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第二章:ハンセル帰郷編

1.それは春風のような

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 一頭の馬が街道を走り抜ける。
 人通りの少ない田舎道。乾いた地面を踏みしめる蹄鉄ていてつは、砂埃を巻きあげながら目的地を目指す。

「もー!! お尻痛い!」
「もう少しで宿だから我慢してくれ」

 エックハルトとアルフレアの女神――もとい、フレアは馬上でそんなやり取りを繰り返す。

「さっきも『もうちょっと』って言ったわよ!?」
「そうだっけ? じゃあ、後もう少し?」
「主観はいいから、具体的な時間を教えて!!」 

 なら後一時間。と言ったら、彼女は怒るだろうか。


◇◆◇


 エックハルトがフレアの名前を聞き出した後、彼女の行動は素早かった。
 まるで部下に命令するかのようにエックハルトに指示を出し、自分はすぐさま旅支度をした。

『いくわよ』

 どこへ。なんて質問は愚問だった。

『……本当に行くのか?』
『あら。また弱虫に戻るつもりなの?』

 挑発するような言い方。
 隠れた怯えを指摘され、ぐうの音も出ない。
 ただそれを知られるのはしゃくで。エックハルトは素知らぬ顔で「君、馬に乗れるの?」とまた質問で返してやった。

 途端、フレアの眉が不快そうにひそめられる。

『乗れないわ』
『じゃあどうやって行くのさ?』
『騎士様は相乗りも出来ないの?』

 相乗り。
 自分には一生縁のない話だと思っていた、別世界の技術。
 もちろん、騎士として人を乗せて走るという訓練項目はあった。そして、当然のことながら訓練も終えている。それでもエックハルトがそれを訓練以外で行う事は一度としてなかったし、この先もないだろうと思っていた。

『く……う』
『なによ』
『嬉し泣きだから気にするな』
『はあ? 気持ち悪いわよ貴方』

 グサッと胸に矢が刺さり、エックハルトは心の中で膝をついた。
 世の中言って良い事と悪い事があるって、彼女は知っているのだろうか。……たとえそれが事実であったとしても、だ。

 そんな胸中など知らぬフレアは『大体貴方、一人でうじうじ考え過ぎなのよ』とそもそも論を説き始める。これは明らかに部が悪い。

 エックハルトは心の涙を拭い、懸命に目の前を見据える。
 風向きは正面向かい風、ちなみに強風。だが、負けてなどいられない。

 目の前に立つアルフレアの女神が「おや」と片眉を上げた。

『で、相乗りは出来るの出来ないの?』
『出来ます』
『じゃあ決まりね』

 こっちの繊細な気持ちなど、これっぽっちも気にしていない物言いは、つい数日前と比べて思いやりの欠片もない気がする。けれど――。


 エックハルトは自身の腕の中に収まるフレアを見て苦笑する。
 口をとがらせ、不機嫌さを隠しもしない彼女は、忌々しそうに前方を睨んでいた。
 ご機嫌は斜めを通り越してすでに垂直。まあ、半日以上馬に乗り続ければ当然だった。

「もう一生分馬に乗った気分よ!!」
「そうか? まだこれからも乗ると思うぞ」
「……って、つまりまだハンセルには着かないのね!?」
「そりゃあそうだろう。なんて言ったって王国は広いからな」
「っ! わかってるわよ! そんな事!!」

 物言いは相変わらずツンツンしているが、それでも「帰る」と言い出さない事に意志の強さと真っすぐな心根が見てとれる。

 エックハルトはその眩しさに目を細めた。
 美しいと、思う。自分にないものを持つ者に惹かれるのは、アルバティスの存在で理解していながらも、強烈に引き寄せられている気がする。

 この旅に彼女の利はなにもない。
 不慣れな馬に乗り続ける事も、そもそも貴重な時間を費やしてくれる事も。すべては、不甲斐ない男の過去に付き合っているだけで、得るものは多分疲労感だけ。

 エックハルトが上位貴族であるならば恩を売るという事もあるだろう。王城で名の売れた騎士であった場合もそれに該当する。
 ただ、自分にはその両方がなく、更に言えば彼女は彼女で媚びもせず、自分を売り込む事も全くせず、むしろ気が強く可愛げのない物言いばかりをする。
 しかも、そもそもの目的がそれであるならば、標的はエックハルトではなく、アルバティスである方が納得だ。彼は騎士隊長であり、次期ロックランド地方の領主様なのだから。

「…………」

 考えれば考えるほど分からない事が増えてゆく。
 アルバティスとは面識があるようだがそれ以上は教えてくれず、彼女の香りを元にパン屋の娘なのかと尋ねたら違うの一言。結局のところ彼女について知れたのは『フレア』という名前だけ。

 君の事をもっと知りたい。
 そう言えば、彼女は素直に答えてくれるだろうか?

 エックハルトは彼女の横顔を盗み見て、苦笑いを浮かべた。

「……想像できないな」
「え? 何!? 聞こえないわ!!」
「いや、何でもない」

 つい口にした本音を慌てて飲み込む。
 脳裏にはプンスカ怒る彼女の顔が浮かび、『何でそんな事聞くのよ!!』と言っている。

 知り合って、僅か二週間ほど。
 彼女の素性などは謎のままだが、性格判断には少し自信がある。

「……って、そんなもんに自信があってもな」
「だーかーら!! 何!?」

 キッと目を細め、エックハルトを見上げるフレアは不機嫌最高潮。
 そんな彼女にごめんごめんと謝りながら、同時にその力強い瞳を近くで見る事が出来る現状に、役得という言葉が浮かんだ。


 フレアの怒りを宥めつつ、近づく故郷に期待と不安を募らせて。二人の旅は続いてゆく。
 幸い天候にも恵まれて、当初考えていた通りの日程で無事ハンセルに到着した。

 エックハルトは先に馬から降り、フレアに手を差し出した。最初は少し、恥ずかしそうにしていた彼女。今はもう慣れたように、華奢な手を武骨な手に重ねる。

 ――瞬間、温かな風がふわりと舞った。

『おかえり、ハル』

 春風のような声は柔らかく、耳を撫でて身体に溶け込んだ。
 エックハルトの口元がゆるく弧を描く。懐かしい。

 ……懐かしい?

 はっとして、そう思った自分に首を傾げる。
 誰の声かはわからない。記憶を辿っても、思い当たる人物はいない気がするのに、胸がきゅうっと締め付けられた。

「どうしたの?」
「いや……」

 そう答えながらも、視線は声を求めてさまよう。

「何でもないようには見えないけど?」

 胡乱うろんな目でこちらを見るフレアに思わず聞いた。「今、声がしなかったか?」

 王都で聞いた声。自領で聞いた声。――いいや、もっと前?
 フレアに尋ねながらも記憶を手繰り、声を、その人物を思いだそうと試みる。

 行かないでくれ。
 反射的にエックハルトは願った。見失いたくなかった。

「……どんな声、だった?」
「うまく説明できないけど……こうなんていうか、優しい春風? みたいな、そんな感じの」
「優しい春風って、声の説明じゃないわよ」

 呆れたフレアの声を聞いて、我に返った。

 手の届かない、声の主。
 もう思い出せなくなってしまった声色。
 懐かしいと感じた理由も、探してしまった意味にも、両方とも心当たりはなく、その事実にエックハルトは落胆した。

 この場には自分達以外誰もいない。
 一目見れば分かるのに、その声の主を探さずにはいられなかった自分。
 その答えらしきものは心の奥底に沈んでゆき、もう手が届きそうにない。

「……ごめん、気のせいだったみたいだ」

 答えを追うのを止めたエックハルトに、フレアは小さく溜息をつく。

「気のせいにしちゃあ、結構気にしてたわよ」
「君は相変わらず痛いとこつくね」
「気になるならしっかり探しなさいよ。諦めが早すぎると思うけど」
「分からない事を考え続けても、時間かかるだろ」

 「いっつも、自分の中ではぐるぐる考えてるくせに」と、そっぽを向くフレア。
 図星だが、それに他人を巻き込むつもりはなかった。

 エックハルトは苦笑しつつも、目の前にある小さな手を握りしめる。

「さあ、降りよう」
「ちょっ、そ、そんなに強く握らなくても!!」
「え、あ、ああ。ごめん」
「って、急に力を抜くなっ!!!」

 ぐらっと傾いたフレアの身体をエックハルトは慌てて抱きとめる。
 つい先ほどまでの馬上と同じ距離。なのに。

「―――?」

 胸の内がすぅと軽くなる。まるで柔らかな陽射しに当てられ昇華するかのように、沈んだ気持ちが浮上する。

 溶けゆく声。
 見失ったと思った答え。
 目に見えぬ距離がどんどん縮まり、そして――捕まえる。

 ただそれは、思ってもみない気持ちだった。

 ――俺は寂しく・・・思っていた?
 
 あの声が分からず、見失って?
 確かに何故だか懐かしいと思ったけれど。
 だけど。どうして、そうなる?

 その想いに、エックハルトの理解は追いつかない。
 自分の事なのに、自分自身が分からないなんて。

 つい、癖で長考してしまう。
 考えても分からないのに、理由を探してしまう。答えなど誰にもわからないのに、つい、本当につい。

 散々気のせいかもしれない声の事を考えて。気付いた時にはすでに遅かった。
 自分の胸元で打ち震えるフレア。顔は見えずとも、頭からは湯気が立ち上っている。……こちら方が気のせいであって欲しかった。

「~~~~っ!! 昼間っからなにすんのよ!!」

 目にもとまらぬ鉄拳が顔面にめり込んで、鮮やかにエックハルトは吹っ飛んだ。

「ふべっしっ!!」
「いったい、なんなの!? もう!」

 頭上でわめくフレアを他所に、エックハルトは静かに目を閉じる。

 故郷に着いた途端、地面とこんにちわ。
 まさか顔面からの帰郷を果たすとは予想外。

 前途多難というか、なんというか。いずれにしろ忘れられない帰郷になる事は間違いなかった。



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