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第二章:ハンセル帰郷編

4.それはいつも突然に

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 夢を見た。
 他所から来た買い付けの商人が、採れたての野菜を吟味している。
 隣でも、また隣でも、同じように商いが行われている。理由は大都市との契約量から溢れた野菜が、同じ品質でも少し安く買えるから。この風景、ハンセルの市場ではおなじみだ。

 たくさんの商人が商いをする中、その様子を眺めている人物がいた。
 顔は良く見えない。流れる人々の中で一人たたずみ、まるでそこだけが時の流れに置いていかれているような異質な感じを覚える。

 手には小さな箱。
 十字に閉じられた組み紐の色は赤。いやに映える鮮烈な色だ。先端には飾り石がついている。

 ――しかしまあ、野菜を入れるにはいささか小さすぎやしないか?

 そう思った瞬間、その人物は小箱をすっと他の荷物の中に紛れこませる。誰の目にもとまらぬよう、ごく最小限の動作で。明らかに不審な行動だった。
 エックハルトは一歩足を踏み出そうとして――。そう、出来ない事に気がつく。

 時の流れが正常に戻る。
 小箱の人物にも同じように時が流れ始め、自然な形で距離が開いてゆく。

 焦燥感。感じているのは、夢の中だけなのか、現実の自分もか。
 じきに視界からその人物が外れ、瑞々しい野菜が映る。朝採れのトウモロコシ。
 待ってくれ。今はあの人物から目を離したくない――……



「……はぁ」

 見える天井にエックハルトは息を吐き出した。
 月明かりだけの室内。サイドテーブルには水差しとコップ。かけられた上着と、僅かな手荷物がソファーに乗っかっている。間違いなく、自分が宿泊している部屋。

 少し汗ばんだ額を拭う。
 王都を出てからは見なかった悪夢。なのに折角の帰郷の日に見るなんて、一体何の嫌がらせなんだ。
 しかも内容がなお悪い。平和なハンセルに影を落とすような――……

「って、どんな影だったか……」

 夢の内容はすでに輪郭を失い、不快に思った事と場所がハンセルのどこかだった事しか思い出せない。

 エックハルトは水を一杯飲み干し、もう一度ベッドにもぐりこむ。
 帰郷の時ぐらい、良い夢を見させてくれよと思うのに、なかなか思い通りにはなってくれない。

「……夢も、現実と同じってことか」

 つぶやき、そのまま目を閉じる。
 眠れる気はしないけど、身体を休める事は必要だ。


 翌早朝。
 市場を見に行こうとフレアを誘った。
 折角の帰郷の想い出は、少しでも楽しいものにしたいと思ったから。

 帰ると言い出したエックハルトに、フレアは不服そうな顔をしたがそれだけだった。逃げずに会った事がぎりぎり合格ラインだったのかもしれない。

 騒がしい市場を二人で歩く。
 フレアが物珍しそうにきょろきょろしているのが可愛くて、何か買ってあげようと自然と笑みが浮かぶ。

 市場は野菜だけではなく、手仕事の品も扱っている。
 基本商人向けの品が多い場所だが、ちゃんと個人向けも用意されているので安心だ。
 フレアが手に取った品を見て、「気に入った?」と声をかける。それは彼女の瞳と同じ、翡翠色の石がついた組み紐だった。

 ――これじゃないな。

 反射的に思い、何の事だと自答する。

 前にも感じた事のある、この奇妙な感覚。
 自分の身には全く覚えがないのに、頭のどこかで何かを判断して、その想いだけが無意識のうちに脳裏に浮かぶ。
 この齟齬そごはとても不快で、しかも、自分の中に解決できる要素があるのかどうかすらも分からない。記憶力には自信があるのに、悔しいとも思う。

 これじゃない。とは、一体なにと比べている?

 ……分からない。でも、何か重要な事のような気がする。


「――ねえ。どうしたの」

 長考していたエックハルトにフレアが気付いた。

「……また、シワが出来てる。悪い夢でも見た?」
「夢……?」

 夢。
 そうだ。昨夜夢を見た。

 だけどもうそれはほとんど覚えていなくて。
 焦りを感じるような不快な夢だった事ぐらいしか、思い出せなくなっていた。

 フレアにその事を伝えれば、彼女は眉根を寄せて、「おまじない使わなかったでしょ?」と問い詰めてくる。正直に「ごめん」と謝れば、「やっぱりまた習慣にするしかないわね」と、小さく溜息をついた。

 エックハルトはまじまじとフレアを見た。

また・・、習慣って……?」

 幼い頃、夢見が悪かった事は話したと思う。
 だがしかし、おまじないを習慣的に・・・・・・・・・・使っていた・・・・・という事まで話しただろうか?

 フレアはそのつぶやきには答えず、「ねえ、もう一日街を見ない?」と言い出した。

「アナタ忘れてるかもしれないけど、今日は食べ歩きするっていってたじゃない。わたし、楽しみにしてたのよ」

 「約束を違えるの? 騎士が?」と、フレアから文字通り言葉で圧力を受け、エックハルトは滞在の延長を決める。
 なんだかんだと言って、フレアに言われて思い出した夢が気になりだしたのだ。

 焦りを感じる夢などロクでもないと決まっているのに、自分の一部が無視するなと声を上げているような、そんな感覚。直感というか、胸騒ぎというか。いずれにしろ、もう一度同じ夢をみたいと思った。
 もし今晩夢を見たら、確実にメモを取ろう。そして、もしそれが悪夢なら、おまじないを使おうと決める。折角彼女に教えてもらったのに、まだ一度も使っていない・・・・・・・・・のだから。


◆◇◆


 飛び交う商人の声や客寄せの声。
 ガヤガヤと活気づく市場は今日も大盛況。

 ……今日も・・・

 引っ掛かる疑問を無視せずに、見える景色をしっかりと見て。エックハルトはこれが昨日の夢と同じだと気がついた。

 視界に映り込む、鮮やかな赤。
 小箱はやはり他の荷物に紛れて、怪しげな人物と別行動を始める。

 このままではまた見失ってしまう!
 動けなかった昨日を思い出し、不自由な視界から全ての情報を読みとろうと意識を集中させる。

 小箱と共にある品を覚え、すぐ側のテントで売られている商品を色で俯瞰ふかんし、立ち去る怪しい人物とテントの高さで身長を読む。それでも足りぬと目を凝らし、景色全てを描くように脳裏へと焼き映してゆく。そして視界が動くその瞬間。わずかにかすめたのは、男爵家の――……?


 エックハルトはベッドから飛び起き、すぐにメモを取った。
 市場、小箱、組み紐、赤、工芸品、緑色、テントの柱三本目のテープ。そして、男爵家の紋章がついた馬車とトウモロコシ。絵心があれば見た景色をそのまま描くのにと、頭を抱えながら、文字を書き続ける。

 小箱は荷馬車に乗せられていた。あれはそのままハンセルの屋敷に向かうはずだ。
 もしもあの小箱が何か良くないものだった場合、そのとがは受け取った女男爵に向かう。
 昔と変わっていなければ、五日おきの木の日に市場から仕入れをしているのは女男爵自身だから。

 木の日は二日前。
 丁度自分達が到着した日。市場の様子を見れば、あれは朝だと言い切れる――。

 そこまで考えてエックハルトは頭を振った。
 あまりにも現実に近しい情景を見たから混乱しているが、今見たのは夢だ。現実ではない。

(落ち着け。落ち着くんだ)

 たかが、夢じゃないか。
 悪い夢を見るのは前からだろう? 気にする必要なんて……。

 そう思う一方で、王都での事件を思い出す。
 懐かしい景色と入った事すらなかった旧物見塔の内部。その両方を夢に見た。同じ景色を目にするまで忘れていたけれど、たしかに夢に見たと今なら言える。

 では。今回は?

 エックハルトは書き殴ったメモを見て目を閉じた。
 見える形で記録を取ったおかげで、まだ鮮明に思い出せる夢は現実の世界と変わらないように思える。
 しかしこれを現実ととらえるならば、それは危うくもあり、このままではいつか自分が壊れてしまうのではないかと恐れる気持ちもいた。

 夢を現実として行動するにはあまりにもリスクが高い。
 だが、この直感のような胸騒ぎを無視してよいのか、その踏ん切りもつかない。答えは夜の暗闇と同じで、手を伸ばしても空虚をつかむだけだった。

(――ダメだ。考えてもらちが明かない)

 エックハルトはメモをサイドテーブルに置き、ベッドにもぐりこむ。
 たしかに同じ夢をと望んだが、やはり悪夢は悪夢。できればもう遠慮したい。

(子供の時も、寝るのが怖かった時があったなぁ)

 ぼんやりと幼き日を思い出し、「あぁ」と笑みを浮かべる。
 ハンセルに居て、悪い夢を見て。それならと、エックハルトは小さく口を開く。

「――この夢を、バクにあげます」



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