タンブルウィード

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golden wedding 3

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「危ないから走るな」
「景気付けの助走。これからど真ん中に飛び込むんだぞ」
「踊り方なんて知らないし……」
ダンスホールにはプロの楽団が招聘され、飴色に艶めくバイオリンや白銀に磨き上げたフルートで荘重なクラシックを奏でる。
縦糸と横糸が交錯しタペストリーを織り上げるように重層的に絡み合い広がっていく豊饒な旋律。広い空間に散る男女はパートナーと寄り添い、洗練されたステップを踏み、緩やかな円を描く。
ワインレッド、ターコイズブルー、サフランイエロー、タフィーピンク、ピーコックグリーン、サンオレンジ。
シャンデリアが散り敷く光の雫に照らされ、大輪の花が咲き乱れるが如く彩なドレスが回り、十重二十重の円舞が展開される。
陳腐な表現だが、まるで別世界のようで気後れする。
もう何度目かで場違いを痛感、神経質な手付きでネクタイの位置を微調整し上がり症をごまかす。
「俺はパス。一人で行ってこい」
「恥かきたくねーの?」
即座に弱気を見抜かれ口ごもる。
「人の足を踏んだら目もあてられない」
「テメェの部屋に『コケる時でも前のめり モテテク追求ダンス入門』ってこっぱずかしいタイトルの教本あったぜ」
「あ、アレは一応心構えとしてだな。っていうか勝手にガサ入れやめろ、プライバシーの概念を生ゴミの日に出すな」
「煮ても焼いても食えねーなら不燃ゴミの日だろ、精通した時も皮剥けた時もばっちり見てんのに今さらナニ隠し立てんだ」
「ばっ……!」
破廉恥な発言に一声甲高く張り上げれば、周囲の人々が示し合わせて不審がる。
「……馬鹿も休み休み永眠しろ。見せたくて見せたんじゃない、お前が無理矢理」
「小声で怒鳴るの器用だな」
「時と場所考えろ、だれかに聞かれたら赤っ恥通り越した黒歴史だ。せっかくのめでたいパーティーだってのに俺たちのせいで台無しだ、キマイライーターを幻滅させたいのか」
早口で窘め、浮き沈みさざめく人々の間に主催者をさがす。
いた。
群衆の頭を隔てた遠くで、長年の知己らしい老夫婦と親しげに語り合ってる。
恩人の耳に届かず済んでホッとするも、スワローはまるで反省の色なく、不真面目に耳をほじって聞き流す。
「相変わらず気にしぃだな。たまにゃあ弾けろ、自分に褒美くれてやれ。こそこそ人目うかがってたらあっというまにジジイになっちまうぜ」
「ダンスは得意じゃない」
「でも好きだろ?」
そうだ、踊るのは嫌いじゃない。
多分好きな方だ。
「ガキの頃廃墟のドライブインで踊ったろ」
「さんざん振り回された」
「こないだだってレコード聞きながら」
「床が抜けそうでヒヤヒヤした。苦情を受けるのは俺だぞ」
口では抵抗するが立場は弱い。
実際楽しかった、自分の気持ちに嘘を吐くのは難しい。
スワローがおもむろに詰め寄り、兄の顔の横に平手を突く。
「で、どうするよ」
口笛でワンフレーズ奏でたのは、廃墟のドライブインでラジオから流れた思い出の曲。
「何度も言わせるな」
胸元をやんわり押し返し、挑むように目を見据える。
「俺は踊らない。ここで待ってる」
スタンドバイミーそばにいてくれの誘いも虚しくきっぱりフラれ、スワローが拗ねる。
大好物をお預けされたようなさもしい表情。
「そうかよ」
堅物がすぎる兄に愛想を尽かし、視線を切って背を向ける。
だんまりで見送るのも癪で、あえて気にしない素振りで軽口を叩く。
「せいぜい壁の花になっとく」
「干上がってドライフラワーになっちまうぞ」
「そしたらお前が摘んでくれ」
スワローが振り向く。
その横顔に伸び上がるように片手を添えすぐ離し、ネクタイのズレを直してやる。
「楽しんでこい」
上手く笑えてるだろうか。
見栄と虚勢の産物でも、惨めさに沈むより余程いい。
「おう」とバツ悪げな返事をして走り去ったスワローがにわかに歩調をおとし、進行方向で暇そうにしていたうら若い女に声をかける。
「踊ろうぜ」
「え?」
第一声がそれかよ。自己紹介省くな。
心の中でツッコミを入れるピジョンをよそに、女性はまんざらでもなさそうに頬を染める。
「あなた雑誌で見たことあるわ、ストレイ・スワローよね賞金稼ぎの」
「お見知りおき頂きまことに光栄。アンタみたいな美人に名前を知ってもらえるんだから、賞金稼ぎは得だな」
「有名ですもの。ねえドッグショーのこと聞かせて、どんなにおねだりしてもお父様は連れてってくれなかったの」
「あとでたっぷり」
ふざけて一礼したあと、手の甲にキスをする。
うんざりするほどキザで、だけど惚れ惚れするほどキマった仕草。
「女ったらしめ……」
自分にはとても真似できない、真似する気も起きない芸当に舌を巻く。
「パートナーに指名しても?」
「喜んで」
快諾した女性の手を引き、スマートに円舞の輪に加わるスワロー。
どんな型破りなダンスをするか、まさか逆立ちで回りだすんじゃないだろうなと気を揉むが、予想を裏切るステップは軽やかに、演奏に乗って女性をリード。
ピジョンと同じでダンスの正式な作法など殆ど知らないはずだ。
なのに。
「お似合いねェあの二人」
「可愛らしいカップルだ」
「若い頃を思い出しませんかアナタ」
「女性の方はウェストサイドのロバーツ家の娘さんね」
「株で大儲けした?男性の方は知らない顔だ」
「彼はストレイ・スワローだよ、ダウンタウンの賞金稼ぎの。キマイライーターの知り合いだったとは人脈が広い」
「逆玉の輿?ロミオとジュリエットみたいでロマンチックね」
「身分差恋愛なんていまどき流行らない」
「一夜の火遊びで大火傷しなけりゃいいけど。聞いた話じゃ随分な遊び人なんでしょ」
周囲でひそひそ声が飛び交い、手に手にカクテルを持った野次馬たちが舞踏に興じる群衆の中で一際目を引くペアを褒めそやす。
シャンデリアの光を受けて眩く輝くイエローゴールドの髪、均整とれたモデル体型。スーツの着こなしも様になっている。
並外れて整った容姿はもちろんのこと、美しく着飾った令嬢と密着し華奢な腰に手を添えて回るスワローには、どこに出ても主役になれる特別なオーラが備わっていた。
「…………」
場の注目を一身に集めたスワローと、彼とペアを組んだ女性が仲睦まじく踊る姿に、劣等感とまぜこぜになった嫉妬がじくじく疼く。
徹夜で本を読みこんだが、付け焼刃の知識を実践できるか激しく心許ない。

テンポがズレたら?
一人遅れたら?

躓いて恥をかく位なら大人しくしてるのが無難だ、隅っこでじっとしてればいい。
失敗を過剰に恐れる気持ちが、努力が報われなかった経験の集積が、彼をひどく臆病にさせる。
「殆ど勘で動いてるくせに」
物腰は傲岸不遜なまでの自信にあふれ、微笑みに色香匂い立たせる弟を自然に目で追いかけながら胸の裡で負け惜しみを呟く。

俺だって、スワローとなら踊れるんだ。
踊りたくないだけで。

蚊帳の外で眺めているのがいたたまれなくなり、足早に移動する。
ドレスやスーツを着た人々が遊泳するダンスホールを横切るさなか、厚化粧のご婦人方と談笑していた男とすれ違いざま肘があたる。
「おや失礼」
「こちらこそボンヤリして……お怪我ありませんか」
馬鹿だな、しっかりしろピジョン。
紳士的な謝罪に振り向けば、オーダーメイドのスーツを一分の隙なく着こなした壮年男性が立っていた。
緩やかにウェーブした金髪を流し、タレ目がちの目に泣きぼくろが艶っぽい、甘いマスクの二枚目。
第一印象は弁舌爽やかな俳優上がりの実業家といったところか。
ピジョンを認めた男の笑顔が変化し、目の奥に疑問が湧く。
「君は……どこかで見覚えが」
「はい?」
「思い出した、先日ミュータントの人身売買事件で活躍した賞金稼ぎじゃないか。スラムの教会の孤児が誘拐された……通り名は確かスパロー」
「それは弟です、序でにスパローじゃなくてスワローです。俺はピジョン……」
「そうそうリトル・ピジョン・バード!」
華やかなざわめきが途端に遠のく。
男が挙げた事件はピジョンが修行中に関与したものだ。
もっとも、ミュータントの私生児の誘拐など治安の悪いスラムではさして珍しくもない。
口減らしで捨てられたストリートキッズが主な標的だが、管理の杜撰な孤児院から拉致される事例も少なからず、さらには職員が賄賂をもらい業者を手引きする不祥事も後を絶たない。
その手の事件はあまりに日常茶飯事であるが故にいちいち追っていたらきりがないとマスコミにすらスルーされがちだが、世間に迫害されるミュータントの落とし子ばかり集めた孤児院が標的になったこと、実行犯の賞金首がなかなかに悪名高かったことで、瞬間風速的に取り上げられた。
ピジョンたちにとって幸いだったのは、同時期にスワローがコヨーテ・ダドリーのドッグショーを派手に潰し、大衆がそっちに食い付いたことだ。関係者の口が固く、ろくな証言がとれないのも世間の関心を薄れさせる要因となった。
泣きぼくろの男が恰幅良い婦人の手の甲に接吻、暇を告げる。
「お名残り惜しいですがマダム、こちらの好青年と話してもよろしいでしょうか」
「ええ勿論。来週の会食の予定忘れないで頂戴ねフェニクス社長、うちの人が新しく出したレストランを紹介するから」
「ウエストサイドに出した新店舗ですか、それは楽しみだ。至高の晩餐に備えて体重を落としておかなければいけませんね」
なめらかな世辞の応酬にあっけにとられていると、ご婦人の相手を辞した男が靴音高く近付いて、あくまで上品にピジョンを値踏み。
「リトル・ピジョン・バード君」
「はい」
歯切れよく名前を呼ばれ、しゃちほこばって返事する。
「ピンボケ写真のせいで自信がもてなかったが、近くで見るとうん、間違いない」
スッと男の手がのび、力仕事などしたこともなさそうな指が、ピンクゴールドの前髪を掠め去る。
「上等のシャンパンに似たピンクゴールドのストレートヘア、優しげなラスティネイルの眼差し、控えめな微笑が似合うくちびる、俗世間に揉まれてなお染まりきらぬ撫で肩の初々しい風情……無垢なる小鳩リトルピジョンとはよく言ったものだ、名が体を表している。ジョヴァンニ氏のパーティーで会えるとは驚きだ」
指で梳かれた前髪が軽く揺れ、反射的に腰を引くも、見識の広さには素直に驚く。
「よくご存じですね、小さい記事だったのに」
「あの事件には私も心を痛めてね、注意深く経過を追っていたんだよ。最小限の被害で済んでよかった、さらわれた子どもたちも無事取り返せたとか。それにしても罰あたりな連中だ、教会付きの孤児院を襲撃するとは……もともとたらい回しにされた身の上の子どもたちは輪をかけて災難だが。賞金稼ぎ崩れの賞金首はタチが悪い」
一挙手一投足がいやに芝居くさい。
カメラ映えする演技指導でも受けているかの如く堂々たる立ち振る舞いは注目を浴び慣れた者特有の自信を帯びて、瞳の奥に強い上昇志向と選良意識が覗く。
少し苦手なタイプだ。
「コヨーテ・ダドリーの方が注目度は上だがね。顧客リストがきっかけで失脚した者数知れず、ゲスの極みのビデオに群がる倒錯者とそれに準じる犯罪者予備軍が家族連れでジャンクヤードのドッグショーに訪れていた事実が明るみになれば、名士の風上にもおけない軽はずみな行状に批判が集まるのは不可避。あの手の下品な見世物は子どもの情操教育に良くない、動物愛護の精神に悖るから規制すべきと再三苦言を呈してきたのだが……市政の失策が悲劇に繋がり誠に遺憾だ」
なんだか妙な成り行きになってしまった。
初対面というのに男はひどく親しげな口をきく。ひょっとしてどこかで会っているのか……そういえば見覚えがある、どこで見た?
カクテルで口を湿せば、自分の演説に酔ったのかさらに饒舌さが増す。
「アンデッドエンドの治安悪化は深刻だ。アップタウンとダウンタウンの貧富の差は開く一方、とりわけボトムどん底……スラム街には難民が流れ込んで犯罪が増え続ける。記事には君の恩師が経営する孤児院とあったが」
「はい、そうです。先生……師はもう引退しましたが、嘗ては凄腕の賞金稼ぎだったんです」
「人の身でありながらミュータント孤児の受け皿になるとは、実に見上げた人格者だね。博愛精神に富んでいるのは職責かな」
「元の人柄ですよ」
「どちらにしろ奇特な心がけだ、見習わなければ」
「先生は立派な方です、心から尊敬してます。でも俺は……そんな風に言っていただけるほど大したことしてないんですよ」
ピジョンは曖昧に笑って頬をかく。
男が器用に片眉を上げる。
「謙遜かい?」
「……ここだけの話、よく覚えてません」
後ろめたげに告白する。
ピジョンは修行先で例の誘拐未遂事件に遭遇したが、子どもたちを奪還しに敵の隠れ家に突入した際、逆に捕まって全治二週間の大怪我を負った。それから丸一日監禁され拷問を受けたのだが、その際に頭を強く打ち、前後の記憶が飛んでしまったのだ。
「恥ずかしい話、子どもたちを助けにアジトに突入してからの記憶が曖昧で……部分部分は覚えてるんですけど。医者に診せたら心因性のショックが関係してるかもしれないって言われました。よくあるらしいですよ、解離性健忘って症例で」
「それは……酷い体験をしたね」
男が同情する。
「先生……師匠曰く無理に思い出すことはない、時間が経てば自然に思い出すからそのままにしておきなさいって……抜けても不都合ない記憶ですし、嫌なことを忘れられるならラッキーですけど。その意味では得したかな、なんて」
自分でも不思議なほど落ち着いて説明できた。あるいは感情が乖離して他人事のように話せるのか。
本来もっと真剣に対処すべきだが、現状悩んだ所で行き詰まるだけなのでいたずらに蒸し返さないようにしている。
ピジョンは神父に絶対の信頼をおいてる。その神父が大丈夫と保証したのだ、ならば深く考えないのが最善だ。
小さく深呼吸し、伏し目がちに回想する。
「孤児院が襲われて、子供たちがさらわれたのはハッキリ覚えてます。ヤツらは指名手配中の賞金首で、誘拐・暴行・殺人・監禁・人身売買の前科がありました。事は一刻を急ぐ……よそに売り飛ばされてからじゃ手遅れと思い余って、俺自身が行くことにしたんです」

神父の制止をふりきって。
愛用のスナイパーライフルをひっさげて。

『お待ちなさいピジョン君、はやまってはいけません』
『行かせてください先生、じゃないと子どもたちが』

あの夜、ピジョンは完全に平常心を失っていた。
日頃から懐いてくれていた子たちが誘拐され、明日には変態の慰み者にされるかもしれない状況下で落ち着きなさいとくり返し諫める師に激怒し、ほぼ独断で犯人の検挙に向かったのだ。

『なんでそんなに優柔不断なんですか!!』

「!ッ、」
沈鬱に苦悩する神父、ヒステリックに泣き喚く孤児、懸命に宥めるシスター。
不安と恐怖が渦巻く場の混乱に背を向け、夜の闇の中に駆け出すフラッシュバックが襲い、反射的にこめかみを押さえる。
「大丈夫かい?」
「すいません、ちょっと頭痛が……思い出そうとするとすぐコレだ」
「無理しない方がいいよ、先生の言うとおり時がくれば自然に治るさ」
「ありがとうございます」
賞金首の顔と名前だけは鮮明に覚えている。忘れようにも忘れられない。

ゴースト&ダークネス。
手配書に記された正式名称はレオン・ゴーストおよびレオン・ダークネス。亡霊と暗闇の忌み名が端的に象徴するとおり、連中は邪悪の化身だった。
このことはスワローにも言ってない、ピジョンと教会関係者の間だけの秘密だ。尤も、一度でた記事の回収は不可能だ。小さな記事とはいえ、スワローの目にふれた可能性は否定できない。
いや、もし見ていたら必ず何か言うはず。今に至ってなおスルーし続けてるなら、離れ離れの間に兄の身に起きた異常を知らないのだ。
もとよりスワローは熱心にスクラップする兄と違って雑誌を熟読するタイプじゃない、せいぜい暇潰しに流し読む程度だ。

俺が口を割りさえしなければ何事もなく忘れられる、そうあってほしい。

「カッコ付けて飛びだしたはいいものの、焦りのせいでミスを連発して生け捕りに。その後はよく覚えてないんですけど、気付いた時にはボロボロ。骨も何か所か折れてたし……先生の応援が間に合わなければ絶対殺されてました、恩師であると同時に命の恩人です」
記憶の欠落には漠然と不安を覚えるが、一方で思い出そうと試みる都度拒絶反応が起きる。

救出された時、ピジョンは朦朧としていた。
ほぼ昏睡状態で半日が過ぎ、目を開けて一番最初に見た神父は、憔悴と安堵が色濃い面差しで彼の手を握っていた。
神父をはじめとする教会関係者は怖い思いをした子どもたちを慮って詳細を語らず、事件の話題は暗黙の内にタブー視され、神父との日常会話でも互いを微妙に気遣い合って言及を避けている。
神父経由で当然聞き及んでいるキマイライーターが物言いたげな目だけをして流したのも配慮が働いた結果だ。
普段は忘れていられる、頑張って忘れようとしている。口に出さなければ本当に忘れられる気がして、意識の端に上らせなければ本当になかったことにできる気がして……

『一生忘れられん夜にしたる』
亡霊。
『生きながら裂かれる気分はどないや』
暗闇。

「酷い顔色だ」
「ちょっと酔っ払っただけです。こんな高い酒めったに飲めないから調子にのりすぎました、あはは」
虹色の暈を帯びた視界の軸がぶれ急傾斜。
乾いた笑いでごまかし、男のそばを離れようとしてよろめく。男がすかさずピジョンを支え、ピジョンは男の肩に額を凭せる。
傍目には抱き合ってるような格好だ。
「すいません、見苦しいところを」
「私も最初の頃は加減がわからず飲みすぎて目を回したよ。外の空気にあたれば気分が良くなる、こっちからバルコニーに出れる」
このひといい人だ。
疑ってかかったことを心から反省、知り合ってまもない男の親切に感謝する。
男はぐったりしたピジョンを抱え直し、自分の首に腕を回させる。
「待ってください、よく知らないひとにそこまでしてもらうわけにはいきません。バルコニーなら一人で出れますから、気にせず続きを楽しんで」
「私の名はフェニクス・I・フェイト。これでよく知らないひとじゃなくなったね、君に親切にする権利があるわけだ」
フルネームを聞き、脳の奥で既視感が弾ける。
「フェニクス・フェイトってまさか」
演奏が終わって小休止に入ると同時、荒々しい足音と怒り狂った気配が吹き付け、次の瞬間ひっぺがされる。
「俺の駄バト囲い込んでナニする気だよ、おっさん」
「スワロー……誤解だよ、この人は酔っ払った俺を介抱して……ていうか所有格付けるな、誰がお前のだ。駄バトでもないぞ断じて、俺だってその気になりゃ飛べるんだ飛びたくないだけだ面倒くさいから。落っこちたら痛いし怪我するだろ、だったら鳩時計に巣ごもりしてたほうがまだマシだ、毎日昼にポッポー鳴いて子どもたちを喜ばせる愛され人気者マスコットに俺はなりたい」
アルコールで体温が急上昇したピジョンが支離滅裂な妄言をほざき、自力で歩き出そうとしてまたよろけ、頼りなく片膝が抜ける。
「足に来たね。無理せず手を借りて」
男―フェニクスが苦笑いでさしのべた手に縋り、ピジョンが微笑む。
小悪魔の顔で。
「優しいんですね」
回らない舌で紡がれた言葉と微熱に潤んだ目の媚態に虚を衝かれ、フェニクスが生唾を飲む。
火照りを持て余したのかそれとも息苦しいのか。
彼にしては雑な手付きでネクタイを緩め、鎖が絡んでうっすら上気した首元をはだけ、申し訳なさげに苦笑い。
「……でも、そんなに優しくされると困る。なにも返せませんよ」
「おいピジョン誰だよコイツ」
「よく見ろ、たぶん知ってる……ダメか、経済面読まないもんな。お固いニュースも見ないし。もうちょっと世間の動きや株価に関心もったほうがいいぞ」
「アップタウンの動物園でパンダの赤ん坊が産まれたニュースなら見たぜ。帰りに一匹ガメてくるか、売っ払えばカネになる」
「申し遅れたね」
フェニクスが背広の懐から出した名刺をスワローに渡す。
そこには『PP製薬CEO フェニクス・I・フェイト』と肩書が刷られていた。
「PPって何の略」
「パンデミックパンデモニウム。私は万魔殿の主」
プロヒビティヴペイン禁じられた痛みだよ」
男の冗談を生真面目に訂正したピジョンが一息に説明する。
「聞いたこと位あるだろ、テレビでよくCM打ってる……暴走周期を抑制する新薬を大々的に売り出した超有名企業、ミュータントの救世主って巷じゃ言われてる、そこの社長さんだ。すごい偉い人だぞ、もっと拝めよ。敬語を使え、下手に出ろ」
「思い出した、やたらメディア露出が多い目立ちたがりか」
「我々の業界じゃ容姿も武器だからね、上手く使えばいい宣伝になる。ミュータントの特効薬を手がける製薬会社のトップが、風采の上がらないおじさんだったらガッカリだろ。企業イメージに直結する」
「アンタの写真キメ角度でもあンの、全部同じ方向むいてるぜ」
「右斜め四十五度が一番映えるんだ」
「歯のホワイトニングにいくら注ぎこんだ?整形費用は」
「スワロー!!」
ピジョンが声を荒げて叱り、殊勝な態度で男に詫びる。
「弟がとんだ無礼を……って、人のことは言えないですね。俺も気付くの遅れて……あのPPの社長さんと話せるなんて光栄です」
PPはミュータントの暴走をコントロールする画期的な薬を開発・製造・販売している巨大企業だ。フェニクスはPPのCEO、実質的なトップ。キマイライーターのパーティーに呼ばれる資格を十二分に持ち得た、アンデッドエンドでも指折りの有名人。
「ファントムペイン開発以前はミュータントの暴走を止める手立てがなくて、それが彼らへの差別や偏見を煽っていました。暴走は遺伝子病でどうしようもないのに……でもPPができて状況が変わった。本当にすごい革命です、誰にとっても素晴らしい発明だ」
孤児院で知り合った子どもたち一人一人の顔が巡り、自然と口調が熱を帯びる。
彼らへの偏見が多少なりとも和らいだのはこの男の功績あってこそだ。ミュータントを巡る社会情勢への貢献を考えれば、PPは歴史に名を残す偉業を達成したと言える。
フェニクス自身もキレ者の呼び声高く経営手腕を評価され、また本人が俳優張りの二枚目でもあるため、連日メディアに露出しては知見を述べている。
兄の絶賛を胡散臭そうに聞いたスワローは一言。
「ふーん。あっそ」
ピジョンの手首を掴み、力ずくで引き寄せる。
「アンタがお偉いCEOだってなァ耳タコだが、コイツは俺のツレだ。横からかっさらわれちゃ困るね」
「太陽に透かしたジンジャエールのようなイエローゴールドの髪、完璧なアーモンド形の目、不敵なほほえみを描くくちびる……瞳の色は小鳩と同じラスティネイル。君がストレイ・スワロー・バードか」
「ヤング・スワロー・バードだ、覚えとけ」
「出過ぎたまねをしたなら謝罪するよ、こっちへきて一緒に話さないかい?ドッグショーじゃ大暴れしたとか。賞金稼ぎのホープの武勇伝をお聞かせ願えるなら光栄だ」
「酒の肴にするほど人生安売りしてねー」
「残念、ふられてしまった」
フェニクスが肩をすぼめカクテルを飲む。
「めーっけた、しーいーおー」
ぱたぱたと軽い足音が響き、色鮮やかなサリーを巻いた小柄な少女がフェニクスに駆け寄る。インド系だろうか、額の中心の涙滴の飾りが珍しい。
「もーーーどこ行ってたのさ、香水くさい有閑マダムにちやほやされたいからってボクを巻くのやめてよ」
「君ね、ご馳走を見た途端まっしぐらに駆けていったの忘れたのかい」
「ボクが迷子になったっていうの?酷い言いがかり、マジ心外。そーゆーイジワルゆーともーお薬作ってあげないよ、ボクがいなきゃ困るでしょー」
もごもご喋るあいだに頬っぺが膨らんではへこみをくりかえす。どうやらロリポップを咥えてるようだ。
「ボクっ娘とか痛ェ、キャラ作り滑ってんぞ」
「女の子にむかってなんてこと言うんだ」
「ボクはボクだけどボクじゃないもーん」
「紹介するよ、彼は当社の製薬開発部門主任のディピカ・クマール」
「「彼??」」
ピジョンとスワローがぎょっとする。
「付いてるか見る?見たい?」
「はしたない」
「えーケチ」
サリーの裾をじらすようにたくしあげていたディピカがぱっと手をはなす。
ピジョンは感心と驚愕の綯い交ぜになった表情でひたすら唸る。
「こんな小さい子が主任?」
「彼はIQ200の天才児にして我が社が誇る最高の切り札、ここだけの話ファントムペインの開発改良にも携わっているんだ」
「知る人ぞ知るってヤツね」
ディピカがロリポップを転がして頷く。
「ということは五年前から?」
「んー、そのへんは社外機密の極秘時効みたいな?センシティブな部分だからおさわりしない方が賢いよ」
コケティッシュに首を傾げ間延びした声でとぼけるも、目の奥が笑ってない。
フェニクスが後を受ける。
「構想自体は二十年前からあったが、治験に時間を食ってね。効能が保証できない薬を公けに売り出すのは倫理規定に反する。人間の身体は複雑、そして敏感だ。外的環境と内的環境の相互作用で薬の効き目は増減する。病は気からは東洋のことわざだが、重度のストレスで脳内および体内のホルモンバラスが作り変えられ、それが薬の効き目にダイレクトに影響するのは間違いない」
「深いですね」
「病は気からで勃起不全がなおりゃ世話ねーな」
ひたすら感心するピジョンの横でスワローはすっかり退屈しきり、カクテルをがぶ飲みゲップ。
「慎重に慎重を重ね多種多様なデータを収集し、初めて問題点が見えてくる。多くのミュータントに望まれているのがわかっていたからなかなかに心苦しかったが、ようやく五年前に製造に漕ぎ着けたんだ」
フェニクスが顔を険しくし、年頃の娘をもった父親のような態度でディピカに注意。
「それをなめるのはやめろと言ったはずだが……」
「CEOはなめられるほーが好きだもんね」
「人に見られたらどうする」
「あんまり怒らないであげてください、子どものすることですし。パーティーで棒付きキャンディなめるのは確かに行儀よくないけど」
「ただの飴玉ならね」
疑問符を浮かべるピジョンをよそに、ディピカは大いにもったいぶって唾液にまみれた棒をぬいていく。
ちゅぽんと淫靡な音たて、透明な膜に包まれた球体がとびだす。
「ばあ!ただの飴玉だよーん。いくらマッドなボクだってTPOはちゃーんとわきまえてるから安心してよん、こんなトコで例のアレおしゃぶりするわけないでしょ。そーゆーのが好きならノッたげてもいいけど」
恐竜の眼球のように琥珀に切り込みが入った飴玉を転がしながらディピカがのたまえば、フェニクスはその首ねっこを掴み、にっこりと微笑む。
「大変名残惜しいが、うちの開発主任の発言が倫理規制される前に失礼するよ」
「会えてよかったです、何から何まで親切にしていただいて。会社の裏話も聞けてすごく勉強になりました」
「また会えるさ」
「どうでしょう、パーティーに来る機会なんて二度とないかも」
「運命が呼ぶ」
フェニクスの握手に快く応じるピジョンだが……。
「!ッ、」
離れる間際、中指でくすぐるようにてのひらを撫で上げられ吐息を噛み殺す。
わざとか?……いや、勘繰りすぎだ。
続いてスワローに握手を乞うも、返ってきたのは辛辣な拒絶。
「野郎と握手なんざお断りだ気色わりぃ」
「お前……!」
「っでーな、踏ん付けんなよ!」
「はは……気にすることはないよ、個人の主義主張は自由だからね」
フェニクスが愛想よく宥めるも、手を引っ込めたほんの一瞬、スワローを捉えた瞳が感慨に沈む。
「なるほど。本当によく似ている」
その呟きは小さすぎてスワローとピジョンに届かなかったが、すぐ隣のディピカだけは軋む声色に潜む不穏さを感じとり、フェニクスにチラリと一瞥よこす。
「嫉妬は醜いよ?」
ちゅぽん、みだらな音をたて溶けかけのロリポップが揺れる。

「It is our fateだとよ、キザ野郎が」
「ラストネームにひっかけたのかな」
ディピカを連れて去るフェニクスを忌々しげに睨み、憤然と名刺を破り捨てるスワロー。
ゴミを散らかす弟にピジョンはあきれ顔だ。
「せっかく貰ったのに……さっきの子はどうした」
「待たせてる」
「はあ?すぐ戻れよ可哀想じゃないか、女性をほったらかすとかありえない」
「とか言って、お前の方こそ放置プレイ寂しいんじゃねえの」
「余計なお世話」
手で邪険に追い立てれば、スワローも負けじと親指を下に向ける。
「もう摘みにきてやんねー」
「中指を立てなかったのは褒めてやる。行ってこい」
ゆったりと演奏が再開され、美しいハーモニーがダンスホールに犇めく人々の間を満たしていく。
再び壁の花にもどったピジョンはため息を吐く。
「あなた、お一人?」
前に影がさす。
釣られて顔を上げれば、スワローの即席パートナーとよく似た面差しの少女が微笑んでいる。
「よければ踊らない」
絶句。
本当に俺に言ったのか。相手を間違えてないか。まじまじと少女の顔を凝視、注意深く尋ねる。
「どこかで会ったっけ?」
「正真正銘はじめましてよ」
ストロベリーブロンドのエアリーなボブヘアと、細首を強調するチョーカーが魅力的な少女が、茶目っけある笑みで告げる。
「いまアナタの弟と踊ってるの、わたしの姉さんなの」
「ああ……」
「どうりで似てるはずだって思った?」
「なんでわかるんだい」
「よく言われるから。アナタたちは全然似てないのね」
「腹違いだからね」
「パパがちがうの?ああ、それで」
「それで?」
「弟さんの父親は美形だったのね。あなたのパパは……泣いてるように笑うひと。あたり?」
「ごめん、覚えてないや。物心付いた頃にはいなかった」
「きっとそうよ、笑っててもなんだか寂しげだもの。母方の遺伝かもしれないけど……すっごい美人なんでしょ?ストレイ・スワローのインタビューで読んだわ、ひり出された孔に突っ込むこと考えなけりゃ余裕で抱けるって」
「俺もその記事読んだけど、心底ドン引きした」
「声出して笑っちゃった。下品でごめんなさい、原文引用だから許してね」
「遺伝ってあるのかな」
「さあ……でも姉さんが今誰を狙ってるかはわかる、絶対同じ人を好きになるもの。ママの遺伝ならパパのそっくりさんに恋しなきゃおかしいけど、想像すると吐きそ」
「気の毒だな君のパパは」
「でしょ。反抗期なの」
絹手袋をはめた手でネクタイを掴み、軽く引っ張る。
「安心して、うちのパパはこんなネクタイ選ばないから。今日なんて葬式の日の空のような灰色地の格子柄よ、墓地の鉄柵を覗いてる気分。レイヴン・ノーネームの不気味な絵を思い出す」
スワローが見立て、スワローが結んでくれたネクタイを掴み、囁く。
「瞳の色とおそろいなのね。センスいい」
フィッシュテールドレスの裾から覗く脚線美も大胆に一歩詰め、ネクタイに指を巻き付けぼやく。
「ねらってたのにとられちゃった。姉さんてばずるいの、わたしが欲しいの全部もってく」
「スワローが口説いたんじゃ」
「それとなく後を付けて声をかけられやすい位置で待機。策士でしょ」
振り仰ぐ視線の先ではスワローと彼女の姉が踊ってる。
「余り者同士ためしてみない?」
言ってることは酷いのにまるで屈託がなく、ユーモアと育ちの良さを感じさせるせいで憎めない。
計算ずくの誘惑に頼らず、無邪気さが高じた距離の詰め方。
蝶よ花よと周囲に溺愛されてきた、世間知らずなお嬢様にまれにいるタイプ……そんな知り合いいないから妄想だけど。
ピジョンの弱気に付け込みもう一押し、ほんの少しの好奇心といたずら心に瞳を光らせ、絹手袋の手の動きも艶めかしく迫る。
「どうする」
結局の所、どこまでいってもアイツの代わりに用立てられる運命なのか。憂う眼差しを瞬きで消し、開き直った笑みを浮かべる。
「付き合うよ。俺でよければ喜んで」
レディの誘いを断るわけにいかない。気負う一方で自暴自棄がぶり返し、勢い彼女の手をとってキスをする。
「壁の花でいるのも飽きた頃だ」
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