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24.知らない彼と黒い笑み
しおりを挟む「――どけ」
低い声と共に男が吹っ飛んだ。
ドンという衝撃音。男が壁際のテーブルとイスに突っ込んでいて、ボードゲームの駒が転がり落ちる。
一瞬、何が起こったのかわからなくて。
フィーネは男が吹っ飛んだ方とは逆の方を見る。
開け放たれていたのは、もう一つの扉。いるのは求めていた彼。
いつもは優しげに細められている瞳が、鋭く男を見据えていた。
「彼女に指一本触れてみろ。ただじゃおかない」
「はん! 下僕根性が染みついたか?」
頭を振って立ち上がる男。
怒りに燃えるその瞳に、フィーネはもう映っていない。
矛先が完全に変わる。
アストリードと男が向かい合い、互いに殴りかかった。
目の前で繰り広げられる戦いで、真っ白になっていた頭がようやく動き出す。
男と戦うアストリード。
彼は捕えられているのではないの?
よく見れば、頬には殴られた痕。腕にも傷、服も土で汚れている。
彼らは森で密会をしていた二人。仲間。
新入りをのしたと話していた見回りの男達。
俺の部下だと話す男。
フィーネに触るなと怒る、アストリード。
――仲間割れ。
この瞬間、アストリードを味方だと認識する。色々聞くのはすべてが終わった後だ。
フィーネはすぐに彼を援護しようとして。そして、手が止まった。
彼らの動きを目で追うのは無理だった。
全体として彼らが動き、拳を繰り出しているのはわかるけど、細かく処理するほどフィーネは戦いに慣れていない。身をかがめたり、蹴りだしたり。わかるのはその程度で、とても援護が出来る状態になかった。
「くっそお!!」
吠える男。
それを黙ってかわす、アストリード。彼の方が優勢に見える。
フィーネは以前、アストリードが護衛も出来ると言っていたことを思い出した。
あの時は別の事に気を取られていて深く考えもしなかったけれど、たしかにこれなら十分にやれる。あののほほんとした雰囲気からは想像できない程に、強い。
そして、その瞬間が来た。
男が一瞬よろめいた隙に、アストリードの蹴りが鮮やかに決まる。
膝から折れる男。素早く背から押し倒し、腕をねじり上げた。
「くっ……!!」
「終わりだ。ゼス」
「呼び捨てに、するなっ!!」
じたばたと暴れる男――ゼスを抑えつけ、アストリードが縄で縛ってゆく。
「お前、こんな事をしてただで済むと思っているのか」
「ただで済むどころか、褒美が出るな」
「ばかな!! ボスが黙っているわけないだろう!!」
「果たしてどうかな」
「護衛隊の隊長だぞ、俺は!! 仕事ができなくなるだろう!!」
「本当にそう思うのか、ゼス」
「呼び捨てに……!!」
ゼスが言葉を止め、わなわなと唇を揺らした。「まさか……」と小さくつぶやく。
「こんなに尽くした俺を切るのか……?」
それには答えず、足も縛り終えたアストリードはゼスを柱に括りつける。
無言を肯定ととったらしいゼスは萎れたように頭をたれた。
「……効率よく、稼ごうとしただけだろう?」
冷花が減って、温毒が増える。そうしたら薬が売れる。薬の材料を入手困難にしておけば、更に儲けは増える。僅かな手間で、儲けが倍増。良いことしかない……
ぶつぶつとつぶやくゼスにフィーネは怒りを覚えた。
薬の価格が不用意に上がらないようにと考えていた方法を、足蹴にされた気分だった。
――人が、死んでしまうかもしれないのに。
金、金、金。
どうして人は得る事ばかりを考えるのだろう。うんざりした。
なにも答えないアストリード。
その態度にイラついたのか、ゼスが威勢よく頭を上げ、怒鳴った。
「事はすでに動いている!! もう遅いぞ!」
「冷花はお前の部屋にあるのだろう。まずはそれを回収する」
「横取りか!」
「元あったところに戻すだけだ」
「解毒剤の材料は足りないだろう!!」
「西部からのキャラバンが止まっても、他がある。そして、すでに南部からの増便が決まっている」
手早い。
ある程度この事態を予想していたからこそ、立てる事の出来た作戦だ。
フィーネは知らないアストリードの姿に戸惑った。
彼ののほほんとした笑顔が遠のいてゆく。
――いったい貴方は何者なの?
フィーネが考え事をしている間に一転。
突然、ゼスが笑いだした。
「くはははは!! 南部から増便! それじゃあ間にあわんだろう!」
「……何が間にあわない?」
「解毒剤はすぐに必要になる!!」
「何故?」
「何故だと思う、新入り? ――答えは簡単! 昨日の昼間に送った食品が、すでに流れの一つだからさ!」
アストリードの顔色が変わった。
「まさか」とつぶやき声を荒げる。「毒に冒された食品を流したのか!」
「お前は何をしたのかわかっているのか!?」
「わかっている!」
ゼスが勝ち誇ったように笑った。
「南のキャラバンは間にあわない! 俺ならより早く薬の材料を用意できる! お前が縄を解かねば、レイフィルドの連中は温毒で死ぬ! わかるか? 新入り! お前が間接的に殺すんだ!」
責め立てる言葉。
ギュっと拳を握りしめるアストリードに、男はニタリと黒い笑みを浮かべ、続ける。
――さあ、縄を解け。
◆◇◆◇
身動きが取れないのに勝ち誇ったように笑うゼス。
何が一番大事なのか、慎重に考えるアストリード。
――そして。
「ふふふふふ……」
突然笑いだしたフィーネに、二人の視線が集まった。
アストリードは困惑気味。ゼスは気味の悪いものを見るかのよう。
二つの異なる視線を受けながら、フィーネはゆっくりと唇に弧を描いて見せた。
「これは良い事を聞いたわ」
「魔女……お前、何をする気だ?」
「あら、わからないの? 貴方が自分で言ったのに」
ふふふと笑って見せれば、ゼスが苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……温毒の薬で儲ける気か」
「南部のキャラバンは間にあわない。貴方は縛られたままずっと動けない。つまり、私の出番よね?」
笑みを浮かべたままゼスを見下ろせば、舌打ちが聞こえる
「くそ……魔女めが」
「あら? 今ここで焼け死にたいのかしら?」
「……魔女殿、こいつは明け方引き渡す事になっているので、このままで」
ここに来て初めて、アストリードが話しかけてきた。
名前を呼ばれない事に落胆し、そんな姿は絶対に秘密だとフィーネは胸を張った。
「黙りなさい。下僕の分際で」
「……対価は払います」
「何をくれるというの、貴方は?」
「魔女殿が望むものを必ず」
彼に見つめられ、フィーネは胸が苦しくなった。
昨日の朝、帰って来るからと笑ったアストリードはもういないのだと、笑みのない彼を見て思った。
「……二言はないわね?」
自分がアストリードから欲しいものは一つだけ。
彼の真実だけだった。
フィーネの思いが伝わったのだろう。アストリードは「すべてを片づけたら、必ず」と頷いた。
「じゃあ、もうここに用はないわ。行きましょう」
「そうだな」
去り際に、フィーネは立ち止まった。
さぞかし悔しい顔でこちらを見ているだろうゼスに、魔女らしく嗤っておいた方がいいだろうと思ったからだ。
――ご愁傷様。残念だったわね。
そんな言葉を思い浮かべながら振り返ったのに、相手は思っていたのとは違う表情をしていた。心に僅かな引っ掛かりを覚える。
「……なに? 言い残した事でもあるの?」
「いいや。魔女殿の望みが叶うと良いなと思って」
「しおらしい事を言っても無駄よ。気に入らない仕事はしない主義なの」
「そうか。それは残念」
さして残念そうに聞こえない声色。
気になって、もう一度小屋に戻ろうとして。アストリードに手を掴まれた。
「時間がない。急ごう」
「……そうね」
最後の強がりだろう。
フィーネは妙な気がかりをそう片づけ、外に向かって歩みを進めた。
――後からそれを悔やむ事も知らずに。
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