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六十三話
しおりを挟む刑務所には二種類の人間がいる。馬鹿な奴と利口な奴だ。
東京少年刑務所略して東京プリズン、二十一世紀初頭に少年犯罪の増加に頭を痛めた政府が砂漠のど真ん中に設立した世界に類をみない収容人数と規模の巨大刑務所。台中戦争や第三次ベトナム戦争による難民の流入、韓国と北朝鮮の併合による半島の経済低迷で日本に新天地をもとめた流民たちが一気に押し寄せたために都市の治安は悪化し、かつての東京は無国籍スラム化した。そんな長ったらしい前置きはどうでもいいって奴もいるだろうが、まあ聞け。おれもなるべく手早く済ませる、前回までの説明は苦手なんだ。
自己紹介がまだだったな。俺の名前はロン、日本生まれの台中混血児で国籍はなし。半世紀前には日本にもちゃんと国籍法があって、日本で生まれた子供なら両親が外人でもちゃんと日本国籍を与えられたらしいがそんなのは今じゃ眉唾のおとぎばなし。難民の増加にともない日本生まれの二世が増えるにしたがい政府は国籍法を改変した、増えつづける一方の二世や三世にまでいちいち国籍をあたえて社会保証してたんじゃ予算がばかにならないからだ。今じゃこの国で日本国籍を持ってるのは三代前までさかのぼれる生粋の日本人だけ、俺たち日本生まれの二世は完全にカウント外ってわけだ。
俺が生まれたのは豊島区池袋スラム。治安は都下最悪で斬った張ったは日常茶飯事の無法地帯、対立するチーム同士の抗争なんて珍しくもなんともない。とくに仲が悪かったのは台湾派閥と中国派閥。無理もない、台湾と中国が戦争をしたのはまだたった15年前なのだ。チームの構成員の中には15年前の戦争で家族を失った奴も大勢いて、親の代からの根強い怨恨を受け継いで相手国を敵視している。池袋では殆ど毎日のように台湾系チームと中国系チームの小競り合いが起きていた。
俺がいたのは武闘派でならした台湾系チーム。
お袋とふたりで暮らしてたアパートを追んでて路頭に迷ってた11歳の頃から13歳までの二年間身を寄せていたが、居心地はお世辞にもよくなかった。決まってる。俺の親父は中国人だ。両親が台湾人と片親だけ台湾人のガキじゃ格がちがう、しかも父親は憎き中国人ときた。俺の中に家族を殺した中国人の面影を見てしつこく絡んでくる奴もいた、はっきり言って肩身が狭かった、かなり。
だからあの時もムキになってしまったのだ。
『できるだろう』
『できるに決まってんだろ』
ガキっぽい応酬を苦々しく思い出す。まったく、安っぽい挑発になんか乗るんじゃなかった。にやにや笑いながら俺の手に手榴弾を握らせたのは当時のチーム仲間、といっても俺と四つしかちがわないくせに無駄に態度のでかいいけすかないガキだ。まわりを取り囲んだやつらのにやにや笑いも癇に障る。
因縁の仇敵たる中国系チームとの決戦を控えた前夜。
『仲間の中国人を殺れるかどうかミモノだ』
アジトにしている廃工場に集合して明日の作戦を練っていた俺たちだが、いつのまにか会議の方向が脱線していた。俺の覚悟を見極めるという名目で、俺が本当の台湾人かどうかたしかめるという大義名分で手にあずけられたのは米軍の横流し品の手榴弾。どっからかっぱらってきたのか知らないが、栓を抜くだけで人間を肉片に変えることができる物騒な代物だ。
『やるよ。持ってろ』
半ばおしつけるかたちで俺に手榴弾を握らせそいつが命じる。
無骨な形状の手榴弾をしげしげと見つめる。
飛び道具は卑怯に感じられ気乗りしない。
『いらねえ。鉄パイプでじゅうぶんだ』
無造作に手榴弾を突っ返しかけた俺だが、途端にやつの目が冷え込んだのに気付き「やばい」と舌打ちする。
『持ってて損するこたないだろ』
『米軍の落としもんが信用できるか、こんな手榴弾自爆用にしかつかえねえ』
『逃げるのか』
意味ありげに言葉を切り、車座になったガキどもの間に沈黙が浸透するのを待ち、続ける。
『中国人を殺るのに怖気づいたのか』
展開は読めていた。なにかにつけ因縁をふっかけてくるコイツのことだ、絶対に俺の出自にふれるとおもった。
『そんなわけじゃねえ。いつ爆発するかひやひやしながらこんな危ねえもん持ち歩くより鉄パイプで頭かち割ったほうが確実だってだけだ』
『言い訳すんのが怪しいな』
目が笑ってる。
まわりのガキどももそうだ。窮地に立たされた俺を見て心の底からたのしげににたついている。
周囲のガキどもが嬉々として横槍を入れる。
『本当はおまえ、あっちのチームに入りたいんじゃねえか』
『なにを、』
『べつに止めねえぜ、今からでもあっちのチームに乗り換えろよ。親父が中国人ならそれもアリだ、中国人の足裏なめて仲間にいれてもらってこいよ』
ねちねちいたぶるような口調でイヤミを言われ頭が沸騰しかけたが、拳を握り締めてこらえる。
『―やれるさ』
陰険なやり方に反発して、勢いだけで断言する。てのひらにすっぽりおさまる大きさの手榴弾をもう一度見下ろし、自分に言い聞かせるようにくりかえす。
『ひとり残らず殺って証明してやるよ、俺が生粋の台湾人だってことを』
物心ついたときから台湾人の母親と暮らしてきて箸の作法から廟詣でにいたるまで骨の髄まで台湾文化をたたきこまれてきたのに、顔も知らない親父が中国人だというただそれだけでこんな扱いを受けるいわれはねえ。いいさ、明日の抗争じゃ存分に戦果をあげてコイツらを見返してやる。手榴弾は保険だ、チームが全滅して俺ひとり生き残るかして追いつめられないかぎりは栓を抜くこともないだろう。
俺は馬鹿だった。
「そのまさか」の可能性をもう少し尊重するべきだったのだ。
いまさらなにを悔やんでも後の祭りだが、もしあの時手榴弾の譲渡を拒んでいれば俺は今こうしていなかっただろう。つまらない見栄をはってこれからさきの人生を台無しにしてしまったばかりか、くそったれた人殺しの前科を負ってしまったのだ。
刑務所には二種類の人間がいる。馬鹿な奴と利口な奴。
俺はまちがいなく前者だ。いや、刑務所送りにされる時点でみんなバカな奴にはちがいないが、利口な奴が看守に媚売ってとりいって特別待遇を受けているのに比べても俺は損をしている。もっとも今じゃ開き直ってもいる。馬鹿なら馬鹿で結構、嫌いな人間に愛想笑いなんてしたくないからな。
さて、ながながと続けてきたが最終的になにが言いたいのかというとこれに尽きる。
刑務所には二種類の人間がいる。手紙がくる奴とこない奴だ。
+
「うっとうしい奴だなお前」
いまさらわかりきったことだが、レイジの沈んだ顔を見てると言わずにはいられない。頭を抱えてベッドに伏せったレイジがじつに情けない声をあげる。
「だってよーあんまりだよー本燃やしたの俺じゃねえのにこんな無体な仕打ち」
スランプに陥った作家のように頭をかきむしって苦悶するレイジを隣のベッドから嘲ってやる。
「そもそも図書室で借りた本を凶器にすんのがまちがいなんだよ」
レイジの愛読書は聖書だ。原則として東京プリズン収監時における囚人の私物持ち込みは禁止されているから、レイジが暇潰しに読み耽っていた聖書は図書室から借りてきたものでしかありえない。こともあろうに借り物の聖書でサーシャ率いる北のガキどもをぶん殴って血に染めた男が当たり前の制裁措置として図書室への出入り禁止されたところでさっぱり同情の念はわかない。自業自得だ。
「つめてえな」
白けた顔の俺を仰ぎ見て、ガキっぽく口をとがらすレイジ。どんなに美形でも拗ねた表情はガキっぽくなるもんだなと妙に感心する。レイジは普段から表情を崩してることが多いからいまいち美形の実感がわかないが娑婆にでれば女が放っておかない容姿をしている。
それが証拠に今でも大量のラブレターが届く。
「活字に飢えてんなら例のラブレターでも読み返せよ」
そっけなく顎をしゃくり、レイジが伏せったベッドの下を促す。ベッドの下をのぞきこんだレイジがなげかわしげにため息をつく。
「全部暗記しちまったよ、もう」
「うそつけ」
「本当だよ。今ここで暗唱してやろうか」
「いらねえ」
「ははーん。嫉妬か」
「死ね」
なんで俺がうきうきしながらラブレターを音読するレイジに嫉妬しなければならない?たしかに俺にはレイジみたいに両の腕からあふれんばかりのラブレターなんて届いた試しがないし、というかそもそも東京プリズンにきてから手紙をもらったことがない。いや、東京プリズンにきてからとか限定しなくても、スラムで喧嘩に明け暮れていたころまでさかのぼってもだれかから手紙を貰ったことなんて一度もない。それがなんだ?女から手紙をもらったことがないのがそんなに恥ずかしいことなのかよ。
「女から手紙もらうのがそんなにえらいことなのかよ。娑婆にいた頃のお前がどんだけモテまくって女を泣かせてたかしらねえけど調子にのんな」
「なに勘違いしてんだ、逆だよ逆」
要領を得ないやりとりに不審顔をする。ベッドに上体を起こしたレイジがいつのまにかとりだした手紙で顔を仰ぎながら笑う。
「この手紙を書いた女たちにやきもち焼いてるんだろ、ロン」
は?
「なんで俺がやきもち焼くんだよ」
「俺のガールフレンドだからさ」
「意味わかんねえ、付き合ってられるか」
レイジに愛想を尽かし、壁の方を向いてごろりと横になった俺は背中で調子っぱずれの鼻歌を聞く。
「いいぜ手紙は。愛がこもってる」
背後でカサカサと紙の擦れる音がする。黄ばんだ手紙を広げてうきうきしながら文面を読み始めたレイジの顔が目に浮かぶようだ。腹が立つ。どうせ俺には手紙がきたことなんて一度もねえよ、と心の中で吐き捨てて目を瞑る。
俺だって天涯孤独ってわけじゃない、娑婆には11の時から音信普通のお袋がいる。お袋は自分が腹を痛めて産んだガキが刑務所に入ってることを知ってるんだろうか。風の便りに小耳に挟んでも不思議じゃないが、だからといってあの薄情な女に期待するのがまちがってる。刑務所暮らしの息子を案じて手紙をしたためるような人並みの親心があの女にあるわけがない、十一年間一緒に暮らした俺が断言する。
壁の方を向いて肘枕した俺は、たのしそうなレイジにイヤミのひとつでも言いたい気分になって口を開く。
「手紙にこもってるのは愛だけかよ」
「?」
「憎しみもこもってるんじゃねえか」
一呼吸の沈黙。
「否定はしない。実際剃刀入りの手紙送りつけてくるようなあぶねー奴もいるしな」
振り返る。肩越しに見たレイジは俺と同じような格好でベッドに寝転がり、頭上に手紙をかざして読み耽っていた。安物の便箋に綴られた字をすばやく目で追いながら結論づける。
「でも、いいもんだぜ。こうやって何度も読み返せるし手元にとっておけるし、娑婆の女が俺のこと忘れてないんだって確認できる」
「お前馬鹿か、他に男つくってるにきまってるじゃねーか」
「浮気はいいよべつに、おれも浮気するし」
さらりと世の女に刺されそうな発言をして手紙をたたみ、こちらに顔を振り向け、意味ありげに笑う。
「お前の浮気は許せないけど」
「ちょっと待て、俺がいつお前のものになった?」
たしかに何度も寝込みを襲われかけたが、まだ既成事実はない、はずだ。
脅すような笑みを浮かべたレイジに確信が揺らぐ。俺がぐっすり寝込んでて気付かなかっただけ、というおぞましいオチはないよな。さすがにそこまで鈍感じゃないぞ俺。畳んだ手紙を封筒に戻し、ベッドの下に放りこんだレイジがベッドを立って大きく伸びをする。
「いい加減読み返すのも飽きたな」
「安心しろ、もうすぐ青い鳥がまいこんでくる」
反動をつけて上体を起こし、ベッドに腰掛けた姿勢で鉄扉を注視する。廊下を近づいてくる尖った靴音。カツンカツンカツン……房の前で靴音が止む。
「レイジはいるか」
「はーい」
ふざけた返事だ。もしレイジ以外のやつがこんな返事をすれば前歯の一本や二本は折られてただろう。鉄扉が乱暴に開けられ、見るからに横暴そうな面構えの看守が現れる。
「お待ちかねの手紙がきてるぞ。視聴覚ホールに集合だ」
横柄に顎をしゃくって看守がひっこむ。ついてこいという意思表示だろう。看守の背中を追って房をでていきかけたレイジが鉄扉のノブに手をかけて振り返る。
「んじゃ、いってくる」
「もう帰ってこなくていいぜ」
「俺がいない間に浮気すんなよ」
聞いちゃいねえ。
馬耳東風のレイジが踊るような足取りで房をでてゆくのを見送り、手持ち無沙汰な気分で床を見つめる。鈍い音をたてて鉄扉が閉じ、いつ聞いても音痴なレイジの鼻歌が廊下を遠ざかってゆく。廊下の途中で「しずかにしろ!」と看守に怒鳴られ一瞬だけ鼻歌が止むが懲りない様子ですぐに再開される。今度は看守も注意しなかった、背後を歩いてるガキが泣く子もびびる東棟の王様だと思い出したのだろう。
鼻歌が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
レイジがいなくなり、奇妙なほど広々と感じられる殺風景な房にひとり残された俺はなにげなく向かいのベッドの下に視線をもぐらせる。
うらやましくなんかない。
たかが手紙だ。読み終わったら鼻をかむかケツを拭くかしかとりえのねえ薄っぺらい紙じゃねえか。
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