生贄公爵と蛇の王

荒瀬ヤヒロ

文字の大きさ
上 下
46 / 98

第46話

しおりを挟む


 レイチェルはきょとんとした。ヴェンディグは何を言っているのだろう。いつの間にかライリーの姿がなくなっていたが、話に集中しているヴェンディグは気づいていないようだ。

「お前のせいで俺は欲深くなっちまったようだ。俺はお前が思うような立派な人間じゃない。このままでは、お前がここにいたくないと思っても、縛り付けちまうかもしれない。ここから逃げたいと言うお前を」
「私はここにいたいです!」

 レイチェルは思わず身を乗り出した。

「私がここから逃げたいと思うなどあり得ませんっ! ……でも、私は何も出来なくて……閣下がシャリージャーラを探し続けるのを、見ていることしか出来ない……」

 レイチェルはへにゃりと眉を下げて目を潤ませた。ヴェンディグはそんなレイチェルを見て寂しげに笑った。

「今はそうでも、すぐに逃げたくなるさ」
「なりません!」
「なる。絶対」
「なりません、絶対!」
「こんな蛇の痣がある男なんて嫌だろ」
「嫌な訳がありませんっ!」

 レイチェルはついテーブルを拳で叩いてしまった。令嬢にあるまじき態度だが、今はそれどころではなかった。

「でも俺は、お前を夜会に連れて行ってやることも出来ないし、離宮にお友達を招いて茶会を開かせてやることも出来ない。俺は令嬢の婚約者としては何も出来ない役立たずなんだよ」
「そんなことっ……」

 レイチェルは言葉に詰まった。「何も出来ない役立たず」とは、レイチェルの台詞であって、ヴェンディグがそんな風に思う必要はない。
 けれど、ヴェンディグは飄々と言ってのける。

「お前が何と言おうと、俺は王侯貴族の男としては役目を果たせない役立たずなんだよ」

 レイチェルは唇を噛んだ、ヴェンディグに自分を役立たずだなどと言ってほしくない。だって、レイチェルにとってのヴェンディグは、誰より立派で勇敢な人なのに。

「……私にとっては、閣下は素晴らしい御方です」
「そうか。俺にとっても、お前は素晴らしい令嬢だがな」

 ヴェンディグがニヤッと笑った。

「お互いに自分を役立たずと思っていて、お互いに相手を素晴らしいと思っているんだ。おあいこだろう」
「あっ……」

 レイチェルは目をぱちぱち瞬いた。何だか全部ヴェンディグの手のひらの上だったような気がして、声が出てこなかった。

「では、役立たず同士、素晴らしい相手に感謝して過ごしてはどうだろう?」

 したり顔で提案するヴェンディグに、レイチェルは体の力が抜けてへなへなと椅子に沈み込んだ。

 レイチェルが自分を役立たずと卑下するなら、自分も自分を役立たずだと言う。ヴェンディグはそう告げているのだ。おあいこだと。けれど、レイチェルとヴェンディグでは絶対におあいこではない。そう思うのに、言い返す上手い言葉が見つからない。

 なんだかちょっとだけ悔しい気持ちがすると思いながら、レイチェルは今さら恥ずかしくなって顔を伏せて手で覆った。


***


 天井の高い広間の柱に施された浮き彫りは今では手に入らない素材と技術が使われている。ワインを振る舞うのに使われているグラスも最高級のものだ。ぱっと見ただけでも、どこもかしこも金がかかっていることがわかるが、決して下品ではない。
 悪い噂は数々聞くが、資金力とセンスの良さは並ぶ者がない。

「気は進まないが、我が国有数の侯爵家だ。挨拶をしたらすぐに帰るつもりだが……」
「ええ。わかっておりますわ」

 気遣うようなカーライルに、ヘンリエッタは微笑んでみせた。
 モルガン侯爵邸で開かれる夜会は、王族といえど無視するわけにはいかない。王太子カーライルはヘンリエッタ妃を伴って会場へ入った。王都中の貴族が全員招待されているのかと思うほどの人数にも関わらず、混み合っている感じはしない。庭も解放されているとはいえ、もしかしたら王宮の広間より広いかもしれない。

「侯爵を探すのも骨が折れるな……」

 うんざりした口調で呟いたカーライルは、ヘンリエッタの肩を抱いて客の間を通り抜けた。顔を合わせた貴族に声をかけ挨拶を受けを繰り返し、しばらくすると、大柄な男がにこやかな笑顔で近寄ってきた。

「これは王太子殿下。妃殿下も。ようこそいらっしゃいました」
「モルガン侯爵、お招きに預かり感謝する」
「素晴らしい夜会ですわね」

 カーライルが告げ、ヘンリエッタも声を掛ける。モルガン侯爵は愛想よく応対した。

「是非ともお楽しみください。……ああ、そうそう、実はご紹介したい者がおりまして」

 モルガン侯爵がそう言って、後ろを向いて声をかけた。何人か固まって談笑していた中の一人が、ゆっくりとこちらを向いた。

「クレメラ子爵家のパメラ嬢です。最近、王都へ出てきたばかりで何も知らないそうで、夜会にも慣れていないとか」

 ゆったりと歩いてきた少女が、カーライルの前でふわっと微笑んだ。

「お初にお目にかかります。王太子殿下」

 パメラの緑の瞳がキラリと光った。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

残滓と呼ばれたウィザード、絶望の底で大覚醒! 僕を虐げてくれたみんなのおかげだよ(ニヤリ)

SHO
ファンタジー
15歳になり、女神からの神託の儀で魔法使い(ウィザード)のジョブを授かった少年ショーンは、幼馴染で剣闘士(ソードファイター)のジョブを授かったデライラと共に、冒険者になるべく街に出た。 しかし、着々と実績を上げていくデライラとは正反対に、ショーンはまともに魔法を発動する事すら出来ない。 相棒のデライラからは愛想を尽かされ、他の冒険者たちからも孤立していくショーンのたった一つの心の拠り所は、森で助けた黒ウサギのノワールだった。 そんなある日、ショーンに悲劇が襲い掛かる。しかしその悲劇が、彼の人生を一変させた。 無双あり、ザマァあり、復讐あり、もふもふありの大冒険、いざ開幕!

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

騎士志望のご令息は暗躍がお得意

月野槐樹
ファンタジー
王弟で辺境伯である父を保つマーカスは、辺境の田舎育ちのマイペースな次男坊。 剣の腕は、かつて「魔王」とまで言われた父や父似の兄に比べれば平凡と自認していて、剣より魔法が大好き。戦う時は武力より、どちらというと裏工作? だけど、ちょっとした気まぐれで騎士を目指してみました。 典型的な「騎士」とは違うかもしれないけど、護る時は全力です。 従者のジョセフィンと駆け抜ける青春学園騎士物語。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊

北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。

普通の勇者とハーレム勇者

リョウタ
ファンタジー
【ファンタジー小説大賞】に投稿しました。 超イケメン勇者は幼馴染や妹達と一緒に異世界に召喚された、驚くべき程に頭の痛い男である。 だが、この物語の主人公は彼では無く、それに巻き込まれた普通の高校生。 国王や第一王女がイケメン勇者に期待する中、優秀である第二王女、第一王子はだんだん普通の勇者に興味を持っていく。 そんな普通の勇者の周りには、とんでもない奴らが集まって来て彼は過保護過ぎる扱いを受けてしまう… 最終的にイケメン勇者は酷い目にあいますが、基本ほのぼのした物語にしていくつもりです。

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

処理中です...