蝶々炎舞

まさみ

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十六話

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稚児の戯の起源は古く、魑魅魍魎が跋扈した平安の世まで遡る。主催の大義は術者の子弟の技比べであり、全国津々浦々から有望な若手が集められた。

東の茶倉、西の御厨は嘗て日本の勢力を二分した術師の名家。
御厨家も茶倉一族と同じく嫁入りや婿取り、養子縁組に積極的だったが、大きく異なる点がある。
曰く、御厨は家門を重んじ茶倉は力の有無で伴侶を選ぶ。前者は厳格なる選良主義、後者は徹底した実力主義。

いかがわしい犬神憑きや狐憑き、伴天連の妖術使いや人外の化け物だろうと節操なく一族に取り入れ、蟲毒さながら呪われた血をまぜ捏ねて異能を生み出す茶倉と対照的に、御厨が一族に迎え入れるのは同格ないし格上の術者に限られた。

こと十五年前の時点における事実を述べるなら、成功を掴んだのはこちらの方。
昭和初期まで両家の力は拮抗していた。崩れたのは戦後、世司が当主を継いでから。

茶倉世司は天才だった。
彼女に祓えぬ障りはなく、視えぬ未来はなしと言われた程の。

代々御厨家を贔屓していた世襲の政治家が、世司の占いの評判を聞き及んで茶倉に乗り換えた例は一度ならず、嘗て朝廷に出入りを許された名門一族のプライドを甚く傷付けた。

御厨一門は茶倉への恨み言を子守歌に育ち、茶倉一族を滅ぼすことを宿願として叩き込まれる。
故に御厨家は茶倉家を卑しい雑ぜもの筋と忌み嫌い、大いに蔑んだ。

初めて会った時の事はよく覚えている。
多聞は常に分家筋の取り巻きを引き連れ、成願寺の境内や板張りの廊下をのし歩いていた。
成願寺に到着してすぐ、靴を脱いで縁側に上がらぬうちに泥団子を投げ付けられた。
噛んだ泥のまずさに呻き、蹲った茶倉のもとにやってきたのは、開襟シャツとスラックスを纏った少年だった。

『やりぃ、命中!』
『さすが多聞さん、甲子園狙えるぜ!』

取り巻きがはしゃいで持ち上げる中、開襟シャツの少年がなれなれしく顔を近付けて来る。
『お前が茶倉の代表?世司の孫ってのは本当か』
無礼な物言いにカッとした。
『呼び捨てにすんなや。てかなんで知っとんねん』
『親に写真見せられた』
だしぬけに顎を掴まれ、強引に上を向かされた。多聞がいやらしく目を細め、顎に添えた指を滑らせていく。
『お目にかかれて光栄だぜお孫様、御厨家代表の多聞だ。肌すべすべでホントに女みてえな顔してんのな、睫毛長ェ』
『はなしたって』
『好き勝手されんのが嫌なら式神だせよ、できるだろ』
そこで言葉を切り、耳元で低く脅す。
『お前んちが飼ってる祟り神でもいいぜ』
『どうしてそれを』
『親から腐るほど聞かされた』
極端に顔が近付く。
『甘ったれのお嬢ちゃんは帰りな。勝負の場にふさわしくねえ』
『僕かて来とうて来たんやない、行かんとおばあ様が怒るから』
『それが甘えだって言ってんだ。聞いたぜ、お前の父親一般人なんだろ?母親が駆け落ちして、それで生まれたんだろ』
『おかんとおとんは関係ない』
『いいやあるね大ありだ、一般人の血が入りゃ力が薄まる。お前は世司の七光りの出来損ないだよ、恥さらす前に辞退した方が賢いぜ』
両親への侮辱に憤激し、殴りかかる寸前突き倒された。
『またな、孫』
茶倉は地面に這い蹲り、笑いながら立ち去る多聞を見送ることしかできなかった。

現在。
小山内邸の中庭に出現した幻は、十五年経った多聞の似姿をとっていた。
「お口は矯正したん?もっと頭悪そな喋り方やった」
『何年たったと思ってる』
「大人になったんか。結構なこっちゃ」

同業者、もとい商売敵として御厨家の動向は概ね把握していた。
とはいえ御厨家が擁す依頼人は関西圏の地主や政治家中心、同じセレブでも芸能人や実業家を好むTSSとはクライアント層が重ならず、幸運にもバッティングして来なかった。
茶倉自身が調整していたのは言わずもがな。

『式が逃げ帰ってきたから何かと思えば、こんな形で再会するとはな』
「やけに出てくるの早いな。狩衣に着替えて待っとったん?ご苦労様」
『用件は?思い出話がしたくて呼んだんじゃないだろ』
「滋賀の武家の末裔、小山内雅に孫の悪夢を解決してくれて依頼をうけた」
『知らん名前だ』
「中学生の孫が半年前から夢遊病を発症した。けったいな夢も見とる。黒い蝶に誘われて屋敷の北廊下歩いてると、蝶の襖絵が描かれた奥座敷に辿り着く。そこに着物の女がおる。口元だけで顔は見えん、せやけど別嬪さんてわかるらしい」
『興味深いね』
意味深に微笑んで顎を揉む。嘘を吐いてるかどうか、この反応だけではわからない。
茶倉は小山内邸で体験した出来事を包み隠さず多聞に伝えた。
『気の毒に、化け物屋敷ではぐれた助手が心配だろ』
「やかましい」
コイツに助言を乞うのは癪だ。今すぐ幻を蹴散らしたい、そうできたらどんなにいいか。
「俺が知りたいんは北の和室、畳の下にあった札のこっちゃ。黒い蝶は御厨の家紋やろ。先祖が貼ったんか?小山内のもんと知り合い?とっとと白状せい」
『それはお願いか?取引を持ちかけてるのか?』
薄い唇の片端をねじり、粘着質な笑顔を浮かべる。隻眼に嗜虐の光。
『こっちも暇じゃないんだ、いきなり呼び付けられて一方的に質問責めってのは不公平じゃないか。見返りがほしいね』
「元凶が先祖でも?」
『親の因果が子に祟るなんてイマドキ流行らない』
「特大ブーメラン刺さっとるで、右目に」

多聞が妖艶な笑みを深める。
ややあって視線を断ち切り、茶倉は小さく息を吐いた。

「頼む。時間がないんや」

体の脇で拳を握りこみ、殺気立って一歩踏み出す。周囲には数を増した蝶の群れが飛んでいた。

『よろしい』

幻の多聞が勝ち誇り、近くを舞っていた蝶を捕らえる。
翅の先端が焦げている。
先ほど札から追い立てた蝶だ。
茶倉が解せずに見守る中、緩やかに首を仰け反らせ、繊手で摘まんだ蝶を口に運ぶ。

咀嚼。
嚥下。

尖った喉仏が官能的に波打ち、唇に鱗粉が貼り付く。

『わかったぞ』

指で指を擦って鱗粉を落とし、たった今茶倉の眼前で蝶を食べた男が、会心の笑顔で向き直る。

『コイツは五代前の当主の式だ。小山内家に祓いを頼まれたみたいだな』

御厨の人間は式として放った蝶を食べることで、その記憶を読む。

「祟りの元凶は?」
『急かすな。ああ、なるほどね。ふん……そういうことか』
「もったいぶらずはよ言え」
『今から二百年前の文政の世。小山内家の当主・伊右衛門は大変な女好きとして知られ、町や遊郭で見初めた女に片っ端から手を付けちゃ屋敷に囲い、それを蝶狩りと称し悦に入った。旦那や子供がいてもお構いなし。相手はお侍様、それも藩主の親戚筋ときて、女たちの恋人や家族は泣き寝入りを余儀なくされた。無礼打ちがまだ幅を利かせていた時代だ』
「胸糞悪い」
『伊右衛門の正室・お栄はとても嫉妬深い女で、旦那が連れてきた妾やその子供たちをいじめぬいた。実際毒を盛って殺した事もあったらしい。武家から嫁いだ自分をさしおき、平民の女が可愛がられるのが許せなかったのさ。文政三年、伊右衛門は遊女上がりの妾・揚羽を迎えた。若く美しい揚羽は伊右衛門の寵愛を独り占めし、お栄に一際憎まれた。やがて男児をもうけたが、揚羽はお栄に命じられ赤ん坊を去勢してる』

酸鼻な光景に渋面を作る茶倉と裏腹に、多聞はむしろ楽しげに、歌うような調子で過去を明かす。

『お栄が愛人の子を去勢させたのは、実子の長政に確実に跡を継がせるためでもあった』
「伊右衛門は女房の所業知っとったんか」
『お栄の実家は小山内より格上の武家、己の行状を省みれば意見などできんだろうさ。お栄もお栄、出戻るのは矜持が許さず意地で居座り続けた』
「野放しかい」
『妾は死んでも代わりがいる、いくらでも替えがきく』
「役人は?」
『賄賂で抱き込んだ。伊右衛門とお栄の振る舞いを見た人々は小山内邸を蝶々屋敷と呼び、妾たちの住まいを蝶々座敷と蔑んだ』
「揚羽はどうなった」
『奥方のいびりを苦に自害。匕首で喉笛掻き切って、郭から持参した襦袢の上で果てたそうだ』

首元で手刀を切る多聞を見て、化けて出たくもなるだろうと納得した。

『以来小山内邸では怪異が相次いだ。夫妻の夢枕に夜な夜な血まみれの揚羽が立ち、柱や床をうるさく軋ませ、衣裳部屋の着物を撒き散らした。そこでうちのご先祖様の登場。伊右衛門に呼ばれて小山内邸邸を訪れ、揚羽が寝起きしていた座敷を封じた』
「除霊せんかったんか」
『あそこじゃ女が大勢死んでる、完全に浄めるには膨大な手間と時間を費やす。伊右衛門が用立てた金子じゃ不足だ』
「吹っかけろ」
『催促なんて下品じゃないか。強請りたかりは夜盗の手口、金欲しさに仕事を請ける拝み屋風情と違って御厨の人間は誇り高いんだ』
「せやから付け焼刃で濁したんか」
『開かずの間にするのが最善だと忠告はした。破ったのは小山内の人間、後から文句言われる筋合いないね』

地獄蝶の正体は奥座敷で命を落とした伊右衛門の愛妾・揚羽。

『畳の下の符は安全弁。屋敷に渦巻く瘴気に仮の姿を与え、脅威を弱めるのが目的』
「どうりで。家紋をまねたんか」
『一処に留まってると澱むのは水も怨念も同じ、ならば循環する流れを作ってやればいい』

腹中の蝶の声に頷いて相槌を入れ、多聞が饒舌に付け足す。

『藩主の頼みを断れず渋々行ってみれば、当主も奥方も品性卑しい俗物で、早く祓えさあ祓えと居丈高な物言いをする。御厨の祖はやんごとなき公達だぞ?身の程知らずには付け焼刃で十分だろうよ』
「腹ん中の蝶がそういうたんか」
『訳した』

御厨一族は総じてプライドが高く、才や働きに見合った礼金礼節を求める。
故に待遇を不満に思い、わざと手を抜いた。

『早い話がちょっとした嫌がらせ、祓えるものを祓わず封じるだけにした。伊右衛門とお栄は鈍いから気付かない。が、滲み出る瘴気は確実に身を蝕んで家が傾く。その後十年待たず伊右衛門とお栄は死に、跡を継いだ長政は立て直しに奮闘するも金策ふるわず落ちぶれてく一方。今までもったのは奇跡だな、はは』

眇めた双眸に嫌悪と軽蔑を込め、茶倉が吐き捨てる。

「五十年で結界綻んでもたら名家の恥、二百年もたせりゃ上出来。あとは期限切れを待って張り直せばええ、太客ゲットおめでとさん。詐欺師の手口やでそれ、羽振りよお見えて台所火の車なん?」
『ご先祖様の心中を代弁したまで。一部意訳は認める』

聞きたいことは聞いた。

「用は済んだ。さいなら」
幻を打ち消す間際、軽薄に弾んだ声が制す。
『待てよ』
「何や」
『蝶々座敷のぬしを祓いに行くのか。一人で』
「それがどうした」
『水先案内がいるんじゃないか』

縁側に足を向けた姿勢で立ち止まり振り返れば、多聞はニヤニヤ笑っていた。

『異界への入口がどこかわかるのか』
「いらん世話や」
『虚勢を張るな。お前は確かに凄い術者だ、なんたって稚児の戯優勝者、俺の右目を抉り取った男だもんな。たっぷり時間をかけりゃ入口だって見付けられるかもしれない、その時には手遅れになってるにしてもだ』
「わからへんやろ」
『御厨の結界術をなめてもらっちゃ困る。全部の畳を剥がして回る気か?全部の襖を外して検める気か?現実的じゃないな。そもそもだ、前提からして間違ってる』
「どーゆーこっちゃ、わかるように話せや」

厭味ったらしい嘲弄がちくちく心臓を突付く。

『入口が移動してたら。一か所に固定されてなかったら』
「……ッ、」
『当然考えただろうその可能性は。こうしてる今も蝶みたいにあっちこっち動いてるかもしれない、さらに言えば床や壁、天井や襖に穿たれてるとも限らない。箪笥の抽斗の中は見たか、合わせ鏡のまじないは試したか、縁の下にくぐってみたか?結界は不定形だ、伸びたり縮んだり広がったり狭まったり忙しない。時に針穴と同寸になるし、山ほど膨らみもする』

人さし指と親指で縦幅を示し、一気に開く。

「糸口は見付けたる。お前の手は借りん、とっとと去ね」
『たかられた状態で?』
「……」

蝶の群れが行く手を阻む、視界を妨げ邪魔をする。

「片っ端から燃やしたる」
『きりがないぞ、わかってるくせに。コイツらは群にして個、めいめい揚羽と繋がっている。よってたかって足止めするのは結界に入れないため、これから始まる宴をぶち壊されたくないって抗ってるのさ、だから入口を隠す。蝶は擬態が得意なんだ』

多聞がうっそり笑む。

『お前の助手は大丈夫かな。悪霊を寄せ付ける体質なんだろ』
「……どうやって来るんや。生霊おんぶはお断りやで」

負け惜しみのように呟く茶倉に対し、なめらかな右手をさしだす。
刹那、多聞の手のひらから蝶が生じ、黒い翅を軽やかに羽ばたかせた。

『俺の分身。可愛いだろ』
「きしょ」

茶倉を中心に緩い円を描き、そこかしこに口付けながら上半身に移っていく。

『さて、どこにしようか』
「ご勝手に」

スーツの脚を辿って細腰に纏わり、腕を展転と歩いて飛び立ち、肩で翅休めしたのち瞼を塞ぎ、視界を半分隠す。
茶倉は微動だにせずされるがまま、唇の先端を啄む黒い翅を透かし、青年を睨む。

『接吻はもらったぞ』

首の後ろで熱が爆ぜ、剣山を打ち込むような衝撃が襲った。

「!!っ、ぁ」
不意に襲った熱と痛みに悶絶、前屈みに体を折った茶倉を多聞がうっとり見詰める。
「うっ、ぐっ」
うなじを苛む激痛を腕に食い込む爪の痛みでごまかし、低い呻きを噛み殺す。
黒い蝶がしっとり汗ばむ襟足に吸い込まれ、同じ形の痣を炙り出す。
「~~~~~っ、は、ぁ」

ぢりぢり皮膚が焼ける。
痣の輪郭がくっきり際立ち、刺青を彫る際の疼きを伴い、鮮烈な存在感を増していく。

『うなじが弱いのか。びくびくして可愛いじゃないか』
「アホ言うな、ッぁあ」
『素直に喘げ』
愉悦に酔ってからかい、幻のまま身を乗り出して囁く。
『三千世界の蝶々殺し ぬしと朝寝がしてみたい』
「いッ゛ふざ、け、」
『御厨の烙印だ。無能な助手に代わってこの俺が目になってやるんだ、背中が安泰で嬉しいだろ』
「ッぐ、痛っあ」

幻影の青年が手を翳しヒク付く頬を包む。
黒い蝶は多聞の分身だ。それが茶倉を背後から抱き締め、うなじを吸っている。

「あッ゛、んっ゛はアッ」
『もったいない。蜜を零すな』

前と後ろ同時に挟み撃ち。焼き鏝をあてる拷問に等しい痛みに四肢が跳ね、目尻にうっすら滲む涙は汗や涎に溶け交じり、濁流の如くしとどに顔中濡らす。
腕の肉を抉る痛みで辛うじて正気を保ち、深く浅く深く浅く不規則な呼吸を繰り返す。

「や、ない」
『何だ』
「理一は、無能ちゃうぞ」

顎先に結んだ汗が地面で弾け、痛みが止む。
陰陽師は一瞬興ざめした表情を討浮かべ、すぐに酷薄な笑顔を取り戻す。

『ならばお手並み拝見といこうか』

不愉快な幻がかき消え、うなじの蝶が多聞の声で喋りだした。
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