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第43話 男爵令嬢スカーレット・バークスの矜恃

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 荷馬車が停まった衝撃でスカーレットは目を覚ました。
 頭がぼんやりして、視界はかすんで自分がどこにいるかわからない。

「う……っ?」

 何が起きたのか思い出そうとした時、不意に体を持ち上げられる感覚がしてぐらぐらと頭が揺れた。誰かに運ばれている。そう理解した次の瞬間、床にどさっと落とされる。

「ぐっ……」
「……いっ」

 痛みに顔を歪めたスカーレットは、自分の横で小さな声が響いたのを耳にしてハッと目を開けた。
 まだ焦点の合わない目に、ぼんやりと映る少女の顔。

「え……りざべ……さま……」
「う……ん……」

 エリザベートもうっすらと目を開けた。

「す……かーれっと、さま……?」
「はい……お怪我は?」
「あ……何が……?」

 スカーレットはあちこち痛む体に鞭打って起き上がった。それから、徐々にはっきりしてきた頭で何があったかを思い出す。
 校門で、男達に薬を嗅がされて拉致されたのだ。おそらく荷馬車に乗せられてここまで運ばれた。体のあちこちが痛むのは、荷馬車が揺れる度にぶつかったからだろう。
 スカーレットは唇を噛んだ。自分はいいが、公爵令嬢であり王太子の婚約者であるエリザベートに痣でも残ったらどうするのだと腹が立った。
 とにかく、エリザベートを逃がさなくては。

「エリザベート様、動けますか?」
「あ……だい、じょうぶ、です」

 エリザベートもよろよろと起き上がった。気丈に振る舞おうとしているが、床に手を突いた時に小さく呻いて顔を歪めた。

「立てますか?」
「ええ……っつぅ……」

 エリザベートはよろよろと立ち上がるが、スカーレットが支えなければまっすぐに立てなかった。一人で逃がすのは無理かもしれない。

 スカーレットは室内を見渡した。ごてごてと飾りたてられた悪趣味な部屋だ。大きな寝台と壁に掛けられた芸術性に乏しい裸婦の絵のせいで、一瞬、ここは娼館なのかと思った。
 だが、その時乱暴に扉を開けて入ってきた人物を見て、スカーレットは顔を強ばらせた。

「……グンジャー侯爵」

 憎々しげにこちらを睨みつけたくるその男に、スカーレットは何が起きたのかを把握した。
 侯爵から子爵へ下げられると聞いた。そのことで、スカーレットを恨んでこんな真似をしでかしたのであろう。

「なんのつもりです。貴族のなさることとは思えません」
「黙れっ!」

 侯爵は手にした鞭を床に当てた。ピシッと乾いた音が鳴り、エリザベートが肩を震わせた。
 スカーレットはエリザベートを抱きしめ、まっすぐに侯爵を睨みつけた。

「お話があるのであれば私が聞きます。この方は帰して差し上げて」
「ふん!うるさいわ!……あの破落戸ども、王太子の婚約者まで連れてきてくれるとはな。しばらくは楽しめそうだ」

 侯爵がぎらぎらと目を光らせた。

「王太子の婚約者と知りながらの狼藉、許されることではありません!貴族の誇りがあるのならっ……」
「やかましい!わしの貴族の誇りを奪ったのは貴様等ではないか!男爵など平民と何も変わらぬ下賤の者共の癖に!侯爵であるわしを侮辱しおって!」

 侯爵の中では、自分が下位貴族やその味方をする愚か者共に陥れられたことになっている。百年前の、もっと人権意識の低かった時代であれば侯爵の言い分は通じただろう。その時代であれば、男爵家の娘など侯爵に望まれれば家のために黙って差し出されるしかなかった。
 今でもまだ、その名残は残っている。貴族の中には前時代の価値観を引きずっている者もいる。侯爵はその典型だろう。

 スカーレットは震えるエリザベートを背中に庇い、侯爵と向き合った。

「……貴方の言う誇りは、とうてい貴族の誇りとは呼べぬものです。今この場で、王太子の婚約者であるビルフォード公爵令嬢を守る以上の貴族の誇りはありません。この国の貴族であるならば、公爵令嬢を無事に……」
「黙れ、この女が!」

 侯爵が鞭を振り上げた。

 避けるとエリザベートに当たると思ったスカーレットはその場に踏みとどまった。
 スカーレットの左肩に鞭が打たれ、制服が破れた。

「スカーレット様!」

 エリザベートが悲鳴を上げる。
 スカーレットは肩を押さえて侯爵を睨みつけた。

「ふん!あと二、三発も打てばそんな目を出来なくなるだろう」

 侯爵が勝ち誇って言う。

「お止めなさい!これ以上はわたくしが許しません!」
「エリザベート様、お下がりください」
「しかしっ……」
「大丈夫です」

 スカーレットはすーっと息を吸い込み、少し身を低くした。

「侯爵。以前の私が大人しく貴方に従おうとしたのは、私の家族とテオジール家の皆様を守るためです」

 肩を押さえた手を下ろす。破けた布が垂れて、左肩が露わになった。

「今の貴方には何もない。ですから、私は貴方に従う理由がありません!」

 言うなり、スカーレットは床を蹴って侯爵の懐に飛び込んだ。そして、侯爵の顎を下から殴り上げた。

「ぐっ……」

 ぐらっと頭を揺らして侯爵の懐から抜け出して、鞭を握る手首を手刀で打った。

「貴っ、様ぁっ!」

 侯爵が怒りの形相で飛びかかってきた。



 どたどたと複数の足音が響いて、勢いよく扉が開けられた。

「グンジャー侯爵!」

 踏み込んできたのは王宮の近衛部隊だ。その後ろから駆け込んできたアレンが、部屋の隅に立ち尽くす婚約者を見つけて叫んだ。

「エリザベート!」

 エリオットもアレンと共に駆け込み、真っ先にスカーレットとエリザベートの無事を確認しようとした。

 踏み込んだ男達が目にしたのは、床にへたり込んでいるグンジャー侯爵の姿――そして、彼に鞭を突きつけて立つ少女の姿だった。





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