少年プリズン

まさみ

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三百三十二話

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 ケツが痛え。
 「くそっ、レイジの奴容赦ねえ」
 怒りに任せて腕を振り上げるも腰に力が入らず、鍬の自重に振りまわされてたたらを踏む。地面に鍬を突き立て舌打ち、背中に手をあて腰をさする。
 ケツが痛いのはレイジに抱かれたからだ。
 夕飯どきで廊下がうるさかったのが幸いした。ちょっとくらい声が漏れても気付かれないからだ。廊下にごったかえした囚人どもは今日一日の愚痴やら不満やら鬱憤やらをぶちまけるのに手一杯で、闇に沈んだ格子窓の向こうで何が行われてるかなんて気にもしなかった。
 勿論、声が漏れないよう自制心を振り絞った。
 俺は上着の裾を噛んでぎりぎりまで声を殺した。おかげで上着の裾に歯形が付いて、犬歯が突き破った個所に穴が開いちまった。
 実際よく我慢したと思う。
 初夜がバレて自慰がバレて乳繰り合いがバレたあとに房の中でひっついてるのがバレたらさすがに立ち直れない。金輪際表歩けなくなる、東棟で生きてけなくなると言い聞かせて根性入れて噛み殺したのだ。レイジはにやにや笑いながら、上着の裾を噛んで快感に耐える俺のこめかみに何度もキスをした。
 野郎、絶対わざとだ。
 よっぽどぶん殴ってやろうかと思った。
 だが、こぶしを振り上げたそばから避けられてとんでもないことを揉まれたり扱かれたりするもんだからすぐさま気力が萎えた。
 『感じてるお前すっげかわいい。たまんねえ』『食っちまいたい』と熱い吐息に紛れて耳元で囁かれた。憎らしいことに、レイジときたら行為の真っ最中でも笑顔を絶やさず殺し文句吐く余裕すらあったのだ。
 まあ、レイジのテクは健在だったとだけ言っとく。あいつの名誉と言うよりむしろ俺の名誉の為に。あいつの下で涎たらして腰振って喘いだのは、俺が淫乱だからじゃなくてレイジが上手すぎるからだ。
 一回目より良かったような気がするが、よくは覚えてない。ヤってる最中は頭が真っ白で他に気を散らす余裕もなかった。自分でも無茶したもんだとあきれる。こないだ処女くれてやったばっかりなのに日を空けずに抱かれて体にガタがきたのは当然といや当然の成り行きだ。
 自業自得。
 俺を抱き終えたあと、ちゃっかり『三回目も期待してるぜ。抱くたび感度よくなるもんな、お前』と付け加えたレイジをぶん殴ったことを回想し、低く笑いを漏らす。
 「ゲンキンな奴」
 ま、ちょっとは元気になったみたいでよかった。王様にシケたツラは似合わねえ。レイジにはいつも大胆不敵に笑っててほしい。黄昏の闇に包まれた房の奥、洗面台に屈み込んで憑かれたように十字架洗い続けるレイジを見た時の戦慄が甦り、中途半端に笑いが途切れる。
 暗闇に溶けた背中を見たとき、コイツに笑顔が戻るならいくらでも抱かれてやると決意した。いくらでも体をくれてやると決意した。
 傷だらけの十字架を掌に抱いて、途方に暮れたように項垂れるレイジは、自分の足元も見えない暗闇に立ち竦む捨て子みたいだった。一縷に信仰に縋って愛を乞い求める姿が痛々しくて、俺はレイジを失ってしまう予感に怯えた。

 レイジを失う?

 まさか。
 くだらない連想を笑い飛ばそうとして失敗、首を振る。レイジが俺のそばからいなくなるわけない。レイジはずっと俺のそばにいると約束した。予感なんてあてにならない、気に病み過ぎだ。そう自己暗示をかけて不安をごまかすが、鍬を握る手に動揺がでる。思い切りよく振り上げ振り下ろした鍬の自重に引っ張りまわされ、重心がぐらつき、足が縺れる。
 しまったと思った時には視界が反転、鍬を放り出してひっくり返る。
 「~~っでええええええっええ!?」
 砂に尻餅付いた衝撃で腰に激痛が走った。
 よそ見してたせいで目測が狂った。注意力散漫は怪我のもとだ。
 砂に尻を埋めて激痛がおさまるのを待ち、腰の後ろを手で支えて慎重に立ち上がる。
 「痛え~~~~~くそ、尻が三つになっちまったかと焦ったぜ……」
 肛門の裂傷は完治してない。わがまま許されるなら激しい運動は遠慮したいところだが、そういうわけにもいかないのが囚人の辛い所だ。
 背中に手をあて腰を浮かし、年寄り臭いポーズでざっとあたりを見まわす。 イエローワークの囚人どもは無駄口も叩かず必死こいて働いてる。目下、俺の担当するエリアでは用水路建設が急がれてる。砂漠に用水路を引いて畑を耕そうって計画だが、現場監督を担う看守の指揮下で土嚢を積んだりリヤカー引いたり牛馬のように酷使される囚人の身になりゃ、労働量が以前に比して倍増して迷惑の極みだ。
 それに加えて、三日前にジープ乗り付けた所長がとんでもないことぬかしやがった。
 『休みが欲しいなら働け。過酷な強制労働を続ければやがては体を壊して使い物にならなくなる。諸君らは休みを渇望している、一日中ベッドに寝転んでいられるならそれに越したことはないと思っている。ならば要望を受け入れよう。ただしその代わりに三日後までに用水路を完成させるんだ。もし一日でも完成が遅れた場合は今ここにいる者全員を連帯責任で処分する』
 一語一句はっきり覚えてる。あんまり自己中な物言いに現場の囚人全員腰を抜かした。三日前に視察に訪れた但馬の兄貴、レイジの十字架をぼろぼろにしたくそったれの所長殿は、汗みずくで砂掘りに勤しむ囚人を見下して一方的に宣告したのだ。
 三日で用水路完成させるなんざ不可能だ。
 人体の限界を超えてる。
 どんなに急ピッチで作業進めても最低一週間は費やさなきゃ実用に耐える設備なんて造れるわきゃない。
 砂漠の地盤は崩れやすい。足元はさらさらと流動する砂だ。掘っても掘っても崩れてくる砂を土嚢で塞き止めて用水路を拡張する工事は、賽の河原で小石を積んだり蟻地獄から這いあがるのと同じ類の不毛な悪循環だ。
 進行状況は芳しくない。直射日光に焼かれてぶっ倒れる囚人が後を絶たず、現場は慢性的な人手不足で作業は遅遅として進まない。
 一向にはかどらない工事に苛立ちを募らせた看守が罵声を飛ばして囚人を蹴り倒す。現場のイライラは頂点に達してる。
 いつ不満が爆発してもおかしくない一触即発の空気。
 うんざりとため息をつき、足をひきずるように歩いて鍬を拾い上げる。
 どいつもこいつもぴりぴり殺気立って現場の雰囲気は最悪だ。但馬が来てから現場の雰囲気は変わっちまった。いや、これは何もイエローワークに限ったことじゃない、東京プリズン全体に言えることだ。
 但馬の兄貴が所長に就任してからというもの、看守は以前にも増して囚人に厳しくあたるようになり、虐げられる側の囚人のあいだには不満が燻りはじめた。そのうち一揆が起きるんじゃないかと俺は内心ひやひやしてる。
 俺たちの手にある鍬やシャベルが翻って凶器になって看守を撲殺する日が近く訪れるんじゃないかと、そんな気がしてならないのだ。
 「あ」
 15メートル遠方に鍵屋崎を発見。用水路の地ならしをしてるようだ。
 顎先から汗をたらし、シャベルに縋り付くように呼吸を整えて作業再開。今にもぶっ倒れそうに疲労困憊の様子で、五回に一回の割合でシャベルに寄りかかって喘息持ちの患者みたいにぜいぜい言ってて、見てるこっちが心配になってくる。
 苦しげに呼吸を整える鍵屋崎を遠目に確認、さっとあたりを見まわす。
 班の連中はそれぞれ作業に没頭してて、俺の存在なんか完璧に意識から閉め出してるから、二・三分離れたところで気付かれる恐れはない。パッと行ってパッと戻ってくりゃ大丈夫だろうと鍬を放り出す。
 「鍵屋崎、無理すんなよ。お前が倒れたらサムライが、」
 俺の言葉を遮ったのは、膨大な砂煙とジープのエンジン音。
 「精がでるようで感心だな。今日で時間切れだが、作業の進み具合はどうかね」
 ざくざく砂を踏んで律動的に歩いていたのは、スーツ姿の但馬所長だ。
 眼鏡のブリッジを神経質に押し上げて、爬虫類の冷光を宿した双眸で現場の囚人をねめつける。
 但馬の後ろには影のように安田が控えていた。眉間に皺を刻んだ苦渋の面持ちには、エリートの矜持を捻じ曲げてでも上司に従わざるを得ない屈辱感が表れていた。中間管理職の悲哀ってやつか。詳しい事情は知らねえけど、副所長も大変だ。 
 同情的な眼差しを安田に送った俺の耳に、予想外の言葉がとびこんでくる。
 「看守に告ぐ。用水路建設にあたった囚人を私の前に集めて並ばせろ。愉快なショウを始める」
 「ショウだって?」
 脳天からすっとんきょうな声を発した。他の奴らも似たり寄ったりだ。ショウってなんだよ一体、連帯責任で処罰するんじゃなかったのよ?
 「愚図愚図すんじゃねえっ、新所長さまがお怒りになるだろうが!」
 「さあ行った行った、新所長さまの命令に従え!」
 「お前ら囚人がちんたらやってるせいで俺たち看守までとばっちり食うのなんざごめんだ!」
 用水路に飛び下りた看守が腰の警棒を抜き、容赦なく囚人の背を殴打。
 背中を殴られ肩を小突かれケツを蹴飛ばされた囚人たちが這う這うの体で斜面をよじのぼり、砂に足をとられながら所長の前に並ぶ。踏んだり蹴ったりさんざんな目に遭って所長の前に整列した囚人たちはその時点で全員ボロボロだった。もちろん俺も例外じゃない。
 「そこのチビ、とっとと列にならばねえとケツの穴に警棒突っ込むぞ」
 「もう開通してるっつの」
 看守の怒声に首を竦めて駆け足、砂を蹴散らして列に加わる。
 たまたま隣に鍵屋崎がいた。やった。幸運に感謝して声をかけようしたら、どうも様子がおかしい。
 「鍵屋崎、どうし」
 「黙っていろ」
 ……なんだよ、せっかく心配してやったのに。
 不貞腐れて黙り込んだ俺のちょうど正面に但馬がいる。
 開口一番、但馬は断罪した。
 「諸君らは重大な罪を犯した」
 「大袈裟な。用水路の完成が間に合わなかっただけじゃねえかよ、なあ」
 「口を慎め」
 鍵屋崎に同意を求めたら叱られた。聞こえたわけじゃないだろうが但馬の目つきがいっそう鋭くなる。
 「君たちが全力を尽くせば三日以内に用水路が完成したはず、しかし現に用水路は未完成のまま放置されている。嘆かわしい惨状だ。諸君らはやればできる子だと思っていたのに、私の期待を裏切った罪は重いぞ。なあハルよ」
 犬がわんと吠える。

 「無能な家畜にはどんな罰が適切か考えた。そして名案が閃いた。ハルは知能の高い犬でね、主の命令は何であろうと忠実に遂行する。愚鈍な家畜は屠られても文句は言えない。労働の役に立たない家畜に生存権はない。しかしただ殺すだけでは芸がない、見せしめにならない。
 私は諸君らを末永く飼い殺したい、生かさず殺さず手綱を緩めて馬車馬のように酷使して最大限の利益を上げたい。諸君らが過労死したところで知ったことではない、いくらでも人員補充は利くのだ。
 現在日本では一年百万件近い犯罪が発生してる。暴行・傷害・強姦・誘拐・強盗・殺人……その多くが義務教育すらろくに受けず戸籍すら持たないスラム育ちの青少年、淫売と酒乱の落とし子、品性卑しく語彙に乏しく無知無教養な家畜ども……すなわち諸君らだ。
 しかし私は寛大だ。諸君ら愚鈍な家畜を労働の喜びに目覚めさせ更正に導くのが使命と自負してる……が、労働意欲が根本的に欠落した家畜も中にはいる。怠惰な家畜は群れを腐らす、周囲に悪影響を与えるだけだ。ならば早急に狩り出す必要があろう。劣等種は排除せねばな」

 演説を中断した但馬が俺の足元に目をとめる。
 「靴を脱げ」
 「は?」
 「聞こえなかったか?裸足になれと言ったんだ」
 企み顔でほくそ笑む但馬とまともに視線がぶつかる。口元を歪めた皮肉な笑みは東京プリズンを去ったタジマと酷似していた。俺はタジマにされた数々の出来事を思い出した。警棒で殴られた、医務室で自慰を強制された、扉をぶち破って犯しに来た、そして……数え上げたらきりがない。
 不審顔を見合わせながらも唯々諾々と靴を脱ぎ、囚人が裸足になる。
 所長に逆らうのは得策じゃないとだれもが肝に銘じていたのだ。
 所長にたてついたら独居房送りじゃすまない、もっと陰湿で陰惨な罰が待ち受けてる。イエローワークの囚人はひとり残らずあの時あの場にいた。無敵の王様が地べたに這いつくばって、小便くさい十字架を拾い上げるさまを一部始終目に焼き付けたのだ。
 犬のように卑屈に但馬の顔色を窺いながら、スニーカーを脱ぎ捨て、裸足になる。
 「!っ、」
 裸足で砂を踏み、顔を顰める。熱い。太陽の熱で温められた砂を踏めば、踝までずぶずぶ沈み込んでく。足裏が火傷しそうだ。灼熱の砂を踏んだ囚人が次々に情けない悲鳴をあげる、膝を抱いてとびあがる奴や足裏に吐息を吹きかける奴もいる。
 足裏の皮膚がじりじり焼けていく。
 「あっちー」「見ろよ、赤くなってる。火傷しちまった」「焼けた砂の上でダンスでも踊らす気かよ」……周囲から不満の声が聞こえてくる。俺は体の脇でてのひらを握りこみ、一分一秒でも早く靴を履けと所長が命令してくれるよう念じた。
 けど、罰にしちゃ少しなまぬるい気がする。焼けた砂の上に裸足にして立たせるだけじゃねえか。最もこれが長時間に及んだらたまらない。足裏の皮膚がべろりと剥けて赤黒い肉が露出して俺たちは激痛に身悶えるはめになる。待てよ、それが狙いか?三時間でも四時間でも五時間でも最悪半日でも俺たちを灼熱地獄に立ちっぱなしにして、上から直射日光で、下から砂で、じりじり炙ってくつもりなのか? 
 だが、予想は悪い意味で裏切られた。
 裸足で立ち尽くした囚人たちを見まわし、但馬は言った。
 「では、獣姦ショウをはじめる」 
 耳を疑った。囚人も看守もあ然とした。獣姦?意味がわからぬまま但馬の隣の犬を見る。一目で血統証つきだとわかる漆黒の毛艶のドーベルマン、筋肉の躍動を感じさせるしなやかに引き締まった体躯。
 獣姦。まさか。
 「ハルは鼻がいい。群れの中から無能な家畜を狩り出すのがお前の使命だ」
 ズボンの膝が汚れるのも構わず砂に膝をつき、口腔から滝のように涎を垂れ流すドーベルマンを抱きすくめ、頬擦り。興奮に息を荒げたドーベルマンが長い舌で但馬の顔を舐める。但馬は前にも増して激しく犬の頭をなでまわす。
 「お待ち下さい、所長!それはあまりに非人道的です、犬に人間を襲わせるなど!」
 口腔から零れた涎がぼたぼた砂に染みを作る。間違いなく、犬は発情していた。今すぐにでもとびかかりたいが飼い主の合図があるまでジッと我慢、飢えに爛々と目をぎらつかせて指示を仰いでる。たまらず割って入った安田が看守に押さえ込まれる。看守二人がかりで押さえ込まれた安田が顔面から砂に突っ伏し、衝撃で乱れた髪が憔悴した顔を縁取る。
 狩猟本能を剥き出して威嚇の唸りをあげるドーベルマン。
 尖った犬歯を剥いて獰猛な唸り声をあげた犬が、前脚を屈めて跳躍の姿勢をとる。
 「逃げろ!!」
 均衡が破れた。緊張の持続に耐えかねた囚人が両手のスニーカーを投げ捨てる、恐慌をきたした囚人が続々と後に続く。意味不明な奇声を撒き散らして我先にと逃げ出す人ごみに揉みくちゃにされながら、鍵屋崎にむかって必死に手を伸ばす。
 「鍵屋崎!」
 「ロン、逃げろ!」
 「所長!」
 俺と鍵屋崎と安田と、砂煙に巻かれて逃げ惑う囚人の悲鳴が交錯する。目に染みる砂煙に抗い、鍵屋崎の手を掴もうと煙幕の向こうに腕を伸ばした―
 瞬間だった。砂色の煙幕を突き破り、一匹の犬が踊りかかってきたのは。 
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