66 / 295
七話
しおりを挟む
戦いの火蓋が切って落とされた。
短期決戦、速攻勝負こそ常に直線で生きるスワローの信条だ。
少年は己のモットーに忠実にフィールドを駆け巡る。
だだっ広い採石場のあちこちに巨大なコンテナや恐竜の骨格標本じみて錆びた重機が置き去られ、セメント袋が小高い堤を築いており死角には事欠かない。敵がどこから付け狙うかわからないスリルは格別だ。
スワローは舌なめずりし、自分の分身ともいえるナイフを腰だめに構え直す。
「鳩狩りのはじまりだ」
戦闘になると血が逸る。全身の血が沸き立って鼓動が増幅される。
虫も殺せず鳩に餌をやるしか能のない兄と違いピジョンは極めて好戦的な性格だ、命をかけた殺し合いに興じている時が一番楽しい、心臓が起爆するような人生の歓びを感じる。
この腐った世界に楽しい事があるとしたら、それは骨身を削る命のやりとりだ。
拳が肉にめりこむ衝撃や骨がへし折れる音と感触にスワローは最高の絶頂を覚える。
どうしてこうなったのかはわからない。生まれた時からこうだった。犯罪者の遺伝子なんてものがあるとしたら、自分はその呪われた因子を生まれ持ったのだ。
快感や痛みと引き換えることでしか生きてる実感を得られない、人としては出来損ないだ。
スワローには情緒と倫理と道徳が欠落している。繊細すぎる感受性を持て余すピジョンと足して割って補い合ってちょうどいい。
ツバメとハトは対であり、やがてつがいとなる。
それが兄弟に課せられた宿命、血の鎖に囚われた運命だ。
まずは炙りだすのが先決だ。一箇所ずつ虱潰しにあたっていくか?
ナイフを回して周囲を睥睨、ターゲットを走査。視界内に動くものはない。怪しい人影がないのを確認後、ゆっくり余裕ぶって一歩を踏み出す。もしピジョンがどこかで隠れて見てやがるなら、今頃さぞびびってるんだろうなと妄想してニヤケる。
深呼吸し肺を空気で膨らませる。口の横に手をあてがい、威勢よく叫ぶ。
「ぶるってねーででてこいよ、おいしく料理してやっからさ!俺のナイフ捌きは天下一品だ!」
声を張り上げて挑発、大気に波紋を生じる。
峻厳に切り立った断崖に殷々と反響し、採石場に揺蕩う静寂がさらに深まる。
澄んだ青空を一羽、真っ直ぐな軌跡を曳いてツバメが横切っていく。近くに巣があるのだろうか?
崖の断面から剥がれた一石がスワローのすぐそばに転がる。
「そこか?」
殆ど見もせず体が動く。地面の小石を拾うや鋭く腕を振り抜き投擲、スワローが投げた小石は崖を走るネズミを掠め「ヂュッ!?」と濁った声で啼かせる。
「まぎらわしい。うろちょろしてっと丸焼きにして食っちまうぞ」
ネズミにしてみたら災難だ、突然石を投げられた上に罵倒されたのだから。びびって逃げていくネズミに舌打ち、スニーカーの靴裏で地面を踏んで歩みを再開。
「ん?」
ふと歩みが止まる。地面すれすれの極端に低い位置にロープが張られている。ロープの端は岩の出っ張りに結わえ付けられている。
「……」
全速力で走ってきたらコイツに引っかかってコケていたはずだ。
スワローは意味深に黙りこくり、爪先で行儀悪くピンと張り詰めたロープを持ち上げる。
「ふ~ん」
上から押し下から押し異常がないのを確かめたのち、そのへんにあった一抱えほどの石をロープの向こうへぶん投げる。
「そらよ」
乾いた破砕音と共に石の落下地点が陥没、直径1メートルほどの穴が生じる。
「ンなこったろーと思った、バレバレなんだよ」
ごく初歩的な二段構えのトラップ、ロープを跳び越えた先に落とし穴を用意したのだ。穴に薄っぺらいトタン板を被せて土を掛けておけば簡単に偽装できる。ロープを走って跳び越えようとする人間の大半は着地点に警戒などしない。
スワローは片膝を付いて穴を調べる。
「元からあったのにトタンで蓋したのか……なるほどね」
ボロいトタンは人一人分の体重に耐えられない。この手の穴は採石場の至る所に点在している、石を採る為に掘って埋め忘れた痕跡だ。フィールドの特性を上手く利用した一点は褒めてやらなくもないが、この程度の罠に本気でスワローが掛かると思っていたなら片腹痛い。
「落としちまえば後は楽勝、上から土かけて生き埋めにするも棒で突きまくって降参させるも思いのままってか。テメェの手を汚したがらねェ臆病者と卑怯者が考えそうなこった。悪知恵未満の浅知恵だ」
兄が仕掛けたトラップを辛口で評し、フィールドをざっと見渡す。
トラップの残り数は把握しかねる。元からあった穴に蓋をして土を被せるだけなら五分とかからない。
スワローは注意深く地面を見ながら歩きだす。ピジョンはアホだが靴跡を残すようなへまはしない。進行方向に巧妙に装った落とし穴の痕跡を見付けるたび回避、ナイフを振り上げて吠える。
「ちまちまやってんじゃねーよ、日が暮れちまう。一生かくれんぼしてる気か?」
回りくどい作戦に苛立って声が尖る。ピジョンはどこかに必ずいる、このフィールドから出ていないはずだ。場外逃亡はルール違反だ。イライラするスワローを今もそう遠からぬ場所で見張っているはず……
アイツが行きそうなとこはどこだ?行動パターンを読むんだ。
スワローは思考を整理する。
ピジョンは逃げ足が早い。普段の模擬戦でも自分から手を出す事は極力なく、ぎりぎりまで引き延ばして相手の消耗を誘う消極的な作戦を好む。スワローにしてみればまだるっこしいが、長期戦向きの用心深さ、根気強さと評価できる。
俺がアイツならどうする?
ピジョンの行動をトレースして想像を働かせる。
間合いに入れば勝算はない、ナイフの餌食になる。ならば一定の距離をとる。採石場には遮蔽物が多い。派手に動き回るスワローを監視するなら視野を広くとれる高所が望ましい。
ピジョンの武器はスリングショット、攻撃手段は遠方からの狙撃。だが射程範囲には限度がある。スナイパーライフルでもなし、スリングショットによる投擲は風向きに多分に左右される。
スワローはピジョンのすぐ隣でスリングショットの練習風景を眺めてきた。
ピジョンが毎日のように空き瓶を並べて撃ち抜いていく光景を目に焼き付け、おおよその飛距離に加え、風力や風向きとの関係性を肌で理解した。
ずっとずっとピジョンを見てきた。
汗水たらしてスリングショットの特訓にうちこむ光景を見詰めてきた。
一番近くにいるのに物凄く遠いアイツの背中を。
「スリングショットの有効射程内で風上にあたる、落とし穴を見渡す場所……っと」
全部の条件を満たすのはあそこだ。消去法で候補をしぼりこみ、斜面を一気に駆け上がる。
目指す先は小高い丘の上に等間隔に並ぶコンテナの倉庫群。
あそこならスワローが落とし穴に嵌まったかどうか目視できる範囲内だ。
「移動ついでにトラップこさえてんなら、どうしたって逃走ルート沿いになる」
お手軽なトラップは逃亡中に仕掛けられる強みがあるが、反面それは敵の経路を割り出す弱みとなる。
落とし穴の点と点を繋いで線にすれば、ピジョンが辿ったルートと現在の潜伏先が漠然と推測できる。
付け加えるなら、罠に獲物が掛かればすぐさま駆け付けたいのが人間心理だ。折角の成果も隠れていて気付かなかったじゃお話にならない、必ずトラップの全体を俯瞰できる場所にいるはずだ。
「……いや、違うか」
ピジョンはとんでもないお人よしだ。
アイツが落とし穴全体を見渡す場所に陣取る理由は、罠に掛けた敵を即座に助けに行くために尽きる。
もしスワローが穴に落ちたきり何の反応もせずにいたら、ピジョンは絶対助けにくる。
はずみで足を折ったんじゃないか?気を失ったんじゃないか?まさか死んじゃったんじゃ?そんな疑惑で頭が一杯になって、勝負の最中だろうがなんだろうがそんなことコロッと忘れて、心配して様子を見に来るにきまってる。ピジョンの性格をとことん知り抜いたスワローが自信をもって断言するのだから間違いない。
「……そういう中途半端な甘さとヌルさに付け込まれんだよ」
ピジョンがいる方角を逆算、気を抜けば足に纏わり付いて滑らそうとする砂を蹴散らし、コンテナへと接近しつつ回想する。
『俺、ただいるだけでお前の足を引っ張ってたのか』
「そうだよ、目障りだ」
ずっとずっと前からそうだった、俺がいなきゃなにもできねえ、やられっぱなし泣かされっぱなしの情けねェ兄貴。
さんざん痛めつけられても仕返し一つまともにできねえ、めそめそ泣き寝入りするっきゃねえタマなし野郎。
睫毛を伏せてしょげた横顔、しめやかに水膜を張った瞳がまざまざと甦る。
『他にしたいことがあるのに邪魔して……俺が泣いて頼むから嫌々渋々不承不承、毎日付き合ってくれてたっていうのかよ。何だよそれ。同情かよ。馬鹿にするのもいい加減にしろよ』
「底抜けの馬鹿を馬鹿にして何が悪い?」
『俺、いないほうがよかったのか』
「そうさ、せいせいする」
テメェがどっか行っちまえばもう金輪際尻拭いせずにすむ、いつもてめぇの顔がちらついてむかむかすることもむらむらすることもなくなる。
『ずっと……迷惑だったのか』
「そうだよ大迷惑だよ、それ位わかれよ!テメェを見てると抑えが利かなくなるんだよ!」
今日のアイツときたら全く傑作だ、見事にころっと騙されて……スワローが悪戯したせいで夢精に至ったとは思いもよらず、悶々と罪の意識に苛まれて……
ちょっとは疑えよ、犯人は隣で寝てる弟だよ、これまで何度も悪戯されてんだからいい加減学習しろよ。スワローには下心がある。ピジョンをしごき抜いてくたくたにさせるのも計算の内、アイツが朝までぶっ通しで熟睡するのを見越して脱がしていじくってさんざんに弄んでる。
前科はもう数えきれない、俺はもうとっくに狂ってる、なにもかもぶっ壊れてる。ぐうすかマヌケ面さらして眠りこけてる兄貴の腹の上にザーメンぶちまけてスッキリするなんて、自分でもどうかしてると呆れる始末だ。腹の上に直接出したのはまだ片手で足りる回数だが、至近距離の寝顔を見ながらヌイたのはもう数えきれないほどだ。
鈍感なピジョンはちっとも気付かねえ、蹴っぽっても抓ってもナニしたって起きやがらねぇ、自分の寝顔がズリネタにされてるのも弟がすぐ隣で猿みてーにオナってるのも知らず時折不意打ちでその弟の名前を呼ぶ天然の罪作りだ。
しどけなくはだけた兄貴の腹の上で出すたび、包んだ手の中に吐きだすたび、何かが間違ってる感覚ばかりが強くなる。シタイのはコレじゃねえと根っこの部分で違和感が膨らむ。
「俺がどんだけガマンしてるかしらねえで、アイツときたら」
そこにきてシカトだ。もう頭にきた。一瞬バレたのかと危ぶんだが杞憂だった、アイツは勝手に拗ねていじけてスワローを避けていただけだ、それはそれで腹立たしい。
「くだらねェ我慢比べはもうやめだ、意地の張り合いはいちぬけだ。アイツはしっかり約束を覚えてた、そのくせ今の今まで忘れたフリで知らんぷりをきめこんでやがったんだから余計にタチ悪ぃ、元々アイツの提案なんだからあっちから言い出すのがスジじゃねえか、じっとガマンのいい子で待ち惚けてた俺は一体全体なんなんだ?」
スワローがピジョンを欲しがる気持ちと、ピジョンがスワローに応える気持ちは釣り合ってない。それがひどく悔しくもどかしい、反対側の穴から砂が零れるサンドバックを延々殴ってるみたいな気にさせられる。
自分には見えない場所で何かが確実にすりへっていく焦りに似た感覚、空振り空回り赤っ恥をかく一人芝居のやりきれなさ。
スニーカーの靴底で斜面を蹴り、地面に刺したナイフを滑り止めにしてよじのぼりながら、唸る。
「テメェは知らねえよな、どんな気持ちか」
お前の腹の上に出すのがどんなに惨めか。
何も知らずに眠るお前の隣で、バレねえよう息を殺してマスかくのが、どれだけ惨めで死にたくなるほど情けねェか。
スワローは間違っても聖人君子じゃない、処女も童貞もとっくに捨ててる。気持ちよければ男とも女とも誰とでもファックする。ピジョンに指一本触れなかった、なんて真っ赤な嘘だ。眠ってるアイツをべたべたさわりまくって強制的にイかせたのは事実だが、最後の一線だけは越さなかった。越せなかった。最大級の自制心を振り絞り、夜毎ぎりぎりまで行っては苦悩の末引き返す地獄の寸止めに耐え続けたのだ。
『や、すわろ』
土壇場で名前を呼ばれて、頭が真っ白になる繰り返しだった。
俺の名前を呼ぶ切ない声が暴走する本能に枷を掛けて締め上げるから、どうしてもその先へ進めない。
無理矢理するのは簡単なのに、そうしたところで本当に欲しいものは絶対手に入らないとわかっているから、スワローはピジョンの寝息がかかる距離で、兄の寝顔を見詰めてしこしこ自身を慰めるしかない。
理性がジリジリ焼き切れるような1097回の夜を死ぬほどしんどい思いで乗りきって、ようやく約束の件を切り出したらヒスって正当化して逆ギレときた。
『三年たったら抱かせてやる。俺が約束を破ったことあるか?』
「ちきしょう」
三年待ったんだ。ちょっとくらい褒めたっていいじゃねえか。
あともうどれだけ待てばいい、どれだけ待てば好きなところに触らせてくれる、どれだけ待てば兄貴の中に入れる、どれだけ待てば……
『ひとりで空回ってバカみたいじゃないか』
「空回ってるのがテメェだけと思うなよ」
短期決戦、速攻勝負こそ常に直線で生きるスワローの信条だ。
少年は己のモットーに忠実にフィールドを駆け巡る。
だだっ広い採石場のあちこちに巨大なコンテナや恐竜の骨格標本じみて錆びた重機が置き去られ、セメント袋が小高い堤を築いており死角には事欠かない。敵がどこから付け狙うかわからないスリルは格別だ。
スワローは舌なめずりし、自分の分身ともいえるナイフを腰だめに構え直す。
「鳩狩りのはじまりだ」
戦闘になると血が逸る。全身の血が沸き立って鼓動が増幅される。
虫も殺せず鳩に餌をやるしか能のない兄と違いピジョンは極めて好戦的な性格だ、命をかけた殺し合いに興じている時が一番楽しい、心臓が起爆するような人生の歓びを感じる。
この腐った世界に楽しい事があるとしたら、それは骨身を削る命のやりとりだ。
拳が肉にめりこむ衝撃や骨がへし折れる音と感触にスワローは最高の絶頂を覚える。
どうしてこうなったのかはわからない。生まれた時からこうだった。犯罪者の遺伝子なんてものがあるとしたら、自分はその呪われた因子を生まれ持ったのだ。
快感や痛みと引き換えることでしか生きてる実感を得られない、人としては出来損ないだ。
スワローには情緒と倫理と道徳が欠落している。繊細すぎる感受性を持て余すピジョンと足して割って補い合ってちょうどいい。
ツバメとハトは対であり、やがてつがいとなる。
それが兄弟に課せられた宿命、血の鎖に囚われた運命だ。
まずは炙りだすのが先決だ。一箇所ずつ虱潰しにあたっていくか?
ナイフを回して周囲を睥睨、ターゲットを走査。視界内に動くものはない。怪しい人影がないのを確認後、ゆっくり余裕ぶって一歩を踏み出す。もしピジョンがどこかで隠れて見てやがるなら、今頃さぞびびってるんだろうなと妄想してニヤケる。
深呼吸し肺を空気で膨らませる。口の横に手をあてがい、威勢よく叫ぶ。
「ぶるってねーででてこいよ、おいしく料理してやっからさ!俺のナイフ捌きは天下一品だ!」
声を張り上げて挑発、大気に波紋を生じる。
峻厳に切り立った断崖に殷々と反響し、採石場に揺蕩う静寂がさらに深まる。
澄んだ青空を一羽、真っ直ぐな軌跡を曳いてツバメが横切っていく。近くに巣があるのだろうか?
崖の断面から剥がれた一石がスワローのすぐそばに転がる。
「そこか?」
殆ど見もせず体が動く。地面の小石を拾うや鋭く腕を振り抜き投擲、スワローが投げた小石は崖を走るネズミを掠め「ヂュッ!?」と濁った声で啼かせる。
「まぎらわしい。うろちょろしてっと丸焼きにして食っちまうぞ」
ネズミにしてみたら災難だ、突然石を投げられた上に罵倒されたのだから。びびって逃げていくネズミに舌打ち、スニーカーの靴裏で地面を踏んで歩みを再開。
「ん?」
ふと歩みが止まる。地面すれすれの極端に低い位置にロープが張られている。ロープの端は岩の出っ張りに結わえ付けられている。
「……」
全速力で走ってきたらコイツに引っかかってコケていたはずだ。
スワローは意味深に黙りこくり、爪先で行儀悪くピンと張り詰めたロープを持ち上げる。
「ふ~ん」
上から押し下から押し異常がないのを確かめたのち、そのへんにあった一抱えほどの石をロープの向こうへぶん投げる。
「そらよ」
乾いた破砕音と共に石の落下地点が陥没、直径1メートルほどの穴が生じる。
「ンなこったろーと思った、バレバレなんだよ」
ごく初歩的な二段構えのトラップ、ロープを跳び越えた先に落とし穴を用意したのだ。穴に薄っぺらいトタン板を被せて土を掛けておけば簡単に偽装できる。ロープを走って跳び越えようとする人間の大半は着地点に警戒などしない。
スワローは片膝を付いて穴を調べる。
「元からあったのにトタンで蓋したのか……なるほどね」
ボロいトタンは人一人分の体重に耐えられない。この手の穴は採石場の至る所に点在している、石を採る為に掘って埋め忘れた痕跡だ。フィールドの特性を上手く利用した一点は褒めてやらなくもないが、この程度の罠に本気でスワローが掛かると思っていたなら片腹痛い。
「落としちまえば後は楽勝、上から土かけて生き埋めにするも棒で突きまくって降参させるも思いのままってか。テメェの手を汚したがらねェ臆病者と卑怯者が考えそうなこった。悪知恵未満の浅知恵だ」
兄が仕掛けたトラップを辛口で評し、フィールドをざっと見渡す。
トラップの残り数は把握しかねる。元からあった穴に蓋をして土を被せるだけなら五分とかからない。
スワローは注意深く地面を見ながら歩きだす。ピジョンはアホだが靴跡を残すようなへまはしない。進行方向に巧妙に装った落とし穴の痕跡を見付けるたび回避、ナイフを振り上げて吠える。
「ちまちまやってんじゃねーよ、日が暮れちまう。一生かくれんぼしてる気か?」
回りくどい作戦に苛立って声が尖る。ピジョンはどこかに必ずいる、このフィールドから出ていないはずだ。場外逃亡はルール違反だ。イライラするスワローを今もそう遠からぬ場所で見張っているはず……
アイツが行きそうなとこはどこだ?行動パターンを読むんだ。
スワローは思考を整理する。
ピジョンは逃げ足が早い。普段の模擬戦でも自分から手を出す事は極力なく、ぎりぎりまで引き延ばして相手の消耗を誘う消極的な作戦を好む。スワローにしてみればまだるっこしいが、長期戦向きの用心深さ、根気強さと評価できる。
俺がアイツならどうする?
ピジョンの行動をトレースして想像を働かせる。
間合いに入れば勝算はない、ナイフの餌食になる。ならば一定の距離をとる。採石場には遮蔽物が多い。派手に動き回るスワローを監視するなら視野を広くとれる高所が望ましい。
ピジョンの武器はスリングショット、攻撃手段は遠方からの狙撃。だが射程範囲には限度がある。スナイパーライフルでもなし、スリングショットによる投擲は風向きに多分に左右される。
スワローはピジョンのすぐ隣でスリングショットの練習風景を眺めてきた。
ピジョンが毎日のように空き瓶を並べて撃ち抜いていく光景を目に焼き付け、おおよその飛距離に加え、風力や風向きとの関係性を肌で理解した。
ずっとずっとピジョンを見てきた。
汗水たらしてスリングショットの特訓にうちこむ光景を見詰めてきた。
一番近くにいるのに物凄く遠いアイツの背中を。
「スリングショットの有効射程内で風上にあたる、落とし穴を見渡す場所……っと」
全部の条件を満たすのはあそこだ。消去法で候補をしぼりこみ、斜面を一気に駆け上がる。
目指す先は小高い丘の上に等間隔に並ぶコンテナの倉庫群。
あそこならスワローが落とし穴に嵌まったかどうか目視できる範囲内だ。
「移動ついでにトラップこさえてんなら、どうしたって逃走ルート沿いになる」
お手軽なトラップは逃亡中に仕掛けられる強みがあるが、反面それは敵の経路を割り出す弱みとなる。
落とし穴の点と点を繋いで線にすれば、ピジョンが辿ったルートと現在の潜伏先が漠然と推測できる。
付け加えるなら、罠に獲物が掛かればすぐさま駆け付けたいのが人間心理だ。折角の成果も隠れていて気付かなかったじゃお話にならない、必ずトラップの全体を俯瞰できる場所にいるはずだ。
「……いや、違うか」
ピジョンはとんでもないお人よしだ。
アイツが落とし穴全体を見渡す場所に陣取る理由は、罠に掛けた敵を即座に助けに行くために尽きる。
もしスワローが穴に落ちたきり何の反応もせずにいたら、ピジョンは絶対助けにくる。
はずみで足を折ったんじゃないか?気を失ったんじゃないか?まさか死んじゃったんじゃ?そんな疑惑で頭が一杯になって、勝負の最中だろうがなんだろうがそんなことコロッと忘れて、心配して様子を見に来るにきまってる。ピジョンの性格をとことん知り抜いたスワローが自信をもって断言するのだから間違いない。
「……そういう中途半端な甘さとヌルさに付け込まれんだよ」
ピジョンがいる方角を逆算、気を抜けば足に纏わり付いて滑らそうとする砂を蹴散らし、コンテナへと接近しつつ回想する。
『俺、ただいるだけでお前の足を引っ張ってたのか』
「そうだよ、目障りだ」
ずっとずっと前からそうだった、俺がいなきゃなにもできねえ、やられっぱなし泣かされっぱなしの情けねェ兄貴。
さんざん痛めつけられても仕返し一つまともにできねえ、めそめそ泣き寝入りするっきゃねえタマなし野郎。
睫毛を伏せてしょげた横顔、しめやかに水膜を張った瞳がまざまざと甦る。
『他にしたいことがあるのに邪魔して……俺が泣いて頼むから嫌々渋々不承不承、毎日付き合ってくれてたっていうのかよ。何だよそれ。同情かよ。馬鹿にするのもいい加減にしろよ』
「底抜けの馬鹿を馬鹿にして何が悪い?」
『俺、いないほうがよかったのか』
「そうさ、せいせいする」
テメェがどっか行っちまえばもう金輪際尻拭いせずにすむ、いつもてめぇの顔がちらついてむかむかすることもむらむらすることもなくなる。
『ずっと……迷惑だったのか』
「そうだよ大迷惑だよ、それ位わかれよ!テメェを見てると抑えが利かなくなるんだよ!」
今日のアイツときたら全く傑作だ、見事にころっと騙されて……スワローが悪戯したせいで夢精に至ったとは思いもよらず、悶々と罪の意識に苛まれて……
ちょっとは疑えよ、犯人は隣で寝てる弟だよ、これまで何度も悪戯されてんだからいい加減学習しろよ。スワローには下心がある。ピジョンをしごき抜いてくたくたにさせるのも計算の内、アイツが朝までぶっ通しで熟睡するのを見越して脱がしていじくってさんざんに弄んでる。
前科はもう数えきれない、俺はもうとっくに狂ってる、なにもかもぶっ壊れてる。ぐうすかマヌケ面さらして眠りこけてる兄貴の腹の上にザーメンぶちまけてスッキリするなんて、自分でもどうかしてると呆れる始末だ。腹の上に直接出したのはまだ片手で足りる回数だが、至近距離の寝顔を見ながらヌイたのはもう数えきれないほどだ。
鈍感なピジョンはちっとも気付かねえ、蹴っぽっても抓ってもナニしたって起きやがらねぇ、自分の寝顔がズリネタにされてるのも弟がすぐ隣で猿みてーにオナってるのも知らず時折不意打ちでその弟の名前を呼ぶ天然の罪作りだ。
しどけなくはだけた兄貴の腹の上で出すたび、包んだ手の中に吐きだすたび、何かが間違ってる感覚ばかりが強くなる。シタイのはコレじゃねえと根っこの部分で違和感が膨らむ。
「俺がどんだけガマンしてるかしらねえで、アイツときたら」
そこにきてシカトだ。もう頭にきた。一瞬バレたのかと危ぶんだが杞憂だった、アイツは勝手に拗ねていじけてスワローを避けていただけだ、それはそれで腹立たしい。
「くだらねェ我慢比べはもうやめだ、意地の張り合いはいちぬけだ。アイツはしっかり約束を覚えてた、そのくせ今の今まで忘れたフリで知らんぷりをきめこんでやがったんだから余計にタチ悪ぃ、元々アイツの提案なんだからあっちから言い出すのがスジじゃねえか、じっとガマンのいい子で待ち惚けてた俺は一体全体なんなんだ?」
スワローがピジョンを欲しがる気持ちと、ピジョンがスワローに応える気持ちは釣り合ってない。それがひどく悔しくもどかしい、反対側の穴から砂が零れるサンドバックを延々殴ってるみたいな気にさせられる。
自分には見えない場所で何かが確実にすりへっていく焦りに似た感覚、空振り空回り赤っ恥をかく一人芝居のやりきれなさ。
スニーカーの靴底で斜面を蹴り、地面に刺したナイフを滑り止めにしてよじのぼりながら、唸る。
「テメェは知らねえよな、どんな気持ちか」
お前の腹の上に出すのがどんなに惨めか。
何も知らずに眠るお前の隣で、バレねえよう息を殺してマスかくのが、どれだけ惨めで死にたくなるほど情けねェか。
スワローは間違っても聖人君子じゃない、処女も童貞もとっくに捨ててる。気持ちよければ男とも女とも誰とでもファックする。ピジョンに指一本触れなかった、なんて真っ赤な嘘だ。眠ってるアイツをべたべたさわりまくって強制的にイかせたのは事実だが、最後の一線だけは越さなかった。越せなかった。最大級の自制心を振り絞り、夜毎ぎりぎりまで行っては苦悩の末引き返す地獄の寸止めに耐え続けたのだ。
『や、すわろ』
土壇場で名前を呼ばれて、頭が真っ白になる繰り返しだった。
俺の名前を呼ぶ切ない声が暴走する本能に枷を掛けて締め上げるから、どうしてもその先へ進めない。
無理矢理するのは簡単なのに、そうしたところで本当に欲しいものは絶対手に入らないとわかっているから、スワローはピジョンの寝息がかかる距離で、兄の寝顔を見詰めてしこしこ自身を慰めるしかない。
理性がジリジリ焼き切れるような1097回の夜を死ぬほどしんどい思いで乗りきって、ようやく約束の件を切り出したらヒスって正当化して逆ギレときた。
『三年たったら抱かせてやる。俺が約束を破ったことあるか?』
「ちきしょう」
三年待ったんだ。ちょっとくらい褒めたっていいじゃねえか。
あともうどれだけ待てばいい、どれだけ待てば好きなところに触らせてくれる、どれだけ待てば兄貴の中に入れる、どれだけ待てば……
『ひとりで空回ってバカみたいじゃないか』
「空回ってるのがテメェだけと思うなよ」
0
お気に入りに追加
147
あなたにおすすめの小説
【本当にあった怖い話】
ねこぽて
ホラー
※実話怪談や本当にあった怖い話など、
取材や実体験を元に構成されております。
【ご朗読について】
申請などは特に必要ありませんが、
引用元への記載をお願い致します。
実は俺、悪役なんだけど周りの人達から溺愛されている件について…
彩ノ華
BL
あのぅ、、おれ一応悪役なんですけど〜??
ひょんな事からこの世界に転生したオレは、自分が悪役だと思い出した。そんな俺は…!!ヒロイン(男)と攻略対象者達の恋愛を全力で応援します!断罪されない程度に悪役としての責務を全うします_。
みんなから嫌われるはずの悪役。
そ・れ・な・の・に…
どうしてみんなから構われるの?!溺愛されるの?!
もしもーし・・・ヒロインあっちだよ?!どうぞヒロインとイチャついちゃってくださいよぉ…(泣)
そんなオレの物語が今始まる___。
ちょっとアレなやつには✾←このマークを付けておきます。読む際にお気を付けください☺️
第12回BL小説大賞に参加中!
よろしくお願いします🙇♀️
無能テイマーと追放されたが、無生物をテイムしたら擬人化した世界最強のヒロインたちに愛されてるので幸せです
青空あかな
ファンタジー
テイマーのアイトは、ある日突然パーティーを追放されてしまう。
その理由は、スライム一匹テイムできないから。
しかしリーダーたちはアイトをボコボコにした後、雇った本当の理由を告げた。
それは、単なるストレス解消のため。
置き去りにされたアイトは襲いくるモンスターを倒そうと、拾った石に渾身の魔力を込めた。
そのとき、アイトの真の力が明らかとなる。
アイトのテイム対象は、【無生物】だった。
さらに、アイトがテイムした物は女の子になることも判明する。
小石は石でできた美少女。
Sランクダンジョンはヤンデレ黒髪美少女。
伝説の聖剣はクーデレ銀髪長身美人。
アイトの周りには最強の美女たちが集まり、愛され幸せ生活が始まってしまう。
やがてアイトは、ギルドの危機を救ったり、捕らわれの冒険者たちを助けたりと、救世主や英雄と呼ばれるまでになる。
これは無能テイマーだったアイトが真の力に目覚め、最強の冒険者へと成り上がる物語である。
※HOTランキング6位
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
逆張りの占い師、マデリーネ・アモンドにお任せください!
樹里
キャラ文芸
百発全敗の当たらない占い師?
いえいえ!
才能あふるる『逆張りの』占い師が、あなたのお悩みを解決いたします!
ですから安心してご相談くださいね。
些細な事でも、どうぞお気軽にご相談くださいね。
……とびっきり美味しいお茶をサービスでお付けしますから、ご相談くださーーーい!
駆け出し中の占い師、マデリーネの元にはいつもちょっと変わった相談のお客様が。
それでも超売れっ子占い師を目指して、今日も奮闘します。
戦国征武劇 ~天正弾丸舞闘~
阿澄森羅
歴史・時代
【第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞】本能寺の変によって織田信長が討たれた後、後継者争いに勝利した羽柴秀吉は天下統一の事業を推進。
服属を拒む紀伊・四国・九州を制圧し、朝廷より豊臣の姓を賜り、関白・太政大臣に就任した秀吉は、最大の敵対者である徳川家康を臣従させ、実質的な天下人に。
そして天正18年(1590年)、秀吉は覇業の総仕上げとして関東の大部分を支配する北条氏の討伐を開始。
しかし、圧勝が約束されていた合戦は、北条方の頑強な抵抗と豊臣家内部で起きた予期せぬ事件によって失敗に終わる。
この事態に焦った秀吉が失政を重ねたことで豊臣政権は不安定化し、天下に乱世へと逆戻りする予感が広まりつつあった。
凶悪犯の横行や盗賊団の跳梁に手を焼いた政府は『探索方』と呼ばれる組織を設立、犯罪者に賞金を懸けての根絶を試みる。
時は流れて天正20年(1592年)、探索方の免許を得た少年・玄陽堂静馬は、故郷の村を滅ぼした賊の居場所を突き止める。
賞金首となった仇の浪人へと向けられる静馬の武器は、誰も見たことのない不思議な形状をした“南蛮渡来の銃”だった――
蹂躙された村人と鏖殺された家族の魂、そして心の奥底に渦巻き続ける憤怒を鎮めるべく、静馬は復讐の弾丸を撃ち放つ!
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる