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ファミリーレストランに盛り塩は似合わない

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ファミリーレストランに盛り塩は似合わない。

「……ていうかゾンビに盛り塩って効果あんの?」
「あるかなしかで言ったら、なし」
「じゃあ無駄じゃん。意味ねーじゃん。なんで塩盛ってんの?」
「そういうアホでもできるアホなツッコミはいいからあんたも手伝えよ」
ヘッドホンをかけた予備校生に説教され、四隅の塩をチラチラ見ながら椅子を積む。
盛り塩がお浄めやお祓いの様式美なのは一般常識として知っちゃいる。
葬式帰りのヤツは玄関先で塩をかける。一種の厄払い、幽霊が家ん中まで憑いてこねえようにだ。

知ってるさもちろん、非常識だバカだアホだ別れたカミさんに謗られちゃいるが人間三十年ちょい生きてりゃいやでも知識は増える。
だけどファミレスと盛り塩の組み合わせは実際どうなんだ?と問いたい、激しくツッコみたい。いや、和風居酒屋ならギリギリセーフだけどさ。洋風のファミレスにゃ似合わねえだろ。

電気が切れた店内は薄暗い。
ライフラインは仮死状態。
至る所からぐすぐすと途切れなく嗚咽が聞こえて気が滅入る。
ポツポツと灯るあかりはまだ充電切れしてないスマホの液晶、それだけを頼りに人々は互いの顔を照らし合う。
「ホタルノヒカリなら風流だがスマホノヒカリじゃ興ざめだぜ」
スマホに縋り付いちゃ一喜一憂する顔をほかにやることもなく観察する。
ほぼ密室状態の人口密度は高く、老若男女とりまぜて取り残された客たちがそれぞれのグループごと寄り集まって世を儚み離れ小島の不運を嘆いている。
テーブル席に座った若い夫婦は真ん中に挟んだ子供がぐずるのを必死になだめ、ほんの一時間前までドリンクバーをハシゴしちゃ教師の悪口や共通の友人の噂話で姦しく盛り上がってた女子高生は、互いの肩を抱き合い半べそだ。

端的に言って地獄だ。
いや、本当の地獄は「外」だ。

死屍累々と阿鼻叫喚どっちがマシだ?

「人は内、屍人は外……ってか。語呂わりー」
内のほうがちょっとはマシだ、断然マシだ。少なくともまだ死者は出てない。
だが陰陰滅滅はごめんこうむりてえ、こちとらシケた雰囲気が大の苦手ときてる、性分にあわないのだ。
「くそっ」
口汚く毒突いてどっかと胡坐をかく。扉の外じゃ思考停止ゾンビどもがこりもせず体当たりをくりかえしその轟音と衝撃が伝わってくる。
連中飽きねえのか?
いくら痛覚が麻痺してるからってタフだことと感心する。
ドアが震えるたび寄り添う女子高生は悲鳴を上げ、怯えた子供はぎゃん泣き。
上品な白髪の老婆はポケットからとりだした数珠を手繰って念仏を唱え始める。
もしもの時の神頼み。
状況はどん底の底も抜けて最低、最悪に輪をかけて最悪。密閉され換気の悪い店内に人いきれが立ちこもる。
「なんでこんなことになったんだ」
 
ほんの数時間前まで、ファミレスには退屈な日常が流れていた。
午後二時、昼食にはちょい遅い時間帯。
店内に疎らに散った客たちは思い思いの時間を漫然と過ごしていた。
等間隔に配置されたテーブル席には見栄えよくメニューブックが立てかけられ、よくエアコンが利いた清潔で快適な店内には弛緩した空気がたゆたっていた。

『リストランテ・バンビーナ』
それがこのファミレスチェーンの名前。
イタリア語でバンビーナは小娘、お嬢ちゃんて意味だそうだ。
立地は駅から徒歩三分、ビルの二階に入ってる。一階は全国展開してるコンビニ。夕方ともなれば学校帰りの学生の集団で盛り上がるが、時間帯がズレてる今はおよそ六割の入りでゆっくり寛げる。
手持無沙汰に見るともなく客の顔ぶれを流し見る。
むこうのテーブル席で団欒してるのは初老の夫婦と二十代の若夫婦と三歳くらいの女の子。
お子様用の高い椅子に座らされた女の子はスプーンをぶんまわしては「めっ」と母親に叱られ、祖父母が微笑ましく見守っている。
通路を隔てた二人用の席を独占し、ヘッドホンで音楽を聴きながら参考書を広げているのは近くの予備校生だろうか。
その隣はスカート丈の短いギャルメイクの女子高生二人組、スマホの画面を見せ合って笑い転げてる。
外回りの営業マンだろうか、椅子の背凭れに背広をかけた青年が携帯で上司だか取引先と話し込みながらアイスコーヒーで喉を潤す。
「ファミリーがレスしてるからファミリーレストランってか」
斜に構えた態度でずこことメロンソーダを吸い上げる。
平日の昼下がりという事もあってか、さすがに両親と子供そろった席は稀だ。それともそう感じてしまうのは俺個人がファミリーをレスしてるせいだろうか。
だらしなく頬杖付く。
見晴らしのいい窓際の四人掛けテーブル席を独占できるのもこの時間帯の特権だ。
嵌めこみ式のでかい窓の向こう、太陽が燦燦と降り注ぐ交差点には人と車が喧しく行き交っている。
「……いけね」
窓越しの雑踏に別れたカミさんとガキの顔をさがすのが癖になってる。こんなとこにいるわけねーのに。
大体いまガキは小学校に行ってる時間帯だ、カミさんは買い物にいくにしろ近所で済ませてめったにこっちにでてこない。だてに十年近く一緒に暮らしてねー、お互いの行動範囲は周知してる。
ストローの先っちょ噛み潰してずこーずこーと吸い上げる俺の耳に、隣の女子高生の話し声がとびこんでくる。
「なにこれ」
「どしたん」
「ネットニュース見てみ、どっかの製薬会社の研究施設から新種のヤバいウィルスが流出したって」
「なにそれヤバいじゃん。バイオハザード発令?」
「わかんないけどいま緊急記者会見やってる」
「ヤバっ、これけっこー近くじゃん!てかそんなヤバい施設が電車で三駅のとこにあったなんて知らなかったし」
どうでもいいが、ボキャブラリーが少ない。ヤバいヤバいそれっきゃ言ってねーぞ。しかしヤバい事態だってのは十分伝わってくる。
軽薄に騒ぐギャルの対角線上のボックス席じゃ、年配の夫婦がスマホを覗きこんで不安な顔色をし、大学生グループが「マジ?」「マジっぽい」と囁きかわす。
「政府の声明だって、危険だから家から絶対出るなって」
「えー厚生省とかそっち系?」
「なんか大臣でてきたっしょ。ヤバない?」
「パねえ」
「そのウィルスって結局何?感染すると体がドロドロに溶けるとかスプラッタ?空気感染だったらどうしようもない」
「なんかー噛まれると伝染るらしい?」
「それってゾンビ……」
「B級ホラーじゃん」
馬鹿馬鹿しい、スマホ全盛の今の世の中ゾンビなんかいるかってんだ。B級ホラーの見すぎだ。笑い話っぽく呑気に構えるギャルがふと顔を上げる。盆をさげた店員が、ハッと顔を引き攣らせ入り口を注視する。

そこに、いた。
ゾンビ一号が。

ぐちゃり。
「あ゛ーう゛ー」
それはファミレスのガラス扉に視神経のぶらさがった眼球が直撃する音。
硬直した両手を前に突き出し。ずりずりと腐汁たれながし歩行して。ファミレスの入口までやってきたゾンビが絨毯踏ん付けすっ転んだ衝撃で眼窩から目玉がとびだし、ガラス扉のど真ん中に貼り付いたのだ。

目が合った。
比喩じゃなく。

若い女の子の店員が無表情に深呼吸。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
見事な声量の絶叫。俺がホラー映画の監督だったら即スカウトしてた。あの子は水泳やってんのかもしれない、肺活量が半端ねえ。
三々五々、さまざまな年齢層の客が散らばった店内は瞬時にパニックに陥る。
「ぎゃーーーーーーーでたーーーー!?」
「ゾンビマジやば写メっとこ!」
「バズっちゃう?ねえバズっちゃう?わーめちゃ拡散されてる、100万RTいけるよこれ!」
「めちゃインスタ映えするーハリウッドの特殊メイク?」
「見てくださいおじいさん、あれはなんでしょう」
「あれはゾンビィじゃないか」
「ゾンビィとはなんでしょう」
「海外では墓から甦った死人をそう呼ぶらしいよ」
「キョンシーとはどう違うんでしょうね」
「キョンシーはゾンビの一種じゃないかい?ほら、ナポリタンがパスタの一種なように……」
「そういえばナポリタンは日本の喫茶店発祥のオリジナル料理ってご存知です?」
「君は物知りだねえ!」
「ふふ、おじいさんには負けますよ。本家イタリアの方もびっくりですねえ」
「パパ―ママ―あのひとおめめおっことしたよ」
「見ちゃいけませんゆうちゃん!」
突然のゾンビ襲来によりファミレスは騒然。
席を立った連中が右往左往行き交い、落ち着かせようと泡食った店員ががんがら盆を取り落とし、ゾンビはマイペースの極みでガラス扉に体当たりをくりかえす。
あ、ノブに気付いた。夢中で引っ掻いて入ってこようとしてる。階段を上り、続々新手が押し寄せる。
「やだ、喰われる?」
「映画の撮影かよ」
「いえ、そんなことは聞いてません許可だした覚えもありません!」
「おいおいしゃれになんねーぞ」
「いまニュースで噛まれたらゾンビ化するって……」
「は?なにそれふざけ」
「こんな店いられっか、とっととうちに戻るぞ!」
いきりたった学生どもが店内を突っ切ってドアに殺到、俺もおもわず腰を浮かす。
「おいそれ死亡フラグ……」
「「ぎゃーーーーーー!!」」
いわんこっちゃない。
目の前でくりひろげられるスプラッタな光景に悲鳴が連続、俺もおもいっきり顔を背ける。
哀れで愚かな学生に合掌。
ドアを開け放って飛び出したところをゾンビの群れに襲われてジ・エンド……頭からまるかじりされて埋もれていく。
「馬鹿野郎、策も何もなく正面から突っ込んでくって自殺行為だろ」
「漫画でも映画でも集まりを抜け出して孤立したヤツが真っ先に狙われるのがホラーのお約束だ」
「ん?」
期せずして独り言に相槌が返って向き直る。ヘッドホンを外しながら呆れ顔の予備校生。目が合って「あ、ども」と軽く会釈する。
「なんか大変なことになってるな」
「そんな他人事みたいな……今まさに巻き込まれてんのに。あんた事態の重大さわかってる?」
何コイツ……年下のくせにえらそう……。
「すっごい炎上してる!あちこちでゾンビ大発生だって!」「グロ画像キタ!嘘、発信地隣町?」スマホをふりかざしてギャルが喚き、祖父母と若夫婦と孫の一家が寄り添い、品のよい老夫婦がコーヒーをずずずと啜る。
「おじさんなんて名前」
「ちょっと待てだれがおじさんだ俺はまだ32だ」
「立派におじさんだろ」
「ちっ……七瀬。下は」
「そっちはいいや」
「あっそ。坊主は?」
「八尋」
「八尋……ね」
「いま女みてえな名前だって思ったろ」
「とは思ってねえけど、上と下どっちかなと思った」
「ご想像にお任せ」
「ふたりあわせて七転び八起きだな」
「あわせる意味がわからん」
「言えてる」
話してると少しは気が紛れる。
俺はさっきの意趣返しをする。
「お前こそ落ち着いてんじゃん、事態の深刻さわかってる?」
「わかってるって」
ヘッドホンを肩にかけた八尋がぱかんとスマホを開いて俺の鼻先に突き付ける。
SNSのタイムラインが凄い速さで流れていく。ゾンビに齧り付かれた通行人の動画が大量に出回り、SOSを求めるツイートが同時多発的に大発生で目が滑る。
大学生がゾンビに齧られた時はショックで思考が止まったが、おかしなものでパニックに陥ったSNS炎上図に、ひしひしと実感がわいてくる。
目の前で起きてる現実よりネットの慌てっぷりで事の大きさを悟るなんて、我ながら現代の皮肉に毒されてる。
「あっちのギャルが騒いでんの聞いてたろ、近くの研究施設で事故がおきて新種のウィルスがばらまかれた」
「パンデミックじゃん。で、感染するとああなっちまうの?」
窓の下でも異変が起きてる。人々が交差点を逃げ惑い、車を乗り捨てて運転手が逃げ出す始末。
よく見ると緑がかった肌の変質者が紛れてる。
ファミレスは陸の孤島と化した。
逃げ場はない。下手に逃走を図ればさっきの大学生の二の舞だ。合掌。
予備校生……八尋が頷いてスマホをしまい、俺は入れ違いにスマホをとりだし短縮にかける。
「くそっ、でねえ!」
画面に表示されたカミさんの名前に舌打ち。
アイツ今どこだ、無事なのか?
順当に考えりゃ家で子どもの帰りを待ってるはずだが……子供は?下校中じゃねえのか、もし襲われてたら……
「!?おいアンタっ、」
「離せよ、カミさんと子どもがヒーロー登場を待ってるんだ!」
「いまでてったら無難に死ぬぞ、それも頭からまるかじりで眼窩に蛆沸かせる最低の死に方だ!」
「ぐっ……だったらどうしろってんだ、家族を見捨てろってのか!?」
「落ち着けって、奥さんと子どもだって今頃避難してるかもしれない。スマホにでねーのは移動中で余裕がないからかもしれねーじゃん。この騒ぎだ、自衛隊もとっくに出動してる。民間人を守るのが仕事だ、奥さんと子どもも安全なところに匿われてるさ」
「市民会館が安全な場所か?学校の体育館が!?」
「俺にキレたってどうしようもねーだろ、頭冷やせよ!」
そうだ、八尋のいうことはもっともだ、絶対的に正しい。今出てっても無駄死にだ、妻子と再会を果たす前にジエンドだ。
奥から出てきた店長っぽいギャルソン服の中年男が、悲鳴と嗚咽の渦巻く店内に声を張って呼びかける。
「皆さん落ち着いて、私の言うことを聞いてください!いま外に出るのは危ない、バリケードを築いて立てこもりましょう」
「閉じこもってどうすんの?だれかむかえにきてくれんの?」
「たすけてってツイートした……ママとパパにも電話かけた……」
「消防と警察にも連絡したけど回線繋がりにくくて」
「見ろ、ヘリコプターだ!マスコミ……いや、自衛隊?」
サラリーマンが窓の外を指さし、残りの連中が息せききって押しかける。俺も釣られて空を仰ぐ。旋回するプロペラ、ぽってりした躯体……
遥か上空をのんびり横切っていく何機ものヘリコプターに希望を見出し、残された客の顔に安堵と不安が交錯する。
おーいおーいと間延びした声で呼びかけ手やハンカチを振りたくる客に、店長が力強く言い聞かせる。
「大丈夫、私達がここに残ってることは向こうも知ってるはず……じきに助けがきます、それまでの辛抱です」
 
それが数時間前の出来事だ。
結論からいうが、事態は一向によくならない。ばかりか悪化の一途を辿る。
信心深い老夫婦が「浄めの塩が効果的ですよ」と言い出して隅に食塩を盛り始めたのにツッコむ気力もなく、むしろ藁にも縋る一念で黙認した一同は、ゾンビに包囲されたファミレスの店内に寄り集まってる。
空調が切れたのか蒸し暑い。メロンソーダの氷もすっかり溶けた。
「まいったな……まるでサウナだ」
八尋がシャツの胸元を摘まんで風を送る。汗がすごい。
へたばった客たちを見かねてか、意を決した店長がドリンクサーバーから烏龍茶を汲み、ぐったりした老夫婦に笑顔で手渡す。
「ドリンクバーは注文してない方もおかわり自由ですので、水分補給ちゃんとしてくださいね」
「ありがとうございます」
「なんとお礼を言えばいいか」
老夫婦は感謝の色を浮かべ会釈するも、サーバー解禁の報を受けた客たちは、脱水症状寸前まで追い込まれてたせいもあり堰を切って押しかける。
「割り込まないでよ私が先でしょ!」
「言ってる場合か引っ込んでろ!」
「押さないでちょっと!」
抗議の声を上げて争い合い、ドリンクサーバーから飲料を汲むなりその場に立ったまま一気に干す。
「皆さん並んでください、水はまだありますから!」
声を張り上げて事態の鎮静化を図る店長だが、極限状態に追い詰められた人間たちは目の色変えて命綱に群がる。
最前列の女が後ろの男に押されて転倒、ドミノ倒しに人だかりが崩れ、メロンソーダにオレンジジュースにアイスティーにカルピス、毒々しい液体が床一面にぶち撒かれる。
「やだもーサイテーどうしてくれんのよ弁償してよ!」
「ゾンビの血を浴びるよかマシだろ!」
ヒステリックな悲鳴と罵声が錯綜する醜い光景から目を逸らし、呟く。
「先に俺達がバテそうだな」
「本当に助けがくるのか……」
「忘れられてるんじゃない?」
サラリーマンが疑念を呈し、ギャルの片割れ追従する。
気詰まりな沈黙に嫌気がさして、隣の八尋に話題をふる。
「お前は?ファミレスで勉強してたの」
「涼しくて広くて気に入ってんだ、ここ。なんかはかどる」
「災難だったな、トラブルにまきこまれて」
「別に。どこにいたってシカトこけないだろ」
「そりゃそうだ、死んでも死なねえゾンビがわさわさ攻めてくるのに絶対安全な場所なんかねーか」
スマホの電池は残り少ない。さっきからカミさんにかけてるが繋がらねえ。内心の苛立ちをおさえ、八尋に聞く。
「お前は?かけなくていいの」
「家族や友達に?」
「カノジョは?」
「……いるけど」
「けど何」
「喧嘩中。最近上手くいってなくて」
そこまで口走ってから、初対面も同然の他人に話すことじゃなかったと唇を曲げる。わかりやすい。
「七瀬サンは……」
「あ~……全然」
「そっか……」
無事だといいな、奥さんと子ども。
そんな気遣いが妙に嬉しく心にしみる。八尋はイマドキっぽい垢ぬけた青年で、認めるのは癪だが結構なイケメンだ。ちょっと皮肉っぽい性格も女ウケしそう。
「もうやだ……明日ARASHIのライブ行く予定だったのに」
「元気だして響」
「こんなとこで死にたくないよ~ゆゆ」
「アタシだってマジ勘弁だし。リュウに告白してないのに死ねるかってのに」
啜り泣きに目をやれば、山姥メイクのギャルがスマホを見せあって互いに励まし合ってる。けなげだ。娘の十年後を想像して親心だか保護者欲だかが疼き、なにげない素振りで歩いていく。
「お嬢ちゃんたちも災難だな」
「は?何オッサンうざ。あっちいってろ」
響と呼ばれた付け睫毛のギャルの目が据わる。
「こんな時にナンパ?空気読めよ」
ゆゆと呼ばれた青いネイルのギャルが舌打ち。誤解だ。
ゆゆチャンの液晶の待ち受けは、根元が黒いプリンカラーのチャラ男だ。コイツがリュウとやららしい。響チャンの待ち受けは今をときめく男性アイドルグループARASHIだ。
みんなそれぞれ明日以降の予定が埋まってるんだと思うと感慨深い。
何もねえのは俺だけだ。
俺はずうずうしく女の子の隣にしゃがみ、手振り身振りをまじえて底抜けに明るくしゃべりかける。
「えーっと……この場に居合わせたのも何かの縁だ、めそめそすんな元気だせ。女の子は笑ってる方がかわいいぞ。それにそのARASHI?だっけ。そっちのカノジョがぞっこん夢中なイケメンアイドルグループだって今頃感染してっかもしんねーじゃん、そしたら仲良くゾンビの仲間入りで嘆くことねーし?肩を並べて歩けるチャンス到来だ、やったね。ゆゆチャンが告白予定のリュウクンだって……」
「サイテー!!」
ゆゆチャンがキレる。
「ぶは」
テーブルのコップをひったくって顔面に水をぶっかけ、ゆゆチャンが怒鳴りまくる。
「こっちは真剣に悩んでんだよ!茶化しにくんな!」
「お、俺だって場を和ませようと……」
「和まねーよばか!」
「もういいよゆゆ……」
「響は黙ってて!てゆーかさ、黙って聞いてりゃなんなの?仲良くゾンビの仲間入りとかさ。おっさんはそれでいいよ、老い先短いんだからさ。けどさ、アタシたちは今がいちばんなの!セイシュンど真ん中なの!恋もしたい、遊びたい、好きな人ができたらいろんなことしたい!」
「いろんなことって」
「そこはわかれよばか!手え繋いだりチュウしたり後ろから抱っこでゲームしたり、まーそんないろいろだよ!漫画喫茶の個室でいちゃいちゃも捨てがてーけど……ゾンビになったらそれできる!?できないっしょ!!あんなうぼーうぼあー言ってる目ん玉はみでたのとチュウとかしたくねっしょ上等!!」
「まあ……口臭キッツイよな……」
「ろくにコトバもしゃべれなくて!歩き方もギクシャクで!脳味噌溶けて人の顔もわかんないんだよ、誰がだれだかわかんないんだよ、そんなんじゃ告白したって意味ねっしょ、アタシのことわかんねーのにさ」
「…………」
「アタシだって……ゾンビになったら、告白なんてできっこない。リュウのことなんかどうでもよくなって、ただの食糧としか見なくなって……リュウがだれだかも忘れちゃって。好きだった気持ちおっことして、好きの一言もいえなくて。そんなのって……ゼツボウじゃん……」
「ゆゆ……」
感情を高ぶらせたゆゆチャンの拳が小刻みに震える。店内の客が心配そうにこっちを見る。
大粒の涙が目に盛り上がり、あとからあとから落っこちていく。
「響だってライブ楽しみにしてたんだ……」
「……うん。あたしなんかその他大勢のファンの一人で、きっと顔も覚えられてないんだろうなってそりゃわかるよ。でも……こんなことになって、ライブもパアになって……すっごい哀しい。ゾンビになったらもう生歌聞けないっしょ?サイリウム振って……あたしはここにいるんだ、ずっと見てるよって伝えたかった……」
響が落ち込む。俺は失言を悔やむ。
頭からっぽに見えて、女子高生コンビもちゃんと悩んでいた。
世間から見ればくだらないかもしれないが、本人達にとっちゃ世界で一番大事なことだ。
軽々しく慰めになんていくんじゃなかった。
「……わりぃ」
しぼりだすように詫びる俺と女子高生のあいだに、やんわりとした声が割って入る。
「人間生きてるとどうしたって心残りはありますよね」
老夫婦の老婆の方がしゅんとした俺をとりなし、旦那がゆゆチャンのスマホをのぞきこむ。
「この子がリュウくんかい?孫にそっくりだ」
「え」
「孫にそっくりならきっと心の広い優しい子じゃ。まだ手遅れじゃないぞいお嬢さん、思い立ったが吉日というじゃろ。その……すまほ?とやらで、想いを伝えてみてはどうかね」
「で、でも……電波の調子悪くて、繋がらなくて……」
「何度でも試せばいい。時間はたっぷりある」
人生経験豊かな老人の含蓄あるアドバイスに、すっかり大人しくなったゆゆチャンがこっくり頷く。
説得力の重みの違いか、俺の時とは態度が雲泥の差だ。
「その……ヤマアラシさんたちだって、今頃上手く逃げてるかもしれないじゃないですか」
「そう、だよね……ライブ中止かどうかまだわかんないもん、明日には全部解決してるかもしれないし……ありがとうおばあちゃん、ちょっと元気でた」
ヒモの功より年の功……当たり前か。
老夫婦が女子高生コンビをなだめているあいだにそそくさ退散する。
ほうほうのていで帰ってきた俺を八尋があきれた顔ででむかえる。
「無茶しやがって」
「うるせえ」
周囲じゃみんなスマホに齧り付いて大事なヤツに電話してる。
仕事の取引先だったり身内だったり、実家の親だったり……
「お母さん?うん……いまファミレス、昴さんや他の人も一緒。わたしは……いまんとこヘイキ。ゆうちゃん?お義父さんお義母さんが見てくれてる、ずっとだっこしてたから腕が痺れちゃって」
「ええ……はい……約束の時間に間に合わずご迷惑を。それどころじゃない?ええ、ですが大事な打ち合わせをすっぽかしたので一応お詫びの電話をですね……」
「ルミ?よかった~やっと繋がった……もうやだ、はやくうち帰りたい……ゾンビとかマジいい加減にしてよって感じ、アタシまだやりたいこといっぱいあんのに……」
スマホを宝物のように握り締め、それぞれの大事なだれかと会話する連中を見てると、俺だけのけ者にされたみたいでたまらなくなる。
疎外感と孤立感に苛まれ、手近な他人に身の上話の一端を吐露する。
「俺さ。離婚したんだよね」
「……え」
「カミさんに逃げられて……バツイチ。子供もいたんだけどさ、ヒモ同然の甲斐性なしだから……」
「まあそれは……そんなナリで真昼間っからファミレスに入り浸ってちゃ一目でわかる」
「うるせえよ礼儀として一応否定しろよ」
膝の間にがっくりと頭をうなだれ、未練がましくスマホに表示された名前を見詰める。
これまでのぱっとしない人生を回想する。どうにも根気が続かない性格で、相性が悪いヤツがいるとすぐ仕事をやめちまって、カミさんには苦労かけどおしだった。
「おまけにパチスロ狂いの競馬好き、趣味特技マージャンときた」
「ダメ男じゃん」
「るっせ。カミさんとは高校出てすぐデキ婚だったんだけどさ……子供はかわいいよ?そりゃもうすっげーかわいい、笑った時にできるえくぼが俺そっくりでやんの、血の繋がりを感じるね。でもだめなんだよ、どーにもすぐカーッとなっちまうたちで……むかつく上司や人としてやっちゃいけぬえことやらかす同僚がいると、こんなくそったれな職場辞めてやらあってカミさんと子どものことも忘れてすぐ啖呵切っちまう」
「人としてやっちゃいけねえことって」
「コンビニのカウンターにおいてあんだろ?恵まれない子ども向けの募金箱。アレをちょろまかしたり」
「……それ注意したの?」
「したさ。んでクビ」
「は、なんで?悪いのはそのネコババ野郎だろ、意味わかんね」
「だろ!?フツーそう思うよな、なんで俺がやめなきゃなんねーんだ理不尽だ!でもまあそいつ店長の遠縁だからしかたねえか……」
「しかたなくはねーっしょ」
八尋が納得できないと鼻を鳴らす。見かけによらず熱いヤツだ。好感度が上がる。俺はわざと軽薄に肩を竦め、なんでもないふうを装う。
「まあそんなくりかえしで、カミさんともうまくいかなくなって……もう会いに来ないでって面と向かって言われちまった」
「ずびし?」
「ずびしと」
「そっか……」
八尋が気まずげに呟く。同情が嬉しくて痛い。即席のバリケードを挟んだガラス扉のむこうじゃゾンビどもが暴れてる。このぶんじゃじき突破されそうだ。
俺はやけっぱちに唇をねじる。
「……このシチュでのんびり世間話って場違いだな。いっそ笑える」
「言えてる。みっともなくパニクるよりかいいんじゃない?」
「ゾンビに喰われる最期なんてぞっとしねえな……」
「食べられるなら爪先と頭のてっぺんどっちがいい?」
「どっちもやだ。せめて甘噛みで頼む」
なんて、軽口を叩き合って恐怖心をまぎらわす。体力を消耗したくないならじっとしてるに限る。
自衛隊のヘリは?素通りか?取り残された俺達に気付かず行っちまったのか、薄情な。
「…………」
さっきからチラチラとテーブルに目がいく。
大学生グループが陣取ってた席には片されない食べ残しが雑然と。まあこの一大事だから下げ忘れも無理ねえが、かえって不在が強調される。
さっきまでだれかがいた痕跡が生々しい。皿やコップが散らかったテーブル席から頑張って目を背ける。
八尋がポツンと呟く。
「アイツらさ……馬鹿だよな。真っ先にとびだしてったらやられるに決まってんのに」
「まあそうだけど……死んだ奴らのこと悪く言うなよ」
俺の注意はしれっと流し、あっけらかんと続ける。
「アイツらさ、元同級生」
「え、マジ?全然そんなふうには見えなかった」
「あっちは気付いてなかったしこっちはシカトしてたもん」
「それ……やっぱアレ?お前だけ落ちたから気まずいとか?」
「まあね……」
「気にするこたねえよ、一浪二浪なんてよくある話じゃん」
八尋は言いにくそうに口を結んでは曲げる。
「……大学生って馬鹿なんだな」
「え」
「俺だけ受験におちて勝手においてかれた気になってたけど……馬鹿さ加減は変わんねーじゃん。そう考えたらこんな時なのにちょっとだけスッとした。ざまーみろ」
「……屈折してんな青少年」
「どうも」
「まあ……アイツらの気持ちもわかんなくはねーから。こんなシチュに直面したらだれだってパニクる」
「死亡フラグ踏んでさ」
「そんだけ会いたいヤツがいたのかも」
思ったままを口に出す。
八尋が物問いたげな流し目をくれ、俺は頬をかく。
「フラグ踏み倒してまっしぐらに逃げ出したんだ。ゾンビをちぎってはなげ、大事なヤツんとこ飛んでこうとしたのかも」
「自分可愛さにしか見えなかったけど」
大学生連中と八尋はあんまり親しくなかったらしく、さっきから辛辣だ。
「まあ……それならそれでいいんじゃね?せっかく生まれてきたんだから生き汚くてなんぼだ。変に悟ったふりしてスカしてるヤツよかよっぽど生きてるって感じがする」
「……嫌味かよ」
「ぶーたれんな、個人の感想だ」
親、恋人、友達。
アイツらにもほっとけないだれかがいたのかもしれない。
俺はよく知らない。知る由もない。
「俺はいのちだいじにのコマンドを選択して連中はがんがんいこうぜを選んだ。そんだけの違いだろ」
「……?」
「……あちゃ~このネタ今の子にはわかんねーかそっか」
自分がおっさんだと痛感するのはこんな時だ。ジェネレーションギャップが痛い。
八尋が神妙な目を床に投じ、ぶっきらぼうに訊く。
「……七瀬サンはがんがんいく派に見えっけど」
もっともな疑問に、こちとら肩を竦めて苦笑いするっきゃない。
「ケッコンしてたらそうだろうな。今はプータローの独り身……カミさんと子どもに会いにとびだして、帰ってこなくていいって言われちゃかっこ付かねえ」
「かっこが大事なの?」
「男だかんな」
「奥さんと子どもより?」
痛い所を突かれた。俺はガキみたいに膝を抱え込んでふてくされる。
「……怖いんだよ。わかれよ」
「……」
俺はもう、アイツらにとって必要な人間じゃない。会いに行っても迷惑がられるだけだ。
それが怖くて血気さかんな大学生に続けなかった。
ゾンビがあふれて終わりも近そうな世界で、でもやっぱり、俺は俺の家族に拒絶されるのにびびってる。
「もうゾンビになるかなりかけてたら?何してる遅いって責められたらまだマシだ、そうしてくれれば救われる。けど……ドアの外の連中みたくなってたら……」
「わかんねーじゃんそんなの」
「電話にでねえ」
「……わかんねーじゃん」
「メールも」
「うだうだ言わずに会いに行けよ」
「お前が止めたんだろ」
「いやまあいま飛び出してかれても困るけど、ほぼ自殺教唆だし」
「行きてえけど死ぬの怖えよ。俺のせいで全部手遅れになってるのを確かめるのも怖え、怖え怖えめちゃくちゃ怖え。だったらこっからでねーほうがマシだ、しばらく食うのにゃ困らねーし安全だ」
「七瀬サンはいいの?」
「知るかよ」
わからない。わかりたくない。本当はどうすればよいのかなんてわかりたくもない。俺がこだわってんのは全部自己保身だ。子供に会いたい、アイツに会いたい、アイツらに会いたい。

でも、俺の顔を見たアイツらが喜ぶ保証がどこにある?

ぎゅっと膝を抱え込み、情けない顔を埋める。
「……ゾンビよりいやがられたら立ち直れねえ」
アイツらの元旦那で元父親の甲斐性なしが、ゾンビ以下に落ちぶれた存在じゃないとは言いきれない。
「……アンタの話聞いてると頭から消臭剤ぶっかけたくなってきた」
「だろうな」
八尋がスマホをいじりどっかにかける。彼女だろうか。目が真剣だ。なけなしの大人の分別を発揮してそっとしとく。
「もしもし……香奈?うん、俺は大丈夫。そっちは……腕に怪我?たいしたことないって……転んだだけ?よかった。ああうん、今ファミレス。前に二人でよくきてたとこ。その……気になって電話したんだけど。は?馬鹿泣くなよわかんねーよ。俺の声聞いて安心して?なんだそれ……」
はいはいごちそう様っと。
少し八尋から距離をとる。
八尋はスマホを握り締めて二人の世界にのめりこみ、頬に興奮の朱をのぼらせる。
「うん……うん……大丈夫だって、自衛隊も動いたんだろ。悪い方へ悪い方へ考えるの悪い癖だぞ。どんなウィルスかしんねーけど抗体だってできるだろうし……え?は?ちょっ待……」
八尋が絶句する。雲行きが怪しいぞ?俺は尻で這いずってまた近付く。
「たんま、もう一度。……デキた?デキたってなにが。子ども……?それマジ?え、だって……中に出して大丈夫な日だって言ったじゃん!?おい泣くなよ意味わかんねえ、ちゃんと説明しろ。たしかなんだな?医者に言われた?どうしようって……親御さんに相談は?まず俺に……って。そりゃそうだけど」
おいおいおいおいおい。
「このトシで父親って……俺もお前も予備校生だろ、今ガキ作ってどうす……産みたい?……わかった、その話はあとでゆっくり……は?ちげーよ、逃げてなんかねえって。ただいきなりの事で頭がパンクして……待て、それが原因で最近会ってくれなかったのか。ひとりで思い詰めて……もういい?もういいってなんだよ、こっちはちっともよくねえよ!!」
気付けば店内が静まり返っていた。全員が八尋と彼女の会話に耳を傾けている。サラリーマンは息を呑み、ギャル二人組は軽蔑のまなざしを送り、孫と若夫婦と祖父母はチラチラ目線をおくってくる。
「馬鹿野郎!!」
最後に大声で罵倒し乱暴に通話を切る。肩で息をして怒りをしずめる八尋に、ウェイトレスがおっかなびっくりおしぼりをわたす。
「あの……よければ……」
「ありがとうございます」
礼儀正しく述べておしぼりをひったくり、荒っぽく顔面を吹く。俺はようやく口を開く。
「あー……おめでとう?」
めでたくねえよとその顔色が物語っている。一浪だか二浪だか知らんが、予備校生にゃ重い報告だ。さっきまでの強がりが嘘のように意気消沈し、スマホを投げ出してがっくり落ち込む八尋に同情する。
ひとまずフォローする。
「元気そうだったじゃん、彼女」
「…………」
「腹の子も」
いけね、余計な一言だ。
微妙な沈黙が店内にたれこめる。外ではゾンビが不明瞭にくぐもった音声を放って暴れてる。
あれから数時間が経過した。
そろそろ客の体力と気力もギリギリだ。みんな顔色が悪い。俺も軽口が減って、さっきからムッツリだまりこんでる。スマホは相変わらず沈黙したまま、もうどことも繋がらねぇ。
外は黙示録の世界だ。だだっ広い交差点を徘徊するゾンビども、空は不吉に曇って灰色の雲が敷き詰められている。生きてる連中はどこいった、ちゃんと避難したのか?
どうかあの雑踏の中にカミさんと子どもがいませんように。
俺は、祈る。気も狂いそうに祈る。
「あははははははははは、もうおしまいだああああ!俺達みんな仲良く死んでゾンビに生まれ変わるんだああああらりほおおおおお!」
最初にプレッシャーに負けたのはサラリーマンだった。
突如として四人掛けテーブルにとびのって高笑い、ハードな腰付きで踊り出す。なんだコイツ社交ダンス経験者か?あっけにとられる俺をよそに、ギャル二人組がすっくと立ちあがる。
「……メイク直してくる」
だれにともなく告げ、女性用トイレに連れだってひっこむ。
ギャルでも女の子だ。涙と洟水で醜く溶け崩れた顔を人に見られたくないのだろうと哀れになる。
「ねえおかあさん」
「なあにゆうちゃん」
「お外真っ暗だね」
「そうね」
「ゆうちゃん、おうち帰りたい。そろそろカニパンマンはじまるよ」
「カニパンマンはあきらめてちょうだい」
「やだ!カニパンマン見る!」
「おねがいわがまま言わないでゆうちゃん、しずかにして……」
「やだーーーーーー!!」
小さい子が駄々をこね両親と祖父母がおろおろする。
子供が泣いてるのは見過ごせない。俺も一応人の親なのだ。助太刀しようと腰を浮かせかけ、トイレから響く絶叫に立ち竦む。
「なんだ!?」
この際遠慮はいらねえと先を競って女性用トイレになだれこむ。タイルの上にへたりこんで抱き合ったギャルの視線の先、正面の壁の天窓が開け放たれ、ゾンビが上体を突っ込んでる。
「いやーーーーーーーーーーー!!」
 
ウェイトレスが同じく腰を抜かし、店長が壁によりかかってずりおちる。
「ちょっ……入口さえ塞げば安全じゃねえのかよアグレッシブすぎる!」
「裏の非常階段を伝って来たんだ、窓の下に踊り場が」
「畜生!」
俺の行動は早い。掃除用具入れのドアを開けてモップをひったくるや、ゾンビの頭を力任せにぶん殴る。ガツン、良い手ごたえ。
「てめえらもボサッとしてねーで手伝え!」
傍観していた男連中が弾かれたように散って、各自手にしたモップやほうきやお盆で滅多打ち。
さいわい窓は大人ひとりが通れるかどうかのサイズで、ゾンビは肩が突っかえて詰まった状態。袋叩きにゃもってこいだ。
男連中に触発された女性陣も加わり、脱いだ靴やスマホや教科書入りのスクール鞄の角でこっぴどく殴りはじめる。
「くたばれこの野郎!」
「わたしは楽しい仲間とうきうきラブコメしたくてファミレスバイトにきたの、ホラーはジャンル違いでお呼びじゃないからひっこんでてよ!」
「バンビーナの平和は私が守る、賞味期限切れのお客様は窓から直接からお帰りください!」
ゆゆチャンがネイルでひっかいて響チャンが鞄からとりだしたサイリウムを豪速で振り抜きお盆で往復ビンタをくれるウェイトレスに続き、威風堂々と啖呵を切った店長が投げたのは―

塩。

目潰しの意図か、やぶれかぶれでたまたま掴んだのか。ゾンビの顔めがけ塩をぶっかけりゃ、変化が起きる。
ゾンビが死んだ声帯で絶叫し、その顔が瞬く間に爛れていく。まるで重度の火傷を負ったような反応に、一同呆然。
「浄めの塩が利いてる……!?」
「嘘だろ、非科学的だ」
おったまげる俺。八尋がぽかんとする。老夫婦がなむなむと手をあわせる。
「化学的にこじ付けると塩に含まれる何かの成分がゾンビの抗体になるとかそんな感じ……?」
「今だ!!」
ぐぎり、いやな手ごたえと共にゾンビの首がへし折れる。
ほぼ90度直角に曲がって……うえ、夢に見そうだ。
「死んだ……?」
全員息を切らして窓から上体をぶらさげたゾンビを囲む。
「映画じゃ頭破壊しないと死なないんだよね」
「やる?」
「え、やだ、キモい」
「だよね……頭潰すとかありえない、グロッ」
「とりあえず大人しくなったし様子見……?」
ゾンビの背広のポケットからスマホが落ちる。
反射的にそれを拾い待ち受けをチェック……鋭い痛みが胸を抉る。
「なに?」
寄ってくる八尋と店長、サラリーマンや女子高生に老夫婦、おっかなびっくり覗く一家にもスマホの液晶を掲げてみせる。
待ち受けに表示されていたのは、真っ白いお仕着せに包まれた新生児の写真。
「赤ちゃん……生まれたばっかだ」
「この人の子どもかな」
ゆゆチャンと響チャンが囁き、老夫婦が「気の毒にねえ」と同情する。
おそらく人の親だろう店長がやりきれず顔を歪め、八尋が痛みを堪えて俯く。
俺は無言でメールをチェックする。
大量の受信と送信……ゾンビ化して正気を失う寸前まで、家族と連絡をとり続けていたのだ。

『Re悠馬
ニュース見た?なんか大変な事になってる。ゾンビなんて信じられない……
そっちは平気?念のために晴を連れてお義母さんところに行って』

『Reはるか
渋滞すごい 車進まない 晴もずっと泣いてる
怖いよ悠馬……はやくきて』

『Re悠馬
急いでる おしめとミルクはもった?
お義母さんはなんて言ってるの 
ニュースは大袈裟に騒ぎすぎだ、気をしっかりもって
はるかはもう晴のママなんだよ
俺もすぐいくから』

『Reはるか
yuuma moudame osowarete madowarareta』

『Re悠馬
大丈夫かはるか 助けを呼んで 近くの人にきてもらって』

『Reはるか
harugakamareta tasuketeyuuma』

『Reはるか
sでぃあぽdじぇうぃおrじょlkfdsmlさめdl:w:dwぇ:えw;ld:じぇdwkdw;ljでk;』

『Re悠馬
晴?はるか?たのむ返事してくれもうすぐ着くかhjdさphjだk;jdqwdwqdwqjhd;jwqddqw』

メールの後半は派手に文字化けして解読できないが、意味不明な文字列の所々に、最愛の妻と子供の名前がまぎれこんでいる。
いま、俺達の目の前で、トイレの窓にぶらさがる男。
ゾンビになりはてた男は最後まで妻子の身を案じ、家にむかってひた走っていた。

『Re悠馬
ひdぁhじゃえkdんk;くぇjでqk:qはるかfhじぇwでhk;djな;ぇkだ7はるdsjkだljk;ldまk;いまいくあdshjだjsk;d』

愛する妻と、我が子を守ろうと。
もう全部手遅れで間に合わずとも、せめて最後は寄り添おうと―……

「…………」
窓から上体をたらしたまま、二度目の死をむかえた男の下にスマホを手向ける。
さっきまでアニメが観たいとギャン泣きしてたゆうちゃんが、母親に抱っこされたまま、不思議そうに指をしゃぶる。
「おじちゃん……ねんね?」
「そうよ……」
「こんなとこで寝ちゃだめだよ。ゆうちゃんはいい子だからおふとんで寝るの。ママがね、絵本読んでくれるんだよ。ねえママ、今日はなに読んでくれるの?ゆうちゃんカニパンマンがいい!」
「う…………」
耐えきれずに崩れ落ちる母親を父親が支える。どちらも泣いている。祖父母も互いに支え合って啜り泣く。
「ごめんねゆうちゃん……今日はご本、読めないかもしれない……」
「なんで!?」
「おうちに帰れないの」
「なんで!?ゆうちゃんおうちかえりたい、だめならばーばとじーじのとこいく!カニパンマンみたい、ご本読みたい、ゆうちゃんつまんないもうここやだああああ!」
死んだゾンビを囲んで黙祷する面々から少し離れた場所で、ゆうちゃんがばたばた暴れる。

真澄。
俺の娘も、絵本が大好きだった。
ゆうちゃんと同じ年の頃は、寝ても覚めてもカニパンマンにハマってた。

唐突に八尋が走り出す。
「どこいくんだ!?」
八尋が各テーブルに設置された食塩の瓶を持ってドアへ向かい、慌てて追いかける。
「香奈に会いに行く!」
「ばかっいくら塩が利くからってそんな……この数相手に自殺行為だ!」
ゾンビ避けの浄めの塩も無敵じゃねえ、それも量に限りがある。
八尋の肩を掴んで必死に止める、正気を取り戻したサラリーマンが「だめですよ外出たら」と羽交い絞めにし店長が「先走っちゃだめですお客さま他のお客さまの命に関わります!」と腰に組み付く。
火事場の馬鹿力で全員をずるずる引きずりながら、八尋が決死の覚悟で叫ぶ。
「もうすぐ世界が終わるかもしんねーのに彼女と子どもをほったらかしにできるかよ!」
八尋は本気だ。
たった一人で行こうとしてる。
「くッ……」
八尋の気持ちは痛いほどわかる。だからこそ辛い。トイレの方で悲鳴が飛び交い、ゆうちゃんをだっこした母親が駆けだしてくる。
「大変、窓からゾンビが」
「また!?」
「窓に詰まってた人をその、力ずくで引きずり下ろして……お互いを踏み台にして、また入ってこようとしてるの……」
詰んだ。
終わりだ。
もうファミレスも安全とは言えなくなった。
うちのめされた店長が膝から崩れ落ち、はははと力ない笑いを垂れ流す。
「もうだめだ……お客さんすいません、善処したんですが」
「諦めんなよ!」
「最後だけは店長じゃない……ただの父親にもどっていいですか?」
中年の店長が静かに問い、堪えていたものが噴き上げるように絶叫する。
「あずさあああああああああああ!百合ぃいいいいいいいいい!司ああああああああああああああ!」
たぶん、妻と子供の名前だ。
「やだよう……死にたくない……おかあさん……」
「まだリュウに好きって言ってないのに……」
「僕も……彼女にプロポーズしてから逝きたかった。三十前に結婚したがってたのに、仕事が忙しいの理由にのばしのばし……」
営業疲れしたサラリーマンが切実に吐露、悔恨の滲んだ声音で吐き捨てる。
「仕事は取り換えがきく。僕がやめても次がくる。でも彼女は……こんな僕を好きでい続けてくれた、彼女のかわりなんていないのに」

こんな俺を好きでい続けてくれた、アイツのかわりもいない。

「真理子……」
ねえどうしてそうなの?ちょっとはわたしと真澄のこと考えて。仕事はどれも長続きせず暇さえあればパチスロ通い、三十すぎてそんなんでどうするの?もうちょっとちゃんとしてよ、いい加減大人になってよ。
うざいお説教もいまとなれば懐かしい。別れた女房の顔が瞼の裏に浮かんでは消え、娘の笑顔にとってかわる。俺のもとから去った妻と子の面影をあざやかに想起、愕然と立ち尽くす。
ゾンビは怖い。死ぬのは怖い。一歩外は地獄だ。窓の外は死人がうろうろしてる、ウィルスが蔓延した世界の終わりだ。
だから?
ここももう安全地帯じゃなくなった。じきにゾンビが殺到する。
「八尋……どうしてもいくのか」
「うん」
「死にてえのか」
「死にたくねえ……ちびりそうに怖えよ。ぶっちゃけちょっともらした」
「それでも?」
「俺には塩がある」
八尋が両手に食塩の瓶を構え、強い眼光で正面を見据える。
「そばにいてやんねーと」
「ガキ孕ませたから」
「それもあるけど……」
八尋の耳には彼女の縋るような声の残響が響いてる。
衝撃の告白の余韻も。
「アイツ怖がりだから……ゾンビ映画、苦手なんだ。なのにゾンビにかじられて終わりじゃあんまりだ。もしゾンビになるとしても、一緒にいてやりゃ少しはマシに終われんだろ」
「すげー自信」
「腐っても彼氏だから」
八尋が泣き笑いに似た笑みを弱々しく浮かべ、きっぱり言い切る。
「だったら、とことん腐りぬいてやる」

彼女のために。
子供のために。

「……それ、お前が噛まれちゃ意味ねーじゃん」
「その時は……まあ、まわりがなんとかしてくれるだろって期待しとく」
「人任せかよ。無責任だなオイ」
「七瀬サンは?家族に会いたくねえの?」
ああ、お前はどうして。
「俺は……アイツに会いたい」
会いたいに決まってんだろ畜生、
「さっきの人みたいに会えずに終わっかもしれねえけど……でもあの人は、最後まであきらめなかった。最後の最後まで好きな人に好きって伝えようとしてた」
そうだ、アレを見て八尋は決心しちまったのだ。自分がいますべきことに気付いちまったのだ。
他の連中も神妙に八尋の言葉に耳を傾けてる。俺はもう、説得の言葉を持たない。八尋のスマホはとっくに切れて、俺のスマホもバッテリーが底を尽きかけてる。
これっきりなんて、いやだ。
「いのちだいじに、がんがんいこうぜ」
全員の視線が俺に集中する。
伝えたいことがある。会いたい人がいる。
明日どころか一秒先がどうなるかわからない荒廃した世界で、それ以外に優先すべきことなんかなにもない。
「!?ちょっアンタなに」
「やめろ、ゾンビが入ってくる!」
率先してバリケードを崩し始めた俺に一同おったまげる。
「俺たちがでたらすぐ塞いでくれ」
「俺『たち』……?」
八尋がぽかんとする。初めて見る表情がこんな時だってのに痛快だ。
「付き合うよ」
「ばっ……かじゃねーの!?」
「絶対死ぬっしょおじさん!」
「おじさんゆーな山姥コンビ」
響チャンとゆゆチャンがヒステリックに喚くのを流し、八尋の手から瓶を奪い取る。
「外に女と子どもがいるのはお前だけじゃねえ」
「…………」
八尋がぱくぱくと口を開け閉め、何か言いたげな顔をするが最後まで言わせない。これは俺が決めたことだ。
「お前、彼女から最後にきたメール覚えてる?」
「え……たしか雨の日に貸した傘はやく返してとか、そんなのだけど」
唐突な問いに面食らう八尋の純情ぶりがおかしく、苦笑い気味にあとを引き取る。
「俺はな……『はやくハンコかえして』だ。たった一言、そんだけ」
「…………」
「えらい違いだろ」
さっきのアイツと。
アレが最後だなんて、あんまりだ。
「アレっきりでおしまいなんていやだ。腐っても死にきれねえ」
トイレの方から濁った呻きと震動が這ってくる。
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「どのみちジリ貧、ここでこうしてたってラチあかねえ。電気も切れた、水道もエアコンも止まった、あと何日かすりゃみんな仲良く衰弱死だ。ゾンビもわらわら押し寄せてきやがる」
「だからってそんな、ゾンビの群れに突っ込んでくなんて」
しどろもどろ止めに入る店長にかっきり向き直り、これだけは自信がある、白い歯の輝く笑顔でキメる。
「ファミリーをレスしたまんま死にたくねえ」
「…………」
「それにさ、ファミリーレストランに盛り塩は似合わねえ」
だろ?と一人一人を見回す。
最初に一歩前にでたのは、外回りの途中で寄ったサラリーマン。
憔悴の相に決意の色を浮かべ、胸の前に鞄を持ち直す。
「このお店、外回りの途中によく寄らせてもらいました。エアコンの温度設定がちょうどよくて、清潔で快適で……お気に入りでした」
「……ご愛顧ありがとうございます」
「こちらこそ、長いあいだお世話になりました」
でしたと、わざわざ過去形にした意味を察さないほど鈍感じゃない店長が噛み締めるように感謝を述べるのに、営業ならではの腰の低さで会釈を返す。
「……そろそろ休憩は終わり、仕事の再開です」
「こんな時に……」
「人生一番の大仕事です。今度の取引先は手強いですからね……給料三か月分の手土産を用意しないと」
宝石店まだ開いてるかなと呟く横顔は案外タフだ。
次に歩み出たのは女子高生コンビ。泣き腫らした目をしばたたき、顔を見合わせてこっくり頷く。
「……ARASHIのライブ、行きたいもん」
「スマホがだめならしかたない。じかに会いに行くっきゃない」
「もうやんないかもしんないけどさ」
「もうだめかもしんなけどさ」
「諦めたらそこでライブ終了でしょ」
「告白前に死んだら死にきれなくて腐っちゃうよ、それはいや。どうせならキレイに死にたいもん」
「それにそれにどっかに避難してるメンバーと合流できっかもしんないし!そっからラブに発展しちゃうかもしんないし!ほらアレだ、心理学でゆーなんだっけ……」
「吊り橋効果?」
「そうそれ!」
「リュウが死んでたっていい……いやよくないけど、ゾンビになってたらそれはそれで。一緒にガンガン逝くのも悪くないじゃん?」
「少なくとも、ファミレスで死ぬよかマシ」
「あのおじさんみたいに……さ」
響チャンとゆゆチャンが、お互いの手をぎゅっと握り締める。
老夫婦が同時に踏み出す。
「孫の野球の試合がもうすぐなんですよ」
「たのしみにしてたんですよね、おじいさん」
「おばあさんこそ」
「応援にいってあげなきゃ寂しがる」
「なんだか大変なことになってしまったけど……ゾンビィだって野球はできますよね?」
「息子夫婦と孫が心細い思いをしてたら盛り塩の知恵を教えてあげなきゃいけませんしねえ」
「くたばりぞこないがくたばりはてるのを恐れちゃこの国は回りません」
数珠を巻いた手をしっかりと繋ぎ合い、微笑む。
最後は若夫婦と祖父母の一家だ。両親は何も言わず、祖父母も何も言わず、ゆうちゃんの意見を尊重する。皆の注目を浴びたゆうちゃんはのほほんとした顔で、たった一言……
「ゆうちゃん、おうち帰りたい」
母親にギュッとしがみ付き、懐かしの我が家を思い出してしあわせそうに微笑む。
「パパとママとじーじとばーば……みんながいるの、ゆうちゃんちだもん」

ファミレスはファミリーをレスした奴らが集う場所だとだれかが言った。
それでも。だからこそ。
俺達は塩を装備して、なくしたものを取り返しにいく。

「皆さん……本気ですか?」
「あたぼうよ」
「しかたありませんね」
店長が深々と嘆息、奥へと引っ込んで戸棚をあさって返ってくる。
再び戻ってきてドンと段ボールをテーブルにおく。中にはたんまりと食塩を詰めたビニール袋が。
「食塩の在庫ありったけもってきました」
「店長……!」
「お客さんだけで行かせられません。最後までお付き合いします」
「私も家族が心配ですから」と面映ゆげに付け加える上司に、悩んだ末ウェイトレスも覚悟を決める。
「わた、わたしも……一緒に行きます」
「無理はしなくていいよ」
「いいえ……ラブコメの野望はあっけなく潰えましたけど、店長のことは嫌いじゃないから……バンビーナのウェイトレス代表として地獄の底までお供します」
どさまぎでの思いがけぬ告白に店長は大いに慌て、「え?え?」ときょろきょろする。挙句ウェイトレスに押されてテーブルに接触、ずりおちかけた段ボールを「おおっと!」と支える。
「奥田くん……私には愛する妻子が」
「かまいません!片想いは慣れてます!」
「こんな加齢臭くさい中年にかい……?」
「むしろ年の差萌え!四十路すぎの枯れたおじさんの魅力にぐっときます!」
力強く性癖を主張するウェイトレスを一瞥、「決まったな」と場をまとめる。

帰りたい場所がある。
会いたいヤツがいる。
それなら、ゾンビなんて怖かねえ。

全員手分けして椅子をどかし、食塩の瓶にスクール鞄に銀盆に数珠にフォークにナイフ、武器になりそうなものを装備してスタートラインに並ぶ。
最初は嘆き悲しんでいた客の誰もすっかり立ち直り、毅然と前だけ向く。
「もうすぐおうちよ、ゆうちゃん」
「やったあ!カニパンマンまにあうかな」
「急いで帰ろうな」
「大丈夫、ばーばとじーじもいるから……」
ご機嫌に笑うゆうちゃんに両親が頬ずりし、その若夫婦を祖父母が支える。
「ARASHIのライブ……絶対いく……限定グッズゲット……」
「待っててリュウ……」
女子高生がばっちりメイク直しした顔で抱負を語り、店長とウェイトレスが背中合わせに位置どる。
「ラブコメしたくて入ったけど、おっさんずラブに走るなんて自分でも意外でした。そっち方面もイケたんですね、わたし」
「その……本当にいいのかい?」
「いいんです、片想いで。奥さんと子どもさん一途な店長だからこそ好きになったんです。でもきっと、お客さんを見捨てて自分だけ逃げてたらゲンメツしました」
「…………」
「店長の店長として意識高いトコ、大好きです」
「……バンビーナは愛娘だからね」
彼女にプロポーズを決めた営業マンが、ガラス扉の向こうに口を開ける暗闇を睨み据える。
「サービス残業のブラック企業、炎天下の外回、体育会系のパワハラ上司、消化できずに溶けた有休、一か月に達成しなきゃいけないノルマ、決算中のフリーズに次ぐブルースクリーン…生きてる人間にはなぁ、もう死んだお前らより怖いもんがたくさんあるんだ!営業マンなめるなゾンビども、社畜の意地を見せてやる!!」
そして俺は……
「準備はいいか、八尋」
「オーケー、七瀬サン」
「塩持ったか?」
「そっちは?」
「上等」
八尋がすぅと深呼吸し、痩せ我慢とよぶのも痛々しい汗みずくの笑みを拵える。
自分の子供と彼女に文字通り死ぬ気で会いに行こうとする、勇敢な男の顔だ。
テーブルに放置したコップの氷はすっかり溶けきってぬるい水になってる。
景気付けにそれを飲み干し、無造作に顎を拭く。
「俺、生きて帰れたら就職するんだ」
「奥さんとヨリ戻すのが先だろ」
「ノリわりぃな、お約束だろ」
「じゃあ俺も……生きて帰れたら、香奈とケッコンする」
「俺とお前、あわせて七転び八起きコンビなら無敵だ」
「七回転んで無敵って言えんの?」
「言えてる」
俺は吹き出す。八尋も笑ってる。
笑いの余韻を口の端に留め、まなじりを決して前を向く。
「八回目に立ち上がりゃチャラだ」
まずはここを生きて出てからの話だ。
「「逝くぞ!!」」

そうして俺達は『バンビーナ』をあとにした。
ファミリーをレスしたままじゃ、ひとは死んでも死にきれない。ファミリーレストランに盛り塩は似合わない。
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