少年プリズン

まさみ

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十六話

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 ズシャッ。
 顔に蹴りかけられた砂が目に入る。涙腺が焼ききれるかと思うほどの激痛。勝手に沸いてきた涙が砂で汚れた頬を洗い流して汚い染みを作る。黄土色に溶けた砂を頬にこびりつかせた俺の耳を地鳴りに似た音響が痺れさせる。
 なんだ、なんの音だ?
 空を突き上げるように浴びせられる輪郭の割れた大合唱、熱狂の歓声。鼓膜をわんわん震わせ三半規管を酔わす音の正体は、作業を放り出して我先にと飛んできた物見高い野次馬どもの罵声と怒声。騒ぎを聞きつけた囚人たちがふくれあがある好奇心を抑えきれず、看守の制止を振り切り俺と鍵屋崎がリンチされてる現場へと殺到したのだ。看守の許可もとらず作業を放棄してきた囚人どもは、警棒の罰が怖くないのかとか罰点くらうのが怖くないのかとかそんな常識的な脅しが通用する精神状態じゃない。もともと最凶最悪の少年犯罪者ばかりがぶちこまれた東京プリズンでも、イエローワークはとくにタチの悪い連中の溜まり場と噂される。砂漠での肉体労働にあてられているのは喧嘩っ早い問題児ばかり、そんな奴らが遠めに巻き起こった喧嘩の現場を目撃しておとなしく鍬を振り続けられるわけがないのだ。
 「こらっ、勝手に持ち場をはなれるな!」「貴様、だれの許可を得て……」「うるせえ、政府の犬はひっこんでろ!」「半半のロンと新入りのクソ生意気メガネがいたぶられてるなんて、こんな面白い現場見逃す手はねえ!」「夕飯のネタになるな」「たるい作業なんてやってる場合じゃねえ」「ぐずぐずしてたら終わっちまう」「はやくはやく……」くそっ、好き勝手言ってやがる。砂埃を蹴立てて駆けつけてきた囚人たちは円陣を組んで俺と凱と取り巻き連中をとりかこんでいる。
 「殺っちまえ凱!中国人の底力を見せてやれ!」
 「そんな裏切り者の半半なんて髪の毛一本残らず毟って坊主にしちまえ!」
 「砂漠の直射日光に坊主はつれえだろ」
 「おい、負けんな半半」
 「半半は気に入らねえけど凱はもっと気にくわねえから特別に応援してやる」
 「負けは覆せなくても凱のアレを食いちぎってみるくらいの意地は見せろよー」
 暴力衝動に酔った凱たちをさらにいい気にさせる殺気だった野次に混ざるのは二割に満たない俺への応援。やる気のない声でなげやりに応援されてもちっとも嬉しかねえ。
 いわれなくても、と俺は覚悟を決める。
 「!!ひぎぇっ、」
 食用蛙の潰れたようなうめき声を発して、俺の鳩尾に蹴りを食らわせようとしていたガキの一人が顔を覆う。胴に馬乗りになられているため手を使って直接殴りつけることはできないが、踵を蹴り上げて砂埃を起こすことはできる。俺が蹴り上げた砂は何人かの取り巻きの目を直撃、たまらず顔を覆ってあとじさったガキどもに溜飲をさげる。俺の上に跨った奴も例外ではなく、目に不意打ちを喰らって涙を流して悶絶していた。
 今だ!
 相手が油断した隙にはげしく身を捩ってガキを振り落とし、拘束から抜け出す。砂に手をついてゴロゴロ転がり、死角をとられぬよう素早く起き上がる。砂にまみれた囚人服を悠長にはたき清めている暇などない、俺はそばに倒れている鍵屋崎を襟首掴んで引き起こす。
 意識朦朧とした鍵屋崎の口に耳を近づけ、確かめる。
 「呼吸してるな」
 当たり前だ。激痛は激痛だが、あれ位で死ぬはずねえ。試しに鍵屋崎の眼前で手を振ってみる。焦点を失っていた鍵屋崎の視線が俺の掌へと収束し、脂汗にまみれた額に不可解な皺が寄る。
 「………三葉虫が何故現代に?今僕が見ているものが現実なら生物学と考古学の根本が覆される異常事態だ」
 「あん?」
 メガネを壊され、視力を失い混乱しているらしい。俺はまじまじと自分のてのひらを見下ろした。どう見ても三葉虫には見えない。「学界に報告しなければ、いや、その前にマサチューセッツ大学に保管されている三葉虫の化石を取り寄せてその形状が今ぼくが見ている固体と同様のものか確認しなければ」とブツブツうわ言を呟いている鍵屋崎の頬をおもいきり平手で叩いて正気に戻す。
 荒療治も少しは功を奏したようで、鍵屋崎は億劫そうに瞬きした。三度目に閉じた瞼が開いた時、鍵屋崎の目に理性の光が戻ってきた。と同時に右手の激痛を再認識したようで、鍵屋崎がぐっと歯を食いしばる。
 悲痛な顔をした鍵屋崎を冷ややかに眺め、俺は言ってやる。
 「顔じゃなくてよかったな」
 凱の言い分は正しい。
 東京プリズンじゃメガネも立派な凶器になる。もし鍵屋崎が顔にメガネをかけたまま凱の拳の一撃を受けていれば、鼻骨は陥没し額は割れ目は鬱血し、二目とつかない容貌に様変わりしてただろう。下手したらメガネの破片が目に刺さって失明してたかもしれない。伊達なら妙なしゃれっ気だすのはやめて外しておけと忠告してやりたかったのだが。
 ―いや、顔の方がまだマシだったか。改めて鍵屋崎の右手を見下ろす。細分化したメガネの破片が突き刺さった掌は酷い有り様。血と砂と尿が混ざって赤黒い泥濘に変化している。これじゃ当分シャベルは握れないだろう。おまけに凱の小便の悪臭がぷんぷんと匂ってくる。
 「―手を洗いたい」
 「すべてが終わってからな」
 すべてが終わった時は俺たちが死ぬ時だと思えなくもないが。
 鍵屋崎と背中合わせに追いつめられた俺は焦燥にかられてまわりを見回す。馬乗りになったガキを振り落としたところで、俺と鍵屋崎が凱たちの包囲網から抜け出せたわけではない。袋の中のネズミの窮状には変わりない。事実、俺たちを中心に二重になった輪の前列には凱とその取り巻きたちが立ちはだかっている。外側の輪を築いているのは暇な野次馬たち。
 「殺っちまえ凱!裏切り者を殺せ!」
 「先祖の仇だ!俺のばあちゃんは台湾人の兵隊に殺されたんだ、ガツンと仇をとってやってくれ!」
 「昨日入ったばっかの新入りに世間の、いや、東京プリズンの厳しさってもんを叩き込んでやれ!」
 「おれたちを見下してるクソ日本人の取り澄ましたツラに小便ひっかけてクソなすりつけてやれ!」
 「殺せ殺せ殺せ!」
 「犯れ犯れ犯れ!」
 イカレてやがる。
 辟易した俺の目におもいがけないものが飛び込んできた。
 野次馬の輪をくぐりぬけ、前列の輪を築いた取り巻きの一人の股下からひょいと顔をだしたのは見覚えのある面。くるくるカールした天然の赤毛の下、稚気を閃かせたアーモンド型の目。潰れた鼻に散ったそばかすが愛嬌満点の童顔に道化た風情を足している。
  
 売春夫のリョウだ。コイツまではるばる見物に来たのか。
 
 「犯れ犯れ犯れ!姦れ姦れ姦れ!」
 無邪気な笑みを湛えて華奢な拳を振り回すリョウの姿は、ぬいぐるみの芝居を見てはしゃいでるガキみたいに幼い。が、叫んでる内容は十分物騒だ。頭が瞬間沸騰した俺は取り巻きの股の下から顔を覗かせたリョウを一喝する。
 「勝手なことほざいてんじゃねえ、しまいにはヤるぞガキ!」
 「えー。ぼくお金もらわないと興奮しないタチなんだけど」
 「そっちの『犯る』じゃねえ、『殺る』だ!だいたいお前ビニールハウス担当だろ、勝手に砂漠に沸いてきていいのかよ!?」
 「勝手に沸いてきたわけじゃないよ、ちゃんと許可もらってる。ビニールハウスのスプリンクラーの調子がおかしくてさ、こっちの砂漠にいる技術者を呼びに来たんだ。そしたらなんか面白いことやってるからさ、ついでに覗いとこうって」
 話の片手間にリョウがぱくぱく摘んでいるのは、掌に盛った採れたて新鮮な苺。俺の視線を辿ったリョウがにっこりとほほえむ。
 「ああ、これ?ビニールハウスでとれたんだ。時期外れだからちょっと酸っぱいのが難だなあ、ショートケーキならちょうどいいんだけど」
 リョウが看守、ひいては男全般に取り入るのが上手いことは知ってたが、贔屓もここまでくるとアラブの石油王並のVIP待遇だ。ふと、鍵屋崎とリョウの目が合う。瞬間の表情からふたりが顔見知りだとわかった。
 「そこの身長140cm台後半、白色人種の外見特徴を有した赤毛翠眼の少年」
 「リョウだよ」
 「リョウ、君に質問がある」
 鍵屋崎が続けようとしたその時、凱の仲間の拳が唸りをあげて飛んでくる。
 「!」
 咄嗟に鍵屋崎を突き飛ばし、反対側の方角に転げる。俺と鍵屋崎の中間をむなしく穿った拳の行方を見定める暇もなく、導火線に火がついた連中が一斉に押しかけてくる。はじかれるように体勢を変え、砂を蹴立てて駆け出す。鍵屋崎の安否をたしかめる余裕はない。
 逃げる俺の背中越しに、妙なやりとりが聞こえてくる。
 「リョウ、昨日の『アレ』を持っているか」
 「アレってあれ?」
 「そう、君の商売道具だ」
 「たしかポケットに……あった!」
 快哉をあげるリョウに応じたのは淡白に冷め切った声。
 「………これはコンドームだろう」
 「ぼくの商売道具だよ」
 「君の性生活には全く関心がないし知りたくもないがこのコンドームは生地が薄い南米産だから、エイズや性病感染を防ぎたいなら安全性の保障された国産品を買え」
 「くわしいね。ひょっとして使ったことある?」
 「話を戻す」
 リョウの興味をすげなく一蹴し、右手の激痛に荒い息を零しながら鍵屋崎が言う。
 「僕が言ってるのはもうひとつの商売道具のことだ」
 「あー、もうひとつのほうね」
 ぽんと手を打ったリョウがごそごそとズボンのポケットを探り、何かを取り出す。
 それが何かを確かめる前に、凱たちに背を向けて走っていた俺の襟首に抵抗、衝撃。襟首を掴んで後ろざまに引き倒された俺は、無力に砂の斜面を転げ落ちる。俺の腰の上に跨っているのは不潔なニキビ面のガキ。膿んだニキビがぽつぽつと顔に散った脂ぎった面に下劣な笑みを湛え、うつ伏せに組み敷いた俺の後頭部を見下ろしている。
 「王手だな。雑種の野良犬は逃げ足はやくて苦労したぜ」
 「そりゃ保健所職員の気持ちがよくわかる貴重な体験だ」
 「屁理屈ぬかすな」
 軽口に軽口で答えたら肩を殴られた。俺の耳朶に後ろから口を寄せ、ガキが囁く。 
 「俺の父親と叔父貴はな、お前ら台湾のクソったれ軍隊に殺されたんだ。兄貴はまだ赤ん坊の頃に爆弾喰らって腰椎ヤラれて今じゃ下半身不随、勃つもんも勃たねえ寝たきりの身の上だ。可哀相だろ?親父が死んでから、お袋はガキ養うために日本に渡ってきた。ドブ浚いでも内職でもなんでもやって俺を育ててくれたけど、自分じゃ飯も食えねえ寝たきり兄貴の介護もあるし、毎日が血反吐吐くほど大変だった。兄貴はそんな状態で働けねえし他の兄弟はまだガキだったし、お袋ひとりで頑張ってたけど遂に限界がきてぽっくり過労死しちまった。俺は14で家を出てスラムで凌いできた。生きてくためなら殺しも盗みもなんでもやった、おかげで今こうして東京プリズンにいるわけさ、お前ら台湾人のおかげでな!」
 言いがかりとしか思えない粘着質な囁きにカッとして、おもわず言い返す。
 「それが俺に何の関係があんだよ?」
 「なに?」
 上に乗ったガキの顔が憤怒に染まる。胸が淀むような不条理な衝動に突き動かされ、きっとガキの目を見据える。
 「俺はお前の親父を殺した罪で東京プリズンにぶちこまれたわけでもお前の兄貴を下半身不随にさせたせいでぶちこまれたわけでもねえ、お前が俺が殺した連中の親類だってゆーんなら大人しく殺されてやってもかまわねえさ、いや、かまうけど納得できるよ!けどお前の親父を殺したのは俺じゃねえ、見ず知らずの赤の他人だ。おなじ台湾の血が流れてるってだけで何で赤の他人の罪までおっかぶらなきゃなんねーんだよ、ふざけんな!!復讐したけりゃてめえの兄貴を寝たきりにした張本人を見つけ出してこい、手近な俺で間に合わせるんじゃねえ!」
 一息にぶちまけた俺の前でみるみるガキの顔色が変わってゆく。頬に血が昇り、目が充血してゆく。激怒したガキに後頭部の毛を掴まれ、そのまま手荒く揺さぶられる。頭皮から毛が剥がれる激痛に口から苦鳴が漏れる。焼き鏝をおしつけられたように疼く頭皮に視線の熱を感じる。俺の後頭部を見下ろしているに違いないガキが、声色に邪悪な笑みを含ませて呟く。
 「―決めた」
 「!ーっ、」
 背中にひやりとした感触。囚人服の裾からもぐりこんだ手が無遠慮に背中をまさぐり、腰骨の起伏を揉む。淫猥な手つきに嫌な予感が沸き起こる。
 「野次馬どもの目の前でお前のケツを犯してやる」
 「な………」
 なんでそういう話になるんだ!?
 「ケツ犯されるのは野郎にとって最高の屈辱だろ?しかもこんだけギャラリーがいるんだ、お前が今ここでケツにぶちこまれてひんひん吠える姿見た奴らが夜房に帰ってから、今日のお前の姿思い出してマスかくんだぜ?考えただけで楽しくて楽しくてイッちまいそう」
 「ひとりで逝ってろ!」
 躍起になって暴れる俺を体重をかけて押さえ込み、下へ下へと手を這わせてゆく。汗でべとついた手の感触が不快すぎて気が遠くなる。
 「親父は台湾海峡に沈んだきり、二度とお袋と寝れねえ。親父が無事帰ってきてたら俺には弟か妹ができてたかもしれねえのに。兄貴は一生寝たきりで女とヤれずじまい、死ぬまで童貞のままだ」
 濁った狂気に濡れた目でぶつぶつと呟くガキ。砂でざらついた手が腰をさすり、愛撫というには激しすぎる動作で下肢をしごく。
 「その無念のひとかけらでもお前に味わってもらわなきゃ、親父と兄貴がむくわれねえ」
 快感よりも痛みを与えてくる容赦ない手つきに顔をしかめた俺の横でどしゃっと鈍い音がし、盛大に砂埃が舞い上がる。おもいきり砂埃を吸い込んだ俺がげほげほやってるさなか、砂に投げ倒されたのは案の定鍵屋崎だった。俺と同様逃げ回っていたようだが遂に命運尽きたらしく、すっかり諦念したまなざしで上に跨ったガキを仰ぎ見ている。
 「おう静安、たのしいことしてんじゃねえか」
 鍵屋崎の上に跨ったガキが、企み顔で俺に跨ったガキに耳打ち。
 「どうせなら二人同時にキックボールといこうぜ。どっちが速くイカせるか競争だ」
 ぞっとする提案をしかし、俺の上のガキは気前よく了承する。
 「のぞむところだ」
 獣的な欲望に濡れた視線と欲情に湿った吐息が肌に感じられ、目の前が絶望で暮れてゆく。冗談だと思いたかったが、生憎ここは東京プリズン。俺と鍵屋崎の上に跨った奴らは本気だし、俺と鍵屋崎の上に跨った奴らをけしかけてるギャラリーも本気だ。
 「殺ってから犯る、犯ってから殺る、どっちだ!?」
 「俺に死体愛好癖はねえ、犯ってから殺るに決まってる!」
 「死体のあそこは死後硬直できついからオススメできねえ」
 「おお、経験者は語る。お前経験あんの?」
 「娑婆でな、加減間違えて殺しちまった女を仲間でマワしたんだ。死後硬直がとけてからヤればかよかったんだがどいつもこいつも忍耐知らずの馬鹿どもで、力任せにねじこんだはいいけどアレが抜けねえ抜けねえってしまいにゃ泣き出す始末」
 「なっさけねえー」
 けたたましく爆笑するギャラリーの輪の中央で俺は尻まで剥かれていた。俺の膝までズボンをさげおろしたガキが舌なめずりしてる。隣、仰向けに組み敷かれた鍵屋崎は両手を地に投げ出したまま頭上を仰いでいる。鍵屋崎に跨ったガキが奴のズボンをひっぺがしにかかる。自分の上で動いているガキの死角で鍵屋崎の左手が動き、なにかを握りこむ。何だ?鍵屋崎の左手に目を凝らす。
 鍵屋崎の左手に握られている、あれはー……

 刹那。
 鍵屋崎が勢いよく腕を振り上げる。銀の弧を描いた先端がガキの顔面に吸い込まれるように消えた、その時。

 ―「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!!!」―

 「「!」」
 愛撫の手がぴたりと止む。至近距離からの悲鳴にびくっと硬直したガキの下で、俺も固まっていた。
 鍵屋崎に馬乗りになったガキが、両手で顔面を覆って苦悶に身を捩っている。その指の間から流れ出しているのは、粘液質の赤い血とトロリと濁った水晶体。指の間から滴り落ちた朱と白濁がぼたぼたと砂に染みてゆくのを見て、鍵屋崎の上から転げ落ちたガキは意味不明の絶叫をあげつづけていた。
 肝が縮むような絶叫を平然と聞き流し、ゆるやかに立ち上がる鍵屋崎。不敵に落ち着き払った動作で膝にこびりついた砂をはたき落とし、囚人服の裾の乱れを整えてから、ゆっくりと足元を見下ろす。鍵屋崎の足元に尻餅ついたガキは、涙と鼻水と涎と血と砂まみれになった悲惨なツラで嗚咽をあげていた。
 ひしと片目を覆ったまま。
 「悪いな、目測を見誤った」
 鍵屋崎の左手につかまれていたのは、先端が凶悪に尖った針金。手中に隠し持ってた針金をガキの目玉に突き刺し自分の上からどかせた鍵屋崎は、最前まで自分の上に跨ってた無礼者の面相をたしかめようとうろんげに目を細める。が、途中で諦めたようだ。手中の針金を剣呑に光らせたまま、軽蔑しきったように周囲のギャラリーを見渡す。
 「本当は腕か肩を刺すつもりだったんだが……裸眼だと距離が測りにくいな」
 空気が冷えた。
 最前まで蝗の大群さながら騒がしかったギャラリーも、あまりの凄惨な光景にさすがに腰が引けたらしい。俺たちが犯されるところを高見の見物と腕組みしていた凱とその取り巻き、俺に馬乗りになったガキでさえごくりと生唾を呑み下す。
 「あっ、」
 放心状態のガキを胴から振り落とし、膝立ちで上体を起こし、鍵屋崎のそばへ行く。目から出血したガキが七転八倒してるのを発狂したモルモットでも観察するかのように冷ややかに見下し、氷点下の怒りを沈めた口調で鍵屋崎が述べる。
 「汚い手で触れるな。汚い顔を近づけるな。汚い言葉を吐くな。君たちの下劣さにはいい加減うんざりだ。どうして君らはそう低脳で短絡的な行動しかできないんだ?ネコにも犬にも発情期の周期があるのに、君らは一年中さかっているのか?自分の遺伝子を後世に残すためでもなく、ただ快楽のためだけに同性を襲うなんて家畜の豚にも劣る浅ましさだな。いや、豚と比べては失礼だ。豚はイスラム教徒以外の人類の食卓を支えるタンパク質豊富な栄養源だからな。察するにー……」
 既視感。反射的に鍵屋崎の口を塞ごうとしたが、俺の指が口にかかる前に鍵屋崎は自信たっぷりに断言していた。
 「君達は豚以下だ。君たちに相応しい死に場所は火葬場じゃなく屠殺場だろう。豚と違って君たちの死体に使い道はなさそうだが……ああ、そうだ。大学の医学部に解剖用の死体でも献体したらどうだ?臓器移植という手もあるな。下品なスラングしか吐けない声帯や条件反射で人を視姦する眼球、その他心臓や横隔膜や大腸や小腸や肝臓や腎臓や膀胱。檻の中に放り込まれて人類の発展に寄与しない君らにそんな物は必要ないだろう、難病に苦しんでる子供たち、不幸な患者たちに分けてやったらどうだ?」
 鍵屋崎の口角がつりあがり、自嘲と諧謔の入り混じった笑みをこしらえる。
 「僕らと違って、彼らには前途があるのだから」
 
 俺も断言したい。鍵屋崎は大馬鹿野郎だ。

 「俺たちが豚以下だと……?」
 凱の声はいっそ静かだった。だが、平板な声の底で胎動しているのはいつ爆発するかわからない、荒ぶる溶岩流の如く激烈な怒り。喉仏をひくつかせた凱とその一党を見比べ、鍵屋崎はしずかに言った。
 「ああ、豚以下だ」

 揶揄でも皮肉でもなく、ただ、ありのままに。

 凱が大股に歩みだす。手下が後からついてくる。砂に膝を屈したまま、目を押さえて嗚咽をあげているガキの横を無関心に通り過ぎ、鍵屋崎の前に立つ。凱の厚い胸板に視界を阻まれても、鍵屋崎に怯んだ様子はない。今だ血が滴る右手とは逆の手に握った針金を、いつでも振りかざせるよう注意して腰元にひきつけている。
 凱が無造作に一歩を詰め、鍵屋崎が針金を振りかざす。が、これは予想の範囲内だった。鍵屋崎が振り上げた手首は凱の脇から伸びた手に掴まれ、がっちりと宙に固定された。鍵屋崎がはっとしたが、遅い。
 鍵屋崎はやっぱり甘い。甘さが抜けきってない。一度敵に見せた手札が二度目も通じる確率はかぎりなく低い。
 羽交い締めにされた鍵屋崎の前に立ちはだかった凱が、後方のガキへと顎をしゃくり、なにかを命じる。阿吽の呼吸で心得たガキが恭しく捧げもってきたのは、そこらへんに転がってたシャベル。シャベルの柄を手中に握りこみ重さを確かめつつ、ぞっとするような笑みを浮かべる。
 このままじゃ確実に、鍵屋崎は頭蓋骨をかち割られて死ぬだろう。
 鍵屋崎の脳漿が飛び散るところなんて見たくなかった俺は必死に周囲に目を走らせる。あった!地に倒れたシャベルを拾い上げ、後ろ手に隠す。凱がシャベルを振り上げる。日光を照り返し鋭く輝くシャベルの先端に、鍵屋崎が目を細める。

 ―「じゃあ、豚以下に殺されるお前は豚以下の以下だな!!」―

 ガツン!
 鈍い音、手首が痺れる鈍い手応え。シャベルの先端は狙い違わず標的の後頭部を殴打した。
 凱の後頭部を。
 「……………そんなに」
 鈍重な動作で振り向いた凱の目には殺意の炎が燃えていた。その目を直視した途端、手首から力が抜け、膝が萎えてゆくのがわかる。
 「そんなに死にたいのかよ、半半!!!」
 凱が吠えた。
 風切る唸りをあげて宙を薙いだシャベルが二の腕を掠め、遥か後方へと飛び去ってゆく。一歩横にずれるのがあとコンマ一秒遅れていれば、今頃俺の二の腕から下はシャベルと一緒に宙を舞ってただろう。
 凱が力任せに投擲したシャベルは一直線に野次馬の輪に突っ込み、不幸なギャラリーが三人巻き添えになって倒れた。
 「なにしやがる、凱!」
 「このノーコンが!!」
 「キムチくせえ韓国人は黙ってろ!!」
 「―んだとこら?」
 「やめとけよ、中国人にコントロール能力期待するほうが無駄だ。あの国の国民はてめえらじゃ全然自覚なしに共産主義にコントロールされてっから、コントロールする方はからっきしダメなんだ」
 野次馬の中でもとくに喧嘩っ早い連中が一塊となり、輪の中央に歩みだしてくる。的中すれば即死は免れない勢いでシャベルを投げつけられて怒り心頭に発しているのだろう、凱一党と対峙した連中は矢継ぎ早に言う。
 「頭くんだよ、お前ら」
 「東棟で幅効かしてる連中だかなんだか知らねえけど、中国万歳みてえなめでてえツラしやがって。時代遅れの中華思想なんて便所に流しちまえ」
 「台湾人は犬の飯を食って犬とヤるだ?作業中でもちゃんと聞こえてたぜ」
 「じゃあてめえらはなんだ、人肉食って人肉峠で人肉饅頭売るゲテモノ食いじゃねえか」
 語調荒く詰め寄られた凱は浅く呼吸しながら自分と対峙した連中を見比べていたが、やがて押し殺した声で聞く。
 「―お前、台湾人か?」
 野次馬の最前列、「ゲテモノ食い」発言のガキが「それがどうしたってんだ」と挑戦的に開き直り、豪速の拳を顔面に食らった。

 大乱闘の幕開けだった。 
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