タンブルウィード

まさみ

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someone’s pigeon

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人を殺すのが怖い。
物心ついたころからずっと人と争うのが苦手だった。
だれかの痛がる顔を見るとべそかきが伝染るし、何かの弾みにだれかを傷付けると罪悪感で消えたくなった。これはもうそういう性分としか言いようがない。この仕事をやっていくと決めた上で、マイナスにしかならない性格傾向だ。
俺は臆病者だ。小心者だ。卑怯者だ。偽善者だ。そんなことは自分が一番よく知っている、スワローにさんざん言われてきたし自覚もある。

賞金稼ぎはひとり殺してやっと一人前だそうだ。

それでいくと俺はまだ半人前だ。これまで捕らえた賞金首は二桁に上るが、どれも生かしたまま保安局に突き出した。スワローの力も借りて死なない程度に痛め付けた上で拘束し、あるいはヴィクテムを回収して……
再起不能になった相手を殺す理由はない、労力にも見合わない。
失神した賞金首を後ろ手に括りながら自分に言い訳するよう訴えると、スワローは必ず鼻で笑ってこう言うのだ。

「賞金稼ぎやっててひと殺さねーのなんて、相当恵まれてるかとことんツイてねえヤツだけだぜ」

賞金稼ぎは汚れ仕事だ。どうかするとただの賞金首よりたくさん殺す、しかも合法的に。子供の頃は華々しい面しか見えていなかった。活躍したい。有名になりたい。金が欲しい。母さんにらくをさせたい。もっとうまいものが食いたい。俺にも人並みに欲はある。現状に満足してるわけじゃない、上をめざすなら選り好みはしていられない。
でも、怖いものは怖い。深く根を下ろした本能的な忌避感と生理的な嫌悪感が拭えない。自分だけの問題じゃない、叶うなら俺の近くにいる人間にも堕ちてほしくないと強く願っている。
筆頭がスワローだ。
俺が見張っているあいだはまだ大丈夫、一線をこえない。でもよそ見をしたらどうなるかわからない、アイツはあっさり境界線を跨ぎ越して二度とこっち側に帰ってこなくなる。
俺はそれが怖い。とても怖い。
アイツは強いから俺がいなくてもやっていけるが、そのやっていき方はことごとく世界を敵に回す。この世界を地獄に落とすような生き方しかできない。あぶなっかしくて目が離せない、目を離したら最後アイツは手の届かない遠くへ行って帰ってこなくなる。
俺達はもうつがいでいられない。ひとりぽっちで生きていくしかない。
アイツがいないと飛び方がわからない、荒れ果てた広すぎる世界で迷子になる。
得物をスナイパーライフルに持ち替えたのは、戦場を駆け回るアイツを見失わずにいるため。
スコープを覗けばアイツはそこにいる、近くで見張っていられる。
俺はきっと、臆病すぎるのだ。
俺が人殺しをしたくないからってアイツにまで偽善を強制するのは間違ってると頭では悟っている。
でも大人数相手に嬉々としてナイフをふるう笑顔を見ていると、コイツが人を殺すのは時間の問題だと思い、それが避けられない血の呪いに思えて、なんだかとても悲しくなるのだ。
一人殺したら百人殺すもおなじだ、じきになにも感じなくなる。
俺は大丈夫だろうか?気付かぬうちに人を傷付けることに慣れてやしないか、他人の痛みに慣れきって鈍感になってやしないか?傷口からふきだす赤い血も、恐怖と絶望に見開かれた目も、悲鳴が迸る口も。けっして慣れちゃいけない何もかもをおざなりにしてやしないか……

標的に感情移入しすぎるのは狙撃手として致命的な弱点だ。直さなきゃいけない。
割り切れないものを強引に割り切ってライフルを構え直す。
スコープを覗くと心がクリアになる。
俺はいまアパートの五階にいる。張り込み用に借りた部屋で、じきに下の通りに標的が現れる。
毎日朝と夕に角の店に煙草を買いに行くのが日課のケチな悪党で、賞金首としちゃ小物だ。スワローはいない。
男にはツレがいる、そっちの確保にむかってるのだ。
コンビで活動しているとこの手の分担はよくある。
「やりすぎないといいけど……」
誰も聞いてないのをいいことに小声で呟く。
俺がいないとスワローは途端に加減を忘れる。せいぜい半殺し程度にとどめてくれよと念じ、通りを見張る作業に戻る。
どうでもいいことをとりとめなく考えてしまうのは監視が暇だからだ。朝と夕に二回でかけるといっても、必ずとは言いきれない。体調が悪くて引っ込んだままかもしれないし、不都合が起きてとりやめるかもしれない。たんなる気まぐれで習慣を改めるかもしれない。先のことはだれにもわからない、なにせ標的は生き物なのだ、こっちの思惑通りに動いてくれる保証はない。

きた。
引き金にかけた指に自然と力が入る。向こうから退屈げに歩いてくる男……手配書と同じ顔。強盗の前科が六件、ヴィクテムはなし。頭の中でおさらいし、胸元にぶらさがるドッグタグと十字架、どちらを恃もうか迷った末に両方をひとまとめに掴む。

賞金稼ぎになって、俺にも変化があった。
今はもう引き金を引くのに躊躇わない、自分が送り出した弾丸が標的を撃ち抜いても冷静でいられる。
スコープの向こうで暴れる弟を観察し、今日はキレが悪いな、今のフック上手くよけたなと呑気に寸評する余裕まである。
人殺しになりたくない理性とは裏腹に、賞金稼ぎの仕事をこなすほどに人殺しに慣れていくもう一人の自分がいる。

あふれる血に、苦痛の形相に。
目を背けることが正しいのか、目に焼き付けることが正しいのか、正直言うとよくわからない。スプラッタは苦手だ。
人が悶え苦しむ様子なんてできれば見たくないし、腕や指が切断される光景なんて目撃した日には飯が喉を通らなくなる。
でも、そこから目を背けるのはずるい気がする。
なんたってその痛みは俺が、俺達がもたらした結果なのだ。だとすれば相手がどんな最低のクズだろうが、最初から最後まで見届けるのが義務じゃないか?
吐き気がなんだ悪夢がなんだ、無責任な傍観者になりさがるくらいなら自覚ある加害者でいたい、それが賞金稼ぎとしての最低限のプライドだ。
血に慣れた。銃声に慣れた。ナイフに慣れた。スワローを笑えない、俺の良心もゆっくりと腐り始めている、倫理はすっかり破綻している。

俺はわからない。
引き金に指をかけた自分がどんな顔をしているか、見ること能わず知る由もない。
縦横無尽にナイフを振り抜き、エクスタシーに酔った弟とそっくりに笑っていたら……そのことを喜べばいいか、哀しめばいいかすらわからない。
母さんは、きっと哀しむ。

男がひとり歩いてくる。
こっちの存在にはまるで気付いてない。幸運というべきか、通りにはほかに人けがなく静まり返っている。ひとまず巻き添えがでないことに安堵、標的の一挙手一投足に注意する。
世界に俺と標的、ふたりきりになる。
正直、この感覚は嫌いじゃない。引き金に指をかけてる時だけ息が吐ける、というのは言い過ぎか。てのひらのまめが潰れるまでスリングショットを練習した日々を思い出す。過去の延長に今の俺がいる。スリングショットとスナイパーライフルじゃ重さが違う、ゴツさが違う。あっちは投擲と打撃に用いる道具でこっちは狙撃に特化した銃。
本来スリングショットとは、Y字型の棹をはじめとする枠構造にゴム紐を張り、弾とゴム紐を一緒に摘まんで引っ張り手を離すと、弾が飛んでいく仕組みの猟具だ。子供の玩具としても広く親しまれている。
道具と武器には雲泥の差がある。スナイパーライフルはより人殺し向きで、殺傷力は比較にならない。
俺は大人になった。あの頃と比べたら背も伸びて体格も逞しくなった、ライフルを支えるだけの肩幅と腕力もある。スリングショットが可能とする射程と出せる威力は限られていて、乗り換えざるえなかった。

『武器は自分や大事な人を守るもので、だれかを傷付けるものは凶器だ』

自虐と自嘲を織り交ぜた微苦笑が浮かぶ。
あの頃の自分に教えてやりたい、そんなきれいごといまに言ってられなくなるぞ、と。
昔の俺が今の俺を見たら軽蔑するだろうな。スリングショットはどうしたと責められるだろう。もちろん捨てずにとってあるけど、今では取り出して眺めることもない。

忘れたんじゃない。
つらいんだ。
あんなふうに言える俺はもういないから、うしろめたいんだ。

強くなりたかった。大きな力を求めた。守ることと傷付けることは同義でも等価でもないと、あの頃は無邪気に信じていられた。

今は駄目だ。

片手で十字架を握り、そっと唇をつける。
心変わりしたわけじゃない。師に贈られた十字架は大事な宝物だが、接吻は自己暗示も兼ねている。ドッグタグに触れるのをほんの少しためらってしまうのは……スワローとなんでもおそろいだった、子どもの頃をいやでも思い出してしまうから。
スワローの誕生日にペアで作ってやったドッグタグには、お互いのイニシャルが刻まれている。

『しょうがねえ、もらってやるよ』

はじめてタグを渡したときのスワローの顔、その後のタグにまつわる様々な思い出がぶり返し、感傷が引いてから今の自分に立ち戻ると、もう二度と戻らない歳月と失ったものの多さに愕然とする。

一段、もう一段、自分の中に深く潜る。
スコープに映る標的を凝視、慎重にタイミングを計る。不機嫌そうに浮腫んだ中年男がぶらぶら歩いてくる。
体幹が安定せず目的のない歩き方……隙だらけだ。狙撃は標的に気付かれてない場合において最も有効だ。
引き金をほんの僅か引き、唇の動きを読む。
ったく、使いっパシリじゃねえんだぞ……てめえで買いに行け……釣りはくれてやるって、ガキかよ。
どうやら仲間の分もたのまれたらしい。スコープを下に移動させ、ズボンの膨らみを追尾。拳銃を一丁所持。ほかにエモノは見当たらない、初撃で倒せばスムーズにいく。
ふと道端に屯う鳩に気付く。
食べカスでも落ちているのか、呑気に何かを啄んでいる。
「脅かしちゃ可哀想だな」
鳥は音に敏感だ。サイレンサー付きならいざ知らず、どうしてもびっくりさせてしまうがしかたない。
今頃スワローは敵のアジトに接近し、裏口に張り込んでタイミングを窺っている。俺の銃声を合図に突入する手筈だ。
じっとしてるのが苦手なスワローの苛立ちを想像してちょっと楽しくなるが、不謹慎だと表情を引き締める。

一段、もう一段、冷たい暗闇へ下りていく。
レイヴンやクインビーが生まれた暗闇。
己の良心を裏切った悪党が堕ちるコキュートス。
すべての狙撃手が回帰するグラウンド・ゼロ。

狙撃手は最高のマゾヒストにしてサディストだ、とだれかが言った。想像力をフルに使って標的と完璧な同化をはたし、その息の音をとめるのだ。なるほど、納得だ。
ということは、狙撃手は引き金を引くたび自分を殺してるのだろうか。
かつて先生は言った、狙撃手にもっとも必要なのは想像力だと。
その想像力を養う土壌は恐怖心だとも。
未知は恐怖だ。故に人は既知に落とし込もうとする。相手の一手先を読み裏をかき、あらゆる手管を使って自分の思惑の範囲内へ誘導してきた。
今この瞬間に突如としてしゃがまないともかぎらない、気が変わって引き返さないともかぎらない、伸びをして目測が狂うかもしれない。
俺が狙うのは、そんな不確定要素を孕んだ生きてる人間だ。だからこそ標的の気持ちになりきるのが重視される。肥大した恐怖を想像で補わずにいられない臆病者には最適の職業選択だ。
集中力が極限まで高まって指先がちりちりする。
右。
左。
右。
左。
正確に歩数をかぞえて予測を立てる。
残り十歩。
スコープで捕捉して誘導する。
「あと一歩、もう一歩……心もち右かな。ずれるんじゃない、まっすぐ歩いて。上手いぞ、その調子……そう、そこだ」
群がる鳩を邪魔くさそうに蹴りどかし、運命の一歩を踏み出す。
射程キルゾーンに入る第一歩を。

顔筋の動きで自分がごく淡く微笑んでいるのがわかった。
標的と銃口の角度を調整、十字の中心に男の肩をポイント。
身の内を駆け巡る倒錯的な興奮に乾いた唇をなめ、人さし指をぎりぎりまで引き絞る。
「よくできました。いい子だね」
鳩の心臓を握り潰すように、いっそ無造作に引き金を引く。
高らかな銃声に驚いた鳩が一斉に飛び立ち、スコープに捉えた男が仰け反る。
真っ白い鳩がうるさく羽ばたき、俺がいる部屋の窓を掠めて空へ駆けのぼる。
天国へ吸い込まれていくように限りなく青く澄んだ空の高みへ飛翔する群れ。
前髪が風圧に浮き、仰いだ空の眩さに手を翳せば逆光で視界が翳る。
標的は通りに倒れて悶絶している。
利き腕の肩を撃ち抜かれ、必死に拳銃をさがすが焦りと痛みで上手く掴めない。
往生際悪くあがく姿にほんの少し苛立ち、そっけなく言い添える。
「そのままいい子にしてなよ」
念のためもう一発。
窓枠を支点にして放った弾丸で、男が掴みかけた拳銃を遠くへ弾いておく。
今頃はスワローが突入してるはずだ、通りの奥で激しい銃声と怒号が炸裂する。
早いところ怪我人に止血しようと立ち上がりかけ、窓からゆるやかにすべりこんだ白い羽根が音もなく床へ舞い落ちる。

純白の鳩の羽根。
いや……一点ポツンと赤いシミが付いている。
片膝ついて拾い上げ、それが男の返り血だと直感したとき、天国から永久に閉め出されたような気持ちがした。

悪党の血に汚れたピジョン
今の俺にぴったりだ。

火薬くさいライフルを背負い直して窓辺に引き返し、手の中でひねくりまわした羽根をあっさり捨てる。
「今の銃声は?」
「まぬけが殺られたのか、見にいこ」
「ンだよ死んでねェのか、ぬるい手口だな」
「あはは外れてら、たいした腕前じゃねェな!俺なら脳天にずどんと一発で地獄に叩きこんでやるってのに、三流狙撃手のツラ拝みてェもんだ」
手から放たれた羽根は風に吹かれて滑空し、天国へむかえいれられること能わず、ちょうど男から染み出た血だまりの上、むなしく地べたへ落ちて野次馬に踏みにじられる。
さあ、スワローをむかえにいこう。
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