278 / 376
二百七十五話
しおりを挟む
ロン大丈夫か?顔色悪いぞ。
そんな真っ青な顔して無理すんなよ、まだ序盤だぜ。
最後まで聞く?はは、上等だ。たいした度胸だな。あとで熱だしても知らねえぞ……よし。じゃあ続けるぞ。ええと、どこまで話したっけ?俺の出生の秘密までだっけ。
種を明かしちまえば何てことない。俺はフィリピン人のマリアが米兵に強姦されてできた子供で、この世に産まれ落ちてすぐ殺される運命だった。名前もつけられずへその緒で絞め殺される運命だった。
そうならなかったのはたんなる偶然、きっかけはほんのささいなこと。俺はマリアの顔を見てくしゃっと笑った。猿みたいにちんまりした赤ん坊に顔をくしゃくしゃにして笑いかけられたらそりゃ殺意が萎えるだろ。
聖母マリアは厩の藁床でイエスキリストを産んだ。俺はじめじめと薄暗い路地裏でマリアの股の間から落っことされた。
赤ん坊を抱いたマリアは途方に暮れた。
頼れる人間なんかだれもいない。俺は幸い一命をとりとめたけど、マリアはたぶん育てる気もなかったんじゃないかな。
へその緒も切らずにどっかに捨てようと路地裏うろついたけど、なかなかいい場所が見つからない。雨風しのげる軒下とかいい場所見つけて置き去りにしようにもいざとなりゃ踏ん切りがつかない。だれにも見つけてもらえなかったら凍死か餓死だ。
おかしいよな。さっきまで自分の手で息の根止めようとしてたのに、置き去りしたあとに独りぼっちで泣き喚く赤ん坊のこと考えたら手放せなかったらしい。
母親って不思議な生き物だよなあ。まあマリアは聖母みたいに優しい女だから、一度正気に戻ったあとは我が子を置き去りにできない矛盾と葛藤に苦しんだ。
赤ん坊を抱いたマリアは路頭に迷った。
汚いボロ衣でくるんだ赤ん坊を胸に抱いて、放心したように虚ろな眼差しを通りに投げかけるマリアの姿は本当に聖母さまみたいで、通行人はみんなマリアに同情して小銭を恵んでくれた。
ある日、そんなマリアにひとりの男が声をかけた。ナンパじゃないぜ?残念ながらそんな不埒な動機じゃない。道端に座りこんでガキに乳含ませてる女をナンパするのはさすがの俺でもちょっと勇気いる。
要するに、マリアはスカウトされたんだ。
人材さがしに街さまよってた反政府ゲリラの一員に、な。
マリアが流れ着いた最果ての街には、米軍のゲリラ狩りで滅ぼされた近隣の村々から命からがら逃げてきた連中がたくさんいた。マリアとおなじように米兵に誘拐され犯されて飽きたらポイされた女はうじゃうじゃいた。失う物がなにもない連中は手段を選ばず命を惜しまないから、ちゃんと教育すれば優秀な兵士になる。
家族を殺したやつらが憎くないか?村を滅ぼしてお前の人生を奪ったやつらに復讐したくないか?
ゲリラのスカウトは浮浪者やら孤児やらを言葉巧みに勧誘して優秀な兵士に育て上げた。ひときわ目をひく美貌のマリアをゲリラのスカウトが放っとくわけがない。子持ちのマリアにも仲間に入らないかとお声がかかった。ゲリラとして立派に戦って、お前をそんな目に遭わせた連中を皆殺しにしたくはないか?マリアは断らなかった。どうせ他に行く場所も帰る場所もない、頼れる人間もいない。このままでは遅かれ早かれ母子ともに飢え死にするか野犬の餌食になっちまう。
家族を惨殺して自分を孕ませた憎い男たちに復讐できるかもしれないという話は、マリアに生きる目的と一縷の希望を与えた。マリアは反政府ゲリラの一員として二度目の人生を歩みだそうと決心した。
他にはもう何も残されてなかったから。
選択肢はなかった。知ってる?民間ゲリラには年端もいかない女子供がたくさんいて、重要な戦力として重用された。
女子供にも区別なく差別なく過酷な戦闘訓練を施し一人前の兵士に育て上げた背景には、かよわい女子供には敵も隙を見せ接近を許しちまう現状があった。狩りの対象として侮られがちな女子供がひとたび命を投げ捨て殺戮をためらわない兵士になれば、普通の男よりよっぽど手強い敵になる。とくにマリアは美人だから、ナイフの扱いを覚えりゃ敵が鼻の下のばしてるあいだに頚動脈掻っ切ることもできる。
以上の経緯で、マリアは米軍と熾烈な激戦を繰り広げる反政府ゲリラに迎え入れられた。もちろん俺も一緒だ。マリアはゲリラが拠点にしてるキャンプでいちから銃器の扱いをおぼえナイフの扱いを仕込まれて、日々厳しい訓練に耐えぬき人殺しの腕を磨いた。
復讐心てのは偉大だ、時にはひとを生かす原動力になる。
マリアは両親の仇に復讐したい一念でたゆまず訓練に励み、五指を組んで祈ることしか知らなかった華奢な手で拳銃の分解と組み立てを会得し、自分の上に跨った男の頚動脈をナイフで掻ききる技を覚えた。
俺はゲリラのキャンプで育ったの。
首都マニラから50キロほど離れたところにある民間ゲリラの村。
ああ、そうだ、言い忘れてた。あとでわかったんだけど、マリアがスカウトされた理由は特別若くて綺麗な娘だって以外にもうひとつある。赤ん坊を抱いてたからさ。それもただの赤ん坊じゃない、一目で白人との混血だってわかる赤ん坊だ。
同時期、上層部の人間はマリアとおなじ境遇の女を血道あげて集めてた。
米兵に強姦されてガキ孕んで母子ともども路頭に迷ってる女をスカウトして、早い段階で母親と子供を引き離した。米兵は日常的に略奪と暴行と虐殺をくりかえしあちこちの村から女をかっ攫ってたから、望まぬ妊娠をした娘を見つけるのはむずかしくなかった。
ゲリラの真の目的は母親よりむしろ、米兵に強姦されて産まれてきた望まれないガキども。だれからも祝福されず母親の股から産まれ落ちたガキどもを一箇所に集めて……
さて、問題。なにしようとしたんだと思う?
答え。子供の暗殺者を作ろうとしたのさ。
物心つく前のガキの時分から徹底的に人殺しの知恵を叩きこんで、子供の暗殺者をつくる計画だったわけ。子供の暗殺者は有効だ。厳戒体勢を強いられた戦時中でもガキが相手なら大人は油断する。フィリピンの村々で略奪や暴行や誘拐をくりかえしてた米兵の中にも、不思議と子供には甘い連中がいるんだな。もともと子供好きなのか、自分の腰までもないチビなら危険もないと踏んだのか、道端にうずくまってる浮浪児に飴やらチョコやら握らせるヤツが米兵にも大勢いた。
いたいけな子供が行き場を失い路上に座りこんでる姿は、実際同情を誘う。
子供の暗殺者なら警戒されずに標的に近付くことができる。上の人間はそう考えて、俺とおなじ境遇のガキどもをあちこちから集めて訓練を施した。人殺しの訓練。いかに効率よくいかに迅速にいかに発覚しないよう標的を葬り去るか物心つくかつかないかのガキどもに非人道的に教えこんだ。
前に話した、分厚いコンクリ壁で仕切られた暗い部屋に閉じ込めて、銃声あてさせるのも訓練の一環。俺と同時に放りこまれたガキの何人かは生きて日の目を見ることができず飢え死にした。暗闇と死と飢餓の恐怖で発狂して、使い物にならなくなったガキはもっと多い。
そういうガキは面倒なんで始末された。バァン、と頭を撃ち抜かれてな。
惜しいとか可哀想とかそういう感情はなかったんだろ。おなじ境遇のガキは現在進行形で増え続けてるし、混血のガキを抱えた若い母親は街にいきゃ普通にいる。石を投げれば米兵の落とし子にあたる現状じゃ必然命の値段も安くなる。俺たちに限っちゃタダ同然。いくらでも補充がきくんだから、必要価値のなくなったガキを始末するのにあちらさんは躊躇ないわけだ。
もともと憎い米兵がフィリピン人強姦してできた子供、国の汚点だ。
殺したところで良心の呵責もない。
俺は物心ついた頃から来る日も来る日も人殺しの訓練を受けてきた。銃の分解と組み立て、缶撃ちで的に命中させる射撃の練習、ナイフでの近接戦闘じゃおなじ年頃のガキとも戦わされた。子供の手には余る大振りのナイフで、最初のうちは自重に振り回されてうまく狙いをつけることができなかった。
右利きを両利きに矯正したのもその頃。正しくは自分の意志じゃなくて教官役の大人に強制されたんだけど、今じゃ感謝してる。
両利きのほうが便利だもんな。女悦ばせるときとか……冗談だよ、おっかない顔すんなって。
まあ、感謝してるのはマジ。おかげで右腕上がらなくてもあまり不自由は感じない、左腕がかわりを果たしてくれるからな。右腕を刺されたら左腕に、左腕を刺されたら右腕にナイフを持ち替えて戦闘続行できるようにってありがたーい教えだ。ブラックワークでおおいに役立ってる。
自分で言うのもなんだけど、俺は人殺しの才能に恵まれてた。射撃訓練でもナイフを用いた近接戦闘訓練でも、他のガキなんか足元にも及ばない勘のよさを発揮した。過酷を極めた訓練にひとりまたひとりとガキが脱落してく中で、俺だけがどんどん人殺しの腕を磨いていった。銃でもナイフでも素手でも俺にかなうヤツなんかひとりもいなかった。
俺はとくに期待をかけられてしごかれたんだよな。なんでだかわかる?
俺さ、顔キレイだろ。こういう顔してるといろいろ「使い道」があるんだ。
男も女も関係ない。ガキには性別とかあんまり関係ないわけよ。可愛い顔したガキはいろいろ得をする、器量のよいガキには下心あるなし拘らず大人がやさしくしてくれる。知ってる?死と隣り合わせの戦場じゃあ性欲が昂進して倒錯したセックスが流行るようになるんだとさ。戦争中は出生率がぐんと上がるってデータもある。
後世に子孫を残すためには、保険かけてひとりでも多くガキ作っとかなきゃって種の保存本能が働くんだと。お勉強になったろ。
あー……つまりさ。標的に取り入るには、容姿が重要なわけ。俺が将来有望と見込まれて重点的に暗殺術を叩きこまれたのは、見え見えの下心ありきの標的、違う意味で子供好きの変態に取り入らせるため。
十歳にも届かないガキが、ズボンの後ろに銃突っ込んでるとか普通思わないだろ。
そういうガキが街うろついてるとこ見かけて、駄賃やるから遊ばないかとか言葉巧みに騙くらかして安宿に引っ張り込むぺドフィリアをベッドの上で殺すんだ。あっちは街で偶然見かけたガキに声かけただけと思いこんでるけど、実は違う。上の人間がちゃんと調査して、標的の性的嗜好を事前に洗い上げて、俺はわざとそいつの目につくところをうろちょろして声かけられるの待ってたわけ。
銃かナイフを服に隠してな。
俺が最初に寝たのはぺドフィリアの米兵だった。ゲリラの容疑をかけた村を襲っちゃあ年端もいかないガキを誘拐してレイプして裏市場に売り飛ばしてたヤツ。十歳の頃だよ。
俺は周囲の大人の期待にこたえて、淡々と仕事をこなしていった。男と寝るのにべつに抵抗はなかった。最初は痛かったけどすぐ慣れた。仕事だし慣れなきゃやってらんねえよ。下心なしで純粋に優しくしてくれた標的もいた。祖国に俺とおなじくらいのガキを残してきたんだ、ってはにかんでた。ガキの写真引っ張り出そうってよそ見した隙にそつの額には穴が開いた。ぽかんとした死に顔してたな。殺される間際まで、頭のうしろから脳漿まきちらすその瞬間まで、全然これっぽっちも俺のこと疑ってなかったんだろうな。
こんなガキが、自分の命を狙う暗殺者だなんて。
この十字架はマリアがくれたんだ。
私生児として生まれた原罪を贖うために肌身はなさず身につけておけって。訓練訓練で忙しくてマリアに会いに行く暇もなかったけど、俺はときどき折檻覚悟で訓練サボッてマリアの様子を見に行った。子供が母親慕うのはあたりまえだろ。マリアはよく聖書を読み聞かせてくれた。綺麗に澄んだ音楽みたいな声。家族を惨殺されて村を追われて犯されて妊娠して人生を狂わされても、マリアは神への信仰を捨てなかった。裏切られても縋って縋って救いを求めていた。
マリアは俺のことどう思ってたんだろう。好きだったのかな、嫌いだったのかな。愛してたのかな、愛してなかったのかな。わかんね。一回は本気で殺そうとした。首にへその緒かけて絞め殺そうとしたけど、俺が物心ついた時から知ってるマリアはいつも穏やかな微笑を浮かべてて、俺にも大抵は優しくしてくれた。
ただ時々、荒れることもあった。なにかの拍子にふいに過去の記憶がよみがえった時、村人が虐殺され家族が惨殺された光景やかわるがわる自分を陵辱する男たちの幻覚なんかを見た時には物凄く荒れた。
過去の悪夢に苛まれて錯乱してる時に俺が隣にいると、精神的に耐えられなかったんだろうな。聖書を投げつけられたりぶたれたり蹴られたりひっかかられたり首を絞められたり……ああ、そうそう、髪の毛むしられたりもしたっけ。マリアはさあ、この髪の毛嫌いだったの。干した藁みたいな茶パツ。自分を犯した兵士とおなじ頭髪、たぶん俺の父親とおなじ色。たまんないよな、世界でいちばん憎んでる男の髪と目の色をそっくり受け継いだガキが隣にいちゃ当たり散らしたくもなるよな。おまけに髪と目の配色は父親譲りのくせして顔は自分似、マリアにとっちゃ俺は日に日に成長する過去の亡霊そのものだった。
……マリアに首絞められたときどうしたかって?
ロン、逆に質問するぜ。お前、お袋にベルトで鞭打たれてるときどうしてた?こうやって両手でひしと頭庇って丸まって、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待ってたろう。ごめんなさい、許してください、もうしませんって死に物狂いで命乞いしながらさ。
ちっちっ、それじゃ駄目なんだよ。怒りで我を忘れた女をなだめるには逆転の発想。
狂ったように泣き叫ぶのは逆効果、ますます相手を逆上させて折檻をエスカレートさせるだけ。
簡単なことさ、要は正反対のことをすればいいんだ……ああ畜生、悔しいなあ。もうちょっと早くお前に会えてたら教えてやれたんだけどな。いいか、すごい簡単なことなんだよ。きっとだれにでもできる。
笑えばいい。
ただ笑えばいい。自分に馬乗りになって首絞めてる女ににっこり笑いかければいいんだ。俺は何度も何度も笑顔で命を救われた。マリアに髪をむしられたときも首を絞められたときも聖書の角で目を殴打されたときも俺は笑ってた。まさか、現在形でさんざん痛め付けてるガキがその張本人に笑いかけるなんて思ってもみやしないから、大抵の人間はびっくりして攻撃の手を止める。不意をつかれて正気に戻る。
正気に戻ったマリアは、決まって俺を抱きしめて涙を流して謝罪してくれた。俺はべつによかったんだ。それでマリアの気が済むなら、マリアが過去の悪夢から逃れられるなら、折檻の行き過ぎで殺されかけるくらいかまわなかった。どうせ訓練じゃもっとひどい目に遭ってたし、死と隣り合わせの日常には馴染んでる。
俺さあ、マジでマリアが好きだったんだ。愛してた。だって俺を産んでくれた女だもん。
俺はマリアが大好きだから、マリアにも俺のこと好きになってもらいたかった。
振り向いてもらいたかった。
笑っていれば、俺は好きになってもらえる。
笑っていれば、俺は愛してもらえる。
……おかしいか?
お前俺に初めて会ったとき言ったろ、「楽しくもないのに笑えるかよ」って。今でもはっきり覚えてる、衝撃だったから。そうか、そういう考え方もできるのかってびっくりした。でもさ、笑うのにはもうひとつ理由があるだろ?俺にとっちゃそっちの方がずっと重要で、「楽しいから笑う」って発想自体が致命的に欠落してたんだ。
笑うのは、人に好かれたいからだろ。
愛してもらいたいからだろ。
生まれて初めて笑った時のことはもちろん覚えてないけど、たぶん、俺が本当に笑ったのはその一度きり。物心ついた時には笑顔が習性になってた。外敵の攻撃意欲を殺いで親近感をもたせる為の自衛の笑顔。マリアが俺を殺せなかったのは、俺が無邪気に笑ったからだ。あの時笑ってなかったら、何も気付かずすやすや眠ってたら俺は今頃ここにいない。ロンにも出会えてない。
以来、ずっと笑ってる。楽しいとか嬉しいとか関係なくずっと。初めて人を殺した時も笑ってた。銃を握る手が自分の物じゃないみたいに震えて足も竦んでたのに、表情筋がひきつって、勝手に笑顔を作っちまった。おかしくもないのに。
なあ。俺今どんな顔してる?
正直に言っていいぜ。笑ってるだろ?怖いだろ。こんな悲惨な身の上話しながら笑ってるヤツまともじゃないだろ。頭がおかしいって敬遠するよな、普通。正解。たぶん俺、頭がおかしいんだ。とっくの昔に狂ってるんだよ、どうしようもなく。感情と表情が噛み合わない。だから今も自分が笑ってる気がしない。
表面に笑顔を作るのと、心から笑うのは別物だろ?
俺は今までの人生本気で笑ったことなんかなかった。この世に産まれ落ちた直後を除いて一度も。
正直もう一生笑えないかなって諦めてたんだ。
ロン、お前に会うまでは。
お前が東京プリズンに来て、偶然だか運命だかで同房になって以来、笑顔の比重が「人に好かれたい」より「ただ楽しくて」に傾いてきた。人に好かれたいからなんて打算なしで、ただ単純に楽しいから笑う。お前と一緒にいるのが楽しくて楽しくてしょうがないから。お前と出会えたことが嬉しくて嬉しくて、いっそ神様に感謝したいから。
鍵屋崎が言ったことは当たってた。俺、お前の隣なら普通に笑えるんだ。
おもいっきり笑えるんだ。
できればずっとお前の隣にいたかった。お前を見習って笑えるようになりたかった。
でもさ、ロン。お前やっぱり、俺が怖いだろ?
隠さなくていいんだよ、もう。とっくにわかってたんだ。俺を見る目の底に怯えがひそんでるの、お前も気付いてたろ。俺はレイジ。英語で憎しみ。ブラックワークで戦ううちにそこそこ手加減のコツ覚えたけど、憎しみ抑えつけるのがとてつもなくへたで、一度キレたら歯止めが利かないのはたぶんこの先一生変わらない。俺はいつか、うっかり手加減忘れてお前を殺しちまうかもしれない。そうならない保証はどこにもない。殺られなきゃ殺られるまでだって習性が体に根を張ってるから、相手がダチのお前だってことも忘れて、本気で殺しにかかる日がくるかもしれない。
楽しげに楽しげに笑いながら、お前の首を絞めてる俺がいるかもしれない。
楽しげに楽しげに笑いながら、お前をナイフで切り刻んでる俺がいるかもしれない。
俺はお前を殺したくない。お前だけは、殺したくない。
このままお前の隣にいれば俺はまたキレて、お前をひどく痛めつけるかもしれない。お前のことが好きなのに、ものすげえ好きなのに、キレた自分に歯止めが利かなくて狂ったように笑いながらナイフを振るってるかもしれない。
もう笑えなくてもかまわない。
この先一生笑えなくてもいいから、俺はお前のそばをはなれる。お前を殺さないために。お前に生きててほしいから。お前さ、ここ出て会いたいやつがいるんだろ。お袋まだちゃんと生きてるんだろ、会いに行ってやれよ。初恋の女でもいいよ。元気な顔見せに行ってやれよ、泣いて喜ぶぜ。お前はここを出られる可能性があるんだから、生きて外にでられる望みがあるんだから、命が惜しいなら俺なんかと一緒にいちゃけないんだ。
頼むからロン、俺にお前を殺させないでくれ。
憎ませないでくれ。
俺は名前どおり憎しみを抑えつけるのがめちゃくちゃ下手だから、おまえの腹に蹴り入れたときみたいに、おまえを心の底から憎んで暴力振るうことがまた必ずある。
いやだよ。なんで折角できた相棒を自分の手で殺さなきゃなんないんだよ。恨むぜ神様。
もうわかったろ。この先俺と一緒にいたっていいことなんか少しもない。
ペア戦の行方は心配すんな、ちゃんと100人抜き達成してお前と鍵屋崎を売春班から助け出してやるから。お前は何も心配せずぐっすり寝てろ。
それがお前にしてやれる最後のことだから。
告白はこれでおしまい。懺悔聞いてくれてサンキュ。おかげで決心がついた。
最後に一言だけ、言っていいか?
じゃあ。
愛してたぜ、ロン。
短い間だけど、お前が俺の相棒でいてくれて嬉しかったよ。
幸せにな。
そんな真っ青な顔して無理すんなよ、まだ序盤だぜ。
最後まで聞く?はは、上等だ。たいした度胸だな。あとで熱だしても知らねえぞ……よし。じゃあ続けるぞ。ええと、どこまで話したっけ?俺の出生の秘密までだっけ。
種を明かしちまえば何てことない。俺はフィリピン人のマリアが米兵に強姦されてできた子供で、この世に産まれ落ちてすぐ殺される運命だった。名前もつけられずへその緒で絞め殺される運命だった。
そうならなかったのはたんなる偶然、きっかけはほんのささいなこと。俺はマリアの顔を見てくしゃっと笑った。猿みたいにちんまりした赤ん坊に顔をくしゃくしゃにして笑いかけられたらそりゃ殺意が萎えるだろ。
聖母マリアは厩の藁床でイエスキリストを産んだ。俺はじめじめと薄暗い路地裏でマリアの股の間から落っことされた。
赤ん坊を抱いたマリアは途方に暮れた。
頼れる人間なんかだれもいない。俺は幸い一命をとりとめたけど、マリアはたぶん育てる気もなかったんじゃないかな。
へその緒も切らずにどっかに捨てようと路地裏うろついたけど、なかなかいい場所が見つからない。雨風しのげる軒下とかいい場所見つけて置き去りにしようにもいざとなりゃ踏ん切りがつかない。だれにも見つけてもらえなかったら凍死か餓死だ。
おかしいよな。さっきまで自分の手で息の根止めようとしてたのに、置き去りしたあとに独りぼっちで泣き喚く赤ん坊のこと考えたら手放せなかったらしい。
母親って不思議な生き物だよなあ。まあマリアは聖母みたいに優しい女だから、一度正気に戻ったあとは我が子を置き去りにできない矛盾と葛藤に苦しんだ。
赤ん坊を抱いたマリアは路頭に迷った。
汚いボロ衣でくるんだ赤ん坊を胸に抱いて、放心したように虚ろな眼差しを通りに投げかけるマリアの姿は本当に聖母さまみたいで、通行人はみんなマリアに同情して小銭を恵んでくれた。
ある日、そんなマリアにひとりの男が声をかけた。ナンパじゃないぜ?残念ながらそんな不埒な動機じゃない。道端に座りこんでガキに乳含ませてる女をナンパするのはさすがの俺でもちょっと勇気いる。
要するに、マリアはスカウトされたんだ。
人材さがしに街さまよってた反政府ゲリラの一員に、な。
マリアが流れ着いた最果ての街には、米軍のゲリラ狩りで滅ぼされた近隣の村々から命からがら逃げてきた連中がたくさんいた。マリアとおなじように米兵に誘拐され犯されて飽きたらポイされた女はうじゃうじゃいた。失う物がなにもない連中は手段を選ばず命を惜しまないから、ちゃんと教育すれば優秀な兵士になる。
家族を殺したやつらが憎くないか?村を滅ぼしてお前の人生を奪ったやつらに復讐したくないか?
ゲリラのスカウトは浮浪者やら孤児やらを言葉巧みに勧誘して優秀な兵士に育て上げた。ひときわ目をひく美貌のマリアをゲリラのスカウトが放っとくわけがない。子持ちのマリアにも仲間に入らないかとお声がかかった。ゲリラとして立派に戦って、お前をそんな目に遭わせた連中を皆殺しにしたくはないか?マリアは断らなかった。どうせ他に行く場所も帰る場所もない、頼れる人間もいない。このままでは遅かれ早かれ母子ともに飢え死にするか野犬の餌食になっちまう。
家族を惨殺して自分を孕ませた憎い男たちに復讐できるかもしれないという話は、マリアに生きる目的と一縷の希望を与えた。マリアは反政府ゲリラの一員として二度目の人生を歩みだそうと決心した。
他にはもう何も残されてなかったから。
選択肢はなかった。知ってる?民間ゲリラには年端もいかない女子供がたくさんいて、重要な戦力として重用された。
女子供にも区別なく差別なく過酷な戦闘訓練を施し一人前の兵士に育て上げた背景には、かよわい女子供には敵も隙を見せ接近を許しちまう現状があった。狩りの対象として侮られがちな女子供がひとたび命を投げ捨て殺戮をためらわない兵士になれば、普通の男よりよっぽど手強い敵になる。とくにマリアは美人だから、ナイフの扱いを覚えりゃ敵が鼻の下のばしてるあいだに頚動脈掻っ切ることもできる。
以上の経緯で、マリアは米軍と熾烈な激戦を繰り広げる反政府ゲリラに迎え入れられた。もちろん俺も一緒だ。マリアはゲリラが拠点にしてるキャンプでいちから銃器の扱いをおぼえナイフの扱いを仕込まれて、日々厳しい訓練に耐えぬき人殺しの腕を磨いた。
復讐心てのは偉大だ、時にはひとを生かす原動力になる。
マリアは両親の仇に復讐したい一念でたゆまず訓練に励み、五指を組んで祈ることしか知らなかった華奢な手で拳銃の分解と組み立てを会得し、自分の上に跨った男の頚動脈をナイフで掻ききる技を覚えた。
俺はゲリラのキャンプで育ったの。
首都マニラから50キロほど離れたところにある民間ゲリラの村。
ああ、そうだ、言い忘れてた。あとでわかったんだけど、マリアがスカウトされた理由は特別若くて綺麗な娘だって以外にもうひとつある。赤ん坊を抱いてたからさ。それもただの赤ん坊じゃない、一目で白人との混血だってわかる赤ん坊だ。
同時期、上層部の人間はマリアとおなじ境遇の女を血道あげて集めてた。
米兵に強姦されてガキ孕んで母子ともども路頭に迷ってる女をスカウトして、早い段階で母親と子供を引き離した。米兵は日常的に略奪と暴行と虐殺をくりかえしあちこちの村から女をかっ攫ってたから、望まぬ妊娠をした娘を見つけるのはむずかしくなかった。
ゲリラの真の目的は母親よりむしろ、米兵に強姦されて産まれてきた望まれないガキども。だれからも祝福されず母親の股から産まれ落ちたガキどもを一箇所に集めて……
さて、問題。なにしようとしたんだと思う?
答え。子供の暗殺者を作ろうとしたのさ。
物心つく前のガキの時分から徹底的に人殺しの知恵を叩きこんで、子供の暗殺者をつくる計画だったわけ。子供の暗殺者は有効だ。厳戒体勢を強いられた戦時中でもガキが相手なら大人は油断する。フィリピンの村々で略奪や暴行や誘拐をくりかえしてた米兵の中にも、不思議と子供には甘い連中がいるんだな。もともと子供好きなのか、自分の腰までもないチビなら危険もないと踏んだのか、道端にうずくまってる浮浪児に飴やらチョコやら握らせるヤツが米兵にも大勢いた。
いたいけな子供が行き場を失い路上に座りこんでる姿は、実際同情を誘う。
子供の暗殺者なら警戒されずに標的に近付くことができる。上の人間はそう考えて、俺とおなじ境遇のガキどもをあちこちから集めて訓練を施した。人殺しの訓練。いかに効率よくいかに迅速にいかに発覚しないよう標的を葬り去るか物心つくかつかないかのガキどもに非人道的に教えこんだ。
前に話した、分厚いコンクリ壁で仕切られた暗い部屋に閉じ込めて、銃声あてさせるのも訓練の一環。俺と同時に放りこまれたガキの何人かは生きて日の目を見ることができず飢え死にした。暗闇と死と飢餓の恐怖で発狂して、使い物にならなくなったガキはもっと多い。
そういうガキは面倒なんで始末された。バァン、と頭を撃ち抜かれてな。
惜しいとか可哀想とかそういう感情はなかったんだろ。おなじ境遇のガキは現在進行形で増え続けてるし、混血のガキを抱えた若い母親は街にいきゃ普通にいる。石を投げれば米兵の落とし子にあたる現状じゃ必然命の値段も安くなる。俺たちに限っちゃタダ同然。いくらでも補充がきくんだから、必要価値のなくなったガキを始末するのにあちらさんは躊躇ないわけだ。
もともと憎い米兵がフィリピン人強姦してできた子供、国の汚点だ。
殺したところで良心の呵責もない。
俺は物心ついた頃から来る日も来る日も人殺しの訓練を受けてきた。銃の分解と組み立て、缶撃ちで的に命中させる射撃の練習、ナイフでの近接戦闘じゃおなじ年頃のガキとも戦わされた。子供の手には余る大振りのナイフで、最初のうちは自重に振り回されてうまく狙いをつけることができなかった。
右利きを両利きに矯正したのもその頃。正しくは自分の意志じゃなくて教官役の大人に強制されたんだけど、今じゃ感謝してる。
両利きのほうが便利だもんな。女悦ばせるときとか……冗談だよ、おっかない顔すんなって。
まあ、感謝してるのはマジ。おかげで右腕上がらなくてもあまり不自由は感じない、左腕がかわりを果たしてくれるからな。右腕を刺されたら左腕に、左腕を刺されたら右腕にナイフを持ち替えて戦闘続行できるようにってありがたーい教えだ。ブラックワークでおおいに役立ってる。
自分で言うのもなんだけど、俺は人殺しの才能に恵まれてた。射撃訓練でもナイフを用いた近接戦闘訓練でも、他のガキなんか足元にも及ばない勘のよさを発揮した。過酷を極めた訓練にひとりまたひとりとガキが脱落してく中で、俺だけがどんどん人殺しの腕を磨いていった。銃でもナイフでも素手でも俺にかなうヤツなんかひとりもいなかった。
俺はとくに期待をかけられてしごかれたんだよな。なんでだかわかる?
俺さ、顔キレイだろ。こういう顔してるといろいろ「使い道」があるんだ。
男も女も関係ない。ガキには性別とかあんまり関係ないわけよ。可愛い顔したガキはいろいろ得をする、器量のよいガキには下心あるなし拘らず大人がやさしくしてくれる。知ってる?死と隣り合わせの戦場じゃあ性欲が昂進して倒錯したセックスが流行るようになるんだとさ。戦争中は出生率がぐんと上がるってデータもある。
後世に子孫を残すためには、保険かけてひとりでも多くガキ作っとかなきゃって種の保存本能が働くんだと。お勉強になったろ。
あー……つまりさ。標的に取り入るには、容姿が重要なわけ。俺が将来有望と見込まれて重点的に暗殺術を叩きこまれたのは、見え見えの下心ありきの標的、違う意味で子供好きの変態に取り入らせるため。
十歳にも届かないガキが、ズボンの後ろに銃突っ込んでるとか普通思わないだろ。
そういうガキが街うろついてるとこ見かけて、駄賃やるから遊ばないかとか言葉巧みに騙くらかして安宿に引っ張り込むぺドフィリアをベッドの上で殺すんだ。あっちは街で偶然見かけたガキに声かけただけと思いこんでるけど、実は違う。上の人間がちゃんと調査して、標的の性的嗜好を事前に洗い上げて、俺はわざとそいつの目につくところをうろちょろして声かけられるの待ってたわけ。
銃かナイフを服に隠してな。
俺が最初に寝たのはぺドフィリアの米兵だった。ゲリラの容疑をかけた村を襲っちゃあ年端もいかないガキを誘拐してレイプして裏市場に売り飛ばしてたヤツ。十歳の頃だよ。
俺は周囲の大人の期待にこたえて、淡々と仕事をこなしていった。男と寝るのにべつに抵抗はなかった。最初は痛かったけどすぐ慣れた。仕事だし慣れなきゃやってらんねえよ。下心なしで純粋に優しくしてくれた標的もいた。祖国に俺とおなじくらいのガキを残してきたんだ、ってはにかんでた。ガキの写真引っ張り出そうってよそ見した隙にそつの額には穴が開いた。ぽかんとした死に顔してたな。殺される間際まで、頭のうしろから脳漿まきちらすその瞬間まで、全然これっぽっちも俺のこと疑ってなかったんだろうな。
こんなガキが、自分の命を狙う暗殺者だなんて。
この十字架はマリアがくれたんだ。
私生児として生まれた原罪を贖うために肌身はなさず身につけておけって。訓練訓練で忙しくてマリアに会いに行く暇もなかったけど、俺はときどき折檻覚悟で訓練サボッてマリアの様子を見に行った。子供が母親慕うのはあたりまえだろ。マリアはよく聖書を読み聞かせてくれた。綺麗に澄んだ音楽みたいな声。家族を惨殺されて村を追われて犯されて妊娠して人生を狂わされても、マリアは神への信仰を捨てなかった。裏切られても縋って縋って救いを求めていた。
マリアは俺のことどう思ってたんだろう。好きだったのかな、嫌いだったのかな。愛してたのかな、愛してなかったのかな。わかんね。一回は本気で殺そうとした。首にへその緒かけて絞め殺そうとしたけど、俺が物心ついた時から知ってるマリアはいつも穏やかな微笑を浮かべてて、俺にも大抵は優しくしてくれた。
ただ時々、荒れることもあった。なにかの拍子にふいに過去の記憶がよみがえった時、村人が虐殺され家族が惨殺された光景やかわるがわる自分を陵辱する男たちの幻覚なんかを見た時には物凄く荒れた。
過去の悪夢に苛まれて錯乱してる時に俺が隣にいると、精神的に耐えられなかったんだろうな。聖書を投げつけられたりぶたれたり蹴られたりひっかかられたり首を絞められたり……ああ、そうそう、髪の毛むしられたりもしたっけ。マリアはさあ、この髪の毛嫌いだったの。干した藁みたいな茶パツ。自分を犯した兵士とおなじ頭髪、たぶん俺の父親とおなじ色。たまんないよな、世界でいちばん憎んでる男の髪と目の色をそっくり受け継いだガキが隣にいちゃ当たり散らしたくもなるよな。おまけに髪と目の配色は父親譲りのくせして顔は自分似、マリアにとっちゃ俺は日に日に成長する過去の亡霊そのものだった。
……マリアに首絞められたときどうしたかって?
ロン、逆に質問するぜ。お前、お袋にベルトで鞭打たれてるときどうしてた?こうやって両手でひしと頭庇って丸まって、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待ってたろう。ごめんなさい、許してください、もうしませんって死に物狂いで命乞いしながらさ。
ちっちっ、それじゃ駄目なんだよ。怒りで我を忘れた女をなだめるには逆転の発想。
狂ったように泣き叫ぶのは逆効果、ますます相手を逆上させて折檻をエスカレートさせるだけ。
簡単なことさ、要は正反対のことをすればいいんだ……ああ畜生、悔しいなあ。もうちょっと早くお前に会えてたら教えてやれたんだけどな。いいか、すごい簡単なことなんだよ。きっとだれにでもできる。
笑えばいい。
ただ笑えばいい。自分に馬乗りになって首絞めてる女ににっこり笑いかければいいんだ。俺は何度も何度も笑顔で命を救われた。マリアに髪をむしられたときも首を絞められたときも聖書の角で目を殴打されたときも俺は笑ってた。まさか、現在形でさんざん痛め付けてるガキがその張本人に笑いかけるなんて思ってもみやしないから、大抵の人間はびっくりして攻撃の手を止める。不意をつかれて正気に戻る。
正気に戻ったマリアは、決まって俺を抱きしめて涙を流して謝罪してくれた。俺はべつによかったんだ。それでマリアの気が済むなら、マリアが過去の悪夢から逃れられるなら、折檻の行き過ぎで殺されかけるくらいかまわなかった。どうせ訓練じゃもっとひどい目に遭ってたし、死と隣り合わせの日常には馴染んでる。
俺さあ、マジでマリアが好きだったんだ。愛してた。だって俺を産んでくれた女だもん。
俺はマリアが大好きだから、マリアにも俺のこと好きになってもらいたかった。
振り向いてもらいたかった。
笑っていれば、俺は好きになってもらえる。
笑っていれば、俺は愛してもらえる。
……おかしいか?
お前俺に初めて会ったとき言ったろ、「楽しくもないのに笑えるかよ」って。今でもはっきり覚えてる、衝撃だったから。そうか、そういう考え方もできるのかってびっくりした。でもさ、笑うのにはもうひとつ理由があるだろ?俺にとっちゃそっちの方がずっと重要で、「楽しいから笑う」って発想自体が致命的に欠落してたんだ。
笑うのは、人に好かれたいからだろ。
愛してもらいたいからだろ。
生まれて初めて笑った時のことはもちろん覚えてないけど、たぶん、俺が本当に笑ったのはその一度きり。物心ついた時には笑顔が習性になってた。外敵の攻撃意欲を殺いで親近感をもたせる為の自衛の笑顔。マリアが俺を殺せなかったのは、俺が無邪気に笑ったからだ。あの時笑ってなかったら、何も気付かずすやすや眠ってたら俺は今頃ここにいない。ロンにも出会えてない。
以来、ずっと笑ってる。楽しいとか嬉しいとか関係なくずっと。初めて人を殺した時も笑ってた。銃を握る手が自分の物じゃないみたいに震えて足も竦んでたのに、表情筋がひきつって、勝手に笑顔を作っちまった。おかしくもないのに。
なあ。俺今どんな顔してる?
正直に言っていいぜ。笑ってるだろ?怖いだろ。こんな悲惨な身の上話しながら笑ってるヤツまともじゃないだろ。頭がおかしいって敬遠するよな、普通。正解。たぶん俺、頭がおかしいんだ。とっくの昔に狂ってるんだよ、どうしようもなく。感情と表情が噛み合わない。だから今も自分が笑ってる気がしない。
表面に笑顔を作るのと、心から笑うのは別物だろ?
俺は今までの人生本気で笑ったことなんかなかった。この世に産まれ落ちた直後を除いて一度も。
正直もう一生笑えないかなって諦めてたんだ。
ロン、お前に会うまでは。
お前が東京プリズンに来て、偶然だか運命だかで同房になって以来、笑顔の比重が「人に好かれたい」より「ただ楽しくて」に傾いてきた。人に好かれたいからなんて打算なしで、ただ単純に楽しいから笑う。お前と一緒にいるのが楽しくて楽しくてしょうがないから。お前と出会えたことが嬉しくて嬉しくて、いっそ神様に感謝したいから。
鍵屋崎が言ったことは当たってた。俺、お前の隣なら普通に笑えるんだ。
おもいっきり笑えるんだ。
できればずっとお前の隣にいたかった。お前を見習って笑えるようになりたかった。
でもさ、ロン。お前やっぱり、俺が怖いだろ?
隠さなくていいんだよ、もう。とっくにわかってたんだ。俺を見る目の底に怯えがひそんでるの、お前も気付いてたろ。俺はレイジ。英語で憎しみ。ブラックワークで戦ううちにそこそこ手加減のコツ覚えたけど、憎しみ抑えつけるのがとてつもなくへたで、一度キレたら歯止めが利かないのはたぶんこの先一生変わらない。俺はいつか、うっかり手加減忘れてお前を殺しちまうかもしれない。そうならない保証はどこにもない。殺られなきゃ殺られるまでだって習性が体に根を張ってるから、相手がダチのお前だってことも忘れて、本気で殺しにかかる日がくるかもしれない。
楽しげに楽しげに笑いながら、お前の首を絞めてる俺がいるかもしれない。
楽しげに楽しげに笑いながら、お前をナイフで切り刻んでる俺がいるかもしれない。
俺はお前を殺したくない。お前だけは、殺したくない。
このままお前の隣にいれば俺はまたキレて、お前をひどく痛めつけるかもしれない。お前のことが好きなのに、ものすげえ好きなのに、キレた自分に歯止めが利かなくて狂ったように笑いながらナイフを振るってるかもしれない。
もう笑えなくてもかまわない。
この先一生笑えなくてもいいから、俺はお前のそばをはなれる。お前を殺さないために。お前に生きててほしいから。お前さ、ここ出て会いたいやつがいるんだろ。お袋まだちゃんと生きてるんだろ、会いに行ってやれよ。初恋の女でもいいよ。元気な顔見せに行ってやれよ、泣いて喜ぶぜ。お前はここを出られる可能性があるんだから、生きて外にでられる望みがあるんだから、命が惜しいなら俺なんかと一緒にいちゃけないんだ。
頼むからロン、俺にお前を殺させないでくれ。
憎ませないでくれ。
俺は名前どおり憎しみを抑えつけるのがめちゃくちゃ下手だから、おまえの腹に蹴り入れたときみたいに、おまえを心の底から憎んで暴力振るうことがまた必ずある。
いやだよ。なんで折角できた相棒を自分の手で殺さなきゃなんないんだよ。恨むぜ神様。
もうわかったろ。この先俺と一緒にいたっていいことなんか少しもない。
ペア戦の行方は心配すんな、ちゃんと100人抜き達成してお前と鍵屋崎を売春班から助け出してやるから。お前は何も心配せずぐっすり寝てろ。
それがお前にしてやれる最後のことだから。
告白はこれでおしまい。懺悔聞いてくれてサンキュ。おかげで決心がついた。
最後に一言だけ、言っていいか?
じゃあ。
愛してたぜ、ロン。
短い間だけど、お前が俺の相棒でいてくれて嬉しかったよ。
幸せにな。
0
お気に入りに追加
183
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
壁穴奴隷No.19 麻袋の男
猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。
麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は?
シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。
前編・後編+後日談の全3話
SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。
※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。
※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。
部室強制監獄
裕光
BL
夜8時に毎日更新します!
高校2年生サッカー部所属の祐介。
先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。
ある日の夜。
剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう
気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた
現れたのは蓮ともう1人。
1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。
そして大野は裕介に向かって言った。
大野「お前も肉便器に改造してやる」
大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる