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19.手を取って
しおりを挟む視界が霞む。
酸素の行き届かない脳が、警報だけをけたたましく鳴らしていた。
「おかしいと思っていたんです……僕を慕ってくれる生徒なんて、万が一にも、いるはずが、ないんですよね」
後ろから抱くように絞められ、このまま背負い投げてやろうと思っても身長差のせいで上手くいかない。
それに何故だか、魔法が作用せずいつものような力が出ない。
「この部屋は魔法行使禁止の結界が、張ってあります。使おうとしても、無駄ですよ。私も例外では、ありませんが…貴女のような小さな女性くらいであれば……ッ──!?」
なるほど、と思ったのと同時に、ミアはラルフの腹に肘を食らわせた。
緩んだ手から抜け出し、眩暈に足を縺れさせながら転がる様にして距離を取った。
せき止められていた空気を一気に吸い込んだせいで、激しく咽る。
「……それを、どうするつもりですか」
余程効いたらしい腹を抑えながら、ラルフは虚ろな瞳でミアを睨む。
”それ”とは万年筆──魔道具のことだ。
首を絞められようが離しはしなかったミアの手の中に握られている。
直で振れていると身の毛がよだつような心地がする。
何とか息を整え、ラルフを見上げた。
彼の目の奥には狂気が滲んでいる。
それでもミアは、これまで授業の質問に親身になって答えてくれていた彼を思うと、まだ望みがあるような気がするのだ。
「それはこちらの台詞です。ラルフ先生、こんなものを大事にしまって、一体何に使うつもりなんですか」
「…………やっぱり貴女も、私の魔力の在り方を疎ましく、思っていたんですね」
質問とはズレた回答に、ミアは眉を顰めた。
「誰の差し金でしょう? つまらない授業をする教師を追い出そうと、揚げ足を取ろうという、生徒内でのお遊び、でしょうか…? それとも他の先生にでも、頼まれましたか」
「先生は何の話をしているんですか? わたし、散らかっているのが気になってしまって、片付けをしようとしただけなのに」
「………」
「そしたら偶然危ないものを見つけてしまって、その上先生まで危ない人のようで、わたし今とても驚いているんですよ」
白々しいとでも言いたげな表情だ。
ミアは小さく深呼吸をしてから立ち上がる。彼から目は逸らさない。
──そんな風に警戒する理由や、怪しまれる後ろめたさがあるのか。
問えばラルフは「なにをわかりきったことを」と投げやりに言った。
「私の魔力は闇属性、疎まれ怪しまれる理由なんて、それだけで十分でしょう」
ミアの眉間の皺は更に寄った。
悪を前にした恐怖──それ以上の感情がミアの中でずっと燻り続け、そして今まさにプツンと音がなったような限界を迎えた。
元々、ミアは繊細なやり取りなどは得意ではない。
どちらかといえば猪突猛進、当たって砕けろ精神の方が強い質だ。
でなければ自分の運命に抗うために自分自身を鍛えるという、脳筋思考には至らないだろう。
そんなミアは、もうラルフの『不健康』には嫌気が指してきたところだったのだ。
端的に言って、
「めっちゃくちゃイライラするわ!!!」
怒号は部屋の隅まで響き渡った。
ミアのドストレートな言葉にラルフが呆気に取られているうちに、
「魔力の性質の話なんてこれっぽっちもしてないし、申し訳ないけどそんなこと、どーーーでもいいです!」
深緑の瞳が大きく見開かれる、しかし構うことなく、
「ただそれを理由にして先生が、自分のことなんてどうでもいいみたいに、不健康でいるのはどうでもよくないの! 気になって仕方がないわ! 悪いことをしようとしているなら尚更、そんなことする必要が本当にあるのかよく考えてみたらどう!?」
息巻くミアに、ラルフはポカンとしたままだ。
「どうにか言ったらどうです!!」
「ぇ…あ……えっと……ど、どうでもいいん、ですか…? 本当に…? 呪いだ、祟りだなんて、言われるこの闇の「またそれですか!?」
ビクッとラルフの肩が跳ねた。
もはや蛇に睨まれた蛙のようである。
「コンプレックスなのはわかりましたけど、それを理由に私生活を滅茶苦茶にするのは違うでしょう? そんなことを考えてる暇があったらその酷い隈を治すために寝なさい!」
「……………あ、貴女に、私の何が、わかるんですか……」
何を拗ねているのかしらこの男。
ミアは力の籠っていた肩を落としながら嘆息した。
こうしていると、益々筋書き通りに死ぬのは馬鹿らしいと思う。
意を決して、ミアはラルフへと手を差し伸べた。
「わかりません。だから、よければ聞かせてください。そしてわたしと一緒に、心身を鍛えるトレーニングを始めませんか?」
ミアの脳筋精神に、やはりラルフは呆気にとられるばかりだった。
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