少年プリズン

まさみ

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七話

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 そこは白い部屋だ。
 無菌室をおもわせる清潔な壁に四囲を塞がれた、現実感に乏しい殺風景な部屋。漂白された空間の中央には質素な椅子が一脚しつらえられていた。他には家具調度も見当たらず、一面を静寂に支配されていた。壁に防音処置でも施されているのだろうか、聴覚が麻痺したかと危ぶむほどの異常な静けさが心を乱す。不規則に脈打つ心臓をシャツの上から掴み、漠然とした不安にかられて顎を巡らす。
 右から左へ、左から右へ。
 ぐるりと一周した視界が再び正面を向くと同時に、異変を悟る。最前までからだった椅子に人が腰掛けている。こちらに背を向け、丸みをおびた頬を強張らせた人影には見覚えがある。肩を経て流れるほつれたおさげ、申し訳なさそうに傾いだ背中と行儀よくそろえた膝。あどけない横顔は痛々しいほど白く、小さく尖った顎は硝子箱に眠るセルロイドの人形のように華奢で愛らしい。
 少女は白い服を着ていた。フリルも飾りもない素っ気ないデザインの服は、実用一点張りの入院着を思わせた。脇に穴が開き、裾がゆるやかに広がった服は通気性にこそ優れていたが、小柄な少女には余裕がありすぎた。踝まですっぽり隠れる長さの裾が微かに揺れ、少女が半身を捻り、こちらを向く。

 一連の動作はひどく緩慢だった。

 肩越しに振り向いた少女は膜が張ったように虚ろな目をしていた。黒く潤んだ目がいたいけな小鹿のように庇護欲を刺激し、ぼくは我知らず足を踏み出した。磁力に引かれるように、少女へと接近する。少女は半身を捻った不自然な体勢のまま、微動だにせず僕の接近を待っていた。億劫そうに瞬きを繰り返す動作は、もとより表情に乏しい少女に白痴じみて浮世離れした印象を付与した。ふっくらとした手を膝の上で揃え、少女は感情の窺えない目で僕を凝視していた。硝子玉を彷彿とさせる硬質の目に、僕の顔が映る。
 ぎょっとした。
 少女の瞳に映し出されたのは異形の化け物だった。胴体と癒着した四肢は皮膚が粘液状に溶解し指の先端から肩までがぐずぐずに溶け崩れ、体の輪郭はもはや原型を留めていない。目鼻は汚泥の中に沈没して痕跡すら残さず、顔の下半分を占めた口とおぼしき空洞だけがぽっかりと虚無を溜めている。貪欲に開かれた口腔には歯はおろか舌も声帯もなく、肥大したナマコの腹をおもわせる赤い粘膜がぬめぬめと輝いているだけだ。僕ははっとして自分の体を見下ろした。どこにも変化はなかった。指は十本ともちゃんとある。皮膚は黄色人種のそれの特徴を有したまま、乾いて肉の上に張り付いている。
 僕は困惑した。そして、戦慄の真実を思い知る。
 
 これが僕か。
 この怪物が少女の目から見た僕か。
 
 少女の瞳の中で怪物がうろたえ、粘液状の皮膚を蠢動させてあとじさる。おのれの醜悪な姿に気圧され、よろけるように後退した怪物を前に、少女はおもむろに口を開く。
 『それがあなたの本性よ、鍵屋崎 直』
 託宣を下す巫女のように、少女は気高く言い放った。相変わらず表情は欠落していたが、その目に浮かんでいるのは紛れもない侮蔑と嫌悪の色。僕は首を振った。違うと訴えようとした。しかし、声が出ない。喉をかきむしり、叫ぶ。聞こえない。なにも聞こえない。鼓膜に干渉してくる静寂が理性を麻痺させ、冷静が信条の僕を恐慌状態に突き落とす。混乱した僕を哀れみの篭った目で一瞥し、少女は毅然と顎を反らした。
 『あなたの本性は見るもおぞましい怪物……。わたしとはちがう、わたしたちとはちがう。そう、生まれた時から。いえ、生まれる前からあなたは人と違っていた。生まれる前からあなたは異常だった。異常な生まれ方をしたあなたが平常な人生を歩めるはずがないじゃない』
 冷え冷えした声が脳裏に浸透するに従い、体重を支えていた足が頼りなげに萎えてゆく。腰砕けにその場に座り込んだ僕は、縋るような眼で上方を仰ぐ。頭上に影がさす。衣擦れの音すらさせずに立ち上がった少女が、妖精のような軽さで床を踏みしめ、僕の前へと佇立したのだ。

 それは、まったく唐突だった。

 少女がにっこりと微笑んだ。無表情から一転、年相応に無邪気な笑顔で僕を見下ろしている。右頬に生じたえくぼも愛くるしく唇を綻ばせ、僕へと手をさしのべる。少女の手が僕の背に回された。脱力した上体が傾ぎ、少女の腹部へ顔を埋める格好となる。少女に抱き寄せられた僕は、羊水の海を漂う胎児のような安堵感に漬かっていた。子供特有の体温の高い、柔らかい腹に鼻面を擦りつけ、その腰にしがみつく。少女は抵抗する素振りも見せず、微笑んで僕を受け入れた。
 
 この瞬間を待っていた。ずっとずっと。

 床にしゃがみこんだまま、下腹部にしがみつく格好となった僕を優しく抱擁し、少女はそっと囁いた。
 『やっぱり』
 湿った吐息が耳朶をくすぐり、薄目を開ける。目の前で少女が笑っている。愉快そうに目を細めた、どこか小悪魔めいた嗜虐的な笑顔。
 『あなたは異常者だわ』
 微笑んだまま、少女が言う。くすくすとたのしそうにせせら笑う。僕は硬直した。少女は銀鈴の声で笑っていた。刷毛で耳朶をなぶられるような歯痒い戦慄。当惑した僕をすくい上げるような上目遣いで観察し、言う。
 『「妹」に欲情するなんて恥ずかしくないの、おにいちゃん?』
 ふっと少女が離れた。僕の腕の中から身を捩って逃れた少女は、背で後ろ手を組むと、踊るような足取りで二、三歩後退した。その間もさもたのしそうに忍び笑いを漏らし、くるくるとおさげを振り回している。
 『鍵屋崎 直は異常者。妹にしか性的魅力を感じない近親相姦の変態。こんな人がおにいちゃんだなんて、メグミ、恥ずかしくて表を歩けない』
 
 メグミ。

 少女が舌に乗せた名に体が反応する。びくりと肩を強張らせた僕は、鼻梁にずり落ちた眼鏡越しに少女を仰ぐ。メグミー恵。目の前の少女の名だ。小さなおとがいに人さし指を添え、鈴を振るような声で笑い続ける少女に全身が総毛立つ。僕は彼女を知っている。この世で一番大事な人間―いまや、唯一人の肉親となったかけがえのない妹。床にへたりこんだ僕は、恵を捕らえようと手を伸ばす。入院着の裾を掴もうと指を閉じたが、ウスバカゲロウの翅のように薄い生地は抵抗なく五指をすり抜けてしまう。身軽に身をかわした恵を追い、膝を叱咤して立ち上がる。恵はくすくすと笑っていた。天使のように愛らしい微笑の内から滲み出るのは、単なる好奇心で蝉の羽を毟る幼児と同じ無邪気な悪意だ。
 『人殺し』
 僕の手を逃れた恵が、言う。笑いながら、言う。
 『おにいちゃんは人殺し。お父さんとお母さんを殺して私を独り占めしようとした。シスターコンプレックスの性的異常者。そんな人が身内にいるなんて、メグミ恥ずかしい』
 
 ちがう。
 ちがうんだ恵。

 反論は喉につかえて出てこない。舌が喉を塞ぎ、絶叫の奔流を辛うじて塞き止めている。恵の顔から拭い去ったように笑みがかき消え、瞳の温度が氷点下まで下がる。恵は表情を欠落させた目で、言葉に詰まった僕を凝視した。
 『全部あんたのせいだ』
 憎悪に濁った声で吐き捨てる恵。あどけない顔を陰惨に隈取っているのは抑圧しがたい嫌悪と憤怒だ。恵は別人のように低い声で、容赦なく断罪の斧を振り下ろす。
 『あんたが私の家族をめちゃくちゃにした。あんたが私の将来をめちゃくちゃにした。返してよ。わたしのお父さんとお母さんを返して。ねえ、返して』
 恵が片手を突き出し、大股に詰め寄ってくる。恵の手首が上下するのにあわせ、せわしげにおさげが跳ねる。僕は絶句し、成す統べなくその場に立ち尽くした。棒立ちになった僕のもとへと歩み寄った恵は大きく深呼吸し、ひたと僕を見据える。
 透明度の高い、黒い光沢のある瞳。
 『わたしの人生を返せ……近親相姦のクソ野郎』

                       +

 「!」
 夢だ。
 すべては夢だ。
 目を開けた時、真っ先に視界にとびこんできたのは複数の影だ。ベッドを取り囲んだ五・六体の影が互いに顔を見合わせ、好奇心をむき出しにして僕を見下ろしている。自分のおかれた状況を把握するまで瞬き三回ほどの時間を要した。浅く短い眠りを妨げたのは、今、僕のベッドを取り囲んでいる影たちの立てた物音のようだ。白い悪夢から一転真っ暗な現実へと帰還した僕は、闇に目を凝らして影たちの動向を探る。
 目が暗順応を起こすにつれ、闇に沈んだ影たちの容貌がおぼろげに浮上する。ぼんやりと闇から分離した集団の顔には、いずれも見覚えがある。先刻食堂でリュウホウから皿を取り上げた、柄の悪い少年たちの一団だ。ロンから警戒を促されたばかりだというのに全く油断していた。
 僕の傍ら、枕に程近い位置に立ちはだかっているのは、頭抜けて体格のいい青年だ。

 凱。

 ロンはそう呼んでいた。詳細な年齢は分からないが、頬骨の張ったいかつい顔と二つに割れた頑丈な顎が威圧感を与える。窮屈そうな囚人服の下に隠されているのは分厚い筋肉で鎧われた、重ねた鉄板のように固い胸板だ。口元に下品な笑みを溜めた凱は両手をポケットに突っ込み、にやにやと僕の寝姿を眺めていた。
 「用件があるなら手短に頼む」
 僕は疲れていた。愚鈍で粗野な連中の相手をしてやる体力は残っていない。明日から始まる強制労働に備えて、一分一秒でも長く睡眠を貪りたいのだ。
 凱のこめかみがぴくりと動く。どうやら……反感を買ってしまったようだ。
 「用件?あるぜ、もちろん」
 ポケットに手をもぐらせたまま凱が顎をしゃくる。それが合図だった。 
 ベッドを包囲した少年たちが一斉に僕へと飛びかかり、マットレスに四肢を縫い止める。素晴らしい反応速度だ。頭は鈍いが反射神経はそう悪くないらしいと評価を改めた僕の耳に押し殺した声が侵入する。
 「-さっき、レイジたちと一緒にいたな」
 「……ああ」
 「なにを話してたんだ?」
 「知能指数90にも満たないくだらない会話だ。わざわざ細部まで説明したくない」
 凱の涙袋が痙攣し、圧縮された怒気が全身から放散される。拳を握り締め、凱が続ける。
 「新入りのくせにケツふってレイジに取り入ろうってハラか。判断を誤ったな、お前」
 凱が汚い歯を見せてせせら笑う。僕は眉根を寄せた。察するに、凱は僕とレイジの関係について誤解してるらしい。やれやれ、これだからは馬鹿は手に負えない。
 「この僕が判断を誤るなど地球が周回軌道を脱線する確率よりさらに低い。何か勘違いしてるようだが、僕はレイジの友人になったつもりもこれからなるつもりもない。たまたま食堂で席が隣り合わせただけで、あちらも僕のことを友人とは認識してないだろう」
 妙なあだ名はつけられたが。一呼吸おき、続ける。
 「低脳どもの暇潰しに付き合われるのは御免だ。このまま寝かせてくれないか」
 できうる限り穏便に申し出たつもりだが、裏目にでた。全く、度し難い連中だ。猿へと退化した大脳で人語を理解できるわけがなかったのだ。
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