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Private Lessons
しおりを挟む教会の裏手に名もなき墓地がある。
元は埋葬費用を払えない貧民向けの墓地だったが、先代の神父が赴任してからこちら、不衛生な環境は疫病の温床になるとされ再整備が進んだ。
昔は大きな穴に骸を放りこみ、そこへ石灰を被せて腐敗を遅らせるのみだったが、今は粗末ながら墓石も立てられ、見苦しくない程度に景観が整えられた。
とはいえ、刈りこんだ芝生と遊歩道が綺麗に敷かれ、休日ともなればバスケットをさげた家族連れがくりだすアップタウンの霊園と比べたら大いに見劣りするのは否めない。
所詮は貧乏人が葬られるボトムの共同墓地だ。
木製に石、様々な材質でできた十字架が犇めく墓地にピジョンが訪れたのは、この日の午後のことだった。
「墓地で狙撃の訓練って罰あたりかな」
一抹の迷いはあれど、他に候補もない。
教会の中庭は論外、万が一子供に当たったら……想像するだけで肝が冷える。その点、おばけがでると噂の墓地に忍び込む子はめったにいないので安心だ。
また、わざわざ墓参りにくる信心深い人間はスラムに皆無なのでこちらも心配しなくていい。
手狭な墓地の外れに少しひらけた場所がある。
咎人が葬られた断罪区域。
生前教会の戒律を犯した徒は墓碑すら与えられずただ埋められて、死後も続く罰としてくり返し踏み付けられる。
『ご存知ですか?断罪区域の土には草が生えないんですよ』
『そ、そうなんですか?』
『荒れ地の呪いです。墓すら立ててもらえなかった、哀れな死者の無念が染み付いているのです』
蔦とイラクサが野放図に蔓延る墓地の中にあり、この区域だけは不思議と草が生えず、黒ずんだ土肌を剥きだし荒廃の観を呈す。
一瞬怖気付くも顎を引き、簡単に十字を切る。
この区画に入る時は必ず黙祷を捧げるのがピジョンのならいだ。
雑草が育たない地面はできるだけ踏まないようにして進むと、質素な長机が見えてくる。
さらにその先、別の台上に一列に並ぶボーリングのピン。
鳩にすら見放された殺風景な墓地の外れこそ、ピジョン専用の練習場だ。
「…………なんだかなあ」
罪人といえど、死者を踏み付けにするのは気分が悪い。ていうか、人殺しはともかく自殺者も罪人扱いはどうなんだ?のっぴきならない事情があったかもしれないじゃないか。泥棒だって金に困って仕方なく盗みを働いたかもしれず、永遠に罰されるのは割に合わない。
他に平らな場所がないためやむをえず使用しているが、罪悪感が半端ない。ぶっちゃけ呪われそうだ。
「化けて出ないでくれよ」
長机の前で立ち止まり、持参したライフルを構える。
深呼吸で気を引き締め、よく狙い定めて引き金を引く。
乾いた銃声と同時にピンの頭部が炸裂。
ピジョンは淡々と引き金を引く。
細身のライフルから放たれた弾丸は、狙い過たずピンの頭部に命中し、次々と弾き落としていく。
狙撃の練習にピンを使うのは人体と似ているからだ。
頭部の膨らみ、くびれ、ずんぐりした下半身の特徴的なフォルムは、ミニチュアの人体と思って狙いを付けるとちょうどいい。子供の頃はそこらで拾ってきた酒瓶を的にしていた。
長机にライフルをおき、頬で固定し反動を殺す。
墓地の静寂を打ち破る甲高い銃声と立ち昇る硝煙、高らかに排出される空薬莢。
風向きを読む。
銃を支える。
引き金を引く。
単純にして精密な一連の動作を必中に繋げる。
一列に据え置かれたピンの頭部が連鎖的に弾ける光景に、誰とも知れぬ人間の頭部が爆ぜる予知が重なり、引き金を引くのが一瞬遅れる。
その一瞬が致命的な隙を生む。
引き金にかけた指が滑り、狙いが僅か右にブレる。
そのブレが弾道に誤差を生み、リカバリーできない入射角のズレとなり、ピンの側面をこそぎとる。
胸中に動揺が広がる……最初はささやかな波紋だが、徐徐に深みを増して底なし沼へ代わる。
こうなるともうダメだ、集中力が続かない。
「くそ、」
思わず毒突く。
俺は人殺しの練習をしてるんじゃないと自分に言い聞かせるも、空々しい言い訳にしか聞こえない。
離れた所に並ぶピンのシルエットが実体をもって膨れ上がり、人間に化ける。
動悸が速まる。
呼吸が浅く弾む。
もしアレが人間だったら―『お前に人が殺せんの?』―赤い血が流れる、痛みを感じる、本物の人間だったら―『君もこちら側にくるかい?』『一緒に遊びましょ!』
「!ッ、」
体の芯から恐怖がせりあがる。
罪悪感で指が痺れ、引き金が滞る。
ただの訓練だと頭では分かっているが、心が拒絶反応を引き起こす。
『すごいじゃない、これであなたも立派な人殺しね!仲間が増えて嬉しい』
クインビーが無邪気にはしゃぐ。
『手はじめに孤児院の子供たちを皆殺しにするかい?お誂え向きに墓地がある、ここへ埋めればいい』
レイヴンがおっとり囁く。
『力と才能を誇示したいでしょ?』
『馬鹿にした奴らを見返したいだろ』
内からの声に唆され狙撃をトチる。
弾丸はピンを惜しくも掠めて飛び去り、銃声の余韻だけが虚しく尾を引く。
アンデッドエンドにきた。試験に受かった。免許をとった。
それが何だ?全部ぬか喜びだ。
俺はまだ、ライフルだってまともに撃てやしないじゃないか。
子供だましのスリングショットを銃に持ち替え、飽き飽きするほどピンを撃ち続けたところで、俺自身に人を殺す覚悟がなけりゃ賞金稼ぎなんて務まらない。
こんなざまじゃスワローの足を引っ張るだけだ。
胸の内で膨らむ劣等感が喉を塞き止め、途端に息苦しさが増す。過呼吸の発作に似たストレス症状……昔はなかった。
ライフルが手汗で滑り、ずりおちた銃身を慌てて抱え直す。静寂の重圧が身にしみる。誰もいないのに誰かが見ている錯覚に襲われ、怯む。
あるいは、死者が見ているのか。
「はっ、はっ、はっ……」
荒れ地に葬られた骸骨の群れが白い手で縋り付く幻影を、キツく目を閉じて追い出す。
なんとか立て直しを急ぐも、焦燥の上塗りが自滅を招く。
「しっかりしろピジョン……最初はできたじゃないか」
そう、最初は。
何も考えないでいられたうちは。
なんておめでたい子供だったんだ俺は、過去の自分を殴りたい。
雑念に思考が浸蝕された今、ピジョンは無能だ。実力の十分の一も発揮できない。
懸命な自己暗示で萎えた意志を奮い立たせるも、上方が欠けたピンを頭部を損傷した人間に置き換える想像力の残酷さにうちのめされる。
人を傷付けるのは怖い。
殺すのはもっと怖い。
「急所にあてたのは二十本中十本、ですか。的中率五割とするとまずまずのスコアです」
背後に静かな足音が近付く。
撃ち放しをやめて振り返れば、漆黒のカソックに身を包んだ年齢不詳の男が微笑んでいる。
「先生……」
品行方正な聖職者にして温厚篤実な人格者の肩書を持ち、教会と孤児院を取り仕切る男は、割れ砕けたピンとピジョンの浮かない顔色とを見比べ事情を悟る。
「断罪区域で練習してると聞いて見にきたのですが、芳しくないですね」
「バレちゃいましたか。狙撃訓練は日課ですけど、このところ絶不調で……スランプですよはは」
頭をかいてごまかす。
「それはそれは」
「先生こそ、仕事はいいんですか?わざわざ時間を割いてまで俺のこと気にかけてくれるなんて申し訳ない、練習なら一人でできますよ」
「君はジョヴァンニ氏からの大事な預かり物です。よくできた弟子に甘えて無責任にほったらかすわけにもまいりません、師として最低限の務めは果たさねば」
ピジョンは現在教会に居候している。
神父はそこの責任者とピジョンの師匠を兼ねる人物で、元は狙撃を専門とする凄腕賞金稼ぎだったというが、ある時期を境に引退し聖職者の道に入ったと聞く。
「……なんて。ホントは逃げてきたんです」
内緒ですよ、と悪戯っぽく人さし指を立てる神父にきょとんとする。
「はあ。何からです?」
「勉強です」
「子供たちに教えてる……?」
神父が緩やかに首を振って両手を開く。
「明日を担うこどもたちへ知識を授けるのは大人の義務ですが、いかんせん私にも知らないことはある。ねえ先生どうして空は青いの、なんで太陽は沈むの、ラジオがしゃべるのはなんで、赤ちゃんはどこからくるの、そもそも何をどうしたら来てくれるのと質問攻めにされたって知らないことは知りません。パーフェクトにお手上げです」
「最後は知ってるのでは?」
「神様にお願いしたらコウノトリが運んできてくれますよ」
「メルヒェンだなあ」
「じゃあ君、大人向けの下着は何歳から付けていいのか聞かれて答えられます?」
「お、大人向けの下着ってどんなのですか」
「エグいのですよ」
「布面積が極端に少ない紐パンとかボンテージとか……ベビードールの可能性も」
「清く正しい聖職者の口からはとても申し上げられません。ペテロの地引網のような下着じゃないですかね、ウチの子たちはませてますので」
しれっと付け加えてピジョンに向き直る。
「ジョヴァンニ氏は君を高く評価しています」
「……もったいないです。俺なんかまだ全然……」
「練習も拝見しました、体幹は安定しており決して筋は悪くない。途中からガタガタに崩れたのは何故です?」
「笑わないでください」
「もちろん」
ピジョンは俯く。
「ピンが人に見えて」
「それで狙いを外したと」
「馬鹿なこと言ってるって思うでしょうけど、一度そう思っちゃうとどうしてもダメで。俺が今引き金を引くのは本当に正しいのかどうか、わからなくなる」
「技量的な問題、というよりメンタルコンディションの問題でしょうね。君はスナイパーライフルに高い適性を示してます」
ピジョンは口惜しげに唇を噛む。
「甘いってわかってます。子どもの頃はスリングショットを使ってました……自分にはこれっきゃないって恃みこんで。でも銃は……コイツは一発で人を殺せる。俺の不注意で簡単に人が死ぬんです」
「自分は使い手にふさわしくないと?」
「弟と違って前衛向きじゃない、体力もすぐ底を突く。ナイフの扱いもてんでお話にならないときたら後方支援を頑張るっきゃない……そんな消去法の選択肢の中でコイツと出会ったんです、姑息に逃げ隠れする弱みを強みに変える、臆病者の才能を生かせる味方と」
ドリームキャッチャーを結んだライフルを優しくなで、続ける。
「今の所俺が辛うじて扱える武器はスナイパーライフルだけです。刺して切って抉る、殴って絞めて殺す感触がダイレクトに伝わる得物は先に神経がまいってしまいます。鉄臭い返り血を浴びずにすんで、消えゆく鼓動と体温に無関心でいられて、死にゆく人の目を見て呪いを受けなくていい。狙撃の反動にさえ耐えれば命を奪うてごたえを感じずにすむコイツは、どうしようもない俺の弱虫を肯定して、罪悪感と劣等感を免除してくれる」
離れたところから狙い撃ちするスナイパーライフルはピジョンと相性抜群だ。
でも。
だからこそ。
「……コイツを使いこなせるようになったら、俺はただの人殺しになりさがりかねません」
引き金を引くだけで人が死ぬ。
殺す覚悟も殺した実感もないまま、遠く向こうで人が死ぬ。
あれだけ人殺しを忌み嫌い拒んできた自分が、クインビーやレイヴンと同じ闇にとらわれてしまったら……
その時俺は、白い鳩のままでいられるのだろうか。
血と闇にどっぷり染まった翼で飛んで行ったら、母さんは気付いてくれるのか。
羽ばたけど飛べず、地獄へ堕ちるのみだとしたら。
「引き金を引く時、俺の体感だと地獄は5インチしか離れてないんです」
俺はスワローの抑止力じゃなきゃいけないのに。
切実に吐露するピジョンと向き合い、神父が呟く。
「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない」
「え……」
「詩編の一節です」
ピジョンの後ろに回り、その肘と腰に手を添え、足の幅や顎の角度をこまめに微調整してスタンディングのポーズをとらせる。
「スタンディングは足腰の筋肉だけで支える射撃姿勢で、ブローン・ニーリング・座り込みを含む基本型の中では一番安定しません。長距離には向かない、近距離向けの射撃姿勢です。そのぶん最も早く移行でき、即応性が高く機動性があります。ほぼ全身をさらすので弾に当たる面積がもっとも広く、敵に発見されやすくなるのがデメリットですが」
「は、はい」
「射撃を安定させるためには肩幅に足を開いて踏み構え、敵に対して身体を真っすぐに向けて銃を構えてください」
おざなりになりがちな基本を復習し、顎で挟んで銃を固定する。
「それからよく的を見る。距離はおよそ」
「98フィート……32ヤードです」
「よろしい」
ピジョンの手に手を添え、指をやさしくほどいて引き金に導く。
「32ヤードならほぼ一瞬で着弾します。これが超長距離狙撃となると6~8秒かかるので様々な外的要因が干渉することも考慮せねばなりません、高等数学の領域ですね。優秀なスナイパーは地球の自転や銃口を向ける方向の風の影響を計算します。銃口のすぐ先に吹く風だけじゃなく標的付近の、さらにはその中間地帯に吹く風も計算に入れるのです」
たとえば、途中の沼地から立ち昇る蜃気楼の影響すらも。
「すごいな……想像できません」
「ネガティブな方面に想像力を使いすぎですよ」
苦笑いして指導に戻る。
「銃弾の形状や回転によるスピンドリフトも影響します。技術のブラッシュアップは最優先課題でしょうね」
「はい」
「並の狙撃手なら段階を踏むのに、君は雑念に惑わされてなお当てに来るから始末が悪い」
神父の独り言にピジョンは驚く。
「気付いてなかったんですか?」
「えっと……」
「たかだか32ヤードと侮ってはいけません、心の乱れは弾道に直結する。ですが大きく外した的は一本もない、どれも側面を掠っています」
「どういう意味ですか」
ひたむきな弟子にせがまれ、食えない笑みを浮かべる。
「君は君自身が思うよりずっとタフでしたたかな人間ということですよ」
末恐ろしいことに、ピジョンは無自覚に勝ちをとりにきている。
人殺しは嫌だと嘆く口先とは裏腹に、未だ覚醒に至らず抑圧された狙撃手の本能が、あまねく標的を落としに来る。
「そんな、」
シビアな指摘に反駁するピジョンを制し、肩に手をおく。
「アレはただのボーリングのピンです、安心して仕留めなさい。頭を撃ち砕いたところで誰も死にません、いわんや地獄に落ちるわけもない」
本性をさらけだしたところで咎めるものは誰もないと、人さし指でピンをさす。
「5インチ先の地獄に踏み外すのが心配なら、私が引き戻してさしあげますよ」
その言葉が最後の一押しになった。
再び顎に挟んでライフルを構え、引き金に指をおく。
神父は薄く笑んだままピジョンの背後に立ち、細い肩を支える。
「誘惑に陥らないように目をさまして祈りなさい。心は燃えていても肉体は弱いのです」
呼吸を均す。
静寂が満ちる。
ピンクゴールドの前髪の奥、ラスティネイルの眸が迷いを払拭した眼光を帯び、ゆっくりと引き金を絞るのに合わせ爛々たる煉獄の輝きを増す。
「アーメン」
神父が祈りを紡ぐと同時、ピンの頭部が勢いよく爆ぜ散る。
あたり一面に破片が飛び散り、銃声の余韻が寂と漂うなか、すっかり腑抜けたピジョンが呟く。
「当たった……」
「おめでとうございますピジョン君」
「さっきまで全然だったのに……なんで?先生のアドバイスのおかげかな。あ、でもまぐれかもしれないか……いやいや違うって先生が指導してくれたのにまぐれとか失礼だろ!でもホント先生の声聞いてるとス―ッと落ち着いて……頭が空っぽになって、余計なこと考えずにすみました」
「私でお役に立てたなら光栄です。そうだ、先程シスターがさがしておりましたよ。洗濯物を干すのを手伝ってほしいとか」
「大変だ、すぐ行かなきゃ!」
即座に駆け出そうとして急制動、神父の前で深々一礼する。
「今日はありがとうございました、本当はもっと付き合ってほしいんですけど……次の機会にゆっくりと」
「はいはいいってらっしゃい」
慌ただしく走り去るピジョンを見送ってから、寂れた墓地にたたずみ途方に暮れる。
「……はあ、むずかしい子を引き受けてしまいましたね」
ピジョン・バードは狙撃手としては前途有望だ。キマイライーターが期待するのもよくわかる。
だが、危険だ。
突出した才能と自己評価がまるで釣り合わず、狙撃のスコアに波があるうえ、彼自身の危惧がいずれ現実になりかねない。
何故なら。
足元に落ちた破片を拾い、先刻の弟子の横顔を思い出す。
人に見立てたピンに引き金を引いた時、あの青年は確かに……
「笑ってましたよ」
心から楽しそうに。
赤い目をした悪魔のように。
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