少年プリズン

まさみ

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四十八話

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 「おーいリョウ。今の言葉にはちょっと矛盾があるんじゃねえか?」
 それがレイジの第一声だった。
 「は?」
 ぼく?自分の顔を指さして当惑した僕に笑顔を向け、レイジが訂正する。
 「12時過ぎても帰ってこねえ囚われのシンデレラは、俺じゃなくてロンだろう」
 おどろいた、こんなに離れてるのにそう大きくない僕の呟きが聞き取れたらしい。単純な直線距離にしても監視塔から中庭までは30メートル離れてる。
 目を丸くした僕の隣、王座の肘掛けに預けるように手摺に手をおいたサーシャとレイジの視線が虚空で衝突する。
 「今宵は舞踏会にお招きいただいてありがとう、北の皇帝」
 「歓迎しよう、東の王」
 深海の鮫のようなアイスブルーの目と、超然とした笑みを浮かべた茶色の目が火花を散らす。
 サーシャはちょっと口を噤んでレイジを見下ろしていたが、やがてその唇から嘲るような呟きがもれる。
 「噂どおり、東の王には人望がないようだな」
 「あん?」
 「今日この場に招かれた用件はわかっているだろう。それなのに仲間の助力を乞わず、単身戦場に出向いてくるとは……噂どおり、東の王は痴れ者だな」
 「痴れ者はお前だろ、永久凍土の皇帝」
 「なに?」
 サーシャの眉が動く。サーチライトの脚光を浴び、中庭の舞台に上がったレイジは微笑んだまま、断固として言い切る。
 「ロンは俺の女だ」
 はい?なんですと?
 「あの野郎……」
 ぽかんとした沈黙。全員口を半開きにしてその場に立ち尽くした北棟の少年たちはよそに、手摺から身を乗り出したロンが激烈な反応を示す。
 「おいレイジ、人が好きに動けねえからってなに勝手なことほざいてんだ!ありもしねえ事実を素面で捏造するんじゃねえ、今の台詞取り消せ!」
 瞬間沸騰したロンが噛みつかんばかりの勢いでレイジに食ってかかるが、中庭のレイジは平然としている。ロンの怒声を浴びておどけたように首をすくめるや、「間違えた」と深呼吸する。
 そして、再び。
 「ロンは俺の物だ」
 鈍い音がした。ロンがコンクリートの手摺に額をぶつけたのだ、おもいきり。
 コイツ何を言い出すんだとあきれかえった顔を並べている北の少年たちをひとりずつ見つめ、ごく静かにレイジが口を開く。
 「こう見えて俺は嫉妬深い男でね、自分の物に横からちょっかいかけられるのが大っ嫌いなんだ。まあ、俺の目の届かないところや俺の知らないところならまだ諦めがつくさ。その場に俺がいなかったんじゃしかたない、運が悪かった、いけずな神様のいたずらだって言い聞かせて納得することもできるさ。それで俺の物に多少の傷がついたとしたらものすげえ腹が立つし、犯人には殺意が沸くさ。でも逆に考えてみりゃ、チキンハートの腰抜け連中は俺がそばにいりゃあ絶対俺の持ち物には手をださないってことだろ?だったら俺がいつでもそばにいりゃいいだけの話。クソする時も寝る時もシャワー浴びる時も片時もはなれず俺の持ち物のそばにぴたりとくっついて目を光らせてりゃ、それで絶対の安全が保証されるってんだからお安いもんさ」
 額におちた前髪を鬱陶しそうにかきあげ、芝居がかったため息をつく。手と前髪の奥、印象的な造形の切れ長の目で火花が散ったように見えたのは気のせいだろうか。
 「ところがだ。お前らはご丁寧にも、招待状を送りつけてくれた。ロンを人質にとって、俺を中庭に呼び出して、罠をかけて待ち構えて。俺の女を横からかっさらって、人の許可なく手錠をかけて、見晴らしのいい台につないでくれちゃって。それをわざわざ俺に見せ付けるために、リョウに招待状書かせるなんて手のこんだことをして。なに、そんなに王座が欲しいわけ?今度の試合で勝ちたいわけ?不戦勝でも勝ちは勝ち、手足を折って頭蓋骨を割ってブラックワークで使い物にならなくさせたいわけか?」
 笑顔は笑顔のままに、人を威圧する目の光だけを何倍にも強めてレイジが問う。
 「素で聞く。お前ら、何様のつもりだ?」
 ただひとつ間違ってるのは、僕はサーシャに命じられて招待状を書いたわけじゃない。自発的に書いてサーシャに事後承諾をとりつけたんだけど、最高に頭にきてるらしいレイジの前で得意げにそのことを吹聴して恨みを買いたくないから黙っとく。
 鍵屋崎は無表情で怒るけどレイジは笑いながら怒る。 
 「貴様こそ何様のつもりだ、薄汚い混血の分際で」
 「王様のつもりだ」
 「―王が聞いてあきれる」 
 まったく油断していたロンの後頭部を掴み、コンクリートの手摺に押し付けるサーシャ。
 「!?痛っ、」
 「ブラックワークの暫定覇者に少しでも警戒していた私が愚かだった。東の王の実体はただの腑抜けで色惚けの混血児ではないか。女を人質にとったという招待状を鵜呑みにして、命令どおりたった一人で出向いてくるとは……王の座にありながら騎士を気取ったのが仇になったな」
 サーシャの手の下でロンの顔が苦痛に歪み、額に脂汗が滲む。細い腕してなんて怪力だ、コイツ。化け物じみてる。
 「東の王ご執心の雑種を先に殺してから、飼い主の息の根をとめるのも一興だな」
 挑戦的に言い放ったサーシャがますます腕の力を強め、ロンの苦鳴が一音階高くなる。手摺と手とに挟まれたロンの顔が無残に削られてゆくのを予想した僕はおもわず顔をしかめかけたけど、実際その必要はなかった。
 ロンの顔が醜く潰れる前に、レイジがやんわりと仲裁に入ったからだ。
 「なあサーシャ。お前童貞だろ」
 前後の脈絡がない結論に、サーシャの動きがぴたりと止む。
 「前戯が長すぎ。ギャラリーが退屈してんのわかんないの?お前のうしろのガキなんてほら、貧乏揺すりしてるじゃねーか。その隣の奴は小便我慢して股間おさえてるし……いいか?本番前に長々と演説ぶつのは自信のなさの裏返し、単純にテクだけで相手を逝かせる自信のねえ腰抜けの予防策だ。要するにだ、前戯が長すぎるうえにねちっこすぎて女に愛想尽かされる典型だよお前」
 「―よかろう」
 興味が失せたようにロンの後頭部を突き放し、威風堂々と歩み出るサーシャ。前髪を開放されたロンの体がよろめき、鍵屋崎の肩にぶつかる。肩で息をするロンから、険悪に睨み合うサーシャとレイジへと視線を転じる。
 「自分に注意を向けさせて友を救おうという魂胆は見え見えだが、お前のつまらん試みにあえて乗ってやろうではないか」
 「さっすが皇帝、話がわかるう」
 ふざけて口笛を吹く真似をしたレイジがサーシャの手下に取り囲まれる。レイジの注意がサーシャに向いている間に地上に移動していたのだろう少年たちは、全身に血早ぶる闘志をみなぎらせてレイジを追い詰める。
 輪の中央のレイジは薄く笑みを浮かべたまま、口の中で何かブツブツ言っている。
 「―サーシャ。ひとついいか」
 「なんだ」
 「いくら自分が直接手の届かない安全圏にいるからって、三分の二の戦力をこっちに割くのは……」

 一閃。
 レイジの腕が弓のように撓り、高々と投擲された瓶が夜空に弧を描いてサーシャの脳天へと急降下する。

 「『命取り』だって、よーく覚えときな」
 瓶の割れる音は、勢いよく燃え上がった炎の轟音に打ち消された。
 「!!」
 顔を炙る炎の熱からとんで逃れた僕の眼前で、サーシャがはげしく身悶えしている。獣じみた咆哮をあげ、炎に巻かれて苦悶するサーシャのもとへと駆け寄った少年たちが迅速に上着を脱がし消火活動に努める。
 「大丈夫ですか、サーシャ様!」
 「お怪我はございませんか、皇帝!」
 「案ずるな、忠臣よ。大事はない」
 片手を挙げて家臣を制したサーシャだが、強がりなのは一目瞭然。額に玉のような汗が浮かんでる。
 レイジの奴、マジでいかれてる。火炎瓶なんて用意してたのかよ。
 用意周到なレイジに感心半分あきれ半分、囚人服の胸をおさえて動悸がおさまるのを待っていた僕の耳を貫く絶叫。音源は「下」だ。
 手摺から身を乗り出した僕の目に映ったのは、蟻の軍勢を相手どったスズメバチの如く北の少年たちを翻弄するレイジの姿。シャープで無駄のない体捌きから繰り出される電光石火の蹴りは並の動体視力では避けることはおろかとらえることもできず、冗談のような速さとあざやかさで北の少年たちを倒してゆく。
 戦闘中、レイジはずっと何かを呟いていた。妙に厳かな低音で何を呟いているのか聞き取ろうとしたが、ダメだ。レイジに吹っ飛ばされた少年たちが折り重なって倒れてゆく死屍累々の現状のほうが気にかかって、とても唇の動きまで読み取れない。
 「サ、サーシャさまあああああああっ」
 耳から血を流して地面に膝をついた少年がサーシャに助けを求め、不興を買う。 
 「誇り高きロシアの末裔たる者が、混血の害虫一匹に駆逐されるとは情けない」
 大儀そうにかぶりを振ったサーシャが仰々しく腕を振りかざし、ズボンのポケットから一本のナイフをとりだす。
 芸術的な装飾の施された鞘を抜き放ち、抜き身のナイフを手に握る。
 「ひっ!」
 サーシャの投擲したナイフが白銀の弧を描いて足もとに刺さり、少年が驚倒する。
 「北棟の恥さらし、ロシアの面汚しが。潔く頚動脈をかき切って自害しろ。恥辱を拭うには誇り高い自死しかない」
 恐怖に失禁した少年の背後から真打ち登場と歩み出たレイジがおもいきり柄を踏みこみ、造作なくナイフをキャッチする。
 「おりてこいよ皇帝。決着つけようぜ」
 「私は王座から動かない。そちらが上がってくるのが筋というものだろう」
 「階段に罠があるかもしれねえからな」
 「罠を恐れる東の王ではないと思うがな。買いかぶりだったか」
 この言葉に、レイジの笑みが変化する。
 笑みというよりは、笑みの形をした歪みと形容するのが正しい素顔が一瞬覗き、抜き身のナイフを腰にさしたレイジが優雅な足取りで階段へと向かう。カツン、カツン。硬質な靴音が響き、やがて監視塔の屋上にレイジが姿を現す。
 なにかをさがすように監視塔を見回したレイジ、その視線がロンの上でとまる。 
 「門限すぎても帰ってこねえから心配したぜ」
 「煩死了(おまえにはうんざりだ)」
 痴話喧嘩か夫婦漫才に発展しかけた二人の間に割りこんできたのは、重々しいバリトン。 
 「重畳なり、東の王よ」
 振り向く。
 背中に火傷を負ったサーシャが冷たいアイスブルーの目でレイジを見下している。裸の上半身の至る所に刻まれているのは夥しい傷痕。
 のっそりと現れたサーシャと相対し、余裕っぽくレイジが微笑む。
 「俺の物を取り返しにきたぜ」
 「だれがお前の物だ」
 「痴話喧嘩はよそでやってくれないか」
 「……喧嘩売ってんのかお前?買うぞ」
 間髪いれず抗議したロンに注意した鍵屋崎、険悪な雰囲気。ひそひそ声で口論しはじめた鍵屋崎とロンはさておき、こちらはこちらで本番開始。此岸と彼岸の距離を隔てて向かい合うサーシャとレイジ、最初に口を開いたのは北の皇帝。
 「舞踏会の幕開けだ」
 大袈裟に両手を広げて舞踏会の開始を告げたサーシャに、レイジがまた笑いの発作を起こす。
 「下僕のネズミどもを踊り狂わせただけじゃ飽きたらず、誇り高い皇帝自らコサックダンスを披露してくれるってか?」
 「王は踊り疲れたのか?」
 「まさか。前戯がぬるくて退屈してたんだ、今夜は一緒に踊ろうぜ」
 「ダンスの作法もろくに知らない下賎な混血児と踊るのは、貴様の汚い足で靴を踏まれそうでぞっとしない」
 互いに歩みだしたレイジとの距離が十歩まで狭まったとき、「連れてこい」と家臣に指示を下すサーシャ。忠実なる家臣に引き立てられた鍵屋崎とロンがこっちへと連れてこられるのに目を細め、うっすらとレイジが笑う。 
 「何の真似だ?」
 「愚かな王だな。なぜ私がリョウから薬を借りてまでこの薄汚い台湾人を拉致したと思う?答えは明白―……『これ』がお前の唯一にして最大の弱味だからだ。そうだな、リョウ?」
 「少なくとも僕はそう聞いたよ、彼から」
 笑いながら鍵屋崎に顎をしゃくってやる。突然水を向けられた鍵屋崎がハッとする。
 「おまえが噛んでたのか……」
 「………仕方ないだろう。眼鏡を盾にとられたんだ」
 「さっきの言葉そっくり返すぜ。こうなったのも全部お前のせいだ」
 ロンが正しい。僕も九割九部九厘鍵屋崎が悪いと思う。 
 「僕はレイジ本人からそう聞いた」
 「キーストアの言う通り、俺は嘘は言ってない。それがどうかしたか?」
 「―ならば」
 サーシャが顎をしゃくり、ロンの五指をめいっぱいに広げさせる。 
 「なんのつもりだよ?」
 ポケットから三本目のナイフを取り出し、家臣の手に渡す。ナイフを受け取って戻ってきた少年が仲間に目配せしてロンを取り押さえ、身動きを封じる。そして、いっそ無造作ともおもえる動作で腕を振り上げ、ロンの指の間にナイフの切っ先を突き立てる。
 「純血のロシア人たる私は本当の本当に混血が嫌いだ。とくにアジアの血が混ざった混血がな。奴ら黄色い猿どもの血が混ざった連中ときたら図々しいにもほどがある、とくに中国人は最低だ。地球の人口の実に五人に一人が奴らで占められる。我がロシアと国土を接していながら、文化も言語も料理もなにもかもが奴らはあまりに下品すぎる。非常に目障りだ。私が『外』にいたときに知り合ったさる中国人は、我がロシアが誇る伝統料理ボルシチよりチゲ鍋のほうが数倍辛くて美味だと主張して決して自説を曲げなかった。ボルシチなどブタの血をまぜて赤く見せただけの子供だましの料理だと」
 祖国の味を侮辱した男の顔を思い出しているのか、サーシャが残忍に笑う。
 「私はその中国人の舌を根元から切りとり、じっくり煮込んでボルシチを作った。とてもとても美味だった」
 とてもつっこめる雰囲気じゃないけど、舌を煮込んだのならボルシチじゃなくてタンシチューだとおもう。
 そんな僕をよそに、ふたたびロンの手を寝かせて指を押し広げる。
 「お前は中国人の血が混ざってる。ボルシチを愚弄してロシアを侮辱した中国人の血が」
 「……またか。中国人だったり台湾人だったり、てめえらの都合でころころ変えやがって。もううんざりだ」
 「真実だろう?お前は台湾と中国の混血で、いずれ劣らぬ下賎な血の末裔だ」
 とりつくしまもない判決を下してから、冷酷な声音でサーシャが命じる。 
 「小指を切り落とせ」
 「!」
 ロンの顔が恐怖に強張る。戦慄の表情を浮かべたロンを組み敷き、加虐の興奮に息を荒げながらその小指にナイフの刃をあてがう少年。 研ぎ澄まされたナイフの刃が、サーチライトの光を反射して鋭くきらめく。 
 「リビョ―ナクのように泣き叫べ。サバーカのように吠えろ。ああ、薄汚い中国人のクローフィが見たくて見たくてたまらない」
 ナイフが振り上げられ、ロンの小指が切り落とされ―
 「北の皇帝はあまり物を知らないようだな」
 ガチン、鈍い音がした。
 コンクリートの地面を穿ったナイフを見つめ、ロンが固まる。間一髪手元が狂い、目測を見誤った少年が驚愕に目を丸くする。少年の手元を狂わせたのは、それまで沈黙を守っていた鍵屋崎の意外に大きな声。
 「―どういう意味だ?」
 無表情に聞き返したサーシャを一瞥し、感情の欠落した声で鍵屋崎が答える。
 「チゲ鍋は韓国料理だ。中華料理じゃない」
 そして。メガネの奥で冷たく光る切れ長の目でちらりとロンを見やり、心底いやそうに付け加える。
 「あと、彼の指を切り落とすのは手錠をはずしてからにしてくれないか?他人の返り血を浴びるのはぞっとしない」
 「そうか、韓国料理か。それは知らなかった。お前ら黄色い猿どもの口にする餌など私からすれば中国も韓国も日本も変わらん。胸の悪くなるような腐臭をはなつ残飯にすぎんからな」
 例の少年に目配せしてナイフを取り戻したサーシャが鍵屋崎に接近、その頭上にナイフを翳す。
 地面に血が散った。
 切り裂かれた瞼から大量の血が滴り、メガネのレンズが赤く煙る。さすがに痛そうに顔をしかめた鍵屋崎の前で見せ付けるようにナイフを舐め上げ、うっとりとサーシャが笑う。
 「血の汚れた日本人の分際で誇り高きロシアの末裔たる私に意見する気か、その勇気は褒めてやろう」
 サーシャが再び腕を振り上げ、片手で瞼をおさえた鍵屋崎の顔に不穏な影がさす。 
 「ただー……その勇気には、愚者の烙印が押されるがな」
 サーチライトを浴びたナイフがぎらりと輝き、鍵屋崎の頚動脈へと迫り―
 惜しいところでそれを妨害したのは、視界の外からとんできた聖書だった。
 「!」
 狙い違わずサーシャの手を直撃し、遠方にナイフをはじきとばす。全員、揃ったように聖書がとんできた方角に目をやる。
 今更説明するまでもないが、そこにいたのはレイジだった。
 「サーシャ。お前、ほんとうに陰険」
 「東の王の名は伊達ではない、ということか」
 苦笑いしたレイジへと体ごと向き直り、拾い上げたナイフをもてあそびつつ、感心したふうにサーシャが呟く。
 「東棟の人間を盾にとられれば、いかなお前といえど手をだせないだろう。この中国人がお前の弱味だとはリョウから聞いていたが、それだけでは心許ない。念のためにもう一人人質を確保しておいてよかった」
 「まあ、メガネくんが夜中にふらふらほっつき歩いてるとこにでくわしたのは偶然だったけどね。結果オーライってやつ?ぼくの機転に感謝してほしいな、なんてね」
 鍵屋崎が東のスパイだと吹き込んだのが効いたらしく、あんまりオツムのよろしくない皇帝さまは僕のことを高く評価してくれてるらしい。ボロをださないよう、せいぜいお芝居しなくちゃ。
 「お前の働きには相応の褒美で報いよう」
 「やった」
 わざとらしく歓声をあげ、指を弾く。おっと、危ない!?危うくバランスを崩しかけ、それまで腰掛けていた手摺から墜落しかける。
 「ぶっちゃけ、そいつがどうなってもかまわないんだけどさあ」
 両手をばたばたさせて均衡を取り戻した僕が長々と息を吐いてる間、レイジは気だるげに肩を揉みほぐしていた。
 「べつに俺そいつとダチじゃねーし、同じ棟の人間だからってだけじゃ助ける動機にもなんねーし。さっきそいつがロンを見捨てようとしたのと同じこと。わざわざしなくていい苦労してまでダチでもねー人間助ける物好きはいねーだろ。鍵屋崎はからかいがいのある面白い奴だけど、そんだけだ。ロンと違って、俺はそこまで鍵屋崎に執着してない。早い話がタイプじゃない」
 「では、なぜ助けた?」
 「ロンの顔をほかの男の血で汚すのが嫌だったから、かな」
 驚いた、皆から恐れられる東の王様がそこまでロンにご執心だったとは。
 「で?北の皇帝は俺になにをさせたいわけかな。跪いて靴でも舐めてもらいたいわけ?」
 「そうしてもらおうか」
 冗談のつもりで言った一言をあっさり肯定され、レイジが大袈裟に仰け反る。
 「マジで?」
 「できないのか」
 所詮その程度の男なのかと言外に挑発を含めたサーシャに触発されたか、「だ・れ・が、できないと言ったよ?」とレイジが返す。そのまま無造作に足を踏み出し、しなやかな豹のように間合いを詰める。互いの距離が五歩まで狭まった時、おもむろにサーシャが片手を挙げる。
 「止まれ。頚動脈をかき切られる前に腰のものを返してもらおうか」
 サーシャの目が油断なく光る。レイジは舌打ちした。
 「ぬかりねえな、さすがに」
 言葉とは裏腹に、腰にさしたナイフを一抹の未練なくサーシャの足もとに投げ捨てる。乾いた音をたてて足もとに転がったナイフから正面のレイジへと目を戻し、沈黙。四歩、三歩、二歩。
 ついにサーシャの手前で立ち止まったレイジが、おだやかに口を開く。
 「サーシャ」
 「なんだ」
 「警告しとくが、俺があんたの足の親指を食いちぎらないって保証はどこにもない」
 「貴様の喉を私の足の親指が下る間に、あの中国人は手首を切り落とされ、あの日本人は両の目を抉りだされるだろうな」
 やれやれとレイジがため息をつく。最初からわかっていたが、一応言ってみただけだという諦観のポーズ。しばし夜空を見上げて物思いに耽っているかに見えたレイジがまずはサーシャを見、そして、ゆっくりとその場に跪く。
 サーシャの靴裏を支え、踝に片手を添える。
 そして、靴の先端に口付けする。上唇で触れるだけの、ごく軽い接吻。
 領主に宣誓する騎士のように厳粛な雰囲気、いにしえの儀式めいて神聖な光景にその場の全員が息を呑む。

 綺麗だ。

 その一挙手一投足が、サーチライトに照り映えたシャープな横顔が、とても綺麗だ。
 他人の靴にキスする姿がこんなに絵になる男も珍しいと妙な感慨にとらわれていた僕を現実に戻したのは、ガリッという耳障りな音。
 サーシャが憎々しげに奥歯を噛む音。
 「誠意の程度が知れるな」 
 激怒したサーシャが一息にレイジの頭上に足裏を振り上げ、振り下ろす。顔面を踏まれて地面に沈められたレイジの顔が苦痛に歪む間もなく、形よく尖った顎を蹴り上げて大きく仰け反らせる。後ろ向きに転倒しかけたレイジだが、咄嗟に手をつきことなきをえる。
 レイジの吐いた唾には血が混じっていた。
 「キスしろなどと一言も言ってない―『舐めろ』と言ったんだ」
 連続して足を振り下ろすサーシャ。されるがままに耐えながらコンクリートを掻いてサーシャに這いより、靴の先端を舐めようと舌を出す。飢えた犬のようにみじめな四つん這いの姿勢をとらされたレイジの視線の先には、首にナイフをつきつけられて身動きできずにいるロンがいた。
 お熱い友情に涙がでるよ、まったく。かってにトモダチごっこに酔ってりゃいいんだ。
 「舐めろ。サバーカのように」
 「……………………………」
 非情に追い討ちをかけたサーシャに従順に従い、地面に四肢をつき、なりふりかまわずサーシャの靴を舐めはじめる。満足げに微笑したサーシャの足もとに膝を屈し、時に顎を傾げて靴の先端をくわえこみ、時に不自由そうに首を伸縮させ、泥汚れを舐めとるように粘着質なまでに丁寧な舌づかいで靴の全体を舐める。
 一方的な奉仕の光景、強制と屈従の縮図。
 遠目に見ていた僕は、表面的にはポーカーフェイスを保ってるサーシャの息が上擦っていることに気付く。サーシャだけじゃない、屋上に居合わせた北の少年たち全員が熱に浮かされたように頬を上気させ、食い入るようにレイジを凝視しているのだ。
 鍵屋崎はどうだろうと好奇心から目をやればぎょっとするような顔をしていた。自分の目に映るものが信じられない、信じたくないという葛藤がありありと透けて見える慄然と固まった表情。
 と、なると。この場で純粋に怒りをおぼえてるのはただ一人。
 「―止めても無駄だ」
 唸るように吐き捨てたロンだけだろう。
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