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一話
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17.1m2のワンルームが今日からマイスイートホームだ。
「どっこいせ」
爺むさいかけ声とともに段ボール箱をおろし、大袈裟に肩を回す。
「エレベーターないのがないのがちょっと辛いけどまあいっか、二階だし。イケるイケる」
「ふーん。なかなかいいじゃん」
引っ越し業者を見送ったあと、まだ荷ほどきもしてない殺風景な部屋を歩き回って自己満足。
フローリングは綺麗で壁紙も新しい。Wi-Fi環境も整ってる。収納スペースは部屋の右隅、天袋付きで広くとられているのも有り難い。
日当たりの良い角部屋で、ベランダの向こうにはコンクリの堤防で固めた川が流れている。
27歳、独り暮らしの新居としては申し分ない。
もともと贅沢に興味ないし、引っ越しに際して持ち込む物も最低限におさえている。
人間起きて半畳寝て一畳とはよく言ったもんで、現在彼氏ナシ婚活興味ナシの気楽な身分ならワンルームで十分だ。
フリーターのカツカツ収入でもなんとか生活費を払っていける。
細長いガラス扉の向こうはベランダだ。サンダルに素足を突っ込んで出て、初秋の爽やかな風を浴びる。
白いフックにはステンレスの物干し竿が二さおとプラスチックの安っぽいハンガーが何個か掛かっていた。
手摺に凭れて上下左右を見回すけど、隣り合ったベランダに住人の姿は見当たらない。
単身者用アパートで、昼は殆どの人がでかけてるという不動産屋の説明を思い出す。
前の通りからだと横手の窓のカーテンレールに洗濯物が干してあるのが見えたから、案外部屋干し派が多いのかもしれない。
若い女の子が住んでるならありえる、下着見られるのやだもんね。
「最寄りのコンビニは徒歩4分、駅まで徒歩5分。立地は悪くない、近くには銭湯もある。本来なら一月5万はするでしょ、これ」
指折り長所を数え上げ、手すりに突っ伏してニヤケる。
「事故物件サマサマ~」
私の名前は巻波南(まきなみ みなみ)。職業はフリーター兼事故物件クリーナーだ。
そんなものない、とお思いのかた手を挙げて。実はあるんです。
世の中にはあんまり知られてない、ていうか大っぴらにはできないグレイな仕事だけど、需要あるところには供給あるのが自然の摂理。
ベランダには室外機があった。ちょうどいい椅子代わりだ。
よいしょ、と行儀悪く腰掛けてサンダルをひっかけた足を伸ばす。
ジャージの尻ポケットに突っこんでたスマホが震える。
発信者は「巻波冴子」……叔母さんだ。
ボタンを押す。
「はーい」
『引っ越し済んだ?連絡しなさいって言ったでしょ』
「大丈夫、今終わったとこ」
『ならいいけど……何も変わったことないわよね』
「何もないって。いい部屋だよ、気に入った。キッチンやユニットバスも綺麗だし……すぐ横に川が流れてて、犬の散歩する人や子供を自転車の後ろにのっけたお母さんが行き来してる。のどかでいいよ~」
心配性でおせっかい、ちょっと過保護な叔母さんに、できるだけ朗らかに返す。
『はあ……我が姪っ子ながらアンタってほんと』
「無神経?肝っ玉太い?」
『姉さんに似たのかしらね』
おばさんに似たのかもよ、と心の中だけで茶化し、サンダルからはみ出た足の親指をぴこぴこ動かす。
『私もこの仕事はじめて長いけど、事故物件に進んで住みたがるのはあんた位よ』
「最初に話持ち込んだのはおばさんでしょ」
叔母は不動産屋の個人経営者だ。
私が最初の事故物件に入居したのは専門学校の時。
バイトで家賃を払えるワンルームをさがしていた若かりし時期、叔母さんがなかなか人が入らない事故物件を抱え困っていた。
もとから幽霊なんて気にしないタイプの私は「そこ借ります!」と飛び付いた。
その部屋は専門学校の卒業と同時に出たけど、夜寝ていると天井や壁が軋んだり、洗面所の鏡に人形の白いモヤが映り込む他は、特に異常もおきなかった。
「こんなに長く続けるなんて思わなかったけど。おばさんが口コミで広めてくれたおかげかな」
事故物件とはその名の通り、事件や事故含む変死の現場となった部屋だ。
殺人現場の一室の他にも老人が孤独死した部屋とかが該当する。
この手の物件には幽霊が出る、霊障が起こる等の噂が付き物で、それでなくても普通の人は気味悪がって住みたがらない。
ごく一握りの物好きを除いて。
で、そのごく一握りの物好きが私ってわけ。
「でもさー、事故物件て奥が深いよね。心理的瑕疵物件と事故物件の違いとかさ、本格的にこの仕事するようになって初めて知った」
『心理的瑕疵の範囲は幅広いの。一概に自殺・他殺があった場所のみとも言えないし……近くにヤクザの事務所があるとかね、何を心理的瑕疵と感じるかは人それぞれよ』
「別に気にしない人もいるもんね」
ちなみに私は気にしない方。人を見た目で判断しないっていえばかっこいいけど、要はヤクザさんでもなんでも、中身は実際話してみなきゃわかんないってこと。
『たとえば犬好きなら犬の吠える声も気にしないけど、犬嫌いなら始終イライラしちゃうでしょ』
「うーん、場合によりけりじゃん?私も犬スキだけど、しょっちゅう鳴かれちゃたまんないし」
『もォ、あげ足とんないで』
タイミングよく、眼下の川沿いの道をゴールデンレトリバーが歩いていく。リードを握るお爺さんに気付かれないように犬に手をふれば、お義理でしっぽを振り返してくれ、ちょっとだけハッピーになる。我ながら幸せポイントの貯め方がお手軽。
『というか……アンタまだアレやってるの』
叔母さんの声が急に低まる。
電話の向こうで上品に眉を顰める顔が浮かぶ。
「アレってなに」
わざととぼける。
『アレっていえばアレよ、悪趣味な料金表。他殺・自殺・その他……だっけ、よくそんな不謹慎なの思い付くわね、ぞっとする』
「こっちも仕事だもん、内容に応じた価格設定は大事でしょ。フレキシブルなコンセサンスってヤツよ」
『よく知りもない横文字を混ぜこむのはやめなさい、逆に頭悪いわよ』
「おばさんのマネしたのに」
『殴りたい』
「DV反対」
叔母さんが指摘したのは、不動産屋との打ち合わせで毎回提示する条件。
報酬は他殺が一番高くなってる。
事故物件には告知義務がある。次に入る人に、必ずこの部屋で何があったか説明しなければならない。
たとえば、旦那の浮気に怒り狂った奥さんが包丁で刺し殺した事件があったとする。
すると不動産屋さんは、部屋の内見にきたお客に「この部屋ですね、実はですね、夫婦喧嘩がこじれた末に奥さんが旦那を刺し殺すといった事件がありまして……」と説明しなきゃいけない。
けれどこの法律には盲点があって、告知義務が発生するのは「次の人」のみなのだ。したがって二人目以降にはあてはまらない。
私こと巻波南の仕事は「前」の住人が色んな理由で変死を遂げた部屋に入り、履歴をクリーンにすること。
もちろん家賃は格安。
どんな事件や事故があっても業者が入った内装は一新され、口頭なり書面なりご近所の噂話なりで情報がもたらさるまで詳細は不明なケースが多い。
『……こっちの世界に引っ張り込んだ私が言えることじゃないか』
叔母さんがしんみり独白。湿っぽい空気は苦手だ。仕事を斡旋してくれる叔母さんに感謝しこそすれ、恨むなんてとんでもない。
「と・に・か・く!私は元気でやってるから心配しないで、またなんかあったら電話するから」
『わかった。たまには顔見せるのよ。食事もお弁当頼みじゃなくて、ちゃんと自炊しなさいよ』
「わかってるってもー、じゃあね」
スマホを切って部屋に戻る。
「ふー……」
さて、やるか。
荷物の中から歯ブラシ立てを取り出す。続いて取り出したのはお線香を一本。歯ブラシ立ての筒にお線香を入れ、マッチを擦って先端に火を移す。
これが私の入居の儀式。
たかが自己満足、されど自己満足。やらないよりは気持ち的に楽になる。
顔も名前も知らない前の人を簡単に弔って、お線香の煙が窓の外の、夕焼け空に流れていくのを見守る。
「どっこいせ」
爺むさいかけ声とともに段ボール箱をおろし、大袈裟に肩を回す。
「エレベーターないのがないのがちょっと辛いけどまあいっか、二階だし。イケるイケる」
「ふーん。なかなかいいじゃん」
引っ越し業者を見送ったあと、まだ荷ほどきもしてない殺風景な部屋を歩き回って自己満足。
フローリングは綺麗で壁紙も新しい。Wi-Fi環境も整ってる。収納スペースは部屋の右隅、天袋付きで広くとられているのも有り難い。
日当たりの良い角部屋で、ベランダの向こうにはコンクリの堤防で固めた川が流れている。
27歳、独り暮らしの新居としては申し分ない。
もともと贅沢に興味ないし、引っ越しに際して持ち込む物も最低限におさえている。
人間起きて半畳寝て一畳とはよく言ったもんで、現在彼氏ナシ婚活興味ナシの気楽な身分ならワンルームで十分だ。
フリーターのカツカツ収入でもなんとか生活費を払っていける。
細長いガラス扉の向こうはベランダだ。サンダルに素足を突っ込んで出て、初秋の爽やかな風を浴びる。
白いフックにはステンレスの物干し竿が二さおとプラスチックの安っぽいハンガーが何個か掛かっていた。
手摺に凭れて上下左右を見回すけど、隣り合ったベランダに住人の姿は見当たらない。
単身者用アパートで、昼は殆どの人がでかけてるという不動産屋の説明を思い出す。
前の通りからだと横手の窓のカーテンレールに洗濯物が干してあるのが見えたから、案外部屋干し派が多いのかもしれない。
若い女の子が住んでるならありえる、下着見られるのやだもんね。
「最寄りのコンビニは徒歩4分、駅まで徒歩5分。立地は悪くない、近くには銭湯もある。本来なら一月5万はするでしょ、これ」
指折り長所を数え上げ、手すりに突っ伏してニヤケる。
「事故物件サマサマ~」
私の名前は巻波南(まきなみ みなみ)。職業はフリーター兼事故物件クリーナーだ。
そんなものない、とお思いのかた手を挙げて。実はあるんです。
世の中にはあんまり知られてない、ていうか大っぴらにはできないグレイな仕事だけど、需要あるところには供給あるのが自然の摂理。
ベランダには室外機があった。ちょうどいい椅子代わりだ。
よいしょ、と行儀悪く腰掛けてサンダルをひっかけた足を伸ばす。
ジャージの尻ポケットに突っこんでたスマホが震える。
発信者は「巻波冴子」……叔母さんだ。
ボタンを押す。
「はーい」
『引っ越し済んだ?連絡しなさいって言ったでしょ』
「大丈夫、今終わったとこ」
『ならいいけど……何も変わったことないわよね』
「何もないって。いい部屋だよ、気に入った。キッチンやユニットバスも綺麗だし……すぐ横に川が流れてて、犬の散歩する人や子供を自転車の後ろにのっけたお母さんが行き来してる。のどかでいいよ~」
心配性でおせっかい、ちょっと過保護な叔母さんに、できるだけ朗らかに返す。
『はあ……我が姪っ子ながらアンタってほんと』
「無神経?肝っ玉太い?」
『姉さんに似たのかしらね』
おばさんに似たのかもよ、と心の中だけで茶化し、サンダルからはみ出た足の親指をぴこぴこ動かす。
『私もこの仕事はじめて長いけど、事故物件に進んで住みたがるのはあんた位よ』
「最初に話持ち込んだのはおばさんでしょ」
叔母は不動産屋の個人経営者だ。
私が最初の事故物件に入居したのは専門学校の時。
バイトで家賃を払えるワンルームをさがしていた若かりし時期、叔母さんがなかなか人が入らない事故物件を抱え困っていた。
もとから幽霊なんて気にしないタイプの私は「そこ借ります!」と飛び付いた。
その部屋は専門学校の卒業と同時に出たけど、夜寝ていると天井や壁が軋んだり、洗面所の鏡に人形の白いモヤが映り込む他は、特に異常もおきなかった。
「こんなに長く続けるなんて思わなかったけど。おばさんが口コミで広めてくれたおかげかな」
事故物件とはその名の通り、事件や事故含む変死の現場となった部屋だ。
殺人現場の一室の他にも老人が孤独死した部屋とかが該当する。
この手の物件には幽霊が出る、霊障が起こる等の噂が付き物で、それでなくても普通の人は気味悪がって住みたがらない。
ごく一握りの物好きを除いて。
で、そのごく一握りの物好きが私ってわけ。
「でもさー、事故物件て奥が深いよね。心理的瑕疵物件と事故物件の違いとかさ、本格的にこの仕事するようになって初めて知った」
『心理的瑕疵の範囲は幅広いの。一概に自殺・他殺があった場所のみとも言えないし……近くにヤクザの事務所があるとかね、何を心理的瑕疵と感じるかは人それぞれよ』
「別に気にしない人もいるもんね」
ちなみに私は気にしない方。人を見た目で判断しないっていえばかっこいいけど、要はヤクザさんでもなんでも、中身は実際話してみなきゃわかんないってこと。
『たとえば犬好きなら犬の吠える声も気にしないけど、犬嫌いなら始終イライラしちゃうでしょ』
「うーん、場合によりけりじゃん?私も犬スキだけど、しょっちゅう鳴かれちゃたまんないし」
『もォ、あげ足とんないで』
タイミングよく、眼下の川沿いの道をゴールデンレトリバーが歩いていく。リードを握るお爺さんに気付かれないように犬に手をふれば、お義理でしっぽを振り返してくれ、ちょっとだけハッピーになる。我ながら幸せポイントの貯め方がお手軽。
『というか……アンタまだアレやってるの』
叔母さんの声が急に低まる。
電話の向こうで上品に眉を顰める顔が浮かぶ。
「アレってなに」
わざととぼける。
『アレっていえばアレよ、悪趣味な料金表。他殺・自殺・その他……だっけ、よくそんな不謹慎なの思い付くわね、ぞっとする』
「こっちも仕事だもん、内容に応じた価格設定は大事でしょ。フレキシブルなコンセサンスってヤツよ」
『よく知りもない横文字を混ぜこむのはやめなさい、逆に頭悪いわよ』
「おばさんのマネしたのに」
『殴りたい』
「DV反対」
叔母さんが指摘したのは、不動産屋との打ち合わせで毎回提示する条件。
報酬は他殺が一番高くなってる。
事故物件には告知義務がある。次に入る人に、必ずこの部屋で何があったか説明しなければならない。
たとえば、旦那の浮気に怒り狂った奥さんが包丁で刺し殺した事件があったとする。
すると不動産屋さんは、部屋の内見にきたお客に「この部屋ですね、実はですね、夫婦喧嘩がこじれた末に奥さんが旦那を刺し殺すといった事件がありまして……」と説明しなきゃいけない。
けれどこの法律には盲点があって、告知義務が発生するのは「次の人」のみなのだ。したがって二人目以降にはあてはまらない。
私こと巻波南の仕事は「前」の住人が色んな理由で変死を遂げた部屋に入り、履歴をクリーンにすること。
もちろん家賃は格安。
どんな事件や事故があっても業者が入った内装は一新され、口頭なり書面なりご近所の噂話なりで情報がもたらさるまで詳細は不明なケースが多い。
『……こっちの世界に引っ張り込んだ私が言えることじゃないか』
叔母さんがしんみり独白。湿っぽい空気は苦手だ。仕事を斡旋してくれる叔母さんに感謝しこそすれ、恨むなんてとんでもない。
「と・に・か・く!私は元気でやってるから心配しないで、またなんかあったら電話するから」
『わかった。たまには顔見せるのよ。食事もお弁当頼みじゃなくて、ちゃんと自炊しなさいよ』
「わかってるってもー、じゃあね」
スマホを切って部屋に戻る。
「ふー……」
さて、やるか。
荷物の中から歯ブラシ立てを取り出す。続いて取り出したのはお線香を一本。歯ブラシ立ての筒にお線香を入れ、マッチを擦って先端に火を移す。
これが私の入居の儀式。
たかが自己満足、されど自己満足。やらないよりは気持ち的に楽になる。
顔も名前も知らない前の人を簡単に弔って、お線香の煙が窓の外の、夕焼け空に流れていくのを見守る。
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