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第四話「五月雨に濡れるなかれ」
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「師匠! 俺に小さい子供の霊が憑いていませんか?」
朝、教室に入ってくるなり席の前に立ってそう宣ったクラスメイトに、稔は遠い目をした。
ようやく登校してきて第一声がそれでいいと思っているのか。イケメンだからって許されると思うなよ。
「……何も見えねぇよ」
いろいろな言葉を飲み込んで、とりあえずそれだけ伝えた。
「本当ですか? 実は……」
文司は昨日経験した怪現象を簡潔にわかりやすく説明した。
さすが秀才だけあって説明が上手い。朝っぱらからそんな恐ろしい話聞きたくなった。
「それって、小さい子供だったんだな?」
横で話を聞いていた石森が血相を変えて割り込んできた。
「樫塚にも見えたんだ。やっぱ、なんかいるんだろ?」
石森と文司、ついでに大透にも顔を覗き込まれて、稔は溜め息を吐き出した。繰り返すが、今はまだ朝だ。半日授業とはいえ、この後の授業を乗り切れないぐらい精神が疲労してしまった。帰りたい。
「……気になるんだったら、神社行け」
稔が言うと、文司はひくっと呻いた。
本職に相談するのがそりゃ一番いいに決まっている。
それは確かなので、文司は放課後に重い足取りで緑橋神社に向かった。
出来れば避けたい神社行きコースなため、誰も付き添ってくれなかったのが悲しい。
文司だって出来れば行きたくないが、このままだと風呂場が怖くて夜に風呂に入れなくなりそうだ。今朝は早起きしてシャワーを浴びたが、両親が共働きなので文司が風呂に入る時間帯にまだ誰も帰っていないことだってある。家に誰もいない時に一人で風呂に入れないようでは困る。
稔は何も見えないと言っていたし、通りすがりの怪現象ならばここで水を飲んでさっぱりしておしまいだ。
社殿の前にお守りを売っている巫女さんがいたので、恐る恐る声をかけた。
「あのぅ……黒田さ……神主さんはいますか?」
十七、八歳くらいの少女が顔を上げた。少し垂れ目気味の綺麗な顔立ちの少女だ。アルバイトだろうか。
「何かございましたか」
低めの声で尋ねられる。
「えっと、あの……水を頂きたくて……」
アルバイトらしき巫女相手にこれで通じるだろうかと焦りつつ言うと、彼女は「ああ」と小さく呟いた。
「少々お待ちください」
少女はお守り売り場から一度出て行き、十分ほどしてから戻ってきた。
「どうぞ」
差し出されたペットボトルを受け取って、思わず少女の顔を見る。黒田がいないのに水をやりとりしていいのかちょっと心配になったが、少女は顔色一つ変えずに淡々と言った。
「この場でお飲みください。足りなければ、また」
文司は口元を引き攣らせた。この水は味が普通になるまで飲まなくてはいけないのだ。
この場で飲んで、彼女の目の前で盛大にもがき苦しむのはちょっと恥ずかしい。
「平気ですよ。慣れていますから」
文司の逡巡を読み取ったように、少女は目を伏せて地面を指差す。
迷ったが、覚悟を決めてペットボトルの蓋を開けた。一口飲んで、「え?」と思う。
なんの抵抗もなく喉を通っていく。ごく普通の、冷たくてするする通っていく水だ。
「どうしました?」
「え、いや……あの……」
不味くないんですけど、と言い掛けて、文司は口を噤んだ。
いつもは死ぬほど不味いのに、と考えて、不味くないからって文句を言うのはおかしいと思って躊躇った。
「えっと……これって、いつもの……黒田さんがくれる水、ですよね?」
言葉を選びながら尋ねると、少女は目線を上げて文司の顔を見た。平均点を遥かに超える顔面偏差値を持つ文司は、女子と目を合わせると十中八九頬を染められ目を潤ませられる。だが、彼女は頬を染めることもなく静かな無表情で文司を見ていた。
「味が不味く感じるのならば、追加を持ってきます。不味いと感じずに飲めるのなら、貴方は何の障りも受けていないということです」
「障り……」
それはつまり、文司の体の中に霊から受けた悪影響はないということか。
「見たものは、人を傷つけるような悪いものではなかったのではないですか」
そう言われて、文司は思い返してみた。雨の中に見た小さな影と、風呂場の異変。
確かに恐ろしくはあったけれど、以前の渡辺早弥子の引き起こした霊障と比べると、こちらを害そうという圧は感じない気がする。図書室の一件の時は、一つ一つの怪異が文司の体力も気力もごっそりと奪っていった。
文司はまだ安心できなかったが、これ以上、彼女相手に粘っても仕方がない気がして大人しく礼を言って踵を返した。
ペットボトルを一本だけ持って歩きながら、ではあの霊は何故自分の前に現れたのだろうと、文司は首を傾げた。
ぽつぽつと、雨が降り始めた。
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