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4.花マルスタンプ
しおりを挟むあたしは父様が乗って帰るハズの馬車を横取りし、目的の場所へと向かわせていた。
移動中、フェイスリート様が口を開く事はなく、必然的にあたしもしゃべらない。
お見合中の、それも二人きりの空間だというのに、その雰囲気は重苦しいとしか言いようがなく、そのお陰なのかあたしは少し冷静になった。
(あたし、なにやってるんだろ?)
どうしてフェイスリート様をあの場所に連れて行こうとしている?
いや、わかってる。
彼が子供を『大嫌い』だなんて言ったからだ。
だからあたしは彼を連れて行く。
……そこまではわかってる。
わかっているけど。
(まずはお見合いを破談にしないと)
チラリとフェイスリート様へ視線を向けると、彼は不機嫌な顔をして窓の外を見ていた。
二人きりで移動中なのに何の会話も無く、相手は不機嫌。
まだ断られていないとはいえ、もはやお見合いの要素はないに等しい。
ならばこの件はあまり気にしなくても、流れ的に終わるだろう。
そうと分かれば本題は『フェイスリート様、子供を好きになる大作戦』だ。
あたしの勘だとフェイスリート様は何か勘違いをしていらっしゃる。と、思われる。
そうでなければ、子供を『大嫌い』になるはずがない。
あたしの辞書には子供と大嫌いは対極の場所にある。だから、この二つの言葉が同列で並ぶわけないのだ。
……となれば、何か悲しい誤解があったに違いない。それを解いて差し上げればいい。簡単な事じゃないか。
「……ビアンカ嬢、いったい私をどこへ連れて行く気ですか」
沈黙を破ってきたフェイスリート様に「それは着いてからのお楽しみですわ」と、微笑みながら返す。
もちろん教えてやるつもりはない。
もし言ったら間違いなく帰ると言う事が想像できたし、今より不機嫌になるのは目に見えていたし。
まあ、かといって帰す気なんて全くないのだけれど。
(だって、今日はあたしの為に時間を取ったって言ったものね)
大人が約束を違えるなど言語道断。
言質はすでに取ってある。だから、絶対に今日は帰さない。
『子供、好きになりました』って、心から言わせてやるんだから。
「ビアンカ様、到着いたしました」
御者が扉を開けたところに、フェイスリート様が先に降りる。続いてあたしも降りようとしたら、スッと手を差し出してくれた。
(……お断り寸前のあたしにも、ちゃんと相手をしてくださるのね)
あたしは差し出された手を見た後、フェイスリート様の顔を拝見した。
その表情には何の感情も見えなかったけれど、逆に言えば嫌な顔一つもしていなかった。
さすが大人。
たとえ嫌でも顔には出さない。
(まあ、あたしはストレートに顔に出してくれる方が好きだけど)
だって、感情を隠されたら何を考えているのか分からないもの。
あたしはニッコリ笑って手を取った。
これはありがとうって顔。だって、きちんとエスコートして下さるのはとてもうれしいから。
しかしあたしの笑顔を見た途端、フェイスリート様は少し顔をそむけてしまった。
うーん。
やっぱりお断り寸前令嬢の笑顔なんて見たくないか。
それはそれで傷つきますよ。フェイスリート様。
あたしは心の中で彼に花マルの頑張りましょうスタンプを押した。
◇◆
「これはこれはビアンカ様! いつもお越しくださいましてありがとうございます!」
張りのある声に、人懐っこい笑顔。
優しく細められた瞳は暖かく、すこしだけふくよかな見た目は全てを包みこんでくれる様な心地よさ。
行きつけに到着したあたしがまず行ったのは挨拶。
「いいえ、スザンヌ先生。こちらこそ、いつも元気を分けてくださいましてありがとうございます」
「そんな……皆が聞いたら喜びます」
「ふふっ、みんな元気かしら?」
いつものように挨拶と話をするあたしはご機嫌だった。
自分が口にした言葉はお世辞ではなく真実で、今日もまた元気を分けてもらえるのだと思うと楽しくてしょうがない。
……と、ご機嫌だったのもつかの間。
スザンヌ先生が微笑みながら少しだけ目配せをしてくれたお陰で、大事な事を思い出した。
「ビアンカ様、そちらの方は……」
「ええ、こちらは」
そこまで言って、あたしは止まった。
果たして何と紹介すればいいのだろうかと。
お見合中の、フェイスリート様?
――いや、もはやお断り寸前なのにそれはないだろう。
では、お断り寸前のあたしに仕方なくついてきて下さったフェイスリート様?
――それはそれで、あたしが空しい……。
なら、侯爵家のフェイスリート様?
――うん。これがいい。
脳内で会議をしたあたしが「こちらはー……」と、言いかけたところに、フェイスリート様は「フェイと言います、今日はビアンカお嬢様に同行させていただきました」と、かぶせてきた。
はい?
なんで、偽名なの??
「まあ、そんなの? よろしくお願いしますね、フェイさん」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「では、私はお茶でも用意しますね。ビアンカ様、フェイさん、少しお待ちくださいね」
スザンヌ先生はそう言い残すと、部屋から出て行った。
先生が遠ざかっている事実が少し軋むような音でわかるのは、建物が古いせいだろう。
この音を聞くたびに、修繕の事が頭を過るがなかなかそこまで手が回らない。
現実は厳しいな……なんて、思いながらも、あたしは一緒に先生を見送ったフェイスリート様の方を振り返る。
「フェイスリート様……どうして」
どうして偽名を?
と、聞く前に、フェイスリート様は「私はまだ、ここがどこか聞いていない。それなのに易々身分を明かす訳にはいかないだろう」と、ため息交じりに言った。
なるほど。
身分の高い人はそういう事があるのかと、感心する。
あたしの場合は身分を明かしたところでなんて事ないので、そういう事を気にした事すらなかった。
「じゃあ、私もフェイと呼んだ方がよろしいですか?」
「そうですね」
「じゃあ、しゃべり方も気をつけてくださいね? どうやら私がお嬢様のようなので」
「……わかりました」
「あーダメダメ! うち、そういうしゃべり方する使用人を雇っていないの」
「? じゃあ、どういうしゃべり方なんですか?」
本当に分からないという表情で尋ねてくるフェイスリート様に、「え? 普通に話してる。敬語とか一切なしで」と、答えれば彼は無言になった。
ひょっとして、敬語のない話し方が分からないのかもと思い、「だから、『わかりました』は『わかった』とか『そうだな』って感じかな」と伝えれば、「……わかった」と、真似るように答えてくれたので、つい「ごうかーく!」と口走ってしまった。
「……貴女は本来、こういう話し方をするのですね」
「あははは……ごめんなさい? どうせ、ここに来た時点でバレてしまうから先にバラしてみました!」
「まあ、貴女の行きつけなんだから好きにしたらいい」
あら、意外と寛容力はお持ちなのね。フェイスリート様は。
女性がこんな話し方をしていたら嫌う殿方もいらっしゃるのに。
あたしはフェイスリート様に感謝しつつ、「そうさせてもらいます!」と返事をした。
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