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第三話「土の中」

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「おかあさん、おとうさんは?」

 風呂から上がったみくりが尋ねると、顔色の悪い母がふっと目を伏せた。

「……小野森さんのお宅よ。今日は遅くなるから、もう寝なさい」

 みくりは母の前に立ってじっと見上げる。母は娘と目を合わせようとしない。

「どうしてこんな夜中に小野森さんの家に行ったの?」
「……いいから、早く寝なさい」
「ねぇ、どうして?」

 みくりは目を見開いて、母親の顔を覗き込む。潔子は眉をしかめてみくりを見た。

「みくり、いい加減に……」
「ねぇ、どうして?どうして、おかあさんは、こんな家から逃げないの?」

 潔子は声を途切れさせた。みくりはこぼれそうなぐらい目を見開いて、潔子を見上げ続ける。その目に光が無いように見えて、潔子はぞくっとした。

「何を言っているの……?」
「だって、こんな娘がいるのに、どうして逃げ出さないの?」

 みくりは口の端を大きく持ち上げて笑みに似た表情を浮かべた。

「夜中に叫んで、暴れて、勝手に外に出て行ったり、おとうさんを人殺しって呼ぶような娘がいるのに、よく我慢できるね?」

 けっ、けっ、と、かすかにひきつったような音がする。それがみくりの喉の奥から聞こえる笑い声だと気づくなり、潔子は後ずさった。

 そして、同時に悟る。これは、みくりではない。

「ねえ、どうして、おとうさんとわたしを捨てないの?」
「……来ないで」

「ねえ、どうして、だって、おかあさんは結婚指輪もしていないのに、本当は、おとうさんのことそんなに好きじゃないんでしょう?だって、いつも怯えた顔をしているもん」
「それはっ……、」

 潔子は左手をぎゅっと握り締めた。目の前の、娘の姿をした「もの」を睨みつけた。

「おかあさん、出て行ってよ」
「やめて……」
「ねえ、おかあさん、おとうさんにはわたしがいるから」
「いやよっ……」
「出てけよ」

 不意に、みくりの顔から表情が消えた。


「出てけ、出てけ、出てけ出てけ出てけ出てけ出てけでてけでてけ出てけでて出てけででてでてけ出てけでてでてててけけ出てけけ出てててけ出ていけぇっ!!」


 突如、みくりがーーーみくりの姿をした「もの」が、潔子に飛びかかってきた。

 潔子は咄嗟に突き飛ばそうとしたが、恐怖で体が上手く動かなかった。みくりのような「もの」に髪を引っ張られ、床に引きずり倒される。上に乗ってきた「もの」から逃れようと、潔子は必死にもがいた。

 潔子の上に乗った「もの」ががぱりと口を開け、生臭く温もった土の匂いの息を吐き出す。
 潔子の首に手がかかった。子供の手の感触ではない。ざらついた、木の表面のようなごわごわした何かが、潔子の首を締め上げてくる。


「しねしねしねしねシネしねしねしねしねしねしね死ね死ね死ね死ね死ね」


 愉悦にまみれた声を聞かされながら、潔子の意識が遠のいていった。

 ぼんやりと霞む脳裏に、昔、言われた言葉がよみがえった。
 あの子が死んだ後、物音や気配に怯える潔子のために奈村が呼んだ霊能力者が、言っていた。

 霊は、意識すると近づいてきます。恐怖すると、霊は強くなります。気にしないことです。気にしなければ、霊は何も出来ません。

 そんなの無理だ。これほどの悪意を向けられて、恐怖を抱かずにいられる訳がない。潔子は怖かった。ずっとずっと、怖かった。

 それなのに、どうして自分は逃げ出さなかったのだろう。逃げればよかったのに。奈村も、みくりも捨てて、逃げ出せば。


「ーーー潔子っ!?」


 奈村の声がして、潔子の首にかかっていた強い力が弛んだ。大きく息を吸い込んで、潔子は咳き込んだ。



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