タンブルウィード

まさみ

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十八話

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反吐が出るほど懐かしい夢だ。
「…………」
記憶の境界線が溶け出して自我を浸蝕、過去と現実が錯綜し自分が今いる場所が一瞬どこかわからなくなる。
間接がぎしぎし軋んで痛い。腕に違和感……拘束はまだ解かれておらず、ロープで後ろ手に縛り上げられている。
「う……」
瞼を動かすと頭に響く。
不衛生な床に寝転んだまま、酷く苦労して薄目を開ける。
朦朧と霞んだ視界に規則正しく並んだ鉄格子を捉え、巨大な檻に監禁されているのだと悟る。
妙に息苦しいと視線を落とせば、革製の赤い首輪が嵌められていた。お古らしく、表面の傷み具合が激しい。
申し訳にシャツこそ羽織っているが下半身は素っ裸、尻には間抜けにアナルパールが突き刺さったまま、地毛とおそろいのダークブラウンのしっぽがしんなりたれさがっている。
片方の口端を吊り上げ、自虐的な笑みを作る。
「……笑える眺め」
気絶して檻に移されたのか。
檻に閉じ込められる羽目になった経緯を遡れば、スワローと呉哥哥の顔がチラ付いて酷く気分が悪くなる。
しっぽを生やしたまんま放置された下半身を見下ろしてるうちに、やけっぱちの笑いが沸々とこみ上げてくる。
「はは…………洒落になんねえ。悪趣味の極み」
前立腺を串刺しにされてるせいでちょっとした動きが中を刺激し、腹筋を波打たせて笑うのすら億劫だ。
強烈な光の奔流が網膜を焼き、咄嗟に顔を背ける。
檻の傍らに設置された照明機材が、ふんじばられ転がされた俺の醜態を煌々と暴き出す。
顔が妙にべたべたして気持ち悪い。汗と涙と体液が乾いた不潔な残滓が肌を汚す。あれから何時間経過したのか……
「バウバウッ!!」
「っ!?」
至近距離で咆哮が上がる。見覚えのあるやたらデカい犬が、しっぽをちぎれんばかりに振りたくって俺にのしかかってくる。
ヤバい、喰われる。
脳裏でけたたましく警報が鳴り響き、縛られた体勢のまま膝這いで逃げようとするも背中に突撃され、縺れあって倒れ込む。痛てえ。
「離れろバカ犬、あっちいけ!遊びの時間はおしまいだ、俺はメスじゃねーぞ!」
畜生に言葉が通じないのは百も承知で、それでも一縷の望みを託して喚き散らす。
でっかい毛皮で覆われた肉のかたまりが、俺の背中にのっかって耳裏やうなじを夢中で舐めまわす。
気色悪い感触におぞけをふるい、芋虫のように伸び縮み遅々と前進する。
「重ッ……おりろ……耳は弱いんだってマジで!折れっからマジで、カルシウム不足でポキッと逝っちまうぞ!」
大量のよだれがうなじをぬめらせビクリとする。犬ははしゃいで吠えまくり、俺のうなじに鼻面突っ込んでハアハアやってる。殺られる。
目をキツく閉じ、くだらねェ人生の走馬灯が早送りされるのを待ってたが、予期した痛みが訪れず困惑する。
犬は俺におっかぶさったまま、擦り傷だらけの頬ぺたをベロベロ舐めまわす。今にも鋭い牙を立てられ肉を抉りとられそうで生きた心地がしない。
「しっしっ、あっちいけしっ!」
あんだけさかってたのが嘘みてえに……クスリの効き目が切れたのか?犬だって勃ちっぱなしは疲れるもんな。
攻撃意志はないと判断、危急は去ったと深く安堵。コイツはただ、じゃれ付いてるだけだ。俺に遊んでほしいだけなのだ。
最悪の可能性が浮かんで下半身を確認、血痕やその他の痕跡が見当たらず息を吐く。失神中に犯られちまったんじゃと妄想逞しくしたが、辛うじて処女は無事。
いくらヨゴレでも、畜生に貫通されちまったんじゃ浮かばれねェ。
起き抜けの頭に漸く血が回り始める。
横臥の姿勢から緩やかに首をもたげ見張りの有無を確認、視界内に幸い人けはない。切り札を使うなら今だ。
「ふー……」
静かに瞠目、呼吸を均す。
瞼裏の暗闇にあるイメージが像を結ぶ。それは糸だ。白く細い糸が無数に縒り集まって、放射線状の蜘蛛の巣を形成する。芸術的な幾何学模様……
もっと深く、さらに深く、意識の深層に潜る。
後ろ手に縛られた指を慎重に曲げては伸ばし、爪と肉の間に存在する特殊な器官からミクロン単位の繊維を放出する。
体内で生成された、可視化できないレベルの極細の糸を慎重に伸長して周辺探索。
鉄格子の間を抜け、床を這い、壁を上り、通気口からダクトを遡り、排水溝から下水道に走り、俺を中心に全方位に張り巡らせる。
糸を生み出す体力はぎりぎり温存しておいた。途中で抵抗が鈍ったのは諦めたからじゃねえ、ひとえにこのためだ。
俺が今いるのは犬舎は一際本格的な鉄筋コンクリート建て、周囲に並ぶ檻には様々な品種の犬が犇めいている。
鉄格子の隙間から糸を侵入させ、さらに伸ばし、感覚を研ぎ澄ました先端で生物に触れる。
一匹、二匹、三匹……
「五十四匹か」
俺の糸は皮膚繊維を織り込んだ高感度センサーの役割を果たす。対象の位置と距離に個体数までも、接触した糸を通じておおよそ把握できる。
だが万能じゃねえ、制約は多い。
まず範囲が限定される。拡張できるのは最大100ヤードまで。太さおよび硬度はワイヤー程度まで自在に変えられるが、糸を作る際のカロリー消費が激しく長時間の持続は困難。したがって武器にも転用できるが、探査に用いる頻度の方がずっと高い。
『手が動かねえ……?』
組織の金を持ち逃げしてリンチにかけられた、馬鹿な男と女の断末魔が甦る。
「……だりぃ……」
できればコイツは使いたくなかった。他のだれよりなにより俺自身が最も忌み嫌う異能……胸中に忸怩たる苦汁が湧き広がる。
俺は中途半端な人間だ。
何をやらせても半人前で、忌み嫌ってるコイツに頼らなきゃ居場所すら確保できねえ。
その鬱々した劣等感が、環境に依存する性格をますます卑屈に歪ませる。
カフェの貼り紙……「イレギュラーお断り」の文句が脳裏を掠める。
人間になりきれず、さりとて異形にもなりきれず。
どっち付かずの俺には行くとこなんて、ねえ。
あの店の戸を叩かなかったのは俺が善人だからじゃねえ、自身が禁則に該当するからだ。種を明かせば単純な話。
敷居を跨ぐのすら躊躇うくせに、檻の中のガキは平気で見殺しにする弱さ狡さに吐き気がする。
嗚呼、猛烈に煙草が喫いてェ。そうすりゃこの死ぬほど落ち込んだ気分もちったあマシになる。
下水道じゃずっと我慢していた、そろそろ禁断症状がでてくる頃合いだ。誰か、誰でもいいから頼む……
渇きを意識するとたまらなくなる。俺は限界まで首をひねり、背中に押し被さる犬にせがむ。
「おいワン公」
「バウ?」
「そうお前だお前、俺の背中にべったりのっかってる過激なスキンシップが売りの犬畜生。いっこ頼みてェことがあるんだが……シャツの胸ポケットに煙草とライターが入ってっから、ちょっととってくんねェ?」
畜生に媚び諂うってどうなんだ?人間サマのプライドはどこやった?……構うもんか、ンなもんとっくに捨ててる。ケツにしっぽ突っ込んだかっこで強がっても虚しいだけだ。
「なぁ頼む、言うこと聞いてくれたらわしゃわしゃしてやっから……ちんちんでもおかわりでもリクスト受け付けるぜ、って縛られてんじゃダメか。脚は使えんだろ?それでさ、ポケットから煙草を出してほしいんだ。犬かきで……ライターのスイッチは押せねえか……いや、がんばりゃ可能か?挑戦は無駄じゃねェ、世の中鼻にコップをのっけて平均台渡る犬もいるんだ。まあいいや、無理そうなら口の近くに持ってきてくれるだけでも恩の字だ。やればできるお前は頭のいい犬だ、鼻息荒げてアナルパールにじゃれ付くファイトがありゃイケるさ」
最初はご機嫌とるようにやんわりと、次第に焦りが募って必死な口調で訴える。
犬は「ワフ?」とあざと可愛く小首を傾げて意味不明のポーズ。使えねえとがっくりくる。
「諦めんなよそこで!スナッフポルノ大好きド変態野郎の命令ならしっぽ振って聞いてたろ、後生だから俺のお願いも聞いてくれ、な、頼む!寿命のカウントダウンがはじまってんだから哀れんでくれよ、俺の人生設計じゃ死因は肺癌って決めてんだ」
既に何を口走ってるか自分でもわからない。支離滅裂なことをほざいて同情を買おうとする俺を、犬がおいてけぼりの風情で眺めている。くそ……手さえ自由なら喫えるのに、ままならねえと臍を噛む。
最後の一服にも預かれずド変態の慰み者にされるなんて、死んでも死にきれねえ。
「煙草!ライター!胸ポケット!とってこい、むしろとってくれ!」
無理か。無駄なのか。しきりと顎をしゃくって肩を揺らし、胸ポケットを指し示す努力をする。一語一語を歯切れよく強調し、血走った目で睨み付ければ、犬がトコトコと歩いてまわりこむ。
「やればできるじゃねえかワン公。よーしいい子だ、そのままそのまま……もうちょい右、次は下……」
俺を突付いて表返し、胸ポケットの膨らみを嗅ぐ。瞬間、フレーメン反応を示す……ネコ特有の現象だともちろんわかっちゃいるが、そうとしか形容しがたい微妙な表情。それでも指示を重ねれば、健気にも前脚をポケットにかけ、器用に箱を掻きだすではないか。
「でかした!」
コヨーテ・ダドリーは死んだ方がいい鬼畜外道だが、この犬はいいヤツだ。調教の腕前だけは認めてやらねえこともねえ……犬に限っての話。
さすがにそれ以上の要求は酷なので、自力で這いずって箱に近付き、一本咥えとろうとする。
煙が恋しい、ニコチンが欲しい、メンソールの清涼感でいがらっぽい喉を濯ぎてえ……
『~~~~~~~~~~~该死ガイスー!!』
あらん限りの憎悪をこめて中国語の罵倒を放ち、もんどりうってヘッドバンド。
もう少しで引っこ抜けそうなのに……目の前に煙草があるのにお預け食うのは辛い、拷問だ。
傍らの犬がくぅんと情けない声でしっぽをたらす。
「あー、お前のせいじゃねえよ……今のは独り言だ、うん」
全く、なにやってんだか。独り芝居の徒労感でなにもかもどうでもよくなる。自暴自棄になって寝返りを打てば、鉄越しを組んだ天井の向こうが見える。
コヨーテ・ダドリーは今頃どうしてる?スワローは?待ち合わせすっぽかされてキレてっかな……呉哥哥、特別報酬ボーナスくれっかな……
探索は終わった。犬舎の屋内には五十四匹の犬の他に男が六人、ただし視認できる範囲に存在せず。そのうち誰かがダドリーかもしれねえ。同体判定できねえのがこの能力のウィークポイントだ。もっといえば、「男」ってのも俺の勘でしかねえ。便利っちゃ便利だが、細けえところで融通がきかねえのだ。
ひとりでほっとかれ不安が募る一方、再びダドリーのツラを拝む位なら放置プレイのが格段にマシと思い直し、ニコチンの禁断症状が欲求不満を燻らせ、冷たい鉄格子の絶望感も尻に生えた硬い違和感もキレイさっぱり切り離し、なにか他のことで気を紛わせろさもねえと本格的におかしくなると全力疾走で現実逃避。

『ストレイ・スワロー・バードのことが知りたいですって?』
耳の奥に過去が残響する。
癇性に尖った女の声が、抑圧された口調で続きを引き取る。
『いいわ、教えてあげる。アイツが私になにをしたか話してあげる』
スワローと前に組んだ女賞金稼ぎが、のっけから凄まじい剣幕にたじたじの俺の眼前で胸元をはだけ、豊満な乳房の上半球を露出。
そこには鋭い刃物らしきもので深々と「R.I.P.」の略字が刻まれていた。
『アイツがやったのよ』
私をレイプして一生消えない傷を刻んだの、と、激情に震える声で女は告げた。
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