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Every cloud has a silver lining
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ピジョンの姿が見当たらねえ。
「母さん駄バトは?」
「お兄ちゃんのこと駄バトなんて言っちゃだめよ、また落ち込んじゃうでしょ。不遜な心にリスペクトを忘れないで」
「アイツなにやらしても鈍くさくてウンザリするし」
トレーラーハウスの窓ガラスを雨だれが伝うさまを横目にぼやけば、キッチンで立ち仕事をしていた母さんが「めっ」と眉を逆立てる。ちっとも迫力がねえ。
「そこがピジョンのいい所でしょ」
「人をイライラさせる天才?」
「何事もじっくりゆっくり地道にコツコツ取り組むの。誰かさんみたいにサボったりしないのよ」
「もっと要領よく生きろよ、靴紐で知恵の輪してるの見ると張っ倒したくなる」
「うまいこと言うわね。確かにあの子って物事をちょっと複雑にとらえすぎるかもしれないわね」
「ちょっとかよ」
俺のたとえに朗らかに笑い転げる母さん。耳障りな笑い声にしらける。俺から見ればピジョンはわざと問題を複雑にしている、良かれと思ったことが裏目に出て赤っ恥をかくくり返しでちっとも進歩しやがらねえ。アイツのお人好しは病気だ、それも末期の。遺伝だとしたら今さら処置なしだ。
雨に降りこめられたトレーラーハウスの中には静けさがたゆたっている。ベッドの下もクローゼットの中も覗いたがピジョンは影も形もねえ。蒸発しちまったのか?
こんな雨の日に出歩いて風邪をひきこむほど馬鹿じゃねえはずだ。
「ホントどこだよ手間かけさせやがって」
「台所の戸棚は?」
「サイズ的に無理ある」
「じゃあ貯蔵庫」
母さんの指摘に従って台所の床の区切りをまじまじ見詰める。
四角い枠の隅の取っ手を掴んで持ち上げると、缶詰や保存食品がぎっしり詰まった空洞が出迎える。ピジョンが割り込む隙間はなさそうだ。
「1人かくれんぼたって折り畳まなきゃ入んねーだろ」
もともと狭苦しいトレーラーハウスの中を隅々まで捜し尽くすが、クローゼットをひっかきまわしてもバスルームを確認してもピジョンはどこにもいやしねえ。
台所に戻ると、コーヒーをなみなみ注いだマグカップを両手に包んだ母さんが心配げに顔を曇らす。
「家出かしら」
「もっと早く気付けよ」
「心当たりあるのスワロー」
「ありすぎてしぼりきれねー」
「あえて挙げるなら」
「寝てるあいだにアイツのペニスに輪ゴム巻いてバチンとやった」
「どうしてそーゆー意地悪するの?腫れるでしょ」
「唾付けときゃ治る」
「身体が柔らかくなきゃ無理よ」
「口じゃなくて手でやれ」
なんなら吸ってやってもいいと心の中だけで付け足し堂々と開き直る。輪ゴムでペニスを弾かれて飛び起きたピジョンの顔ときたら傑作だった、アイツの宝もんのポラロイドで撮っとかなかったのが惜しい位だ。
ピジョンの家出なんか日常茶飯事だからいちいち気に留めねえ、ほっときゃ2・3時間で腹空かせて帰って来る。今日に限って落ち着かねーのは結構な雨が降ってるからだ。
俺たちが停まってる廃墟のドライブインの周りは赤茶けた岩が屹立する荒野で、強烈な風雨に見舞われたら地崩れの恐れもある。運動音痴なピジョンのこった、万一逃げ遅れて災害に巻き込まれたら……
「ホントに知らねーの?」
「今起きたばかりだもの」
懐疑的な眼差しで釘をさせば、母さんが申し訳なさそうに俯いてコーヒーを一口啜る。
「ピジョンは心配性だからこの雨で地滑りがおきないか外を見に行ったのかも」
「豪雨の日に外出るとか気合入った自殺志願者だな」
「そんなこと言わないの、私たちを心配してるからでしょ」
ちなみに母さんがまとめる「私たち」の中には、老いぼれトレーラーハウスもしっかり入ってる。
ピジョンの性格を考えたら実際その可能性は大いにありうる、アイツは馬鹿で臆病で鈍くせえ癖に嵐になると地滑りを心配してわざわざ見に行くタイプのアホなのだ。
俺は苛立たしげに腕を組み、暴風吹き荒れる窓の外に一瞥くれる。
「前も嵐の日に様子を見てくるって言って結構な時間帰ってこなかったな」
「3年前だったかしら。町の人たちが土嚢を積むの手伝ってあげてたのよね」
「余計なことしやがって」
俺達を街から閉め出した連中の為に骨折り損のくたびれ儲けすることさらさらねェのに、あの救いがたい間抜けなお人好しはその筆頭の腰曲がりの因業ババアが土嚢を運ぶのにひいこらするのを見捨てられず手伝いを買って出たのだった。
「アイツならイエスの代わりに十字架背負ってゴルゴダのぼってくれんだろうな」
「じゃあママはマリア様ね、役柄的にはマクダラの方が近しいけど」
マクダラのマリアは悔い改めた元娼婦と言われている、男と一緒にいるときゃ口開くより股開いた回数のが多いふしだらな母さんにゃぴったりだ。
息子にべたべたに甘いわりに放任主義で呑気者な母さんも、窓越しの雨風を眺めているうちにさすがに兄貴の行方が心配になったらしい
まだ半分ほど中身が残ったマグカップをテーブルにおき、憂いを湛えた真剣な表情で申し出る。
「さがしにいくわ、留守番おねがいね」
「俺が行く」
外に出る準備をはじめた母さんを押しとどめ、肩を掴んで無理矢理椅子に座らせる。
「でも」
「母さんが行ったってどうにもならねえだろ、万一あの馬鹿が穴にはまってても俺なら助けられる。怪我してたらひきずってくる」
俺なら、俺だから助けられる。母さんの出る幕はねえ。
暗にそう仄めかして制すれば、母さんは一瞬傷付いたように目を伏せるが次の瞬間には顔を上げ、俺の言葉を正論と認めて頷く。
「……ひきるずのはやめてぶってきてね。動かせないようなら真っ先に人を呼んで」
俺の目を見て懇願する母さんに適当に肩を竦めれば、今度は反対に肩を掴まれ「スワロー?」とおっかない顔と声で念を押される。
「わーったよ。言う通りにする」
しぶしぶ承諾すれば安堵したように頬を緩め、俺を車外に送り出す。スライドドアを開け放てば、早速猛烈な強風が吹き付けて前髪を煽る。雨粒が顔に当たって痛え。
「いってらっしゃい、気を付けてね」
「大袈裟な。ちょっとそこまで見てくるだけだろ」
「ちゃんと帰ってきてね」
胸に拳をあてがった母さんに背を向け、強風に逆らってステップを下りる。この風じゃ傘も用を足さない、骨が折れてかえって邪魔になる。
アスファルトで固めた地面に降り立ち、ピジョンのアホをさがして模糊と煙った視界に目を凝らす。
「おい駄バトとっとと出てこい、呼んでるの聞こえねーのか!」
耳元でビュウビュウ荒れ狂い空気を切り裂く風の唸り。風圧で飛ばされそうになるのをなんとか踏ん張り、交差した両腕を掲げて前へ前へと突き進む。ピジョンのヤツ、どこに隠れてやがる?あれっぽっちでいじけやがって……
「輪ゴム巻いてバチンとやったのまーーだ拗ねてんのかよ、腫れたぶんサイズ稼げてよかったじゃん感謝してほし―位だこっちは!」
虚勢で焦りをくるんだ声が虚しく宙に飲みこまれる。暴力的な風の唸りとアスファルトを削る雨音が既視感を刺激し、たまに見る悪夢の断片が瞼の裏にチラ付きだす。ピジョンのヤツ、一体どこに……まさか本当に野垂れ死んでるんじゃ
「ん?」
トレーラーハウスから少し離れた場所、雨で煙るアスファルトの道路のど真ん中に痩せっぽちの背中がしゃがみこんだ。間違いねえ、ピジョンだ。
ピンクゴールドの髪はぐっしょり濡れて肌に張り付き、大量の水分を吸ったモッズコートはどす黒く変色している。
「ピジョン!!」
大声で名前を呼んでまっしぐらに駆けていく。嵐の中アスファルトの道路に蹲るちっぽけな兄貴の姿は、あっち向いてもこっち向いてもしっぺ返しの逆風に見舞われる俺にとって唯一の道標だった。
「スワロー!」
ピジョンが漸く顔を上げる。前髪からは絶え間なく雫が滴って酷い有様だ。
「何やってんだよこんなとこで」
「ミミズが……」
耳を疑った。
うろたえきったピジョンの視線の先、亀裂の走った旧い道路の上にミミズが打ち上げられてのたくっている。どうやら近くの荒野から流されてきたらしい。ピジョンは縋るように俺を仰ぎ、ミミズを指さして訴える。
「助けたいけどさわれないんだ」
「ちゃんと説明しろ」
「すごい雨だろ?外の様子が心配になってちょっとだけ見に来たんだ、そしたらコイツがアスファルトに打ち上げられて土に戻れなくなっちゃったみたいで。助けてやりたいけど俺ミミズが苦手なんだ、知ってるだろ?細くてウニョウニョしてるし見た目とか動きとかダメなんだよ、気持ち悪くてさわれない。でもほっとけないし、上手く木の枝にのっけて向こうに持ってけないか試したんだけど無理で、どうしたらいいかわからないよ」
「どうかしてんのはテメェの頭だ、ミミズ以下の知能だな」
「ハト程度の知恵はあるよ」
話を簡単にまとめるとこの底抜けにドアホなお人好しは、雨の勢いが心配になって外の様子を見に来た折にアスファルトでもがくミミズを見、苦手意識をこらえて救出を試みたものの空振り続き、さりとてシカトもこけず見張り続けていたらしい。
「鳩なら啄め」
「やなこと言うな、想像しちゃったじゃないか」
クソ面倒くせえ。
「あ」
全身でため息を吐き、ぐずぐずする兄貴の手から小枝をひったっくる。その先端で道路上のミミズを乱暴にひっくり返し、どんどん転がして土へ帰す。間違っても戻ってこないように最後は先端にひっかけ、遠く遠くへ飛ばしておく。
「もっとそっとやれ、可哀想じゃないか!」
木の枝を怒り任せに投げ捨ててから振り返りざま、目を険悪に据わらせてピジョンを睨み据える。
「憂いはねェな?」
「う……」
俺の迫力に怖じたピジョンが2・3歩あとじさり、とうとう俯いちまってから消え入りそうにありがとうと呟く。無駄に時間を食ったせいでお互いびしょ濡れ、髪からも服からも絞れそうな量の水が滴っている。
「帰んぞ」
すっかり冷えきった手首を掴んで大股に引き返せば、俺の後ろ襟を伝うしずくを気まずげに見詰め、ドブにハマって流されてく犬さながら情けない顔でピジョンが詫びる。
「ごめんよ」
「迎えに来させて?」
「身体冷えたろ」
「風邪ひいちまいそうだ、あとであっためてくれ」
「わかった」
ぎょっとして振り返りゃピジョンが目を瞬き、はにかむようにシャイな笑顔を見せる。
「ホットミルク入れてやるよ。砂糖たっぷりの」
「……あっそ。わかってたよそっちの意味だって」
コイツに期待した俺が馬鹿だった。
むくれて視線を切った俺の手を強く握り返し、歩調を速めて隣に追い付いたピジョンが、トレーラーハウスのドアを押さえて手庇を作る母さんに顎をしゃくる。
「早くいこう、母さんが待ってる」
「ああ」
「ミミズ助けたから輪ゴムの件はちゃらにしてやる」
「まだ腫れてんの?なぐさめてやろうか」
「断る」
俺とピジョンはしっかり手を繋ぎ、吹き付ける雨風に前のめりに挑んで切り抜けていく。
ピジョンならフシギと嵐も怖くない。
アスファルトの海に溺れる卑しい魂を見捨てられねェで何時間もじっと付き合っちまうようなヤツだから、コイツはきっと俺がどんな底抜けの愚か者でも見捨てられず、干上がるのもふやけるのもよしとせず救いの手をさしのべるのだ。
コイツとならゴルゴダの道行きも怖かねえ。
もう少しで母さんの所に戻れるって時に、唐突に歩調を落としたピジョンが俺にだけ聞こえる声でこっそり囁く。
「Every cloud has a silver lining……ってことわざ知ってる?」
「何だって?」
「どの雲にも銀色の裏地が付いている。俺の好きな言葉」
「いらねーひけらかしどうも。そーゆーのどこで仕入れてくんの」
「本。お前ももっと読め」
「やだね。で、意味は」
「え……」
「知らねーのかよ」
「洋服の裏地とか雲の後ろに太陽があるときに見えるボンヤリした光とか……」
分厚い雲が敷き詰められた天を仰いだピジョンは、かけらも見えねえ太陽を見出そうとするかのように目を細め、透き通った銀色に越された陽射しが縁取る雲のかたまりを想像する。
なんでわかるのかって?
生まれた時から一緒にいるから、どうしようもなくおめでてえ夢想家がくっちゃべる「もしも」にさんざん付き合わされてきたからだ。
「どんな雲にも綺麗な銀色の裏地が付いてるって考えたら雨の日も楽しくならないか」
「その裏地が見れんのは神様の特権?」
「今はね。でも晴れたら……」
「俺たちもおこぼれをもらえる」
「そーゆーこと」
一面コットンフラワーを敷き詰めたような雲海が、銀の陽射しに濾されて神々しく燃え上がる眺めを思い描く。
「楽しくなるわけねーだろ、ご褒美先送りで今の苦しみ耐えしのぐとかマゾの発想だ。くだらねー殉教精神だきゃ褒めてやる」
「やっぱり……いたたたっ」
上を向いた拍子に雨粒が目にヒットし、ピジョンが手で顔を覆って呻く。滑稽な独り芝居に吹き出すよりあきれちまい、でもやっぱり笑っちまって「ばーか」と歌うように冷やかす。
どんな雲にも銀色の裏地が付いてる。頑張ってさがせば、どんな悪党にだって何がしか見られるところがあるかもしれねえ。
それはピジョンの信念で間違っても俺の信念じゃねえが、そういうふうに思える奴だからこそゴルゴダの丘をこえてはてしない曇り空の向こうへ飛び立てるはずだ。
「母さん駄バトは?」
「お兄ちゃんのこと駄バトなんて言っちゃだめよ、また落ち込んじゃうでしょ。不遜な心にリスペクトを忘れないで」
「アイツなにやらしても鈍くさくてウンザリするし」
トレーラーハウスの窓ガラスを雨だれが伝うさまを横目にぼやけば、キッチンで立ち仕事をしていた母さんが「めっ」と眉を逆立てる。ちっとも迫力がねえ。
「そこがピジョンのいい所でしょ」
「人をイライラさせる天才?」
「何事もじっくりゆっくり地道にコツコツ取り組むの。誰かさんみたいにサボったりしないのよ」
「もっと要領よく生きろよ、靴紐で知恵の輪してるの見ると張っ倒したくなる」
「うまいこと言うわね。確かにあの子って物事をちょっと複雑にとらえすぎるかもしれないわね」
「ちょっとかよ」
俺のたとえに朗らかに笑い転げる母さん。耳障りな笑い声にしらける。俺から見ればピジョンはわざと問題を複雑にしている、良かれと思ったことが裏目に出て赤っ恥をかくくり返しでちっとも進歩しやがらねえ。アイツのお人好しは病気だ、それも末期の。遺伝だとしたら今さら処置なしだ。
雨に降りこめられたトレーラーハウスの中には静けさがたゆたっている。ベッドの下もクローゼットの中も覗いたがピジョンは影も形もねえ。蒸発しちまったのか?
こんな雨の日に出歩いて風邪をひきこむほど馬鹿じゃねえはずだ。
「ホントどこだよ手間かけさせやがって」
「台所の戸棚は?」
「サイズ的に無理ある」
「じゃあ貯蔵庫」
母さんの指摘に従って台所の床の区切りをまじまじ見詰める。
四角い枠の隅の取っ手を掴んで持ち上げると、缶詰や保存食品がぎっしり詰まった空洞が出迎える。ピジョンが割り込む隙間はなさそうだ。
「1人かくれんぼたって折り畳まなきゃ入んねーだろ」
もともと狭苦しいトレーラーハウスの中を隅々まで捜し尽くすが、クローゼットをひっかきまわしてもバスルームを確認してもピジョンはどこにもいやしねえ。
台所に戻ると、コーヒーをなみなみ注いだマグカップを両手に包んだ母さんが心配げに顔を曇らす。
「家出かしら」
「もっと早く気付けよ」
「心当たりあるのスワロー」
「ありすぎてしぼりきれねー」
「あえて挙げるなら」
「寝てるあいだにアイツのペニスに輪ゴム巻いてバチンとやった」
「どうしてそーゆー意地悪するの?腫れるでしょ」
「唾付けときゃ治る」
「身体が柔らかくなきゃ無理よ」
「口じゃなくて手でやれ」
なんなら吸ってやってもいいと心の中だけで付け足し堂々と開き直る。輪ゴムでペニスを弾かれて飛び起きたピジョンの顔ときたら傑作だった、アイツの宝もんのポラロイドで撮っとかなかったのが惜しい位だ。
ピジョンの家出なんか日常茶飯事だからいちいち気に留めねえ、ほっときゃ2・3時間で腹空かせて帰って来る。今日に限って落ち着かねーのは結構な雨が降ってるからだ。
俺たちが停まってる廃墟のドライブインの周りは赤茶けた岩が屹立する荒野で、強烈な風雨に見舞われたら地崩れの恐れもある。運動音痴なピジョンのこった、万一逃げ遅れて災害に巻き込まれたら……
「ホントに知らねーの?」
「今起きたばかりだもの」
懐疑的な眼差しで釘をさせば、母さんが申し訳なさそうに俯いてコーヒーを一口啜る。
「ピジョンは心配性だからこの雨で地滑りがおきないか外を見に行ったのかも」
「豪雨の日に外出るとか気合入った自殺志願者だな」
「そんなこと言わないの、私たちを心配してるからでしょ」
ちなみに母さんがまとめる「私たち」の中には、老いぼれトレーラーハウスもしっかり入ってる。
ピジョンの性格を考えたら実際その可能性は大いにありうる、アイツは馬鹿で臆病で鈍くせえ癖に嵐になると地滑りを心配してわざわざ見に行くタイプのアホなのだ。
俺は苛立たしげに腕を組み、暴風吹き荒れる窓の外に一瞥くれる。
「前も嵐の日に様子を見てくるって言って結構な時間帰ってこなかったな」
「3年前だったかしら。町の人たちが土嚢を積むの手伝ってあげてたのよね」
「余計なことしやがって」
俺達を街から閉め出した連中の為に骨折り損のくたびれ儲けすることさらさらねェのに、あの救いがたい間抜けなお人好しはその筆頭の腰曲がりの因業ババアが土嚢を運ぶのにひいこらするのを見捨てられず手伝いを買って出たのだった。
「アイツならイエスの代わりに十字架背負ってゴルゴダのぼってくれんだろうな」
「じゃあママはマリア様ね、役柄的にはマクダラの方が近しいけど」
マクダラのマリアは悔い改めた元娼婦と言われている、男と一緒にいるときゃ口開くより股開いた回数のが多いふしだらな母さんにゃぴったりだ。
息子にべたべたに甘いわりに放任主義で呑気者な母さんも、窓越しの雨風を眺めているうちにさすがに兄貴の行方が心配になったらしい
まだ半分ほど中身が残ったマグカップをテーブルにおき、憂いを湛えた真剣な表情で申し出る。
「さがしにいくわ、留守番おねがいね」
「俺が行く」
外に出る準備をはじめた母さんを押しとどめ、肩を掴んで無理矢理椅子に座らせる。
「でも」
「母さんが行ったってどうにもならねえだろ、万一あの馬鹿が穴にはまってても俺なら助けられる。怪我してたらひきずってくる」
俺なら、俺だから助けられる。母さんの出る幕はねえ。
暗にそう仄めかして制すれば、母さんは一瞬傷付いたように目を伏せるが次の瞬間には顔を上げ、俺の言葉を正論と認めて頷く。
「……ひきるずのはやめてぶってきてね。動かせないようなら真っ先に人を呼んで」
俺の目を見て懇願する母さんに適当に肩を竦めれば、今度は反対に肩を掴まれ「スワロー?」とおっかない顔と声で念を押される。
「わーったよ。言う通りにする」
しぶしぶ承諾すれば安堵したように頬を緩め、俺を車外に送り出す。スライドドアを開け放てば、早速猛烈な強風が吹き付けて前髪を煽る。雨粒が顔に当たって痛え。
「いってらっしゃい、気を付けてね」
「大袈裟な。ちょっとそこまで見てくるだけだろ」
「ちゃんと帰ってきてね」
胸に拳をあてがった母さんに背を向け、強風に逆らってステップを下りる。この風じゃ傘も用を足さない、骨が折れてかえって邪魔になる。
アスファルトで固めた地面に降り立ち、ピジョンのアホをさがして模糊と煙った視界に目を凝らす。
「おい駄バトとっとと出てこい、呼んでるの聞こえねーのか!」
耳元でビュウビュウ荒れ狂い空気を切り裂く風の唸り。風圧で飛ばされそうになるのをなんとか踏ん張り、交差した両腕を掲げて前へ前へと突き進む。ピジョンのヤツ、どこに隠れてやがる?あれっぽっちでいじけやがって……
「輪ゴム巻いてバチンとやったのまーーだ拗ねてんのかよ、腫れたぶんサイズ稼げてよかったじゃん感謝してほし―位だこっちは!」
虚勢で焦りをくるんだ声が虚しく宙に飲みこまれる。暴力的な風の唸りとアスファルトを削る雨音が既視感を刺激し、たまに見る悪夢の断片が瞼の裏にチラ付きだす。ピジョンのヤツ、一体どこに……まさか本当に野垂れ死んでるんじゃ
「ん?」
トレーラーハウスから少し離れた場所、雨で煙るアスファルトの道路のど真ん中に痩せっぽちの背中がしゃがみこんだ。間違いねえ、ピジョンだ。
ピンクゴールドの髪はぐっしょり濡れて肌に張り付き、大量の水分を吸ったモッズコートはどす黒く変色している。
「ピジョン!!」
大声で名前を呼んでまっしぐらに駆けていく。嵐の中アスファルトの道路に蹲るちっぽけな兄貴の姿は、あっち向いてもこっち向いてもしっぺ返しの逆風に見舞われる俺にとって唯一の道標だった。
「スワロー!」
ピジョンが漸く顔を上げる。前髪からは絶え間なく雫が滴って酷い有様だ。
「何やってんだよこんなとこで」
「ミミズが……」
耳を疑った。
うろたえきったピジョンの視線の先、亀裂の走った旧い道路の上にミミズが打ち上げられてのたくっている。どうやら近くの荒野から流されてきたらしい。ピジョンは縋るように俺を仰ぎ、ミミズを指さして訴える。
「助けたいけどさわれないんだ」
「ちゃんと説明しろ」
「すごい雨だろ?外の様子が心配になってちょっとだけ見に来たんだ、そしたらコイツがアスファルトに打ち上げられて土に戻れなくなっちゃったみたいで。助けてやりたいけど俺ミミズが苦手なんだ、知ってるだろ?細くてウニョウニョしてるし見た目とか動きとかダメなんだよ、気持ち悪くてさわれない。でもほっとけないし、上手く木の枝にのっけて向こうに持ってけないか試したんだけど無理で、どうしたらいいかわからないよ」
「どうかしてんのはテメェの頭だ、ミミズ以下の知能だな」
「ハト程度の知恵はあるよ」
話を簡単にまとめるとこの底抜けにドアホなお人好しは、雨の勢いが心配になって外の様子を見に来た折にアスファルトでもがくミミズを見、苦手意識をこらえて救出を試みたものの空振り続き、さりとてシカトもこけず見張り続けていたらしい。
「鳩なら啄め」
「やなこと言うな、想像しちゃったじゃないか」
クソ面倒くせえ。
「あ」
全身でため息を吐き、ぐずぐずする兄貴の手から小枝をひったっくる。その先端で道路上のミミズを乱暴にひっくり返し、どんどん転がして土へ帰す。間違っても戻ってこないように最後は先端にひっかけ、遠く遠くへ飛ばしておく。
「もっとそっとやれ、可哀想じゃないか!」
木の枝を怒り任せに投げ捨ててから振り返りざま、目を険悪に据わらせてピジョンを睨み据える。
「憂いはねェな?」
「う……」
俺の迫力に怖じたピジョンが2・3歩あとじさり、とうとう俯いちまってから消え入りそうにありがとうと呟く。無駄に時間を食ったせいでお互いびしょ濡れ、髪からも服からも絞れそうな量の水が滴っている。
「帰んぞ」
すっかり冷えきった手首を掴んで大股に引き返せば、俺の後ろ襟を伝うしずくを気まずげに見詰め、ドブにハマって流されてく犬さながら情けない顔でピジョンが詫びる。
「ごめんよ」
「迎えに来させて?」
「身体冷えたろ」
「風邪ひいちまいそうだ、あとであっためてくれ」
「わかった」
ぎょっとして振り返りゃピジョンが目を瞬き、はにかむようにシャイな笑顔を見せる。
「ホットミルク入れてやるよ。砂糖たっぷりの」
「……あっそ。わかってたよそっちの意味だって」
コイツに期待した俺が馬鹿だった。
むくれて視線を切った俺の手を強く握り返し、歩調を速めて隣に追い付いたピジョンが、トレーラーハウスのドアを押さえて手庇を作る母さんに顎をしゃくる。
「早くいこう、母さんが待ってる」
「ああ」
「ミミズ助けたから輪ゴムの件はちゃらにしてやる」
「まだ腫れてんの?なぐさめてやろうか」
「断る」
俺とピジョンはしっかり手を繋ぎ、吹き付ける雨風に前のめりに挑んで切り抜けていく。
ピジョンならフシギと嵐も怖くない。
アスファルトの海に溺れる卑しい魂を見捨てられねェで何時間もじっと付き合っちまうようなヤツだから、コイツはきっと俺がどんな底抜けの愚か者でも見捨てられず、干上がるのもふやけるのもよしとせず救いの手をさしのべるのだ。
コイツとならゴルゴダの道行きも怖かねえ。
もう少しで母さんの所に戻れるって時に、唐突に歩調を落としたピジョンが俺にだけ聞こえる声でこっそり囁く。
「Every cloud has a silver lining……ってことわざ知ってる?」
「何だって?」
「どの雲にも銀色の裏地が付いている。俺の好きな言葉」
「いらねーひけらかしどうも。そーゆーのどこで仕入れてくんの」
「本。お前ももっと読め」
「やだね。で、意味は」
「え……」
「知らねーのかよ」
「洋服の裏地とか雲の後ろに太陽があるときに見えるボンヤリした光とか……」
分厚い雲が敷き詰められた天を仰いだピジョンは、かけらも見えねえ太陽を見出そうとするかのように目を細め、透き通った銀色に越された陽射しが縁取る雲のかたまりを想像する。
なんでわかるのかって?
生まれた時から一緒にいるから、どうしようもなくおめでてえ夢想家がくっちゃべる「もしも」にさんざん付き合わされてきたからだ。
「どんな雲にも綺麗な銀色の裏地が付いてるって考えたら雨の日も楽しくならないか」
「その裏地が見れんのは神様の特権?」
「今はね。でも晴れたら……」
「俺たちもおこぼれをもらえる」
「そーゆーこと」
一面コットンフラワーを敷き詰めたような雲海が、銀の陽射しに濾されて神々しく燃え上がる眺めを思い描く。
「楽しくなるわけねーだろ、ご褒美先送りで今の苦しみ耐えしのぐとかマゾの発想だ。くだらねー殉教精神だきゃ褒めてやる」
「やっぱり……いたたたっ」
上を向いた拍子に雨粒が目にヒットし、ピジョンが手で顔を覆って呻く。滑稽な独り芝居に吹き出すよりあきれちまい、でもやっぱり笑っちまって「ばーか」と歌うように冷やかす。
どんな雲にも銀色の裏地が付いてる。頑張ってさがせば、どんな悪党にだって何がしか見られるところがあるかもしれねえ。
それはピジョンの信念で間違っても俺の信念じゃねえが、そういうふうに思える奴だからこそゴルゴダの丘をこえてはてしない曇り空の向こうへ飛び立てるはずだ。
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