蝶々炎舞

まさみ

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二十二話

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「理一!」
切実な声に叩き起こされた。
「んっ、む」
助けが来たと確信、心を覆った絶望と諦めを跳ね返す。
夢の中で地獄蝶の過去を見た。俺たちは大きな勘違いをしていた。何故ってコイツは
「ぐっ!」
繊維が裂ける音に次いで衝撃が来た、背中から畳に落下したらしい。
畜生、もうちょっと優しく下ろせ。ともあれ自由になれたのは有り難てえ。
色とりどりの帯や着物を蹴散らし、肘で這って逃げる最中、ハスキーに掠れた声が吹き込まれた。
『長らくお慕い申し上げておりました、兄様』
頬を包む柔肌の感触。仰向けた拍子に何かが跨り、濡れた粘膜が擦れた。
「かはっ」
やっとの思いで顔に纏わり付く布を剥がし涙に霞む目を凝らす。上に乗っかってるのは見覚えある少女……葵ちゃん?
「誰だ!」
裸にしどけなく襦袢を纏い、割れた裾からは眩しいほどに白いおみ足が覗く。
見た目は同じでも中身は別物、俺が知ってる葵ちゃんはこんなメスの顔しねえ。
『薄情な人。貴方とまぐわうために新しい体を手に入れたのよ』
「地獄蝶か」
目を背けて吐き捨てる。微笑みは肯定の証。地獄蝶が科を作り、俺の股をまさぐってペニスを引っ張り出す。
「やめ、ろ、っあ」
手淫が始まった。
『感じているのね、可愛い。あの女はこんな事してくれなかったでしょ』
そういって媚態を含んだ流し目を投げてよこす。内腿には透明な蜜が伝っていた。
「葵ちゃんの体で勝手なことすんな、ぶっとばすぞ!」
『おかしいことを言うのね。この体は私の物、葵なんて子知らないわ』
「とぼけんじゃねえ、あっ、ふっ」
地獄蝶は上手かった。俺の陰茎をなでこすり、敏感な裏筋をなで、鈴口に膨らむ雫をすくって全体に塗す。
「聞こえるか葵ちゃん、そこにいるんだろ、目ェ覚ませ!」
声を張り上げ怒鳴れど無駄、地獄蝶の中の葵ちゃんには届かねえ、完全に乗っ取られてる。
「去ねや痴女、それは俺の助手や!」
茶倉は黒い蝶に取り巻かれ苦戦していた。符で切り裂いても分裂して増えるから意味がない。
相手はか弱い女の子、本気でどかそうと思えばどかせる。が、操られてるだけの葵ちゃんに乱暴したくねえ。
『大きくなった』
器用な手付きで陰茎を育て、頃合いと見て腰を浮かす。
『子作りしましょ』
「俺、ゲイなんだ」
一瞬の沈黙。
「男としかデキねえ体なんだ。お前の夢は叶えらんねえ」
『嘘』
「兄貴は間違ってた。父親が子供を犯すなんて許される行いじゃねえ、襖を破ってでも止めるべきだった」
呂律の怪しい口調で説得する。地獄蝶の目に虚無が穿たれる。
「けどさ、葵ちゃんと小山内さんまで恨むのは筋違いだ。親父と継母は自業自得かもしれねえ、でも葵ちゃんたちは関係ねえ、復讐されなきゃいけねえようなことなんもしてねえだろ!」
『興ざめ』
「うっ、ぐ!」
白い手が首元を押さえる。
「理一!」
「ちゃく、ら、かはっ」
地獄蝶が首を絞める。息が吸えず酸欠に陥る。
『目移りしないで。私だけを見て』
「ぐ……」
正論が通じねえ。狂ってる。
たおやかな容姿と細腕からは想像できねえ力で締めあげられ、眼球の毛細血管が破裂する。
脳裏を駆け巡る走馬灯。茶倉がいた。爺ちゃんがいた。両親と姉貴がいた。中学の部活仲間がいた。
むさ苦しい更衣室を回想する。蒸した防具を外し、着替えながら駄弁った。ロッカーん中は汗臭く、夏場は特にしんどかった。
てきぱき防具を身に付ける俺の横で、同学年のダチがロッカーの扉を閉める。
『三中の高木に勝ったんだって?』
『すげー』
『一年坊が快挙だって、顧問が浮かれてたぜ』
『ただの練習試合で大袈裟な』
皆に持ち上げられ照れ笑いする。部員たちが俺のもとに集まり騒ぎだす。
『お前なら全国狙えるって』
『優勝目指せ』
『推薦とれるぜ』
ぶっちゃけ浮かれていた。じいちゃんに習った剣道は、平凡な俺が誇れる唯一の特技だった。
学校の成績はパッとしねえ、顔だって別によかねえ、だけど物心付いた頃から続けてきた剣道だけは誰にも負けねえ自信があった。
十三の誕生日、じいちゃんにプレゼントをもらった。藍染に白抜きした、菖蒲柄の竹刀袋。試合に勝てと喝を入れられた気がした。でかい大会には家族も来てくれた。
中二で全国進出を決めた時は、お手製の横断幕を持った同級生が、はるばる応援に駆け付けた。
『何だよこれ』
『いえーいサプライズ成功』
『うちの剣道部が全国行くの八年ぶりだって知ってた?全校生徒の注目の的だよ、烏丸くん』
『てかさ、こないだ靴箱にラブレター入ってたんだぜ』
『ばかっ、いうな!』
『モテ期かようらやま~』
お喋りなダチにヘッドロックをかけりゃドッと沸く。
俺の活躍を見て入部希望者が増えた。顧問は喜んだ。家族や友達は祝ってくれた。

だから俺も喜ばなきゃ、笑わなきゃって無理をした。

小学生の頃はよかった。何も考えず竹刀を振るっていられた。全力で勝ちを取りに行くことができた。

『面!』

中学に上がってから風向きが変わった。対戦相手はみんな嫌な顔をした。

『げっ、一中の烏丸か。ツイてねー』

気持ちよく勝ちたいっていうのはきっと欲張りで

『バケモンだもんなアイツ』
『ずりーよな、勝てっこねえよ』
『じいちゃんが道場やってんだろ?スペック違いすぎるっての』
『見ろこれ烏丸のインタビュー載った雑誌。超中学生級の天才だとさ、やってらんねえ』
『今からでも顧問に言って替えてもらえねーかな、負けるってわかってんのにやる気でねー』
『萎えるよな~マジ空気読めってかんじ』

そんなふうに言われても仕方ねえって、心の隅っこじゃわかっていた。

『よくやった理一、お前は天才だ!次も絶対勝て!』

俺の勝利を信じる顧問や家族の期待。

『バケモンが』

すれ違いざま吐かれる敗者の悪態。

『いい奴なんだけどさあ、ちょ~っと贔屓されすぎじゃね?』
『烏丸一人いりゃ俺たちいらねーじゃん』
『いっそボイコットすっか』
『今日のカラオケは?声かける?』
『やめとこ』

毎日のように打ち合いふざけ合った部活のダチが、放課後の息抜きに誘ってくれなくなった。

俺は部で孤立した。

同学年や先輩は表向きの愛想こそいいものの立ち会いから逃げまくり、さりとて実力が開きすぎた後輩を指名するわけにいかず、他の奴等が打ち合ってるのをよそに延々素振りする時間が増えた。

俺が悪いってわかってる。
もっと早く、どうしようもなく拗れる前に本音で話せばよかったんだ。

審判の合図を待って入場し、互いに礼をしたのち中央の白線まで歩み、蹲踞で竹刀を合わせる。
正対する選手の顔にゃ怯えと諦めの色、俺と当たっちまったくじ運の悪さを嘆く表情。

小さい頃は夢中で竹刀を振るっていた。じいちゃんになでてもらうのが嬉しかった。
世の中にゃ俺より強えヤツがたくさんいて、そんなヤツらと正面切ってやりあえるのにぞくぞくした。

『技あり!』
胸の中に生じた疑問が打突の切れ味を鈍らせる。

誰かどうすりゃいいか教えてくれ。俺が勝っても負けても誰かががっかりする、こんなはずじゃなかったのにって顔をする。
俺がやってるこれは、弱いものいじめとどうちがうんだ?

準々決勝がはじまる前、自販機にジュースを買いに行きゃ他校の女子がたむろっていた。
『池田くん、優勝したら告るって言ったんでしょ?』
『試合後に伝えたい事あるって言われただけで決まったわけじゃ』
『ヒューッのろけ!』
『カップル成立おめでとー!ずっと片想いしてたもんねえ、よかったじゃん』
『毎回試合見に来てたもんね、よくもまー飽きもせず』
『手作りのお守り渡せた?夜なべしてちくちく縫ったんでしょ』
『縫い目ガタガタになっちゃったけど』
何食わぬ顔でボタンを押す。がこんと缶ジュースが落ちる。
取り出し口に屈む際、好奇心に負けて目をやる。可愛い子だった。裁縫は苦手みたいで指に絆創膏を巻いていた。
『中に何入れた?がんばれって手書きしたメモ?それとも……』
『ストップ、妄想やめて!』
『わーっコイツ好きって書いたよ絶対!』
黄色い悲鳴に湧き返る廊下を足早に去れば、姦しいお喋りが追いかけてきた。

『でもさ、次の人すっごい強いんでしょ。勝てるかな』

試合前、対戦校のベンチをこっそり窺った。
俺の視力はいい。故に池田が赤いお守りを握り締めて祈る瞬間を目撃した上、観覧席最前列の女子と小さく手を振り合うとこまでばっちり見ちまった。

どうすんのが正しいか、ギリギリまで迷った。
俺がもっと器用だったら、手加減は失礼だってじいちゃんに諭されてなかったら、結果は違ったかもしんねえ。

『畜生!』
試合終了後、自販機を殴り付けた背中が忘れらんねえ。拳には赤いお守り。
少し離れた物陰じゃあの子も泣いていて、友達が一生懸命慰めていた。
『大丈夫、次があるよ』
『元気だしなって。ね?』
だれも勝者を責めない。それはそうだ。俺は正々堂々打ち合っただけ、ただ当たり前に勝っただけでずるは一切してねえ。
女の子がしゃっくりをあげ、涙でふやけた絆創膏がすっぽ抜ける。
『次なんてない。池田くん、来年は受験で引退なの。今年が最後だったの』

これじゃ俺が悪者みてえじゃんか。
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