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第34話
しおりを挟む夜風が顔に当たって、レイチェルは目を閉じた。ごおっと風の音がする。冷たい風に一瞬で体が冷え、より一層背後のヴェンディグの温もりを強く感じた。
「わあ……っ」
目を開けたレイチェルは、眼下に広がる景色に息を飲んだ。真っ黒な森、ぽつぽつと街灯の立つ道、ほのかな明かりの漏れる家々。
夜の世界を見下ろして入る、とレイチェルは思った。
「あまりきょろきょろするなよ。慣れていないと酔うぞ」
背後からヴェンディグが忠告してくる。確かに、ナドガはゆったりと飛んでいるようだが、そのジグザクした動きに合わせて地上を見下ろしていると酔ってしまいそうだ。レイチェルは下を見るのをやめて手綱を握る自分とヴェンディグの手を見つめた。
「でも、下を見なければ探せないんじゃあ……」
「馬鹿。この高さから見てどの人間が蛇に憑かれているかなんて見分けられる訳ねぇだろ」
レイチェルは目を瞬いて、振り向いてヴェンディグの顔を見ようとした。だが、思った以上に至近距離にヴェンディグの顔があったため、慌てて前に向き直った。
「そ、それじゃあ、どうやって探しているのですか?」
レイチェルの疑問に答えたのはナドガだった。
「見るのではなく、聞くのだ。レイチェル」
「聞く?」
「ああ。すぐにわかる」
ナドガは蛇が水を泳ぐように蛇行して飛び、やがて王都の東端の辺りでぐるりと旋回して止まった。
「今日はこの辺りだな」
「ああ」
ヴェンディグとナドガが頷き合い、ナドガはレイチェルに向けて言った。
「レイチェル。我々は人間の「欲」を食う存在だ。そのためか、人間の「欲」にほんのわずかに干渉することが出来る」
「干渉?」
「そうだ。シャリージャーラはそれを悪用している。「欲」を抱えた人間に甘言を囁き、理性を抑え「欲」を刺激することで他人を操っている。そうやって協力者を得て人間の世界で生きているのだ」
「協力者……」
レイチェルはごくりと息を飲んだ。取り憑いた人間の姿で忍び寄り、甘い言葉で唆して心を操る蛇が、この国のどこかにいる。そう考えると背筋が寒くなるような気がした。
「心配しなくていい。操るといっても、一度に大量の人間を意のままに従えられる訳ではない」
レイチェルの不安を読み取ったかのように、ナドガがちろりと赤い舌を覗かせて言った。
「何が言いたいかというと、シャリージャーラが人を操る能力を持つように、私は人の「欲」の声を聞くことが出来るということだ」
「欲」の声とは、人間が心のうちに抱える渇望の叫びだとナドガは言う。
「私は毎夜、ヴェンディグに人々の「欲」の声の中からシャリージャーラの宿主の声を探してもらっている。シャリージャーラに魂まで侵食されている宿主の「欲」の声は、欲望を食って生きる蛇の「欲」の声に近づいているはずなんだ」
それを聞いて、レイチェルはぞっとした。魂を蝕まれるとは、徐々に蛇に近づいていくということなのか。
傍目には普通の人間で、姿だって声だって取り憑かれる前と何も変わらないのだろう。けれど、その身の内で魂は蝕まれ、心の声は蛇の声に似た音に変わっていく。少しずつ、人間ではなくなっていく。人間の魂が減っていくのだ。
「私にとっては同族の声だから普通の声に聞こえる。だが、人間の耳で聞くと蛇の「欲」の声に近づいている声は酷く不快な音に聞こえるらしい」
自分達と異なる個体を警戒する人間という種の本能なのかもしれない。ナドガはそう言った。
「今からこの辺りに住む人間達の「欲」の声を聞かせる。耐えられなければ、耳を塞いでいなさい」
レイチェルはごくりと息を飲んだ。人々の「欲」の声、内なる渇望の声とは、どんなものなのだろう。
ナドガが首を下に向けて大きく口を開き、耳では聞き取れぬ声を地上に向けて吐き出した。強い風が吹いた。
次の瞬間、地上から数十の人間の声が湧き起こって夜空に響き渡った。
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