タンブルウィード

まさみ

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六話

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いけないことをしている自覚はあった。
母にバレたらまずいことをしている罪悪感で頭が一杯だった。
それなのにそれだからこそ、しちゃいけないと強く念じる理性に反して、すっかり敏感になった体が開発されていく。全身の皮膚が性感帯に置き換えられたみたいで、ちょっとの刺激でも達しそうになる。
「はっ……、」
きつく目を瞑る。今自分がされていること、していることを忘れようと努める。辛い。いやだ。苦しい。気持ちよくなんかない絶対に。コイツは実の兄をてっとり早く突っこめる穴としか思ってない、等身大の肉オナホだ。
情けなさに瞼がじんわり熱をもつ。モッズコートの内側がもぞつく。熱い息が下腹で爆ぜ、くすぐったさを伴う微妙な快感に膝が抜ける。ズボンごと下着をずりおろせば、すっかりできあがった湯気が立つ。ピジョンのペニスは細長く形がいい。色が白くて上品だ。まだ淫水焼けしてない淡いピンクの亀頭は、独立した生き物のようにカウパーを滴らせている。鈴口に滲んだ先走りをすくいとり、笑いを噛み殺して囁く。
「いかにも未使用でございってかんじ」
「……っ、ほっとけよ」
「お前をオトナにしてやったのだれか忘れてねえよな」
「…………ぐっ………」

覚えてる。忘れるわけない、あの夜の事は。

毎晩同じベッドを使う寝相が悪い弟がやけにひっついてきて、体の裏表をしつこくまさぐってきた。寝ぼけているのかとしばらく放っておいたが卑猥な手遊びは止まず、遂に痺れを切らし離れろと注意すれば、耳の裏側に唇をあて、スワローはこう囁いたのだ。
『バレるのがいやならじっとしてろ』
背中にナイフをつきつけるような声に凍りつく。寝入りばなに弟がちょっかいかけてくるのは何度もあったが、その夜はいつもと様子が違った。カーテンを隔て、ほんの数メートル離れた場所で母が熟睡している。今していることがバレてはいけない、そうなったらもう三人で暮らせなくなる。ピジョンは家族を愛していた。物心ついた頃には父はおらず、やんちゃな弟と優しい母の三人でトレーラーを流してきた。母は優しかった。ピジョンとスワローに分け隔てなく惜しみない愛を注いだ。他人からの心ない中傷や迫害も、若く美しい母が慰めてくれればこそ耐えられた。母と離れるのは耐えられない。家族と別れて一人生きていく自信がない。だから……

「無理矢理剥かれて痛がってたな」
「はっ……、」

捏ねて、ねぶって、塗り広げる。意地悪な指遣いに感じてしまう体が恨めしい。
スワローの揶揄がトラウマとして身と心に刻まれた忌まわしい記憶を蒸し返す。
自分を後ろから抱き締めるスワロー、逃がさないようキツく絡めた足、無遠慮にズボンにもぐりこむ手……瞼の裏に生々しい悪夢の断片が突き刺さる。
じっとり汗ばんだ弟の手が、ボクサーパンツの中に忍んで幼いペニスを弄ぶ。恐怖で喉が詰まって声も出ない。ピジョンは胎児のように丸まって、シーツを掴んでただひたすらに耐える。一分一秒でも早く弟が飽きて、地獄のような生殺しの責め苦が終わってくれるのを願った。
ピジョンはもう知っている、神様は彼が嫌いなのだ。理不尽で不条理な世界では、彼の望みが聞き届けられた試しなどめったにない。彼の願いが汲まれる事など断じてない。どれほど狂おしく願って祈って信じて縋って尽くしても、伸ばした手はあえなくスワロ―に掴み取られる。
燕の方が鳩より断然速く飛ぶ。
翼に願いをのせて羽ばたいても、音の速さで飛ぶ燕にはかなわない。のろまな鳩は燕のしっぽスワローテイルすら見ることがかなわない。

「弟に皮を剥かれて包茎捨てた気分はどうだ?」

今でも思い出す、うなじにこもる熱い吐息の感触。スワローの息が産毛を湿らす。
自分の身に異常な出来事が起きているのは理解できた、こんなの母さんも神様もお許しにならない、近親相姦と同性愛の二重の大罪を犯している。
白く華奢な手が発情した蛭のように蠢く情景は薄暗がりの中だといや増してみだらで、いけないことだと自戒してもペニスの疼きを止められない。弟が自分に欲情している事実も自分が弟に欲情している現実も信じたくない、目を閉じて暗闇に埋没して全否定したい、全身の血が先端に集中して密度を増していくのがわかる。弟の髪の毛がうなじの柔く弱い皮膚をくすぐり、神経がささくれだつ。まるで動物の交尾だとピジョンは感じたが、もし第三者がその情景を目撃していたら、マウントポジションを競う子犬のじゃれあいに近いと思ったろう。
ピジョンは知っている。スワロ―はよく知恵が回るし、一見華奢でもバネのように強靭な筋肉を秘めている。おそらく筋肉の密度からして違うのだ、単純な膂力や腕力ではかなわない。全力で暴れたら振りほどけたかもしれないが、スワローを怒らせる事に怯える自分がいた。キレたら手が付けられない。本当に殺されると覚悟したのも一度や二度じゃない。こんな度し難い乱暴者に奇跡みたいな美しい容姿をお授けになったのは神様の悪ふざけだ。少年と少女の美質を兼ね備えた外見で破廉恥極まりないインキュバスの振る舞いをする。根腐れした魂はどうしようもないから、せめて上っ面だけでも整えたのだろうか。
マスターベーションの経験はある。あるけれど、ピジョンのそれはまだ皮を被っていた。
自分で剥くのは恐ろしい。痛いのは怖い。はたして放置しておいていいものなのかどうか、質問できる身近な大人は母しかいないが、デリケートな話題すぎて思春期の少年は絶対に避けて通る地雷だ。羞恥で心が死ぬ。
正しいやり方もわからず、時がくれば自然に大人になると信じていた。
いつか愛する人ができて、その人と結ばれたら……シーツを被って悶々と膨らませていたピジョンの甘酸っぱい夢は、スワローに木っ端微塵に打ち砕かれた。

「なんでお前はいつもいつも」
過去と現在、二重のフラッシュバックが二倍の快感を促す。
だめだ。もう無理、こらえきれない。ピジョンがぐすっとしゃくりあげる。目が真っ赤に充血し、透明な洟水がたれる。くたる膝を辛うじて支えてスワローに縋りつき、つっかえつっかえ訴える。
「なん、で、いづも俺のいやがるごとばっかりずる、んだ?にい゛さんを泣がせてだのじい、のか?」
「濁ってるぞオイ」
「うるざい……ふぅ゛うっ、だれのせいだと……」
「喉に息通さねーと過呼吸になる」
「ふぅうぅっ……はーっ、はーっ」
「ハーイよくできました、グッボーイ」
ピジョンが息を吹き返すまで待ち、戯れに後ろ髪に指を通す。兄弟で色合いの違う金髪、兄の方がしっとりと柔い触り心地だ。すっかり大人しくなったピジョンの髪の毛を梳きながら、唄うようにスワローは言う。
「勘違いすんなよ。テメエのいやがることをしてんじゃねえ、俺が気持ちいいことをしてるだけさ」
「お前が気持ちいいことって俺が痛がることばっかじゃないか。ドSなの?」
「反りが合わねえな。こっちは反ってっけど」
「こんなのもうやだ、たまには俺の言うこと聞いてよ……本当にいやなんだ、お前にいろんなとこいじくられると俺が俺じゃなくなる、体がむずむずして、ぞくぞく寒気がして……」
「蒸れまくって濡れまくって?」
「お前は遊んでるだけかもしれないけど……母さんたちの真似事で、手近な俺を捌け口にしてるだけかもしれないけど」
弟が怖くて逆らえない。これまでもずっと、これからもずっとコイツのオモチャにされるのか?耐えて耐えて耐え抜いて、それで何が変わるんだ?なんで俺ばっかり損をする、貧乏くじを引く、痛い目を見る?
俺はただ、スワローと普通の兄弟になりたいのに。
普通に仲良く笑い合いたいだけなのに。
「普通の兄弟は、こんなことしない……」
こみ上げる涙で視界が霞む。もう完全に諦めきって、嗚咽するだけになったピジョンの下方で、スワローの動きが次第に鈍っていく。
行為の打ち止めを告げたのは、不機嫌な舌打ち。
「………萎えた」
「え?」
信じられない。
真っ赤な目で瞬きするピジョンを手荒く突き飛ばす。モッズコートの裾を広げてぺたんと尻餅付いたピジョンの眼前、スワローは胸元のドッグタグを乱暴にひきちぎり、力任せに投げつける。
「あづっ……!?」
両手で頭を庇い丸まるも、遅い。スワローがむしりとった二枚重ねのドッグタグが頭に跳ね返る。
いばりくさって腕を組み、仁王立ちに踏み構えたスワローが吠える。
「ぐすぐすべそかきやがってマジでクソ萎えたぜ、勃つもんも勃ちゃしねえ。テメエはいっつもそうだ、もううんざりだ、いつだってテメエだけ被害者づらで泣き寝入りきめこみやがる!言いたいことあんならはっきり言え、それでも兄貴かよ弟の顔色びくびく窺いやがって、同情誘う上目遣いむかつくんだよ!!」
理不尽だ。
理不尽すぎて返す言葉もない。
突然キレて罵倒して、一方的になじられて。
「なん……だよ、それ」
一体俺が何したっていうんだ?
「お前の気に障ることしたか?お前になんかしたか?お前はいっつもそうだ、いきなりキレて話にならない、挙句あんな、あんな恥ずかしいことまでして……全部ぜんぶタチの悪い嫌がらせだ、俺の嫌がる顔が見たいだけだ!」
「ああそうだよ悪いか畜生、なーにが平和を愛する小鳩ちゃんリトルピジョンだ、やられっぱなしで拳一発返せねェふにゃチン野郎が、俺に好き放題されてる時も町のクソガキにボコられてる時もおんなじアへ顔してたんだろ!」
「アへっ……顔なんてしてないぞ絶対、口は閉じてた!じゃないと舌を噛む!」
「んじゃトロ顔だ、ボコボコに殴る蹴るされてトロトロにとろけきってよ!どっちにせよマヌケ面だ!」
「マヌケ面は否定しないけどトロでもアへでもない、本気で痛かったんだ!!」
「じゃ怒れよ!キレろよ!馬鹿にしてんだよ、犯してんだよ、テメエのチンポいじくり倒して無理矢理イかせようとしてる相手に哀れっぽく媚売ってんじゃねえ、それとも何かテメェはべそべそべそかいてりゃ許してもらえると思ってんのか、股ぐら蹴り上げて一発やり返す位の根性見せろよ!?」
カッとひん剥いた目に純粋な怒りが燃え立ち、赤錆色の虹彩が一際鮮烈に映える。
身の内で荒れ狂う激情が心臓を食い破ろうとでもしているような、ひどくもどかしげなやりきれない表情。
憤怒が爆ぜて、小柄で華奢な体躯が倍ほどに膨れ上がった錯覚をきたす。
ああ、綺麗だな。
コイツは怒ってる時が一番きれいだ。全身から炎を噴いてるみたい。
無軌道に無節操に、燃え上がる火の中にまっすぐ突っ込んでいく若い燕ファイアスワローだ。
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