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プロローグ

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「やいやいやい! 何しやがんだてめぇこの野郎! どこのどいつかしらねぇがこの俺に足をかけるなんざ……うん?」

 ガルシア公爵家の嫡男であるベアード様は、部屋を飛び出した途端に置いてあった荷物に躓いて顔から転んでしまった。大丈夫かしらと見守っていると凄まじい勢いで立ち上がり、憤怒の表情で振り返る。額を擦りむいたのか、真っ赤に染まっていた。
「あら?」
 こんな顔、初めて見たわ。いつも無表情で、淡々としている方でも、激しい怒りを表すことがあるのね。
 いずれにしろ、新婚の妻に対する態度ではないけれど。
 わたくしはベアード・ガルシア公爵家嫡男の妻で、伯爵家出身のルシール・ガルシア。婚姻式が数日前に済んで、普通に考えたら今は新婚ホヤホヤの時期である。
 没落寸前の伯爵家だったけれど、腐っても私は貴族令嬢の端くれ。「この野郎」などと言われる筋合いはない。
 だいたい、高位貴族のご令息の口調として如何なものかしら。たとえ下位貴族でも、このような口はきかないと思うのだけれど。

 ベアード様は、喚いていた途中から、わたくしの顔をじっと見つめ、急に黙ってしまった。訝しげにこちらを見ながら、首を捻っている。結婚をする前に五年間の婚約期間があり、付き合いは短くはない方だけれど、こんな雰囲気の彼を見るのは初めてだ。
「ベアード様? 額を打ったようですが、痛みはありますか? 足を挫いたりしていませんか? ご気分はどうでしょう?」
「ご気分……? ああ、気分は最高に悪いぜ! 頭がガンガンすらぁ!」
 気分が最高に悪い……最悪ってことかしら? 貴族としての体裁を整えることも不可能になるぐらい気分が悪いなんて、大変だわ。
「執事に言って、お医者様をお呼びしますわね」
「あぁん? お医者に診せるほどじゃねぇよ。唾でもつけときゃ治っちまわぁ」
「つば……」
「それよりよ、異国のおねえちゃん」
「異国……おね……?」
「あんた、誰?」
「えッ!!」
 眉間に深い皺を寄せ、ベアード様が警戒するようにわたくしを見る。まず、異国のおねえちゃんとはわたくしのことだろうか。目の前にはわたくし以外いないので、間違いないとは思うが、それにしたって、おねえちゃん。そして、わたくしは、貴女の新婚ホヤホヤの妻ですが。更に、異国とはどういう意味でしょう。わたくし、典型的なこの国出身の顔つきをしておりますが。
 そんな気持ちを込めて見詰め返すが、ベアード様は、半眼で唇を尖らせながら、わたくしを睨むだけだ。ああ、そんな顔も、初めてみました。

 これは、ある日突然、『江戸っ子』なるものになってしまった夫と、平凡な貴族夫人のわたくしの物語である。



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