一階からスタート!

大鳥 俊

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6.君はいずこに

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 ――何でいないんだよ。
 帝司は口をへの字にして、パソコンに向かう。
 午前中、事務仕事。午後、取引先と打ち合わせ、その後直帰。今日はもう階段を使わない。

 顔見せ会で見つけられなかった、階段の君。
 土日悩んだ末に、今日会えたら声をかけようと意気込んで出勤した。階段で少し、待ってもみた。だけど結果は見事に空振り。ますます正体がわからなくなる。
 
 会えないと会いたくなるのは、逃げられると追いたくなるのと同じ心境なのだろうか。
 顔も名前も知らないのに? 階段で会えなきゃ、追う事も出来やしない。

 もやもやとそんな事を考えているうちに、午前の仕事が終わった。
 昼食をさっと済ませ、午後に必要な書類を確認する。

 そんな時、先輩から声がかかった。

「帝司! 使いっぱしりで悪いんだが、これ十ニ階に持っていってくれないか!」

 渡りに船。というのはこういう事をいうのだろう。

 帝司は気分良く返事をして、席を立った。


 ガラス扉を出て、続く階段を見上げる。
 深呼吸した。まるで新入社員のようだ。

 十ニ階にはたぶん、階段の君がいる。

 そう考えると緊張した。
 顔見せ会で見つけられなかった以上、階段以外で見つけられる気はしない。それでも相手に自分の存在が認識されるのだと思うと、ヘンに胸がドキドキ騒ぐのだ。

 帝司はもう一度だけ深呼吸をして階段を登り始める。
 十一階を超え、十ニ階へ向かう最後の階段を登り始めた時だった。


「そうそう。ちょい惜しいイケメン君だったよね~」


 上から聞こえた声に、階段を登る足が凍りつく。

 『ちょい惜しいイケメン』
 それは高校大学時代、自分に対してよく使われていた呼称だった。

 顔は良いけど、背が低すぎるんだよね。
 ……そんな事言われても、どうしろって言うんだ。

 帝司は急に居た堪れなくなって、慌てて階段を降りた。
 頭上では足音が止まって、ポーンとエレベーターの到着音が響く。
 移動しがてらしゃべっていたのだろう、もう人の気配はない。

 何やってんだ俺は……。
 逃げる必要なんてないだろう? 堂々としていればいいじゃないか。

 社会人になって、身長の事でからかわれる事はぐっと減った。学生の頃よりみんな、大人になったからだ。それでも会話の中で出てくる事が無くなった訳ではないし、たとえ出てきてもさらりとかわせるまでにはなっていた。それが、なんで、今更。

 理由は単純だった。
 帝司は自分が気になっている相手に、身長の事を触れられたくなかったのだ。

 情けねえな。
 くしゃりと前髪を潰す。
 ガキじゃあるまいし、それぐらいどうしたっていうんだ。
 もし、そういう事を気にする相手なら、こっちから願い下げじゃないか。

 眉根に力を入れて、再び階段を登る。
 高峰文具。そう書かれた扉をノックする前に、再びエレベーターがポーンと音を立てた。

「……あれ? 滝川さん?」

 出てきたのは顔見せ会で二番目に名乗っていた高花理衣沙だった。
 帝司は愛想よく笑い、持っていた書類を手渡した。書類は誰に渡してもよかったから。

 敵前逃亡。
 そんな言葉が浮かんだが、足はそのままエレベーターに乗り込み、ペコリと頭を下げた。
 降りる距離、僅か二階。

 そんな短い距離、初めて乗った。


◇◆◇


 理衣沙が戻って来て、浩太が犬みたいに駆け寄った。

「リイサちゃん! 手作り弁当作って下さい!!」
「意味分かんない。佐奈や歩美にお願いしたら?」
「もう玉砕してます!」

 あぁ、お馬鹿。何故それを言う。
 理衣沙の眉がピクリと動くのを見た佐奈は、歩美と顔を見合わせて溜息をついた。

「……もっと真剣にお願いしたら、作ってくれるかもよ」
「お願いします!! リイサちゃん!」
「もう! 私じゃないでしょ!」

 そこからは「お願いします!」と「嫌!」の繰り返し。いつものことだが、いちゃいちゃしているようにも見えなくもない。「もう付き合っちゃいなよ!」という意見が少なからずあるのも納得だ。

 しかしこの流れは浩太の負け決定だろう。
 案の定、願いを一蹴された浩太は泣き真似で部屋を飛び出し、理衣沙はぷりぷりしながらこちらへ向かってきた。

「もう! あれなんとかなんないの!?」
「一回弁当作ってやりなよ、そしたら変わるかもよ?」
「なあに? 歩美は浩太の味方? それなら歩美が……」
「私が作っても意味ないよ」

 わかってるくせに、と言う歩美に、理衣沙は膨れる。
 その手には小さなポシェット鞄と、行きには持っていなかったファイル。
 気がついた歩美が「なに、お昼仕事してたの?」と話題を切り替えた。理衣沙は首を振った。

「違う違う。今、もらったの。高山さんのとこから」
「ああ、なるほど」と返す歩美に、「滝川さんだったよ」と理衣沙が続ける。

 見知らぬ名前に、佐奈はついていけない。
 やっぱり顔見せ会に参加できなかったのは痛かった。なかなか一気に集まって、自己紹介する機会なんてないのに。

 しょぼくれた佐奈に歩美がフォローをくれた。

「これからちょくちょく行き来が増えてくるだろうから、早く顔見せしないとね」


 ――三日後。
 佐奈は『滝川さん』を見かけた。

 大きな声で同僚に呼ばれて振り返ったのは、あの、ファイルの彼。
 隣で「あれが前言ってた可愛い系イケメンだよ」と歩美が教えてくれる。

 ファイルの彼、可愛い系イケメン――滝川さん。

 佐奈の中で掴み切れていなかった彼が、初めて実態をもって目の前に現れた。


 
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