少年プリズン

まさみ

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百九十四話

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 「通すか!」
 地下通路から会場に抜ける出口の目前、白熱の照明を逆光に立ち塞がる黒い影。その数二十体以上。
 「!―っ、」
 集団の中にはちらほら見知った顔が混じっている。ボイラー室を脱出した僕を出口手前で進路妨害した凱の子分だ。熱狂の歓声が殷殷と響く通路にて、ロンを背負った僕と対峙したのは互いによく似た顔だちの一目で兄弟と知れる囚人ふたり。
 「あんちゃん、やっぱり来たな」
 「あんちゃんの言った通りだろ、弟よ」
 互いによく似た顔を見合わせほくそ笑む兄弟。
 「残虐兄弟が……、仲間呼びにいって通せんぼかよ。卑怯な真似しやがって」
 僕の肩に寄りかかったロンが不快げに眉をひそめる。残虐兄弟と呼ばれた二人組の顔をよく見れば、さっき囮の売春夫を追って廊下を駆けて行った囚人だった。売春夫と看守と囚人が入り乱れる修羅場にも戻ってこないから不審に思っていたら仲間に召集をかけて出口で待ち伏せしていたのか。
 「半半背負ってここまで走ってきた努力はほめてやるよ」
 「けど、こっから先は通さねえぜ。のこのこ人質逃がしたって知れたら凱さんに殺されるのは俺たちだ」
 「おとなしく死んどけ」
 「もう二度と生意気な口聞けねえように前歯全部折って奥歯抜いてやる」
 「俺たち全員のモンしゃぶらせんならそっちのほうが安全だろ」
 通路に響き渡る下卑た哄笑、卑猥な野次と下品な罵声。腹を抱え唾をとばし大仰に手を打ち鳴らし、爆笑の渦に呑まれた囚人たちから後退。残虐兄弟を筆頭に通路を埋めた囚人の数をすばやく数える。約二十三名、会場に残留した囚人を含めて戦力を増強した大規模な集団が、鉄壁の布陣を敷いて僕とロンを追い詰める。完全に囲まれた。逃げ場はない。くそ、会場はもうすぐだというのに!すぐそこに光が見えている、歓声の喧騒が聞こえてくるというのに。
 「……そこをどけ」
 威圧的に声を低め、気迫を篭めた双眸で少年たちを牽制する。
 「貴様らのような低能と関わって時間を無駄にしたくない。知ってるか?馬鹿は感染するんだぞ」
 「こりねえな」
 返されたのは失笑、次第に狭まりつつある包囲網と呼吸を圧迫するほどに膨張する敵意。敵意と悪意を凝縮した不穏なオーラが狭苦しい通路に滞り、険悪な形相の少年たちが輪の中央に立たされた僕のもとへと大股に歩いてくる。
 「馬鹿はおまえの方だ。まわりをよく見まわしてみろ。二十人の囚人相手にひょろメガネとチビ半半がどうやって勝つんだよ。俺たちに媚売ってケツ売って『どうか殺さないでくださない』って泣き喚けば半殺し程度で許してやろうと思ってたのに」
 「寛容だな」
 今度は僕が失笑する番だ。
 「懇願など冗談じゃない、何故貴様らみたいな気分の悪い連中に命乞いしてまで身の安全を図らなければならない?愚鈍で短絡的な貴様らはよく理解してないみたいだから説明するが、僕は貴様の前で犬の真似をすることに対してはそれ程自尊心が痛まない。僕にとっては貴様らこそ犬のようなものだ、犬の前で犬の真似をしたからとて人間の尊厳は失われない。人間の尊厳が失われるのは人間の前で犬の真似をした時だけだ」 
 中指で眼鏡のブリッジに触れ、冷笑を浮かべて周囲を見渡す。
 腕力と体格と人数では圧倒的に有利、理屈をこねるしか能がない僕など簡単に倒せると奢り高ぶっていた連中の顔が憤怒に充血する。犬の真似をさせて見下し、包囲網に囲い込んだ優越を抱いていた相手に犬呼ばわりされたのでは逆上するのが道理だ。腰の横で握り締めたこぶしを震わせ、今にもとびかかってきそうな体勢でこちらを睨んでいる少年らに視線を巡らし、冷徹に付け加える。
 「さあそこをどけ、無知で愚昧な低脳ども。僕は急いでるんだ」
 「この野郎!!!」
 私情をまじえずに淡々と言いきれば、残虐兄弟を始めとした囚人が一斉にとびかかってくる。二十対二では戦力差は十倍、まともにやりあったところで勝算はない。頭の中で冷静に計算すれば、僕に寄りかかったロンに耳元でどやされる。
 「馬鹿が、挑発してどうすんだよ!ますます立場悪くなってんだろバカ天才が!」
 「!?バカて……、」
 なんてことを言うんだ、一人じゃ満足に歩けもしない自分を担いでやってる命の恩人にむかって。馬鹿に馬鹿呼ばわりされるほど不愉快なことはない、いくら酔っ払っていても言っていいことと悪いことがある。
 バカ天才などという屈辱極まる呼称で僕を呼んだロンなどこの場に捨てて逃げようかと思ったが、ロンを捨てたところで状況は好転しない。ロンを捨てれば身軽になるが、どのみち僕の足で逃げきるのは不可能だ。
 進退極まった僕の耳に届いたのは―
 「せやから!明日のジョーにおけるホセは単なる噛ませ犬やなくてジョーに最終進化を促す敵キャラ、ジョーを真っ白の灰にして末永く伝説化させたラスボスやと思うんや」
 「ラスボスという言い方は語弊がありませんか?明日のジョーは元祖スポ根漫画で悪の組織との格闘モノでもないでしょうに吾輩腑に落ちません」
 「言葉の綾や、こまかいことは気にすんな。つまり何が言いたいかっちゅーとホセはジョーにとって超えなければいけない壁、力石を超えるために砕かなければあかん最大の壁やったんや。そしてジョーは最後の試合に全力を尽くし―……」
 この間の抜けたやりとりは、間違いない。
 「あ、なおちゃん」
 殺到する集団の頭越し、出口付近の暗がりで延々ホセと喋っていたヨンイルがこちらを見る。ついさっき、全力疾走で凱とその子分を巻いて包囲網を突破した時とおなじ既視感を覚えたのはヨンイルとホセの位置が変化してなかったからだ。観客の頭越しにリングを望む地下通路の出入り口付近、二人して喧騒から距離をおき、漫画の話題で饒舌に盛り上がっているとは……何の為に試合観戦に赴いたのか動機が不明だ。
 ヨンイルは西のトップだから東のトップの試合内容が気になるのも頷けるが……いや、今はそんなことどうでもいい。
 「いやはや、お見かけしたところロンくんとメガネくんはまたまたピンチに陥ってるみたいですね」
 「ホンマや。懲りない連中やな」
 「人が自発的に危機にとびこんでるような言い方はよしてくれ、必然こうなってしまうだけだ!」
 手庇をつくり、呑気に呟くホセの隣でヨンイルはさすがにあきれ顔をしている。よろけるようにあとじさり、次から次へと繰り出される豪速のこぶしをかわしていれば、僕の肩に凭れたロンが突然顔を上げてヨンイルとホセを睨み付ける。
 「なにぼさっと突っ立ってんだゴーグルとメガネ、助けろ、命令だ!」
 酒が入って人格が変わっている。ロンの変貌ぶりにホセとヨンイルはぽかんと顔を見合わせたが、すぐにこちらに向き直るや、ヨンイルが苦笑して尻ポケットに手を突っ込む。
 「二度も世話焼かすな、と言いたいとこやけど。おまえ見殺しにしたらあとでレイジに殺されるしな」
 完全には避けきれず、肩や肘や太股に蹴りとこぶしを受けつつ、それでもロンを手放さずに後退する僕の足元に放物線を描いて落下したのは……ヨンイルが投擲した黒い球体。その正体を見定める暇もなく、黒い球体が大量の白煙を撒き散らした。
 「!?」
 黒い球体から噴出した煙は瞬く間に周囲に広がり視覚を覆い、僕めがけてとびかかってきた囚人の姿も煙に取り巻かれて見えなくなる。白い帳に閉ざされた通路の真ん中、気管に吸いこんだ煙にはげしく咳き込み、涙腺に染みる煙にかすむ目を前方に凝らす。
 「今や!」
 前方でヨンイルが叫ぶ。姿は見えずに声だけが聞こえてきたが、それだけで十分だった。ヨンイルの声を頼りに煙の帳を突っ切る途中、何人かとぶつかりそうになり冷や汗をかいたが、煙に視界を奪われ苦しげに咳き込む囚人には僕らをかまう余裕などなかったようだ。ヨンイルの声に誘導され、無事包囲網を突破。
 煙の帳を抜けた瞬間、僕の目を直線で射たのは強烈な照明。
 熱狂の坩堝と化した会場の中心には金網のリングが設置され、今まさにレイジと凱の試合が行われていた。 
 「うわ、なんだこの煙!?」
 「火元はどこだ!?」
 通路から溢れた煙が濛々と会場に広がり、試合に熱狂していた囚人が血相を変える。それを見たヨンイルが「あちゃー」と額を叩く。
 「こないだの試作品が残ってたんやけど、やっぱ煙の量多すぎやな」
 会場の囚人は何も知らない。地下通路から溢れた煙が次第に会場に広がり視界を塞ぐのに動揺し、「またボヤ騒ぎかよ!」「この刑務所危機管理なってねえよ」と涙目で咳き込んでいる。
 地下通路でボヤ発生の噂は急速に広まり、恐慌をきたした囚人が我先にと逃げ出す始末。他の観客を突き飛ばし転ばせシャツの背中を掴んで転ばせ、自己中極まりない足の引っ張り合いを見苦しく繰り広げて自分だけが助かろうと焦っている。とても試合どころではない、自分の身の安全も確保できない状況で娯楽を優先するほど東京プリズンの囚人も馬鹿ではなかったらしい。
 恐慌に駆られ、悲鳴と怒号が飛び交う中を必死に逃げ惑う囚人の波に逆流し、ロンを担いでリングに駆け寄る。リングの入り口付近にサムライを発見。木刀を金網に立てかけ、気難しい仏頂面で試合風景を見守っている。頑固に無視を決め込んでいるが、彼は彼なりにレイジの試合の行方が気になるらしい。
 「サムライ!」
 声をかければサムライが振り向き、僕に担がれてるロンを見て眉をひそめる。
 「どうした、その怪我は」
 「話せば長くなる。医者はどこだ?」
 医学知識はあっても実践経験に乏しい僕の処置では不安だ、本職の医者にロンの怪我を診せて適切な治療を乞わなければ。そう考えてあたりを見まわしたが医者の姿はどこにもない。まさかボヤ騒ぎを本気にして囚人に紛れて逃げ惑っているのではあるまいな、と疑り始めた僕にあっさりとサムライが告げる。
 「用を足しに行った」
 「~~肝心な時に!」
 尿意ぐらい我慢しろ、と生理現象に無茶な注文をつけたくなる。ロンの治療を頼みたくて全速力で走ってきたのに無駄足じゃないか。この場にいない医者の怠慢を心の中で詰れば、金網のフェンスが撓み、僕の鼻先に凱の背中が出現する。
 レイジに殴り飛ばされた凱の背中を金網が受けとめ、その自重で金網がへこんだのだ。
 「どこ行ってたんだよキーストア。早くこなけりゃ俺の活躍終わっちまうだろ」
 不満げな声に顔を上げれば、視線の先にはレイジがいた。
 僕がロンを救出に行ってる間、時間にして二十分は経過してるというのに息切れひとつしていない。腰に手をついた余裕の物腰で、遅れ馳せながら戻ってきた僕を一汗かいて爽やかな笑顔で出迎える。
 試合の激しさを物語るのは襟足で一つに結わえた髪のほつれだけで、それさえ艶かしくうなじに貼り付いている。レイジの位置からではちょうどサムライの背中に隠れてロンの姿が見えない。僕ひとりが帰って来たものと誤解したまま、金網に凭れた凱に視線を転じたレイジが屈託なく笑う。
 「そろそろ降参しねえか?弱い者いじめ好きじゃないんだよね、俺」
 「―はっ、吹かすなよナンパ王が。これからが本番だ」
 金網から背を起こした凱が獰猛に歯軋り、好戦的に目をぎらつかせて跳躍、獣じみた雄叫びを発してレイジに躍りかかる。レイジの顔面めがけて武骨なこぶしを繰り出すがレイジは一歩もその場を動くことなく、さっと首を倒すだけでその攻撃をかわしてみせる。
 必殺のこぶしをかわされて体勢を崩した凱の懐にレイジがとびこむ。
 「前にやったとき言ったろ凱。おまえの動きは蝿止まりそうに鈍いって」  
 レイジは笑っていた。さも愉快そうに。
 「!!!っぐふ、」
 凱の巨体が金網にめりこむ衝撃。凱の腹部にこぶしを叩きこんだレイジは細腕のどこにそんな腕力が秘められているのか、優美な体躯のどこにそんな怪力が秘められているのか、十分に手加減した一撃で2メートル近い凱の巨体を軽々ふっ飛ばしてしまった。
 「ナンバー1と2の実力差か」
 レイジの圧倒的強さを目の当たりにし、呆然と呟く。フェンスに背中から激突した凱が鳩尾を庇って盛大に咳き込み、これで勝敗が決したと楽観したレイジが僕の方を向き。 
 刹那、その顔から笑みが消失。
 「―なにがあったんだよ」
 声色までが変わる。王者の貫禄を漂わせる足取りで凱のもとに歩いてきたレイジが、僕に担がれたロンに気付く。ロンは酷い格好だった。サムライの試合で用いられた鞭で嬲られたらしく、囚人服の上着もズボンも至る所が裂けて扇情的に素肌が覗き、裂け目から露出した素肌には何箇所ものみみず腫れが交差していた。
 「その男に聞け」
 僕の口から直接説明するのは憚られた。何よりロンをこんな目に遭わせた首謀者が眼前にいるのだ、この場は張本人に説明させるべきだ。リングの床に座り込んだ凱に顎をしゃくれば、僕の台詞ですべてを悟ったレイジが凱の胸ぐらを掴み、片腕一本で強引に立たせる。
 「凱。おまえロンになにしたの」
 「いじめてやったんだよ、王様の目の届かないところでな」
 レイジが笑い、凱も笑う。前者は脅迫、後者は虚勢。
 「傑作だったぜ。おまえときたら今の今まで、大事なロンが酷え目に遭わされてるってのに何にも気付かず何にも知らずに俺とヤってんだからよ。はは、馬鹿な王様だよなあ!」
 唾をとばして哄笑した凱が、レイジに片腕一本で吊り上げられた苦しい体勢からこちらを振りかえり、意味ありげな流し目をサムライに送る。
 「馬鹿はおまえだけじゃねえ、親殺しの用心棒気取りのサムライもだ。大事な相棒が俺らにとっつかまってぶん殴られたりスタンガン腹に食わされたりさんざんな目に遭ってるってのに、なーんにも知らずにリングに上がってたんだから笑えるぜ!!てめえが医務室に運んだ囚人もぜーんぶ嘘の演技だってのによ!」
 「!な……、」
 まずい。凱の口から真相を聞かされたサムライの表情が固く強張り、腕組みをほどいてこちらに向き直る。心の中を覗かれるのが不快でとっさに視線を逸らそうとしたが、力強く肩を掴まれ、顔を正面に固定される。
 「本当か、直」
 「………」
 「何故俺に言わなかった?」
 サムライの声は陰鬱に低く、全身全霊で怒りを抑えこんでいた。サムライに詰問され言葉を失った僕をよそに、高らかに哄笑しながら凱が続ける。
 「あはははははっ、まったく笑えるぜおまえらときたらとんだピエロだ!親殺しと半半助けるために100人抜きに挑んだってのにその二人から全く信用されずに今の今まで騙されてた気分はどうだ?親殺しと半半が俺たちにケツ剥かれて遊ばれてるのも知らずに間抜けにリングに立ってた気分は、」
 レイジが口元だけの笑みを浮かべ、凱の喉首を締め上げる。
 「!やめ、」 
 レイジは本気だ。本気で凱を殺す気だ。
 凱の喉首を締め上げた手に頚骨が砕けそうな力がこめられ、呼吸困難に陥った凱が手足で宙を掻き毟ってもがき苦しむ。が、レイジは酷薄な笑みを浮かべたまま、白濁した泡を噴き、青黒い顔で苦悶する凱を見下ろしても手を緩めようとしない。凱の喉に食いこんだ五指が容赦なく気道を圧迫、きらびやかな照明に舞台映えする端正な容姿の王様は悪魔のように無邪気に笑い。
 轟音をたてて金網が倒れたのは、満場のギャラリーが注視する中、凱が窒息死する寸前だった。
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