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三十二話
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ピジョンの起床を喜ぶも束の間、母はトレーラーハウスへの移動を提案する。
理由は痴話喧嘩だ。
「わざわざ戻んのかよ、かったりィ。下で話しゃいいじゃん」
「それがね……」
「コケ?」
キャサリンを抱っこした母が困り顔で床下を指さす。
スワローとピジョンは顔を見合わせるやドアを開け、廊下の手摺から身を乗り出す。
どうやらこの建物は二階は宿屋、一階は酒場として営業しているらしい。
日が落ちれば地元の娼婦と交渉を繰り広げる酒精の入った客で賑わうのだろうが、昼間とあって閑散としている。椅子は逆さで机に片され、中央の空間が広くとられている。
そこでスヴェンとキディが言い争っていた。
「取り込み中なのよ」
スワローとピジョンの真ん中にひょこっと顔を突っ込み、交互に耳打ち。
眉根を寄せたスワローのもとへヒステリックな金切り声が響く。
柳眉を逆立てたキディが、憤懣やるかたない相でスヴェンに迫る。
「ほら言わんこっちゃない、弱腰甲斐性なしが無茶するから……どんだけ心配したとおもってんのさ!」
「お前こそ、大人しく待ってろって言ったのに女が丸腰でしゃしゃりでてくんじゃねェ!」
「足首捻って面倒かけたお荷物がえらっそうに……ええっ、アンタ今回役に立ったのかい?いてもいなくてもいい、むしろいないほうがスムーズに運んだんじゃないか?」
「おまっ、言っちゃあいけねーことを!?たとえ真実でも傷付くぜ!!」
「自分で認めちゃ処置なしだ。アンタが鼻息荒くして付いてかなくても地図渡しゃあよかったんだ、それとも伝説の賞金稼ぎの世辞に舞い上がっちまったのかい?すっかり浮足立って、地元のことならこの俺様に任せとけって啖呵切ったんじゃないのかい?」
「ぐ……」
「出たよ悪い癖!ったく威勢だきゃあいいんだ、できもしないのに大口叩いて挙句みんなに迷惑かけてさ!ちったァ反省しろっての。いいかい、アンタが今ここでぴんしゃんしてるのはキマイライーターとスワローのおかげだよ。二人の靴を舐めてキレイにする誠意を見せたらどうだい?」
舌鋒鋭く押して押して押しまくるキディの剣幕に、スヴェンはたじたじだ。片方の足首には包帯を巻き、顔には絆創膏を貼っている。
弱り目に祟り目、日頃から世話女房の尻に敷かれてるのだろう眉八の字の情けない顔で、同情を乞おうと両手を広げる。
「だってさ!断れねーだろ!『あの』キマイライーター直々のお声かけだぜ?クインビーを挙げりゃ懸賞金がっぽりもらえる、名前も上がる。情報屋の方が上手く回り始めたらジゴロ返上、ヒモよさらば、もうお前の脛齧らなくてすむんだぞ。質に入れたきりもう少しで流れちまうとこだった男の沽券も買い戻せて俺の股間もムクムクと」
「夢見てんじゃないよ!」
「なんだ、元気そうじゃん。殺しても死なねータイプなら一回腹上死させとくんだったな」
「聞こえるよスワロー、声落として……」
スワローが鼻を鳴らし、ピジョンが遠慮がちに袖を引く。
さっきまで足首の捻挫を痛がって大袈裟に喚いていたが、こっぱずかしい痴話喧嘩を繰り広げるだけの体力は回復したらしい。
下ネタでごまかすダメ男を一喝、キディが伏せた目を潤ませる。
「あんたって人はいつもそうだ、なんでも勝手に決めて、私の話なんて聞かないで……」
「―ッ、じゃあこっちも言わせてもらうぜ!お前はお節介すぎんだよキディ、行くあてないガキ見りゃほいほい声かけてタダ飯食わせてさ。どうしたの、一人かい、大丈夫?うちにくるかい?ウンザリだぜ、俺達ふたりでやってくのだってカツカツなのによ!」
「人の稼ぎにのっかってぐうたらゴロ寝のヒモがなにぬかす!私の留守中にスワローとヤッたの知ってんだからね!」
ピジョンがぶっと吹く。スワローは口笛を吹く。
全力でそらっとぼける息子の横顔を、母が「まあ」とガン見する。
「るっせェ、テメェだってその気だったろ!そりゃ無精ひげの生えた寝汚いのよか、若くてカワイイぴちぴちの男の子のがいいもんな!なんだよ俺はお払い箱か、やっぱり若いツバメのがいいのか畜生!?」
「下心があったのは否定しないよ、スワローはあっちのほうも絶倫でテクも凄いって若い子らがキャーキャー言ってたし、皆を取り仕切る姐さんとしちゃ一発試したくもなるじゃないか!いちどに3人相手して連続でイかせたって自慢してたし、ホラかどうか体を張って確かめたくなるじゃあないか!?」
「同棲五年目どっこい倦怠期のマンネリ解消だ、3Pもたまにゃ刺激的でイイとは思ったさ。でも俺は……」
「ふん、最後まで言わなくてもわかってるよ。アンタもスワローに夢中なんだろ、あの子の素敵なケツにぞっこん惚れて掘って掘られちまったんだろ?わかってんだよ、厚塗りで皺を隠す四十路がらみの娼婦なんてさ……アンタだってホントは、若い子のほうがいいに決まってる」
「スワローのケツは締まってた!さんざん使い込んでるくせしてすげー名器だった!でも俺はお前の穴が恋し、じゃない、お前が好きなんだよ!お前と一生いっしょにいたいんだ!」
どういうことだおい説明しろスワローおいと口パクで責め立て、弟の胸ぐら揺するピジョンをよそに、母は目をキラキラ輝かせ「まあ!まあ!」とメロドラマに見入ってる。恋バナが心底好きなのだ。
突然のプロポーズにキディは固まり、驚愕に目を見開く。
スヴェンはもぞもぞと恥じらい、鼻の頭をかく。
「坑道の……地獄のような真っ暗闇で……なんでかお前の顔が頭から離れなかった」
「あんた……」
「ろくに話もせず飛び出てきたからな。今ここでおっ死んだら、ヤリ残したことがありすぎる」
スヴェンがそっとキディに近付く。
キディが熱っぽく潤んだ瞳でスヴェンを仰ぎ、二人の視線が絡み合う。
「意地でも生きて帰って、お前に気持ちを伝えるんだっておもったら……悪運が味方してくれた」
俺が分けてやったんだよ、その悪運。
心の中でスワローが野次る。
「気持ちって……」
「あー……まあ、な。俺もいい加減トシだしよ。お前もずっとこの商売続けるわけにゃいかねーだろ?前々から催促されちゃいたが……そのたんびに聞き流して。キマイライーターが報酬弾んでくれるって約束したんだ。首尾よくクインビーを召し捕れたら、そのカネでお前に……」
まさか。やるのか。やっちまうのか。
スワローが転落せんばかりに手摺から身を乗り出し、ピジョンはしゃがんで格子に顔を押し付ける。
固唾を呑む野次馬の視線の先、スヴェンがかしこまって咳払いし、「あー、あー、テステス」と喉の調子を整え、無精ひげが青々とした顔を大真面目に引き締める。
「嫁さんになってくれ」
キディが両手で口を押さえる。母が顔を赤らめ「きゃあっ」と叫び、ピジョンが「おおー」と間延びした合いの手を入れる。俺の家族は馬鹿しかいないとスワローは絶望する。
おずおずと口を覆う手をずらし、キディが疑い深く質す。
「……本気?」
「……指輪のひとつも用意したかったんだが。わりぃ」
所帯をもつこと、ずっと前から考えてはいたのだと観念して打ち明ける。
「俺はこんないい加減だし、情報屋も閑古鳥だし……連れ合いを不幸にするだけだ」
「だから言ってんじゃないか、仕事の口なら私が」
「意地だよ。女房に仕事の世話までされちゃ顔向けできねえ」
気恥ずかしげにはにかみ、クイとキディの顎を持ち上げる。キディがじっと見返す。互いに緊張の面持ちで、眼差しにありったけの誠意と愛情をこめて、その言葉を口にする。
「結婚してくれるか」
次の瞬間、二人は抱擁していた。互いの体にキツく腕を回して抱き締め、濃厚な接吻を交わす。
キディは歓喜の絶頂で啜り泣き、スヴェンは肩の荷が下りたように吐息する。その視線がふと壁を巡り、二階廊下のスワローと衝突。
ニヤッと笑い、キディの肩越しに親指を立てる男に、スワローは中指で祝福の返礼をする。
「………ね?邪魔しちゃ悪いでしょ」
「うん……そうだね。これからもっとすごいことになりそうだしね」
「修羅場が濡れ場に縺れこむ前に退散しましょ」
「中年の惚気とか誰得だよ」
恋人もとい、夫婦水入らず。
母の配慮に真面目くさって頷き移動再開、手摺に沿って一列に階段を降りこっそり脱出。
本来の店主である酒場の親父は、表で煙草を吹かしていた。
「終わったかい?」
「いまおっぱじまったとこ」
「やれやれ、小一時間かかりそうだな。今日はもう閉めちまうか」
スワローの答えにウンザリと首を振り、再び煙草を咥えてたそがれる。哀愁誘う後ろ姿に、ピジョンは心から同情する。空気が読めすぎる能力は、時として辛い。
そして親子は懐かしのホームスイートホームに帰ってくる。
車は店の前に陣取っていた。この時代、トレーラーハウスを見かけるのは珍しい。ガソリンが枯渇し、車自体が貴重品なのだ。老若男女行き交う人々が物珍しげにトレーラーハウスを見、何人かは好奇心をおさえかね、べたべた触りまくる。
そんな野次馬連中をしっしっと蹴散らし、ドアを開け放って一番乗りしたスワローが絶句。
「おかえり。先にやらしてもらっておるよ」
「なんでてめえがここにいんだ爺さん!」
キマイライーターがちゃっかりスツールに座り、優雅に紅茶を飲んでいる。
トレーラーハウスにヤギ。場違いすぎる組み合わせだ。二番乗りしたキャサリンがうるさく啼き喚き、キマイライーターの足元へすっとんでいく。
「愛い奴よのう」
「彼も話があるのよ、大事な話。待たせちゃってごめんなさいね」
「なんのなんの、もののうちに入らんよ。スヴェン氏とキディ嬢の愛の再確認を邪魔する野暮を働くなど言語道断、人の恋路を邪魔するものはヤギに蹴られて死んでしまえと諺にもある」
「凶暴なヤギだな」
「狂山羊病……?」
スワローがどっかと椅子に跨る。後から入ってきたピジョンが「キマイライーターがいる!本物!うちにいる!」と興奮して騒ぎ立てる。坑道でとっくに対面を済ませていたが、コヨーテに襲われた直後のショック状態だった為、落ち着いた今になって漸く実感が湧いてきたらしい。
「お味はいかが?お口に合うといいのだけど」
「家内の淹れる紅茶には負けるが、世界に二番目の美味と評して差し支えない」
「まあお上手!毎日褒めてもらって奥さまは幸せ者ね」
「彼女が隣にいるだけで幸せにしてもらってるからおあいこじゃよ」
「うふふ」
「ふふふふふ」
「「ふふふふふふふふ」」
「だあっっっ!!!!!その気色わりィの即刻やめろ、くだらねー茶番に付き合いに宿屋の二階からケツ移したんじゃねーぞ!!」
スワローがブチぎれる。
向かい合わせの席で含み笑う母とヤギ、伸びきったゴムを茹でるようなぬるい空気に我慢できず癇癪が爆発、腕を組んでふんぞりかえる。
「……で?爺さんをゲストに呼んだってなァ、あの件か」
「そうよ、さっきの続き。ここなら人目を気にせず話せるでしょ?」
窓とドアがちゃんと閉め切られてるか確認後、にっこりと微笑む。ピジョンにはわけがわからない。
「あの件って……俺が寝てるあいだになに話してたの」
「ビーの件じゃ。正しくは彼女の死体を当局に引き渡す代わりに得た、報酬の分配じゃ」
ビーの件。ピジョンの心臓が跳ねる。スワローに尖った目線で促され、大人しく隣に着席。あのキマイライーターと同じテーブルを囲んでいると思うと緊張する。
「コケー」
白磁のティーカップを上品に傾け、膝にのっけたキャサリンをやさしくなで、彼は続ける。
「最初に謝罪せねばならん。ワシは君たちを利用した」
「え?」
「だろうな」
「おとりじゃよ」
「コケ?」
なにがなんだかわからず当惑顔のピジョンに、スワローがぶっきらぼうに説明する。
「この爺さんは俺たちを餌にしてビーを釣ったんだ。いつからだ?宿屋で俺と会った時から?兄貴が坑道にいるってわかった時か?ビーがテメェに執着してるのを知って、あえて先に逃がしたんだよ。俺をお守りに付けてな」
「待てよ、この人は坑道に居残って俺達を助けてくれたじゃないか。最前線を死守して」
「ただのお為ごかし。どのみち派手に暴れりゃ地崩れで共倒れ、場所を移す必要があった。先に上にでた俺たちが、時短で飛び出たビーに好き勝手追い回されてるあいだ色々と仕込んでたんだ」
猛烈な砂嵐。大地を断ち割り吹き荒れる砂塵。アレもキマイライーターが仕掛けた罠のひとつだとしたら……
本当に時間稼ぎの任を負わされたのは、ピジョンたちの方だった。
「ちょっと待って……だったらなんで最初からそう言わなかったんだ?そういう計画だって予め言っといてくれたら心の準備できたのに」
「君には話す時間がなかった。彼に話すのは危険じゃった」
「はァ?」
スワローが素っ頓狂な声を上げる。
老紳士は紅茶を一口啜り、黄金の瞳に思慮深い色を湛える。
「仮に。前もってすべてを話したとして、ビーにバレないよう完璧な演技ができたかね?ただでさえ兄が囚われて冷静さを欠いた君が、兄の変貌を目の当たりにしてショックを受けた君が、彼を一刻も早く地上に連れ出したいと内心あせっていた君が、判断を誤らないと言えたかね」
「……俺が信用できなかった。だからダンマリを通した」
「おとりになれ。時間稼ぎをしろ。可能な限り引き付けてほしい。あの場でそう頼んだとして、素直に従うタマかね君が。ビーは鋭い。人の感情をフェロモンで嗅ぎ分ける。欺瞞、隠蔽……そして叛逆。ワシの企みには気付いていたが、具体的な中身まではわからん。もし君が自らの役目に気付いていたら……」
「早々にボロがでた?」
答えず肩を竦め、両手でカップを包んでぬくみを移す。
「お兄さんのこととなると、君は度を失う」
ピジョンたちと坑道で別れたあと、キマイライーターは捻挫したスヴェンを庇って運びながら、脳内に記録した地図と照らし合わせ、複雑に分岐した道から地上へ繋がるルートを割りだした。
「通路の傾斜や幅、それに僅かな空気の流れの変化で、正しい方向はなんとなくわかる」
「コヨーテどもを巻きこんだ砂嵐。ありゃテメェの剣の腕前が凄いんじゃねェ、いや、それもあるが……」
「ビーと取り巻きをトラップの上に誘導した?」
キマイライーターは策士だ。
濛々と立ち込める砂煙に邪魔されてピジョンとスワローにはハッキリ目視できなかったが、仕込み杖を振るって縦横無尽に立ち回り、彼はきわめて周到にビーを追いこんだ。
「坑道で暴れたんじゃ。どのあたりで地盤沈下が起きるかは大体予想が付く」
「だったらビーを落とし穴におとしちゃえば簡単……」
「じゃねーよばあか、死体はどうなる?」
「……あ」
地崩れに巻き込まれ、土砂に押し潰された遺体は損傷が激しい。したがって、賞金首と同定できない。
キマイライーターは、クインビーの死体を綺麗なまま回収したかった。
「保安局は渋チンだ。肝心のホシの見分けが付かなきゃ、なんだかんだ理屈をこねて報酬を出し渋る」
「トラップは保険じゃよ。煙幕になってくれればそれで良」
「食わせ者め」
「スワロー!」
「テメェもキレていい、俺が許す。コイツはビーを捕まえるために、俺たちをダシにしやがったんだ」
「……その通り。正式な賞金稼ぎでもない君たちを独断で巻き込み危険にさらした、そして怪我を負わせた。今回の出来事は全てワシの責じゃ。すまなかった」
キマイライーターが深々と頭を下げる。母はきょとんとする。
憧れの人の丁重な謝罪に、ピジョンはころっとまるめこまれる。
「俺は……お前やみんなが無事なら、それでいい」
正直、弟と抱き合わせで囮にされたのは複雑な心境ではあるのだが……あの伝説の賞金稼ぎ直々に、時間稼ぎの可能な囮役に見込まれたなんてすごいじゃないかと思考をポジティブに切り替える。
それより、もっと気になることがある。
「ビーの死体は……?もう引き渡し済み、なんですよね」
「君が寝てるあいだに母君に車を出してもらって、近場の町の保安局へ行ってきた」
「そうですか……その、彼女のヴィクテムは?体液が毒になるとか、皮膚が硬質化するとか……一部のミュータントの死体は、危険指定されてるはずですよね」
たとえ死体になりはてても、彼女が解剖されるのは気分のいいものではない。その生い立ちを知ればなおさらだ。ピジョンの言わんとすることを察し、キマイライーターが限りなく淡く、寂しげに微笑む。
「使い道は二択。献体かオークションじゃよ」
「メスガキの腹から取り出された蜂の巣がホルマリン漬けで競られんのか。笑える」
スワローが皮肉っぽくまぜっかえす。ピジョンは唇を噛んで押し黙る。
だれもが当然の報いと唾棄する、クインビーの末路を悼んでいるのだ。
そんな彼に慈愛に満ちた眼差しを注ぎ、外套の懐に手をやり、帯封がされた分厚い札束を取り出す。
「君たちの取り分じゃ」
「「「え?」」」
声が完璧にハモる。ヤギの紳士はしれっとした顔でテーブルに札束を積み上げる。
「働きに見合った配当を。君たちはよく動いてくれた。囮にした詫びと助力を賜った礼に、懸賞金の3分の1を受け取る権利がある」
「えっ?えっえ?待って、3分の1ってことは残りの2は」
「ワシが1、スヴェン氏が1。皆で山分けじゃ」
「なんで兄貴とセットで1勘定なんだよ、俺とコイツで2にしろよ!」
「スヴェン氏の取り分が大幅に減るぞい?」
「クソ無能で粗チンの役立たずにゃ安い石ころ買えるぶんだけくれてやりゃいい!」
「君とお兄さんは二人で一人……もとい二人で一組、ならば正当な報酬じゃ。諍いの種になるなら仕方ない、ワシがおいしく食べ」
「有り難くもらいます!!」
実際に一枚引き抜き、口へ運びかけたのを慌てて取り返し、札を透かして鑑定する。
本物。偽札じゃないぞ、たぶん。こんな大金生まれて初めて見る。
スワローと母も呆け顔で札束を手にとり、しげしげと見詰めている。
三者三様の反応を見比べ、キマイライーターは包容力のあふれる笑みを浮かべる。
「これは君たちが戦って手に入れたもの、堂々と誇るべき報酬じゃ。スワロー君、君がいなければコヨーテを追い払いきれんかった。ナイフの筋は粗削りじゃが、天性の勘は侮りがたい。ピジョン君、最後のスリングショットの一撃は見事じゃった、おかげでビーの動きを止められた。君は狙撃手の才がある、本格的にそちらの道をめざすなら良い師を紹介するよ」
夢じゃなかろうか。あのキマイライーターが、俺を褒めてくれている。スリングショットの腕前に感心し、狙撃手をめざすなら口をきくとまで言ってくれている。
本人の前じゃなければ頬を抓っていた。
一方スワローは、じんわり感動を噛み締める兄をよそに札束を鷲掴む。
コイツは使える。
「母さん」
緊張に乾く唇を湿し、札束を両手一杯にかき寄せた母に呼びかける。
「これ、俺と兄貴が稼いだんだ」
俺達が、初仕事で。
ピジョンが一瞬目を見開き、すぐに弟の意を汲み、絶妙のコンビネーションで後を継ぐ。
「俺とスワローが稼いだ」
「いっときはどうなることかあせったけど、なんとかなった」
「うだうだ迷うのやめてとびこんじゃえば意外となんとかなるもんだ」
「行き当たりばったりで、偶然で、幸運が味方してくれたおかげで生き残ったのは確かだけど、それだって立派に実力のうちだろ?不運をねじ伏せるのだって才能のうち、違うか?」
「正直スワローがきてくれなかったらどうなってたか……でもちゃんときてくれたんだ、だから俺、いまこうしてここにいる。母さんと会えてる」
「俺たちゃ若い。これからどんどん強くなる。もっと背が伸びて、ガタイがよくなって、大人と並んで見劣りしなくなる」
「大人になるんだよ。もう子供じゃない」
「ずっとここにいるわけにゃいかねえ、俺はもっと面白いもんが見てえ、もっと気持ちいいことがしてえ。賞金稼ぎが危険な仕事ってのは百も承知だ、毎年大勢死んでる。けどよ、だからイイんじゃねえか。賞金稼ぎにゃ特別な資格もカネもいらねえ、のし上がれっかどうかはオツムのキレと腕っぷし頼み、最高に刺激的な毎日が待ってる。やりがいしかねえじゃんか」
「スワローと毎日模擬戦したんだ。しごきぬかれてスリングショットの腕と体力も上がった」
「コイツはビーのドタマにでけーの打ち込んだ、母さんにも見せてやりたかったぜ」
「スワローはコヨーテを追っ払ってくれた。火だるまはやりすぎだけど……なるべく殺すなって言ったよね?」
「死にそうなときは殺していいって言ったじゃん」
「コヨーテは操られてただけだぞ?!俺がせっかく体を張ったのに意味ないじゃんか!!」
「知るか、てめえが勝手にやったんだろ。てめはそうしてえからした、俺はこうしてえからした。コヨーテ守るのも殺すのも自己満足、俺は好きに仕返しただけ、ワン公どもにツケを払わせたんだ」
「この……!」
「全員死んたとはかぎんねーよ。砂の上転げ回って火ィ消してたし、ツイてりゃ大火傷ですむ」
脱線しそうになるもキマイライーターの目配せで冷静さを取り戻し、抑えた語調で続ける。
「俺は父さんを知らない。母さんは頑張って、一人で俺達を育ててくれた。小さい頃からずっと見てきた、鼻歌まじりにハンドル回す母さん、行く先々で体を売って……代金踏み倒すひと、乱暴するヤツ、通せんぼの自警団、いやな客に当たることもたくさんあった。でも、俺達にはやさしかった」
「スネカジリはやめだ、俺たちゃここを出てく。俺は14、兄貴は16で立派に大人のはしくれだ。飯のタネは自分で稼げる。母さんがいま手に持ってる、札束が動かぬ証拠だ」
「お金も貯めたんだ、スワローと一緒にコツコツ頑張って……当座の旅賃は確保できた。母さんには苦労かけないから」
ふたり口々に差し迫って言い募り、ピジョンが札束を突き出す。
逃げない。敗けない。逸らさない。ここが正念場だぞピジョン、踏ん張れ。
へこたれそうな気力を叱咤、深呼吸して高らかに宣する。
「俺、賞金稼ぎになりたい」
面と向かって懇願するピジョンと選手交代、兄の肩を強く掴み、スワローが前に出る。
「コイツは、俺が守る」
ああ、かっこ悪い。
ふたりとも必死で、ぼろぼろで、あちこち包帯と絆創膏だらけの酷い有様で、それでも譲れない夢を、遥か遠い目標を分かち合って、札束の小山のむこうの母に訴えかける。
やっと言えた、長かった、この一言を言うためだけに随分と回り道をした。
ピジョンは弟と頷き合い、十六年間育ててくれた最愛の母に、感謝と切望の入り混じったありったけの想いを伝える。
「……できたら、応援してほしい」
俺達の行く道を。
俺達の決断を。
「母さんを一人にするけど……ひとりぼっちにするんじゃないって、わかってほしい」
肩を掴んだ手が強張る。スワローも緊張しているのだ。キマイライーターは穏やかに事の成り行きを見守っている。空気を読まないキャサリンが、札束の山にダイブして潜行と浮上をくりかえす。
暫しの沈黙。
両腕に抱えた札束から、正面に毅然と直立する息子たちへ目を移し、ごくかすかに唇を動かす。
「ばかね。どうして最初からそう言わなかったの」
「え……」
小さく震える唇から紡がれたのは、安堵と恍惚の吐息。
息子たちに遺伝した赤茶の瞳が揺れ、淡い微笑みが広がっていく。
「なんでも卑下から入るのは悪い癖よピジョン。俺がいたら迷惑じゃないかとか邪魔じゃないかとか、この子ってば16年も一緒にいて、なんで突然そんなこと言い出すのかって驚いちゃった。夢があるんでしょう?本気でめざしたいものがあるんでしょう?だったら最初からそう言いなさい、ママに遠慮なんていらないの。迷惑かどうか聞かれたら迷惑じゃないって断言するわ、だってピジョンに迷惑かけられたことなんてないもの!心配かけられたことは腐るほどあるわよ、あなたはスワローとは違う意味であぶなっかしいもの……でもね、それは迷惑じゃない。絶対に違う。あなたはずうっと、産まれた時から、ママのかわいい小鳩ちゃんよ」
はたして子どもの巣立ちを喜ばない親がいるだろうか。
手をかけて育てた雛ならなおさらだ。
ピジョンは誤解していた。母は自分を手放したくないのだと、トレーラーハウスでこのさきずっとままごとのような生活を続けたいのだと思い込んでいた。それは正しくない。母はただ、息子を愛していたのだ。
ピジョンが事のはじまりから将来の夢を打ち明けていたら、きちんとおわりまで耳を傾けてくれたはずなのだ。
なけなしの勇気に、ありったけの誠実で報いたはずなのだ。
今度はスワローへと向き直り、まだあどけなさがぬけきらない少年の頬を、すべらかな手で包む。
「あなたとピジョンはママがお腹を痛めて産んだ自慢の息子よ。だからね、迷惑とか厄介払いとか、もう二度と言わないで。もしここにいたければずっといていい、トレーラーハウスをあげる。ママが死んだら相続するといいわ。お金もたっっくさんもらったし、改装だってし放題よ。でもね、でていきたいなら遠慮しないで。ママのことは気にしないで、どこへなりとも発ってちょうだい。ホントはね、わかってたの。名前を付けた時から……ツバメは渡り鳥でしょ?太陽を追っかけて、あったかい方へ引っ越していく鳥だから……でも、あなたが追っかけるのは、鳩なのね」
「母さん」
「『私』はヘイキ。でも覚えていてねスワロー、あなたは産まれた時からやんちゃで曲がれない性格をしていた。これからも無茶するでしょうけど、くれぐれも無茶はしすぎないで。あなたは産まれたその日からずぅっと、ママのかわいいツバメさんよ」
辛抱たまらず腕を伸ばして左右から息子を抱き寄せ、互い違いに頬ずりする。
「まだ三十路ちょいの女ざかりだもの、パトロンには事欠かない。ふたりがいなくてもなんとかなるなる、せいぜい育児明けのバカンスで羽を伸ばすわ」
スワローとピジョンは大人しくされるがまま、母の抱擁と頬ずりを受け、どちらかともなく昔より痩せた肩に手を添える。
息子たちのぬくもりを堪能し、肩に回された手の逞しさに時の流れを噛み締めて、呟く。
「ふたりとも。絶対になるのよ」
『私』はなんとか耐えられるけど、『ママ』はいっぱい寂しがるから、絶対夢を叶えてちょうだい。
二人にだけ聴こえる特別な囁き。
鼓膜に滴るひと雫に、ピジョンは目を閉じる。
「……ねえスワロー」
「なんだよピジョン」
「やっと思い出した。川の字で寝る時、母さんを真ん中に挟んだ理由」
「俺が真ん中だと、スワローがママとったーってあまえんぼ兄貴がごねるからだろ」
「妬くのはそっちだろ、脛に狙い定めて蹴っぽられたの覚えてるぞ」
「蹴っ飛ばしやすい位置にあったんだよ、隣だし」
いけしゃあしゃあと言ってのける弟を一睨みして話を戻す。
母を支える反対の手を伸ばし、母には見えざる場所で弟と手を繋ぐ。
「お前となら、いつだってこうやって繋げるだろ」
むかし川の字で寝た時もこうした。
真ん中の母を跨いで、互いにさしのべた手を宙で繋ぎ、それを静かに母の胸におろしたものだ。
そうやって、兄弟はずっと最愛の母を半分こしてきた。
母の愛も半分こしてきた。
ある時は守るように。
ある時は守られるように。
守り合うように。
鳩と燕に寄り添われ、子どもたちが組んだ手を胸にのっけて眠る母は、この上なく幸せそうに見えた。
今また過去がリフレインし、当時よりも老けた母をシェアしながら、しみじみとピジョンが呟く。
「母さんが、俺たちの母さんでよかったね」
「……ああ。そうだな」
兄の独白に上の空で返し、ふと車窓を見れば、宿屋の軒先に燕が巣を作っている。採石場で見かけたのと同じヤツだろうか。
くちばしを開けてねだる生まれたての雛に、せっせと餌を運ぶ親が、大きく旋回して去っていく姿を見送る。
光り輝く青空の彼方へ、まっしぐらに飛び去る軌跡を眩げに追って、子どもから大人になりかけた少年は心の中でのみ呟く。
My hands are tied.
俺達の手は、繋がれている。
理由は痴話喧嘩だ。
「わざわざ戻んのかよ、かったりィ。下で話しゃいいじゃん」
「それがね……」
「コケ?」
キャサリンを抱っこした母が困り顔で床下を指さす。
スワローとピジョンは顔を見合わせるやドアを開け、廊下の手摺から身を乗り出す。
どうやらこの建物は二階は宿屋、一階は酒場として営業しているらしい。
日が落ちれば地元の娼婦と交渉を繰り広げる酒精の入った客で賑わうのだろうが、昼間とあって閑散としている。椅子は逆さで机に片され、中央の空間が広くとられている。
そこでスヴェンとキディが言い争っていた。
「取り込み中なのよ」
スワローとピジョンの真ん中にひょこっと顔を突っ込み、交互に耳打ち。
眉根を寄せたスワローのもとへヒステリックな金切り声が響く。
柳眉を逆立てたキディが、憤懣やるかたない相でスヴェンに迫る。
「ほら言わんこっちゃない、弱腰甲斐性なしが無茶するから……どんだけ心配したとおもってんのさ!」
「お前こそ、大人しく待ってろって言ったのに女が丸腰でしゃしゃりでてくんじゃねェ!」
「足首捻って面倒かけたお荷物がえらっそうに……ええっ、アンタ今回役に立ったのかい?いてもいなくてもいい、むしろいないほうがスムーズに運んだんじゃないか?」
「おまっ、言っちゃあいけねーことを!?たとえ真実でも傷付くぜ!!」
「自分で認めちゃ処置なしだ。アンタが鼻息荒くして付いてかなくても地図渡しゃあよかったんだ、それとも伝説の賞金稼ぎの世辞に舞い上がっちまったのかい?すっかり浮足立って、地元のことならこの俺様に任せとけって啖呵切ったんじゃないのかい?」
「ぐ……」
「出たよ悪い癖!ったく威勢だきゃあいいんだ、できもしないのに大口叩いて挙句みんなに迷惑かけてさ!ちったァ反省しろっての。いいかい、アンタが今ここでぴんしゃんしてるのはキマイライーターとスワローのおかげだよ。二人の靴を舐めてキレイにする誠意を見せたらどうだい?」
舌鋒鋭く押して押して押しまくるキディの剣幕に、スヴェンはたじたじだ。片方の足首には包帯を巻き、顔には絆創膏を貼っている。
弱り目に祟り目、日頃から世話女房の尻に敷かれてるのだろう眉八の字の情けない顔で、同情を乞おうと両手を広げる。
「だってさ!断れねーだろ!『あの』キマイライーター直々のお声かけだぜ?クインビーを挙げりゃ懸賞金がっぽりもらえる、名前も上がる。情報屋の方が上手く回り始めたらジゴロ返上、ヒモよさらば、もうお前の脛齧らなくてすむんだぞ。質に入れたきりもう少しで流れちまうとこだった男の沽券も買い戻せて俺の股間もムクムクと」
「夢見てんじゃないよ!」
「なんだ、元気そうじゃん。殺しても死なねータイプなら一回腹上死させとくんだったな」
「聞こえるよスワロー、声落として……」
スワローが鼻を鳴らし、ピジョンが遠慮がちに袖を引く。
さっきまで足首の捻挫を痛がって大袈裟に喚いていたが、こっぱずかしい痴話喧嘩を繰り広げるだけの体力は回復したらしい。
下ネタでごまかすダメ男を一喝、キディが伏せた目を潤ませる。
「あんたって人はいつもそうだ、なんでも勝手に決めて、私の話なんて聞かないで……」
「―ッ、じゃあこっちも言わせてもらうぜ!お前はお節介すぎんだよキディ、行くあてないガキ見りゃほいほい声かけてタダ飯食わせてさ。どうしたの、一人かい、大丈夫?うちにくるかい?ウンザリだぜ、俺達ふたりでやってくのだってカツカツなのによ!」
「人の稼ぎにのっかってぐうたらゴロ寝のヒモがなにぬかす!私の留守中にスワローとヤッたの知ってんだからね!」
ピジョンがぶっと吹く。スワローは口笛を吹く。
全力でそらっとぼける息子の横顔を、母が「まあ」とガン見する。
「るっせェ、テメェだってその気だったろ!そりゃ無精ひげの生えた寝汚いのよか、若くてカワイイぴちぴちの男の子のがいいもんな!なんだよ俺はお払い箱か、やっぱり若いツバメのがいいのか畜生!?」
「下心があったのは否定しないよ、スワローはあっちのほうも絶倫でテクも凄いって若い子らがキャーキャー言ってたし、皆を取り仕切る姐さんとしちゃ一発試したくもなるじゃないか!いちどに3人相手して連続でイかせたって自慢してたし、ホラかどうか体を張って確かめたくなるじゃあないか!?」
「同棲五年目どっこい倦怠期のマンネリ解消だ、3Pもたまにゃ刺激的でイイとは思ったさ。でも俺は……」
「ふん、最後まで言わなくてもわかってるよ。アンタもスワローに夢中なんだろ、あの子の素敵なケツにぞっこん惚れて掘って掘られちまったんだろ?わかってんだよ、厚塗りで皺を隠す四十路がらみの娼婦なんてさ……アンタだってホントは、若い子のほうがいいに決まってる」
「スワローのケツは締まってた!さんざん使い込んでるくせしてすげー名器だった!でも俺はお前の穴が恋し、じゃない、お前が好きなんだよ!お前と一生いっしょにいたいんだ!」
どういうことだおい説明しろスワローおいと口パクで責め立て、弟の胸ぐら揺するピジョンをよそに、母は目をキラキラ輝かせ「まあ!まあ!」とメロドラマに見入ってる。恋バナが心底好きなのだ。
突然のプロポーズにキディは固まり、驚愕に目を見開く。
スヴェンはもぞもぞと恥じらい、鼻の頭をかく。
「坑道の……地獄のような真っ暗闇で……なんでかお前の顔が頭から離れなかった」
「あんた……」
「ろくに話もせず飛び出てきたからな。今ここでおっ死んだら、ヤリ残したことがありすぎる」
スヴェンがそっとキディに近付く。
キディが熱っぽく潤んだ瞳でスヴェンを仰ぎ、二人の視線が絡み合う。
「意地でも生きて帰って、お前に気持ちを伝えるんだっておもったら……悪運が味方してくれた」
俺が分けてやったんだよ、その悪運。
心の中でスワローが野次る。
「気持ちって……」
「あー……まあ、な。俺もいい加減トシだしよ。お前もずっとこの商売続けるわけにゃいかねーだろ?前々から催促されちゃいたが……そのたんびに聞き流して。キマイライーターが報酬弾んでくれるって約束したんだ。首尾よくクインビーを召し捕れたら、そのカネでお前に……」
まさか。やるのか。やっちまうのか。
スワローが転落せんばかりに手摺から身を乗り出し、ピジョンはしゃがんで格子に顔を押し付ける。
固唾を呑む野次馬の視線の先、スヴェンがかしこまって咳払いし、「あー、あー、テステス」と喉の調子を整え、無精ひげが青々とした顔を大真面目に引き締める。
「嫁さんになってくれ」
キディが両手で口を押さえる。母が顔を赤らめ「きゃあっ」と叫び、ピジョンが「おおー」と間延びした合いの手を入れる。俺の家族は馬鹿しかいないとスワローは絶望する。
おずおずと口を覆う手をずらし、キディが疑い深く質す。
「……本気?」
「……指輪のひとつも用意したかったんだが。わりぃ」
所帯をもつこと、ずっと前から考えてはいたのだと観念して打ち明ける。
「俺はこんないい加減だし、情報屋も閑古鳥だし……連れ合いを不幸にするだけだ」
「だから言ってんじゃないか、仕事の口なら私が」
「意地だよ。女房に仕事の世話までされちゃ顔向けできねえ」
気恥ずかしげにはにかみ、クイとキディの顎を持ち上げる。キディがじっと見返す。互いに緊張の面持ちで、眼差しにありったけの誠意と愛情をこめて、その言葉を口にする。
「結婚してくれるか」
次の瞬間、二人は抱擁していた。互いの体にキツく腕を回して抱き締め、濃厚な接吻を交わす。
キディは歓喜の絶頂で啜り泣き、スヴェンは肩の荷が下りたように吐息する。その視線がふと壁を巡り、二階廊下のスワローと衝突。
ニヤッと笑い、キディの肩越しに親指を立てる男に、スワローは中指で祝福の返礼をする。
「………ね?邪魔しちゃ悪いでしょ」
「うん……そうだね。これからもっとすごいことになりそうだしね」
「修羅場が濡れ場に縺れこむ前に退散しましょ」
「中年の惚気とか誰得だよ」
恋人もとい、夫婦水入らず。
母の配慮に真面目くさって頷き移動再開、手摺に沿って一列に階段を降りこっそり脱出。
本来の店主である酒場の親父は、表で煙草を吹かしていた。
「終わったかい?」
「いまおっぱじまったとこ」
「やれやれ、小一時間かかりそうだな。今日はもう閉めちまうか」
スワローの答えにウンザリと首を振り、再び煙草を咥えてたそがれる。哀愁誘う後ろ姿に、ピジョンは心から同情する。空気が読めすぎる能力は、時として辛い。
そして親子は懐かしのホームスイートホームに帰ってくる。
車は店の前に陣取っていた。この時代、トレーラーハウスを見かけるのは珍しい。ガソリンが枯渇し、車自体が貴重品なのだ。老若男女行き交う人々が物珍しげにトレーラーハウスを見、何人かは好奇心をおさえかね、べたべた触りまくる。
そんな野次馬連中をしっしっと蹴散らし、ドアを開け放って一番乗りしたスワローが絶句。
「おかえり。先にやらしてもらっておるよ」
「なんでてめえがここにいんだ爺さん!」
キマイライーターがちゃっかりスツールに座り、優雅に紅茶を飲んでいる。
トレーラーハウスにヤギ。場違いすぎる組み合わせだ。二番乗りしたキャサリンがうるさく啼き喚き、キマイライーターの足元へすっとんでいく。
「愛い奴よのう」
「彼も話があるのよ、大事な話。待たせちゃってごめんなさいね」
「なんのなんの、もののうちに入らんよ。スヴェン氏とキディ嬢の愛の再確認を邪魔する野暮を働くなど言語道断、人の恋路を邪魔するものはヤギに蹴られて死んでしまえと諺にもある」
「凶暴なヤギだな」
「狂山羊病……?」
スワローがどっかと椅子に跨る。後から入ってきたピジョンが「キマイライーターがいる!本物!うちにいる!」と興奮して騒ぎ立てる。坑道でとっくに対面を済ませていたが、コヨーテに襲われた直後のショック状態だった為、落ち着いた今になって漸く実感が湧いてきたらしい。
「お味はいかが?お口に合うといいのだけど」
「家内の淹れる紅茶には負けるが、世界に二番目の美味と評して差し支えない」
「まあお上手!毎日褒めてもらって奥さまは幸せ者ね」
「彼女が隣にいるだけで幸せにしてもらってるからおあいこじゃよ」
「うふふ」
「ふふふふふ」
「「ふふふふふふふふ」」
「だあっっっ!!!!!その気色わりィの即刻やめろ、くだらねー茶番に付き合いに宿屋の二階からケツ移したんじゃねーぞ!!」
スワローがブチぎれる。
向かい合わせの席で含み笑う母とヤギ、伸びきったゴムを茹でるようなぬるい空気に我慢できず癇癪が爆発、腕を組んでふんぞりかえる。
「……で?爺さんをゲストに呼んだってなァ、あの件か」
「そうよ、さっきの続き。ここなら人目を気にせず話せるでしょ?」
窓とドアがちゃんと閉め切られてるか確認後、にっこりと微笑む。ピジョンにはわけがわからない。
「あの件って……俺が寝てるあいだになに話してたの」
「ビーの件じゃ。正しくは彼女の死体を当局に引き渡す代わりに得た、報酬の分配じゃ」
ビーの件。ピジョンの心臓が跳ねる。スワローに尖った目線で促され、大人しく隣に着席。あのキマイライーターと同じテーブルを囲んでいると思うと緊張する。
「コケー」
白磁のティーカップを上品に傾け、膝にのっけたキャサリンをやさしくなで、彼は続ける。
「最初に謝罪せねばならん。ワシは君たちを利用した」
「え?」
「だろうな」
「おとりじゃよ」
「コケ?」
なにがなんだかわからず当惑顔のピジョンに、スワローがぶっきらぼうに説明する。
「この爺さんは俺たちを餌にしてビーを釣ったんだ。いつからだ?宿屋で俺と会った時から?兄貴が坑道にいるってわかった時か?ビーがテメェに執着してるのを知って、あえて先に逃がしたんだよ。俺をお守りに付けてな」
「待てよ、この人は坑道に居残って俺達を助けてくれたじゃないか。最前線を死守して」
「ただのお為ごかし。どのみち派手に暴れりゃ地崩れで共倒れ、場所を移す必要があった。先に上にでた俺たちが、時短で飛び出たビーに好き勝手追い回されてるあいだ色々と仕込んでたんだ」
猛烈な砂嵐。大地を断ち割り吹き荒れる砂塵。アレもキマイライーターが仕掛けた罠のひとつだとしたら……
本当に時間稼ぎの任を負わされたのは、ピジョンたちの方だった。
「ちょっと待って……だったらなんで最初からそう言わなかったんだ?そういう計画だって予め言っといてくれたら心の準備できたのに」
「君には話す時間がなかった。彼に話すのは危険じゃった」
「はァ?」
スワローが素っ頓狂な声を上げる。
老紳士は紅茶を一口啜り、黄金の瞳に思慮深い色を湛える。
「仮に。前もってすべてを話したとして、ビーにバレないよう完璧な演技ができたかね?ただでさえ兄が囚われて冷静さを欠いた君が、兄の変貌を目の当たりにしてショックを受けた君が、彼を一刻も早く地上に連れ出したいと内心あせっていた君が、判断を誤らないと言えたかね」
「……俺が信用できなかった。だからダンマリを通した」
「おとりになれ。時間稼ぎをしろ。可能な限り引き付けてほしい。あの場でそう頼んだとして、素直に従うタマかね君が。ビーは鋭い。人の感情をフェロモンで嗅ぎ分ける。欺瞞、隠蔽……そして叛逆。ワシの企みには気付いていたが、具体的な中身まではわからん。もし君が自らの役目に気付いていたら……」
「早々にボロがでた?」
答えず肩を竦め、両手でカップを包んでぬくみを移す。
「お兄さんのこととなると、君は度を失う」
ピジョンたちと坑道で別れたあと、キマイライーターは捻挫したスヴェンを庇って運びながら、脳内に記録した地図と照らし合わせ、複雑に分岐した道から地上へ繋がるルートを割りだした。
「通路の傾斜や幅、それに僅かな空気の流れの変化で、正しい方向はなんとなくわかる」
「コヨーテどもを巻きこんだ砂嵐。ありゃテメェの剣の腕前が凄いんじゃねェ、いや、それもあるが……」
「ビーと取り巻きをトラップの上に誘導した?」
キマイライーターは策士だ。
濛々と立ち込める砂煙に邪魔されてピジョンとスワローにはハッキリ目視できなかったが、仕込み杖を振るって縦横無尽に立ち回り、彼はきわめて周到にビーを追いこんだ。
「坑道で暴れたんじゃ。どのあたりで地盤沈下が起きるかは大体予想が付く」
「だったらビーを落とし穴におとしちゃえば簡単……」
「じゃねーよばあか、死体はどうなる?」
「……あ」
地崩れに巻き込まれ、土砂に押し潰された遺体は損傷が激しい。したがって、賞金首と同定できない。
キマイライーターは、クインビーの死体を綺麗なまま回収したかった。
「保安局は渋チンだ。肝心のホシの見分けが付かなきゃ、なんだかんだ理屈をこねて報酬を出し渋る」
「トラップは保険じゃよ。煙幕になってくれればそれで良」
「食わせ者め」
「スワロー!」
「テメェもキレていい、俺が許す。コイツはビーを捕まえるために、俺たちをダシにしやがったんだ」
「……その通り。正式な賞金稼ぎでもない君たちを独断で巻き込み危険にさらした、そして怪我を負わせた。今回の出来事は全てワシの責じゃ。すまなかった」
キマイライーターが深々と頭を下げる。母はきょとんとする。
憧れの人の丁重な謝罪に、ピジョンはころっとまるめこまれる。
「俺は……お前やみんなが無事なら、それでいい」
正直、弟と抱き合わせで囮にされたのは複雑な心境ではあるのだが……あの伝説の賞金稼ぎ直々に、時間稼ぎの可能な囮役に見込まれたなんてすごいじゃないかと思考をポジティブに切り替える。
それより、もっと気になることがある。
「ビーの死体は……?もう引き渡し済み、なんですよね」
「君が寝てるあいだに母君に車を出してもらって、近場の町の保安局へ行ってきた」
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たとえ死体になりはてても、彼女が解剖されるのは気分のいいものではない。その生い立ちを知ればなおさらだ。ピジョンの言わんとすることを察し、キマイライーターが限りなく淡く、寂しげに微笑む。
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だれもが当然の報いと唾棄する、クインビーの末路を悼んでいるのだ。
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「クソ無能で粗チンの役立たずにゃ安い石ころ買えるぶんだけくれてやりゃいい!」
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「有り難くもらいます!!」
実際に一枚引き抜き、口へ運びかけたのを慌てて取り返し、札を透かして鑑定する。
本物。偽札じゃないぞ、たぶん。こんな大金生まれて初めて見る。
スワローと母も呆け顔で札束を手にとり、しげしげと見詰めている。
三者三様の反応を見比べ、キマイライーターは包容力のあふれる笑みを浮かべる。
「これは君たちが戦って手に入れたもの、堂々と誇るべき報酬じゃ。スワロー君、君がいなければコヨーテを追い払いきれんかった。ナイフの筋は粗削りじゃが、天性の勘は侮りがたい。ピジョン君、最後のスリングショットの一撃は見事じゃった、おかげでビーの動きを止められた。君は狙撃手の才がある、本格的にそちらの道をめざすなら良い師を紹介するよ」
夢じゃなかろうか。あのキマイライーターが、俺を褒めてくれている。スリングショットの腕前に感心し、狙撃手をめざすなら口をきくとまで言ってくれている。
本人の前じゃなければ頬を抓っていた。
一方スワローは、じんわり感動を噛み締める兄をよそに札束を鷲掴む。
コイツは使える。
「母さん」
緊張に乾く唇を湿し、札束を両手一杯にかき寄せた母に呼びかける。
「これ、俺と兄貴が稼いだんだ」
俺達が、初仕事で。
ピジョンが一瞬目を見開き、すぐに弟の意を汲み、絶妙のコンビネーションで後を継ぐ。
「俺とスワローが稼いだ」
「いっときはどうなることかあせったけど、なんとかなった」
「うだうだ迷うのやめてとびこんじゃえば意外となんとかなるもんだ」
「行き当たりばったりで、偶然で、幸運が味方してくれたおかげで生き残ったのは確かだけど、それだって立派に実力のうちだろ?不運をねじ伏せるのだって才能のうち、違うか?」
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俺達の行く道を。
俺達の決断を。
「母さんを一人にするけど……ひとりぼっちにするんじゃないって、わかってほしい」
肩を掴んだ手が強張る。スワローも緊張しているのだ。キマイライーターは穏やかに事の成り行きを見守っている。空気を読まないキャサリンが、札束の山にダイブして潜行と浮上をくりかえす。
暫しの沈黙。
両腕に抱えた札束から、正面に毅然と直立する息子たちへ目を移し、ごくかすかに唇を動かす。
「ばかね。どうして最初からそう言わなかったの」
「え……」
小さく震える唇から紡がれたのは、安堵と恍惚の吐息。
息子たちに遺伝した赤茶の瞳が揺れ、淡い微笑みが広がっていく。
「なんでも卑下から入るのは悪い癖よピジョン。俺がいたら迷惑じゃないかとか邪魔じゃないかとか、この子ってば16年も一緒にいて、なんで突然そんなこと言い出すのかって驚いちゃった。夢があるんでしょう?本気でめざしたいものがあるんでしょう?だったら最初からそう言いなさい、ママに遠慮なんていらないの。迷惑かどうか聞かれたら迷惑じゃないって断言するわ、だってピジョンに迷惑かけられたことなんてないもの!心配かけられたことは腐るほどあるわよ、あなたはスワローとは違う意味であぶなっかしいもの……でもね、それは迷惑じゃない。絶対に違う。あなたはずうっと、産まれた時から、ママのかわいい小鳩ちゃんよ」
はたして子どもの巣立ちを喜ばない親がいるだろうか。
手をかけて育てた雛ならなおさらだ。
ピジョンは誤解していた。母は自分を手放したくないのだと、トレーラーハウスでこのさきずっとままごとのような生活を続けたいのだと思い込んでいた。それは正しくない。母はただ、息子を愛していたのだ。
ピジョンが事のはじまりから将来の夢を打ち明けていたら、きちんとおわりまで耳を傾けてくれたはずなのだ。
なけなしの勇気に、ありったけの誠実で報いたはずなのだ。
今度はスワローへと向き直り、まだあどけなさがぬけきらない少年の頬を、すべらかな手で包む。
「あなたとピジョンはママがお腹を痛めて産んだ自慢の息子よ。だからね、迷惑とか厄介払いとか、もう二度と言わないで。もしここにいたければずっといていい、トレーラーハウスをあげる。ママが死んだら相続するといいわ。お金もたっっくさんもらったし、改装だってし放題よ。でもね、でていきたいなら遠慮しないで。ママのことは気にしないで、どこへなりとも発ってちょうだい。ホントはね、わかってたの。名前を付けた時から……ツバメは渡り鳥でしょ?太陽を追っかけて、あったかい方へ引っ越していく鳥だから……でも、あなたが追っかけるのは、鳩なのね」
「母さん」
「『私』はヘイキ。でも覚えていてねスワロー、あなたは産まれた時からやんちゃで曲がれない性格をしていた。これからも無茶するでしょうけど、くれぐれも無茶はしすぎないで。あなたは産まれたその日からずぅっと、ママのかわいいツバメさんよ」
辛抱たまらず腕を伸ばして左右から息子を抱き寄せ、互い違いに頬ずりする。
「まだ三十路ちょいの女ざかりだもの、パトロンには事欠かない。ふたりがいなくてもなんとかなるなる、せいぜい育児明けのバカンスで羽を伸ばすわ」
スワローとピジョンは大人しくされるがまま、母の抱擁と頬ずりを受け、どちらかともなく昔より痩せた肩に手を添える。
息子たちのぬくもりを堪能し、肩に回された手の逞しさに時の流れを噛み締めて、呟く。
「ふたりとも。絶対になるのよ」
『私』はなんとか耐えられるけど、『ママ』はいっぱい寂しがるから、絶対夢を叶えてちょうだい。
二人にだけ聴こえる特別な囁き。
鼓膜に滴るひと雫に、ピジョンは目を閉じる。
「……ねえスワロー」
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「やっと思い出した。川の字で寝る時、母さんを真ん中に挟んだ理由」
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「妬くのはそっちだろ、脛に狙い定めて蹴っぽられたの覚えてるぞ」
「蹴っ飛ばしやすい位置にあったんだよ、隣だし」
いけしゃあしゃあと言ってのける弟を一睨みして話を戻す。
母を支える反対の手を伸ばし、母には見えざる場所で弟と手を繋ぐ。
「お前となら、いつだってこうやって繋げるだろ」
むかし川の字で寝た時もこうした。
真ん中の母を跨いで、互いにさしのべた手を宙で繋ぎ、それを静かに母の胸におろしたものだ。
そうやって、兄弟はずっと最愛の母を半分こしてきた。
母の愛も半分こしてきた。
ある時は守るように。
ある時は守られるように。
守り合うように。
鳩と燕に寄り添われ、子どもたちが組んだ手を胸にのっけて眠る母は、この上なく幸せそうに見えた。
今また過去がリフレインし、当時よりも老けた母をシェアしながら、しみじみとピジョンが呟く。
「母さんが、俺たちの母さんでよかったね」
「……ああ。そうだな」
兄の独白に上の空で返し、ふと車窓を見れば、宿屋の軒先に燕が巣を作っている。採石場で見かけたのと同じヤツだろうか。
くちばしを開けてねだる生まれたての雛に、せっせと餌を運ぶ親が、大きく旋回して去っていく姿を見送る。
光り輝く青空の彼方へ、まっしぐらに飛び去る軌跡を眩げに追って、子どもから大人になりかけた少年は心の中でのみ呟く。
My hands are tied.
俺達の手は、繋がれている。
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