少年プリズン

まさみ

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二百七話

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 「なんの容疑がかかってるの、さっぱり心当たりないんだけど」
 余裕ぶって腕組みし、壁に背中を凭せる。口には半端な笑み。
 推理小説に影響されて探偵の真似事でもしたくなったのか?鍵屋崎は動じず、憎たらしいほど落ち着き払ってる。本を抱いたまま立ち話するのは腕が疲れるからと置き場所をさがし、結局足元の床に置く。鍵屋崎の場合、手を触れて読む本を不衛生な床に置くのだって我慢ならないくせに。
 あとで本と床の接触面を拭く光景が目に浮かぶ。
 本足元に置き、手ぶらになった鍵屋崎が腕を組む。僕に対抗したんだか知らないが、そうするとますます偉そうでむかつく。僕と対峙する位置に立った鍵屋崎が、中指で眼鏡のブリッジに触れて口を開く。
 「昨晩のことだ。きみはペア戦会場で安田を目撃した」
 「安田?」
 意外な人物名に驚く。さっきは「心当たりない」なんて嘘ついたけど、実際はいくつか心当たりがある。心証は真っ黒でないにしても灰色、僕はお世辞にも品行方正な囚人じゃないし裏じゃクスリの売買もやってる。これまでさんざん僕に酷い目に遭わされてきた鍵屋崎が真っ先に僕を疑うのも当然だ。けど、安田って?鍵屋崎が僕を訪ねた動機には安田が関係してるの?
 「そりゃ、たしかに昨日僕は会場にいたよ。ビバリーも一緒。ふたりしてペア戦見物に行ったんだ。いやー見モノだったよ、鞭でびしばししばかれるサムライ。いつも余裕ぶって澄ましてる武士が手も足もでずに追い詰められなくて、あとちょっとで負けちゃいそうで。笑えたよ、ざまあみろって」
 くっくっと喉を鳴らし、肩を揺らす。予想どおり、サムライを揶揄された鍵屋崎が眉をひそめる。大事なお友達を悪く言われて腹を立てたんだろう、お生憎様。眼鏡越しの双眸で睨まれて快感おぼえる僕はちょっと変態入ってるのかも。くぐもった笑い声を漏らす僕へと歩み寄った鍵屋崎が目と鼻の先で立ち止まる。
 「僕の用件はひとつ、昨晩安田を目撃した時に不審な人物に気づかなかったか?」
 「不審な人物?」
 「前提として、君は最初から『不審な人物』の枠内に入ってるぞ」
 鍵屋崎の指摘に鼻白む。
 「失礼だね、僕のどこが不審人物?天使みたいに可愛い少年にむかって酷い言い草じゃん、傷付いた」
 「そうやって話を逸らしてるつもりか?見苦しいな」
 全然話が見えてこない。当惑した僕は壁によりかかり、ため息まじりに手のひらを返す。
 「最初からわかりやすく話してよ。たしかに僕は昨日安田を見かけた。で、安田さんがどうしたの?安田さんに何かあったわけ?そこから話してくれなきゃ、いきなり『不審人物を目撃したか』とか問い詰められてもちんぷんかんぷん」
 僕の発言にも一理あると認めたか、鍵屋崎が顎を引き、ひどく真剣な顔つきで僕の目を覗きこむ。
 「昨晩、安田は会場である大事な物をなくしたんだ」  
 「大事なものってなに。貞操?」
 「ちがう」
 下劣な冗談を鍵屋崎は即否定。つれない反応だ。
 「……詳細は伏せる、現時点では大事な物としか言えない。とにかく安田は絶対なくしてはいけない物を地下停留場で紛失し、しかも盗難された可能性が高い。昨晩のことをよく思い出せ、安田に故意に接触したとおぼしき不審人物に心当たりはないか?きみは安田のすぐ近くにいたんだろう、怪しい人物が接近すれば気付いたはずだ」
 饒舌に畳みかける鍵屋崎はいつになく必死だ。鍵屋崎が他人の為に必死になるなんて珍しいこともあるもんだ、と白けた感想を抱く。しかも相手は安田。副所長と囚人、エリートと元エリート。安田と鍵屋崎にどんな繋がりがあるのか知らないが、高度な教育を受け、東京プリズンの環境にも染まらないインテリメガネ同士意気投合したんだろうか?安田と鍵屋崎の関係に一抹の疑惑を抱き、卑猥な笑顔を浮かべる。
 「メガネくん、安田とできてるの?他人に無関心なきみが赤の他人の失せ物捜し手伝うなんてどういう風の吹き回し?心でも入れ替えたつもりかよ」
 「安田とできてる」なんて疑惑をかけられたのに、鍵屋崎は表情ひとつ変えなかった。この手の揶揄には免疫ができたんだろう、ブラックワークじゃもっと卑猥な言葉を覚えさせられたのだから。僕の挑発にも取り乱すことなく、至って冷静に続ける。
 「僕と安田の関係については第三者が関知することではない。個人のプライバシーにまで踏みこんでくるな、不愉快だ。僕が安田の失せ物捜しに協力したのはあくまで僕自身の自由意思、自発的行為だ。だれに強制されたからでもない、安田に媚びてるわけでもない。どこかの男娼みたいに人に媚びる生き方に堕したくないからな」  
 鍵屋崎の口元に薄い微笑が浮かぶ。冷笑。生意気な態度に反発し、すうと目を細める。
 「それ、僕のこと言ってんの。ひとに物を聞きに来てその態度はなに?頭くるよ」
 鍵屋崎はいやなやつだ。完璧僕のこと見下して、冷笑的な態度を崩そうとしない。現に今だって偉そうに腕組みして、モルモットでも観察するみたいに冷徹な目で大して興味もなく僕を眺めてる。鍵屋崎に見つめられると視線のメスで解剖されるみたいで落ち着かない。
 気に入らない。
 いつからこんな生意気な態度とるようになった?いつから僕にこんな偉そうな口きくようになった?男が男を襲うのが日常化した環境に馴染めず、常に神経質に苛立ってた鍵屋崎のままでいい。お前は一生狩られる側の獲物でいいのに、男に犯されて嬲られて、何もできない無力と非力を噛み締めてればいいのにいつのまにこんなに強くなった?

 僕を出しぬいて成長した? 
 以前は僕が見下すほうだったのに、いつから見下されるようになった?

 僕に口答えするなんて生意気だ。何様のつもりだこいつ、自分の方が偉くなったつもりか?笑わせるね。鍵屋崎より僕のほうがよっぽど悲惨な体験して人生経験積んでる。鍵屋崎が売春を強制されたのはたった一週間だけど僕は六歳のときから八年間ずっと、ずっとだ。クスリ漬けの体はぼろぼろで、骨が成長しなくて背も伸びなくて、先月十五歳になったってのに変声期なんか訪れやしないボーイソプラノのまんま。
 十五歳。鍵屋崎とおなじ年だ。
 なのにどうしてこんなに違うんだ、東京プリズン入所当初と比べて鍵屋崎はだいぶ背が伸びて大人びた。顔から甘さが消えて輪郭が鋭くなった。外見的な変化だけじゃない、中身だってたった半年で劇的に成長した。僕は何も変わってない、どんなに足掻こうとも決して鍵屋崎に追いつけず追い越せず成長は停滞してる。
 あとから来た鍵屋崎に追い越されるのがいやで、色々やって足を引っ張ってきたのに。
 僕の努力は、全部無駄になったってわけ?
 「………さっきも言ったけど、メガネくんはちょっと勘違いしてるみたいだね」
 気に入らない、気に入らないことだらけだ。僕は鍵屋崎に劣等感を抱いてる。認めたくないけど、鍵屋崎に嫉妬してる。だから鍵屋崎を蹴落とそうと、二度と這いあがれないどん底に蹴落とそうと色々汚い手を使ってきた。だってずるいじゃん。鍵屋崎は何でも持ってる。ちゃんとした戸籍を持った日本人として生まれて衣食住の充実した環境で育ってパパとママがそろってて、将来を約束された天才的頭脳の持ち主で、周囲の人間から大事にされて期待されて。僕が欲しかったもの全部最初から持ってたくせに、自分からそれを捨ててこんなところにやってきて。

 いじめたい、いたぶりたい、思い知らせてやりたい。
 世間知らずのエリートに、東京プリズンの本当の怖さを思い知らせてやりたい。

 残虐な衝動にかられ、壁に背中を預け、芝居けたっぷりに天井を仰ぐ。錆びた配管が這いまわる殺風景な天井。
 「僕は情報屋だよ。男娼はほとんど趣味みたいなもんだけど、情報屋は趣味でやってるわけじゃない。ロンは見逃してやったけど普通の客からはちゃんと情報と引き換えのブツ貰ってる。メガネくんはなにか持ってる?情報と交換できるブツを。手ぶらで情報引き出そうなんて虫よすぎで笑っちゃう。僕たちそこまで仲良しじゃないでしょう」
 ゆっくりと気だるい動作で正面に視線を転じる。今の僕は年下の男を手玉にとる娼婦のような顔をしてるはず。客を焦らすのは得意だ。焦らしに焦らしてもう我慢できないってとこまで追い詰めて、苦痛と焦燥に歪んだ顔をたっぷり堪能するのが僕の楽しみ。手ぶらの鍵屋崎は無言で立ち尽くすばかり。そりゃそうだ、情報と引きかえる物なんて何も持ってないんだから。鍵屋崎が何も持ってないと見越して物々交換を申し出た僕も相当性格が悪いと、反省する代わりに笑い声をたてる。
 さあ、どうでる名探偵。言っとくけど、僕は手ごわいよ。客あしらいに慣れたベテラン娼婦を相手にする気構えで臨まなきゃ、手がかりひとつ引き出せないよ。
 「!」
 突然、顔の横に手が置かれる。僕の顔の横、壁に片手を叩き付けた鍵屋崎の顔が急接近。吐息がかかる距離でささやく。
 「またキスでもしてほしいか」
 「………、」
 動転のあまり、とっさに言葉がでてこない。僕の顔の横に手をつき、前傾姿勢をとった鍵屋崎はとても冗談を言ってるようには見えない。僕が頷けば本気でキスしそうな距離と気迫。眼鏡越しの双眸はどこまでも冷徹に冴え渡り、理知的に整った顔には傲然と人を見下す表情が浮かんでる。
 予想外の展開に頭の回転が追いつかない。
 これじゃ追い詰められてるのは僕の方じゃないか。調子が狂う。潔癖症の鍵屋崎がこんなに顔くっつけて、吐息の湿りけさえ感じられる距離で僕に迫ってる。僕はといえば、壁を背にして鍵屋崎に追い詰められどこにも逃げ場がない状態だ。
 冷徹な眼光に容赦なく射竦められ、こめかみを冷や汗が伝う。
 「……情報料のかわりにキス?お約束すぎない、それ。だいたいきみ潔癖症じゃ、」
 「たしかに僕は潔癖症だ。汗や垢などの老廃物で汚れた肌に唇を触れるなど不潔な行為としか思えない。……が、背に腹は変えられない。効率重視の僕は二者択一で常に利益が望める方を選ぶ。キスしたあとはよくうがいをすればいい」
 鍵屋崎が傲慢な目つきで僕を見下ろす。モルモットの生態観察をする科学者の目。
 「覚えているか?以前僕にキスしたことを。一度目は君から、二度目は僕から。一度目は唇に、二度目は首筋に」
 心臓の鼓動が高鳴り、脇の下がじっとり汗ばむ。
 鍵屋崎が怖い。以前の鍵屋崎なら絶対こんなこと言わなかった、こんな、男を知らない女を誘惑するみたいな台詞を平然と連ねたりしなかった。言葉の内容はまんま口説き文句なのに声音はあくまでも淡々としてて、朗読の授業でもしてるみたいだ。
 鍵屋崎が怖いなんて、そんなまさか。悪い冗談だろ?たった半年で。
 混乱して頭が真っ白になった僕の眼前に鍵屋崎の顔が迫る。唇、鼻、睫毛。僕の顔のパーツをひとつひとつ観察、鍵屋崎が言う。 
 「三度目はどこがいい?」
 「!!―っ、」
 手首に激痛が走った。
 鍵屋崎に両方の手首を掴まれ、壁に強打される。その衝撃で、鍵屋崎の目を盗んでポケットから取り出した注射器を落としてしまった。足元に落下した注射器がころころと床を転がる。 
 「……学習能力がない。君がポケットに注射器を隠してることはお見通しだ。半年前、イエローワークの砂漠で囚人に注射しただろう。察するに君は、最後の自衛手段を失ったみたいだな」
 手が届かなくなった注射器に舌打ち。両手を掴まれ、バンザイで吊られた姿勢で鍵屋崎を睨み付ける。ピンで留められた標本箱の虫になった気分。反撃の機会を奪われた僕はそれでも虚勢を張り、片頬笑む。
 「……柄にもないことするなよ。いつからそんな強気になったのさメガネくん、似合わないよ。妹の名前呼びながら男に犯されるほうが似合ってるよ」
 売春班でのトラウマを抉れば、鍵屋崎の双眸が不快げに細まる。やったね。鍵屋崎に一矢報いたことに溜飲をさげ、肩をひくつかせて失笑を漏らす。   
 「僕を抱く度胸もないくせにでかい口叩くなよ」
 どんなにでかい口叩いても鍵屋崎は所詮鍵屋崎だ、甘さが抜けきらないエリート崩れ。そう舐めてかかった僕の予想は次の瞬間裏切られた。
 「抱いて欲しいのか?」   
 「……っ、」
 手首に握力がこもり、苦痛に声をだす。甘いのは僕の方だった。僕の目をまっすぐ見つめ、低い声で訊く。軽蔑と嫌悪が入り交ざった傲慢な目つき、僕の拒否権なんて認めない高圧的な口調。脅迫。鍵屋崎は焦ってる、脅迫手段の暴力を厭わないほどに追い詰められてる。なんで?なんで安田のためにそこまでする、安田が大事な物なくしたからそれがなに、どうでもいいじゃないか。鍵屋崎自身には何も関係ないじゃんか。
 「なんで安田のためにそこまでするのさ、きみにとって安田はなんなのさ!?」
 手首の痛みに耐えかね、気付けば僕は叫んでいた。疑問の声に虚を衝かれた鍵屋崎が、その一瞬だけひどく人間らしいためらいの表情を覗かせる。
 「……安田は、」 
 顔を伏せ、曖昧に言い淀む。
 「神出鬼没で現れては何も根拠のない適当な助言を与え、嫌煙家の僕の前で無神経に煙草を吸って肺がん発症率を上昇させ、効率主義のエリートを気取っているくせに冷徹になりきれない中途半端な男で、厳重に管理すべき囚人に対し非情に徹しきれない優柔不断な人間で、」
 人間らしく痛切な表情で、激情に翻弄されながら安田への思いを吐露する鍵屋崎の目には孤独に思い詰めた色がある。
 人の心を軽んじる天才ではなく、ただの人間の顔。大切な人間を失う現実に怯える、弱くて頼りない少年の顔。
 「でも彼は、安田は、東京プリズンでは僕と対等に口論できる唯一の人間なんだ!鍵屋崎直を認めてくれた大人、僕をひとりの人間として、将来研究を継がせる人材としてじゃなく鍵屋崎直一個人として扱ってくれた初めての大人なんだ!彼がいなくなったら僕は誰と口論すればいい、語彙と教養で僕に比肩する人間は安田だけだ、安田と口論できなくなれば東京プリズンの日常に張り合いがなくなるだろう」
 そして口を噤み、自分に確かめるように小さく繰り返す。
 「それだけ、ただそれだけだ。でも重要なことなんだ、僕にとっては」
 言葉で気持ちを偽るように、ただそれだけと繰り返す。本当はただそれだけじゃないくせに、自己暗示をかけるように。安田を庇って必死な鍵屋崎に脱力、降参のため息をつく。ふたりの関係はよくわからないが、今の激烈な反応で鍵屋崎にとっての安田が大事な人間だってのはよくわかった。安田のために何かしたいと思い詰める鍵屋崎の気持ちに嘘はない。なにか情報を提供しなければこの手をはなしてくれないだろう。
 「……わかったよ、わかりましたよ。タダで情報あげるから」
 「本当か?」
 鍵屋崎が疑り深く念を押す。そこまで信用ないかね、僕。希望が見えた鍵屋崎が指を緩めたすきに邪険に手を振りほどく。相当強く握り締められたせいで手首に痣ができていた。手首の痣に吐息を吹きかけ、顔をしかめる。
 「昨日のこと話せばいいんでしょ?昨日たしかに僕は会場にいた、リングに歩いてく安田を見てた。ロンが乱入したせいで会場は大騒ぎで、盛りあがりに盛りあがってたもんだからリングに着くまでに揉みくちゃにされて安田も苦労してた」
 「不審な人物を目撃しなかったか」
 「安田にぶつかった人間ならたくさんいた。てか、あの状況じゃ人にぶつからずに進むの不可能だし。前に後ろに右に左に、たくさんの人間が安田のまわりにいたよ。その中の誰が安田の大事な物盗んだかなんてわかんないよ、さすがの僕もお手上げさ。ご期待にそえなくて悪いけど」
 見たままありのままを素直に話す。たしかに僕は地下停留場にいた、リングに歩いてく安田を目撃し、鍵屋崎に接触するまでの一部始終を見守った。リングに到着するまで安田は数えきれない人間にぶつかったが、それでも五秒以上は立ち止まらなかった。五秒以内に所持品を盗んだんだとしたら、そいつは相当な腕前のスリ師ということになる。
 ごく自然に、偶然を装って安田とすれちがうと見せかけて所持品を掠め取ったのだから。
 「蛇の道は蛇」
 「なに?」
 不審げな鍵屋崎の前でにっこり人さし指を立て、助言を与える。
 「安田に気付かれもせず所持品を盗んだんだとしたら、そいつにはスリの前科があると見て間違いない。近くで見てた僕はおろか、安田本人さえ気付かない一瞬の早業で所持品を盗み取れるスリ師。メガネくん知ってる?東京プリズンに限定しなくても刑務所じゃおなじ犯罪やらかしたやつが自然と寄り集まってグループ作る傾向にあるんだ。強姦魔は強姦魔、強盗傷害犯は強盗傷害犯ってぐあいに」
 人さし指を引っ込め、上目遣いに鍵屋崎を見上げる。
 「きみとサムライもそうでしょ?親殺し同士、いつのまにか意気投合してんじゃん」
 「……つまり、犯人はスリの前科がある囚人だと?」
 「間違いないだろうね。気になるなら食堂で当たってみたら?スリ師グループを見分けるのは簡単。たとえば食堂なんかで大人数集まったとき、決まって話題になるのは前科の自慢話。これ刑務所の常識。財布に大金入っててラッキーだった、成金オヤジの財布スッたら小銭しか入ってなかったとかおしゃべりしてる連中にあたればいい」
 お話おしまい、鍵屋崎には退散してもらお。鍵屋崎の背中を押すように鉄扉へと持ってけば、本を小脇に抱え、片手をノブにかけた鍵屋崎が肩越しに振り向く。
 礼でも言う気か?まさか、鍵屋崎に限ってそれはないか。
 「まだなにか?」   
 「さっきの発言だが、似た者同士が集う現象を言いたいなら『蛇の道は蛇』ではなく『類は友を呼ぶ』を使用すべきだ。辞書でも読んで正しいことわざの使用法を学んだらどうだ」
 ……ほらね、言ったとおりでしょ?
 ちょっとでも期待した僕が馬鹿だった。鉄扉を開き、用は済んだとばかり足早に出ていこうとした鍵屋崎の背中に無駄だとわかっていながらうんざり声をかける。
 「……あのさあ。タダでいいこと教えてあげたんだからお礼がわりにキスのひとつでもするとか、そういうお約束は」
 鉄扉に手をかけ、鍵屋崎を見送りにでた僕の頬に唇が触れる。儀礼的でそっけないキス。
 「これでいいのか」
 僕にキスしたあと手の甲で唇を拭うのはやめてほしい。たぶん房に帰ってからうがいするんだろうな、と半ば放心状態で頷く。
 「……どうも」   
 「……なるほど。君は東京プリズン一の情報通だが、毎回手続きが面倒くさいな」
 キスは冗談だよ、真に受けるなよ。いや、冗談とわかっててやったのか?僕を翻弄するのが面白くて?鍵屋崎をからかうのは僕の特権のはずなのに、いつのまに立場が逆転したんだ。最後にしたたかな笑顔を浮かべ、本を抱えた鍵屋崎がすたすた立ち去る。
 「くそっ、」
 頬を手の甲で拭い、もう見えなくなった鍵屋崎の背中に毒づく。姑息な真似しやがって、あれで勝ったつもりかよ。いつか絶対泣かせてやる、僕の足元に跪かせてフェラさせてやる。腹立ち紛れに鉄扉を閉め、床を蹴り付ける。視線の先にぽつんと転がってるのは注射器だ。
 「………」
 半年前、監視棟の手摺に座ってサーシャにクスリを打ったことを思い出す。
 ロンには伏せた事実がいくつかある。いくら東と北の渡り廊下が修復され、事件の爪あとが隠蔽されたとしても囚人の口から口へと噂が伝わるのはふせげない。東京プリズンの囚人はおしゃべりだ。そんな大事件があったら一年と半年たった今も語り草になってるはず。にもかかわらず、ロンがなにも知らなかったというのはおかしい。
 答えは簡単。だれかが緘口令を敷いたからだ。
 サーシャにとって、レイジとの最初の対決は二度と思い出したくない屈辱的な記憶。敗北は汚点だ。のみならず、最も憎い男の手によって背中を切り刻まれ一生消えない傷を負わされたのだ。以前うっかりとそれに言及し、サーシャの逆鱗にふれた北のガキがナイフで目玉をくりぬかれたらしい。
 サーシャだけじゃない。いや、むしろ……
 「惚れた弱み、か」
 ロンにはからきしの情けない王様を思い浮かべ、口元を緩める。サーシャとの最初の対決について、因縁の発端について、お前ら口外するなよと無言の圧力を与えていたのは我らが王様レイジ本人だ。ロンが知ったら怖がるから、避けられるかもしれないからと先手を打って。
 ロンと今までどおりの関係を保ちたくて、暴君の過去を隠して。
 「妬けるね」
 独りごちた僕の背後に足音が接近。顔を見なくてもわかる、軽快な足音の主はビバリーだ。
 「リョウさーん、ただいまっス!」
 「はいお帰り」
 鉄扉を開き、笑顔でビバリーを迎え入れる。
 「悪いね、お客がきてるあいだ無理言って出払ってもらっちゃって」
 「いえいえ、デバガメはもうこりごりっスから!僕の見えないとこ聞こえないとこで乳繰りあってくれるぶんには全然OKっスから!」
 「なんなら3Pしてもよかったんだけど、」
 「しません」
 ビバリーもつれない。ふくれ面の僕とは対照的にビバリーはひどく上機嫌で、ポケットから何かを取り出す。
 「リョウさん、それよりこれこれ!」
 「なにこの秘密道具」
 会心の笑顔のビバリーが僕の鼻先に突き出したのは、コード付きの集音マイクと顕微鏡のレンズみたいな謎の物体。眉をひそめて集音マイクをつまみあげた僕に、興奮しきったビバリーが説手振り身振りを交えて説明。
 「馴染みの看守に調達してもらったんス。これをちょいちょいといじくれば何も試合会場まで出向くことはありません。房にいながらにしてペア戦観戦ができる優れ物、その名も超小型盗撮カメラと盗聴マイク」
 じゃじゃーん、とベタな効果音つきでカメラとマイクを掲げたビバリーに絶句する。
 ひょっとして、ビバリーは僕の為にカメラとマイクを?人でごった返した地下停留場じゃまともに試合観戦できないちびの僕を気の毒がって、それで……
 『Thank you, and I love you!!』
 「うわっ、リョウさんとびつかっ、ぐえっ、首が!?」
 どうしよう、頬が緩む。感激のあまりビバリーの首ったまにかじりつき、体当たりで喜びを表現。首を絞められたビバリーが手をばたつかせてよろめく。カメラとマイクさえ仕掛ければここにいながらにして試合観戦できるVIP待遇に昇格、他の囚人と競って地下停留場に行かなくてよくなる。
 『OH,my god……』
 おもいきり首を絞められ、口から泡を噴いたビバリーに感謝のキスをする。
 キスの瞬間、反射的に鍵屋崎を思い浮かべたのはまだ唇の感触が残ってたからだ。
 それ以外の理由はない。
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