」
窓辺でライフルを構え、スコープで通りを監視しながら、少年は呟く。
ずっとずっと昔、飼われていた教会の神父に聞いた。
煉獄とはカトリックの教義における、この世のいのちの終わりと天国との間に、多くの人が経るといわれる清めの期間。
対して辺獄とはカトリックの教義において、洗礼の施しを受けず死んだ幼子が行く場所を意味するが、ダンテの神曲では地獄の門の前域にあたるとされ、善も悪も為さず死んだ日和見主義者の流刑地として扱われる。
その説は大いに説得力がある。
実際、今もあちこちから銃声と悲鳴が響いてくるじゃないか。
行き交うひとびとは無視しているが、ひとたび神のご加護に見放された路地裏を覗きこめば、女衒に髪を掴まれ鼻血を出した女や、愚連隊に袋叩きにされる浮浪者にお目にかかれる。
いまさらだれも驚きはしない、助けの手をさしのべもしない。
無関心こそ正しい処世術、正しい生存戦略。
無差別な同情はごく一部の幸福な人間に許された特権だ。
『ルシフェルの堕落を知りながら戦争に参加しなかった天使は、怠惰の大罪を贖うべく辺獄に繋がれているのですよ』
懺悔を終えて晴れ晴れした信徒を仕切り越しに見送り、安楽椅子に腰かけた神父はそう言った。
カソックの下、膝の間に幼い彼を跪かせ、萎びたペニスをしゃぶらせながら。
信徒の懺悔を聞く間、教会で養っている孤児にご奉仕させるのが、人格者と唄われた神父の隠れた趣味だった。
上手にできなければご飯はぬきですよと言われ、唇が切れるまでフェラチオさせられた。聖書の暗誦に詰まろうものなら、目隠しされた上に後ろ手を縛られ、熱い蝋燭をたらされた。
あの教会で学んだことは最低限の読み書きと、神様はいないか、いても放置プレイが好きな性倒錯者という世知辛い真実だけだ。
再びスコープを覗き、ネオン管に群がる蛾から向かいの部屋の窓へ視線を移す。
賑やかな通りを隔てた対岸には、ここと似たような安宿がある。
一階の酒場は繁盛しており、人の出入りが絶えない。
二階の窓にはきっちりカーテンが引かれ厳重に人目を遮っているが、内から漏れる明かりに照らされ、何人かの影が歩き回っている。
スコープにあてた目を細め、カーテンが映し出す影絵を読み解く。
どうやら仲間とテーブルを囲み、賭博に興じているらしい。
テーブルに着いた男が、扇状に広げたカードをぶちまけて卓上に突っ伏す。惨敗。まわりがドッと沸く。
仰け反り爆笑する輪に一人、髪の長い女がまざっている。
標的の情婦だ。
……となると、彼女が甘えるようにしなだれかかっているのが標的か。
少年の顔に憂鬱が被さる。
「……女の人が邪魔だな」
気乗りしない素振りで嘆き、丁寧に折り畳んだ手配書を懐から出す。
質の悪い紙面に刷られているのは、三白眼の凶相の男。
どうする?
部屋の詳細はカーテンに遮られ把握し辛い。
影絵で大体の配置はわかるが、勘頼みで引き金を引くのは極力避けたい。
もしも、万一ということがある。狙撃手は慎重すぎるほど慎重たれという師の教えを、彼は忠実に実践する。
時に人間は予想外の行動をする。
予断をもって挑むのは命取りだ。
最大のネックは、標的にひっ付いて離れない愛人の存在。
行く先々でケチな強盗をくりかえし女を強姦しまくった外道とはいえ、そんな外道をヒモとして養っている女性を道連れにするのは本意じゃない。
賞金首と知った上で匿ってるならまだしも、何も聞かされてない可能性すらある愛人を流れ弾で傷付ける決断がどうしても下せず、引き金にかけた指を緩める。
悩んでいる間にも刻々と夜は更けて、宿代が嵩んでいく。
賞金首を追いかけて辿り着いたこの街で、張り込みに絶好のポイントとして目を付けたのが、たまたま娼館の二階だった。
他にも候補はあったが、慎重に慎重を期すのが少年の流儀だ。
正直出費は痛かったが、標的の動向を一日中見張れ、狙撃を行えるポイントとしてもっとも適していたのは、真っ正面に位置するこの部屋を除いてほかにない。
誤算といえばここがただの娼館ではなく、街いちばんの娼館だったことに尽きる。
女の子は皆器量よしで床上手との評判通りで、ガチガチに緊張した少年にやさしく手ほどきしてくれた。
相手の子は今、ベッドですうすう眠ってる。
どの娘になさいますかと聞かれ、テンパって名簿の適当な欄をさしたのだが、お客様お目が高い、その娘はウチの人気ナンバー1ですよと褒められてしまった。
いえね、今日はたまたま空いてたんですよ。午前中は調子が悪いと寝込んでたんですが、ひと眠りしたらマシになった様子で、もう一稼ぎしたいと申しておりまして。一期一会ってヤツでございましょうねホント、働き者なんですよ……
おだて上手な女将にのせられ、とんとん拍子に話はまとまり、めあての部屋に送り出された。
そこまではいい、計画通りだ。
娼館にきて女の子を買わねば怪しまれる、部屋だけ貸してくれと頼めば説明が面倒だ。
少年が指名したのは偶然にも同年代の女の子で、この手の商売をしてるにしては珍しいほど無邪気だった。
ねえねえなんのお仕事してるの、そのおっきいトランクはなあに、旅人さん?よそからきたの、そこってどんなとこ、この街よりいいところ?
部屋に着くなりベッドに腰掛け質問攻め、これには弱りきった。
本当のことは言えないので適当にとぼけてはぐらかせば、いいじゃない教えてよとじゃれるように乗ってきて、やることをやったあとぐっすり眠りこんだ。
少年には好都合だ。
彼女が熟睡したのを確認後トランクを開け、部品を分解して持ち込んだライフルを組み立てた。
長物を背負い敷居を跨げば警戒される、受付で没収されたら障りがでる。
銃をバラして持ち運ぶのは狙撃手の基礎。雑踏での悪目立ちを避ける為にも鞄に詰めるのが利口。
ドロップスを塗した闇が浮かない顔を切り取る。
正確な年齢は知らない。
もとが捨て子なので、外見からせいぜい十五、六と推測するしかない。
お人好し、気弱、女々しいとさんざん腐される優しげな目鼻立ちは、他人に馬鹿にされることは常でも警戒されることは殆どない。
仕事をこなすうえで十代半ばの年回りと容姿は実に都合がいい、皆面白いように油断してくれる。
馬鹿正直にライフルを背負って出向いちゃ段取りがご破算だ。
着ている物もさほど特徴がなく、人ごみに紛れやすい。
唯一シャツの内側にさげたモノだけは特殊だが、それを知る人間は殆どいない。
少年と肌を合わせたがる物好き……たとえばラトルスネイク以外は。
昼下がりに投宿してから数時間、辛抱強く決行のタイミングを計り続けていたが、標的が一向にひとりにならず焦燥が募りゆく。
何度目かわからぬため息を吐いてスコープに片目をあてがえば、向かいの部屋の窓で変化が起きる。
「!」
カーテンに映る影絵に凝視を注ぐ。
男が女を振り払い、力一杯殴り付ける。
椅子を巻き添えに倒れた女があっけなくフレームアウト、いきりたった男がさらにその腹を蹴り上げるモーション。
あろうことか、周囲の連中は止めにも入らず笑っている。酒瓶やグラスを掲げ、痴話喧嘩を囃し立てる始末。
憂さ晴らしの虐待はまだ続く。
仲間の野次に気をでかくした男が臥せった女を殴る蹴るし、遂には酒瓶を掴んで振り回す。
腕を振り抜いた風圧で一瞬カーテンが捲れ、酒と怒りで醜くむくんだ素顔が暴かれる。
見るに堪えない修羅場に、眇めたまなざしが鋭さを帯びる。
「……もういいか」
決断は早い。
ポケットから一粒の錠剤を摘まみ、口の中へ放りこんで咀嚼と嚥下。
「!ッ、」
変化は激烈だ。
鋭い疼痛が走り、たまらず頭を抱える。
アイスピックで脳味噌をほじくられるような激痛をなんとか耐えしのぐと、今度は眼球が熱を帯び、視界が歪曲と伸縮をくりかえす。
薬は即効性だ。
飲んですぐ効果が出る。
ヤバい成分が含まれているのかもしれないが、どうでもいい。
どうせ長生きする気はない。
『コレ?最近流行ってる身体能力爆上げドラッグ。因果な商売で毎回危ねえ橋渡るんだ、保険うっといて損ねーだろ』
『一錠で超人、二錠で怪物、三錠で廃人……食いすぎにゃくれぐれも注意しろよ、もう何人かくたばってる』
この薬をくれた男は、翌日死んだ。
出所もよくわからない新種の麻薬だが、効果だけは信用できる。
キツく目を閉じて開けた時、視界は細部に至るまで鮮烈に冴え渡り、全てがスローモーションに見える。
向かい部屋のカーテンに映る影絵も、通りを埋め尽くす雑踏も、引き金を絞る指も、なにもかもが極端な緩慢さで動く。
のみならず雑踏に紛れた一人一人の顔が、その睫毛一本一本や頬の毛穴に至るまで、この距離と高さからハッキリ見分けられる。
視覚と聴覚が強化され自らの息遣いや衣擦れの音はもちろん、煤けた窓ガラスを隔てた喧騒やネオン管の通電の音、向かい部屋の椅子が床を擦る音すら拾えるようになる。
薬を服用したのち、瞳に劇的な変化が起きる。
感度は人間のおよそ100倍に上昇、網膜細胞が分化して疑似的に形成された照膜が赤く光を照り返し、夜行性の猛禽の特徴を発現。
その様はまるで―
「罪から来る報酬は死です。しかし神の下さる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです」
告死の赤で標的を見据え、あっさりと引き金を引く。
次の瞬間、窓ガラスが割れ砕けて男が仰け反る。
ゴトンと酒瓶が落ち、眉間を撃ち抜かれた男の姿に、女が悲鳴を上げる。
そして殺戮がはじまる。
「そのあかしとは神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです」
テーブルを囲んだ男たちが椅子を蹴立てて立ち上がり、ヒステリックな怒号を発して窓辺に殺到する。
二発目、三発目、命中。
桟を掴んで乗り出した男の頭が見事に爆ぜ、音速で飛来した鉛弾が、隣の男の脳天を貫く。
正確無比なヘッドショット。
被弾した人間は即死。
「あなたがたは今、私たちは目が見えると言っています。あなたがたの罪は残るのです」
「畜生、真っ正面か!?」
「暗くて見えねえぞ!!」
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」
最初の男が窓を開けてくれたおかげで、部屋の中を阿鼻叫喚逃げ回り、我先にドアへ詰めかける仲間を背中から狙い撃ちできた。
「もし私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」
周囲から音が消え、感覚がクリアになる。
脳内麻薬が過剰分泌され、心臓が踊りだす。
一定のリズムで引き金を引き続けると、雑駁な思考が淘汰されどんどん純粋な存在になっていくのがわかる。
心が不感症になっていくのと加速度的に比例し、煌々と不吉な輝きを増しゆく赤い目。
暗闇に一際映えるその目をスコープに固定し、全能感が支配する絶対の聖域に降りて、静謐の内に宣告。
「悔い改めなさい。天の御国が近付いたから」
狙撃の反動で風がおこり、首にさげた紐が浮けば、その先端の逆十字がネオンを反射して光り輝く。
雑音と色で構成された世界の全てが消え、それを知覚する個が限りなく薄まって、引き金を繰る指の動きと虚空に曳かれる弾道、標的と銃口を結ぶ射線のみに意識が集中する。
タタタタン、スタッカートで区切られた銃声が小気味よく鼓膜に響く。
撃って撃って撃ちまくり、運悪く部屋に居合わせた男たちを一掃していく。
「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」
昔いやというほど覚えさせられた反動で、流暢に口を突く断片。
聖書の暗誦に深い意味はない。恣意的に無我の境地に切り替えるスイッチ、たんなる集中力を引き上げる呪文だ。
感傷はない。
憐憫もない。
ただただ平板に、ただただ単調に聖書を引用する横顔には虚無に浸る倦怠感すら澱んでいる。
「そのとき、イエスはこう言われました。父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でわからないのです」
罪人への弔いに代え最後の弾丸を撃ちこみ、瞠目と共に締めくくる。
「アーメン」
硝煙が一筋たなびく銃口を下げたとき、向かいの部屋は血の海と化していた。
「二階の連中が殺られたぞ!」
「ユフィが咥え込んだ博打狂いのヒモか?ははっいい気味だ、馬鹿騒ぎしてっからバチが当たったんだ!」
「早く自警団呼んでこい!」
「ぐだぐだに飲んだくれて使い物になりゃしねえ!」
世界に色と音が戻り、緊張していた筋肉が弛緩。
うっすら開けた目の赤光が薄れ、本来あるべき色素が定着していく。
眼下の野次馬が色めきだち、何人かが自警団を呼びに散る。
あとは現場に行って自警団と交渉するだけだ。
死体と手配書を照らし合わせ、硝煙反応や目撃者の証言で少年が仕留めたと断定されれば、所定の手続きを経たのち最寄りの保安局で報酬がおりる。
少々殺しすぎたが、賞金首の協力者および共犯者の殺害は黙認される。
無能と怠慢の代名詞とされ、小競り合いに関わりたがらない自警団も、五人以上人死にがでればいやいや駆け付けざるえない。
実際のところ地元のゴロツキの寄せ集めの自警団が手柄を横取り、まんまと賞金を着服するケースもある為、死体の回収には必ず同行しないと……
瞼の裏で火花が爆ぜる。
「ッぐ……またか。だんだん酷くなるな」
咄嗟にこめかみを押さえ、頭痛の再発をやりすごす。
鈍器で殴られるような発作の余韻に身を折れば、場違いにのほほんとした声が聞こえる。
「あらやだ、大騒ぎね」
ふわあ、生あくびに振り向く。
眠たげな瞼をこすりながら起き上がった少女が、緩慢な動作で全裸にシーツを纏い、おっとり微笑む。
「久しぶりに良い夢を見れたの、空いっぱいにカラフルな風船が浮かぶ夢よ、とってもきれいだったわ。でもね、掴もうと手を伸ばしたそばからパンパンて割れてしまうの。イジワルよね?結局一個もゲットできなくて残念。あの何かが破裂する音、アナタの銃声だったのね」
純白のシーツにくるまった少女は、子どもの悪戯をとがめるように少年を見、窓ガラスの割れた向かい部屋を一瞥する。
「あなたが殺したのって悪いひと?」
「そうだけど」
「ならいっか」
アーメン、と呟いて十字を切る。
胸の前で手を組んで悪人の冥福を祈る少女に、少年は呆れ顔だ。
「……死んだのは賞金首だよ」
「お祈りはただだもの。それにだれにも悼んでもらえなきゃ可哀想でしょ、汝隣人を愛せよって神父さまはおっしゃったわ、付き合いのないお向かいさんだってお弔いしなきゃ」
「神父なんてみんな嘘吐きだ」
少なくとも、彼が知る神父はそうだ。
身体を這い回るおぞましい手の感触を反芻して唾棄すれば、膝這いでにじり寄った少女が、少年の胸元へ……正確にはそこに在る逆十字へ、屈託なく顔を近付ける。
「面白いロザリオをしてるのね。アンチキリスト?」
「……誤解されがちだけど、逆十字は悪魔崇拝や反キリストの象徴じゃない。カトリック教会でも使われるシンボルで、イエス・キリストの弟子で、初代ローマ教皇のペテロが処刑されるとき、キリストと同じ状態で磔にされるに値しないって言い張って逆さまに十字架にかけられるのを望んだエピソードからきてる」
「へえ、そうなのね!すごい物知り。聖書とかにくわしい人?」
「別に」
「そのペテロさんて気合の入ったドМね、逆さ吊りは頭に血が集まって苦しいのに。知ってる?目鼻耳からだらだら血が出るのよ」
「プレイじゃないと思うけど」
どうでもいいが顔が近い。この子、ぐいぐいくる。
半歩あとじさって距離をとろうとすれば、その分ベッドから乗り出した少女が逆十字をツンツン突付く。
「で、どうして下げてるの。ファッション?」
「話す必要あるかな。さっき会ったばかりの他人も同然だろ」
「やることやったでしょ」
「セックスだけだろ」
「それ以上に深い繋がりってなかなかないわよ」
そそくさと逆十字を隠せば、少女は「ケチ」と唇を尖らせる。
見た目は十代半ばの同年代だが、表情や仕草がやけに子どもっぽい。
そんなことを考えていたら、だしぬけに冷や水を浴びせられる。
「私を口実に使ったんだから、それくらい聞いてもいいと思うけど」
「起きてたのか」
「ちょっと前にね。っていうか、あんなにうるさくちゃ眠れないわ。最初からこの部屋めあて?言ってくれれば協力したのに」
「やることやったら寝オチしたくせに」
「その前におしゃべりしたでしょ?」
「すぐ上に乗ってきて、ろくに話す時間もなかった」
正直、事情説明は面倒くさい。彼女が寝てるあいだに事が済めば一番と、ざっくり構えていたのは否めない。
それを可能とするだけの自信もあったが、なによりも……
「人殺しのお手伝いをさせたくなかった」
先回りされ、顔を上げる。
シーツで裸身を覆った少女は、緩くウェーブした金髪に包まれた顔をほころばせ、おませに微笑む。
「ワケを話せば巻き込んじゃうから……人殺しの片棒担がすなんて黙ったままでいたかった。アタリ?」
図星だ。
居心地悪そうに俯き、床一面にばら撒かれた空薬莢を拾い集める少年を、少女はわくわくと見詰めている。
「ねえ、お向かいさんてなにしたの」
「正確にはそのヒモ。罪状は強盗、強姦……色々。方々の街を襲っちゃ派手に荒稼ぎしてた」
「あなたは賞金稼ぎ?狙撃手?」
「質問好きだね」
「なんにも知らないもの」
「答えは両方。賞金稼ぎで狙撃手」
「お名前は?」
「……言う必要ある?」
「けちんぼさんってよんじゃうわよ」
「お好きにどうぞ」
油の染みた布で銃身を浄めてからライフルを担ぎ直し、事務的に告げる。
「これから現場にいってくるけど……状況次第で証言を頼むかもしれない」
「私の?」
「アイツらを殺したのは確かに僕だって、見たまま言ってくれたらいい」
「あなたが撃ってるとき、まだちょっと寝ぼけていたんだけど」
「そういうのはいいから」
だんだんイライラしてきた。この子ちょっと、いや、だいぶズレてる。
膨れ上がった喧騒に窓の外を一瞥。
遅ればせながら自警団が到着したらしく、店の入り口に詰めかけた野次馬が押し合いへし合い道を開ける。
窓ガラスや調度品の修理費を報酬から引いたらいくら残るか、脳裏で算盤を弾きだした少年に構ってもらえず、退屈した少女がむくれる。
「お話するときはちゃんと相手の目を見ないと失礼よ。宿代はどうするの?朝までいるんなら嵩むけど、そんなお金ある?けっこう高いわよ、この部屋。なんたってシャワーとバス付きのスイートルームだもの」
少年は感心半分あきれ半分、まじまじと少女を見詰める。
度胸が据わっているのかオツムが鈍いのか、少年が賞金首とその仲間を射殺する一部始終を目撃したろうに、怯えるでも慄くでもなくあっけらかんと追加料金の相談に移る。
調べた限り最高の狙撃ポイントがたまたま娼館の一室だったから泊まっただけで、無事仕事をはたした今は、朝まで居続ける理由もない。
したがって、おしゃべりな少女娼婦を拘束し続ける理由もない。
「………高いんだ?」
「高いわよ、部屋も私も」
考え事をするときの癖で逆十字をいじる少年にえっへんと胸を張れば、まとったシーツが僅かにずり落ち、華奢な肩が露わになる。
「あ、」
少年は、見た。
一回セックスしたのだから、いまさら裸身に慌てはしない。驚いたのは別のモノだ。
シーツをはだけた華奢な背中に、痛々しい蚯蚓腫れが縦横無尽に走っている。
「どうしたんだ」
「……ママのおしおき」
「ママって女将さん?」
「そうよ、ホントのママじゃない育てのママ。実はね、街はずれに占い師のおばあさんがいるの。しわしわのジプシーのおばあさん。なんでもすごいよくあたるって、街じゅうで大評判。お店の子やお客さんもその噂でもちきりよ。今日の昼間、ちょっとね、ちょっとだけお店をぬけだして行って帰ってきたの。いけないってわかってたけど、どうしても見てもらいたいことがあって……」
「結果は?」
「上々!」
背中の傷とシーツが擦れて痛み、一瞬顔をしかめてから無理矢理微笑む。
「……それがバレちゃった」
体調を崩して寝込んでる、なんて真っ赤な嘘だ。
ナイショで店を抜け出したのがバレて折檻された少女は、昼下がりも引き続き客をとらされた。
積極的に誘ってきたのも、自ら進んで跨ったのも、全部背中の傷を見せない為。
仕事の成否で頭がいっぱいだった少年は、空元気で装った少女の体調不良に一切気付かず、なんなら腰を掴んでいたので背中の違和感にすら気付かず性行為に及んでしまった。
舌打ちがでそうになるのを辛うじてこらえ、乱暴に問いただす。
「怪我してるなら最初に言えよ」
「お客さんに関係ないもの。怪我してたって調子悪くたって、お代をもらった以上はきちんと満足させるのが娼婦の意地よ」
「バレないようにしろって脅されたのか」
「騎乗位なら大丈夫よ、ちゃんとデキたでしょ?私がリードすればペース配分調節できるし、キズに障らないように注意深く動けばいいだけだもの。大丈夫よ、慣れてるから」
必死に弁明する少女は、自分がどれだけ不幸な境遇かわかってないのだろうか。
根が負けず嫌いなのか、真剣な表情で言い募る少女と相対し、ライフルを背負った少年が呟く。
「朝までとるよ」
「でもお金は」
「証言を頼むかもしれないから大人しく留守番してくれ。まずは僕が行くから、呼びにくるまで好きにしてなよ」
そうすれば、ゆっくり休む時間がとれる。
「……一緒に行ったほうがいいんじゃない?」
「ふたりで店を出たら疑われる。必要ありそうなら自警団連れてくるから……」
同情?憐憫?怪我人を抱いた罪滅ぼし?
なんでこんなに必死になってるんだ、僕は。
大丈夫とくりかえすほどに不安になる、変な所で頑固な少女を言葉足らずに宥めすかし、反論は受け付けず身を翻す。
少なくとも、彼が泊まっている間はほかの客をとらずにすむ。
背中の傷が癒えるまで宿代は出せないが、朝が来るまであと数時間、薄幸の少女に安らかな眠りを提供したい……
胸の疼きが罪悪感か後悔か、はたまたそれ以外の感情か判じかねるままドアへ急げば、陽気に弾んだ声が追ってくる。
「お礼を言いたいから名前をおしえて、けちんぼさん!」
教会で授けられた洗礼名はとうに捨てた。今の彼が持っているのは、便宜上登録したコードネームだけだ。
振り向かずにノブを握り、そっけなく告げる。
「夜梟」
乾いた風に吹き転がされ東へ西へ、雑踏の合間をすり抜けていく枯れ草を淡く照らすのは、夜間営業の安宿や酒場のネオン。
青、ピンク、オレンジと、ドロップスを散りばめたように軽薄な光が瞬き、枯れ草を斑に染める。
あの草なんだっけ。シャレた名前が付いてた気がするけど。
砂埃に塗れた枯れ草から、向かいの宿屋の看板へ照準を移す。
ジジ、と通電の音がする。
ネオン管に群がり弾ける蛾の輪舞。
燃え爆ぜる鱗粉の刹那的な美しさ。
そこはよくある吹き溜まりの街、行き場をなくした者が最後に流れ着く場所。スラムと歓楽街の境界は曖昧で、聖人と廃人の境もまた曖昧。
酔っ払いとヤク中の線引きはあってないようなもので、針の折れた注射器や空き瓶の傍らでクズがよく野垂れ死んでいる。
繁栄と荒廃の二極化が進む辺境の街は、都落ちした悪党どもがのさばる無法の楽園だ。
「……辺獄ってこういうとこなのかな」
窓辺でライフルを構え、スコープで通りを監視しながら、少年は呟く。
ずっとずっと昔、飼われていた教会の神父に聞いた。
煉獄とはカトリックの教義における、この世のいのちの終わりと天国との間に、多くの人が経るといわれる清めの期間。
対して辺獄とはカトリックの教義において、洗礼の施しを受けず死んだ幼子が行く場所を意味するが、ダンテの神曲では地獄の門の前域にあたるとされ、善も悪も為さず死んだ日和見主義者の流刑地として扱われる。
その説は大いに説得力がある。
実際、今もあちこちから銃声と悲鳴が響いてくるじゃないか。
行き交うひとびとは無視しているが、ひとたび神のご加護に見放された路地裏を覗きこめば、女衒に髪を掴まれ鼻血を出した女や、愚連隊に袋叩きにされる浮浪者にお目にかかれる。
いまさらだれも驚きはしない、助けの手をさしのべもしない。
無関心こそ正しい処世術、正しい生存戦略。
無差別な同情はごく一部の幸福な人間に許された特権だ。
『ルシフェルの堕落を知りながら戦争に参加しなかった天使は、怠惰の大罪を贖うべく辺獄に繋がれているのですよ』
懺悔を終えて晴れ晴れした信徒を仕切り越しに見送り、安楽椅子に腰かけた神父はそう言った。
カソックの下、膝の間に幼い彼を跪かせ、萎びたペニスをしゃぶらせながら。
信徒の懺悔を聞く間、教会で養っている孤児にご奉仕させるのが、人格者と唄われた神父の隠れた趣味だった。
上手にできなければご飯はぬきですよと言われ、唇が切れるまでフェラチオさせられた。聖書の暗誦に詰まろうものなら、目隠しされた上に後ろ手を縛られ、熱い蝋燭をたらされた。
あの教会で学んだことは最低限の読み書きと、神様はいないか、いても放置プレイが好きな性倒錯者という世知辛い真実だけだ。
再びスコープを覗き、ネオン管に群がる蛾から向かいの部屋の窓へ視線を移す。
賑やかな通りを隔てた対岸には、ここと似たような安宿がある。
一階の酒場は繁盛しており、人の出入りが絶えない。
二階の窓にはきっちりカーテンが引かれ厳重に人目を遮っているが、内から漏れる明かりに照らされ、何人かの影が歩き回っている。
スコープにあてた目を細め、カーテンが映し出す影絵を読み解く。
どうやら仲間とテーブルを囲み、賭博に興じているらしい。
テーブルに着いた男が、扇状に広げたカードをぶちまけて卓上に突っ伏す。惨敗。まわりがドッと沸く。
仰け反り爆笑する輪に一人、髪の長い女がまざっている。
標的の情婦だ。
……となると、彼女が甘えるようにしなだれかかっているのが標的か。
少年の顔に憂鬱が被さる。
「……女の人が邪魔だな」
気乗りしない素振りで嘆き、丁寧に折り畳んだ手配書を懐から出す。
質の悪い紙面に刷られているのは、三白眼の凶相の男。
どうする?
部屋の詳細はカーテンに遮られ把握し辛い。
影絵で大体の配置はわかるが、勘頼みで引き金を引くのは極力避けたい。
もしも、万一ということがある。狙撃手は慎重すぎるほど慎重たれという師の教えを、彼は忠実に実践する。
時に人間は予想外の行動をする。
予断をもって挑むのは命取りだ。
最大のネックは、標的にひっ付いて離れない愛人の存在。
行く先々でケチな強盗をくりかえし女を強姦しまくった外道とはいえ、そんな外道をヒモとして養っている女性を道連れにするのは本意じゃない。
賞金首と知った上で匿ってるならまだしも、何も聞かされてない可能性すらある愛人を流れ弾で傷付ける決断がどうしても下せず、引き金にかけた指を緩める。
悩んでいる間にも刻々と夜は更けて、宿代が嵩んでいく。
賞金首を追いかけて辿り着いたこの街で、張り込みに絶好のポイントとして目を付けたのが、たまたま娼館の二階だった。
他にも候補はあったが、慎重に慎重を期すのが少年の流儀だ。
正直出費は痛かったが、標的の動向を一日中見張れ、狙撃を行えるポイントとしてもっとも適していたのは、真っ正面に位置するこの部屋を除いてほかにない。
誤算といえばここがただの娼館ではなく、街いちばんの娼館だったことに尽きる。
女の子は皆器量よしで床上手との評判通りで、ガチガチに緊張した少年にやさしく手ほどきしてくれた。
相手の子は今、ベッドですうすう眠ってる。
どの娘になさいますかと聞かれ、テンパって名簿の適当な欄をさしたのだが、お客様お目が高い、その娘はウチの人気ナンバー1ですよと褒められてしまった。
いえね、今日はたまたま空いてたんですよ。午前中は調子が悪いと寝込んでたんですが、ひと眠りしたらマシになった様子で、もう一稼ぎしたいと申しておりまして。一期一会ってヤツでございましょうねホント、働き者なんですよ……
おだて上手な女将にのせられ、とんとん拍子に話はまとまり、めあての部屋に送り出された。
そこまではいい、計画通りだ。
娼館にきて女の子を買わねば怪しまれる、部屋だけ貸してくれと頼めば説明が面倒だ。
少年が指名したのは偶然にも同年代の女の子で、この手の商売をしてるにしては珍しいほど無邪気だった。
ねえねえなんのお仕事してるの、そのおっきいトランクはなあに、旅人さん?よそからきたの、そこってどんなとこ、この街よりいいところ?
部屋に着くなりベッドに腰掛け質問攻め、これには弱りきった。
本当のことは言えないので適当にとぼけてはぐらかせば、いいじゃない教えてよとじゃれるように乗ってきて、やることをやったあとぐっすり眠りこんだ。
少年には好都合だ。
彼女が熟睡したのを確認後トランクを開け、部品を分解して持ち込んだライフルを組み立てた。
長物を背負い敷居を跨げば警戒される、受付で没収されたら障りがでる。
銃をバラして持ち運ぶのは狙撃手の基礎。雑踏での悪目立ちを避ける為にも鞄に詰めるのが利口。
ドロップスを塗した闇が浮かない顔を切り取る。
正確な年齢は知らない。
もとが捨て子なので、外見からせいぜい十五、六と推測するしかない。
お人好し、気弱、女々しいとさんざん腐される優しげな目鼻立ちは、他人に馬鹿にされることは常でも警戒されることは殆どない。
仕事をこなすうえで十代半ばの年回りと容姿は実に都合がいい、皆面白いように油断してくれる。
馬鹿正直にライフルを背負って出向いちゃ段取りがご破算だ。
着ている物もさほど特徴がなく、人ごみに紛れやすい。
唯一シャツの内側にさげたモノだけは特殊だが、それを知る人間は殆どいない。
少年と肌を合わせたがる物好き……たとえばラトルスネイク以外は。
昼下がりに投宿してから数時間、辛抱強く決行のタイミングを計り続けていたが、標的が一向にひとりにならず焦燥が募りゆく。
何度目かわからぬため息を吐いてスコープに片目をあてがえば、向かいの部屋の窓で変化が起きる。
「!」
カーテンに映る影絵に凝視を注ぐ。
男が女を振り払い、力一杯殴り付ける。
椅子を巻き添えに倒れた女があっけなくフレームアウト、いきりたった男がさらにその腹を蹴り上げるモーション。
あろうことか、周囲の連中は止めにも入らず笑っている。酒瓶やグラスを掲げ、痴話喧嘩を囃し立てる始末。
憂さ晴らしの虐待はまだ続く。
仲間の野次に気をでかくした男が臥せった女を殴る蹴るし、遂には酒瓶を掴んで振り回す。
腕を振り抜いた風圧で一瞬カーテンが捲れ、酒と怒りで醜くむくんだ素顔が暴かれる。
見るに堪えない修羅場に、眇めたまなざしが鋭さを帯びる。
「……もういいか」
決断は早い。
ポケットから一粒の錠剤を摘まみ、口の中へ放りこんで咀嚼と嚥下。
「!ッ、」
変化は激烈だ。
鋭い疼痛が走り、たまらず頭を抱える。
アイスピックで脳味噌をほじくられるような激痛をなんとか耐えしのぐと、今度は眼球が熱を帯び、視界が歪曲と伸縮をくりかえす。
薬は即効性だ。
飲んですぐ効果が出る。
ヤバい成分が含まれているのかもしれないが、どうでもいい。
どうせ長生きする気はない。
『コレ?最近流行ってる身体能力爆上げドラッグ。因果な商売で毎回危ねえ橋渡るんだ、保険うっといて損ねーだろ』
『一錠で超人、二錠で怪物、三錠で廃人……食いすぎにゃくれぐれも注意しろよ、もう何人かくたばってる』
この薬をくれた男は、翌日死んだ。
出所もよくわからない新種の麻薬だが、効果だけは信用できる。
キツく目を閉じて開けた時、視界は細部に至るまで鮮烈に冴え渡り、全てがスローモーションに見える。
向かい部屋のカーテンに映る影絵も、通りを埋め尽くす雑踏も、引き金を絞る指も、なにもかもが極端な緩慢さで動く。
のみならず雑踏に紛れた一人一人の顔が、その睫毛一本一本や頬の毛穴に至るまで、この距離と高さからハッキリ見分けられる。
視覚と聴覚が強化され自らの息遣いや衣擦れの音はもちろん、煤けた窓ガラスを隔てた喧騒やネオン管の通電の音、向かい部屋の椅子が床を擦る音すら拾えるようになる。
薬を服用したのち、瞳に劇的な変化が起きる。
感度は人間のおよそ100倍に上昇、網膜細胞が分化して疑似的に形成された照膜が赤く光を照り返し、夜行性の猛禽の特徴を発現。
その様はまるで―
「罪から来る報酬は死です。しかし神の下さる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです」
告死の赤で標的を見据え、あっさりと引き金を引く。
次の瞬間、窓ガラスが割れ砕けて男が仰け反る。
ゴトンと酒瓶が落ち、眉間を撃ち抜かれた男の姿に、女が悲鳴を上げる。
そして殺戮がはじまる。
「そのあかしとは神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです」
テーブルを囲んだ男たちが椅子を蹴立てて立ち上がり、ヒステリックな怒号を発して窓辺に殺到する。
二発目、三発目、命中。
桟を掴んで乗り出した男の頭が見事に爆ぜ、音速で飛来した鉛弾が、隣の男の脳天を貫く。
正確無比なヘッドショット。
被弾した人間は即死。
「あなたがたは今、私たちは目が見えると言っています。あなたがたの罪は残るのです」
「畜生、真っ正面か!?」
「暗くて見えねえぞ!!」
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」
最初の男が窓を開けてくれたおかげで、部屋の中を阿鼻叫喚逃げ回り、我先にドアへ詰めかける仲間を背中から狙い撃ちできた。
「もし私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」
周囲から音が消え、感覚がクリアになる。
脳内麻薬が過剰分泌され、心臓が踊りだす。
一定のリズムで引き金を引き続けると、雑駁な思考が淘汰されどんどん純粋な存在になっていくのがわかる。
心が不感症になっていくのと加速度的に比例し、煌々と不吉な輝きを増しゆく赤い目。
暗闇に一際映えるその目をスコープに固定し、全能感が支配する絶対の聖域に降りて、静謐の内に宣告。
「悔い改めなさい。天の御国が近付いたから」
狙撃の反動で風がおこり、首にさげた紐が浮けば、その先端の逆十字がネオンを反射して光り輝く。
雑音と色で構成された世界の全てが消え、それを知覚する個が限りなく薄まって、引き金を繰る指の動きと虚空に曳かれる弾道、標的と銃口を結ぶ射線のみに意識が集中する。
タタタタン、スタッカートで区切られた銃声が小気味よく鼓膜に響く。
撃って撃って撃ちまくり、運悪く部屋に居合わせた男たちを一掃していく。
「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」
昔いやというほど覚えさせられた反動で、流暢に口を突く断片。
聖書の暗誦に深い意味はない。恣意的に無我の境地に切り替えるスイッチ、たんなる集中力を引き上げる呪文だ。
感傷はない。
憐憫もない。
ただただ平板に、ただただ単調に聖書を引用する横顔には虚無に浸る倦怠感すら澱んでいる。
「そのとき、イエスはこう言われました。父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でわからないのです」
罪人への弔いに代え最後の弾丸を撃ちこみ、瞠目と共に締めくくる。
「アーメン」
硝煙が一筋たなびく銃口を下げたとき、向かいの部屋は血の海と化していた。
「二階の連中が殺られたぞ!」
「ユフィが咥え込んだ博打狂いのヒモか?ははっいい気味だ、馬鹿騒ぎしてっからバチが当たったんだ!」
「早く自警団呼んでこい!」
「ぐだぐだに飲んだくれて使い物になりゃしねえ!」
世界に色と音が戻り、緊張していた筋肉が弛緩。
うっすら開けた目の赤光が薄れ、本来あるべき色素が定着していく。
眼下の野次馬が色めきだち、何人かが自警団を呼びに散る。
あとは現場に行って自警団と交渉するだけだ。
死体と手配書を照らし合わせ、硝煙反応や目撃者の証言で少年が仕留めたと断定されれば、所定の手続きを経たのち最寄りの保安局で報酬がおりる。
少々殺しすぎたが、賞金首の協力者および共犯者の殺害は黙認される。
無能と怠慢の代名詞とされ、小競り合いに関わりたがらない自警団も、五人以上人死にがでればいやいや駆け付けざるえない。
実際のところ地元のゴロツキの寄せ集めの自警団が手柄を横取り、まんまと賞金を着服するケースもある為、死体の回収には必ず同行しないと……
瞼の裏で火花が爆ぜる。
「ッぐ……またか。だんだん酷くなるな」
咄嗟にこめかみを押さえ、頭痛の再発をやりすごす。
鈍器で殴られるような発作の余韻に身を折れば、場違いにのほほんとした声が聞こえる。
「あらやだ、大騒ぎね」
ふわあ、生あくびに振り向く。
眠たげな瞼をこすりながら起き上がった少女が、緩慢な動作で全裸にシーツを纏い、おっとり微笑む。
「久しぶりに良い夢を見れたの、空いっぱいにカラフルな風船が浮かぶ夢よ、とってもきれいだったわ。でもね、掴もうと手を伸ばしたそばからパンパンて割れてしまうの。イジワルよね?結局一個もゲットできなくて残念。あの何かが破裂する音、アナタの銃声だったのね」
純白のシーツにくるまった少女は、子どもの悪戯をとがめるように少年を見、窓ガラスの割れた向かい部屋を一瞥する。
「あなたが殺したのって悪いひと?」
「そうだけど」
「ならいっか」
アーメン、と呟いて十字を切る。
胸の前で手を組んで悪人の冥福を祈る少女に、少年は呆れ顔だ。
「……死んだのは賞金首だよ」
「お祈りはただだもの。それにだれにも悼んでもらえなきゃ可哀想でしょ、汝隣人を愛せよって神父さまはおっしゃったわ、付き合いのないお向かいさんだってお弔いしなきゃ」
「神父なんてみんな嘘吐きだ」
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身体を這い回るおぞましい手の感触を反芻して唾棄すれば、膝這いでにじり寄った少女が、少年の胸元へ……正確にはそこに在る逆十字へ、屈託なく顔を近付ける。
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「セックスだけだろ」
「それ以上に深い繋がりってなかなかないわよ」
そそくさと逆十字を隠せば、少女は「ケチ」と唇を尖らせる。
見た目は十代半ばの同年代だが、表情や仕草がやけに子どもっぽい。
そんなことを考えていたら、だしぬけに冷や水を浴びせられる。
「私を口実に使ったんだから、それくらい聞いてもいいと思うけど」
「起きてたのか」
「ちょっと前にね。っていうか、あんなにうるさくちゃ眠れないわ。最初からこの部屋めあて?言ってくれれば協力したのに」
「やることやったら寝オチしたくせに」
「その前におしゃべりしたでしょ?」
「すぐ上に乗ってきて、ろくに話す時間もなかった」
正直、事情説明は面倒くさい。彼女が寝てるあいだに事が済めば一番と、ざっくり構えていたのは否めない。
それを可能とするだけの自信もあったが、なによりも……
「人殺しのお手伝いをさせたくなかった」
先回りされ、顔を上げる。
シーツで裸身を覆った少女は、緩くウェーブした金髪に包まれた顔をほころばせ、おませに微笑む。
「ワケを話せば巻き込んじゃうから……人殺しの片棒担がすなんて黙ったままでいたかった。アタリ?」
図星だ。
居心地悪そうに俯き、床一面にばら撒かれた空薬莢を拾い集める少年を、少女はわくわくと見詰めている。
「ねえ、お向かいさんてなにしたの」
「正確にはそのヒモ。罪状は強盗、強姦……色々。方々の街を襲っちゃ派手に荒稼ぎしてた」
「あなたは賞金稼ぎ?狙撃手?」
「質問好きだね」
「なんにも知らないもの」
「答えは両方。賞金稼ぎで狙撃手」
「お名前は?」
「……言う必要ある?」
「けちんぼさんってよんじゃうわよ」
「お好きにどうぞ」
油の染みた布で銃身を浄めてからライフルを担ぎ直し、事務的に告げる。
「これから現場にいってくるけど……状況次第で証言を頼むかもしれない」
「私の?」
「アイツらを殺したのは確かに僕だって、見たまま言ってくれたらいい」
「あなたが撃ってるとき、まだちょっと寝ぼけていたんだけど」
「そういうのはいいから」
だんだんイライラしてきた。この子ちょっと、いや、だいぶズレてる。
膨れ上がった喧騒に窓の外を一瞥。
遅ればせながら自警団が到着したらしく、店の入り口に詰めかけた野次馬が押し合いへし合い道を開ける。
窓ガラスや調度品の修理費を報酬から引いたらいくら残るか、脳裏で算盤を弾きだした少年に構ってもらえず、退屈した少女がむくれる。
「お話するときはちゃんと相手の目を見ないと失礼よ。宿代はどうするの?朝までいるんなら嵩むけど、そんなお金ある?けっこう高いわよ、この部屋。なんたってシャワーとバス付きのスイートルームだもの」
少年は感心半分あきれ半分、まじまじと少女を見詰める。
度胸が据わっているのかオツムが鈍いのか、少年が賞金首とその仲間を射殺する一部始終を目撃したろうに、怯えるでも慄くでもなくあっけらかんと追加料金の相談に移る。
調べた限り最高の狙撃ポイントがたまたま娼館の一室だったから泊まっただけで、無事仕事をはたした今は、朝まで居続ける理由もない。
したがって、おしゃべりな少女娼婦を拘束し続ける理由もない。
「………高いんだ?」
「高いわよ、部屋も私も」
考え事をするときの癖で逆十字をいじる少年にえっへんと胸を張れば、まとったシーツが僅かにずり落ち、華奢な肩が露わになる。
「あ、」
少年は、見た。
一回セックスしたのだから、いまさら裸身に慌てはしない。驚いたのは別のモノだ。
シーツをはだけた華奢な背中に、痛々しい蚯蚓腫れが縦横無尽に走っている。
「どうしたんだ」
「……ママのおしおき」
「ママって女将さん?」
「そうよ、ホントのママじゃない育てのママ。実はね、街はずれに占い師のおばあさんがいるの。しわしわのジプシーのおばあさん。なんでもすごいよくあたるって、街じゅうで大評判。お店の子やお客さんもその噂でもちきりよ。今日の昼間、ちょっとね、ちょっとだけお店をぬけだして行って帰ってきたの。いけないってわかってたけど、どうしても見てもらいたいことがあって……」
「結果は?」
「上々!」
背中の傷とシーツが擦れて痛み、一瞬顔をしかめてから無理矢理微笑む。
「……それがバレちゃった」
体調を崩して寝込んでる、なんて真っ赤な嘘だ。
ナイショで店を抜け出したのがバレて折檻された少女は、昼下がりも引き続き客をとらされた。
積極的に誘ってきたのも、自ら進んで跨ったのも、全部背中の傷を見せない為。
仕事の成否で頭がいっぱいだった少年は、空元気で装った少女の体調不良に一切気付かず、なんなら腰を掴んでいたので背中の違和感にすら気付かず性行為に及んでしまった。
舌打ちがでそうになるのを辛うじてこらえ、乱暴に問いただす。
「怪我してるなら最初に言えよ」
「お客さんに関係ないもの。怪我してたって調子悪くたって、お代をもらった以上はきちんと満足させるのが娼婦の意地よ」
「バレないようにしろって脅されたのか」
「騎乗位なら大丈夫よ、ちゃんとデキたでしょ?私がリードすればペース配分調節できるし、キズに障らないように注意深く動けばいいだけだもの。大丈夫よ、慣れてるから」
必死に弁明する少女は、自分がどれだけ不幸な境遇かわかってないのだろうか。
根が負けず嫌いなのか、真剣な表情で言い募る少女と相対し、ライフルを背負った少年が呟く。
「朝までとるよ」
「でもお金は」
「証言を頼むかもしれないから大人しく留守番してくれ。まずは僕が行くから、呼びにくるまで好きにしてなよ」
そうすれば、ゆっくり休む時間がとれる。
「……一緒に行ったほうがいいんじゃない?」
「ふたりで店を出たら疑われる。必要ありそうなら自警団連れてくるから……」
同情?憐憫?怪我人を抱いた罪滅ぼし?
なんでこんなに必死になってるんだ、僕は。
大丈夫とくりかえすほどに不安になる、変な所で頑固な少女を言葉足らずに宥めすかし、反論は受け付けず身を翻す。
少なくとも、彼が泊まっている間はほかの客をとらずにすむ。
背中の傷が癒えるまで宿代は出せないが、朝が来るまであと数時間、薄幸の少女に安らかな眠りを提供したい……
胸の疼きが罪悪感か後悔か、はたまたそれ以外の感情か判じかねるままドアへ急げば、陽気に弾んだ声が追ってくる。
「お礼を言いたいから名前をおしえて、けちんぼさん!」
教会で授けられた洗礼名はとうに捨てた。今の彼が持っているのは、便宜上登録したコードネームだけだ。
振り向かずにノブを握り、そっけなく告げる。
「夜梟」
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