蝶々炎舞

まさみ

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八話

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茶倉が思慮深く唇をなぞる。
「夢遊病は別名睡眠時遊行症ともいい、パラソムニア……いわゆる睡眠障害の一種に分類されます。これは遺伝病ともいわれ、両親が幼児期に夢遊病だったら、お子さんも発症率が高いそうです」
「息子にそんな兆候ありませんでしたよ、小さい頃に数回おねしょした位で」
「普段と異なる環境におかれ、心身の緊張時に起きやすいとも言われてますね。ノンレム睡眠の時に起きるので本人が覚えてないのも不思議じゃありません。半年前から症状が出ていたなら、慢性的な寝不足を訴えてませんでしたか」
「ええ、よくあくびしていました。てっきり夜更かしが原因とばかり……遅くても夜九時には布団に入ってしまうんで、あの子の異常に気付けなかったんです」
「無理ないっすよこの広さじゃ、葵ちゃんが出歩いたってすれ違うことまずないでしょ」
慌ててフォローするも小山内さんは落ち込んでいた。
葵ちゃんが繰り返し見る夢は決まってる。真夜中に屋敷の北側を歩いてると黒い蝶が現れ、蝶の襖絵が描かれた座敷に誘われる。それはどこにも存在しない幻の座敷だ。
隙間を覗こうと片目を当てれば、漆黒の蝶の大群が羽ばたいて纏わり付く。
蝶の群れに翻弄される少女を微笑んで見詰めているのは、座敷の真ん中に座った謎の女。
「女に心当たりは」
「知りません。葵も蝶に邪魔されハッキリとは見てないそうです、口元だけ辛うじて」
「小山内さんの家の人……ご先祖様とか?」
「わかりません」
申し訳なさげにうなだれる小山内さんに対し、ずけずけ詮索するのを躊躇する。
「ぢごくてふ」
全員霊能者に凝視を注ぐ。
「地獄蝶。葵さんが夢で目撃した蝶の名です。特徴から推測するに岐阜県関ヶ原近くに明治末期に見られたカラスアゲハではないでしょうか。合戦場跡によく飛んでいた事から不吉のしるしと忌み嫌われたそうですが、対になる極楽蝶もいたとかいないとか。『極楽蝶早朝より出ずるは晴天』ということわざをご存じありませんか、書いて字の如く極楽蝶が早く飛ぶ日は晴れるって迷信です。蝶を眠りや死と紐付ける逸話は世界中に分布しており、黒い蝶は神社や火葬場でよく目撃される事から亡者の象徴とも言いますね。意味は神の使い、歓迎、トラブルの警告に転機の前兆……死体を食べる種の存在も無視できません」
「平家物語や源平盛衰記にもぎょうさん蝶文がでてきはったな。丸と揚羽は平清盛の家紋、平家の代表紋や」
軍記に詳しい爺ちゃんが参戦し、茶倉が無表情に付け足す。
「同業の家紋にも蝶が入ってます。仏教じゃ極楽浄土に魂を運ぶ神聖な生き物て見なされた他に、不死や不滅、輪廻転生の象徴て信じられてました」
小山内さんの顔から血の気が引いてく。
「その地獄蝶がどうして葵の夢に?やっぱり悪いしらせなんでしょうか。た、祟りとか呪いとか……だけど葵は心が優しい子で、虫をいじめ殺すようなことは絶対しないって」
「落ち着きなさい雅さん」
狼狽著しい小山内さんを爺ちゃんが宥め、茶倉がさっさと腰を浮かす。
「葵さんの話を聞かせてください」
「縁側にいました。今呼んできます」
「直に行った方が早そうですね」
茶倉が俺に顎をしゃくり、ふたり揃って廊下へ出る。居間には小山内さんと爺ちゃんが残された。
「老いらくの恋の行方が気になるか」
「ゲスい想像すな」
小山内さんの慰め役は爺ちゃんに任せ、襖を閉めて縁側に行く。途中注意して観察すりゃ、至る所に影ができているのがわかった。
「おったで」
庭に面した縁側の柱に凭れ、スマホをいじっている女の子が目にとまる。年の頃は十三・四、思いきりよいショートヘアがボーイッシュな印象を引き立てる可愛い子だ。ただしジャージ。
「葵ちゃん?」
女の子がハッとして顔を上げる。できるだけ陽気に歩み寄る。
「驚かせてごめん。俺は烏丸理一、君のお婆さんに呼ばれたんだ」
「おばあちゃんに?」
「そ、孫の悪夢を解決してくれって依頼。怪しいもんじゃねーから安心してくれ、心霊トラブルの専門家なんだ。TSSって言って……知らねえか。ほらお前も」
「茶倉練。よろしゅうに」
茶倉を肘で小突き名刺を出させる。
名刺を受け取った葵ちゃんは警戒心まるだしで俺たちをじろじろ見比べたのち、茶倉の顔に視線を固定して疑り深く呟く。
「タピオカの人?」
茶倉が凍り付く。
続けてスマホを操作、新幹線で視聴済みの動画を再生。
「やっぱタピオカの人だ」
「ちゃうわアホんだら」
「じゃあホスト芸人?」
「ぶはっ!」
すげーやこの子、しょっぱな地雷原でタップダンスか。茶倉が猫をかなぐり捨てたのは本気でキレてる証拠、もはや敬語は使わず地金剥き出しの関西弁で罵る。
「動画見とんのに何で職業知らんねん、わざとボケ倒しとんのか?」
「よく知んない。回ってきた動画見ただけだもん」
「ひーっひっ!」
「引き笑いきしょ。はよ止めな殺すで」
「名刺の肩書にホスト芸人追加しとけよ」
柱を叩いて爆笑する俺の脛を茶倉が狙い定めて蹴ってくる。葵ちゃんがスマホを伏せて訊く。
「お祓いにきたの?無駄だよ、色んな人に見てもらったけどさっぱり進展ないし」
「俺たちが初めてじゃねーのか」
そりゃそうだ、爺ちゃんに助け船出す前に地元の神主なり住職なりを頼ってるはず。葵ちゃんが体育座りし、俺と茶倉を睨む。
「悪いこと言わない。早く帰った方がいい」
「夢遊病治したないんか」
「だから無駄だって」
「なんで決め付けんの?せっかく来たんだしさ、話だけでも聞かせてくんないかな」
「……」
しゃがんで視線の高さを調節する。
「力になりたいんだ」
爺ちゃんの友達の頼みってのをおいといても、目の下にクマを作り、ひとりぼっちで膝を抱えた子をほっとけねえ。
「八ツ橋食べる?ラムネ味がおすすめ」
大急ぎで居間に戻り、残り少ない八ツ橋の箱を取ってくる。葵ちゃんは真顔。
「ごめんなさい、知らない人にお菓子もらっちゃいけないっておばあちゃんに言われたから」
「自己紹介したじゃん!」
落胆し蓋を閉める。
「そない邪魔にせんかて用が済んだらすぐ帰る。小山内さんが言うとった事はホンマか?半年前からけったいな夢見始めたんやな」
「……うん」
遂に降参し、やけっぱちで頷く。
「どんな夢や」
「おばあちゃんに聞いたでしょ、黒い蝶が出てくる夢だよ。真夜中に屋敷の北廊下歩いてて、蝶の襖絵が描かれた知らない座敷に行き当たるの」
「ずっと同じか。変化はないんか」
「もっと優しく聞け」
束の間押し黙り、暗い目を伏せて答える。
「……襖がだんだん開いてくんだ。最初はぴったり閉じてたのに」

迎え入れるように。
招き入れるように。
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