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Easy Revenge
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朝起きると縮んでいた。下半身の話じゃねえ。
「どこだよ眼鏡……世を儚んで旅に出やがったのか?」
いや、下半身だけの話じゃねえってのが正しいか。
こめかみがズキズキ痛んで息が酒臭い、二日酔いの典型症例だ。疼痛に耐えながら途切れた記憶を回想する。
昨夜は呉哥哥のおともで蟲中天がショバ料さっぴいてるバーに立ち寄った。
前に一度だけピジョンを連れてった店、『酔生夢死』。何も価値のある事をせずただ生きていただけ……虚しい一生って意味の四字熟語だ。皮肉がききすぎて客商売にゃ向かねえ名前。
付け加えると、俺が用心棒兼パシリをしてる呉哥哥はチャイニーズマフィア「蟲中天」のお偉いさんだ。
ショバ料かっぱぐのは下っ端の仕事で幹部がしゃしゃりでる幕じゃねえ。
じゃあ何で場違いなまねしたのか?
答えは単純、店主をゆすってただ酒が飲みたかったから。俺の上司はとことん育ちが悪くて意地汚ェ、無銭飲食大好き野郎なのである。
事務所に近えから自分で直接行く方が話が早えってのもある。もともとさっぱり落ち着きがない人で、近場なら車を出さずにホイホイ歩いてく。
運転手も担ってる俺としちゃ軽率な行動は控えてほしいのが本音だが、本人が聞く耳持たないし意見しようものならぶん殴られる。外を出歩いてる時にタマとりにきた雑魚を返り討ちにするのが呉哥哥の趣味だ、本当にいい性格。
とはいえ仕事はきっちりやる。
アンデッドエンド最大規模のチャイナタウン「快楽天」じゃ多数の飲食店が営業してるが、ほぼ全部が蟲中天の傘下に入ってる。マフィアにケツ持ちしてもらえりゃ安心して商売できるというわけだ。
呉哥哥が無駄に愛想よく挨拶する。
『你好、取り立てにきたぜー』
『アイヤーまた来たか陰険グラサン野郎、営業妨害ネ』
店主の張がまく一掴みの塩を軽いステップで躱す呉哥哥。その後ろでもろかぶりする俺。
『残念はずれ~。さっさとショバ代払え密入国者』
『今のは手が滑っただけネ。歓迎光臨、呉哥哥とサイケ眼鏡』
『劉だよ劉。せめて客の顔は覚えろ』
『あだ名に怒る情緒を解さない人ネ』
『罵倒の間違いだろ』
『じゃあ貧相な人と疫病神の片割れどっちか選ぶヨロシ』
『強制二択かよ、どっちもお断りだ』
『さりげなく俺様ちゃんに当て擦ったよな』
口に入った塩を吐き捨てて顔を拭き、カウンターを挟んだ立ち話を聞く。
『今月売り上げ少ないアル、飲み屋も不景気大変ネ。ショバ代足りない分は酒で勘弁するネ、珍しいもの入ったヨ。白乾児ゆー中国酒ネ、希少品ヨ持ってけ泥棒』
張が殊勝に言い訳して棚から抜いた酒にゃ見覚えある、ピジョンががぶ飲みしてたのだ。
呉哥哥が瓶を掴む。
『中国酒の気分じゃねェ。ウィスキーよこせ』
『生憎切らしてるアル』
『商魂が足りねえ』
『ヨードチンキで薄めたアルコールで原材料水増しする位はやる気もりもりアル。ぶっちゃけ取り立てより衛生局の手入れの方が怖いヨ』
『倫理的にも最悪すぎるだろこの店。酔生夢死ってそーゆー意味か』
思わず会話に割りこんじまった。非常識な連中に挟まれた状況で中途半端に常識人でいても損するだけなのに。
呉哥哥は栓を抜いて匂いを嗅ぎ、ボーッと立ってた俺に押し付けてきた。
『お前にやる』
『えー……』
『ボーナスだよ、受け取っとけ』
『現金でくださいよ』
『事務所の棚貢ぎ物でいっぱいなの』
『愛人連中にあげたらいいじゃないスか、喜びますよきっと』
『酔わすと面倒なのが多いんだよ、誰が一番好きなのとか結婚しろとか竿に真珠入れろとか絡んできやがる』
『重てェから持ちたくねェだけでしょどうせ。だから車で来ようって言ったのに聞かねーんだから』
というわけで、俺は張から貢がれた白乾児を抱えてアパートに帰った。
せっかくもらったんだから一杯やるかと思い立ち、瓶を半分ほどあけた。呉哥哥に味の感想を聞かれた時の保険も兼ねてた。結論から言えば、意外とイケた。
記憶が途切れてんのは酔い潰れたのか……眼鏡を求めて枕元を手探りしてたら急に違和感を覚える。
手がやけに小さい。子どもの手みてえだ。
「あれ……」
声質も変わってる。首に触れたら喉仏が引っ込んでた。混乱しきって洗面所に駆け込み、鏡と向き合って絶句する。
寝癖だらけのガキがいた。どういうわけだか、せいぜい十歳程度の子どもに戻っちまってたのだ。
「ごほん。あー……あ゛ー」
いちかばちか喉を伸ばして声を出す。高く澄んだボーイソプラノが響いた。
ズボンは脱げ、悪趣味な柄シャツの裾で生足を隠してる状態。どうりですーすーするはずだ。
「なんで朝起きたらガキになってんだ、心当たりは」
白乾児。
寝室に取って返して瓶を逆さにするが、哀しいかな一滴も落ちてこねえ。バカ野郎、全部飲むヤツがあるか。
無造作に瓶を放って途方に暮れる。
「いやしかし飲むと縮む酒とかやべーじゃん、やり方次第でヒット狙えんじゃねーのプレイ以外にも。色々使い道ありそうだし。待てよ、他の連中は?飲んでも体に変化ねェのか、人によんの?まあ誰も彼もが子供になっちまったら今頃大騒ぎだもんな、パニックになってねーって事は体質とか相性にもよるんだろうな。それだと商品化は難しいな、下手したら詐欺で訴えられっし返品の山で倒産だ」
延々独り言をたれながし現実逃避。
あのクソ店主、効果を知ってて押し付けたのか?ありえる、目が細くて表情読めねェけど「計画通り」ってほくそえんでた気がする。
「なんで呉哥哥への嫌がらせ二次被害に巻き込まれなきゃいけねえんだ。てかこれどうすりゃ戻るんだよ、また飲めばいいのか」
一生子どものまんまだったら……試しに想像して胃が痛くなる。とりあえずアパートを追い出されんのは確定だ、仕事ができねえから舎弟もクビになる。それはむしろラッキー……じゃねえよ、どのみち食いっぱぐれて野垂れ死にじゃん。
「はあ……だりー」
色々考えたら面倒くさくなってきた。煙草を咥えて一服し、盛大に咳き込む。涙目で瞬きして煙草を揉み消す。
幸い頭の中身は大人のまんま、記憶は引き継がれてる。部屋にひきこもってても仕方ないと諦念に至り、おもいきって外に出る。
「あ」
ノブを握り締めてからなりを見下ろす。ズボンはいてねえの忘れてた。クローゼットの扉を開けて中をひっかき回す。ろくな服がねェ、マジで。普段は意識しねえように努めてた自分のセンスの悪さにうちのめされた。どれもこれもぶかぶかで大きすぎる。
もっとマシなのはねえかとさらに手を突っ込み、安っぽいパーカーを引っ張り出す。
腹んとこにプリントされてんのは目がくりっとしたカートゥーンタッチの子鹿のイラストで、呉哥哥がやってる貧乳専門風俗「バンビーナ」の商標だ。宣伝代わりに大量生産したものの在庫が余って、俺んとこまで回ってきたのである。裾を折ったズボンを穿き、でかいスニーカーを突っかけて洗面所に行く。
鏡には俺の知らない男の子が映っていた。
「……」
鏡に手を重ね、なんだか新鮮な気持ちでもうひとりの自分に見とれる。
もし女装させられてなかったら案外こんな感じだったかもしれない。
「そっか。スカートはかなくていいんだな」
唐突に解放感がこみ上げてきた。
今ならズボンをはいた所で誰も怒らない、痛いお仕置きをされたりしない。俺を縛ってたあの人はもういないんだから好きな服を着て好きなことができる、ガキの頃からの夢を叶えられるじゃないか。
鏡に映る私じゃない俺を見てるうちにむずむずしてきた。こそばゆいとでも言えばいいのか、生まれ変わった心地だ。
あの頃着たかった服に袖を通して、あの頃憧れたズボンをはいて……
後は?
窓の外から無邪気な歓声が届いた。アパートに面したコートで近所のガキどもがバスケをしてる。
オレンジ色のボールがたくさんの足の間をくぐりぬけて手から手へと渡り、軽やかにゴールネットを通過していく。
長いこと封じていた記憶がフラッシュバックし、一気に過去へと引き戻される。
あの人と住んでたアパートの窓から見えた光景、バスケットボールを抱いた悪ガキども、去り際に目が合い慌ててカーテンに隠れる。いけない事をしているようで、後ろめたさで胸がドキドキした。
あの頃はただ見送るしかなかったボールとだべりながら遠ざかってくのを眺めるしかなかった同年代の少年たちが戯れている。
「どうせ他にやることねェし……」
期待と興奮に甘酸っぱく胸が疼き、自分に言い訳する声が上擦る。
知らず生唾を呑み、ともすれば蹴っ躓きかけ、注意深く階段を下りていく。
アパートの中庭には金網が張り巡らされ、その中でローティーンの少年たちが走り回ってる。ボールの争奪戦に夢中で俺の方なんか見向きもしねえ。
深呼吸で肺に空気をため、咳払いで喉の調子を整え、大きく声を張る。
「ちょっといいか」
ガキどもが一斉に振り向く。怪訝な顔で値踏みされて嫌な汗をかく。ボールを小脇に抱えたガキ大将が大股に寄ってきた。
「なんだてめえ。見ねえ顔だな」
「最近越してきたんだ」
「何号室に?」
「それは……どうでもいいだろ」
「どうでもいいって何だよ、怪しいな。自分が住んでる部屋言えねえのかよ?」
まずい、ボロがでる。
「後で教えっから」
プレッシャーに怖気付く。全部なかった事にして逃げたくなったが、辛うじて踏ん張って願い出る。
「よかったら俺も……入れてくれないか」
やった、言えた!心の中で快哉を上げる、自分で自分を褒めてやりてえ。ところが相手の反応はしらけていた。
「誰がちびでガリなよそ者なんかと」
「邪魔だからあっち行ってなモヤシ」
卑屈に媚びた笑顔が固まる。
悪ガキ改めクソガキどもは俺の一世一代の懇願を鼻で笑い、身を翻してコートへ戻っていく。
「待てよ」
虚しく手を伸ばす先で試合が再開。もうだれも俺を見ちゃいない、外野の存在なんかすっかり忘れてる。
「…………」
諦めて手を引っ込める。
「パスパス!」
「やりぃ3人抜き、スーパープレーだ!」
「見てろよ、ダンクシュートで決めてやる!」
盛り上がるコートに背中を向けてとぼとぼと歩き出す。
唇を噛んで俯き、離れる途中でガシャンと金網が撓む。
「ッ!?」
バスケットボールが顔の横の金網に跳ね返る。転々と弾むボールを辿って振り返れば、ガキ大将が仁王立ちで勝ち誇っていた。
「だっせえ!」
「ちびった?」
意地悪い笑い声が炸裂する。何も言い返さない。言い返しても無駄だからだ。
足を速めて路地裏に入り、頼りなく痩せた膝を抱え込む。
「……だよな。なんでまぜてもらえると思ってたんだか」
下町のガキどもは縄張り意識が強い。
見慣れないガキが突然声かけてきたって、はいどうぞとまぜてもらえるわけがないのに……身の程知らずな自分のおめでたさに吐き気がする。
戦力外なのにのぼせ上って恥ずかしい。運動音痴が無茶すんな。そもそもバスケなんかやったことねえじゃん、初心者じゃん。
でも、だけど、ずっと憧れてた。
最高にかっこいいダンクシュートを決めて、まわりをあっと言わせたかった。
俺も普通の男の子だと、仲間だと認めてもらいたかった。
あの人に放り込まれたクローゼットで百万回繰り返した想像の中じゃ上手くいった、ちゃんとできたのに。
『当たり前でしょ、あなたは女の子なんだから。おうちで大人しくお人形遊びでもしてなさい』
あの人の幻が耳元で囁いて、見えない腕に後ろから呪縛される。
「……恥ず。マジ引く」
パーカーのポケットをさぐるが空振り。舌打ちして腕枕に伏せる。ガキになったせいで煙草がまずい、気分は最低の低。
誰かが近付いてくる気配がした。
「大丈夫?迷子?どこか痛いの?」
のろくさ顔を上げたら意外、でもないヤツがいた。ピジョンだ。
一瞬慌てるが、俺が腐れ縁の飲み友達と気付いた様子はねえ。そりゃそうか伊達メガネしてねえし。
「アパートの子かな、なんで泣いてたの?」
「泣いてねえ」
目元をこすって訂正すりゃ、ピジョンの後ろから呼んでもねえのにスワローが沸いて出た。
「ハブられたんだろ」
「おいスワロー、そんなハッキリ言ったら可哀想じゃないか」
「あっちじゃクソガキどもがバスケやってる、こっちじゃぼっちがべそかいてる。状況証拠から考えたら答えは一個、仲間外れにされてんだよ。見るからに弱っちくて使えねーから弾かれたってわけ、だよなのけ者」
「べそはかいてねえ」
へこんでたけど。
よく見りゃ買い物帰りらしくピジョンだけ雑貨品や食料品を詰めた紙袋を抱えてる。スワローは手ぶらでくっちゃくっちゃガムを噛んでる。兄貴に荷物持ちさせて良心痛まねえのか。
ピジョンが正面にしゃがんで俺を慰めてくれた。
「気持ちはわかるよ、俺もよく弾かれたから。気にするな……って言っても無理だよねごめん、でも元気だして。バスケチームに入れてもらえなくても世界は終わらない、他に楽しいことたくさんあるじゃないか」
「蟻の巣にメントスコーラ流し込んだり」
「悪魔かよ黙ってろ」
コイツ弟にだけ口悪いよな。
俺はキツく膝を抱いて心を閉ざす。
「ほっといてくれ」
「だとさ、行こうぜ」
スワローが先に行くのを見もせず、いそいそと紙袋の底をあさる。
「あげる」
目の前に突き出されたのは市販のチョコバー。
「甘いの嫌いかな」
「……別に」
くれるっていうんだからもらってやるか。
肩を竦めてチョコバーを一口齧る。思ったとおり甘ったるい、虫歯になりそうだ。
チョコバーをもそもそ頬張る俺をピジョンは微笑ましげに眺めてる。スワローは路地に忘れられたボールを暇そうに突いてた。
「諦めるのはまだ早い、次のチャンスがある。それにほら、ドリブルの練習なら一人でもできるだろ?パスは最低二人いなきゃ難しいけど、ぼっちの知恵で工夫すればOK」
「たとえば」
「壁に当てて戻ってくるのをキャッチするんだ、最初は低い所から初めてだんだん高い所に狙い定める。向上心さえ忘れなけりゃ技術は一人でも磨けるんだ、肝心なのは諦めないことさ。よくいうだろ、最大のライバルは自分だって。俺も修業はじめたての頃は何度もくじけて逃げ帰りたくなったけど、毎日練習してたら射程が伸びて命中率上がったんだ。今じゃすっかり一人前の狙撃手さ、リトル・ピジョン・バードといえばアンデッドエンドじゃ知らぬ者はいない」
「エッチなお兄さん」
「なんだよアンデッドエンドで知らぬ者はいないエッチなお兄さんて、子どもの前だぞ」
「じゃあ乳首が弱いエッチなお兄さん」
「俺の乳首は強い」
スワローが腹を立てるピジョンにシカトこいてボールを投げてきた。
「おっと、」
咄嗟に受け止める。
「反射神経は悪くなさそうだな」
初めてボールを持った。ずっしりした手ごたえを持て余す。
「ん」
「え」
スワローが尊大に顎をしゃくる。ぽかんとする俺の肩に片手をおき、ピジョンが優しく促す。
「こっちによこせって言ってる」
「通訳助かる」
束の間逡巡したもののピジョンとスワローを見比べ決断、両手で持ち直したボールを投擲。
俺の手から放たれたボールはひょろひょろと放物線を描き、スワローの足元でバウンドする。
「フォームが死んでる。もっと肘絞めろ。足は肩幅に開け」
コイツ……まさかコーチしてくれんの?
「お前……子どもに優しくできる人間になったんだな」
ずずっと洟を啜る音に向き直りゃピジョンが目を擦っていた。
兄貴の言葉にスワローは何故か大いにしらけ、ガムを吐き捨てて啖呵を切る。
「違ェよ。嫌がらせだ。忘れたのかよピジョン、表ではしゃいでるクソガキどもに泥団子投げられたこと」
「あ」
「その前はペンキ缶の中身頭にぶっかけられて、ひっでえなりで帰ってきたろ」
「あれはでも子どものいたずらだから、仕返しなんて大人げないし」
「甘やかすから付け上がんだよ、ここらできっちり〆てやんねーと」
股の間をくぐらせたボールを左腕から肩へ、首を迂回して右腕へと滑らす。
終点の人さし指で回転するボールの残像を一瞥、スワローが挑発的にほくそえむ。
「ヤング・スワロー・バードは太っ腹だからてめえも復讐に加えてやる」
初めて誘ってもらえた。胸の内に沸々と喜びが湧き上がる。
「とっとと来いピジョン」
「俺は強制参加なのか」
「むしろ率先してやれ」
スワローを先頭にして表に戻れば相変わらずガキどもが遊んでいた。
手から手へめまぐるしく移るボールを追いかけ両陣を行き来する連中に、堂々と近付いていく。
「あ~やっぱこのボール不良品だな、空気が抜けてやがる」
スワローがわざとらしくボールを突いて大声を張り上げ、ガキどもの視線を釘付けにする。すかさず古いボールを投げ捨てダッシュ、ガキ大将が持ったボールを掠め取る。
「もーらい」
「何すんだ、返せ!」
クソガキは十人以上、対するこちらは三人。うち二人が大人でも多勢に無勢でかなわない……はずなのに。
「ぼさっとしてんじゃねえ、走れ!」
鋭い号令に鞭打たれてピジョンと同時に走り出す。
スワローが膝を撓めて跳躍、手のひらに磁石を仕込んだみたいなドリブルで四人のディフェンスを抜き去る。
「待てよルールは!?」
「ごめん知らない!」
「使えねーお兄さんだな!」
「ホントごめん反省する!」
ピジョンが早口に謝って通せんぼするガキどもの横を滑り、俺も見様見真似に敵の間をすりぬけスワローに追い縋る。
コートはツバメの独壇場。
宙返りを決めるみたいな軽快さでもはや芸術の域のプレーを連発、アグレッシブに攻めてアクロバティックに跳ぶ。
風になる爽快感と躍動感に全身が滾る。
コートをなびかせたピジョンが不格好に両手を広げて叫ぶ。
「スワロー、パス!」
スワローが目を丸くしてから不敵に笑い、掌底からボールを押し出す。おいてけぼりのガキどもが騒ぐ。
「大人げねーぞ大人ども!」
「じゃあ子どもがキメりゃあ文句ねえよな!?」
スワローが野次り返す1メートル後方、額でバウンドした球を両手でがっちり掴んでピジョンが目配せする。
「シュートだ!」
スワローがピジョンに繋いだパスが俺に渡る。両手でボールを受けた瞬間、体が勝手に動いた。
背筋が伸び上がり足裏が地面を離れ、三角に添えた手から放ったボールがネットに吸い込まれていく。
スワローが、ピジョンが、キレ散らかしたクソガキどもが。コートに散らばる誰もが固唾を呑んでボールの行く末を見守る。
頼む、入ってくれ。
スローモーションめいた一瞬を経て、ゴールネットをすりぬけたボールが落下。
『太好了』
自分の声だと気付いたのは出たあとだ。
やり遂げた余韻に浸る俺の方へ、両膝に手を突いて呼吸を整えながらピジョンが親指を立てる。
「ナイスシュート」
汗だくで今にも力尽きそうなピジョンの延長線上にはスワローがいた。
スニーカーの爪先で止まったボールを拾い上げ、俺の胸元にトスして若き賞金稼ぎは言った。
「やるじゃん。俺と兄貴の次に」
「ずるいぞインチキじゃん、あんなの絶対かないっこねーよ!」
「てかアイツ野良ツバメだろ、バンチに載ってる賞金稼ぎが近所の子どもをこてんぱんに叩きのめすとか恥ずかしくねーのか!」
「鬼畜外道の所業ってたれこんでやるからな、評判ガタ落ちで干上がればーかばーか!」
クソガキどもがはるか後方で地団駄踏んで遠吠えすりゃ、スワローが親指を下にさげる。
「都合のいい時だけガキぶるんじゃねえよクソガキども、次にうちの駄バトに手ェ出しやがったらネットにダンクして蓑虫スタイルで放置すんぞ」
「やめろよスワローさすがに大人げなさすぎる、それにゴールネットの径と身体の幅が合ってないから入らないよ」
「力ずくでねじこんでやれ」
「漏斗じゃないんだぞ、結構グロいことになる」
「お前がちっともやり返さねーから俺が躾けてやってんだろーが、ナイフ抜かなかっただけ感謝しな」
ふと懐に違和感を覚えた。ポケットに入れっぱなしになってたのは一本のマジック。
前にコイツを着せられた時……ミルクタンクヘヴンの看板に描かれたホルスタインの乳首を全部真っ黒く塗り潰してこいって、呉哥哥に渡されたんだっけ。ひでえ営業妨害だ。
あることを閃いてボールの表面に伝言をしるす。
そのあとはパーカーを目深に被って素早く退却、最後にもういちどだけ振り返り……不安をこぼす。
「……読めるかな、アイツら」
謝謝、小鳥たち。夢が叶った。
翌日、張の店で白乾酒を飲んだら無事大人に戻れた。
「どこだよ眼鏡……世を儚んで旅に出やがったのか?」
いや、下半身だけの話じゃねえってのが正しいか。
こめかみがズキズキ痛んで息が酒臭い、二日酔いの典型症例だ。疼痛に耐えながら途切れた記憶を回想する。
昨夜は呉哥哥のおともで蟲中天がショバ料さっぴいてるバーに立ち寄った。
前に一度だけピジョンを連れてった店、『酔生夢死』。何も価値のある事をせずただ生きていただけ……虚しい一生って意味の四字熟語だ。皮肉がききすぎて客商売にゃ向かねえ名前。
付け加えると、俺が用心棒兼パシリをしてる呉哥哥はチャイニーズマフィア「蟲中天」のお偉いさんだ。
ショバ料かっぱぐのは下っ端の仕事で幹部がしゃしゃりでる幕じゃねえ。
じゃあ何で場違いなまねしたのか?
答えは単純、店主をゆすってただ酒が飲みたかったから。俺の上司はとことん育ちが悪くて意地汚ェ、無銭飲食大好き野郎なのである。
事務所に近えから自分で直接行く方が話が早えってのもある。もともとさっぱり落ち着きがない人で、近場なら車を出さずにホイホイ歩いてく。
運転手も担ってる俺としちゃ軽率な行動は控えてほしいのが本音だが、本人が聞く耳持たないし意見しようものならぶん殴られる。外を出歩いてる時にタマとりにきた雑魚を返り討ちにするのが呉哥哥の趣味だ、本当にいい性格。
とはいえ仕事はきっちりやる。
アンデッドエンド最大規模のチャイナタウン「快楽天」じゃ多数の飲食店が営業してるが、ほぼ全部が蟲中天の傘下に入ってる。マフィアにケツ持ちしてもらえりゃ安心して商売できるというわけだ。
呉哥哥が無駄に愛想よく挨拶する。
『你好、取り立てにきたぜー』
『アイヤーまた来たか陰険グラサン野郎、営業妨害ネ』
店主の張がまく一掴みの塩を軽いステップで躱す呉哥哥。その後ろでもろかぶりする俺。
『残念はずれ~。さっさとショバ代払え密入国者』
『今のは手が滑っただけネ。歓迎光臨、呉哥哥とサイケ眼鏡』
『劉だよ劉。せめて客の顔は覚えろ』
『あだ名に怒る情緒を解さない人ネ』
『罵倒の間違いだろ』
『じゃあ貧相な人と疫病神の片割れどっちか選ぶヨロシ』
『強制二択かよ、どっちもお断りだ』
『さりげなく俺様ちゃんに当て擦ったよな』
口に入った塩を吐き捨てて顔を拭き、カウンターを挟んだ立ち話を聞く。
『今月売り上げ少ないアル、飲み屋も不景気大変ネ。ショバ代足りない分は酒で勘弁するネ、珍しいもの入ったヨ。白乾児ゆー中国酒ネ、希少品ヨ持ってけ泥棒』
張が殊勝に言い訳して棚から抜いた酒にゃ見覚えある、ピジョンががぶ飲みしてたのだ。
呉哥哥が瓶を掴む。
『中国酒の気分じゃねェ。ウィスキーよこせ』
『生憎切らしてるアル』
『商魂が足りねえ』
『ヨードチンキで薄めたアルコールで原材料水増しする位はやる気もりもりアル。ぶっちゃけ取り立てより衛生局の手入れの方が怖いヨ』
『倫理的にも最悪すぎるだろこの店。酔生夢死ってそーゆー意味か』
思わず会話に割りこんじまった。非常識な連中に挟まれた状況で中途半端に常識人でいても損するだけなのに。
呉哥哥は栓を抜いて匂いを嗅ぎ、ボーッと立ってた俺に押し付けてきた。
『お前にやる』
『えー……』
『ボーナスだよ、受け取っとけ』
『現金でくださいよ』
『事務所の棚貢ぎ物でいっぱいなの』
『愛人連中にあげたらいいじゃないスか、喜びますよきっと』
『酔わすと面倒なのが多いんだよ、誰が一番好きなのとか結婚しろとか竿に真珠入れろとか絡んできやがる』
『重てェから持ちたくねェだけでしょどうせ。だから車で来ようって言ったのに聞かねーんだから』
というわけで、俺は張から貢がれた白乾児を抱えてアパートに帰った。
せっかくもらったんだから一杯やるかと思い立ち、瓶を半分ほどあけた。呉哥哥に味の感想を聞かれた時の保険も兼ねてた。結論から言えば、意外とイケた。
記憶が途切れてんのは酔い潰れたのか……眼鏡を求めて枕元を手探りしてたら急に違和感を覚える。
手がやけに小さい。子どもの手みてえだ。
「あれ……」
声質も変わってる。首に触れたら喉仏が引っ込んでた。混乱しきって洗面所に駆け込み、鏡と向き合って絶句する。
寝癖だらけのガキがいた。どういうわけだか、せいぜい十歳程度の子どもに戻っちまってたのだ。
「ごほん。あー……あ゛ー」
いちかばちか喉を伸ばして声を出す。高く澄んだボーイソプラノが響いた。
ズボンは脱げ、悪趣味な柄シャツの裾で生足を隠してる状態。どうりですーすーするはずだ。
「なんで朝起きたらガキになってんだ、心当たりは」
白乾児。
寝室に取って返して瓶を逆さにするが、哀しいかな一滴も落ちてこねえ。バカ野郎、全部飲むヤツがあるか。
無造作に瓶を放って途方に暮れる。
「いやしかし飲むと縮む酒とかやべーじゃん、やり方次第でヒット狙えんじゃねーのプレイ以外にも。色々使い道ありそうだし。待てよ、他の連中は?飲んでも体に変化ねェのか、人によんの?まあ誰も彼もが子供になっちまったら今頃大騒ぎだもんな、パニックになってねーって事は体質とか相性にもよるんだろうな。それだと商品化は難しいな、下手したら詐欺で訴えられっし返品の山で倒産だ」
延々独り言をたれながし現実逃避。
あのクソ店主、効果を知ってて押し付けたのか?ありえる、目が細くて表情読めねェけど「計画通り」ってほくそえんでた気がする。
「なんで呉哥哥への嫌がらせ二次被害に巻き込まれなきゃいけねえんだ。てかこれどうすりゃ戻るんだよ、また飲めばいいのか」
一生子どものまんまだったら……試しに想像して胃が痛くなる。とりあえずアパートを追い出されんのは確定だ、仕事ができねえから舎弟もクビになる。それはむしろラッキー……じゃねえよ、どのみち食いっぱぐれて野垂れ死にじゃん。
「はあ……だりー」
色々考えたら面倒くさくなってきた。煙草を咥えて一服し、盛大に咳き込む。涙目で瞬きして煙草を揉み消す。
幸い頭の中身は大人のまんま、記憶は引き継がれてる。部屋にひきこもってても仕方ないと諦念に至り、おもいきって外に出る。
「あ」
ノブを握り締めてからなりを見下ろす。ズボンはいてねえの忘れてた。クローゼットの扉を開けて中をひっかき回す。ろくな服がねェ、マジで。普段は意識しねえように努めてた自分のセンスの悪さにうちのめされた。どれもこれもぶかぶかで大きすぎる。
もっとマシなのはねえかとさらに手を突っ込み、安っぽいパーカーを引っ張り出す。
腹んとこにプリントされてんのは目がくりっとしたカートゥーンタッチの子鹿のイラストで、呉哥哥がやってる貧乳専門風俗「バンビーナ」の商標だ。宣伝代わりに大量生産したものの在庫が余って、俺んとこまで回ってきたのである。裾を折ったズボンを穿き、でかいスニーカーを突っかけて洗面所に行く。
鏡には俺の知らない男の子が映っていた。
「……」
鏡に手を重ね、なんだか新鮮な気持ちでもうひとりの自分に見とれる。
もし女装させられてなかったら案外こんな感じだったかもしれない。
「そっか。スカートはかなくていいんだな」
唐突に解放感がこみ上げてきた。
今ならズボンをはいた所で誰も怒らない、痛いお仕置きをされたりしない。俺を縛ってたあの人はもういないんだから好きな服を着て好きなことができる、ガキの頃からの夢を叶えられるじゃないか。
鏡に映る私じゃない俺を見てるうちにむずむずしてきた。こそばゆいとでも言えばいいのか、生まれ変わった心地だ。
あの頃着たかった服に袖を通して、あの頃憧れたズボンをはいて……
後は?
窓の外から無邪気な歓声が届いた。アパートに面したコートで近所のガキどもがバスケをしてる。
オレンジ色のボールがたくさんの足の間をくぐりぬけて手から手へと渡り、軽やかにゴールネットを通過していく。
長いこと封じていた記憶がフラッシュバックし、一気に過去へと引き戻される。
あの人と住んでたアパートの窓から見えた光景、バスケットボールを抱いた悪ガキども、去り際に目が合い慌ててカーテンに隠れる。いけない事をしているようで、後ろめたさで胸がドキドキした。
あの頃はただ見送るしかなかったボールとだべりながら遠ざかってくのを眺めるしかなかった同年代の少年たちが戯れている。
「どうせ他にやることねェし……」
期待と興奮に甘酸っぱく胸が疼き、自分に言い訳する声が上擦る。
知らず生唾を呑み、ともすれば蹴っ躓きかけ、注意深く階段を下りていく。
アパートの中庭には金網が張り巡らされ、その中でローティーンの少年たちが走り回ってる。ボールの争奪戦に夢中で俺の方なんか見向きもしねえ。
深呼吸で肺に空気をため、咳払いで喉の調子を整え、大きく声を張る。
「ちょっといいか」
ガキどもが一斉に振り向く。怪訝な顔で値踏みされて嫌な汗をかく。ボールを小脇に抱えたガキ大将が大股に寄ってきた。
「なんだてめえ。見ねえ顔だな」
「最近越してきたんだ」
「何号室に?」
「それは……どうでもいいだろ」
「どうでもいいって何だよ、怪しいな。自分が住んでる部屋言えねえのかよ?」
まずい、ボロがでる。
「後で教えっから」
プレッシャーに怖気付く。全部なかった事にして逃げたくなったが、辛うじて踏ん張って願い出る。
「よかったら俺も……入れてくれないか」
やった、言えた!心の中で快哉を上げる、自分で自分を褒めてやりてえ。ところが相手の反応はしらけていた。
「誰がちびでガリなよそ者なんかと」
「邪魔だからあっち行ってなモヤシ」
卑屈に媚びた笑顔が固まる。
悪ガキ改めクソガキどもは俺の一世一代の懇願を鼻で笑い、身を翻してコートへ戻っていく。
「待てよ」
虚しく手を伸ばす先で試合が再開。もうだれも俺を見ちゃいない、外野の存在なんかすっかり忘れてる。
「…………」
諦めて手を引っ込める。
「パスパス!」
「やりぃ3人抜き、スーパープレーだ!」
「見てろよ、ダンクシュートで決めてやる!」
盛り上がるコートに背中を向けてとぼとぼと歩き出す。
唇を噛んで俯き、離れる途中でガシャンと金網が撓む。
「ッ!?」
バスケットボールが顔の横の金網に跳ね返る。転々と弾むボールを辿って振り返れば、ガキ大将が仁王立ちで勝ち誇っていた。
「だっせえ!」
「ちびった?」
意地悪い笑い声が炸裂する。何も言い返さない。言い返しても無駄だからだ。
足を速めて路地裏に入り、頼りなく痩せた膝を抱え込む。
「……だよな。なんでまぜてもらえると思ってたんだか」
下町のガキどもは縄張り意識が強い。
見慣れないガキが突然声かけてきたって、はいどうぞとまぜてもらえるわけがないのに……身の程知らずな自分のおめでたさに吐き気がする。
戦力外なのにのぼせ上って恥ずかしい。運動音痴が無茶すんな。そもそもバスケなんかやったことねえじゃん、初心者じゃん。
でも、だけど、ずっと憧れてた。
最高にかっこいいダンクシュートを決めて、まわりをあっと言わせたかった。
俺も普通の男の子だと、仲間だと認めてもらいたかった。
あの人に放り込まれたクローゼットで百万回繰り返した想像の中じゃ上手くいった、ちゃんとできたのに。
『当たり前でしょ、あなたは女の子なんだから。おうちで大人しくお人形遊びでもしてなさい』
あの人の幻が耳元で囁いて、見えない腕に後ろから呪縛される。
「……恥ず。マジ引く」
パーカーのポケットをさぐるが空振り。舌打ちして腕枕に伏せる。ガキになったせいで煙草がまずい、気分は最低の低。
誰かが近付いてくる気配がした。
「大丈夫?迷子?どこか痛いの?」
のろくさ顔を上げたら意外、でもないヤツがいた。ピジョンだ。
一瞬慌てるが、俺が腐れ縁の飲み友達と気付いた様子はねえ。そりゃそうか伊達メガネしてねえし。
「アパートの子かな、なんで泣いてたの?」
「泣いてねえ」
目元をこすって訂正すりゃ、ピジョンの後ろから呼んでもねえのにスワローが沸いて出た。
「ハブられたんだろ」
「おいスワロー、そんなハッキリ言ったら可哀想じゃないか」
「あっちじゃクソガキどもがバスケやってる、こっちじゃぼっちがべそかいてる。状況証拠から考えたら答えは一個、仲間外れにされてんだよ。見るからに弱っちくて使えねーから弾かれたってわけ、だよなのけ者」
「べそはかいてねえ」
へこんでたけど。
よく見りゃ買い物帰りらしくピジョンだけ雑貨品や食料品を詰めた紙袋を抱えてる。スワローは手ぶらでくっちゃくっちゃガムを噛んでる。兄貴に荷物持ちさせて良心痛まねえのか。
ピジョンが正面にしゃがんで俺を慰めてくれた。
「気持ちはわかるよ、俺もよく弾かれたから。気にするな……って言っても無理だよねごめん、でも元気だして。バスケチームに入れてもらえなくても世界は終わらない、他に楽しいことたくさんあるじゃないか」
「蟻の巣にメントスコーラ流し込んだり」
「悪魔かよ黙ってろ」
コイツ弟にだけ口悪いよな。
俺はキツく膝を抱いて心を閉ざす。
「ほっといてくれ」
「だとさ、行こうぜ」
スワローが先に行くのを見もせず、いそいそと紙袋の底をあさる。
「あげる」
目の前に突き出されたのは市販のチョコバー。
「甘いの嫌いかな」
「……別に」
くれるっていうんだからもらってやるか。
肩を竦めてチョコバーを一口齧る。思ったとおり甘ったるい、虫歯になりそうだ。
チョコバーをもそもそ頬張る俺をピジョンは微笑ましげに眺めてる。スワローは路地に忘れられたボールを暇そうに突いてた。
「諦めるのはまだ早い、次のチャンスがある。それにほら、ドリブルの練習なら一人でもできるだろ?パスは最低二人いなきゃ難しいけど、ぼっちの知恵で工夫すればOK」
「たとえば」
「壁に当てて戻ってくるのをキャッチするんだ、最初は低い所から初めてだんだん高い所に狙い定める。向上心さえ忘れなけりゃ技術は一人でも磨けるんだ、肝心なのは諦めないことさ。よくいうだろ、最大のライバルは自分だって。俺も修業はじめたての頃は何度もくじけて逃げ帰りたくなったけど、毎日練習してたら射程が伸びて命中率上がったんだ。今じゃすっかり一人前の狙撃手さ、リトル・ピジョン・バードといえばアンデッドエンドじゃ知らぬ者はいない」
「エッチなお兄さん」
「なんだよアンデッドエンドで知らぬ者はいないエッチなお兄さんて、子どもの前だぞ」
「じゃあ乳首が弱いエッチなお兄さん」
「俺の乳首は強い」
スワローが腹を立てるピジョンにシカトこいてボールを投げてきた。
「おっと、」
咄嗟に受け止める。
「反射神経は悪くなさそうだな」
初めてボールを持った。ずっしりした手ごたえを持て余す。
「ん」
「え」
スワローが尊大に顎をしゃくる。ぽかんとする俺の肩に片手をおき、ピジョンが優しく促す。
「こっちによこせって言ってる」
「通訳助かる」
束の間逡巡したもののピジョンとスワローを見比べ決断、両手で持ち直したボールを投擲。
俺の手から放たれたボールはひょろひょろと放物線を描き、スワローの足元でバウンドする。
「フォームが死んでる。もっと肘絞めろ。足は肩幅に開け」
コイツ……まさかコーチしてくれんの?
「お前……子どもに優しくできる人間になったんだな」
ずずっと洟を啜る音に向き直りゃピジョンが目を擦っていた。
兄貴の言葉にスワローは何故か大いにしらけ、ガムを吐き捨てて啖呵を切る。
「違ェよ。嫌がらせだ。忘れたのかよピジョン、表ではしゃいでるクソガキどもに泥団子投げられたこと」
「あ」
「その前はペンキ缶の中身頭にぶっかけられて、ひっでえなりで帰ってきたろ」
「あれはでも子どものいたずらだから、仕返しなんて大人げないし」
「甘やかすから付け上がんだよ、ここらできっちり〆てやんねーと」
股の間をくぐらせたボールを左腕から肩へ、首を迂回して右腕へと滑らす。
終点の人さし指で回転するボールの残像を一瞥、スワローが挑発的にほくそえむ。
「ヤング・スワロー・バードは太っ腹だからてめえも復讐に加えてやる」
初めて誘ってもらえた。胸の内に沸々と喜びが湧き上がる。
「とっとと来いピジョン」
「俺は強制参加なのか」
「むしろ率先してやれ」
スワローを先頭にして表に戻れば相変わらずガキどもが遊んでいた。
手から手へめまぐるしく移るボールを追いかけ両陣を行き来する連中に、堂々と近付いていく。
「あ~やっぱこのボール不良品だな、空気が抜けてやがる」
スワローがわざとらしくボールを突いて大声を張り上げ、ガキどもの視線を釘付けにする。すかさず古いボールを投げ捨てダッシュ、ガキ大将が持ったボールを掠め取る。
「もーらい」
「何すんだ、返せ!」
クソガキは十人以上、対するこちらは三人。うち二人が大人でも多勢に無勢でかなわない……はずなのに。
「ぼさっとしてんじゃねえ、走れ!」
鋭い号令に鞭打たれてピジョンと同時に走り出す。
スワローが膝を撓めて跳躍、手のひらに磁石を仕込んだみたいなドリブルで四人のディフェンスを抜き去る。
「待てよルールは!?」
「ごめん知らない!」
「使えねーお兄さんだな!」
「ホントごめん反省する!」
ピジョンが早口に謝って通せんぼするガキどもの横を滑り、俺も見様見真似に敵の間をすりぬけスワローに追い縋る。
コートはツバメの独壇場。
宙返りを決めるみたいな軽快さでもはや芸術の域のプレーを連発、アグレッシブに攻めてアクロバティックに跳ぶ。
風になる爽快感と躍動感に全身が滾る。
コートをなびかせたピジョンが不格好に両手を広げて叫ぶ。
「スワロー、パス!」
スワローが目を丸くしてから不敵に笑い、掌底からボールを押し出す。おいてけぼりのガキどもが騒ぐ。
「大人げねーぞ大人ども!」
「じゃあ子どもがキメりゃあ文句ねえよな!?」
スワローが野次り返す1メートル後方、額でバウンドした球を両手でがっちり掴んでピジョンが目配せする。
「シュートだ!」
スワローがピジョンに繋いだパスが俺に渡る。両手でボールを受けた瞬間、体が勝手に動いた。
背筋が伸び上がり足裏が地面を離れ、三角に添えた手から放ったボールがネットに吸い込まれていく。
スワローが、ピジョンが、キレ散らかしたクソガキどもが。コートに散らばる誰もが固唾を呑んでボールの行く末を見守る。
頼む、入ってくれ。
スローモーションめいた一瞬を経て、ゴールネットをすりぬけたボールが落下。
『太好了』
自分の声だと気付いたのは出たあとだ。
やり遂げた余韻に浸る俺の方へ、両膝に手を突いて呼吸を整えながらピジョンが親指を立てる。
「ナイスシュート」
汗だくで今にも力尽きそうなピジョンの延長線上にはスワローがいた。
スニーカーの爪先で止まったボールを拾い上げ、俺の胸元にトスして若き賞金稼ぎは言った。
「やるじゃん。俺と兄貴の次に」
「ずるいぞインチキじゃん、あんなの絶対かないっこねーよ!」
「てかアイツ野良ツバメだろ、バンチに載ってる賞金稼ぎが近所の子どもをこてんぱんに叩きのめすとか恥ずかしくねーのか!」
「鬼畜外道の所業ってたれこんでやるからな、評判ガタ落ちで干上がればーかばーか!」
クソガキどもがはるか後方で地団駄踏んで遠吠えすりゃ、スワローが親指を下にさげる。
「都合のいい時だけガキぶるんじゃねえよクソガキども、次にうちの駄バトに手ェ出しやがったらネットにダンクして蓑虫スタイルで放置すんぞ」
「やめろよスワローさすがに大人げなさすぎる、それにゴールネットの径と身体の幅が合ってないから入らないよ」
「力ずくでねじこんでやれ」
「漏斗じゃないんだぞ、結構グロいことになる」
「お前がちっともやり返さねーから俺が躾けてやってんだろーが、ナイフ抜かなかっただけ感謝しな」
ふと懐に違和感を覚えた。ポケットに入れっぱなしになってたのは一本のマジック。
前にコイツを着せられた時……ミルクタンクヘヴンの看板に描かれたホルスタインの乳首を全部真っ黒く塗り潰してこいって、呉哥哥に渡されたんだっけ。ひでえ営業妨害だ。
あることを閃いてボールの表面に伝言をしるす。
そのあとはパーカーを目深に被って素早く退却、最後にもういちどだけ振り返り……不安をこぼす。
「……読めるかな、アイツら」
謝謝、小鳥たち。夢が叶った。
翌日、張の店で白乾酒を飲んだら無事大人に戻れた。
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