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第四章

87、遠征団の帰還(一)

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 雲一つない夜空が白み始めた時刻、一人の騎士が早馬に乗って王都の関門に駆け込んできた。そして、キース率いる遠征団が今日中に帰還することが伝えられると、その話は一気に拡散され、城下は普段以上の賑わいをみせている。

 正確な到着予定時刻など知る術のないこの世界で、サラは愛しい人との再会に膨らむ期待感と、その先に待ち受けている別れを想像し、相反する感情に揺さぶられ、苦しい胸の内を隠しながら一日を過ごしている。

(キースには旦那様が選んだ婚約者がいる。そのことを知ったキースが苦しむ姿を見たくない。厄介者の私が潔く身を引けば、話がこじれることはないはずよ)

 孤児院を訪問している間もそんなことを欝々と考えていると、裾をつんつんと引っ張る男の子と目が合った。身を屈むようにせがまれて膝を曲げると、男の子はコソコソとサラに耳打ちをした。

「リビお姉ちゃん、リック隊長と何かあったの?」

「え?何もないわ。どうしてそんなことを聞くの?」

「リビお姉ちゃんはぼんやりしてるし、リック隊長も難しいお顔をしてるから…ケンカでもしたの?」

 素性を隠し、教会から派遣されたシスターのオリビアとして、身分を偽りながら子供たちと接しているサラは、いつしか「リビお姉ちゃん」と呼ばれるまでに子供たちと仲良くなっている。ただ困ったことに、サラとリックが一緒にいるところをよく目にしている子供たちは、二人を恋人か交際前のお似合いのカップルだと勘違いしているらしい。

 リックとは特別な関係ではないにしても、先日の夜会でリックに醜態を見せてしまったサラは、その事を思い出し、顔を真っ赤にして恥ずかしい記憶を打ち消すように右手をぶんぶんと振り回した。

「ケンカだなんて!リック隊長はね、神父様に頼まれて私の護衛として一緒に来ているだけなのよ」

 男の子は幼い顔でいぶかしげになると、リックの隣に立つルアンを一瞥して、何故かまたコソコソと囁いてきた。

「じゃあ、ルアンお兄ちゃんに何か言われた?」

「ルアン?どうして?」

「ルアンお兄ちゃんは騎士になってから貧民街であまり見かけなくなったんだ。でもリビお姉ちゃんと一緒にいることが多いから、もしかしてと思って」

(んん!?まさか私とルアンの仲も疑っているの!?一緒に来ているだけなのにどうしてそうなるの?)

「ルアンもリック隊長と同じよ!私の護衛のために来てくれているの。だから彼らを困らせるような事を言っては駄目よ。そんなことより、スペルは完璧に覚えられた?」

 サラはパッチワークで自作した壁かけ式のスペル表を指して、男の子の注意をそらそうと試みた。すると、

「もちろん!今から言うから、ちゃんと聞いててね!」
 
男の子は自信たっぷりな声でスペルを一文字ずつ指で差しながら最後まで完璧に読み上げてくれた。

「嬉しいわ!全部覚えたのね!それじゃ、今度はみんなで一緒に声に出して読んでみましょう」

 サラが子供たちに文字を教える様子を、同じ部屋の隅で静かに見守るリックとルアンの二人がいる。いつも以上に口数の少ないリックに対し、ルアンは子供たちの大声に紛れる声量でリックに話しかけた。

「なぁ、リック。三日前の襲撃事件の後、ロクサーヌ宰相の娘、マデリーン公爵令嬢がどうなったか聞いているか?」

「…エバニエル殿下の命令で皇室の騎士団に捕らえられたと聞いているが、何か進展があったのか?」

「飲み水に混入されていた媚薬と、マデリーン嬢の部屋で見つかった媚薬の成分が一致したらしい。その証拠を突きつけられた令嬢は、襲撃犯とのつながりは否定したそうだが、聖女…リビ様に媚薬を盛って不義を起こさせ、弱みを握るつもりだったと自白したそうだ」

「…お嬢様は媚薬を盛られたのではなく、襲撃に遭って気を失っただけだ。飲み水まで調べろと余計なことを言い出したのは誰だ?」

「皇室の騎士団を動かしたエバニエル殿下に決まっているだろう。襲撃犯を手引きした者をあぶり出そうと屋敷内を徹底的に調べられたんだ。その結果マデリーン嬢に疑いの目が向けられたわけだが、以前から同じ手法で人の弱みを握ることをしてきたと令嬢が白状したものだから、社交界はしばらくそのネタで騒がしくなるぞ」

「それでは、エバニエル殿下とマデリーン嬢の婚約はどうなるんだ」

「破談…になるだろうな。宰相は事態の早期収束を図るのに必死で、全ての責任を娘に押し付けて修道院送りにするつもりだ。こうなると皇太子妃探しは振り出しに戻るわけだが、聖女様も候補者の一人、いや、最有力候補として名が挙がるだろうな」

「他に高位貴族の令嬢はいないのか?」

「いないことはない。皇室にはすでに二十を超える釣書が届いているし、宰相にはもう一人娘がいるし、同格の家柄でいえばパウロ公爵にも娘がいる。候補者はたくさんいるが、こんな事になるとは…」

 語尾を弱めてはいるが、ルアンは自ら持ち出した話題に苛立っていることが伝わってくる。

「…皇室の事情にも詳しいようだが、その情報はどこで仕入れてきているんだ?」

 リックがそう返すと、ルアンは途端に慌て出し、そのまま目を合わせずに答えようとする。

「そ、それは…アレだ、俺だって情報を掴むために大金を出しているんだ。簡単に教えるはずがないだろう」

「その大金の出どころはパウロ公爵か?よほど信頼されているんだな」

「俺が集める情報はどれも確かなものだからな」

「…それならいい。私のように噂に惑わされず、事実を見誤ることがなければいい」

「噂?」

「たとえば、第一皇子のロシエル殿下は病弱だと聞いていたが、じつは最近、教会でお見かけしたことがあるんだ」

「そ、そうなのか?そうだ、噂と言えば、お前と聖女様の噂が城下で広がっているぞ。どうやらマデリーン嬢の思惑にはまってしまったようだな。妹想いのキース副団長がどんな反応をするか見ものだと、騎士の仲間内でも囁かれているぞ」

「恥じる行為はしていない。聞かれてもそう答えるだけだ」

「リック、俺はお前が強靭な精神力を持つ男だと知っている。だがその言葉を信じる人間はどれくらいいるだろうな」

「……ルアン、俺をからかっているのか、それとも怒らせたいのか?」

 そんな二人の会話を遮るように、建物の外からラッパ音が聞こえてくると、その音を耳にした子供たちは「遠征団の帰還だ!リビお姉ちゃんも行こう!」と騒ぎ出し、一斉に外へ飛び出してしまった。


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